(△本文とは関係ない写真ですが、立石海岸にいるゆめ)
言葉の森は1981年に開設され、教育分野のIT化をどこよりも先駆けて行ってきました。(前身の作文教室は1977年ごろ)
言葉の森では、1996年に初めてホームページを開設しました。当時、ホームページを持っている企業はほとんどなく、ヤフーの学習塾のカテゴリーで言葉の森が全国のトップを占めているような状態でした。
このころは、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスで、大学生が授業の中でホームページ作りが行われていることが先進的な取り組みとして新聞で話題になっていたような時代です。
言葉の森では子供たちの作文を生徒自身がパソコン入力することに取り組んでいましたが、当時は、駅の売店にワープロで文章を入力してくれるコーナーがあり、ワープロ入力が職業として成り立っていた時代でした。
その後、作文指導をより科学的にするために、当時アメリカで開発されていたeraterという自動採点ソフトの記事を参考に、PHPとMySQLと茶筅というソフトを利用して、日本語の小論文自動採点ソフト「森リン」を独自に開発しました。
これは、人間による評価とかなり相関が高く、2005年に国際特許を取得しました。(特許第4584158号)
しかし、その後、経営の仕事が多忙になったため、この自動採点ソフトの開発は一時休止しました。
近年、MOOCなどアメリカ発の教育のネットワーク利用が盛んになってきました。日本でも同じような教材のネット配信などの事業がいくつか立ち上げられています。
しかし、これらの教育のICT化は、結局世界規模で最も大きい数社の寡占状態になることが見込まれるので、今後の可能性はないと考えられます。
また、もう一つのICT化として、skypeなどを利用したグローバルなマンツーマンの英会話学習なども行われています。しかし、これは、高額なマンツーマン指導をグローバル化することによって低価格で提供できるようにしているだけなので過渡的なビジネスモデルと考えられます。
そこで、言葉の森では、これらの方向とは別に、少人数のグループ活動による生徒どうしの交流を活かした自学自習形式のネットワーク教育を目指しました。
今後のネットワーク利用は、独自のソフト開発よりも、クラウドサービスの活用になると考えられるので、まずfacebookなどソーシャル・ネットワーキング・サービスの活用に力を入れました。
また、googleハングアウトを利用して、10名以内の生徒指導の仕組みを寺子屋オンエアという名称で作りました。(寺子屋オンエアは登録商標)
今後、日本の社会に求められているものは、内需の拡大と考えられるので、ネットワークを利用した作文指導の講師養成講座「森林プロジェクト」を作り、全国にネットワーク教育を広げていく方向で取り組んでいます。
現在のネットワーク教育は、まだテキストと画像と動画の利用にとどまっていますが、今後バーチャル・リアリティ技術が進むと、身体的な教育もネットワークで行われるようになると考えられます。
最近、人工知能や深層学習が、一般にも利用できるようになってきました。
この深層学習の仕組みを見ると、これが自動採点ソフト「森リン」のより高度な開発に使えることがわかったので、今後、森リンの開発を再開していく予定です。
現在の見通しでは、大学入試の小論文採点のレベルまでは、この深層学習を取り入れた森リンで十分対応できるのではないかと考えられます。
現在、プログラミング教育が話題になっていますが、現在のプログラミング学習は、プログラミング言語の学習と同じようなものと考えられています。
しかし、このプログラミング言語の学習は、コンピュータの現在の計算速度を前提にした過渡的なものです。
今後、計算速度や記憶容量が量的に著しく拡大するようになると、現在のプログラミング言語は限りなく自然言語に近づいてくるようになります。
これは、これまでのプログラミング言語の発達の歴史を見れば誰でも推測できることですが、ITに詳しい人ほど現在の過渡的なプログラミング環境を今後も変わらない前提のように考えがちです。
したがって、将来のプログラミング教育は、言語を学ぶ教育ではなく、言語はどのようなものであってもよいので(場合によっては日本語でもよいので)、その言語によってビジョンを作る力を育てる教育に発展していくと考えられます。
現在のプログラミング学習においても、優れたプログラミングを書く人は、ただ言語をうまく使える人ではなく、何を作るかという大きな方向を考えられる頭のよい人になっています。
今後、この傾向は更に加速していくと考えられます。そこで、言葉の森では、作文教育と結びつけたプログラミング教育も開発していく予定です。
(補足というか蛇足)
作文教育という文学的なことをしているのに、なぜIT化のようなことに関心があるのかというと、私は高校生のときは理系の選抜クラスにいて数学が得意だったのです。
