今の子供は、意外と「いろは」や「子丑寅」を知りません。
ところが、子供は、そういう呪文のような言葉を覚えるのが好きなのです。
そこで、田舎に行ったときなど、おじいちゃんやおばあちゃんに、覚えていることをいろいろ聞いてみます。
中には、百人一首や昔の歌謡曲や、更には般若心経などを教えてくれる人もいるかもしれません。
特に、お母さんやお父さんができないことを子供ができるとなると、子供は喜んでそのことに熟達しようとします。
そういうちょっと知的な言葉遊びを楽しんでみるといいと思います。
話は変わりますが、今、言葉の森では新しい暗唱長文集を作成しています。
これまでの暗唱長文集は、子供たちが作文を書くときの参考にできるように、主にその学年の課題の表現項目を入れた文章でした。
しかし、せっかく子供たちが1000字近い文章を暗唱するのですから、その暗唱がずっと記憶に残り、大人になってもときどき思い出せるようなものにしたいと思いました。
そうすればと、やがて覚えた文章を自分の子供にも教えていけるようになり、言葉を通して文化的な伝統も伝えていけるようになると思います。
暗唱の方法というのは、実は簡単です。記憶力や年齢は、全く問題ではありません。正しい方法でやれば、誰でも確実にできるようになります。
だから、暗唱という勉強法は、落ちこぼれというものがありません。また、先に進みたい人はいくらでも先に進めます。
その方法はひとことで言えば、回数がわかる目印になるものを用意し(私がおすすめするのは紙を折る方法ですが)、できるだけ早口で100字ぐらいの文章を30回繰り返すことです。時間は10分程度で、これを毎日続けるのです。
ただ繰り返すだけですから、シャワーを浴びながらでも、道を歩きながらでもできます。こういう方法で、誰でも簡単に暗唱ができるようになるのです。
おじいちゃんやおばあちゃんに教えてもらった文章があったら、この方法で覚えておき、あとで聞かせてあげるといいと思います。
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日本の子供の読書環境は、幼児や低中学年のころに読む本はかなり充実しています。
よく、どういう本を読んだらよいかという質問を受けますが、書店や図書館に並んでいる本で面白そうなものはどれでもいいというぐらいよいい本がそろっています。
ただし、次のような本の選び方はあまりよくありません。
それは、
(1)名前が有名だからという理由だけで読ませる本(難しすぎたり、逆に子供向けに省略されていたりするものがあります)、
(2)親が昔読んだ感動した本(現代に合わない暗い話になっているものが多いです)、
(3)「○年生の読みもの」などと銘打ってある本(短い話がぶつ切りに載っているようなものが多く、読書に没頭するという読み方ができません)
いい選び方は、次のようなものです。
(1)ブックオフなどに並べられている本(よく読まれているものが多いからです)、
(2)本の奥付を見て何度も印刷されていることがわかる本(人気のある本だからです)、
(3)シリーズ化されている本(「フォア文庫」「青い鳥文庫」などのようにシリーズ化されているものは、これまでに人気のあった本だからです)
さて、小学校中学年のころまでは読書環境が充実していますが、小学校高学年、中学生、高校生になると、その年齢にふさわしい本がだんだん少なくなってきます。
高校生で本を読まない人が多いというのも、やはりいい本が身近にないためです。昔は、高校生向けの新書版の本が何種類かありましたが、今はあまり見かけません。
特に、説明文の本は、書店にはほとんどないと言っていいので、いい本を探すためには図書館を利用していく必要があります。
図書館では、「岩波ジュニア新書」「ちくま少年図書館」「ちくまプリマー新書」などが並んでいると思います。
しかし、父親や母親が最近読んで感銘を受けた本であれば、小学校高学年以上の生徒でも、同じように読めるものがかなりあります。
私が数日前人に薦められて読んだ本で面白かったものは、「サラとソロモン」のシリーズです。
ストーリーもいいのですが、中に説明的な言葉がよく出てきます。ストーリーの面白さにひかれて読んでいくうちに、説明的な概念も身につきます。
このような大人も、高学年以上の子供も同時に楽しめるような本は結構あると思います。
