勉強の順番から言うと、国語が一番です。
しかし、この国語は漢字の書き取りや、国語のドリルのような勉強ではありません。まず本を読むこと、そして親子で対話をすること、更にできれば文章を書くこと、つまり文化としての国語なのです。
この国語力さえしっかりしていれば、それ以外の勉強はあとからいくらでも間に合います。
例えば、想像をたくましくして考えてみるとわかりますが、歴史上の有名な人物が、今の社会に突然登場したら、その成績はどんなだったでしょう。
聖徳太子が、突然、現代の中学生になって勉強したとすれば、国語は言葉の使い方にギャップがあるとしてもそれでも高得点でしょう。
しかし、数学は、たぶん0点でしょう。英語も、まず0点でしょう。
しかし、聖徳太子が一念発起して、数学と英語に取り組めば、数年もせずに高得点になるはずです。
例は聖徳太子でなく、西郷隆盛でも、勝海舟でも誰でもかまいません。
つまり、知識的な勉強は、時間はかかるとしてもあとからでも間に合います。しかし、思考的な勉強は、考える力の土台ですから、あとからでは間に合わないのです。
確かに、数学的なものの考え方は大事です。
物事を生まれつき理詰めに考える人もいますが、数学の勉強によって理詰めに考える力が育ちます。
また、これからの社会で仕事をするためには、数学的な素養がさまざまなところで必要になってきます。
外国語は、自分の文化を相対化して考えるために役に立ちます。
また、今はコミュニケーションの道具としても、英語は役に立ちます。
しかし、今の数学と英語の勉強が、学校でなぜ重要になっているかというと、受験で差がつきやすい教科だからという理由の方が大きいのです。
その証拠に、社会に出たら、特に数学や英語を使わなくても日常生活を支障なく送れるという人の方が圧倒的に多いのです。
さて、勉強で大事なのは国語力だとしても、人間は勉強の力だけで生きているわけではありません。
昔から言われているように、知育、徳育、体育のバランスが、人間の生活を作り上げています。
徳育の基本は、正直に生きることと、思いやりを持つこと、勇気ある行動をとれることです。
体育の基本は、健康な生活をすることです。
これらは、いずれも家庭が中心になって行うことです。
だから、国語力を中心とした知育も含めて、子供の教育のほとんどは家庭で作られ、その表面の仕上げのようなところだけが学校や塾で行われているのです。
このように考えると、子育て全体については、1に躾、2に健康、3に読書と対話、あとは自由に、ということになるかもしれません。
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作文の客観的評価というものは、難しいものです。
人によって評価が違うことはもちろんですが、同じひとりの人が評価しても、その日の気分や、前後の作品の影響によって評価が微妙に違ってきます。
といって、評価があてにならないわけではありません。複数の人が評価しても、大体同じようなところに落ち着くからです。上手な作文とそうでない作文に関する、おおまかな合意はありますが、それを厳密に客観的評価として打ち出すことはできないということなのです。
言葉の森は、この評価の仕組みを当初から考えていました。
そして、その評価の方法として、二つの仕組みを考えました。
ひとつは、項目評価と呼ばれるもので、その作文にどういう表現や内容を盛り込むかを、作文を書く前にあらかじめ指示しておくというものです。
公立中高一貫校の作文試験問題にも、こういう形の問題があります。そこは、作文の評価についてよく考えているところです。
これに対して、ただ題名や文章だけの課題を出しているところは、作文の評価についてあまりよく考えていない学校だと思います。
この項目評価によって何がわかるかというと、実例となる材料の豊富さと、構成を組み立てる思考力とがわかるのです。材料の豊富さは、経験の豊富さと読書の豊富さによって成り立ちますが、同年齢の子供たちの経験はそれほど差があるわけではありません。だから、材料の豊富さは、その子の読書経験の豊富さと比例していると言ってもよいのです。
構成を組み立てる思考力というものは、学校のテストなどではあまり評価の対象にならないので、その子の思考力がどのくらいかということはよくわからないものです。
