●小1~高3、一環指導の独自教材
小学校で教える作文は、小学校の時代に通用する作文です。必ずしも中学で通用する作文ではありません。中学校で教える作文は、中学校の時代に通用する作文です。必ずしも高校で通用する作文ではありません。
作文教室はm,小1から高3まで一貫した指導のできることが重要な基準となります。小学校で書く作文も、中学、高校への展望を持って指導する必要があるからです。
言葉の森の作文指導は、小学校で作文コンクールに入選する子もいます。高校で感想文コンクールに入選する子もいます。中学受験の作文で合格する生徒も、高校入試の作文で合格する生徒も、大学入試の小論文で合格する生徒もいます。
また、作文が苦手で来る生徒も、作文が好きで得意だから来る生徒もいます。それらの多様な生徒すべてに対応できるのは、小中高の一貫した独自教材によって指導しているからです。
●先生との触れ合いがある電話通信
言葉の森の作文指導の特徴は、毎週担当の先生からの電話指導があることです。
毎週の電話指導があると、先生は生徒のことがよくわかり、生徒も先生を信頼できるようになります。この先生と生徒の相互の信頼関係の中で作文指導を進めていくので、何年間も同じ先生で作文の勉強を続ける生徒が多いのです。中には、小学生から始めて高校生になっても同じ先生という生徒もいます。
先生と生徒のの触れ合いのある指導が、ほかにはない言葉の森の作文指導の特徴なのです。
言葉の森の作文の課題は、どの学年も、学年相当よりも難しいものになっています。そのため、言葉の森の教材に載っている解説だけでは書けない生徒も出てきます。電話指導があると、話のやりとりの中で、その生徒の理解度がわかるので、先生は生徒に応じてより詳しく説明したり、より高度な説明をしたりすることができます。
同じ教材でありながら、生徒によって指導の重点を変えることができるのも、電話による担任制の指導をしているからなのです。
●豊富なほかにはないオプション教材
言葉の森は、作文専科の教室として、日本で最も長い歴史を持っている教室の一つです。長年の作文指導の中で、作文教室を補完するさまざまなオプション教材を開発してきました。
読解マラソン長文は、小1から高3までのそれぞれの学年に対応した説明文の長文です。この長文とセットになっている読解問題は、選択式の問題を解くコツをつかむのに最適です。
暗唱長文集は、小1から高3まで毎月900字の長文を暗唱するための教材で、言葉の森の暗唱方法を使えば、誰でも確実に暗唱ができるようになります。
作文検定は、言葉の森が開発した語彙力評価ソフト森リンを組み込んだ、小1から高3までを対象にした検定試験です。
寺子屋オンエアは、全教科の学力を家庭学習の中でつけるための、インターネットを利用した自学自習システムです。
このほかに、自習検定、学力テスト、プレゼン作文発表会、夏合宿、幼児作文コース、受験作文小論文コースなど、多様なオプション教材が用意されています。
●親子二世代生徒もいる長年の伝統
言葉の森には、親子二世代の生徒もいます。その親子を同じ先生が教えていることもあります。生徒も先生も、長いつながりがあるのが言葉の森の特徴の一つです。
作文指導の骨格は、創立以来一貫していますが、時代に変化に応じて運営の仕方はさまざまに変わりました。特に、インターネットの分野では、IT環境の変化に合わせて、勉強の仕方は激変しました。
しかし、その中で仕事をしている講師のほとんどは、その変化に対応して長年仕事を続けています。
時どき、いった退会していた高校生の生徒から、「また言葉の森を始めたいのですが、小学生のときの○○先生いますか」という問い合わせがあることがあります。
小学生のとき言葉の森を受講していて、中学生になり部活などで続けられなくなった生徒が、高校生になって再び再開するというケースです。多くの場合、曜日時間の都合が合えば、また同じ先生に教わることができます。
言葉の森は、作文の勉強を通して、生徒と先生のつながりや保護者と先生のつながりが長く続く文化があるのです。
■■教育改革
これからの日本に求められているものは、ひとつは教育改革、もうひとつは新産業の創出です。
