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5月21日13時
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パソコンで作文を送信すると、森リンの点数が表示されます。
この点数は、作文検定の点数と大体同じです。どういう文章を書くと点数が高くなるかということを研究していきましょう。
▼級ごとの難易度
小学生の級は、目標の字数が書けていればほぼ合格圏内です。中学生の級は、目標の字数が書けていてしかも項目と表記ができていれば大体合格圏内です。しかし、高校生の級は、語彙の点数が高くないと合格圏内に入りません。また高校生の級からは誤字も減点になるので、誤字があるだけでも合格はかなり難しくなります。
▼字数が最重要
小1は200字、小2は400字、……小6以上は1200字が字数の目標です。小6以上の人は、75分以内にこれだけの字数を書くのですから、書くことにかなり慣れている必要があります。時間をかければ長く書けるという人は、早く書き上げる練習をしていきましょう。時間をかけても長く書けないという人は、書く力よりも先に読む力をつけていきましょう。
▼思考語彙は、考える言葉
思考語彙は、論理的に書く文章では点数が高くなります。したがって、実例を生かして書く小学生の作文では、この点数はあまり高くなりません。文章のジャンルによって点数の枠が決まってきますから、小学生のうちは、思考語彙の点数はそれほど高くなくてもかまいません。高校生で思考語彙の点数が低い場合は、接続語や助動詞を工夫して論理的な文章を書いていくように心がけましょう。
▼知識語彙は、難しい言葉
知識語彙は、学年による成長の差が点数の差として出やすい分野です。例えば、小学生が「おなかがすいたので」と書くところを、高校生は「空腹なので」などと書きます。文字数は少なくなりますが、その文字が表す意味は変わらないので、密度の濃い言葉で書くことになります。このような語彙が知識語彙です。知識語彙は、実例のジャンルによっても異なってきます。身近な体験実例よりも社会的な実例の方が知識語彙の割合は高くなる傾向があります。高校生で知識語彙の点数が低い場合は、社会実例を増やしていくように心がけましょう。
▼表現語彙は、語彙の多様性
表現語彙は、語彙の種類の多様性です。「ご飯を食べて、たくあんを食べて、さしみを食べた」と書くよりも、「ご飯を食べて、たくあんをかじって、さしみをつまんだ」と書く方が、表現語彙の点数は高くなります。表現語彙の点数が低い場合は、できるだけ多様な表現をするように心がけましょう。
▼語彙のバランス
思考語彙、知識語彙、表現語彙のうち、ある点数だけが突出して高いと、文章のバランスが悪くなるので、かえって総合点は低くなります。例えば、思考語彙だけが高いと、骨組みだけの堅苦しい文章になります。知識語彙だけが高いのは、経済用語などを使いすぎて重い文章になっている場合です。表現語彙だけが高いのは、固有名詞などが多く、事実の羅列になっている文章です。全体のバランスを考えながら、それぞれの点数が高くなるようにしていきましょう。
▼項目
それぞれの級に必要な項目があります。項目は、キーワードが入っているかどうかが基準で、キーワードが入っていないと減点になります。内容的にできているかどうかということで評価をすると、検定委員の主観による差が出てしまうので、単純にキーワードの有無で評価をしています。
▼表記ミスと表記注意
表記ミスは、小4以上の段落、小5以上の常体統一、高1以上の誤字なし、ができていない場合の減点です。高校生以上は、漢字で書くところをひらがなで書いていた場合も誤字と同じ扱いとなります。
表記注意は、表記上の注意ですが、減点にはなりません。
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3月4週に行った作文検定模試の結果を、5月中に返却します。
検定結果の見方でわかりにくいところがありましたら、掲示板などでご質問ください。
https://www.mori7.com/hubo/
[1a]
作文検定の結果が出ています。該当の級に合格しなかった場合は、「○点証明」のように、点数の証明だけを行っています。
最高点は100点前後ですが、全体の点数の分布によって決まる点数なので、100点満点ではありません。(点数については、以下同じ)
[1b]
該当の級に合格した場合は、「○点○級認定」のように、級の認定を行っています。
[2]
