国語力は、勉強によって身につくものではなく、生活によって身につくものだというのが私の考えです。特に、小学生の国語力は、その子の家庭環境が大きく物を言います。国語の得意な子に共通しているのは、小さいころに読み聞かせをよくしてもらった、本をよく読んでいる、家族の中での対話が豊富、などです。
私が自信を持ってこう言えるのは、私自身国語が得意で、私の子供も国語が得意だったからです。厳密に言うと、国語「だけ」が得意だったのです。(笑)
私は、勉強というものは、やる気になればいつからでもできるものだという考えを持っていました。私自身がそうで、本気で勉強をしたのは大学を卒業してからです。それまでは、大学入試のときも、今考えるとかなり適当な勉強の仕方をしていました。高3の夏休みなどは、野島海岸という近くの海で日光浴をしながら参考書を読み、熱くなると海に入って泳いでまた勉強をするという優雅な受験生活でした。当時、一日の勉強時間の目標を5時間と決めてグラフをつけながら勉強していましたが、平均すると4時間ぐらいがやっとでした。もちろん当時は予備校などないので、自宅か海岸での勉強です。
そんな私が、25歳ごろ猛勉強をしました。勉強というか読書です。サルトル、ヘーゲル、マルクス、ケインズなど、世界史や日本史の教科書に出てくるような名前の人の本を片っ端から読みました。文字どおり、朝起きてから夜寝るまで読書をするような生活でした。
その経験から、人間はやる気になればやるのだから、やる気がまだ出ないときは楽しく暮らすのがいいいう考えを持つようになりました。
そこで、自分の子供にも、遊びと読書と対話を最優先、勉強はその次という考えをしました。それで、小学生のころの子供の成績は、国語ダントツ、算数平均以下という不思議な成績でした。中学生になると、国語はやはりダントツ、英語はよい方、数学は平均よりややよい程度になりました。
さすがに、中学3年生の受験期には、数学の弱さが気になり、夏休み中に数学の問題集3冊(中1・中2・中3用)を徹底して、できないところがなくなるまでやりました。1日6〜7時間勉強をしたと思います。私が高3のときにもできなかった時間です。(^^ゞすると、9月からは数学も一挙に得意科目に。(笑)やる気になればいつからでも追いつくということを実証しました。もちろん塾には行きませんでした。
これも私の持論ですが、勉強は基本的には自力でするもので、塾や予備校などに頼る必要はないと思っています。では、なぜ作文教室をやっているのかと言うと、作文というものは、音楽やスポーツに似ていて、自分で客観的な評価ができないからです。だから、言葉の森は、作文の苦手な子を指導するというよりも、作文の得意な子に更にレベルの高い文章を書かせるということを主な目標にしています。うち私の子供も、小1から高3までしっかり生徒でした。
さて、私の子供は高校のときも国語は超得意科目で、大学入試の過去問などもほぼ最高点の成績でしたから、国語だけは安心という状態で入試に臨みました。大学入試の英語は、かなりの割合で国語力に支えられているので、英語ももちろん得意です。
しかし、私は、大学入試までの国語力というのは、実は大したレベルではないと思っています。本当の国語力はやはり大学に入ってからどれだけ難しい本を読むかによって決まってきます。ですから、大学入試まで国語が得意だったというのは、自慢でも何でもありません。
さて、以上のような経験から、私は国語力というものは、勉強ではなく生活だということを確信しましたが、それをそのままほかの生徒にあてはめるわけきにはいきません。実際に、国語が苦手で言葉の森に来ている生徒もいるからです。そこで、今、長文音読、短文暗唱などの自習のほかに、新しい国語の勉強法というものを考えています。(つづく)]
[:ねこ:]
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[:にわとり:] 差のつきやすい数学
現在の受験勉強では、算数数学の得点力が合否に大きく影響します。これまで何人もの受験生を見てきた経験からの実感で、中学受験でも高校受験でも、数学の得意な生徒は実力以上の学校に進学する傾向があるようです。
これは、受験というものの特質から説明できます。受験の目的は、受験生の努力や能力の差ができるだけ大きく現われるようなかたちで受験生を評価することです。
数学は、他の教科と異なり、一つの問題を複数の知識の要素の組み合わせとして作ることができます。このために、一夜漬けや偶然のヤマなどに左右されずに、本人の実力を反映した成績になりやすいのです。また、複数の知識を組み合わせる問題を作れることから、成績は実力の累乗に比例するような曲線になります。社会などの単純な知識問題は実力と成績が比例するだけですが、数学の問題は実力の累乗に比例します。このことが、数学の学力は努力よりも能力によるものだという誤解を生む原因になっています。
