高木善之さんの本に、「反抗期は先進国にしか起こらない」と書いてあるのを見て、確かにそうかもしれないと思いました。
もちろん動物にも、自立期というものはあります。しかし、それは子供の側から反発して自立するというよりも、親が子供を追い出すような形で自立させるのが多いようです。
人間は逆です。親がなかなか子離れせずに、子供をいつまでも自分のコントロール下に置いておきたいと思ってしまうのです。それに反発するのが子供の反抗期です。
では、なぜ先進国で反抗期が起こるかというと、それは先進国の生活が不自然だからです。
特に不自然なのは教育ではないかと思います。
その中でも、更に不自然なのが入試問題ではないかと思います。
不自然な入試問題に対応できる力を身につけるため不自然なことをさせられている子供たちが、そういう不自然なことを要求する社会に対して反発するのが反抗期だと言ってもよいでしょう。
では、入試問題のどこが不自然なのかというと、問題作成の目的が、その子の人生や社会にとって有益なことが身についているかどうかを見るのではなく、受験する子供たちに点数で差をつけて選抜することに置かれているからです。
差をつけることを目的とした試験は、必ずその差を埋める努力で対策を立てられます。すると、差をつけることと、その差を埋める努力のいたちごっこによって、試験の内容は、本当に必要な学力をつけることからどんどん遠ざかっていってしまうのです。
これは、学校の入学者に定員がある以上、仕方がないことと思われてきました。
しかし、将来、この定員制というものはなくなっていくと思います。
それは、現在MOOCなどに見られるように、その勉強を希望する生徒は、世界中のどこからでも定員に関係なく、その勉強の優れた授業を受けることができるようになっているからです。
このネット型の勉強方法が広がれば、今の入りにくくて出やすい学校から、入りやすくて出にくい学校というものに変化していくと思います。
そして、「出にくい」というのではなく、自分の希望する出口から自由に出られるようになるのです。これを裏口卒業と言うかどうかはわかりませんが、本人が自分なりの目標を持って授業を受けるのであれば、その目標を達成することが卒業ということで全くかまわないのです。
未来の社会は、今よりももっと自然に近いものになっていくと思います。
しかし、当面、不自然な状況がある以上、親にできることは、子供の自由は意思決定を尊重する姿勢を身につけることです。
昔は15歳で元服でした。これは、年齢的にも妥当な時期だったと思います。今の学年で言えば、中学3年生あたりが子供の自立の始まりです。
親は、中学3年生を子供の自立の目標の時期として、その前から徐々に子供が自分の判断で行動することを認めてあげるようにしていくといいのだと思います。
入試で、記述式の問題を出すところが増えています。
理由はいろいろありますが、選択式の問題では、ある程度考えて読む力を身につけた生徒は、ほぼ全部正解になってしまうからです。言葉の森のセンター試験満点講座を受ければ、それがすぐわかります(もう募集はしていませんが)。
だから、選択式の問題で難しい良問を作るのはかなり大変です。センター試験の問題作成者は、よくがんばっていると思います。問題を解くことに比べたら、選択式の問題を作ることは何倍も(かかる時間でいったらたぶん十倍以上)難しいのです。
それに比べると、記述式は問題作成が簡単です。そのかわり、採点が難しくなります。
そして、記述式の字数が長くなると、採点はその字数の自乗に比例する形で難しくなってきます。
小論文の試験になると、採点者は読むだけで大変です。
高校入試の作文試験というものの中には、かなり短いものもあります。200字ぐらいのものでは、作文というよりも長めの記述試験と言った方がよいと思います。
これも、長い文章を書かせる形にすると、採点が難しいからとい事情があるからだと思います。
しかし、生徒の実力が最もわかるのは、この小論文なのです。
それも、1本だけでなく、複数の小論文をそれぞれ1200字以上書くような試験であれば、実力はかなりはっきり出てきます。だから、森リンで採点しても、人間の評価と同じような結果になってくると思います。
昔の東京大学の小論文が、一時そうなったことがあります。かなり長い小論文課題を複数書かせるよな問題でした。
しかし、やはり採点の負担が大きかったのでしょう。その方式は、長続きしませんでした。
記述式の問題が増えてきた背景には、以上の、(1)選択式では問題作成が大変なわりに、実力のある生徒はほとんどできてしまう、(2)小論文では生徒の実力はよくわかるが、多数の生徒を短期間で採点するのはほぼ不可能、ということがあると思います。
さて、この記述試験(大体が50字から150字程度)にどう対処するかです。
毎年、今ごろの時期になると、言葉の森の受験作文コースに、記述式の対策をしてほしいという要望が寄せられます。又は、ごく短い作文試験(という名前の実際は記述試験)を見てほしいという要望が寄せられます。
以前は、その対策をしたこともあるのですが、あまりにも簡単で、わざわざ1時間近く時間をかけて教える内容でもないので、記述式の対策は家庭でやってもらうことにしました。
教室で教える形であれば、週に1回だけになってしまいますが、家庭でやれば毎日でもできます。
記述式の試験は、やり方がわかっているだけでなく、書くことに慣れていることも大事なので、家庭で毎日できればその方がずっといいのです。
そのやり方は、こういう形です。
まず、教材は昨年度の国語入試問題集です。
その問題集の中の記述の問題を選んでももちろんいいのですが、ランダムにどの問題文でもよいから、その文章を読んで感想又は論旨を書く、というやり方の方が簡単だと思います。
文章を読むだけなら5分もかかりません。その上で、その文章に対する感想又は論旨を字数を決めて書くのです。その字数は、自分が受けようとする志望校の過去問の傾向に合わせておくとよいと思います。
この場合、大事なことは、
(1)読んで、考えて、一気に書くということです。書いている途中で考えたり、書いたあと消しゴムで消して直したりということはしません。頭の中で書くことを考えたら、一息で書くように練習するのです。
(2)一文の字数は、50字を平均としておきます。ですから、150字の記述であれば、3文でまとめるということになります。
(3)できるだけ字数ぴったりに書くようにします。50字の記述であれば、50字目の最後のマスに句点が来るぐらいに書きます。マス目がなく全体の枠があるだけならば、その枠に普通の字数でいっぱいまで書くようにします。
(4)説明文の場合は文章の輪郭がはっきりするように、物事を対比させる形で書いていきます。「AではなくBである」という形です。物語文の場合は文章の深みが出るように、物事の二重の面を浮き彫りにさせる形で書いていきます。「AでありながらBであった」という形です。しかし、これは難しければパスしてもかまいません。
さて、このように書いたあと、お父さんやお母さんはどう評価したらいいかというと、書かれた文章がスムーズに読めるように書いてあればいいということで見ておけばいいのです。
お父さんやお母さんも問題文を読んで、その記述が問題文に対応したものになっているかどうかを見られればその方がもちろんよいのですが、そういう評価の仕方を決めてしまうと、親の方が億劫になってきます。
大事なことは、毎日練習して書き慣れるということですから、苦労するのは子供だけでよく、親はその外側だけ見て、きちんと読めるように書いてあればそのことを褒めてあげるだけでいいのです。
このように毎日練習をしていると、書くスピードも上がり、読む力もつき、字数ぴったりにまとめる力もついてきます。
ですから、こういう勉強は普段から行えればいちばんいいのですが、実は記述の勉強や作文の勉強は、生徒の心理的な負担が大きいので、受験という目標がなければなかなかできません。
だから、受験をきっかけにして、家庭で記述式の勉強ができるというのはとてもよいことなのだと思います。