作文の総合点です。この総合点から、表記ミスや項目不足の減点をした点数が作文検定の点数になります。
[3]
作文の字数です。改行などによる空白を入れない正味の文字数です。
[4]
思考語彙の点数です。考える語彙が豊富な場合は高得点になるので、作文のジャンルによって大きく異なります。一般に生活作文が中心の小学生の場合は点数が低く、論説文が中心の高校生の場合は点数が高くなります。
下の棒グラフは、全体の点数の分布と自分の点数の位置を表しています。(グラフについては、以下同じ)
[5]
知識語彙の点数です。複雑な概念を表す言葉が多いと高得点になります。一般に、小学生では点数が低く、高校生では点数が高くなります。
[6]
表現語彙の点数です。語彙の多様性を表しています。実例の種類を広げたり、言い回しの仕方を工夫したりすることによって点数が高くなります。
[7]
総合点の位置と思考語彙、知識語彙、表現語彙の点数の位置を表しています。
総合点は、字数、思考語彙、知識語彙、表現語彙のバランスによって決まります。
[8]
思考語彙、知識語彙、表現語彙をイメージ化したものです。ひし形の縦と横の長さが同じに近いほどバランスが取れています。
[9]
検定委員による講評です。
[10a]
受検した級の項目とキーワードの表です。
[10b]
キーワードが入っていない場合は、キーワード不足の減点が表示されています。
[11]
手書きの原稿をもとに、検定委員がテキスト化したものです。このテキスト化した原稿をもとに字数や語彙の集計をしています。
※テキスト化した原稿には入力ミスがある場合がありますが、その入力ミスによって点数が低くなることはありません。
[12]
手書きの原稿です。
※今回はスキャナの設定が変わったため、きれいに読み取れない原稿がかなり増えてしまいました。読み取れない原稿は原本で照合してテキスト化しています。
[13]
表記ミスの表示です。
小4以上は、段落ができていないと減点、小5以上は、常体統一ができていないと減点になります。
高校生以上は、誤字も減点になります。
[14]
表記注意の表示です。
表記注意は、「これからできるだけ気をつけましょう」という意味なので、減点にはなりません。
[15a]
受検した級に合格しなかった場合は、取得した点数の証明書が発行されます。
この証明書は、外部に対する正式の証明書としての効果はありません。
[15b]
受験した級に合格した場合は、取得した級の認定証が発行されます。
この認定証は、外部に対する正式の認定証としての効果があります。
(ただし、作文検定模試の場合は、正式の認定証とはなりません)
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言葉の森の低学年の長文音読を難しく感じる方が多いと思います。
読む力には個人差があるので、長文音読は、次のように進めていってください。
第一に、その子が無理なく読めるところまでを毎日読むようにするということです。
一編の長文を全部読むのに時間がかかる場合は、最初の一段落だけ読んでおしまい、という形にしてかまいません。大事なことは、一日の量は短くてもいいから毎日読むということです。
第二に、いつも褒めてあげるということです。どんなにつっかえて読んだとしても、読み終えたときに、「だんだん上手に読めるようになってきたね」と褒めていると、不思議なことに本当に上手に読めるようになっていきます。どうしても、子供の読み方が気になって直したいという場合は、「今日は、お母さんが読むから聞いているだけでいいよ」と言って、お母さんやお父さんが読んで聞かせてあげてください。それを何度か続けているうちに、読み方の指導をしなくても同じように読めるようになってきます。
第三は、意味のわからない言葉が出てきたときです。長文の中には、低学年の子が日常には接しないような言葉が出てきます。しかし、そのときに意味を調べさせる必要はありません。音読の目標は、すらすら読めるようになることですから、意味不明の言葉でもそのまま読めればそれでいいと考えていってください。
しかし、子供は、何度も読んですらすら読めるようになり、読み方に余裕が出てくると、必ず意味のわからない言葉を聞いてきます。そのときこそ、お父さんやお母さんの出番です。その言葉の意味をお父さんやお母さんの今持っている知識の範囲で(つまり新たに辞書などで調べたりせずに)説明してあげるのです。聞く力が育つのは、聞きたいことを聞くからです。そして、説明するときは、できるだけ面白く長々とお喋りを楽しむようなつもりで話してあげることです。