数学の成績は努力の差を拡大して反映するので、受験の主要教科になっているのです。
[:ひよこ:] 社会に出てから本当に必要なのは国語力
しかし、実際の社会生活で数学の必要な場面は限られています。もちろん数学の基盤が必要な職業はありますが、それはそれほど多くはありません。普通の社会人にとって数学が必要なのは、数学的な発想ができるという程度までだと思います。数学的な発想とは、例えば、「宝くじは、はずれる確率の方が高いから買わない」というような発想です。これに対して、「もしかしたら当たるかもしれないという夢を買う」というのは、文学的発想です。どちらの発想もそれなりにいいところがあるとは思いますが。
国語の成績は、数学ほど大きな差にはなりません。中学受験や高校受験では、国語が苦手だという生徒もそれなりに得点を取れるからです。しかし、社会に出るころになると、国語の実力が次第に大きな差になってきます。国語も、数学と同じように、複数の要素を組み合わせて問題を作れる面があります。ただ、中学受験や高校受験の国語では、要素を組み合わせるほどレベルが高くないだけなのです。
社会に出てから必要なのは、情勢を読み取り、方針を立てる力です。これは、読解力と表現力そのものです。わかりやすい例で言えば、部下から複数の相反する提案があったときに、それらを理解し調整し、それぞれの部下に納得できる説明をするというような場面です。このときに、生きてくるのが言葉の広い意味での国語力なのです。
以前、会社での役職の高さと国語の成績が比例するという新聞社の調査結果がありました。こういう分野の調査は差しさわりが多いせいかあまりオープンになりませんが、実感としてうなずけるものがあります。
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漢字の学習について、時どき相談を受けます。「漢字が苦手なのですが、どうしたらいいのでしょうか」というものです。
漢字の「読み」の力は読書量に比例しています。「書き」の力は漢字書き取りの練習量に比例しています。ですから、身も蓋もない言い方ですが、漢字の書き取りが苦手なのは、書き取りの練習量が不足しているからです。^^;もちろん、部首の意味を理解するというようなコツで覚えやすくすることはできますが、書き取りの練習で大事なのは、やはり練習の量です。
「作文をパソコンで打つと漢字を覚えないのでは」という質問もよく受けます。これも、パソコンを使うか使わないかは、漢字の書き取り力にほとんど何も関係もありません。漢字の書き取り力に関係があるのは、漢字の書き取りの勉強をしているかどうかだけです。ただし、パソコンで書いていると、誤字をチェックできないというマイナスはあります。そこで、言葉の森では、小論文の受験をする生徒の場合、1〜3ヶ月前から手書きで書く練習に切り替えています。
漢字の書き取りで最も目立つ間違いは、小学4〜6年生で習う漢字を誤字のまま覚えているということです。本人が正しいと思って間違っている漢字ですから、実際に手書きで書いたものをほかの人に見てもらうまで気づかないということがよくあります。
例としては、
「捨てる」と「拾う」を間違える・「展」の字の左をはらう・「迎える」と「柳」を混同する・「達」の中を(幸)と書く・「返す」を(返えす)と書く・「費やす」を(費す)と書く・「複」を(しめすへん)で書く・「福」を(ころもへん)で書く・「絶対に」と「絶体絶命」を混同する・「暖」を(目へん)で書く・「暖かい」と「温かい」を間違える・「瞬」を(日へん)で書く・「幼」と「幻」を間違える・「熟」と「塾」を間違える・「勝」「難」の横棒を三本書く・「勝」の中を「刀」と書く・「倹」「剣」「検」「険」を混同する・「講義」を(講議)と書く
などです。
小学4〜6年生は、まだ勉強の自覚ができていない時期なので、書き方をしっかり覚えていないまま過ごしてしまうことも多いと思います。しかし、そのまま中学生・高校生になると、わざわざ小学生のときの漢字を勉強し直すという機会がないので、間違えた漢字を覚えたまま大学生・社会人になってしまうのです。
「学力再生」の陰山先生は、漢字の覚え方に新しい工夫をしています。それは、小学生がその学年の1年間で学ぶ漢字を全部4月中に習ってしまうというやり方です。教科書に新出漢字として出てくるつど教えていたのでは、学年の後半に教える漢字になるほど練習量が少なくなるというのがその理由です。
これをヒントに、家庭学習でも、その学年で習う漢字をすべて学年の最初に勉強してしまうということにすると、漢字学習の能率が上がると思います。
[:コーヒー:]
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>>「作文をパソコンで打つと漢字を覚えないのでは」と
>>いう質問もよく受けます。
質問です。 ことばの森の提出はパソコンでキーボードで(本人が)打ったものをメールで送信しても良いのでしょうか?