しかし、例えば、大人と話していて話がよく通じる子と、あまり通じないので大人の方が子供に合わせて話をしなければならい子とがいます。この話の通じやすさが思考力です。
言い換えると、作文の中で、理由や方法や実例や原因などという言葉で表せる内容を説明できる力が思考力です。だから、大人が子供に対して、「それはどうして?」とか、「例えばどんなこと?」とか、「どうしたらいいと思う?」などと聞いたときに、自分なりに考えて答えることができれば、それは思考力があるということです。
この項目評価だけでも、ある程度の客観評価はできますが、あるレベル以上の作文になると、項目評価だけでは不十分になります。
例えば、「たとえを入れて書く」という項目の場合、低学年ではこのたとえを入れることができるかどうかで、その子の表現力がわかりますが、高学年の生徒では誰でもそれなりにたとえを入れられるようになるので、この評価だけでは差が出ません。
しかし、同じたとえでも、ありきたりのたとえしか書かない子と、自分なりに工夫したとえを書く子との違いがあります。
この違いを評価する方法が、森リン点による評価です。
森リンというのは、言葉の森が開発した作文の自動採点ソフトです。
このソフトが何を評価しているかというと、主に、その文章の中の語彙の多様性です。それ以外に、語彙の難易度や、語彙の性質も評価していますが、中心になるのはどれくらい多様な語彙が使われているかということです。
すると、同じたとえでも、ありきたりのたとえの場合は多様性が低くなり、ユニークなたとえの場合は多様性が高くなるという傾向があるのです。
受験作文コースの作文を見ると、共通する弱点として、同じ言い回しの表現を使いすぎるということがあります。それは、作文に書く内容が、その学年の生徒にとっては難しいので、それに合う語彙が不足しているためにどうしても同じような感想や説明を何度も書くことになるからです。
これらの作文を人間が見たときにどう感じるかというと、同じ言い回しが多い文章は密度が薄く感じられ、いろいろな言い回しが使われている文章は密度が濃いと感じられるのです。
しかし、この密度の濃さというものは、人間の主観ですから数値では表せません。ところが、森リンの評価にかけると、それが多様性の点数の差として出てくるのです。
作文検定は、このように、項目評価の点数と森リン評価の点数によって数値化されています。
自宅で作文を書く練習をしている人は、自分の作文がどれくらいのレベルかわからないと思います。森林プロジェクトで作文指導をしている場合も、子供たちの評価に確実性を持たせたいと考えていると思います。
そういうときに、言葉の森の作文検定を活用するといいのです。
作文検定は、個人でも受けられます。ただし、その場合は、googleハングアウトやskypeによる作文検定試験会場との接続が必要になります。と言っても、用意するものはウェブカメラだけで、パソコンに内蔵されているものでもかまいません。
8名以上の団体で受ける場合は、インターネットによる接続は特に必要ありません。
詳しい案内は、作文検定のページをごらんください。
https://www.mori7.com/sakken/
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帰国子女や外国人の生徒が、日本語を勉強する際に、最も難しく感じるのが漢字だと思います。
中国語のように、全部漢字であれば、そういうものだと納得できますが、日本語のように、表音文字として楽に読めるひらがなの間に、読めない漢字が入っていると、余計に漢字の難しさが感じられるのでしょう。
では、この漢字への抵抗をなくすためには、どうしたらいいのでしょうか。
以前、言葉の森に、小6から日本に来たという中国人の生徒がいました。
その生徒は、日本語を知りませんから、日本の漢字は読めません。日本と中国では同じような漢字もあるので、意味の検討はつきますが、読み方が日本語と中国語では違うのです。
その生徒は、しばらくの間、絵本のようなひらがなばかりの日本語の本と、漢字ばかりの中国語の本を読んでいました。
そこで、勉強法として、入試問題レベルのかなり難しい文章を約1500字程度、全部ルビを振って、毎日音読するようにしたのです。
時間としてはわずか数分です。しかも、すべての漢字にルビがふってあるので、音読だけは楽にできます。