このような音読の仕方によって、読む力や聞く力とともに、親子のコミュニケーションも育てていくことができます。
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文章を読む力は、想像以上に大きな個人差があります。
計算力や漢字力は点数に表しやすいので、一見大きな個人差があるように見えますが、実はその差は大きくありません。
これらの勉強は、勉強した量に比例して身につくものなので、あとからいくらでも追いつくことができます。小学校低学年の成績はあてにならないというのは、この理由からです。
ところが、文章を読む力(読解力)はそうではありません。
文章を読む力は、だれもが同じように持っています。点数に表しにくいので、どの子もあまり差がないように見えます。これは、聞く力も同じです。
しかし、読む力や聞く力は、勉強した量に比例して身についたものではありません。日常生活の中での読む経験や聞く経験を通して、あたかも自然に身につくかのように身についていったのです。
読む力や聞く力の差は、次のようなときに表れます。説明書などの文章を渡されたとき、読む力のある子は、だれに言われなくてもすぐに読み始めます。読む力のない子は、自分からは読み始めません。自分では読まずに何が書いてあるかを他人に聞こうとします。
学校の先生などが、少し込み入った説明をするとします。聞く力のある子は、一度でそのとおりに実行します。聞く力のない子は、難度も聞きなおしますが、なかなか実行できません。
これらの読む力や聞く力は、その子がこれまでの日常生活でどれだけ読む力や聞く力を使ってきたかということに比例しているので、一度差がつくと、その差は広がるばかりとなります。
低学年のころは、目につきやすい勉強に力を入れるのではなく、目につかない読む力や聞く力を育てていくことが大切です。読書や対話が重要だというのは、そのためです。
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医療と農業と教育には、共通点があります。それは、いずれも生命のあるものを相手にしていることです。
更に言うと、政治や経済も、ある意味で社会的な生命のあるものを相手にしているので共通点があると言えます。しかし、話を広げるとわかりにくくなるので、今回は、医療と農業と教育について考えていきたいと思います。
医学と農学と教育学は、西洋の科学を取り入れて大きく発展しました。
しかし、今それが大きな曲がり角を迎えています。
そこで見直されつつあるのが東洋の発想ですが、これはまだ大きな流れにはなっていません。なぜかというと、東洋の発想には、西洋科学のような明確な再現性がないからです。Aという薬を与えたらBという結果になったということであれば、だれもが納得できます。しかし、東洋的な発想は、出る結果もまちまちですし、かかる時間もまちまちです。そこで、どうしても東洋の科学には神秘的な概念が出てきてしまうのです。
神とか霊とか魂という客観的に定義できない概念で組み立てられた論理は、異なる考え方との対話の可能性を閉ざします。そのために、東洋の発想は大きな流れになることがなかったのです。
しかし、ここに来て、新しい科学の可能性が開かれてきました。その一つが脳機能科学で、もう一つが遺伝子生物学です。(量子力学は、まだ観念的に利用される可能性しかありません)
この結果、東洋と西洋の科学が新しい概念で総合化される可能性が出てきた、というのが、現在の状況だと思います。
以上の話を前提にして考えてみると、医療と農業と教育における新しい可能性を次のように考えることができます。
医療の分野では、自然治癒力を生かすことがこれからの最重要課題になると思います。農業の分野も同じで、自然の生命力をいかに生かすかということがこれからの目標になります。教育の分野はどうでしょうか。
教育の分野では、人間が生まれつき持つ学習意欲をいかに生かすかということが大きな目標になると思います。これを、例えば自然学習力と名づけます。自然学習力を生かす教育が、これからの教育の課題になるというのが、私の考えです。そこに、現代の脳機能科学と遺伝子生物学の成果を結びつけるというのが、今後の研究の方向になると思います。(ただし、それは、遺伝子工学のような物理的なやり方ではなく、むしろ哲学的なやり方で、ということです)
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日本語は、長い文章を話したり書いたりすることにあまり向いていない言葉のように思います。
