言葉の森には、作文が好きだから来たという子と、作文が嫌いだから来たという子の両方がいます。
作文の力の土台になっているものは、読む力ですから、作文の苦手な子は、読む方もあまり得意ではありません。
どんなに作文が苦手な子でも、事前指導と明るく褒める励まし方で、すぐに書くことには抵抗がなくなります。しかし、作文力の土台となる読む力が伴わなければ、上達はすぐに限界が来るので、読む勉強に力を入れていく必要があります。
読む勉強の基本は、まず読むことです。どんな本でもよいので、何しろ毎日10ページ以上読むということに決めておけば、それだけで読む力はついてきます。
学力の基本は、文章を読むことです。漢字の書き取りや計算の練習のようなことは、読むことに比べればずっと優先度の低いことなので、家庭での勉強時間の第一はまず本を読むことにしておくといいと思います。
読む勉強の大切さは、国語の得意な子でも同様です。ただし、国語の得意な子は、普通の読書は言われなくても自然にやっているはずなので、それに加えてより難しい文章を読むようにしていきます。
難しい文章として手に入れやすい教材は、入試問題の問題文です。入試問題は、内容的にも優れたものが多いので、読む力のある子は、読書のような感覚で読むことができます。
ところが、この問題集を読む勉強は、継続させることがとても難しいのです。
問題集を解くような勉強では、国語力はあまり身につきませんが、問題集をやりとげたという感覚があるので、どの子もよく続けられます。
それに対して、問題集の問題文を読むだけという勉強は、形が残らないので、しばらくするとうやむやになってしまうことが多いのです。
そこで、この問題集読書の勉強に役に立つのが寺子屋オンエアです。
寺子屋オンエアでは、生徒が問題集の問題文を読んだあと感想を書きます。先生はその感想を聞き、その問題文についての質問をします。ただ読むだけでなく、読んだあとにすることがあるので、形の残る勉強となっているのです。
学校などで行われている今の国語の授業というものは、先生が解説をする時間が長すぎるように思います。国語の勉強にとって大事なことは、子供自身がまず読む時間を確保するということです。
特に国語が苦手な子については、どんな本でもよいので毎日必ず読む時間をとっておくことが必要です。国語の授業のすべてを読む時間があててもいいぐらいだと思います。
国語の得意な子が高校生や大学生になったときは、問題集読書よりも、難しい本の難しい文章を直接読むようにしていきます。
難しい文章とは、古文や漢文のことではな、古今東西の古典と言われているような本です。
わかりやすい例のひとつとして言うと、岩波文庫の青帯のような本などが、国語の得意な生徒が大学生になったときに読むのにふさわしい本と言えると思います。
まず「読む」こと。読んで楽しいと思える本に出会えれば、きっと次々と本を読みたくなるはず! 家庭での勉強は「本を読むこと」……、子供たちが一冊でも多く「これ、面白い♪」と思える本に出会ってほしいなあと思います。
小さいころから勉強に力を入れていると、勉強することが苦にならないというよい習慣作りにもなりますが、その反対に勉強中心に世の中を見てしまう弊害も生まれてきます。
小中学校の勉強は、基本を学ぶ勉強ですから、本来それほど面白いものではありません。九九のような基本的な技能でも、初めのうちは、何でこんなわけのわからないものを覚えさせられるのだと多くの子は感じているはずです。基本となる大事な勉強は、面白くはないものなのです。
しかし、それでは勉強が進まないので、教える側としては、褒めたり励ましたりしながら何とかその勉強の基礎技能を身につけさせようと思います。
その意欲付けの方法の一つに競争があります。
限られた価値ある物があり、それを奪うために競い合うという方法は、人間の意欲に強く働きかけます。
この競争の持つ意欲喚起を、子供本人が自分を励ますために行う分には何も問題がありません。よく、退屈な勉強をするときに自分でタイマーを測って「何分以内に仕上げる」などと自分で決めて行うのは、競争を前向きに使うよい例です。
しかし、この競争を親や先生が、子供の意欲付けのために使いすぎてしまうことが多いのです。特に、低学年から塾で勉強するような環境に置かれると、そこでは必ず他人との競争が出てきます。
この競争意識の問題点は、他人との協力よりも競争を優先した発想をしてしまうことです。
これからの世の中は、競争よりも協力や共存を大事にする社会になります。かつての社会では、競争に強いことが人間の一つの魅力になっていましたが、これからは競争力よりも協調力の方が評価されるようになります。
それは、昔のまだ物が乏しかったころは、競争が豊かさの源泉だったからです。しかし、これからの競争はむしろ、環境を破壊したり格差を拡大したりする貧しさの源泉になりつつあるからです。
未来の社会の中では、競争意識が強く勝ち負け中心に物事を考える人はかえって、社会になじめなくなり、社会からも高く評価されなくなるのです。
小学校低学年からの過度の競争意識を緩和させるのは、親の役目です。
子供が、勉強の面で誰に勝ったとか負けたとか、誰が成績がよいとか悪いとか言ったときに、親は同じように「勝ってよかった」とか「負けて悔しい」とか言うのではなく、勝ち負けよりももっと大事なものが世の中にあるということを子どもに伝えていくべきなのです。
それが文化の教育です。
これまでの学力は、主に成績に現れる学力でした。
しかし、これからの学力には、成績や点数で表せない文化的なものが含まれるようになり、それが次第に大きくなるのがこれからの時代なのです。