次は、バランスのよい学力を育てることについてです。
今、学校や塾で行われている勉強の多くは、受験を目的としています。受験が勉強の目的にならざるを得ないのは、合格者の人数に制限があるからです。なぜ合格者の人数に制限があるかというと、教える先生の数が限られていて、教室の机の数が限られているからです。だから、試験をして、その学校の定員の中に入れる人を選ぶ必要があるのです。
しかし、このごく当然のように見える前提が大きく崩れつつあります。そのひとつはMOOCなどに見られるようなネットを利用した教育によってです。近い将来、受験はもっと緩やかなものになり、誰でも好きなところに入れるが、そこで勉強して卒業するにはそれなりの努力が必要になるという形に変わるでしょう。そうなると、勉強は受験に勝つためのものではなく、実力をつけるためのものになっていきます。
受験の価値が薄くなるもうひとつの理由は、少子化による大学の経営難の結果、安易な推薦入試が増え学歴と実力が相関しない例が増えているからです。また、受験のテクニックが高度化した結果、実力がなくても点数は高いというケースも増えてきたからです。
読書や思索や幅広い経験の時間を持たずに、ただ素直に勉強だけしてきた生徒の点数がいくら高くても、その点数が実力だとは言えません。そういう、まるで科挙の時代の末期のような、受験勉強の末期状態が今生まれつつあります。
現在のような受験が目的となる勉強のもとでは、勉強の重点は、人生や社会に役立つ大事なことにではなく、受験で差がつきやすいところで点数を取るということに置かれます。
昔は、受験勉強は、実力を伸ばすひとつのきっかけとして有用なものでした。今でも、もちろんそういう面はあります。だから、受験の1年間で学力が飛躍的に伸びるのも事実です。しかし、その受験勉強が先取りによって行き過ぎたものになると、逆に受験のための勉強に特化することによって、かえって学力が低下していくのです。点数は上がるが、本当の学力は低下するというのが、今の受験勉強が持っているマイナスの一面です。
受験勉強の弊害は、二つの面で出ています。ひとつは、受験勉強の先取りのし過ぎです。例えば、ある作者とその作者が書いた作品を結びつけるという国語の問題があった場合、本当の実力とは、その作者の書いたその作品を読んでいて自然にわかるというものです。しかし、その作者と作品をただ知識として記憶しただけの子も、同じ点数が取れます。そして、多くの本を読んで自然に身につけている実力のある子よりも、本を読む時間を省略してただ多くの作者と作品の結びつきを覚えた生徒の方が一般に点数はよいのです。
もちろん、こういう一夜漬けに近い勉強が必要な場面は、社会生活でもあるので、決して無駄ではありません。しかし、それはせいぜい受験の最後の半年か一年で集中してやればよいことです。何年も前からそういう条件反射的な勉強の仕方をすることは、かえってその子の学力を低下させることになるのです。
受験勉強のもうひとつの弊害は、勉強の苦手な子を多数生み出していることです。人生に役立つ本当の学力をつけることを目的にした勉強であれば、誰もが満点を取れることが目標になります。江戸時代の寺子屋で行われていた読み書き算盤は、そういう勉強でした。寺子屋で学ぶ子供たちの中には,よくできる子も、あまりできない子もいたでしょう。しかし、誰もが自分のペースで必要なことを学んでいきました。この誰もが満点を取れるようになるというのが、教育の本来の目標なのです。
しかし、受験が目的になっている勉強のもとでは、教える先生は、受験で差がつきやすい難しいところでいかに得点するかということに勉強の重点を置きがちです。解き方を訓練していないと時間内には解けない算数数学の問題、合っているものを選ぶのではなく、間違ったものを選ばないという国語の問題は、こういう事情で生まれてきています。そして、受験勉強の重点が点数の差のつきやすいものに置かれると、それに対抗するかのように受験問題は新たに点数の差のつきやすいものに進化(というか退化)していきます。このようにして、重箱の隅をつつき合うような受験勉強と受験問題の結果、多くの子が落ちこぼれていくのです。その落ちこぼれを救う方法は、差のつきやすい難問の解き方をていねいに教えることではありません。本当に必要な勉強を教えることなのです。そして、その本当に必要な勉強を学ぶことであれば、それは教科書レベルの教材と、自学自習の仕組みと、質問に答えられる体制さえあれば十分なのです。(今の教科書は解説があまり詳しくないので、教科書レベルの教材に詳しい解説が加わった市販の参考書や問題集の方がいいのですが。)(つづく)
※次回は、「自学自習の仕方について」です。
では、どこでどのようにして個性を発見するかというと、それは読書によってなのです。読書というと、多くの人は、ストーリーのあるフィクションの本を考えると思います。フィクションももちろん個性発見のきっかけになりますが、よりはっきりと個性を自覚させてくれるのが、説明文やノンフィクションの本です。
ノンフィクションの分野には、科学、芸術、スポーツ、料理、ファッション、電車、ロボット、恐竜、政治、経済、文化などと大きな広がりがあります。人間の個性は、こういう読書がきっかけになって自覚されることが多いのです。