「くまのプーさん」という子供向けの本があります。作者はイギリスのロンドン生まれです。私は、昔この本を読みながら、日本人なら同じ内容をこう長々とは書かないだろうなあと思いました。日本人の感覚としては、不必要な説明や言い回しが多すぎる印象なのです。たぶん、こういう文章スタイルは、シェークスピア以来のイギリスの伝統なのでしょう。
日本の文化では、長さよりもむしろ、無駄を排した短さが尊重されてきました。それが、短歌や俳句などの短い詩形式となって表れています。
石川啄木の歌集や詩集にある短い文章を、日本人は一つのまとまった作品世界として味わいます。その短さに比べると、例えばゲーテの詩集などには、詩なのだか散文なのだかわからないと思うようなものがあります。
そんなことを考えているうちに、日本人のこの短さを好む傾向を、むしろ生かしていくことができるのではないかと思いました。
ところが、これまでの文学の延長で短さを生かすとなると、日本には短歌のように情景や心情を表す形式しかないようです。短歌の中には、意見や思想を盛り込んだものもありますが、論説的な内容を盛り込むのは無理があります。
そこで、考えたのが四行詩という形式です。
基準は、(1)四つに分けて書く、(2)自分なりの発見や創造を書く、(3)できればたとえや自作名言のような表現上の工夫をする、です。
日常生活の中で、ふと、いい考えを思いついた。しかし、長く書くほどの時間はない。短歌などの形式にはなりそうもない。そういうときに使えます。
次は、先日、あるところに書いた文章です。最後の四行目が自作名言になっています。
過去にさかのぼって、嫌だったことをすべて面白かったことに思い返す。
すると、そのときに傷ついたDNA情報が修復される。
そのようにして、人は次々と失われた遺伝子情報を取り戻す。
大事なことは、未来を明るく生きることではなく、過去にさかのぼって明るく生きてきたことだ。
これなら簡単。
四行という制約があるので、無駄に時間をかけることもありません。
作文の勉強としても使えそうです。
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作文小論文の実力は、ある程度まで字数力に比例しています。小学生から高校生の場合、同じ時間内にどれくらい長く書けるかを見てみると、文章力と文章の長さの間にはかなり相関があります。
しかし、もちろん例外もあります。一つは、小学校低学年で長く書きすぎる子は、意外と苦手な子が多いということです。長さだけを目的にするのであれば、句読点などを気にせずに、「そして」「それから」「それで」とどんどんつなげていけば、いくらでも長く書けるからです。もう一つは、高校生以上で、考えることや書くことが好きな子は、優れた内容の文章を密度濃くまとめることもあるということです。
長く書くコツは、二つあります。一つは、小学生の場合です。説明や感想を中心に書くと、字数はどうしても短くなります。逆に、描写の部分を増やせば字数は増えます。描写を増やすためには、そのときの会話を思い出すことです。会話の改行で字数が長くなるように見えるということもありますが(笑)、それ以上に、会話を書くことによって、そのときの様子を絵を描くように書くので自然に長く書けるようになるのです。
もう一つは、中学生以上の場合です。中学生以上になると、作文のジャンルが説明文や意見文になるので、描写的に長く書くことは難しくなります。そこで、実例を増やして書くようにするのです。その実例は、体験実例ではなく、主に知識実例です。本をよく読んでいると、使えそうな知識が蓄積されていきます。教科書で覚えるような知識は、断片的な知識であることが多いので、作文の実例としては役に立ちません。歴史の教科書をいくら読んでも歴史実例は増えませんが、ある人物の伝記を一冊読めば、そこからいろいろな生きた実例を身につけることができます。
そして、本当はもう一つ、長く書くための大事なコツがあるのです。それは、根性です(笑)。というとおかしく聞こえますが、「今日は、何が何でも○○字まで書こう」と思って、無理矢理にでも字数を引き伸ばすと、その無理矢理書いた字数が、なぜか自分の実力になっていくのです。
この根性というコツは、書くスピードにもあてはまります。書くのに時間がかかる生徒は、書き出す前に、「何が何でも○分で書き上げよう」と思って書くと、そのスピードが次第に自分の実力になっていきます。
これからの勉強の参考にしてください。
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