世の中には、受験勉強で大逆転を果たした例がいくつもあります。
最近では、偏差値を40上げて慶應大学に合格した話、偏差値29だった人が東大に合格した話、暴走族だった人が大学に合格して予備校講師になった話、などです。
この「暴走族だったオレが……」の本はもう絶版になっていますが、著者の吉野敬介さんの短期間の受験勉強は壮絶です。
最後は受験会場で力を出し尽くして倒れるまでの話が書いてあります(笑)。しかし、内容は感動的です。
もう少しまともな話では、と書くと上の例があまりまともではないようですが、ナイトー式学習法の内藤勝之さんの次のような例があります。
内藤さんは、5歳のとき木から落ちて怪我をしたことがもとで、小6の夏まで学校に通えませんでした。
しかし、小6の秋ごろストレプトマイシンという薬が開発されたために、症状が回復し、秋から急に学校に行けることになりました。
自宅で療養しているときは、漫画を読んでいるだけで何も勉強していなかったので、学校の勉強の基礎はほとんど何もありません。
しかし、父親から、わずか2ヶ月の間に、算数の九九、整数と分数の四則計算、ローマ字、漢字の書き方を教えてもらい、小6にそのまま編入させてもらいました。
そして、その状態で小6の勉強は、何も困らなかったというのです。
その後、中学生のときに病状がいったん再発し1年休学しますが、教科書を繰り返し読んで覚えるという単純な勉強法で、中3のとき滋賀県全体の模擬試験で一位の成績になります。
高校に進学したあとも、高3からの短期間の勉強で、それまでの勉強法で身につけた、薄い1冊の教材を繰り返し徹底して覚えるという勉強法で京都大学に合格します。
この内藤さんの例を見るとわかるように、勉強法の基本は、1冊を完璧にというやり方で、それを自分のペースで進めていくことなのです。
もうひとつの例を挙げます。
これは、渡部由輝(わたなべよしき)さんという、数学の勉強法の著書が多数ある人の例です。
渡部さんは、浪人時代、大手のマンモス予備校の難関クラスに通いますが、そこで出された試験問題が手も足も出ません。第一回目の模試では後ろから数えた方が早いような順位でした。
そこで、一ヶ月でその予備校をやめ、自宅で参考書を1冊に絞り、その中の問題をすべて解けるようになることを目標に秋まで勉強しました。すると、その後、予備校に復帰後の模試で、数千人の受験者中ベストテンに入る成績を収めたのです。
ここにあるのも、1冊を完璧に、自分のペースでやりきるという勉強法です。
もうひとつ、かなり昔の例ですが、本多静六氏の話があります。
本多静六(林学博士。一八六六~一九五二)は、現在の東京大学農学部に入学しますが、最初の数学のテストで赤点を取り落第をします。
一念発起した静六は、数学の例題集一千題を三週間で完璧に覚え切ります。
すると、次の学期のテストから百点が続き、数学の先生からはもう授業に出なくてもよいと言われるようになり、最後は成績優秀者に与えられる銀時計をもらうまでになるのです。
ここにあるのも、1冊を完璧に、自分のペースでやり遂げるという勉強法です。
これらの人々が、もし、「数学が苦手だから、数学をわかりやすく教えてくれる塾にでも行こう」という発想で、他人に教えてもらう道を選んでいたら、苦手な数学が少しずつわかるようになるという勉強はできたでしょうが、上に述べたような大逆転はなかったと思います。
では、なぜ多くの人は、大逆転の可能な自学自習の方法を選ばずに、そこそこにできるようになる見込みがあるという程度の、人に教えてもらう勉強法を選ぶのでしょうか。
それは、自学自習で勉強を進めることに不安があるからだと思います。
だから、この不安のない状態で、自学自習の勉強を進めることができれば、それが最良の勉強法になるのではないかと思います。(つづく)
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勉強でも、仕事でも、確実な成果を上げるためには、ひとりで取り組むことが大切です。
みんなと一緒に仲よく楽しくということでは、そこそこの成果しか上げることはできません。
だから、受験勉強のような勝負をかけた勉強では、本人か、親か、家庭教師が、その子だけの勉強をするという体制で取り組むのがいちばんの理想です。
ただ、実際にはなかなかそういうことはできません。
そこで、今考えているのは、オンエア講座による生徒の独学のアドバイスです。
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公立中高一貫校の入試問題は、年々難化しています。
