今日は、朝から静かな雨です。
つい先日までの夏の延長のような暑さとはうってかわって、急に秋が深まったようです。
――そういえば、セミの声も聞かなくなったなあ。
そんなことを思いながら雨雲の空を見上げていると、ふと昨日暗唱検定を受けた小学2年生の子の言葉が浮かんできました。
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル……」
――なるほど。そういう人ばかりになったら、社会はもっと穏やかで住みよいものになるだろうなあ。
――そして、そこにお祭り好きな人が加われば、穏やかでしかも楽しい社会になるだろうなあ。
そんなことをふと思ったのです。
――雨ニモマケズ 風ニモマケズ……。
日本語は、昔から言霊と言われるように、ただ意味を表すだけでなく、人の心を動かします。
それは、日本語の側ではなく、日本語を受け取る日本人の側に言葉によって心を動かされる要素があるからのようです。(「日本語人の脳」より)
小学校低学年のころから、こういう日本の文化を反映した詩や文章を音読し暗唱している子は、自然にそういう日本の感性が身についていくと思います。
そして、日本語は感性を豊かに表すだけでなく、論理の言葉も十分に表を力を持っています。
だから、世界中の書物が日本語に翻訳されているのです。
暗唱という教育方法は、昭和の初期まではかなり広く行われていたようです。
明治維新を担った若者の多くは下層武士階級でしたが、その人たちの教養のもとになっていたものも古典の暗唱文化でした。
この日本語の暗唱文化をもう一度復活させたいと思い、暗唱検定の仕組みを作りました。
そして、日本の古典にいろいろ触れてみると、日本には本当に豊かな文化資産があるのだということに改めて気付きました。
漢詩、論語、古事記、万葉集、古今集、百人一首、枕草子、源氏物語、平家物語、方丈記、歎異抄、花伝書、徒然草、奥の細道、五輪書、葉隠、和俗童子訓、言志四録……。
いつか、誰もが自分の好きな古典の一節を暗唱するような、そういう雰囲気の教室を作っていきたいと思っています。
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雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
――――
「雨ニモマケズ」
宮澤賢治
国語力をつけるということについて、途方に暮れてしまうお父さんお母さんが多いと思います。
国語と言っても、普段使っている日本語です。わざわざ勉強しなければできないなんておかしい思うのが普通です。
漢字が読めないとか書けないとかいうのであれば、知識の問題ですから原因がわかります。しかし、読解の問題ができないとか、記述が書けないとかいうことになると、普段読み書きしている日本語なのになぜできないのか、ということになるのです。
実は、子供は、読めないのでも書けないのでもありません。
正解になるような読み方、書き方ができないのです。
それは、国語の問題の正解というものが、その文章を深く読み、深く書くことを要求しているからです。
ということは、国語は、浅く読むことも深く読むこともできるということです。
日常生活では、日本語は浅く読み取っても十分に間に合うことがほとんどです。
浅い読み方と深い読み方にそれほど大きな差はないからです。
しかし、国語の問題にされるような国語の文章は、浅く読んだら×になり、深く読むときに初めて○になるようにできています。
もちろん、普通の学校の国語のテストでは、そのようにややこしい問題は出ません。
入試問題レベルになると、そういう問題が出てくるので、塾で勉強していると、国語ができないということが出てくるのです。
では、どうしたらよいかというと、いちばんの対策は深く読める難しい文章を読むことに慣れることです。
普段、子供が読む文章、本とか教科書とか雑誌とかいうものは浅く読めるようにできています。こういう文章をいくら読んでも、深い読み方はできません。
そうではなく、直接、入試問題に出てくるような文章を読むようにするのです。
難しい文章でも、全く読み取れないわけではありません。国語の読み取りは、何パーセント読めるかという濃度の問題ですから、グレーの範囲が人によって違います。
これが、算数数学などほかの教科の勉強と違うところです。
算数数学であれば、できるとできないはある程度はっきりしています。途中の計算式によって点数が加算されることはありますが、本質的にできたかできないかの問題になっています。
国語はそうではありません。読み取れる割合によって、易しいからわかる、難しいけどわかる、難しいからわからないという差が出てきます。この「難しいけどわかる」から「難しいからわからない」の間にもさまざまな中間域があります。