早速のお返事ありがとうございます。 3ついただいたのにお礼はまとめてひとつですみません。
もうひとつ質問しても良いでしょうか。
テキスト文書のコピペで送信し、
森リンが自動採点は面白いですね。
自動採点以外に、人間の先生による
コメントや電話アドバイスもいただけるのでしょうか。
人間の先生の方がメインです。(笑)
先生が毎週電話で説明して、講評を入れます。
しかし、子供は、人間の先生による評価とは別の意味で、森リンの評価に強い関心を持っています。
中には何十回も推敲して文章を書く子もいます。人間のアドバイスだけでは、なかなかこういうことは自分から進んではしないと思います。
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中学生の勉強は、内容的には難しくありませんが、それだけに勉強するコツのようなものが大事になってきます。
(1)家庭での勉強が基本
塾に行っている場合でも、成績の上がる子は宿題などの家庭学習をきちんとしている子です。中学生の勉強は、難しいものではありませんから、子供が自学自習で勉強をして、わからないところだけお母さんやお父さんに聞くやり方でも十分に勉強ができます。英語や数学などは学年が上がると確かに難問も出てきますが、お母さんが一緒に解答を見て考えればほとんどの問題は理解できるものです。また、お母さんが一緒に考えてもわからないような問題は、できなくてもいいと割り切って考えるといいと思います。
(2)模擬試験の活用
家庭で勉強ができるとは言っても、高校入試がある場合は、他の生徒と比較してどの程度の偏差値かということは把握しておく必要があります。公立学校の場合、建前上そういう模擬試験はできませんから、民間の模擬試験を探してときどき受けることになります。市販の公立高入試問題集などに、模擬試験の募集が載っています。
(3)過去問の活用
中3になったら、早めに過去問に取り組んでおく必要があります。塾でも過去問の勉強をしますが、スタートは大体遅すぎます。あまり早めに過去問の勉強をすると、塾での一斉指導がしにくくなるという事情があるためです。ですから、塾に通っている場合でも、家庭で過去問を先取りして勉強しておく必要があります。
(4)夏期講習や冬期講習に参加する
ふだんの勉強は自宅でもできますが、夏休みや冬休みなどの長い休みに自宅で長時間の勉強をするためには強い意志力が必要です。塾に入ると、みんなも一緒に勉強をしているので、長時間の勉強も苦になりません。自宅で長時間勉強する自信がない人は、夏休みや冬休みだけは塾の講習に参加しておくといいと思います。
(5)勉強の中心は教科書と教科書準拠教材
公立高校の場合、出題範囲は教科書からです。数学以外のどの教科も、教科書をしっかりマスターしていれば充分です。問題集も参考書も教科書に準拠したものを選んでおくのが能率のよい勉強をするコツです。
(6)参考書や問題集はじっくり選ぶ
参考書や問題集の種類を途中で変更すると、能率が落ちます。同じ参考書や問題集を3年間使うようにするのが理想です。そのためには、最初の参考書・問題集選びにじっくり時間をかける必要があります。
(7)毎日の勉強は英語と数学と読書
ふだんの勉強は、英語の教科書を暗唱することと数学の問題集を解くことと読書になります。読書は直接、受験勉強に役立つものではありませんが、中学生時代に読書の習慣が途絶えてしまう生徒が多いので、教科の勉強と同じ重要さで家庭での学習に位置づけておく必要があります。理科、社会、国語などの教科の勉強は、ふだんの授業をしっかり聞いて、あとは定期試験前に集中して取り組めば十分です。
(8)数学だけは教科書よりも難問の問題集で
数学だけは、教科書準拠で勉強していると力がつきません。教科書レベルの問題は基礎的な事柄ばかりですから、だれでもできますし、入試には不十分です。また、数学という教科のおもしろさは、難問を解くことにあります。教科書準拠とは別に、国私立高の入試問題が一部に載っているような問題集を準備して勉強する必要があります。
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「どうしたら本を読むようにさせられますか」という相談をよく受けます。
そういう相談をするお母さんほど、自分が子供時代によく本を読んでいるので、どうして自分の子供が本を読まないのかわからないという悩みを共通にかかえています。
