学校でも、家庭でも読書に力を入れてきているせいか、小学生に関しては昔よりもよく本を読んでいる子が多いようです。
しかし、読書に力を入れると、いろいろと気になることも目についてきます。
最近あった、保護者からの質問を二つ紹介します。
ひとつは、「『かいけつぞろり』のような本ばかり読んでいる。これでいいのか」というものです。
「かいけつゾロリ」は、品の悪い話も多いので、お母さんには受けませんが、子供は大好きです。しかも、意外と説明的な文章も多く含まれているのです。
いい本と呼ばれる有名な本の中には、内容はよくても会話ばかりが続くようなものもあります。その点で、「かいけつぞろり」は、おすすめの本なのです。
「かいけつゾロリ」ばかり読んでいる子に、対応する方法は三つあります。
第一に、読書は面白いということが最も大事ですから、そのまま読んでいることを認めてあげるのです。面白い本を繰り返し読むことで、読む力がついてきます。
第二に、しかし、子供の興味を探りながら、いろいろなジャンルの本を与えて読書の傾向を発展させるということも大事です。その子の興味のある分野が何かということは、実際に本を与えてみなければわかりません。図書館やブックオフを利用して、読書のジャンルを広げていくようにするのです。
第三に、親が子供に読ませたいと思う本は、読み聞かせをしてあげることです。読書には、子供を引きつける力があるので、その子が興味を持つ本であれば、途中から自然に自分で続きを読もうとするようになります。
今の読書をそのまま認めてあげながら、少しずつ幅広く難しい本に発展させてゆくという二本立てでやっていくといいのですが、重点は、あくまでも今の楽しい読書を認めてあげることです。
もうひとつの質問は、「本はよく読むが、質問をしてもうまく内容を答えられない」というものです。
第一に、質問などはしないことです。本を読んだあとに、本の内容を質問されていたら、本を読むことが楽しくなくなってきます。
第二に、質問をするのではなく、親が逆に、その本に関連した似た話を楽しく話してあげることです。
これは、作文の指導でも似ています。
子供から何かを引き出そうとすると、なかなか出てこないので、苦しい勉強になっていきます。
引き出すのではなく、親が先生が与えるつもりでやっていくのです。
例えば、感想文の課題で、似た話を書くときなど、子供に似た話を見つけさせようとするのではなく、親が似た話をどんどん話してあげます。
子供は、まだ成長途上なのですから、今は答えられないものがあってもいいのです。
答えられないものを引き出すのではなく、その答えられないものは親が先生が与えていくのです。すると、それが自然にその子のものになっていきます。
ところで、このような読書の習慣も、勉強の習慣も、小学1年生のスタートの時期によい形のものにしておくことが大事です。最初に作った形が、ずっとあとまで続くからです。
そこで、言葉の森では、小1や幼小から作文の勉強が始められるように、親子作文コースにこれから力を入れていく予定です。
この親子作文コースに、寺子屋オンエアを組み合わせれば、家庭での勉強と読書と作文が無理なく軌道に乗ると思います。
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本はよく読むけれど、読む内容が進歩しない……、面談の時にお母様方からよく受ける質問です。
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帰国子女の受験では、作文、小論文の課題が出されるのが一般的です。
教科の成績は勉強をしていたかどうかで差が出るので、その生徒が暮らしていた海外の教育環境によっ違いが出てしまうため、あまりあてにならないからです。
それに対して、作文力はその生徒の思考力と関連があるので、その生徒が持っている学力の可能性とほぼ一致しているからです。
帰国子女の受験作文で大切なことは、志望校の過去問を分析することです。
中学受験の場合は、ほとんどが、現地での生活の経験を問うような課題です。しかし、難しい学校になると、世界の平和についてどう考えるかというような、社会的なテーマが出されるようになります。
高校受験の場合は、現地での経験を問うようなテーマは逆に少なくなり、やはり世界平和の問題や、国によって異なる文化の違いの問題など、より社会的なテーマが多くなります。
現地での経験を問うような問題の場合、対策は二つあります。
ひとつは、親子で現地の経験を話し合っておくことです。その話を通して、子供本人が自分の経験の中で作文の材料に生かせる個性的な体験を発見していきます。
文章の評価には、表現力の評価だけでなく、実例の面白さの評価も自然に入ってくるので、個性的な体験を書けるようにしておくことが大事なのです。
もうひとつは、子供が作文を書いたあとに、その作文の中の経験をより一般的な視点でとらえられるように、これもやはり親子で話し合っておくことです。
一般的な視点とは、「人間にとって」とか「人間は」とかいう言葉で表されるような感想のことです。