志望者が多いことに加えて、記述式の採点に時間がかかるので、難度を高くして受験を希望する生徒を減らす方向に進んでいるのだと思います。
その結果、小学6年生の生徒が普通に受験したのでは、到底受からないような試験内容になりつつあります。
解き方のコツを身につけなければ、短時間で対応できないような問題が増えているのです。
それは、ちょうど私立中学の入試問題と同じで、塾で受験対策をしなければ、実力だけで合格することは難しいというかほぼ不可能というレベルになっているのです。
受験勉強のマイナス面は、解き方のコツを詰め込むことが中心になることです。演習問題を大量にこなすことによって、短時間で解答できるような訓練をする勉強になっているので、その勉強に対応するためには、勉強以外のほかの時間を削らなければなりません。
小学校高学年という、読書も経験も多様にできる時期に、受験勉強の単調な生活をしなければならなくなるのがいちばんの大きな問題です。
確かに、子供はそれなりに、その受験勉強に適応します。一緒に勉強する友達がいて、両親が応援していれば、その生活に疑問を感じることなく、成績や点数の上がり下がりをゲームのような感覚で受け止めるようになります。
ところが、この受験勉強のためにつけた学力は、その後の中学、高校の勉強に生きてくるわけではありません。受験勉強は、パズルの解き方を身につけるような勉強ですから、受験に役立つだけで、その後の学力には結びつかないのです。
受験勉強が子供の役に立つのは、高校受験や大学受験の段階になってからです。中学3年生になれば、子供は自分の意志で受験勉強に取り組みます。だから、志望校に合格できてもできなくても、いずれの場合もその経験がプラスになります。
大学受験の場合は、それに加えて、高校までに学んだ知識を確実に身につけ直すという役割が受験勉強にはあります。だから、本当はAO入試のような方向に行かずに、しっかり受験する方が本人のためにはいいのです。
ところが、中学受験はそうではありません。自分の意志ではなく詰め込み勉強をした子供の中には、勉強とは人に言われたことをただ詰め込むものだという考えになってしまう子も多いのです。
すると、学年が上がるにつれて、勉強というものに飽きてきます。
本当は、高校生、大学生になって、考える勉強の楽しさに目覚めていかなければならないのに、大学での勉強もただ単位を取るためだけの勉強になってしまうのです。
では、なぜ中学受験をするのでしょうか。
それは、中高一貫の教育によって、効率のよい学習ができるからです。
中学生の間に高校の授業の先取りをし、高校2年生までに高校の全課程を終わらせれば、高校3年生では、大学受験に対応した勉強に専念することができます。
受験勉強は、1年かければ十分ですから、高校3年生で受験勉強だけする生徒と、高校3年生で高校3年生用の勉強をする生徒とでは、大きな差がつきます。
だから、多くの親は、小学校時代の詰め込み勉強のマイナス面を理解しつつも、中学受験を選択するのです。
しかし、私はこういうジレンマを脱却する、もっといい方法があると思っています。(つづく)
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今の中学受験の勉強は、かなり不自然なものになっています。
実力をつけるための勉強ではなく、特殊なパズルの解き方を身につけるような勉強で、しかも短時間で解く力を身につけるために、長時間の演習を必要とするようになっているのです。
更に、小学校3、4年生からやらなければ間に合わないという話をする塾も増えています。
常識で考えておかしいと思うぐらいですから、実際はそれ以上にかなりおかしい勉強の仕方をしているのだと思います。
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作文の勉強というものは、子供が小学校低学年の間は誰でもそれなりに教えることができます。
それは第一に、低学年のころは、その日にあったことがそのまま作文の題材になるからです。題材選びが簡単にできるのです。
子供たちは、毎回「今日のこと」というような題名で書いても飽きません。毎日が楽しい生活で、その生活自体が価値ある題材に思えるからです。
これが学年が上がり、小学4年生ぐらいになると、子供なりに他の人に読まれて価値あるものと思われるような題材を選びたいという気持ちが出てきます。すると、「書くことがない」という場合も出てくるのです。