教育改革については、二つの方向で進められる必要があります。第一は、創造性を育てる教育です。第二は、すべての子供が確実な学力をつけるための本質的な教育です。
これまでの教育は、ひとことで言えば受験を目的とした教育でした。それは、私的には投資した分の見返りがあるという意味で価値ある教育でした。また、社会全体としては、競争によって全体の学力を向上させるという意味で価値のある教育でした。
しかし、今日では、その受験教育が、早期からの過剰な競争教育によってかえって子供たちの真の学力を低下させているという状況が生まれています。
■創造教育
教育が社会的な意味を回復するためには、創造性を育てる教育と、真の学力を育てる教育を並行して進めていく必要があります。
創造性を育てる教育の一つとして考えられるのが作文教育です。通常の教科の教育は、既にある知識や技術を身につけるという言わば答えのある教育です。これに対して、作文は、各人が自分でテーマを見つけそのテーマについてひとまとまりの文章を書くという問題と答えを作り出す教育です。
■プレゼン作文、作文検定
これまでの作文教育では、この作文学習の結果を発表する場が、文集作成やコンクール応募などきわめて限られたものになっていました。しかし、インターネットの時代には、作文発表の場を日常的なプレゼン作文発表会として企画することができます。また、森リンによる作文検定試験のように作文力の向上を日常的に把握する方法も生まれています。
更に、プレゼン作文発表会は、今後プレゼン作品発表会として拡張させていく展望があります。その作品には、今の小学校の教科で言えば、音楽、図工、家庭、体育などの作品が含まれます。また、理科的な実験や社会的な調査のようなものも含まれます。
それらの作文や作品の発表の中で、無数の小さな創造が生まれ、それが将来の大きな創造の裾野になります。この創造の場作りが、創造教育の受け皿となります。
未来の社会では価値あるものは、再現から創造に移行していきます。
人間の労働が生産の中心であった時代には、要求される仕事をこなすための再現能力を育てることが教育の目標でした。基礎学力と基礎技術は、仕事を再現するために必要だったのです。
しかし、機械化とIT化が進む現代では、再現能力は次第に機械やプログラムソフトに置き換えられていきます。これからの時代に必要な能力は、再現能力よりもむしろ創造能力です。再現能力は、創造能力の基盤として必要なものになっていくのです。
■本質教育
創造能力の基礎である再現能力を、本質的な学力を育てる教育として進めていくものが本質教育です。
現代の教育で問題になっているものは、ひとつには重箱の隅をつつくような末期化した受験教育です。しかし、それよりも大きな問題となっているものは、教育格差の中で本質的な学力を育てられていない子供たちが生まれていることです。その中には、これから増える外国からの移民の子供たちも含まれます。
すべての子供に確実な学力をつけるためには、今の学校教育はシステム的に無理があります。明治時代に作られた学校教育は、等質な生徒集団を一律の教科書で一斉に指導する教育システムでした。それは、誰もが等しく貧しかった時代に日本を工業的に離陸させるためのキャッチアップ経済の教育としては有効な教育でした。
しかし、現代は、多様な家庭環境の生徒が、多様な文化環境の中で成長しています。多様な背景を持つ生徒を学校という場でまとめて一斉に指導するというシステムに無理が生まれてきているのです。
■寺子屋オンエア
一斉教育の無理を解消する対策は、少人数学級、習熟度別教育、学力を補完するための塾通い、各人の学力に応じた学校への受験、ICT教育などで行われています。
しかし、多様な生徒の学力を本質的に育てるためには、先生が一斉に教えるという発想をやめ、各人が自学自習で自ら学ぶという教育に転換する必要があります。
その教育が、家庭で複数の生徒が自学自習によって学ぶ寺子屋オンエア教育です。
自学自習で、どのように一定の学力を担保するかというと、その方法が、自習検定や暗唱検定です。特に、暗唱検定のように進度がまちまちでそれに応じて評価もまちまちであるような学習は、従来の一斉指導の場で行おうとすればコストが大きくなりすぎます。しかし、家庭での学習だけで行うには家庭の負担が大きすぎます。寺子屋オンエアのような自学自習の場でなければ成立させにくい学習なのです。そして、この暗唱教育が創造教育の一つの柱となります。