例えば、ある探検家が、子供時代に寒さに耐える練習をするために冬でも窓を開けて寝たなどという話を読むと、そういうことに感動してすぐに自分もやってみたくなる子と、そういうことに全く興味がなく、自分もやってみようとは思いつきもしない子に分かれます。これが個性です。その子の個性に合ったことは、止められてもやりたくなるし、個性に合わないことはどんなに勧められてもやりたくないものなのです。
両親と学校の友達と近所や親戚の人たちという狭い世界の中では、子供が本来持っている個性に合うものはなかなか見つかりません。だから、多くの人は、間に合わせの個性でほどほどに満足して成長していくことになるのです。
個性を磨くためには、その個性に費やす時間が必要です。10年同じことに興味を持って取り組んでいる人にほかの人が追いつこうと思えば、やはり10年かけなければなりません。もし自分のほかに10年かけている人がいなければ、その人はその分野の第一人者だと言ってもいいでしょう。たとえ10年かけて追いつこうとする人がいても、自分はもう10年先に行っていればいいからです。
ところが、多くの人がやっているよくある個性の場合には、第一人者になることは至難の技です。
例えば、サッカー、バスケットボール、野球、ピアノ、バイオリン、バレエなどの分野では、既に多くの人が昔から何十年もかけて取り組んでいます。だから、そこで自分が第一人者になる確率はきわめて小さいのです。そのかわり、その分野のレベルの高いものを吸収できるという利点もありますが、そこから一歩踏み出して自分独自のものを作り出すのはやはり難しいのです。
このメジャーな分野に参加して、できるだけピラミッドの上の方まで行くというのは、過去の工業社会の時代の名残りです。オリンピックの金メダル銀メダルなども、こういうピラミッド型社会の発想を前提としています。
これからの社会は、そういうピラミッドのなるべく上に行くことによって満足する社会ではありません。一人ひとり自分が山の頂点になるような分野を見つけるのが未来の社会です。そのためには、他の人が興味を示さないかもしれない個性的な分野で、自分にぴったり合うものを見つけ、そこに時間をかけて取り組んでいくことが必要になるのです。
では、そういう個性を発見するきっかけとなる読書をどのように用意していったらいいのでしょうか。言葉の森が考えているのは、インターネットを利用した「読書感想クラブ」という仕組みです。
まず、オンエアで6、7人の生徒がグループになります。そして、それぞれの生徒が自分の好きな本をみんなに紹介します。しかし、子供たちどうしでは読書の広がりが欠けるので、担当の先生も子供たちが興味を持ちそうな本を紹介します。
友達の紹介してくれた本や、先生の紹介してくれた本で、自分も興味があるものについては、本の貸し借りができるような仕組みにします。互いに少人数の固定した仲間なので、期限を決めて郵便でやりとりすれば貸し借りは安全にできます。
そして、その次の会合までに、友達や先生から借りた本、又は自分が持っている本をもとに感想を発表し合います。この感想が大事なのです。
本の感想というと、多くの人は、自分の思ったことを書けばいいのだと考えがちですが、そういう思ったことだけの感想は、誰が書いても同じようなものになることが多いのです。極端に言えば、感想の最後の結論は、「面白かった」か「つまらなかったか」ですから、そういう感想だけをいくらふくらませようとしても、個性ある感想にはなかなかなりません。
言葉の森の行っている感想文指導は、感想を書く前に、感想の裏付けとなる似た例を見つけることが中心です。「読書感想クラブ」の場合も、その似た例を見つけるために、実験や調査をしてみるのです。その実験や調査の過程を、写真で撮ったり動画で撮ったり絵で描いたりしておけばなおよいでしょう。
次の会合には、その実験や調査を伴った感想をみんなの前でビジュアルに発表します。ちょうどプレゼン作文発表会のような感じです。
このようにして、さまざまな新しい経験を積み、他の人の経験に接することで、自分の個性もより一層磨かれてきます。
個性は、すぐにその場で生かす必要はありません。人間の個性は年齢とともに変化し成長していくからです。しかし、小中学生時代にそのようなさまざまな経験をした子は、大人になっても自分の個性の輪郭がはっきりしてきます。すると、「自分が本当は何がしたいのかわからない」というようなこともなくなりますし、「自分探しの旅」に時間をかけることもなくなります。自分の個性や興味や適性を生かして生きていくことが、人生を楽しく過ごすための第一の条件になるのです。
これが、言葉の森の考える個性を育てる教育です。
この「読書感想クラブ」と同じような少人数のオンエア講座には、ほかにもさまざまな企画が可能です。
これまでにオンエア講座で行ったものは、「親子作文」「紙折り暗唱」「公立中高一貫校適性試験」「中学生定期テスト」「センター試験国語」など、勉強的なものが中心でしたが、ほかにも、行事、ロボット作り、工作、料理、音楽、スポーツ、行儀作法など、いろいろなものが考えられます。
いずれも、自分が興味を持ったものに接することによって、個性を自覚するきっかけができます。そして、自分に合ったものを伸ばしていくことが、将来の人生設計の土台になっていくのです。(つづく)
※次回は、「バランスのよい学力を育てることについて」です。