言葉の森での作文課題は、小学2年生までは自由な題名、小学3年生以上は題名課題と感想文課題になっています。これは、それぞれの学年の子供たちの実態に合わせたものです。
低学年の子どもたちの作文指導がしやすい第二の理由は、このころの子供たちは、直すことがたくさんあるからです。
書かせて、間違いを直せば、それがそのまま指導のようなものになります。
しかし、これは作文の指導というよりも、原稿用紙の使い方と日本語の表記の仕方の指導にすぎません。
子供たちの作文指導が難しくなり始めるのが小学3、4年生ごろからで、本格的な作文指導になるのが小学5、6年生からです。
子供が5年生になると、考える力がついてくるので、子供自身よりよいものを書こうと思うようになります。すると、作文を書くことが急に難しく感じるようになってくるのです。
子供たちに自由に作文を書かせると、学年に応じて字数はどんどん伸びていきます。しかし、字数の伸びは小学4、5年生までで止まり、6年生になると、今度は字数が下がってきます。
それは、書く課題が難しくなるということもありますが、それ以上に、子供たちがよりよいものを書こうとして考える作文になるので、長く書けなくなるということなのです。
だから、小学1年生の作文は、この小学6年生の考える作文につながる形で指導されなければなりません。
言葉の森の作文指導では、小学1年生から勉強を始めた生徒が、高学年になり、更には中学生になり、高校生になるまで同じ先生のもとで勉強を続けることができます。
だから、最初は書くことが苦手だった子が、やがて楽に書けるようになり、考える力もついていくのです。
ところが、こういう先の流れまで意識しながら作文指導をしている教室はあまりないと思います。
小学生の作文教室は、小学生までで終了です。中学生までカリキュラムがあるとしても、実際には中学生まで続ける子は多くありません。まして、高校生まで指導できるカリキュラムがあり実際に高校生も指導しているという教室はほとんどないと思います。
小学1年生から3年生のころは、誰が教えてもそれなりに面白い作文が書けるので、それで問題がないように思ってしまうのです。
問題が出てくるのは、小学5年生で感想文の難しい課題が出てくるころです。
更に、公立中高一貫校の入試に出てくるような課題に取り組むようになると、書ける子と書けない子の差がはっきり出てきます。
学習塾などでは、このときの作文が書けない子に対する指導は、たぶんないと思います。もちろん、よく書ける子に対する指導もありません。
作文を書かせて、よく書けた作文とあまりよく書けていない作文を並べて、それぞれの生徒の努力でよく書けるようになれというような指導になってしまうことが多いと思います。
作文は、低学年のときは誰でも教えられます。しかし、高学年になると同じようには教えられません。
だから、学校でも、作文指導は低学年のときはよく行われますが、高学年になるとだんだん教えられなくなり、中学生や高校生になると、ほとんどの学校では全く作文の指導というものはなくなってしまうのです。
本当は、学年が上がるほど作文指導は大事になってきますが、実際は学年が上がるほど作文指導というものがなくなっていくのです。
習い事は6歳からという言葉があります。6歳のころから始めた習い事は、一生続けられるものになります。
だから、この小学校低学年の時期の習い事の選び方は、先まで続ける展望で選ぶことが大事です。
ただ小学1年生の子供を教えるのではなく、その子が小学校高学年になり、更には、中学生、高校生になったときのことも考えて教えていく必要があるのです。
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小学生の子供に作文を教えることは、普通の大人であれば誰でもできます。
しかし、数回は誰でも教えられても、1年も2年も続けて教えられるかといえばそういうことはありません。
更に、同じ子が中学生になり、高校生になっても教え続けられるかといえば、そういう指導ができる人はまずいないと思います。
しかし、作文の勉強は、学年が上がり考える作文を書くにつれて重要になってきます。
だから、小学校低学年のときから、そういう先の展望を考えて作文の勉強をしていく必要があるのです。
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読書実験クラブは、小学1年生から小学3年生対象のオンエア講座です。