ただし、ここで注意することは、自分が読んでよかったと思った本でも、必ずしも子供はそうは思わないことがあるということです。
読書というものは個性的な面がありますから、好き嫌いははっきりしています。
そこで、読ませ方のコツとしては、2冊以上の本を並行して読むようにすることです。1冊だけにこだわると、その本にあまり関心がない場合、そこで読書が止まってしまいます。2冊以上を同時に読んでいれば、1冊にあまり興味がわかないときでも、ほかの本を手に取ることができます。
また、読書は必ず毎日読むようにさせることです。週に3日とか4日とかいう読み方では、読書の習慣はつきません。
何しろ毎日読むことが大事で、その目安は、本当は毎日50ページ以上です。しかし、読書の苦手な子は、毎日50ページ以上ではかえって続きませんから、少なくとも10ページ以上は読むというようにしておくといいと思います。その場合でも大事なことは、毎日読むということです。
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受験作文コースの方は、間近に迫った受験に落ち着かない気持ちでいることと思います。
こういう時期は、特に親の姿勢が重要になります。
これまでに載せた受験関係の記事から、今の時期に大切なことを再掲します。
■受験直前の作文の勉強は、これまでにやってきたことを再確認して自信をつけること(20140102)
受験直前の勉強は、これまでやってきたことを再確認することです。そして、自分なりに納得できる作品を仕上げて、これまでやってきたことに自信をつけることです。
ところが、受験直前に不安になり、別の塾や予備校に相談したり、別の勉強をやろうとしてしまう人も多いのです。そういうことが、これまで何度もありました。あるいは、模試で悪い点数を取って自信をなくすという子もいました。
ところが、そういう悪い点数を取ったり、これまでの作文をけなされたりした子もちゃんと合格しています。作文のよさは内容のよさです。他人にどうのこうの言われて判断するものではありません。しかも、受験の直前にそういうところで他人にふりまされるものではありません。
言葉の森は、中学入試だけでなく、高校入試でも大学入試でも通用する作文小論文を指導しています。大学入試では、どの予備校の小論文講座よりも優れた指導をしている自信がありますし、現にそういう実績を上げています。塾や予備校で、その学年の生徒だけ指導しているのとは厚みが違うのです。
かわいそうなのは、受験直前にこれまでと違うアドバイスを受けて動揺してしまう子供たちです。言葉の森では、たとえほかの塾や予備校から入ってきた子がいても、前の作文指導の悪口などは決して言いません。そんなことを言っても、子供にとっては何のプラスにもならないからです。そして、自然に言葉の森のやり方で作文が書けるように指導していきます。
だから、子供のそれまでの作文をけなす指導者は、それだけでもう二流です。保護者のみなさんは、そのことをよく頭に入れておくといいと思います。
今の時期は、新しいことを始めるのではなく、これまでやってきたことを固めることに全力を尽くす時期です。受験にはメンタルな面があります。親が不安がっていては、子供も力を出せません。お父さんやお母さんがどっしり構えて、これまでやってきたことをそのまま一直線に続けていくことが大事なのです。
■受験直前の今は、欠点を直す時期ではなく、これまでの勉強に確信を持って反復する時期(20140103)
受験直前になると、子供以上に親や先生が不安になります。不安になると、欠点を直すことに目が向きます。しかし、これがいちばんよくないのです。
まず第一に、欠点はそんなに簡単に直せるものではありません。
第二に、欠点を直す勉強に力を入れると、どんどん自信をなくしていきます。
欠点は捨てておけばいいのです。普段の心がけがよければ、苦手な分野は出てこないと思っていれば気が楽になります。そんな感じでいいのです。
そのかわり、これまで自分が勉強してきたやり方に確信を持ち、参考書や問題集を見なおして更に確実に自分のものにしていくことです。その際、過去問にもう一度目を通しておくといいでしょう。どういう分野が重点になっているかがわかると、これまでの勉強の見直しにも焦点が絞れます。