例えば、民族は違っても人間の共感の本質は同じだとか、あるいは逆に、現地の文化と日本の文化の違いについて考えさせられた、などという感想です。
こういう一般的な感想は、小6ぐらいの子供の場合、聞かされれば理解することができますが、自分から考えつくことはなかなかできません。だから、親子の話し合いが必要になるのです。
社会や文化の問題の場合は、読書によって考える材料を増やしておくことが大切になります。
高校受験でしたら、次のような本が参考になります。(絶版なので中古しかありません。)
「日本人のこころ」(岡田彰雄 筑摩書房)
http://www.amazon.co.jp/dp/4480880038
ちなみに、国語の問題で比較文化論が出るのは、日本だけの特徴のようです。それだけ日本文化は、欧米や他のアジアの諸国の文化とは違うところが多いのだと思います。
作文小論文の対策としては、とりあえず出そうなテーマで10本書いておくことです。その10本をいずれも傑作に仕上げ、それを何度も繰り返し読む練習をしていくのです。
作文試験のときに、自分がこれまで書いた作文の中から、2つか3つの表現を使うことができれば、実力の120パーセントを発揮したことになります。
作文試験が、他の教科の試験と比べて不安になりやすいのは、実力が充分に発揮できるかどうかわからないからです。
自分の書いた傑作を何度も読むという練習をしておけば、ほぼ実力が発揮できると考えておくとよいと思います。
言葉の森の作文指導の特徴は、構成を重視して書くことです。そのため、評価する人からは、「構成がわかりやすい」とよく言われます。
構成を重視して書くために、書く本人にとっても書きやすく、読む人にとっても読みやすいのですが、これには長所も短所もあります。
長所は、実力のある生徒は実力が発揮しやすいということですが、短所は逆に、実力(語彙力)がない生徒の場合は、その実力不足がはっきりと出てしまうことです。
実力をつけるためには、作文の勉強とは別に,読書と対話とできれ問題集読書によって思考力(語彙力)を鍛えておくことです。
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外国語を学ぶ動機の中に、読みたい本がその外国語でなければ読めないということがあると思います。
私(森川林)も、昔、プログラミングの勉強をしようと思ったころ、日本にはいい本がないので、英語の本を取り寄せて読んだことがあります。
英語を勉強することそのものを目的にしていたのでは、英語の本など読まないのですが、自分で知りたいことがあると自然にそういうことができてしまったのです。
言葉の森のfacebookグループ「日本語for外国人の島」には、今約340人の参加者がいます。
参加している外国人の方に共通しているのは、日本のアニメの魅力にひかれて日本の文化に関心を持ったということのようです。
日本には、アニメ以外にも、欧米にはない独自の豊かな文化があります。この日本の文化を、外国人の日本語学習に生かすことができるのではないかと思ったのです。
外国人が日本語を学ぶが場合、日本語の文法や単語や短い会話の習得のようなものから入ることが多いと思います。
しかし、それらのテキストを見てみると、独学でやり続けるには意志力と忍耐力がかなり必要なように思えます。
日本には、これから両親が外国人だという子供も増えてきます。それらの子供たちに共通している問題があるようです。
日本語は規則性が高いので、日常会話のレベルでは友達との交流の中ですぐに身につきます。しかし、小5以上になり、勉強の中に概念的な言葉が出てくると、読む力が弱い子は勉強についていけなくなることが多いというのです。
そこで考えたのが、日本語の本による読書会です。
日本には、さまざまなジャンルの本が、易しいものから難しいものまで多様にそろっています。外国の本を翻訳したものであれば、そのま英語の原本が対訳として使えます。
日本語のできる日本人が中心になり、日本語を学ぼうとする外国人や外国人の子供たちを対象に、それぞれの興味とレベルに合わせた日本語の本の読書会を開くのです。
この読書会には、外国にいる日本人の子供たちや、帰国子女の子供たちも参加できます。
現在、googleハングアウトやskypeで、距離や国境に関係なく、顔を見ながらリアルタイムで会話が楽しめるクラウドサービスが無料で利用できるようになっています。
これらのインターネット技術を利用して、今後、「日本語for外国人の島」や「帰国子女の原」のfacebookグループの中で、日本語の本の読書会を開いていきたいと思っています。
そういうことに関心のある日本人の方は、ぜひご参加ください。
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「好きこそものの上手なれ」
興味のあることを学ぶためなら、ツールである言語の習得もより容易になりますね。