最初に、参加した生徒それぞれから、今読んでいる本を紹介してもらいます。
次に、先生が本の一部を何本か読み聞かせをしたあと、みんなに自由に構想図を書いてもらいます。
その構想図をもとに、あとで、その場にいなかったお父さんなどに、生徒が読み聞かせの話を説明できるといいと思います。
先生が読むのは、主に説明文の本なので、家で似た例を観察したり、工作をしたり、実験をしたりすることもできます。
もし、そういう観察、工作、実験などがあれば、それを次の週に発表してもらいます。
読み聞かせを、本を読むだけで終わらせずに、記述や実験や発表に結びつけ、子供たちが主体的に参加する読書の機会にしていきたいと思っています。
https://youtu.be/NQxxSRfpBBM
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物語文の本のいいところは、想像がふくらませられるところです。
説明文の本のいいところは、現実のより深い理解とつなげられるところです。
最近、そういう説明文の子供向けの本が少しずつ増えてきたようです。
ビジュアルな世界が豊かになってきたのと並行して、文字の世界も更に豊かにしていく必要があると思います。
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△大きなクスノキにとまっていた秋のセミ。
こういう人を脅かすようなことは書きたくいのですが(では、書くなとも言われそうですが(笑))、子供たちを見ていて、ときどきふと心配になる子が増えてきたような気がします。
話を交わす分には、普通の子と変わりません。
だから、勉強はそれほど得意ではないとしても、特に問題があるとは思えません。
しかし、本を読む時間が決定的に不足しているようなのです。
小学校3年生以上になれば、好きな本があるときは夢中になって読むような年齢です。
ところが、夢中になるはるか以前の状態で、挿絵の多い本をぱらぱらめくっている様子が、ただ絵を見ているだけのようなのです。
その子たちが本を読んでいないことがはっきり現れるのは、作文を書いたときです。
口で話すようなことをそのまま文字として書くので、「わ」と「は」の区別がなかったり、小さい「っ」の字がなかったり、てんやまるがなかったりと、ちょうど幼児が初めて文字を書くような感じなのです。
書く力の土台となっているのは読む力です。
だから、作文が苦手な子の場合、作文を直そうとしても直すことにかなり時間がかかります。そして、直すところばかりを注意されていると、勉強を続けようという気持ちがなくなるのです。
だから、作文が苦手な子に、まずやってもらうことは、家庭で毎日10ページ以上本を読むことです。それは、読み聞かせでもかまいません。
要するに、文字としての言葉からイメージを作れるような言語感覚を育てることが出発点なのです。
そして、読書が定着するまでは、作文は直すのではなくよいところを認めて褒めることが中心です。
しかし、小学校の低学年のうちに読む習慣ができていない子が、小学校中学年から毎日読むようにするというのは、実はなかなか大変です。
生活習慣を変えるということは、口で言うほど簡単ではありません。
毎日10ページ以上の読書を続けると一大決心をして半年間続ければ、何とかその後も読書のある生活をしていくことができますが、この毎日のわずかな時間を忘れずに続けることが難しいのです。
話は少し変わりますが、言葉の森の読書実験クラブは、どちらかと言えば、読書好きな子供たちのための企画です。
子供たちが家庭で普段読む本は、両親の好みや、子供本人の好みによって大体固定化する面があります。
読書実験では、そういう子供たちが新しいジャンルの本に接して、そのあと、その本に書かれていることをもとに構想図を書いたり、似た話を探してみたりするということでやっています。
この読書実験クラブでは、その日の講座が始まる前に、みんなに今読んでいる本を紹介してもらいますが、この本の紹介というものが、かなり効果があるようなのです。
つまり、友達に、自分が今読んでいる本を紹介するとなると、自然に本を読む生活をすることが当然となっていきます。
読書の楽しみは、個人的なものですが、その読書生活を紹介し合うということが、子供たちの交流を文化的なものにしている感じなのです。
ところで、この読書実験クラブは、今は読書好きな子供たちばかりが参加していますが、これからのやり方によっては読書嫌いな子にも効果があるのではないかと思いました。