過去問に目を通す方法は、まず、まだやっていない過去問に、あらかじめ答えを全部書き込むことです。過去問は、自力でやろうとすると気持ちの負担が大きくなり、後回しになることが多いからです。
答えを全部書き込んだあと、その過去問の問題と答えを読書のようなつもりで読むのです。なるほど。この問題で、こういう答えになるのか。ふむふむ」という感じです。
受験勉強という一大イベントに臨む姿勢は、その後のその子の人生の大きなイベントに臨む姿勢のモデルのようなものになります。そういう大きい視野で勉強を見ておけば、受験勉強はその子にとって勉強以上の大きな収穫のあるものになっていきます。
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外国語を意識的に学んでよい時期は、10歳以降です。その時期以前に、母語以外の言語にさらされると、母語が正しく成長しません。これは、既にいくつかの研究で確かめられていますが、その研究の結果が広がっていないために、いまだに幼児期から英語の勉強をさせてしまう人が絶えないのです。
中には、親自身が、日常会話で子供に話しかけるときに英語を使っているということさえあります。この結果、どういうことが起こるかというと、肝心の日本語も英語もどちらも中途半端な子供が育ってしまうのです。
母語が正しく成長しないという結果が出てくるのは、少し年齢が上がってからのようです。ですから、小学校時代は、日本語も英語もどちらもそれなりにできるような気がしてしまうのです。
言語は、人間がものを考えたり感じたりするための最も根底にある土台です。算数や理科や社会などの教科と同じような勉強のひとつの科目なのではありません。
言葉の森の生徒の保護者の中には、英語教育に携わっている人もいます。また、子供を英会話教室に通わせている人もいます。ですから、ここで早期の英語教育を批判することは、それらの人の気持ちを逆なですることもあると思います。
しかし、何事も、おかしいと思ったらやり直せばいいだけです。早期の英語教育に違和感があると思ったら、ただそれをやめて、もっと日本語を豊かにする生活に切換えていけばいいのです。
日本に住んでいる子の日本語教育は、よくないことをやめればいいだけですから簡単です。
しかし、難しいのは、海外に住んでいる日本の子供の日本語教育です。特に、小学校3年生までの低学年の時期に海外で暮らさざるを得ない場合は、かなり厳しい環境に置かれていると考えられます。
低学年の日本語教育は、家庭でしかできません。
これが、日本語力が既に定着している小学校4年生以降の海外生活であれば、既に形成されている日本語力の基礎の上に現地の言葉を学べばよいのですから、かえってプラスになります。
小3以前か小4以降かという時期の違いが決定的なのです。
しかし、小3以前の子供の場合は、親との生活を楽しむ時期という有利な点があります。小4以降になると、親よりも友達との生活の方が優先されるようになります。ですから、この親と一緒にいることを好む時期の利点を生かしていくことが大事です。
そのためには、海外で生活する場合でも、家庭では日本語で話すことを徹底することです。父親が日本人でない場合は、父親はその父親の言語で、母親は日本語でという区別をはっきりさせておけば、子供は混乱しません。
日本人である母親が、日本語と現地の言葉を両方使うようなことを家庭で行うと、混乱が生じるのです。
今、日本では、国際人を育てるという名目で、英語教育の必要性がさまざまなところで唱えられています。しかし、コミュニケーションの道具としての言語は、今後必ず機械によって代替されるようになります。それは、自動車の自動運転が昔は夢物語であったのに、今では現実の日程までのぼってきているのと同じです。
道具には、道具として発展する方向が内在しています。道具の不十分さを人間の努力で補うというのは、過渡的な現象です。
人間は、道具には委ねられない人間だけができることに、時間を費やしていくべきなのです。
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塚澤健二さんの「そして偽装経済の崩壊が仕組まれる」(ビジネス社)に、「これだけ違う『二十世紀』と『二十一世紀』の価値観」と題して、わかりやすい対応の表が書かれています。
