作文の客観的評価というものは、難しいものです。
人によって評価が違うことはもちろんですが、同じひとりの人が評価しても、その日の気分や、前後の作品の影響によって評価が微妙に違ってきます。
といって、評価があてにならないわけではありません。複数の人が評価しても、大体同じようなところに落ち着くからです。上手な作文とそうでない作文に関する、おおまかな合意はありますが、それを厳密に客観的評価として打ち出すことはできないということなのです。
言葉の森は、この評価の仕組みを当初から考えていました。
そして、その評価の方法として、二つの仕組みを考えました。
ひとつは、項目評価と呼ばれるもので、その作文にどういう表現や内容を盛り込むかを、作文を書く前にあらかじめ指示しておくというものです。
公立中高一貫校の作文試験問題にも、こういう形の問題があります。そこは、作文の評価についてよく考えているところです。
これに対して、ただ題名や文章だけの課題を出しているところは、作文の評価についてあまりよく考えていない学校だと思います。
この項目評価によって何がわかるかというと、実例となる材料の豊富さと、構成を組み立てる思考力とがわかるのです。材料の豊富さは、経験の豊富さと読書の豊富さによって成り立ちますが、同年齢の子供たちの経験はそれほど差があるわけではありません。だから、材料の豊富さは、その子の読書経験の豊富さと比例していると言ってもよいのです。
構成を組み立てる思考力というものは、学校のテストなどではあまり評価の対象にならないので、その子の思考力がどのくらいかということはよくわからないものです。
しかし、例えば、大人と話していて話がよく通じる子と、あまり通じないので大人の方が子供に合わせて話をしなければならい子とがいます。この話の通じやすさが思考力です。
言い換えると、作文の中で、理由や方法や実例や原因などという言葉で表せる内容を説明できる力が思考力です。だから、大人が子供に対して、「それはどうして?」とか、「例えばどんなこと?」とか、「どうしたらいいと思う?」などと聞いたときに、自分なりに考えて答えることができれば、それは思考力があるということです。
この項目評価だけでも、ある程度の客観評価はできますが、あるレベル以上の作文になると、項目評価だけでは不十分になります。
例えば、「たとえを入れて書く」という項目の場合、低学年ではこのたとえを入れることができるかどうかで、その子の表現力がわかりますが、高学年の生徒では誰でもそれなりにたとえを入れられるようになるので、この評価だけでは差が出ません。
しかし、同じたとえでも、ありきたりのたとえしか書かない子と、自分なりに工夫したとえを書く子との違いがあります。
この違いを評価する方法が、森リン点による評価です。
森リンというのは、言葉の森が開発した作文の自動採点ソフトです。
このソフトが何を評価しているかというと、主に、その文章の中の語彙の多様性です。それ以外に、語彙の難易度や、語彙の性質も評価していますが、中心になるのはどれくらい多様な語彙が使われているかということです。
すると、同じたとえでも、ありきたりのたとえの場合は多様性が低くなり、ユニークなたとえの場合は多様性が高くなるという傾向があるのです。
受験作文コースの作文を見ると、共通する弱点として、同じ言い回しの表現を使いすぎるということがあります。それは、作文に書く内容が、その学年の生徒にとっては難しいので、それに合う語彙が不足しているためにどうしても同じような感想や説明を何度も書くことになるからです。
これらの作文を人間が見たときにどう感じるかというと、同じ言い回しが多い文章は密度が薄く感じられ、いろいろな言い回しが使われている文章は密度が濃いと感じられるのです。
しかし、この密度の濃さというものは、人間の主観ですから数値では表せません。ところが、森リンの評価にかけると、それが多様性の点数の差として出てくるのです。
作文検定は、このように、項目評価の点数と森リン評価の点数によって数値化されています。
自宅で作文を書く練習をしている人は、自分の作文がどれくらいのレベルかわからないと思います。森林プロジェクトで作文指導をしている場合も、子供たちの評価に確実性を持たせたいと考えていると思います。
そういうときに、言葉の森の作文検定を活用するといいのです。
作文検定は、個人でも受けられます。ただし、その場合は、googleハングアウトやskypeによる作文検定試験会場との接続が必要になります。と言っても、用意するものはウェブカメラだけで、パソコンに内蔵されているものでもかまいません。