このわかる度合いは、難しい文章を繰り返し読むことによって次第に増えてくるのです。
場合によっては、個々の文を取り上げて、その意味を先生に聞くということもあります。しかし、基本はあくまでも自分で読み慣れるということです。
そのための練習法が、問題集読書です。
小学3年生までは、そういう無理をする必要はまだないので、ただ読書をしっかりしていればよいのですが、小学5年生ぐらいになると、入試問題集のような難しい文章を読む勉強が必要になってきます。
ここで、国語の勉強の有利さが出てきます。日本語の文章は、繰り返し読んでいれば、自然に少しずつわかるようになってくるのです。
では、国語が得意になっている人は、もう国語の勉強をしなくてよいのでしょうか。
入試に関して言えば、そうです。国語は、いったん読む力がつき問題を解くコツがわかれば、もう勉強をしなくても必ず一定の点数は取れるようになります。
だから、受験勉強は、入試で差がつくような、そしてあとからの追い込みで間に合うような教科を中心に対策をしていけばいいのです。
しかし、入試という目標を離れて考えると、国語の難しい文章は、入試問題よりももっと先のものがあります。
それは、大学生になってから読むような、日本や世界の古典です。
話は、個人的なことになりますが、私が大学生のときに読んで、難しいので読むのをあきらめた本は、ハイデッガーの「存在と時間」でした。それは、特に、それを読み切ろうという決心がなかったからですが、もしそういう決心があったとしても読んで理解するまでにはかなり時間がかかったと思います。
もうひとつ苦労して読んで、うっすらとしかわからなかったのが、ヘーゲルの「精神現象学」でした。全部読んだので、全体像は頭に入ったのですが、意味が取れないところがあまりにも多かったのです。
しかし、その後、フランスの哲学者イポリットの「ヘーゲル精神現象学の生成と構造」という本を読んで、初めて大体がわかるようになりました。大体と言っても、半分ぐらいだと思いますが。
このときに思ったのが、入門書が概論書というものは、原典とは全く違うものだということです。
「ヘーゲル入門」などという本はありますが、こういう本を読んでも教科書的な外側の知識がわかるだけで、ヘーゲルが考えた過程がわかるようなことはまずありません。だから、大学生の読書は、まず原典を(翻訳で)読んでみることです。
そして、私は、数年間このように難しい文章を続けて読んでいるうちに、普通の難しい文章が楽に読めるようになったのです。
つまり、難しい文章を読むことによって、普通の難しい文章が簡単に読めるようになったということです。
こういう経験があるから、国語力の本質は思考力にあるということがわかってきたのです。
日本では、国語の勉強は、文化的な情緒の面があまりにも強調されすぎています。
それは、もちろん国語のひとつの面ですが、国語の本質とは少し違います。
世界のそれぞれの国に共通するその国の国語の本質は、その国語で考える思考力なのです。
だから、国語の勉強は、国語的なものにとらわらず、幅広く難しい文章を読み取る力ということで考えていくとよいと思います。
そのためのいちばん手に入れやすい教材が、実際の入試問題です。
その入試問題を読む勉強法でいちばんやりやすいものが問題集読書です。
そして、その問題集読書を楽に続けられるのが、寺子屋オンエアでの毎日の音読になると思います。
ただし、家庭で確実に音読の習慣ができれば、それでも十分です。
言葉の森の作文課題集には、毎週の長文が載っています。それを、感想文課題でない週も含めて、毎日1編音読していくのです。
1200字から1600字の文章ですから、3分ぐらいで読み終える分量です。
これを毎日読んでいると、1週間同じ文章を読むことになりますから、途中で文章の一部は暗記するぐらいになります。それぐらい繰り返し読んでいると、そこに書かれている難しい語彙が自然に自分のものとなり、読み取る力がついてきます。
この長文音読が最も重要になるのが小学5年生以降です。それは、考える力がついてくるのが小学5年生からであり、課題の文章がこの時期から難しくからです。
小学4年生までは、そのウォーミングアップとして、毎日音読する習慣をつける時期と考えておくとよいと思います。
しかし、学校の勉強が忙しくなるのも、この小学5年生あたりからです。
そのため、夜に音読の時間をすることにしていると、いろいろな用事が重なって毎日読むことが難しくなります。
だから、小学校低学年のうちから、朝ご飯前に音読をするという習慣をつけておき、小学5年生以降の多忙な時期も音読の習慣だけは崩さないようにしていくといいのです。