性格もよくて、成績もよくて、スポーツも得意で、友達関係もうまく行ってというような何拍子もそろった子がいます。
そういう子のお母さんは、なぜかあまり教育論をぶたないのです。
教育について自分なりの考え方はあるのだと思いますが、その教育論を取り立てて論じるようなことがあまりないのです。
誰でも、子育ては初めての経験ですから、子供の育て方についていろいろな試行錯誤があるはずです。
しかし、そういうお母さんは、周囲の声に流されるようなこともなく、自分の方針を淡々と貫いているような印象を受けます。
そのような家で育った子が、勉強も、運動も、性格も、バランスの取れた子になるようです。
話は少し変わりますが、昔読んだ本で、「経営者が本を書くようになると、経営がうまく行かなくなる」ということが書いてあるのを読んだことがあります。これは、納得できるところがあります。
それまでうまく行っていた人が、何かを論じるようになると、だんだんと実行の方がうまく行かなくなることがあるのです。
クロネコヤマトの中興の祖と言われる小倉昌男さんも、確か、最初の著書である「小倉昌男経営学」にそのようなことを書いていたと思います。自分が書くのはこの1冊だけだ、というようなことを書いていたのです。
しかし、その後何冊かの本を出しているのを見ると、その後の数冊は、依頼を断りきれないような事情もあったのだと思います。
では、なぜ論じることと実行することが違うかというと、実行にはさまざまな例外があるからだと思います。
子供の成長には、多様な逆説のようなものがあります。褒めて育てることがよいという原則があったとしても、厳しく叱られることで急に成長する子もいます。
決められたルールどおりに真面目にやることが正しいとしても、たまに脱線することによって人間の幅が広がることもあります。
そういう多様な例外や逆説を見ていると、子育てを一律に論じるようなことはとてもできません。
だから、子供の成長を真面目に考えていると、子育て中のお母さんは、教育を論じるようなことは自然にしなくなるのではないかと思います。
本を読んで、本のとおりに子供を育てるようなことはできません。
いろいろないい話を聞いたとしても、大事なことはその話の方ではなく、実際に生きて動いている子供の方にあります。
子供の様子をよく見て、子供に合ったことをときどき軌道修正をしながら行っていくというのが、平凡ですがいちばんまともな子供の育て方になるのだと思います。
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「子供が素直に育っているなあ」と思う子育てをしているお母さんは、なぜかもの静かな人が多いです。
聞けばいろいろ話してくれますが、自分から積極的に教育論をぶつようなことはないのです。
たぶん実践に専念している人は、現実は理屈で割り切れるものではないという大きな教育観があるのだと思います。
どうして、実践家はあまり理屈や理論を言わないかというと、自分の言った理屈に実践が引っ張られてしまうことがあるのを知っているからです。
だから、日本では、そして昔の中国では、巧言令色鮮し仁なのです。
しかし、欧米では、口も達者で実践も達者という人が多いような気がします。
その理由は何かというと、たぶん日本人は、言葉に引っ張られやすいところがあるのだと思います。
だから、何かに真剣に取り組んでいるときは、無口になりがちなのです。
情報に流されず、自分が納得する子育てをしたいですね。
単純にひとことで割り切れると思うときが危ない。これは、自戒の言葉。
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受験作文には、コツがあります。
それは、わかりやすく書くことです。何を今更と言われそうですが、わかりにくく書いてある作文も意外と多いのです。
わかりやすさのいちばんのポイントは、構成がすっきりしていることです。
起承転結でも、序論本論結論でも、どういう形でもいいのですが、自分が意図した構成で書かれていることが大事です。
ところが、学校の作文では、構成を意識して書くということはあまりやりません。
構成メモを書いてから作文を書くというやり方はよくやられていますが、その内容の多くは、メモを先に書くよりも直接書いた方が早くできるというようなあまり意味のないものになっているようです。
特に、小学校低中学年では、構成メモを書く意味はほとんどありません。
それは、作文に書くことが事実に基づいたものであることが多いので、時間の順に書いていけばそれで間に合うからです。
言葉の森の作文構成指導も、低学年のときは、中心を決めて書くということだけです。
中学年になると、構成を立体的にするために、途中でお父さんやお母さんに取材した話、又は、自分の昔の話などを入れたりします。
しかし、基本は時間の順序で書いていく形です。
小学校高学年になると、構成の意識をもっとはっきり持てるようになります。