そういう勉強を続けているうちに、自然に日本語の漢字の入っている本も読めるようになったのです。
湯川秀樹は、6歳のころから、祖父に教えられて論語を素読するという練習をさせられました。
そのときは、意味不明の言葉をただ声を出して読むだけですから苦痛だったようですが、学校に上がってみると、どんな本でも楽に読めるということに気がついたそうです。
よく、子供に音読をさせているお母さん方の中に、ただ読めるだけではだめで意味も知らなければ勉強にならないと考えている人がいますが、これは実は逆です。
意味はわからなくていいから、ただ読めるだけで充分なのです。
百人一首の連続暗唱を指導していた杉田久信さんも、同じようなことを書いていました。
小学生の子供に、百人一首を暗唱させると、意味のわからない言葉がたくさん出てきます。
しかし、子供たちは暗唱に慣れているうちに、自然にその言葉の見当をつけているので、やがて自分で意味を確認したときに、その意味がすぐにしっかり身につくというのです。
漢字は、読めないから難しく感じるのであって、読めれば、つまりふりがなが振ってあれば、わかった気になって読めるのです。
そして、わかった気で何度も読んでいると、自然に確かめたい気持ちがわいてきて、近くにいる人に、その漢字の意味を聞くようになります。
ここで、漢字の意味を聞かれたお母さんが、「自分で辞書を引いて調べなさい」というのはよくありません。その場で自分が知っている範囲で簡単に答えてあげるといいのです。
今は、パソコンやスマホですぐに意味が調べられる時代ですから、読めれば簡単に意味もわかるようになります。
したがって、苦手な漢字の勉強法で最もやりやすいのは、すべての漢字にルビの振ってある本を読むことです。
講談社の青い鳥文庫のシリーズは、どの本もすべてルビが振ってあるのでおすすめです。
また、ロールプレイングゲームの解説本などで、やはりすべての漢字にルビが振ってあるものがよくあります。
こういう本で楽しいものを読んでいれば、自然に漢字の読みができるようになります。
もうひとつは、先ほど挙げた例のように、全部ルビの振ってある長文を毎日音読することです。
これからの時代は、漢字の読みさえできていれば、書きはパソコンの変換で充分にできます。
試験では書き取りの問題が出ますが、実生活では、書き取りはもうほとんど不要な時代になっています。
だから、漢字の勉強は、読みも、書きも、書き順も、部首の名前もと、すべてを漢検対応のようにやろうとするのではなく、ただ読みさえしっかりできればいいと割り切ってルビ付きの読書を中心勉強していくといいのです。
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日本語を教える立場として、なるほどなぁと、とても参考になりました。
まさに、漢字教えてます。幸い日本語会話はできるので、読めれば意味わかります。進んでいけば、同じ発音の漢字があるので・・
ROSSさん、こんにちは。
やはり、漢字をおぼえるのがいちばんたいへんですよね。
がんばってください。
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1月から全学年の暗唱長文を作りなおすことにしました。現在、その最終チェック中です。
低学年の子のお母さんから、子供に暗唱の自習をさせやすいように、面白い文章を取り入れてほしいという声もありました。それも、確かに一理あると思います。
言葉の森の読解マラソン集は、説明文でダジャレの盛り込まれている長文で、子供たちに人気があります。
その文章を音読したり暗唱したりする子は、楽しいから続けられるという面があるようでした。
しかし、暗唱のいちばんの基本は、やはり親や先生という周囲の大人の確信だと思います。
例えば、日本ではどの子も例外なく九九ができます。九九のような便利なものを、なぜ他の国でやらないかというと、他の国では大人が確信を持てないからなのです。
日本では、大人は、九九はできて当然だし、やれば誰でもできるとわかっているので、子供や嫌がろうが何しようが明るくやらせることができます。
大人が、できて当然という態度で臨めば、子供も自然にそのことを受け入れるのです。