読書実験クラブのやり方はこうです。
それぞれの家庭から、パソコンで読書実験クラブに参加します。すると、先生がその日の本の読み聞かせをします。
読み聞かせですから、読むのが苦手な子も、耳から聞く形の読書を楽しめます。
そして、読んだ本をもとに、そのあと構想図を書いたり、家庭で似た話を探してきたりするのです。
ネットに接続して読書の読み聞かせに参加するというのは、まだ少しハードルが高いと感じる人もいると思いますが、これから少子化が進むと、家庭でいながらにしてさまざまな勉強ができるというのは大きな利点になってくると思います。
言葉の森では、小1~小3対象の読書実験クラブ以外に、同じようなオンエア講座として、小4~小6対象の公立中高一貫校の対策講座、中1~中3対象の先取り学習と難度の高い国語演習の講座も開いています。いずれも、参加する生徒は、こちらで何も条件を言ったわけではないのですが、かなり優秀な子供たちばかりです。
このオンエア講座の特徴は、先生と生徒との触れ合いがあることです。しかし、かといって、高額な料金設定ではありません。
言葉の森のネット活用の教育は、人間どうしの関わりを大事にしています。決して、ビデオの読み聞かせがサーバーから流れてくるという形ではありません。
そして、そういう教育をもっと日本中に広げたいと思っているのです。
このネットを媒介にした人間どうしの交流や教育というものが、これから重要になってきます。
というのも、読書生活のない子供たちも、結局読み聞かせをしてもらうような人との触れ合いがないまま成長したのだと思うからです。
テレビやゲームなどの機械的な娯楽に時間を取られていたために、読書の楽しみを知る機会のないまま成長してしまったと思うのです。
家庭に、本とテレビが一緒にあれば、本を読むことに慣れていない子は、まずテレビに手を伸ばすでしょう。
本は、読む練習をして読むことに慣れてからでなければ、自然に手を伸ばす対象ではないのです。
今は、テレビよりももっと手軽なタブレットやスマホも普及しています。本を読まない子は、タブレットでも文字は読みません。画像と動画だけを見て満足してしまうのです。
私は、いずれこの若い世代に現れた新しい文盲のようなことが、社会的な問題となるような気がしています。
そうならないためにも、もっと本を読む機会を子供たちが小さいうちから家庭の中に広げていきたいと思っています。
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タブレット教育などは、さも新しいことのように言われていますが、ただあちこちから画像や動画を検索で探しているだけのような気がします。
それよりも子供時代に大事なことは、読書という文字の集まりから実感のわくイメージを作る力ではないかと思います。
「書く力の土台となっているのは読む力です。 」~テレビやゲームに子守りをさせるのではなく、1日10分ずつでも、親子で本に向き合うのが良さそうですね。
読書嫌いな子こそ、読む習慣をつけて読む楽しさを知ってほしいですね。
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作文の勉強は、特に低学年の自由な題名のときほど、親子の知的な面白い対話が工夫できます。
そして、小1から小3にかけての時期は、子供の言語感覚が育つ最も大切な時期なのです。
その研究結果を初めて実証したのが、東京医科歯科大学の角田忠信医学博士です。
角田氏の研究によると、外国人でも日本の国で小1から小3の時期を送ると日本語脳になり、日本人でも同じ時期に海外で暮らすとその現地の言語脳になるそうです。
つまり、この時期に身につけた言葉の感覚は、一生の言語生活の土台になるのです。
だから、小1からできるだけ豊かな言葉を交わす生活を送っていくといいのですが、小1のころは「話す」「聞く」はできても、まだ「読む」は少したどたどしく、「書く」にいたってはまだほとんどできない子もいます。
それは、もちろん年齢的なことですから、焦る必要はないのですが、作文ということになると、「もう少し書けるようになってから」と、つい親は思ってしまうのです。
逆に、小1のころからがんばって書かせようとすると、子供に無理強いをする場面も出てきます。
そこで、活用できるのが親子作文という方法です。
親子作文の原理は、単純です。
子供は、自分が楽にできる範囲でお母さん、又はお父さんと話をします。
話をするだけですから、小1の子でも自由にできます。