http://www.amazon.co.jp/dp/4828418504
20世紀は、成長社会で、戦争の世紀でした。そこから、経済的な用語にも、ストラテジー、タクティクス、ターゲットなど戦争用語が使われていました。
それに対して、21世紀は、成熟社会で、生命(生物)の社会になっています。使われる用語も、インキュベーション、ハイブリッド、コラボレーションなど生物学的な用語が多くなっています。
また、20世紀は、正解のある時代で、良い大学を卒業して大企業に就職することがひとつの幸せのパターンになっていました。そこで求められる能力は、試験処理能力で、良いか悪いか、損か得か、正しいか正しくないかが客観的に判断できる社会でした。
これに対して、21世紀は、正解のない時代で、良い大学を出ることや大企業に入ることが必ずしも成功とは言えなくなっています。こういう社会で求められる能力は、クリエーション能力で、好きか嫌いか、信じるか信じないかを基準に、自分を軸として決断することが求められるようになっています。
戦後すぐの1950年のころのサラリーマン比率は34パーセントでした。これが2012年には88パーセントになっています。つまり、ほとんどの人が会社に勤めるような人生を送っています。
これまでの社会では、会社勤めは正解でした。会社が成長する形で、日本が成長してきたからです。しかし、これからの時代は、日本の成長が鈍化する中で、会社の成長も停滞してきます。そして、その中でもなお成長を続ける会社は、機械化を進め、雇用を減らしていけるような会社です。
これからの子供たちが暮らす社会は、正解のない社会です。だからこそ、そこで必要になるのがクリエーション能力と決断力なのです。
では、これまで正解のある人生を送ってきた大人が、正解のない社会での生き方を子供に伝えることができるかと言えば、それは難しいと思います。
そこで生まれているのが、女性を中心としたミニ起業志向ではないかと思います。
たぶん、多くの人は、これからの社会は自分の力で仕事をしていかなければならない社会になると直観的に感じています。それがたとえ小さな試みであっても、自分自身がそういう経験を少しでもしていれば、子供が同じような決断をするときに助けになることができるのです。
政府は、昨年全国300か所に創業塾を開き、全国で13000人の創業希望者を募りました。
日本の国自体が、これからは独立起業精神を持った人が続々と現れるのでなければ発展しなくなっているのです。
言葉の森は、現在、森林プロジェクトという、誰もが作文指導を行える仕組みを作っています。このプロジェクトに、今後は寺子屋オンエアの指導を組み合わせ、そこに、作文検定や暗唱検定やプレゼン作文発表や幼児親子作文などの企画を取り入れていきたいと思っています。
誰もが小さな独立の仕事を始めることによって、日本の社会が活性化していきます。
世の中には、少子化だから需要が減るのは仕方ないと考える人もいますが、人口の多さが生み出す需要は、結局「物」の需要でしかありません。
これからの時代に必要なのは、「物」の需要ではなく「事」の需要です。そして、「事」の需要は、人口に比例するのではなく、その国民の文化度や向上心に比例します。
そういう新しい社会を切り開く大きな可能性を持っている国が日本なのです。
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小学校1、2年生のころは、学校で日記の宿題がよく出ます。日記というぐらいですから、毎日書いていかなければなりません。
この勉強は家庭に任されることが多いので、うまくやれば楽にできますが、そうでないと苦しい勉強になってしまいます。
日記を楽に書く方法は、内容を中心に考えるのではなく、表現を中心に考えることです。
つまり、価値あることを書こうとは思わずに、どういう表現を使って書くかを考えればいいのです。
例えば、会話を入れて書くとか、たとえを使って書くとか、「どうしてかというと」という理由を入れて書くとかいう方法です。
内容的に価値のある話は、偶然見つかるものですから、たまたまそういうものがあればそのことを書いていけばいいのですが、毎日そのような特別の材料があるわけではありません。そういうときは、いつもと同じような今日のことを、表現を探しながら書くようにすれば、書く方向が決まって書きやすくなります。