これが逆に、大人が、この暗唱は難しいだろうとか、自分には到底できないとか、嫌がったらどうしようとか思っていると、その気持ちは子供に通じます。
そして、子供も、大人が思っているとおりに暗唱を難しく感じ出すのです。
では、どうしたらいいかというと、暗唱という勉強を毎日の習慣のように軌道に乗せてしまえばいいのです。
その方法として考えているのが、寺子屋オンエアを利用して、家庭で行う暗唱クラブという企画です。
暗唱クラブで、数人の子どもたちが先生の指導のもとに、それぞれの家庭で一緒に暗唱をすれば、毎日10分の暗唱は苦もなくできます。
そして、その暗唱の勉強を、暗唱検定を目標にして続けていくのです。
今回の暗唱長文は、日本の古典から素材を選んでいます。
古代からの日本の文章は、萬葉集や平家物語のように文学的なものが多いのですが、明治時代に入ると、少しずつ説明文的なものが出てきます。
明治時代の説明文で代表的なものに、内村鑑三の「代表的日本人」や、新渡戸稲造の「武士道」などがあります。
これらは、もともと英語で書かれたものですから、翻訳された日本語の文章を暗唱すれば、それに合わせて英語の原文の方も暗唱できるようになると思います。
話は変わりますが、今、青森県十和田市にある新渡戸稲造記念館が廃館の危機にさらされているそうです。
こういう日本文化を代表するような貴重な資料は、国民全体の財産として残しておくべきだと思います。
家庭での暗唱のような勉強が中心になると、今広がりつつある反転授業のように、勉強は家庭で行い、学校は友達との交流と勉強の発表のために行くという形になっていくと思います。
個人差のある子供たちを一斉授業で教えるのは、低学年のうちは可能ですが、学年が上がるにつれて無理になってくるからです。
しかし、家庭での勉強の難しいところは、子供はひとりでは張り合いがないので、自分から勉強に取りかかことができないということです。
そこで考えられるのが、やはり寺子屋オンエア的な個別指導です。
そして、この家庭での個別指導を更に発展させて考えると、二重反転授業のようなこともできると思います。
それは、つまり、自然環境のいいところに宿泊もできる校舎を作り、そこに、都会にいる複数の先生がネットワークを通して子供たちの個別指導をするという仕組みです。
これを、森の学校という構想としていつか実現していきたいと思っています。
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森の学校、いいですね!ステキな構想だと思います。
学校の勉強だけでなく、外国語やカルチャー教室などもできるかもしれません。
子供だけでなく、大人のリラクゼーションスポットにもなりますね!
ぜひ!実現を!!
とうこさん、ありがとう。
城下町、門前町などがあるように、これからは、学校やカルチャーセンターがその町の輪の中心になる学輪町のようなものが生まれてくると思います。
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甲野善紀さんは、古武術を自分なりに研究して新たな境地を切り開いてきた人です。
その甲野さんが、「今までにない職業をつくる」という本を出しています。これは、自分がこれから作るというのではなく、今の若者の仕事の状況を見て、やむにやまれぬ気持ちで、「もっと自分たちで新しい職業を作ればいいんだよ」とアドバイスしているのだと思います。
http://www.amazon.co.jp/dp/4903908593
若い人たちの就職の環境は、今のままではますます展望のないものになっていきます。
派遣という形の仕事が増えると、当面の生活は何とかなりますが、その仕事の中で自分が何かを学び成長するという面がどうしても弱くなります。
しかし、正社員でもその事情はあまり変わりません。生活の安定度がある程度あるとしても、これからの社会では、高度成長時代のように毎年規模が拡大するような仕事はもうありません。
逆に、毎年縮小する市場を多くの企業が奪い合う中で、そのしわよせは社員に向けられます。つまり、競争の中で最も削減の対象となるのは人件費なのです。
そのため、正社員であっても、仕事の中で自分の成長や挑戦が実感できる人はごくわずかで、ほとんどの人は、縮小する市場の中でいかに仕事を能率よくこなすかというようなところに力を入れざるを得なくなっていきます。