8名以上の団体で受ける場合は、インターネットによる接続は特に必要ありません。
詳しい案内は、作文検定のページをごらんください。
https://www.mori7.net/sakken/
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帰国子女や外国人の生徒が、日本語を勉強する際に、最も難しく感じるのが漢字だと思います。
中国語のように、全部漢字であれば、そういうものだと納得できますが、日本語のように、表音文字として楽に読めるひらがなの間に、読めない漢字が入っていると、余計に漢字の難しさが感じられるのでしょう。
では、この漢字への抵抗をなくすためには、どうしたらいいのでしょうか。
以前、言葉の森に、小6から日本に来たという中国人の生徒がいました。
その生徒は、日本語を知りませんから、日本の漢字は読めません。日本と中国では同じような漢字もあるので、意味の検討はつきますが、読み方が日本語と中国語では違うのです。
その生徒は、しばらくの間、絵本のようなひらがなばかりの日本語の本と、漢字ばかりの中国語の本を読んでいました。
そこで、勉強法として、入試問題レベルのかなり難しい文章を約1500字程度、全部ルビを振って、毎日音読するようにしたのです。
時間としてはわずか数分です。しかも、すべての漢字にルビがふってあるので、音読だけは楽にできます。
そういう勉強を続けているうちに、自然に日本語の漢字の入っている本も読めるようになったのです。
湯川秀樹は、6歳のころから、祖父に教えられて論語を素読するという練習をさせられました。
そのときは、意味不明の言葉をただ声を出して読むだけですから苦痛だったようですが、学校に上がってみると、どんな本でも楽に読めるということに気がついたそうです。
よく、子供に音読をさせているお母さん方の中に、ただ読めるだけではだめで意味も知らなければ勉強にならないと考えている人がいますが、これは実は逆です。
意味はわからなくていいから、ただ読めるだけで充分なのです。
百人一首の連続暗唱を指導していた杉田久信さんも、同じようなことを書いていました。
小学生の子供に、百人一首を暗唱させると、意味のわからない言葉がたくさん出てきます。
しかし、子供たちは暗唱に慣れているうちに、自然にその言葉の見当をつけているので、やがて自分で意味を確認したときに、その意味がすぐにしっかり身につくというのです。
漢字は、読めないから難しく感じるのであって、読めれば、つまりふりがなが振ってあれば、わかった気になって読めるのです。
そして、わかった気で何度も読んでいると、自然に確かめたい気持ちがわいてきて、近くにいる人に、その漢字の意味を聞くようになります。
ここで、漢字の意味を聞かれたお母さんが、「自分で辞書を引いて調べなさい」というのはよくありません。その場で自分が知っている範囲で簡単に答えてあげるといいのです。
今は、パソコンやスマホですぐに意味が調べられる時代ですから、読めれば簡単に意味もわかるようになります。
したがって、苦手な漢字の勉強法で最もやりやすいのは、すべての漢字にルビの振ってある本を読むことです。
講談社の青い鳥文庫のシリーズは、どの本もすべてルビが振ってあるのでおすすめです。
また、ロールプレイングゲームの解説本などで、やはりすべての漢字にルビが振ってあるものがよくあります。
こういう本で楽しいものを読んでいれば、自然に漢字の読みができるようになります。
もうひとつは、先ほど挙げた例のように、全部ルビの振ってある長文を毎日音読することです。
これからの時代は、漢字の読みさえできていれば、書きはパソコンの変換で充分にできます。
試験では書き取りの問題が出ますが、実生活では、書き取りはもうほとんど不要な時代になっています。
だから、漢字の勉強は、読みも、書きも、書き順も、部首の名前もと、すべてを漢検対応のようにやろうとするのではなく、ただ読みさえしっかりできればいいと割り切ってルビ付きの読書を中心勉強していくといいのです。
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日本語を教える立場として、なるほどなぁと、とても参考になりました。
まさに、漢字教えてます。幸い日本語会話はできるので、読めれば意味わかります。進んでいけば、同じ発音の漢字があるので・・
ROSSさん、こんにちは。
やはり、漢字をおぼえるのがいちばんたいへんですよね。
がんばってください。
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