寺子屋オンエア教育は、普及するにつれて、地域性も加味したものになります。近い地域の子供たちが、同じオンエア教室で学習を行うようになるのです。すると、日常的な教育は、場所の制約の少ないオンエアで行い、非日常的な遠足や合宿や発表会や文化祭などのイベントは、リアルな場で行うようになります。
これからのオンエア教育は、家庭と地域を土台としたものになり、家族や地域の大人や子供という、より深く人間の関与したものになっていくのです。
また、寺子屋オンエア教育は、場所の制約がないという点を生かして、海外の日本人の子弟教育にも活用できます。更に、日本の教育を学びたいという海外の外国人の生徒も、オンエア留学教育として受け入れることができます。
これからのオンエア教育は、このような形で海外にも輸出できる教育になるのです。
■■新産業の創出
新しい産業の創出については、二つの方向が考えられます。第一は、形ある物の消費と生産が中心であった経済から、形のない文化の消費と生産が中心になる経済への移行です。第二は、生産を担う少数の企業と消費を担う多数の大衆という関係の経済から、個人が生産者と消費者を兼ねる全員参加型の経済への移行です。
■技道(わざみち)文化
現代の先進国では、物は、新しい消費を生み出すというよりも、むしろ買い替え需要として、消費と生産を循環させるものになっています。
しかも、少子化の流れの中で、消費が縮小するに応じて生産も縮小していきます。すると、生産する側は、縮小した生産に対応するコストの削減のために機械化を推し進め、それが雇用を縮小させ、その結果消費の原資が更に縮小します。
その縮小した物の経済を脱し、物の普及した先進国で新しい消費を生み出すものが文化の経済です。
しかし、その文化は、これまでのマス文化のように限られた生産者と大多数の消費者によって成り立つものではありません。これまでの文化は、文化を提供する側はひとにぎりのプロで、その文化を需要する側はただの受け手として消費するだけの多数のアマチュアでした。それは、工業時代の文化とも言えるものです。
これからの文化は、主に技と道の文化になります。技と道の文化とは、参加者が文化の受け手としてだけ参加するのではなく、自らもその文化を学び、自己を向上させ、やがて自身もその文化を提供する側に回るという文化です。
技と道文化においては、消費は単なる消費ではなく、自分がその文化を身につけるための教育投資ともなります。
工業時代には、例えば、自動車という物を買うために300万円を費やしたとすれば、その自動車を4人家族で7年間使った場合、1ヶ月あたりに換算した1人あたりの支出は約9000円になります。
その自動車は、移動の利便性を獲得するための投資とも考えられますが、その利便性が生活の中にビルトインされた状態になり、その利便性があることを前提にした日常生活が営まれるようになると、支出は投資というよりも単なる必要経費になっていきます。
しかし、同じ9000円を出して、自分が何か新しい技能を身につけようと思えば、第一にその技能を身につける過程自体が喜びになります。第二に、その技能が活用できるほどにはならないという可能性があったとしても、支出は単なる支出ではなく、自分の技能を蓄積するための投資となります。
これからの先進国で拡大する可能性がある消費は、このような技と道の文化の消費です。その消費が拡大するためには、従来の限られた古典的な技と道ではなく、新しい多様な技と道を創造していく必要があります。
現在の技と道の文化は、例えばスポーツで言えば、野球、サッカー、テニス、ゴルフなどのように限られたメジャーなものが主流になっています。スポーツの祭典と言われるオリンピックでも、約30競技300種目しかありません。この限られた数のスポーツは、工業時代のスポーツ文化の結果です。70億人になろうとする地球の人口にとっては、スポーツの種類はもっと飛躍的に多様になる必要があるのです。
■家元産業
技道(わざみち)文化には、文化を作り出す面と、教育を作り出す面があります。例えば、茶の湯の文化には、その文化だけでなく、その文化を継承するための教育システムが伴っています。