ひとことで言うと、読書の環境は昔も今もそれほど変わりません。むしろ今の方が恵まれているでしょう。しかし、読書以外の環境がこの十数年で激変しているのです。漫画、テレビ、ビデオ、ゲーム、携帯電話、インターネット、メール、学習塾と、親の世代が経験しなかったような環境が次々と現れています。それらがすべて、読書の時間とぶつかるかたちで登場しているのです。
読書というものは、毎日読む習慣がないと、自然に消滅していきます。テレビも同様で、連続ドラマなどを見出すと、つい毎日気になって見るようになりますが、いったん見ることをやめると、あらためて見たいという気が起きなくなります。
読書は毎日読んでこそ読み続けられるものです。週に2、3日読むという読書生活はすぐに週に0冊の生活に変わります。週に7日読むときに初めて読書生活が成り立つのです。
と考えると、読書をさせるためのコツは簡単です。毎日本を読む時間を作ればいいのです。
ここで問題なのは、自分が本好きのお母さんほど、「読書は強制してまで読ませるものではない」という考えを持っていることです。しかし、昔と今とでは読書以外の環境がまったく違います。最初は半強制的に、「1日○ページ読むこと」というふうに決めなければ読み始められません。「たまには本でも読んだらどう?」という控えめなアドバイスの仕方では、子供が本を読むようにはなりません。「読みなさい」と言って初めて読むことができるのです。
半強制的に読ませることによって読書嫌いになったという子はいません。逆に、半強制的に読ませることによって読む力がつき、どの子も本好きになっていくのです。
ですから、親は子供に読書を勧めるときに、子供に歯磨きをさせるぐらいの断固とした確信を持ってさせる必要があります。子供に歯磨きをさせるときに、「歯磨きを無理にさせて、嫌いになったら困る」と心配する親はいません。逆に歯磨きをさせ続けることによって次第に、子供は食後に歯を磨くと気持ちがいいということを実感していくのです。
また、読書の内容も、子供の興味に合わせて低くする必要はありません。ときどき、「漫画や雑誌のようなものでも読んでいるうちに、もっとちゃんとした読書に進んでいくのでは」と期待するお母さんがいますが、漫画を読んでいるうちに読書も好きになったという子はいません。漫画の好きな子は、そのままずっと漫画しか読みません。それぐらい現代の社会では、魅力的な漫画がふんだんに発行されているのです。しかし逆に、読書の好きな子が漫画も好きだということは自然にあります。だから漫画そのものが悪いというのではありません。漫画が発展して読書につながるという考えが甘いということなのです。
小学4年生のころまでは、いい本がたくさんあります。このころは読書選びにあれこれ考える必要はありません。、図書館や書店にある本をどんどん与えていけばいいのです。確かに、どの子もおもしろがって読むような本はありますが、親がそういう甘い味付けのある本をわざわざ探してあげなければ読めないということではありません。本として発行されているほどの本であれば、どの本も読み出せばそれなりにおもしろくなるものです。
家庭での毎日の勉強が終わったら、子供に向かって、「はい、勉強のしめくくりは読書50ページね。それが終わったら遊びなさい」と言うだけです。それを歯磨きと同じように毎日続けていけば、どの子も例外なく読書好きになっていきます。読書50ページは、小学校高学年の子が普通に読んで約1時間ほどかかる長さです。低中学年の子は、その子の読む力に合わせて、ページ数を少なくしていけばいいと思います。また、低中学年のころは、読み聞かせも読書と同じ効果があります。読み聞かせは幼稚園までと思わずに、小学校4年生ぐらいの子でも、寝る前の本読みをときどきしてあげるといいと思います。ただし、コツは「優しく楽しく面白く」ですから、読んだあとに問題を出すようなことはしないで、にっこり笑って寝るだけにしてあげてください。
[:月:]
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中学高校での国語の問題は、読解、漢字、文法、古文漢文に分けられます。このうち、漢字と文法と古文漢文は、知識の勉強ですから、独自に勉強しなければなりません。漢字と文法と古文漢文で成績が悪いというのは単純に勉強不足です。