それは、小学5年生ぐらいになると、全体の構造を考える能力がついてくるからです。
文章を要約する力がつき始めるのも、この小学5年生からです。
この時期には、複数の実例を組み合わせて、一つの感想でまとめるという書き方になります。
複数の実例を書くときは、できるだけ、それらの実例の長さが大きく違わないようにすると読みやすくなります。
中学生以上になると、実例ではなく、理由や意見や方法や原因を複数に分けて書く形になります。
このころになると、構成をもとにして考えること自体に頭を使うようになります。
言葉の森で作文を勉強している生徒が、予備校の模試などを受けると、構成のところがよい点になることが多いのは、普段から構成を意識して書く練習をしているからだと思います。
構成をわかりやすく書いたあとで大事なことは、実例と表現の工夫です。
意見文の場合、意見で個性を出すということはまずできません。意見というものは、誰が考えても同じようなものになることが多いからです。
では、どこで個性を出すかというと、その意見の裏付けとなる実例と、その意見をどう表現するかという表現の工夫の部分です。
意見は、あまり凝ったことは考えずに、自分が最初に思いついた平凡なことでかまいません。その平凡な意見の実例として、自分らしい実例を入れていくのです。
自分らしい価値ある実例の要素は、個性、感動、挑戦、共感などがあることです。
あまりよくない実例は、「最近、テレビを見たが、こんなことがあった」というような、ただ見ただけ聞いただけの実例です。
やはり、自分が何かしたという要素が大事なのです。
また、社会実例の場合でも、誰でも思いつくようなよくある話ではなく、自分なりに本を読んで得た知識などが書いてあれば、それが価値ある実例になります。
表現の工夫とは、輪郭のはっきりした光る表現を入れることです。
光る表現は、「○○はAではなくBである」というような形になることが多いのですが、特に形にこだわる必要はありません。
これは、普段から書く練習をしていると、たまに、「われながらいい表現になった」と思うものが時どき出てきます。それを覚えておいて、使えるようにしておくといいのです。
小学生の場合は、たとえやことわざが光る表現に近いものになりますが、これらは中学生以上の意見文で使ってもあまり効果はありません。
事実中心の作文で書くときには、光る表現になるのです。
入試で作文試験がある場合の対策ですが、この実例と表現をたくさんストックしておくことがいちばんの準備になります。
準備があれば、作文試験のような出来不出来が不安定になりがちなものも、コンスタントに自分の実力が発揮できるようになるのです。
」
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日常生活の中で、光る表現を作る練習をするのも楽しそうですね。
実例と光る表現をストックしておくと、安心して試験に臨めますね。
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国語の読解問題で選択肢がいくつかある場合、簡単な問題であれば、合っていそうなものを選べば○になります。
しかし、そうすると、普通に日本語の文章を読み取れる生徒だと、みんなが○になってしまいます。
本当はそれでいいのですが、受験で選抜するテストの場合は、みんなが○になったらテストになりません。
そこで、読解問題を難しくするために、選択問題の出し方を工夫します。
それが、「合っているものを選ぶのではなく、合っていないものを選ばない」という問題の出し方です。
これは、その問題を出す学校がどの程度の難しい問題を出すかという傾向によってもかなり変わってきます。
難しい問題だと思って深読みすると、実は易しい問題だったので、深読みしすぎて×になるということもあります。
だから、志望校の過去問は、あらかじめやっておかないと作戦が立てられないのです。
しかし、全体に、「合っていないものを選ばない」という発想で問題を見ると、選択問題は正解率が高くなります。理詰めで読むことができる人は、どういうテストでも読解問題は満点近く取れるようになります。
この選択の仕方は、一般に消去法を呼ばれています。
合っていないものを消していって、残ったものが合っていることにするという選び方だからです。
現在、中学生対象のオンエア講座では、この消去法の演習をしています。
答えが合っているかどうかというのは、二の次で、自分が合っていないと思って消去した選択肢が、なぜ合っていないかを言うのです。
これを単なる勘で答えたのでは勉強になりません。理屈が通るように、「この選択肢の文のここのところがこういう点で合っていない」と言うのだから大変です。
これは、考える勉強とともに、語彙力の勉強にもなります。
昔、ワインの話が題材になっている漫画で、ワイン通の人が、ワインを飲みながら、「フランスの田園の暖かな春の日差しの味わいがする」とか何とか言っているのを見ましたが、ヨーロッパでは、そのように言葉にしにくい感覚を言葉にして表そうとする伝統があるようです。