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言葉の森の作文指導のシステムを誰でも使えるようにという目的でスタートしたのが森林プロジェクトです。
ここに参加すると、言葉の森の教材を自由に使えるようになります。(講師資格試験は有料ですが)
長年の蓄積のある独自の教材をなぜ誰でも使えるようにしたかというと、それは歴史の必然のようなことを考えたからです。
よいものは、とどめておこうと思っても、いつか自然に広がります。だとすれば、むしろ早めに広げて、その広げた先の新しいステージを作っていけばよいと考えたのです。
その新しいステージのひとつが作文検定です。
言葉の森の教材で作文指導をするところが増えれば、その指導を共通して評価する試験が必要になります。それが作文検定です。
作文検定は、、従来の文章評価の仕方とは全く違います。これまでの文章評価は、その文章がうまいかどうかを、読んだ人が主観性を交えて判断するものでした。
だから、当然人によって評価が異なります。また、同じひとりの人が評価する場合であっても、その日の気分によって評価が異なることがあります。
これに対して、作文検定は、あらかじめ指定した項目が正しく入れられたかという評価ですから、誰がいつ評価しても結果は同じです。その客観性が教育の場面では大事なのです。
しかし、項目を入れるという客観的な評価だけでは、ある程度以上よく書ける人の間では差が出なくなります。
そこで、1時間で1200字以上の説明文や意見文を書くという課題以上の生徒(小6~高3)には、項目の評価以外に、森リンによる語彙力の評価も加えています。
このやり方で小1から高3までの作文の客観的な評価をできるようにしたのが、言葉の森の作文検定です。
さて、森林プロジェクトに参加して、自宅や近所の集会所やカルチャーセンターなどで作文指導をする人は増えましたが、実際に指導を始めてみると、いろいろ悩みが出てきます。
その代表的なもののひとつが、一人でもうるさい子がいると、みんなが作文の勉強ができなくなるということです。これは、算数や英語や理科や社会などの勉強と違う、作文だけの独自な問題です。
作文を書くとき、頭はフル回転で言葉を探しているので、少しでも他人の言葉が聞こえてくると、その回転にブレーキがかかってしまうのです。
最近は、大学の授業でも私語が目立つと言われているように、悪気なく思ったことをすぐ口に出す子が増えているのです。
そういう子への対応をどうするかなどということ,同じ作文指導をしている人でなければなかなか相談できません。
そこで、言葉の森では、この秋から森林プロジェクトの講師の交流会を始めることにしました。月1回のペースでgoogleハングアウトを利用しながら、指導、運営、経営の研修や交流を行っていく予定です。
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中学生の普段の勉強の目標は、定期テストになっていると思います。
しかし、定期テストは、それほど難しい問題が出るわけではなく、それまでの授業で習ったことがほとんどです。
だから、真面目に勉強していて、早めに(と言っても10日前か2週間前ぐらいからを基準にして)取り組めば誰でもよい成績が取れます。
ところが、この定期テストの積み重ねの延長に入試があるわけではありません。入試のレベルは、定期テストとはかなり違うのです。
定期テストは、真面目に勉強していたかどうかを見るためのテストですが、入試は受験生に差をつけるためのテストです。だから、入試の勉強は、定期テストの勉強とは別の位置づけで取り組む必要があります。
中でも、最も差があるのは数学です。数学は、定期テストでも難問が出されることがありますが、入試の場合はもともと差をつけることが目的ですから、もっと多くの難問が出ます。
他の教科は、勉強した知識があれば解けるようになっていますが、数学は知識があっても解けません。それは、いくつかの知識を組み合わせて問題が作られているからです。
数学は、解き方を知らないと解けない問題があるのです。しかも、大問の場合は点数の差も大きくなります。
だから、数学の勉強は、学校の定期テストレベルの問題とは別に、入試レベルにも対応した問題集を独自に勉強しておく必要があります。もちろん、その前提になるのは定期テストレベルの問題ですが、そこに留まっていては入試には対応できないのです。
数学が差のつく勉強だとすると、逆に、あまり差のつかない勉強が国語です。国語で差のつく分野は、文法や古文のような知識が必要な分野です。だから、文法や古文の点数が悪いときは、ただ勉強をしていないだけと言っていいと思います。
国語は、文法や古文以外は勉強をしてもしなくてもある程度の点数は取れます。そのため、国語の勉強は、漢字の勉強以外はしないし、しようがないと思っている人が多いのです。
ところが、国語力は実は頭のよさのことなのです。ものごとを理解したり判断したり考察したりする力が国語力の本質です。ですから、それは日常生活でも、社会に出てからも、又は他の勉強の土台としても、ある意味で最も大事なものなのです。