若い人の離職率が高いのは、根性がないからではなく、やはりその仕事の中で先の展望が見えない気がするからなのだと思います。
昔のように、会社自体が発展していく中であれば、長年勤めているだけで、部下が増え新しい仕事が増えました。それに伴って、自分も成長していくことができたのです。
しかし、これからのように会社も市場も縮小していく中では、仕事の中で成長するどころか、今ある能力自体もさびついていく可能性が高いのです。
では、どうしたらいいかというと、それは、若いうちに時間を味方にすることです。
時間を味方にするというのは、時間をかければかけるだけその分野のプロになれるようなことに今から着手しておくのです。
甲野善紀さんが、古武術の研究を始めたころは、そういうことが仕事になると思っている人は誰もいなかったでしょう。本人自身も、それが仕事になるとは思っていなかったではずです。
しかし、自分の好きなことをずっと続けていく中で、やがて時間がたち、気がついたら押しも押されぬその分野の第一人者になっていたということなのです。
これからが個性の時代というのは、こういうことなのです。
個性というものが持って生まれたものだけであれば、それが特に何かに役に立つことはあまりありません。しかし、時間をかけた個性であれば、それは個性を生かした仕事に結びつくのです。
しかし、個性というぐらいですから、みんなと同じ安全に見える道を歩いていたのではその分野の第一人者にはなかなかなれません。
例えば、野球やサッカーやバスケットボールというメジャーなスポーツであれば、同好の士も多いし、練習する機会や場所も幅広く提供されています。しかし、その分野でプロになる可能性はほとんどないでしょう。
ところが、周りに同じことをやっている人がほとんどいないような珍しいスポーツであれば、最初は誰からも相手にされないという苦労を味わうでしょうが、何年もたつうちに、そのスポーツの第一人者になっている可能性がずっと高くなるのです。
これが、昔のような住んでいる地域に限定された狭い情報の社会であれば、人と違うことをやっていることは特に大きな利益にはなりませんでした。
しかし、今のインターネット時代の特徴は、ロングテールなのです。つまり、インターネットを使えば世界中が市場ですから、自分の住んでいる町が人口10万人で1人だけ同じ趣味を持つ人がいたとしたら、同じ確率で考えると日本全体の1億人の中では、1000人も同じ趣味を持つ人がいます。世界全体で考えれば、もっと多くの仲間がいて、その人たちに自分の経験を教える仕事をすれば、そこに大きなマーケットが生まれるのです。
こういうことが可能になるのは、ただ自分の好きなことに時間をかけることによってです。そして、若いということは、これからの時間がたくさんあるということです。
だから、今仕事をしている人も、これから新たに社会に出る人も、まず自分の好きな分野で、多くの人がまだ参加していない分野をライフワークにする展望で取り組んでいくといいのです。
言葉の森では、森林プロジェクトという名称で、作文を教える仕事を提供していますが、これを今後作文だけでなくもっと幅広い分野でできるものにしていきたいと思っています。
当面、毎月第二火曜日は、森林プロジェクトに参加している人の交流会を、googleハングアウトで行っていく予定です。
同じようなことをしているところは、今はたくさんあるはずです。
若い人たちは、こういうさまざまな機会を利用して、自分のライフワークを見つける参考にしていくといいと思います。
そのときに大事なことは、まず第一に自分の好きなこと、そして第二にできるだけみんなのやっていないことを時間をかけてやっていくことです。
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仕事は自分の能力を伸ばしたり挑戦したりする機会だとすると、「就職」以外の道を考えるほうが、ライフワークに結びつくかもしれませんね。
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言葉の森の中学生の作文指導は、文章を読んで意見文を書く形が中心です。題名だけの課題もたまにありますが、ほとんどは文章を読んで書く課題です。