その子供の話と親の話を、親が構想図という形で、聞きながらどんどんメモしていきます。
大体10分ぐらいすると、メモがA4用紙で1枚を埋めるぐらいになります。
そのあと、親がそれをそのまま作文に書いていきます。
そのときに、普通に書いていけば、会話は改行になりますし、句読点も適宜打つようになります。
子供向けに無理にひらがなで書く必要はありません。親が普通に使っている漢字仮名交じり文で書いていくのです。
作文を書き終えたら、漢字にはふりがなをふっておき、子供でも読めるようにしておきます。
その作文を子供に読んでもらってもいいし、親が読んであげてもかまいません。
子供に読ませるときは、その読み方をいつも褒めて励ましてあげることが大事です。
だから、読み方を褒める見込みがまだないうちは、親が読んであげる形でいいのです。
親が作文を書いて、どうして子供の勉強になるかというと、第一の理由は、子供は親の後ろ姿を見て育つので、親が楽しそうに作文を書いているのを見ると、自分もそういうことをやってみたくなるからです。
読書の場合も、親が子供に読書姿を見せていると、子供も自然に読書好きになります。
勉強で最も大事なのは、意欲的に取り組むということなので、子供に作文を書きたい気持ちが生まれるということが重要なことなのです。これは、多くの人が見落としがちな点だと思います。
第二の理由は、正しい書き方を自然に覚えるということです。
親は、文章を書くときに、句読点をつけたり、会話をカギカッコをつけて改行したりすることを自然なことのようにやっていますが、実際には、口で話し耳で聞く言葉の場合は、句読点もカギカッコも改行もありません。
そのため、小1の子供が作文を書くときに、最もつまずくのが、この原稿の書き方という表記の部分なのです。
子供は、作文の中身を見てもらいたいのに、親は表記のミスにすぐに目が行ってしまいます。そこで、作文の勉強は親子のすれ違いになることが多いのです。
しかし、自分が話したことをお母さん又はお父さんが書いてくれるのであれば、口で話すことがどのように文章化されるかということがすぐにわかります。
これをもし、作文の書き方を教えてもらうような勉強として、「会話は行を変えて書く」とか「文の終わりにはまるをつける」などという説明を受けると、途端に退屈な勉強になります。
勉強としてではなく、親子の楽しい対話として自然に勉強と同じことができるようにしていくことが大事なのです。
親子作文は、親子の対話を通して、語彙の力と、考えて聞く力と、考えて話す力が同時に育ちます。
そして、この親子作文は、その場で話をした親子の間だけでとどまらず、ほかの家族にも広げていくことができます。
親子の二人の対話だけであれば、それを録音でもしておかなければならないかぎり、その場にいないほかの人がその対話の内容に参加することができません。
ところが、作文という形であれば、お母さんと子供が話して親子作文にした内容を、あとでお父さんやおじいちゃんやおばあちゃんも見ることができます。
その場にいない人でも、親子の合作の作文を見て、そこにコメントを書き加えることができます。もちろん、そのコメントにもふりがなをふっておきます。
すると、その作文は、家族全員が共有する対話の場になっていくのです。
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本格的にやる習い事は、6歳から始めるのがよいと言われています。
作文も6歳から始めるのが本当はいちばんいいのです。
しかし、6歳ではまだ文字が上手に書けません。
左ききの子は、「く」の字を逆に、「>」などと書いたりすることもあります。うちの子でした(笑)。
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言葉の森には、分野別の掲示板(オープン教育掲示板)や、SNS(FacebookグループとGoogle+コミュニティ)が多数設置されています。
これらを利用して、お子様の勉強などに関する質問や相談はいつでも自由になさってください。
また、言葉の森新聞やホームページの記事に載らない分野別の貴重な情報も、これらの掲示板やSNSに随時掲載しています。
掲示板とSNSの一覧表は、下記のページに掲載されていますので、ぜひご利用ください。
なお、オープン教育掲示板に載せた最新の記事のタイトルは、言葉の森のホームページにも表示されるようにしています。