したがって、国語の勉強はテストのためではなく、日常的に難しい文章を読み自分で考えて書くという勉強としてやっていく必要があります。
ただし、この本当の国語力と、テストの国語の成績は、一致しないことがよくあります。それは、テストの国語には、やはり解き方のコツというものがあるからです。しかし、国語力のある生徒は、そのコツさえ理解すれば国語の成績はすぐに上がるのです。
英語は、現在ヒアリングが重視されるようになっています。しかし、ヒアリングで出てくる単語はそれほど難しいものではありません。聞き慣れれば、理解できるようになります。
ヒアリングのコツは、国語の放送問題でも同じですが、必ずメモをしながら聞くことです。特に、男性は耳から聞いただけのものはすぐに忘れてしまうことが多いので、要点をメモしながら聞くといいのです。
ところで、入試で差のつくところは、ヒアリングではなく長文の読解です。普段の定期テストの英語では、あまり長い文章が出ることはありません。文法や単語を中心とした短い文が多いので、知識があれば解けるようになっています。
また、文の語順の問題は、知識ではなく英語の文の流れに対する慣れが必要ですから、教科書を音読暗唱して英文の感覚に慣れておけば感覚的に解けるようになります。
英語の長文は、普段の勉強ではあまり取り組む機会がありません。しかし、入試には必ず出てくるものですから、普段から長文を読む練習をしておくことが大事です。そのための教材として最もよいのは、やはり入試問題です。入試問題が、最もよい教材になるというのは、国語の場合も同じです。
中学生は、定期テストの勉強は一応計画的にやっておき、その一方で、数学の難問題集(ただし自分にとっての)、国語の入試問題集の読み(解くのではなく)、英語の入試問題の長文の読み(これも解くのではなく)、などに力を入れていくといいのです。
この中学生の勉強は、そのまま高校生の勉強にもあてはまります。
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子供のころ、近所の原っぱで泥団子を作って遊びました。だんだん、粘土質のあるいい土のあるところがわかるようになり、そこで硬い団子を作って遊んでいました。
そのうちに、その硬い団子にロウ石の白い粉をつけたらどうなるだろうと思い、団子の周りに塗ってみると、つやつや光る団子になりました。
そのうちまた、この白い粉に炭を混ぜたらどうなるだろうと思い、ロウ石に炭を混ぜて塗ると、銀色に光る団子になりました。
そのうちにまた、この泥団子の上にまた泥を塗るとどうなるかと思い、何重にもなった硬い銀色に光る泥団子を作りました。
遊びの面白さとは、このように次々と創意工夫が生まれてくることです。
これに対して、小学生のころの勉強は、本当につまらないものでした。
答えの既にある話を聞いているだけですから、退屈で退屈でたまらず、教科書のほとんどすべてのページに落書きを書いて遊んでいました。
勉強というものは、小中学生のころは,大部分が枠の決められた世界です。
これが、高校生や大学生になれば、やり方によっては創意工夫が生かせるのだと思いますが、小中学生の義務教育には、まずそういうことはありません。(灘中の橋本先生の「銀の匙」の授業などはその数少ない例だと思いますが)
だからこそ、義務教育は教育の基礎として大事なのだとも言えますが、子供にとってはそのつまらなさはやはりできるだけ避けたいものです。
だから、学校の勉強の枠の決められた時間を取り戻すかのように、放課後は夢中になって遊んだのです。
遊びがなぜ楽しいかというと、自分の自由意志でいくらでも工夫ができるからです。
コンピュータ・プログラミングの初期の世界は、こういう遊びで溢れていました。使える材料が少なく必要な知識が限られていたので、誰でも遊びに参加でき、そこで新しい発明や発見をして楽しむことができたのです。
ところが、その後コンピュータが発達すると、プログラミングの世界は、次第に勉強の世界になっていきました。
今の若い人が、昔の若い人のようにはコンピュータ・プログラミングに燃えないのは、遊びの要素よりも勉強の要素の方が多くなって来たからだと思います。
ところで、これからの時代に必要なのは、すべての人が自分の個性と創造性を発揮していくことです。それが、個人にとっても社会全体にとっても、理想となる生き方です。
すると、これからの教育は、答えのある勉強を教えるだけではなく、創造性を育てる遊びを教えるようになっていくと思います。
今の教育は、つまらない勉強にカラフルな彩りとおいしそうな味付けをして、何とか子供にたくさん食べさせようとしていますが、本当はそういうところにはもうこれ以上力を入れなくてもいいのです。
なぜなら、人間には、誰でももともと知的な向上心があるのですから、基本的なところだけをきちんと押さえておけば、あとは必要に応じて学んでいくのです。
大事なことは、子供たちの創意工夫ができる遊びを考案して、そこで子供たちが自然に工夫することを学ぶ機会を作ることです。