従来の大量生産大量消費社会では、少数の生産者と多数の消費者をつなぐものは、流通や広告や営業という別の生産者でした。
しかし、多様な技道文化の社会では、生産する側と消費する側は、教育で結びついています。
文化自体が消費を生み出すためには、その文化は多数の消費に堪えるほど高度なものである必要があります。絵は誰でもかけますが、ピカソの絵のような金額で売れる絵は、誰でもかけるわけではありません。文化産業は、文化そのものを消費の対象としている限り、パトロン文化かマス文化にならざるを得ません。
しかし、技道文化は、文化そのものの価値はまだ未成熟だったとしても、教育という面においては、学びたいという人がいれば経済的に成立します。
経済的に成り立つ文化の中に、やがて天才が現れると、その文化は技の文化から道の文化へと進化します。文化自体が道の文化として価値を生み出すようになる以前の文化の生産と消費をつなぐ教育が家元産業の基盤です。
■森林プロジェクト
森林プロジェクトは、自分で作文教室を開き作文教育を行いたい人のための講師資格講座プロジェクトです。
ここに、寺子屋オンエア指導を組み合わせると、インターネットを利用して子供たちに多様な教育を行うことができます。これが、寺子屋オンエア教室のオンエア特別講座です。
このオンエア特別講座は、子供向けだけでなく大人向けにも多様な文化の講座として提供していくことができます。
従来のカルチャーセンターのように場所に制約されたものは、受講者を集めやすいメジャーな文化の提供が中心でした。しかし、インターネットのようにロングテールをカバーできるものは、各人の好みに応じたマイナーな文化も提供できます。
このオンエア特別講座を利用して、各人が自分の興味のある分野を技道文化として作り出し、自身がその家元となっていくというのが、未来の文化産業の姿です。オンエア特別講座は、技道文化の言わばインキュベータともなるのです。
■貯金の必要のない社会
これまでの社会では、ほとんどの人は、消費者でありかつどこかの企業の被雇用者でした。定年になり雇用がなくなると、貯金で消費を賄わなければなりません。
それは生産者の場合でも同じです。生産に従事できる年齢でなくなると、やはり消費はそれまでに蓄積した貯金で賄わなければなりませんでした。
今後、現在のような年金制度は行き詰まると言われています。また、少子化の社会では子供もあてにすることはできません。そのため、多くの人が貯金という社会にお金が回らない形の仕組みに頼らざるを得ません。しかし、今後考えられるインフレやデノミの前では、その貯金自体も頼りにならなくなります。
江戸っ子は、宵越しの銭を持たない社会で暮らすことができました。それは、社会全体に助け合いの仕組みがあったからです。
現代の社会では、まだその助け合いの仕組はできていません。しかし、その助け合いの仕組みを部分的に先取りするものが、家元システムです。
新しい技道文化を創始した家元は、文化を作るとともに、教育を行います。その文化と教育の継承者となる人が家元を支える仕組みが新しい私的年金制度です。
使うあてのない貯金が、老後の不安のために退蔵されている社会というのは、きわめて効率の悪い社会です(※)。家元年金制度の中では、お金はほとんどが自分自身への投資と、新しい文化の創造と、後継者の育成のために使われます。使われていないお金がないという点で、宵越しの銭が必要でない社会は、効率的に無駄のない未来の社会なのです。
■未来の日本のための実行
日本も世界も、今大きく変わろうとしています。それは、現在の社会が、経済的にも文化的にも自然環境的にも行き詰まりを見せているからです。
しかし、まだ新しい社会の方向は、空想の上でしか語られていないように見えます。
新しい未来の展望を、空想ではなく現実的な行動として実行していくことがこれから必要になってくるのだと思います。
※追記
ケインズ政策は、貯金を公共政策によって消費や投資に振り向けます。しかし、それが有効であるのは、消費が個性化していない分野であり、生産が雇用を生み出すことのできる分野です。だから、現在のケインズ政策は、有効性を失っているのです。