日本の文化は、言挙げをしない文化なので、そういうことを言葉であれこれ言おうとする人は、どちらかと言えば敬遠されます。
昔、「男は黙ってサッポロビール」というコマーシャルがありましたが、何も言わずに不言実行というのが好まれる文化があるのです。
しかし、消去法の場合は、理詰めで考えることが第一ですから、合っていない理由をちゃんと言葉で言わなければなりません。
この言葉にしにくいことを言葉にしようとすることが、ある意味で思考力を育てていることになるのでず。
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読解問題の解き方には、コツがあります。それは、合っているものを選ぶのではなく、合っていないものを選ばないという選択の仕方です。
合っていないものを消していって、残ったものが合っているものにするのです。
このコツを知るだけで、国語の成績はかなり上がります。
また、そういう読み方をして読むと、文章を深く読み取る練習になります。
しかし、日本の社会は、言挙げをしない文化なので、合っていないものの合っていない理由をわざわざ言うという習慣があまりありません。
だから、多くの人が、国語は勘で解くものだと考えているのです。
過去問は早めに着手し、選択問題は、合っていないものを見つける練習をしていくとよさそうですね。
※国語の成績を上げたいとおっしゃる親御さんへ面談でのアドバイス。
覚え書きとして。
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勉強は、自分のペースでやっていくのがいちばん能率がよいのですが、難点は自分でやると強制力がないので、ついさぼってしまうことがあることです。
小学生のころは、お父さんやお母さんが、
「もう、勉強したの」
と、頻繁に聞くので、子供は自然に勉強をします。
しかし、小学校高学年になり、中学生になると、親もだんだん口うるさくは言わなくなり、また、子供も言われてもすぐにはやらないようになってきます。
子供が自分の意志で勉強するようになるのは、中学3年生ごろからです。
このころになると、自分の人生という意識が目覚めるので、誰でも勉強を自分の問題として受け止めるようになります。
また、高校を受験する生徒は特に、誰にも言われなくても勉強するようになります。
しかし、それまでの間は、特に小学4年生ごろの自己主張が出てくるようになる時期は、スムーズに勉強をさせることが難しくなるのです。
そこで、言葉の森が今行っているのが、寺子屋オンエアというシステムです。
これは、自宅での自学自習を、オンエアで、先生が1時間見ているという仕組みで、最後の10分間に先生から電話があるので、自分の勉強と先生のチェックが結びつきます。
また、ほかの生徒がそれぞれの自宅で勉強している様子が見えるので、特にほかの生徒のことを見ることはないのですが、そういう雰囲気の中で勉強できるので、自然に勉強がはかどるようになります。
この寺子屋オンエアシステムに、言葉の森でなければできない問題集読書を組み合わせているのが特徴です。
国語の実力をつけるには、難しい文章を音読しそれを繰り返すのがいちばんよいのですが、家庭でそういう勉強を続けられる人はなかなかいません。
寺子屋オンエアの場合は、その音読に対して先生が質問をするようにしているので、自然に問題集読書が続けられるようになるのです。
この問題集読書の音読を毎日続けている生徒は、国語の成績が目立って向上します。
それは、当然と言えば当然です。
その学年で読むには少し難しい文章を毎日音読するのですから、語彙力も、読解力も、表現力もついて当然なのです。
ところで、これまでこの国語の勉強に関しては順調に進んでいましたが、他の教科、特に算数数学の勉強は、わかりやすい参考書兼問題集があるとしても、やや難しいところがありました。
それは、小学校中学年あたりで、少し込み入った問題が出てくると、自分で解法を読んだだけでは理解しくにいことがあるからです。
その質問は、一応掲示板でできることにしていますが、掲示板という形ではやや敷居が高いので、今後はリアルに答えられるオンエアの場所も作っていきたいと思っています。
それはともかく、算数数学は、1年間分先取りをして勉強していると、受験のときに余裕を持った受験勉強ができます。しかし、解法を自分で読んで理解する形では、1年間分の先取りはなかなか難しい面がありました。
そこで、考えたのが、スタディサプリというビデオの授業を併用して行っていくことです。
(つづく)
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先日の8.4週の読書実験クラブは、ちょうどパソコンにソフトのインストールが行われている途中だったため、全体の記録がうまくできませんでした。