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作文をきっかけにした親子の知的な対話が、子供の頭をよくします。
しかし、その知的な対話は、明るく面白くなければなりません。そういう対話ができるのはいちばんの存在はやはり両親です。
両親は子供のことをよく知っているので、双方向的な話ができるからです。
玉子焼きを作る前に玉子が立つかどうかなどの話をしたあと、運動の得意な子には、三点倒立の話をしてもいいかもしれません。どのような知識も、身体を使って理解したことは、実感として心に残るからです。
最近の算数数学の入試問題には、そういう身体的な実感があると理解しやすくなる図形や立体の問題がよく出てきます。特に、公立中高一貫校の入試問題は、小学校の教科書の範囲で出すという制約があるために、生活実感の差で差が出るような問題がよく出ます。
教科書の上での勉強では、概念的な理解が中心になります。
すると、概念的に解ける問題や、操作的に解ける問題はすぐにできるようになりますが、立体的な図形の問題のように実感の伴う問題は、概念を理解しているだけでは必ずしもすぐにはできるようにならないのです。
さて、三点倒立も無事に終わって(笑)、玉子焼きの話に戻ると、玉子を割る前に、ここでもまたいろいろな話の材料が出てきます。
まず、なぜ玉子が、まん丸ではなく縦に長い形になっているかです。これは、玉子に聞いてみなければ本当のことはわかりませんが、いろいろな考えが子供から出てくると思います。
また、卵というものは、外側からの力にはかなり強くできています。ちょっと力を入れたぐらいでは潰れないようにできています。
そこで、言葉の森の小5の感想文課題にある「そっ啄の機」の話ができます。
「卵はね、中からヒヨコがかえるときに、外からお母さんのニワトリが、中からはヒヨコが、同時に殻をつついて出てくるんだよ」
「へえ」
「○○ちゃんも、お母さんのお腹から出てくるときはそうしたんだよ。覚えてる?」
「覚えてないなあ」
「というのはウソ。大体殻から出てないし」
玉子を割るときに、プロっぽい演出をして片手で割ることができますが、子供がやると大抵失敗します。
玉子を焼いているときにも、焼きかけた玉子焼きをフライパンから空中に放り投げて裏返す技がありますが、これも大抵は失敗してお母さんに叱られます。
そして、こういう過程を、スマホで写真と動画で撮っておくと面白いのです。
さて、作文の授業がある日に、先生に「今日は何を書くの」と聞かれて、子供が「玉子焼きを作った話」と言うかと期待していると、意外とそういうことはありません。
子供は数日たったことは忘れてしまうことが多いので、「今日、学校で遊んだこと」などとなってしまうことが多いのです。
しかし、それは、それでかまいません。結果を出すことが大事なのではなく、過程を楽しむことが大事で、そういう過程は必ず子供の中に残っているからです。
また、もし玉子焼きの話を作文で書く場合でも、お父さんやお母さんがいいと思っていた場面で書くことは少なく、子供はよくどうでもいいような話だけを書いておしまいにすることがあります。
それも、もちろんそれでかまいません。この場合も、結果は二次的なことで、子供が経験したという過程が大事だったと考えておけばよいのです。
書いた作文は、スマホで撮った写真などと一緒に保存しておけば、子供の成長の記録になります。
面白く書けたものがあれば、額縁に入れて写真と一緒に飾っておきます。額縁に入れると、どの作文も引き立ちます。
言葉の森では、プレゼン作文発表会をする機会があります。
そのときに、その玉子焼きの作文を発表するとしたら、スマホで撮った動画を途中で挿入して発表することができます。
すると、そこでも子供と両親がいろいろな相談をすることができます。
このように、作文の勉強は、書く前も書いたあともいろいろな形で生かせます。
親子の共通の経験を通して話ができるので、知的な話を面白くすることができるのです。
ところで、こういう話を読んで、「うちでは、まだそんなに作文が上手に書けるような年齢ではないし」と思われる小学校低学年の子のお母さんも多いと思います。
特に、小学校1年生のころは、まだ文字を書く力も弱いので、作文というひとまとまりの文章になるのは程遠いことが多いものです。
しかし、そういう時期からでも、作文を楽しく書くことができます。それが、親子作文という方法です。(つづく)
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