日記を書くためのもうひとつの方法で、親子で構成図を書くというやり方がありますが、これはまたいつか動画などで載せておきたいと思います。
しかし、本当は、低学年で日記の宿題に力を入れるのは、よくないことも多いのです。
それは、低学年の場合は、文章を書かせれば必ずと言っていいほど間違いがあるからです。すると、日記の宿題は、書き方の間違いを探すという勉強になってしまいます。
どの子も間違いがありますから、それを見る大人である先生やお母さんも、つい間違い直しを目的とした勉強のように考えてしまいます。
間違い直しを主な目的にした勉強は、子供にとって面白いはずがありません。
小学校低学年のころは、子供は親や先生の言うことをよく聞きます。嫌なことでも、やれと言えば素直にやります。
本当はやりたくないことをやらされているうちに、勉強というものは苦痛に耐えるものだといような先入観が育ってしまうのです。
では、どうしたらよいかというと、日記を書かせるのではなく、読書や音読で力をつけていくのです。
低学年のころは特に、出力ではなく、入力に力を入れていく時期です。出力は週に1回で充分です。毎日欠かさずにやるのは入力の方なのです。
特に、読書はどの子にとっても抵抗がありません。本を読んでいれば、親から間違いを直される心配もなく自分の好きなだけ本の世界に没頭できます。
読書や音読で、読む力がついてくれば、例えば、「わ」と「は」の区別や、会話の改行や、段落などということが漠然とわかってきます。その上で、文章を書く練習をすれば、間違いがあったとしても、それは注意してすぐに直るものですから、子供にとって大きな抵抗にはなりません。
読む力が充分についていないうちに文章の間違いを直そうとするから、何度も同じ注意をして、何度も同じ間違いをするということが続くのです。
日記を書くことを家庭学習とすることも、あまりおすすめできません。
家庭学習は、小1のうちに習慣を作っておくことが大事ですが、その勉強を中学生や高校生になるまで続けることができるかどうかをひとつの選択基準にしておくとよいと思います。
言葉の森の作文の勉強は、小1から始めて高3まで続けられます。だから、家庭での学習としてすすめられる勉強なのです。
日記を書く勉強というのは、楽しさよりも苦痛の多い勉強ですから、低学年のころはやっていても、小学3年生ぐらいになると、続けることができなくなります。すると、きちんとやっていたものが、だんだんずるずるとやらなくなるという、あまり望ましくないパターンで終わるようになります。このようなことが何度かあると、新しい勉強をするときも徹底できなくなるのです。
では、低学年で、もう既に日記を書くという家庭学習をしているところはどうしたらいいかというと、それは、「日記を書く勉強は○年生の○月までとしようね」とあらかじめ決め直しておけばいいのです。
もちろん、子供がもっとやりたいと言えば、期限を延ばしてやればいいのですが、大事なことはうやむやのうちにやらなくなるということがないようにすることです。
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経済学者の野口悠紀雄さんの中学高校時代の英語の勉強法は、教科書をただ音読することだったそうです。野口さんは、こういう簡単で効率のよい勉強法をなぜ多くの人がやらないのか不思議に思っていたようです。
「『超』英語法」
http://www.amazon.co.jp/dp/4062122669
国語の勉強も同じです。国語の問題集に出てくる文章は比較的難しい文章が多いので、これを繰り返し音読するのです。
なぜ音読がよいかというと、黙読では飽きてそのうちにやらなくなってしまうからです。また、音読したものは自分の耳からも入ってくるので、勉強の密度が2倍になるからです。
音読暗唱という勉強法は、今少しずつ見直されています。
「奇跡の百人一首」(杉田久信著)という本には、小学校で百人一首の暗唱に取り組んだ記録が載っています。
「奇跡の百人一首 音読・暗唱で脳力がグングン伸びる」
http://www.amazon.co.jp/dp/4396315287
著者の杉田さんは、小学校の校長先生をしていました。富山市の五福小学校で初めて全校の百人一首の暗唱に取り組んだとき、ある一つのクラスは、全員が百首を暗唱できるようになったそうです。