読む対象となる文章は、高校入試の説明文のレベルなので、しっかり読んでいれば自然に語彙力が身につきます。
中学生の3年間で学ぶ構成が高校生以降の小論文の基本で、この書き方ができるようになれば、どういう課題が出ても対応できます。
第一は、一つの意見について複数の理由を述べるという構成です。
第二は、複数の意見を述べて総合化するという構成です。
第三は、一つの意見について複数の方法を述べるという構成です。
この中でも最もわかりにくいのが、複数の意見を述べてそれを総合化してまとめるという書き方です。
複数の意見を述べるというのは、誰でもすぐにできます。問題は、その複数の異なる意見をどうまとめるかということです。
考えずにまとめると、Aの意見もわかる、Bの意見もわかる、だから両方をうまく使い分けて……というようなただの折衷案になってしまいます。
複数の意見を折衷案でまとめずに、より高い次元のCの意見としてまとめるというのが総合化の主題です。
こういう考えは、もちろん大人にも難しいものですから、うまく考えつくときと、どうしても考えつかないときがあります。
また、あるとき考えついた意見が、あとから自分の成長とともにもっといい意見に変わるということもあります。
当然、人によって答えは違いますし、その答えもひとつではありません。
こういう考え方をすることで、抽象的に物事を考える力がついてくるのです。
抽象的に考える初歩の練習は、理由を考えることです。
例えば、意見文で、「○○はよいか悪いか」という題名で書く場合、よいか悪いかの意見は誰でもそれなりに書けます。
その意見の裏付けとなる実例も、多くの人が書けます。
しかし、その実例をより一般化した理由として書くということがなかなかできない人がいるのです。
こういう例もある、ああいう例もある。では、それらの例をまとめてひとことで言うとどうなるかということが出てこないのです。
出てこないものは仕方がありません。そういうときは、いくら考えても出てこないものなのです。
しかし、それは能力がないからではありません。
人間には、もともと抽象的に考える力が備わっています。しかし、それが日常生活の中で必要とされない環境にいるので、磨かれていないだけです。
では、どうしたら、日常生活の中で、抽象的に考えることが必要になる場面が出てくるのでしょうか。
それは、ひとつは親子の会話によって、もうひとつは読書によってです。
つまり、読む力、聞く力が、作文力のもとになっているのです。
作文の欠点を注意しても上手になるわけではないのは、この理由からです。
作文力をつけるのは、作文を直すのではなく、作文を書く土台となる読む力をつけることによってなのです。
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言葉の森の中学生用指導のエッセンスです。
この3つの書き方を習得するだけでほとんどの小論文に対応できるのではないでしょうか。
ただ、この習得というのは、課題を理解し、自分の考えを意見化し、自身の体験と照らし合わせ…という考える訓練により得られるものです。
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今の子供は、意外と「いろは」や「子丑寅」を知りません。
ところが、子供は、そういう呪文のような言葉を覚えるのが好きなのです。
そこで、田舎に行ったときなど、おじいちゃんやおばあちゃんに、覚えていることをいろいろ聞いてみます。
中には、百人一首や昔の歌謡曲や、更には般若心経などを教えてくれる人もいるかもしれません。
特に、お母さんやお父さんができないことを子供ができるとなると、子供は喜んでそのことに熟達しようとします。
そういうちょっと知的な言葉遊びを楽しんでみるといいと思います。
話は変わりますが、今、言葉の森では新しい暗唱長文集を作成しています。
これまでの暗唱長文集は、子供たちが作文を書くときの参考にできるように、主にその学年の課題の表現項目を入れた文章でした。
しかし、せっかく子供たちが1000字近い文章を暗唱するのですから、その暗唱がずっと記憶に残り、大人になってもときどき思い出せるようなものにしたいと思いました。
そうすればと、やがて覚えた文章を自分の子供にも教えていけるようになり、言葉を通して文化的な伝統も伝えていけるようになると思います。
