世界の経済の行き詰まりの根本原因は、需要がないことです。正確に言えば、供給力を上回るほどの吸引力のある需要がないことです。
まず、先進国は、生活を豊かにするための消費が一巡したあと、新しい魅力的な需要が生まれていません。更に、少子化と高齢化の進行によって、既にある需要も先細りの傾向にあります。
次に、途上国は、人口が増え、その増えた人口がより豊かな生活を目指しているという点で大きな需要があるように見えます。しかし、その膨大に見える需要も、更に膨大な生産力を持つようになった供給の前には、飽和するのも時間の問題なのです。
世界の経済の発展を、砂漠の緑化や海洋の開発に求めることは確かに一理ありますが、それはより大きい目で見れば、需要を上回る供給という根本問題を先送りするだけなのです。
根本的な解決策は、三つあります。
第一は、少子化にも高齢化にも制約されない新しい需要を作り出すことです。それは、ひとことで言えば、物の需要ではなく教育と文化の需要です。
例えば、先進国の今の生活に満足していて、特に新しい物質的な需要を持たない人でも、自分自身の向上や変化や新しい経験や交流や創造に関しては、暑い需要を持っています。
多くの場合、その需要はまだはっきりと自覚されていなかったり、その需要に対する供給が生まれていなかったりするために、大きな流れにはなっていません。
しかし、これから次第兄、先進国では物の需要よりも、教育文化の需要が大きくなってきます。
物の需要は、人口に比例します。おいしいものを食べて、広い家に住みたいと思っても、食べる量や家の広さには自ずから限度があります。
物の需要に限って考えると、少子化は経済の制約要因です。しかし、教育文化の需要は、人間の身体には制約されません。よりよいものを求める需要には限りがないのです。
この教育文化の需要は、技と道の文化を持つ日本で、これから大きく発展していくものです。
第二の解決策は、需要を単なる消費にとどめるのではなく、投資に切り換えるための仕組みづくりです。
近代以降のこれまでの社会の大部分の人は、一方では単なる消費者であり、他方では単なる労働者でした。だから、供給過剰の状態では、消費の縮小と仕事の縮小がデフレスパイラルを生み出していたのです。
誰もが生活を守るために消費を節約すれば、そのために世の中全体の仕事が減り所得が減ります。
しかし、もし誰もが消費者ではなく生産者であるとしたら、生活を守るためには、よりよく売るための工夫をします。その工夫が新しい技術開発としての消費となるとすれば、その消費は単なる消費ではなく前向きな投資です。
このような仕組みになるためには、社会における生産の多くが、どこかの企業に勤める労働者が行う生産ではなく、消費者自らが経営者となる生産でなければなりません。
そして、個人が経営者となれる産業の主な分野が教育と文化なのです。
ただし、この教育と文化は、MOOCの教育などに見られるような大量生産型の工業的な教育文化ではありません。個人が技を磨き道を極めるような高度な教育文化です。
誰もが自分の個性を伸ばして、その教育文化の分野で生産者となり、投資という形の消費を行うようになれば、消費と生産のスパイラルは、デフレからむしろインフレ気味に上昇し、やがて社会が安定するにつれて、それは健全に循環するスパイラルになります。
この誰もが生産する社会が、持続的な安定社会なのです。
経済の行き詰まりを解決する第三の道は、創造です。
工業社会の富の源泉は、コピーでした。あるシステムによって同じ物を大量に生産し、それらの物をそれが大量に生産されないころにできた価格で供給することによって、その差が生産者の富となるように見えたのです。
しかし、真の富は、最初に作ったシステムにあるのであって、そのシステムが作り出すコピーは、売り買いの差が生み出す見せかけだけの富です。
例えば、言葉を発明した人が、その言葉の使用料を取るようになったとしたら、その発明者は、大きな富を得るように見えますが、世界全体の富は増えも減りもしません。
富は、最初の発明にだけあるのであって、そのあとのコピーの使用料は、真の富でなかったのです。
だから、これからの社会では、創造を価値の源泉と位置づけ、創造のための教育を行っていく必要があります。