すると、次年度の学力テストで、そのクラスだけ国語の平均点が10点近く高くなりました。
百人一首の暗唱をするようになってから、子供たちは普段の生活も明るく元気になり、卒業生は中学・高校でもよい成績を収めるようになりました。
音読暗唱というと、多くの人は、ていねいにゆっくり読むものと思いがちですが、そうではありません。できるだけ早く読んだ方が定着しやすいのです。
杉田さんのやっていた百人一首の暗唱も、5分ぐらいで全部読めることを目標にしていたようです。
英語の教科書の音読も、国語の問題集の音読も、できるだけ早口で読み終えた方がいいのです。
なぜ早く読むことが大事かというと、ゆっくりした読み方では内容を理屈で理解しながら読むことになるからです。そういう理解しながら読む読み方は、普段の生活でも充分にやっています。
理解しただけのものは、まだ自分のものではありません。だから、必要に応じて思い出さなければなりませんし、思い出せないときは忘れたことになります。
しかし、暗唱がある程度まで進むと、内容の理解を考えずに言葉が口から自然に出てくるようになります。このときに、その文章が自分のものとして身についたことになるのです。
音読暗唱の勉強の利点は、落ちこぼれというものがないことです。また、先に進みたい人は独学でいくらでも先に進めることです。
通常の勉強では、先生の説明を聞いて、早く理解できる生徒と、なかなか理解できない生徒が出てきます。その理解を一律にするためにテストをするという勉強の仕方になっています。これは、実は、先生にとっても生徒にとっても無駄の多い勉強の仕方です。
音読暗唱の勉強に慣れてくると、その勉強法をいろいろなところで応用できるようになります。
言葉の森では、1月から新しい暗唱長文集を作って勉強する予定です。
今度の暗唱長文は、百人一首も含め、親子三代で楽しめるような文化的なものを取り入れていきたいと思っています。
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読書の仕方は、もちろん自由ですが、読むことで力がつくのは、次のような読み方です。
第一は、次々と新しい本を1回しか読まないという読み方ではなく、好きな本を何度も繰り返し読むことです。
お母さん方の中には、「同じ本ばかり読まないで、もっと別のいろいろな本を読みなさい」というアドバイスをする人もいますが、そういう必要はありません。
自分の好きな本を読む中で、その本の内容が頭に入るだけでなく、その人のものの見方や考え方も形成されるのです。
第二は、じっくりゆっくり読むのではなく、何しろ早く最後まで読み切るということです。
本というものは、最後まで読んで初めて全体像が頭に入ります。最後まで読み切ることで、途中までのわかりにくかったところもわかるようになるのです。
最初からじっくりと読んで、なかなか最後まで行かないと、その本の全体像がかえってつかめなくなります。
まず最後まで読み、そのあとに、必要に応じて繰り返し読むという読み方がいいのです。
これは、国語の文章題を解くときも同じです。特に、入試の問題文は、最初のところがわかりにくくなっていて、最後のところまで来ると初めて全体の話がわかるという作りになっているものがよくあります。
読むことに慣れていない子は、この最初のところを理解しようとして時間をかけてしまうことが多いのです。
第三は、易しい本を数多く読むよりも、数は少なくていいので難しい本を読むことです。
小中学生のころは、読みやすい本でなければ読書が進まない面もありますから、易しい本でもかまいませんが、高校生や大学生になったら、自分で自覚して難しい本を読むようにする必要があります。
難しい本というのは、高校の歴史の文化史の部分に出てくるような古典と言われるような本です。こういう本を1冊読む時間があれば、普通の本は10冊ぐらい読めます。しかし、難しい本を読むことによって考える力がついてきます。
具体的に言えば、岩波文庫や講談社学術文庫に収録されているような本です。
特に、日本の大学では、勉強は高校時代よりも楽なことが多いので、自分で意識的に難しい本を読むことによって力をつけていく必要があります。
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