読解の勉強の仕方を身につけるのにいちばん役に立つのが入試問題です。読解の問題は作成者の好みや癖が出やすいので、作成者である先生と発想が違う場合、本当は○であってもいいような答えが×になることもあります。その点、入試問題はそういうことがないように比較的よく練られた問題が出されています。
国語の問題を解くときは「大体こっちの方が近そうだから」という曖昧な決め方で答えを出すのではなく、「これがこうで、こっちがこうだから、絶対にこれ」というように理屈で納得する答え方をすることが大事です。国語の問題ですから全部理詰めには行かない面もありますが、いい入試問題ほど理屈の裏付けがとれるようになっています。
国語の普段の勉強法は、長文音読と読書です。ただし、読書は易しい物語文から難しい説明文まで広い幅があります。国語の成績ということに関して言えば、易しい物語文の本はほとんど役に立ちません。しかし、中学生高校生の時期の読書は成績とは別の独自の意義を持っています。読書の時間がとれないという人は、入試問題の問題文を読書がわりに読んでいくといいと思います。
この入試問題の問題文を読書がわりに読むという勉強法は、国語の勉強で大きな力を発揮します。国語の成績がふるわないが勉強の仕方がよくわからないという人はぜひ試してみるといいと思います。これも1冊読み終えたらまた最初から繰り返して読み、4〜5回繰り返して読むという読み方をします。どの勉強でも1〜2回しかしないというのは何もしないこととほとんど変わりません。また、この問題集を読むという勉強を楽に継続するためには、空欄になっているところはそのまま飛ばして読むということと、欲を出して問題まで解こうとしないということが大事です。4〜5回読んで、まだ意味の取りにくい文があったら、そこだけを学校や塾の先生に聞いてみましょう。
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入試問題の問題文を読書がわりに読むという勉強法は
取り掛かりやすく良いですね。
数学や英語はドリルの類がたくさんあり
やれば、すぐに効果が現れますが
国語は定期試験の前に教科書準拠問題集を
解いて行ったからといって、点数にならず
どんな勉強法をすればよいかわからずにいました。
新中2だったら、高校入試問題が適当でしょうか。
国語力は、学年との関連があまりありません。小学生でも高校生並みの文章を読む子がいるかと思えば、高校生でも小学生並みの文章しか読まない子もいます。^^;
新中2でしたら、高校入試問題がいいと思います。しかし、もし読むのが苦手な子でしたら、中学生向けの長文の多い国語問題集がいいと思います。
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[:りんご:] 「会話」
小学生の場合、男の子は一般に会話を書くのが苦手です。出来事を数字や名前を使って説明的に書くのは得意ですが、会話を使って描写的に書くことはあまりしません。これはその子の興味の対象が描写ではなく説明にあるからです。極端な場合は、どこか旅行に出かけたときなどの作文で、「次は○○という駅で○番線から○時○分の○○という電車に乗り、○時○分に○○という駅に着いた。そのあと……」というような話を会話を一つも入れずに延々と書きつづける子もいます。こういう作文は、小学生のころの作文としては高い評価はされないと思いますが、こういう子が中学生や高校生になると説明のしっかりしたいい文章を書くようになります。逆に女の子の場合、情景描写が得意なことが多いので、小学生のころはじょうずな作文として評価されがちですが、中学生や高校生になって逆に幼稚な文章になってしまうこともあります。
[:パン:] 「たとえ」
「たとえ」は小学生の作文の表現力として重要なものですが、この「たとえ」の苦手な子の中に、真面目すぎて「たとえ」が苦手という子がいます。「たとえ」は発想の飛躍や柔軟性がないと思いつきにくいものですから、あまり真面目に考える子は、「たとえ」が苦手になるのでしょう。
[:カレー:] 「感想」
感想の部分がものたりない子は、一般に大人との対話が不足していることが多いようです。いつも「楽しかったです」でまとめてしまうような作文を書く子です。お母さんやお父さんとよく話をしている子は、感想の部分にその子らしい独特の感じ方や考え方が出てきます。
