勉強は、ひとりでやるものです。
自分がやると決めたことを自分のペースで進めていくのが最も能率がいいからです。
だから、小学生でも、中学生でも、もちろん高校生以上は当然ですが、家庭で勉強する時間を長く確保している子ほど学力が高いのです。
逆に言えば、学校や塾や予備校に通って先生の講義を聴いている時間は、自分の勉強の前段階の時間、つまり勉強の準備の時間で、そのあと家庭でその授業を復習したり次の予習をしたりする時間が本当に勉強の内容が身につく時間です。
しかし、能率だけを考えていたのでは、人間というよりも機械に近い存在になってしまいます。
夜遅くまで学習塾で勉強している子供たちに、何が楽しいかと聞くと、塾の帰りの時間に友達とお喋りができることという言葉がよく返ってきます。勉強が楽しいから夜遅くまでがんばるのではなく、友達と一緒に帰れるからがんばっているのです。
人間はひとりで生きているのではありません。ひとりで勉強していても、その勉強を共有できる誰かほかの人がいなければ、ふと虚しさを感じることがあります。
通信教育という形態は、自分のペースで勉強できるので一見能率がよいように見えますが、長続きしない面があるのは、そのひとりでやるというマイナス面が出てくるからです。
しかし、同じ通信教育でも、言葉の森の作文通信教育は、ほかの通信教育と比べると提出率や継続率が高いと言われています。
それは、毎週、勉強を始める時間に先生からの電話説明があるからです。
これがもし、教材が送られてくるだけで、自分ひとりで勉強しその作文や答案を送り、赤ペンで添削が返ってくるというだけでは、だんだん張り合いがなくなってきます。
担任の先生とのコミュニケーションが電話という形で毎週あることが、勉強開始の励みになっているのです。
しかし、私は、実はこれでもまだ不十分だと思っています。
それは、中学生以上になり、勉強にも生活にも自分なりの融通がきく年齢になると、先生から電話があったあともすぐに勉強を始めるのではなく、「ちょっと一休みしてからやろう」とか、「今日は忙しいから明日やろう」とか、自分なりに理由をつけて後回しにしてしまう生徒が出てくるからです。
もちろん、本人はちゃんとやろうとは思っているのですが、後回しにしてしまうと、自然に開始することが億劫になります。勉強開始には、電話説明に加えてもう少し強制力があった方がいいということになるのです。
そこで、今行っているのが、オンエア作文です。
これは、自分が勉強している間の1時間、ずっと先生が一緒にいるという形の勉強です。もちろん、その間、先生はほかの生徒の指導をしていますから、その生徒につきっきりでアドバイスをするわけではありません。
しかし、電話説明のあとも先生が一緒にいるということと、その時間に勉強しているほかの生徒がいる(画面上でほかの生徒がいることも見られる)ということが、勉強を始める強い動機になっているのです。(言葉の森で勉強している生徒は、オンエア作文のオプションは無料)
このオンエア作文と同じ仕組でやっているのが、オンエア講座です。
例えば、小4~小6対象の思考国算講座では、公立中高一貫校の入試問題の主に算数と国語の勉強をします。
内容はかなり難しいのですが、更にその上、ただ問題に答えるだけではなく、自分で似た問題を作ったり、自分なりにオリジナルの感想を考えたりする勉強をします。
ところが、この自分なりに考える勉強を、もし家庭でひとりでやるとしたら、まず長続きしません。それは、作文を書く勉強と同じように、精神的エネルギーをかなり必要とする勉強なので、何か励みになるものがないと続けられないからです。
その励みになるものが、その勉強の時間を共有できる先生や友達がいることです。
下の動画は、オンエアの思考国算講座の一部です。勉強の時間の合間に、みんなが作った勉強の結果を紹介したり、それぞれの生徒が今読んでいる本を紹介してもらったりしています。
まだ生徒どうしは、互いに知り合いになっているわけではないので遠慮しているところがありますが、これが小1のころからずっとオンエア講座で一緒に勉強していて、夏合宿などでたまに会って遊ぶような機会があれば、もっと自由に交流する雰囲気が出てくると思います。
https://youtu.be/hjIuHnH1OdA
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答えのわかっている勉強で人よりいい点数を取っても、面白くも何ともありません。
自分らしい答えを見つけたり、問題を作ったりするから、勉強が面白くなるのです。
そして、それを共有できる仲間がいれば、勉強は更に楽しくなると思います。
これからの勉強は、答えを見つける勉強ではなく、答えを作る勉強になります。
それは、問題を作る勉強とも言えます。
そして、これからの勉強は、誰でも先生になれる勉強になります。
先生に必要なのは、教える知識ではなく、生徒を励ませる人柄なのです。
共に学ぶ仲間を意識しながら、集中できる環境は、ますますやる気につながりそうですね。
家にいながら、図書館で勉強しているような感覚ですね。
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なぜ小学校低中学年のときは、勉強よりも遊びが大切かというと、このころの遊びは、勉強よりもずっと頭を使うことが多いからです。
この時期に、学校の勉強に熱中する子がいたら、それはかえって将来が心配です。
勉強は、習慣がつけばよいだけで、そこでより難しいことまでできるようにする必要はないのです。
このころの勉強は、頭を使っているとはいっても、頭の一部を条件反射的に使っているものがほとんどで、創意工夫ということはほとんどありません。
だから、小学校低中学年のころは、勉強をさせる工夫をするよりも、遊びを創造的にする工夫をした方がよいのです。
創造的な遊びとは、現実と結びついた遊びです。空想的な面があってよいのですが、その空想を現実にあてはめられることが大事で、バーチャルな世界での経験というのは、ほとんどの場合、創意工夫の余地はありません。
多様な世界が提供されているので、創意工夫があるような気がするだけです。
現実と結びついた創意工夫のある、しかし、お金や時間のかからない遊びを考えていく必要があると思います。
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子供が小学校低中学年のころは、勉強させる工夫をするよりも、遊びを創造的にする工夫をする時期です。
勉強は、毎日の習慣がつけばいいだけですから、分量を少なくして、やることを決めれば、親が言わなくても自分で毎日勉強するようになります。
無理にたくさんやらせたり、難しいことをやらせようとしたりするから、なかなか習慣がつかないだけなのです。
遊びの工夫というのは、意外とおざなりにされています。
本当は、子供をいかに楽しく創造的に遊ばせるかということがもっと研究されていいのだと思います。
ただし、それは、お金をかけたり、手間をかけたり、特殊な技術を必要としたりするものである必要はありません。
この点で、おじいちゃんやおばあちゃんの知恵がこれから生きてくるのではないかと思います。
勉強の成果は目に見える形で表れるので、つい勉強の方を優先しがちですが、子供が遊びから得られるものは、目に見えないだけで、実は、子供の成長になくてはならない貴重なものなのでしょうね。
「勉強をさせる工夫をするよりも、遊びを創造的にする工夫」。
そういえば、娘が熱中していたデザイナーごっこ。裏紙などを使って、お洋服や靴を絵でかいて、それを組み合わせる遊びなのですが、飽きずに、色々なパターンを作っていたものです。もちろん既成のおもちゃでも同じようなものがあるのでしょうし、逆にそういうものを参考に作りだした遊びなのでしょうが、与えられたものでなく、自分で作りだすことの喜びがそこにあるのだろうなあと思っていました。
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