答えのある試験問題を、速く正確に解ける子がどれだけいても、世界は豊かにはなりません。速く正確に解ける以上に、世の中にそれまでなかったものを作り出す子がいて、初めて世の中は創造の分だけ豊かになるのです。
これからの長期的な経済発展のためには、教育の第一の目的を創造に置くことが必要になるのです。
以上の三つの対策、つまり、教育と文化に対する需要、誰もが起業者になれる社会、創造を目的とした教育、これらの三つの実践を統合したものとして、言葉の森が考えているのが、森林プロジェクトと寺子屋オンエアです。
森林プロジェクトは、創造性を育てる作文教育を、家庭や地域を基盤にして行う起業の企画です。
また、インターネットを利用した全教科の毎日の家庭学習で、子供たちの本質的な学力をカバーする仕組みが寺子屋オンエアです。
今後、森林プロジェクトと寺子屋オンエアを組み合わせて、日本の社会発展を支える新しい教育インフラを作っていきたいと思います。
学校でも、家庭でも読書に力を入れてきているせいか、小学生に関しては昔よりもよく本を読んでいる子が多いようです。
しかし、読書に力を入れると、いろいろと気になることも目についてきます。
最近あった、保護者からの質問を二つ紹介します。
ひとつは、「『かいけつぞろり』のような本ばかり読んでいる。これでいいのか」というものです。
「かいけつゾロリ」は、品の悪い話も多いので、お母さんには受けませんが、子供は大好きです。しかも、意外と説明的な文章も多く含まれているのです。
いい本と呼ばれる有名な本の中には、内容はよくても会話ばかりが続くようなものもあります。その点で、「かいけつぞろり」は、おすすめの本なのです。
「かいけつゾロリ」ばかり読んでいる子に、対応する方法は三つあります。
第一に、読書は面白いということが最も大事ですから、そのまま読んでいることを認めてあげるのです。面白い本を繰り返し読むことで、読む力がついてきます。
第二に、しかし、子供の興味を探りながら、いろいろなジャンルの本を与えて読書の傾向を発展させるということも大事です。その子の興味のある分野が何かということは、実際に本を与えてみなければわかりません。図書館やブックオフを利用して、読書のジャンルを広げていくようにするのです。
第三に、親が子供に読ませたいと思う本は、読み聞かせをしてあげることです。読書には、子供を引きつける力があるので、その子が興味を持つ本であれば、途中から自然に自分で続きを読もうとするようになります。
今の読書をそのまま認めてあげながら、少しずつ幅広く難しい本に発展させてゆくという二本立てでやっていくといいのですが、重点は、あくまでも今の楽しい読書を認めてあげることです。
もうひとつの質問は、「本はよく読むが、質問をしてもうまく内容を答えられない」というものです。
第一に、質問などはしないことです。本を読んだあとに、本の内容を質問されていたら、本を読むことが楽しくなくなってきます。
第二に、質問をするのではなく、親が逆に、その本に関連した似た話を楽しく話してあげることです。
これは、作文の指導でも似ています。
子供から何かを引き出そうとすると、なかなか出てこないので、苦しい勉強になっていきます。
引き出すのではなく、親が先生が与えるつもりでやっていくのです。
例えば、感想文の課題で、似た話を書くときなど、子供に似た話を見つけさせようとするのではなく、親が似た話をどんどん話してあげます。
子供は、まだ成長途上なのですから、今は答えられないものがあってもいいのです。
答えられないものを引き出すのではなく、その答えられないものは親が先生が与えていくのです。すると、それが自然にその子のものになっていきます。
ところで、このような読書の習慣も、勉強の習慣も、小学1年生のスタートの時期によい形のものにしておくことが大事です。最初に作った形が、ずっとあとまで続くからです。
そこで、言葉の森では、小1や幼小から作文の勉強が始められるように、親子作文コースにこれから力を入れていく予定です。
この親子作文コースに、寺子屋オンエアを組み合わせれば、家庭での勉強と読書と作文が無理なく軌道に乗ると思います。