45分の全体の話が終わったあとの雑談だけ、記録できました(笑)。
雑談の中身は、みんなの趣味の話です。(動画はその一部)
レゴを作っている子がとても多いので驚きました。
しかも、それらの作品が結構力作でした。
今度、こういう趣味の発表会をやっても面白いと思いました。
https://youtu.be/ynagRKVFMnA
(動画は、全体の記録だとみんなの顔が入ってしまうため、中根のぼやけた顔だけ拡大して入れてあります。)
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読書実験クラブの話のあとの雑談の動画です。
パソコンの調子が悪く、雑談の部分しか録画できませんでした(笑)。
本当は、格好よく構想図か何かを書いているところをアップロードしたかったのですが。
参加者は、小2の生徒が多く、みんなのびのびとやっています。
こういう楽しそうな子供たちを見ていると、勉強なんていいから、もっと遊んでいな、と言いたくなりますね。
勉強は、自分の人生の自覚が始まる中3あたりから本格的にやればいいので、それまでは苦手にならない程度に普通にできていればいいのです。
ただし、読書と対話はたっぷりやっていくといいと思いますが。
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世の中には、受験勉強で大逆転を果たした例がいくつもあります。
最近では、偏差値を40上げて慶應大学に合格した話、偏差値29だった人が東大に合格した話、暴走族だった人が大学に合格して予備校講師になった話、などです。
この「暴走族だったオレが……」の本はもう絶版になっていますが、著者の吉野敬介さんの短期間の受験勉強は壮絶です。
最後は受験会場で力を出し尽くして倒れるまでの話が書いてあります(笑)。しかし、内容は感動的です。
もう少しまともな話では、と書くと上の例があまりまともではないようですが、ナイトー式学習法の内藤勝之さんの次のような例があります。
内藤さんは、5歳のとき木から落ちて怪我をしたことがもとで、小6の夏まで学校に通えませんでした。
しかし、小6の秋ごろストレプトマイシンという薬が開発されたために、症状が回復し、秋から急に学校に行けることになりました。
自宅で療養しているときは、漫画を読んでいるだけで何も勉強していなかったので、学校の勉強の基礎はほとんど何もありません。
しかし、父親から、わずか2ヶ月の間に、算数の九九、整数と分数の四則計算、ローマ字、漢字の書き方を教えてもらい、小6にそのまま編入させてもらいました。
そして、その状態で小6の勉強は、何も困らなかったというのです。
その後、中学生のときに病状がいったん再発し1年休学しますが、教科書を繰り返し読んで覚えるという単純な勉強法で、中3のとき滋賀県全体の模擬試験で一位の成績になります。
高校に進学したあとも、高3からの短期間の勉強で、それまでの勉強法で身につけた、薄い1冊の教材を繰り返し徹底して覚えるという勉強法で京都大学に合格します。
この内藤さんの例を見るとわかるように、勉強法の基本は、1冊を完璧にというやり方で、それを自分のペースで進めていくことなのです。
もうひとつの例を挙げます。
これは、渡部由輝(わたなべよしき)さんという、数学の勉強法の著書が多数ある人の例です。
渡部さんは、浪人時代、大手のマンモス予備校の難関クラスに通いますが、そこで出された試験問題が手も足も出ません。第一回目の模試では後ろから数えた方が早いような順位でした。
そこで、一ヶ月でその予備校をやめ、自宅で参考書を1冊に絞り、その中の問題をすべて解けるようになることを目標に秋まで勉強しました。すると、その後、予備校に復帰後の模試で、数千人の受験者中ベストテンに入る成績を収めたのです。
ここにあるのも、1冊を完璧に、自分のペースでやりきるという勉強法です。
もうひとつ、かなり昔の例ですが、本多静六氏の話があります。
本多静六(林学博士。一八六六~一九五二)は、現在の東京大学農学部に入学しますが、最初の数学のテストで赤点を取り落第をします。
一念発起した静六は、数学の例題集一千題を三週間で完璧に覚え切ります。
すると、次の学期のテストから百点が続き、数学の先生からはもう授業に出なくてもよいと言われるようになり、最後は成績優秀者に与えられる銀時計をもらうまでになるのです。
ここにあるのも、1冊を完璧に、自分のペースでやり遂げるという勉強法です。
これらの人々が、もし、「数学が苦手だから、数学をわかりやすく教えてくれる塾にでも行こう」という発想で、他人に教えてもらう道を選んでいたら、苦手な数学が少しずつわかるようになるという勉強はできたでしょうが、上に述べたような大逆転はなかったと思います。
では、なぜ多くの人は、大逆転の可能な自学自習の方法を選ばずに、そこそこにできるようになる見込みがあるという程度の、人に教えてもらう勉強法を選ぶのでしょうか。