[:ワイン:] 「ことわざの引用」
ことわざの引用が得意な子は、家庭での会話の中でお父さんやお母さんからことわざを聞いて育っているということが多いようです。逆に、家庭でことわざを使って話すような場がないと、高校生ぐらいになってもことわざをほとんど知らないという子が出てきます。ことわざは、ことわざ辞典などで勉強して身につけることもできますが、やはり日常生活の中でその場面にあったことわざを聞くことで生きた使い方ができるようになってくるようです。
[:おにぎり:] 「一般化の主題」
小学6年生で勉強する「一般化の主題」は、「○○は人間にとって……」という感想を書く書き方ですが、ちょうど小6のころはこういう大きいとらえ方ができ始める年齢にあたります。一般に女の子の方が男の子よりも1年ほど早めに精神的に成長しているので、女の子は比較的楽にこういう書き方ができるようになりますが、男の子はしばらく苦労するようです。そういう場合は、とりあえず形の上だけでできればいいというぐらいに考えておくといいと思います。次第に、その形に内容が伴うようになってきます。
[:ケーキ:] 「理由、方法」
中学生以降の構成の練習で出てくる「理由」や「方法」は、抽象的な思考力を必要とします。意見に合わせた実例を考えるだけならすぐに思いつく子も、その意見に合わせた理由や方法を考えるとなるととまどうことがあります。理由や方法を考えるということは、ものごとを構造的にとらえるということですから、思考力がはっきり出てきます。中学生以降の作文の勉強では理由や方法を考える力が作文の実力に比例します。この力を育てるためには、長文音読や難読が必要です。
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学校での勉強の目標は、ひとことで言えば受験におかれています。ですから、ここだけを見れば、受験に関係の深い英語・数学・国語の成績を上げることが勉強の中心的な課題のように見えてきます。
なかでも、中学・高校受験では数学の出来が受験の結果を大きく左右し、大学受験では英語の出来が合否に大きく影響します。したがって、勉強の中心は英語と数学の力をつけることにおかれがちです。
しかし、将来に生きる学力ということを考えると、英語・数学よりも、国語の力、特に読解力と表現力をつけることを重点におく必要があります。例えば乱暴に言うと、聖徳太子は英語も数学もできませんでした(笑)。しかし、読解力と表現力は十分にあったはずです。英語と数学が勉強の中心になったのは、日本では当然、明治以降のことです。
英語と数学が受験勉強の中心になっているのは、英語の技能や数学的な考え方がその後の人生に役に立つからという理由ももちろんありますが、それ以上に、勉強の範囲が広く深いので試験問題を作りやすいからだという事情があります。
例えば、高校受験の数学の中心となる図形の問題は、簡単に言えば知的なパズルです。やりだせば、ゲーム以上におもしろいものですが、そこで使われている頭は、仮想の空間の中でだけ通用するものです。同じように、英語をはじめとする他の教科の問題も、本質的にはクイズです。だから、「いやあ、お父さんは、もう卒業してだいぶたつから、勉強のことはわからないなあ」などと平気で言って暮らしていけるのです。
しかし、卒業してからも確実に伸びる学力があります。それは読解力です。ある新聞社の調査によると、会社の役員から社員までに国語の読解力の問題を出したところ、点数は役職に比例したそうです。つまり、学校を卒業したばかりの人よりも、実生活で苦労を重ねてきた人の方が、読解力があるということです。
受験のために英語と数学に力をさくことは当然必要ですが、将来に生きる学力ということから考えると、国語力なかでも読解力をつけることはそれ以上に大切だということがわかります。よく「勉強が忙しくて本など読んでいられない」という中学生や高校生がいますが、読書こそ最も力を入れる勉強なのだと考え方を変える必要があります。
そして更に、勉強以外の能力にまで目を向ければ、読解力や表現力以上に大切なのが、よりよく生きようとする意欲だと言えるでしょう。
[:チョキ:]
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