暗唱の方法というのは、実は簡単です。記憶力や年齢は、全く問題ではありません。正しい方法でやれば、誰でも確実にできるようになります。
だから、暗唱という勉強法は、落ちこぼれというものがありません。また、先に進みたい人はいくらでも先に進めます。
その方法はひとことで言えば、回数がわかる目印になるものを用意し(私がおすすめするのは紙を折る方法ですが)、できるだけ早口で100字ぐらいの文章を30回繰り返すことです。時間は10分程度で、これを毎日続けるのです。
ただ繰り返すだけですから、シャワーを浴びながらでも、道を歩きながらでもできます。こういう方法で、誰でも簡単に暗唱ができるようになるのです。
おじいちゃんやおばあちゃんに教えてもらった文章があったら、この方法で覚えておき、あとで聞かせてあげるといいと思います。
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日本の子供の読書環境は、幼児や低中学年のころに読む本はかなり充実しています。
よく、どういう本を読んだらよいかという質問を受けますが、書店や図書館に並んでいる本で面白そうなものはどれでもいいというぐらいよいい本がそろっています。
ただし、次のような本の選び方はあまりよくありません。
それは、
(1)名前が有名だからという理由だけで読ませる本(難しすぎたり、逆に子供向けに省略されていたりするものがあります)、
(2)親が昔読んだ感動した本(現代に合わない暗い話になっているものが多いです)、
(3)「○年生の読みもの」などと銘打ってある本(短い話がぶつ切りに載っているようなものが多く、読書に没頭するという読み方ができません)
いい選び方は、次のようなものです。
(1)ブックオフなどに並べられている本(よく読まれているものが多いからです)、
(2)本の奥付を見て何度も印刷されていることがわかる本(人気のある本だからです)、
(3)シリーズ化されている本(「フォア文庫」「青い鳥文庫」などのようにシリーズ化されているものは、これまでに人気のあった本だからです)
さて、小学校中学年のころまでは読書環境が充実していますが、小学校高学年、中学生、高校生になると、その年齢にふさわしい本がだんだん少なくなってきます。
高校生で本を読まない人が多いというのも、やはりいい本が身近にないためです。昔は、高校生向けの新書版の本が何種類かありましたが、今はあまり見かけません。
特に、説明文の本は、書店にはほとんどないと言っていいので、いい本を探すためには図書館を利用していく必要があります。
図書館では、「岩波ジュニア新書」「ちくま少年図書館」「ちくまプリマー新書」などが並んでいると思います。
しかし、父親や母親が最近読んで感銘を受けた本であれば、小学校高学年以上の生徒でも、同じように読めるものがかなりあります。
私が数日前人に薦められて読んだ本で面白かったものは、「サラとソロモン」のシリーズです。
ストーリーもいいのですが、中に説明的な言葉がよく出てきます。ストーリーの面白さにひかれて読んでいくうちに、説明的な概念も身につきます。
このような大人も、高学年以上の子供も同時に楽しめるような本は結構あると思います。
ただし、ここで注意することは、自分が読んでよかったと思った本でも、必ずしも子供はそうは思わないことがあるということです。
読書というものは個性的な面がありますから、好き嫌いははっきりしています。
そこで、読ませ方のコツとしては、2冊以上の本を並行して読むようにすることです。1冊だけにこだわると、その本にあまり関心がない場合、そこで読書が止まってしまいます。2冊以上を同時に読んでいれば、1冊にあまり興味がわかないときでも、ほかの本を手に取ることができます。
また、読書は必ず毎日読むようにさせることです。週に3日とか4日とかいう読み方では、読書の習慣はつきません。
何しろ毎日読むことが大事で、その目安は、本当は毎日50ページ以上です。しかし、読書の苦手な子は、毎日50ページ以上ではかえって続きませんから、少なくとも10ページ以上は読むというようにしておくといいと思います。その場合でも大事なことは、毎日読むということです。
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