それは、自学自習で勉強を進めることに不安があるからだと思います。
だから、この不安のない状態で、自学自習の勉強を進めることができれば、それが最良の勉強法になるのではないかと思います。(つづく)
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勉強でも、仕事でも、確実な成果を上げるためには、ひとりで取り組むことが大切です。
みんなと一緒に仲よく楽しくということでは、そこそこの成果しか上げることはできません。
だから、受験勉強のような勝負をかけた勉強では、本人か、親か、家庭教師が、その子だけの勉強をするという体制で取り組むのがいちばんの理想です。
ただ、実際にはなかなかそういうことはできません。
そこで、今考えているのは、オンエア講座による生徒の独学のアドバイスです。
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公立中高一貫校の入試問題は、年々難化しています。
志望者が多いことに加えて、記述式の採点に時間がかかるので、難度を高くして受験を希望する生徒を減らす方向に進んでいるのだと思います。
その結果、小学6年生の生徒が普通に受験したのでは、到底受からないような試験内容になりつつあります。
解き方のコツを身につけなければ、短時間で対応できないような問題が増えているのです。
それは、ちょうど私立中学の入試問題と同じで、塾で受験対策をしなければ、実力だけで合格することは難しいというかほぼ不可能というレベルになっているのです。
受験勉強のマイナス面は、解き方のコツを詰め込むことが中心になることです。演習問題を大量にこなすことによって、短時間で解答できるような訓練をする勉強になっているので、その勉強に対応するためには、勉強以外のほかの時間を削らなければなりません。
小学校高学年という、読書も経験も多様にできる時期に、受験勉強の単調な生活をしなければならなくなるのがいちばんの大きな問題です。
確かに、子供はそれなりに、その受験勉強に適応します。一緒に勉強する友達がいて、両親が応援していれば、その生活に疑問を感じることなく、成績や点数の上がり下がりをゲームのような感覚で受け止めるようになります。
ところが、この受験勉強のためにつけた学力は、その後の中学、高校の勉強に生きてくるわけではありません。受験勉強は、パズルの解き方を身につけるような勉強ですから、受験に役立つだけで、その後の学力には結びつかないのです。
受験勉強が子供の役に立つのは、高校受験や大学受験の段階になってからです。中学3年生になれば、子供は自分の意志で受験勉強に取り組みます。だから、志望校に合格できてもできなくても、いずれの場合もその経験がプラスになります。
大学受験の場合は、それに加えて、高校までに学んだ知識を確実に身につけ直すという役割が受験勉強にはあります。だから、本当はAO入試のような方向に行かずに、しっかり受験する方が本人のためにはいいのです。
ところが、中学受験はそうではありません。自分の意志ではなく詰め込み勉強をした子供の中には、勉強とは人に言われたことをただ詰め込むものだという考えになってしまう子も多いのです。
すると、学年が上がるにつれて、勉強というものに飽きてきます。
本当は、高校生、大学生になって、考える勉強の楽しさに目覚めていかなければならないのに、大学での勉強もただ単位を取るためだけの勉強になってしまうのです。
では、なぜ中学受験をするのでしょうか。
それは、中高一貫の教育によって、効率のよい学習ができるからです。
中学生の間に高校の授業の先取りをし、高校2年生までに高校の全課程を終わらせれば、高校3年生では、大学受験に対応した勉強に専念することができます。
受験勉強は、1年かければ十分ですから、高校3年生で受験勉強だけする生徒と、高校3年生で高校3年生用の勉強をする生徒とでは、大きな差がつきます。
だから、多くの親は、小学校時代の詰め込み勉強のマイナス面を理解しつつも、中学受験を選択するのです。
しかし、私はこういうジレンマを脱却する、もっといい方法があると思っています。(つづく)
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今の中学受験の勉強は、かなり不自然なものになっています。
実力をつけるための勉強ではなく、特殊なパズルの解き方を身につけるような勉強で、しかも短時間で解く力を身につけるために、長時間の演習を必要とするようになっているのです。
更に、小学校3、4年生からやらなければ間に合わないという話をする塾も増えています。
常識で考えておかしいと思うぐらいですから、実際はそれ以上にかなりおかしい勉強の仕方をしているのだと思います。
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作文の勉強というものは、子供が小学校低学年の間は誰でもそれなりに教えることができます。