これからの教育は、勉強の教育と同じぐらい、自由な遊びの教育が必要になってくるのだと思います。
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昔からある鬼ごっこのような単純な遊びにも「イマドキルール」ができていて面白いと思うことがあります。今、環境自体が昔とは変わりつつありますが、その中で、子供は自由な発想で、遊びに創意工夫をしているですね。
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子供が中学生になると、親の手から離れるようになります。勉強面でも、生活面でも、親の指示を待つようなことはせずに、自分で判断してやるようになります。
しかし、自分でやるようになっても、自分で正しくできるとは限らないのです。
中学生を見ていて、よく思うのは、勉強に対する位置付けがないまま勉強をしている子が多いことです。
これまでの経験で、次のような例がありました。そのどの子も、真面目で素直で性格もよく勉強もそれなりによくできている子たちでした。
一人は、学校から出された宿題を、ほとんど答えを写してやったことにしていました。もう一人は、やはり学校の宿題をいつも友達のノートを写してやっていました。
また、facebookグループの「中学生の勉強相談室」でよくある質問が、「この答えを教えて」です(笑)。解き方や考え方を教えてではないのです。
これらに共通しているのは、すべて、人に見せるための勉強という考え方です。自分自身の向上のための勉強ではなく、先生や親に何か言われないように勉強の形だけ見せているのです。
しかし、こういう子供たちも、成長につれて自然に目覚めていきます。高校受験がある場合は、中学3年生になり受験が迫ってくると、誰に言われるでもなく、勉強の中身を考えるようになります。
しかし、受験がない場合は、形だけの勉強が中3以降も続くことがあります。
では、親はどうしたらよいのでしょうのか。
貝原益軒が81歳のときに著した教育論「和俗童子訓」では、「予(あらかじ)め」という考え方が中心になっています。問題が生まれてから対策を考えるのではなく、問題が生まれる前に対策を立てて実行しておくという考えです。
これは、中学生の勉強にもあてはまります。
中学生になる前、つまり小学生のまだ親の言うことをよく聞く時期に、親が指図して勉強をさせることだけに力を入れるのではなく、子供の自覚を促す勉強の仕方に力を入れるのです。
小中学生の勉強は、難しいと言ってもたかが知れています。特に小4までの勉強は、やれば誰でもできるようになる簡単な勉強です。この時期の勉強でよい点を取るようなことはどうでもいいことです。
だから、よい点を取ることに力を入れるのではなく、何のために勉強するのかという勉強に取り組む姿勢を伝えることに力を入れていくのです。
そのためには,例えばテストなどでも、点数を見るのではなく、その点数の中身を見ることです。
ひとつの例として言えば、次のようなことです。
子供がテストを見せて、「このテストの最後の方は、時間がないから適当に選んだら○になって百点になった」などと言ったとき(まれな例ですが)、親は、「それは、よかったね」などと言うのではなく、穏やかに次のように言うのです。
「勉強は、自分自身を向上させるためにやるのだから、時間がなかったりわからなかったりしたら、答えを適当に書かずに、ちゃんと×にしてもらうんだよ。悪い点数を取った方が自分のためになるんだからね」
こういう一言が、子供が中学生になったときに生きてくるのです。
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子供の読書習慣は、大人の働きかけによってすぐに変わります。学校で読書の時間が設けられれば、すぐに子供たちの本を読む冊数が増加します。
そして、いったん読書が日常生活に定着してくると、子供は自分の好みに応じで、読書の傾向をはっきりさせていきます。
しかし、どのジャンルも読める本は豊富なので、高校生になると、読みやすい本に留まる人と、難しい本に進む人に分かれてくるようです。
読みやすい本は、一般に物語文の本で、難しい本は、主に論説文の本です。
読書は、楽しむために読む面もありますが、自分自身の向上のために読む面もあります。
高校生以上の人にすすめたいのは、論説文の難しい本です。こういう本を高校生時代に読んでいれば、その読書は大学生になっても発展していきます。
そして、大学生になったら、さまざまな分野の古典と言われる本を読んでいくといいのです。
少し古い資料になりますが、内田保男さんが高校生向けの小論文の参考書の中で推薦した本の中から、参考までに主な著者を挙げておきます。(順不同)
福沢諭吉
湯川秀樹
土居健郎
中根千枝
梅棹忠夫
丸山真男
木村尚三郎
鈴木孝夫
桑原武夫
星野芳郎
石井威望
森嶋通夫
中野孝次
木下是雄
今西錦司
富山和子
時実利彦
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