それは第一に、低学年のころは、その日にあったことがそのまま作文の題材になるからです。題材選びが簡単にできるのです。
子供たちは、毎回「今日のこと」というような題名で書いても飽きません。毎日が楽しい生活で、その生活自体が価値ある題材に思えるからです。
これが学年が上がり、小学4年生ぐらいになると、子供なりに他の人に読まれて価値あるものと思われるような題材を選びたいという気持ちが出てきます。すると、「書くことがない」という場合も出てくるのです。
言葉の森での作文課題は、小学2年生までは自由な題名、小学3年生以上は題名課題と感想文課題になっています。これは、それぞれの学年の子供たちの実態に合わせたものです。
低学年の子どもたちの作文指導がしやすい第二の理由は、このころの子供たちは、直すことがたくさんあるからです。
書かせて、間違いを直せば、それがそのまま指導のようなものになります。
しかし、これは作文の指導というよりも、原稿用紙の使い方と日本語の表記の仕方の指導にすぎません。
子供たちの作文指導が難しくなり始めるのが小学3、4年生ごろからで、本格的な作文指導になるのが小学5、6年生からです。
子供が5年生になると、考える力がついてくるので、子供自身よりよいものを書こうと思うようになります。すると、作文を書くことが急に難しく感じるようになってくるのです。
子供たちに自由に作文を書かせると、学年に応じて字数はどんどん伸びていきます。しかし、字数の伸びは小学4、5年生までで止まり、6年生になると、今度は字数が下がってきます。
それは、書く課題が難しくなるということもありますが、それ以上に、子供たちがよりよいものを書こうとして考える作文になるので、長く書けなくなるということなのです。
だから、小学1年生の作文は、この小学6年生の考える作文につながる形で指導されなければなりません。
言葉の森の作文指導では、小学1年生から勉強を始めた生徒が、高学年になり、更には中学生になり、高校生になるまで同じ先生のもとで勉強を続けることができます。
だから、最初は書くことが苦手だった子が、やがて楽に書けるようになり、考える力もついていくのです。
ところが、こういう先の流れまで意識しながら作文指導をしている教室はあまりないと思います。
小学生の作文教室は、小学生までで終了です。中学生までカリキュラムがあるとしても、実際には中学生まで続ける子は多くありません。まして、高校生まで指導できるカリキュラムがあり実際に高校生も指導しているという教室はほとんどないと思います。
小学1年生から3年生のころは、誰が教えてもそれなりに面白い作文が書けるので、それで問題がないように思ってしまうのです。
問題が出てくるのは、小学5年生で感想文の難しい課題が出てくるころです。
更に、公立中高一貫校の入試に出てくるような課題に取り組むようになると、書ける子と書けない子の差がはっきり出てきます。
学習塾などでは、このときの作文が書けない子に対する指導は、たぶんないと思います。もちろん、よく書ける子に対する指導もありません。
作文を書かせて、よく書けた作文とあまりよく書けていない作文を並べて、それぞれの生徒の努力でよく書けるようになれというような指導になってしまうことが多いと思います。
作文は、低学年のときは誰でも教えられます。しかし、高学年になると同じようには教えられません。
だから、学校でも、作文指導は低学年のときはよく行われますが、高学年になるとだんだん教えられなくなり、中学生や高校生になると、ほとんどの学校では全く作文の指導というものはなくなってしまうのです。
本当は、学年が上がるほど作文指導は大事になってきますが、実際は学年が上がるほど作文指導というものがなくなっていくのです。
習い事は6歳からという言葉があります。6歳のころから始めた習い事は、一生続けられるものになります。
だから、この小学校低学年の時期の習い事の選び方は、先まで続ける展望で選ぶことが大事です。
ただ小学1年生の子供を教えるのではなく、その子が小学校高学年になり、更には、中学生、高校生になったときのことも考えて教えていく必要があるのです。
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小学生の子供に作文を教えることは、普通の大人であれば誰でもできます。
しかし、数回は誰でも教えられても、1年も2年も続けて教えられるかといえばそういうことはありません。
更に、同じ子が中学生になり、高校生になっても教え続けられるかといえば、そういう指導ができる人はまずいないと思います。
しかし、作文の勉強は、学年が上がり考える作文を書くにつれて重要になってきます。
だから、小学校低学年のときから、そういう先の展望を考えて作文の勉強をしていく必要があるのです。
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