しかし、数学と物理の勉強自体はあまり好きではなく、特に物理は先生が好きでなく(ごめん)、いちばん好きだったのは立原道造や中原中也の詩集でした。
そして、そういう詩的なロマンチックな気持ちのまま、当時は花も好きだったので、絶対にここだと思って千葉大学園芸学部に入学しました。
しかしすぐに、自分が好きだったのは花の栽培のようなことではなく、ただきれいな花を見ることだけだったのだとわかり(遅い)、紆余曲折の上、作文教育に未来があると思って言葉の森を始めたのです。
日本でいちばん最初に作文教室というものを始めたので、苦労はいろいろありましたが、いちばんよかったことは、仕事の一環として好きな本をたくさん読めるということでした。もちろん、作文教育関係の本も、二百冊は読みました。
しかし、何だか脱線の多い人生だったような……いまだに(笑)。
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多くの人は、人工知能というものを過大評価しがちです。
人工知能は、単に答えを出すための知能です。
人間の知能は答えを出すための知能ではなく、希望を持って生きるための知能です。
人間は、答えを出したいから考えるのではなく(試験ではそういうこともありますが)、何かをしたいから考えるのです。
この「何かをしたい」ということが、人工知能と人間との決定的な違いなのです。
人工知能の発達が人間の仕事を奪うと言われていますが、それは何も問題がありません。
一時的、局所的にそういう事態は生まれますが、大きく見れば人間はより人間らしい仕事ができるようになるのです。
人工知能が本質的にできないことは、楽しく生きるということです。
だから、人間の仕事は楽しく生きることに結びついたものになっていくのです。
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(△水引草:高校生のとき、立原道造の詩集に、「水引草に風が立ち」と書いてあるのを見て、どういう草なのかと思っていました。だから、最初に水引草を見たときは、初めてなのに懐かしい気がしました。)
作文指導というものは、実はかなり難しいものです。
書けない子の原因はさまざまです。また、上手に書ける子も、どこを更に上手にできるかということは人によって違います。
そのように教え方の難しい作文指導を、言葉の森以外ではどう教えているのでしょうか。
多くの場合、多数の生徒に対する一斉指導の形で教えられています。
一斉指導をすれば、当然上手に書ける子がいます。しかし、それは指導をしなくてももともと上手に書けた子です。
そして、多くの子は上手に書けません。その子たちは努力不足だから上手に書けないのではありません。上手に書く力がまだないから書けないのです。
しかし、教える側の先生は、同じように教えて、上手に書ける子がいるのだから、上手に書けない子は本人のせいだと思ってしまうのです。
もちろん、赤ペンによる個別の添削はあるかもしれません。しかし、赤ペン添削を見て上手に書けるようになる子は一人もいません。赤ペン添削で上手になるのは少なくとも高校生以上になってからです。
だから、上手に書けない子が、先生のところに相談に行ってもまず具体的なアドバイスはありません。
また、上手に書けている子が更に上手に書くにはどうしたらよいかという相談に行っても、なおさら具体的なアドバイスはありません。
つまり、指導と評価が結びつかないような指導が延々と行われているのです。
言葉の森の作文指導は、こういう一斉指導+事後の赤ペン添削とは正反対のものです。
言葉の森の指導は、個別指導+事前の電話説明です。
ひとりひとりにその生徒に応じた難しさで事前に説明をして書いてもらうのです。そして、評価はその事前指導に基づいて行います。だから、褒める評価が多いのです。
言葉の森の作文は事前指導ですから、当然生徒の側も事前の準備が必要です。
準備といっても大したことではありません。あらかじめ課題の長文を読んで内容を理解し、その上で親子でそのテーマについて話をしておくことです。
言葉の森の小3以上の課題は、題名課題と感想文課題です。感想文課題の場合は特に、自分なりの体験と結びつけて内容を理解しておくことが必要です。だから、親子でそのテーマについて話をしておくことが大事なのです。
それさえできていれば、誰でも難しい課題に取り組むことができ、上手に書けるようになります。
たまに、ヤフー知恵袋などの掲示板で、「言葉の森はどうですか」「うちの子には役に立ちませんでした」などという応答が書いてあることがあります。
普通、こういうことをわざわざ書くのはよほど暇な人です。多くの場合、こういうネガティブなやりとりはライバル企業の手によって行われているものです。どことは言いませんが(笑)。
というのも、言葉の森では、うまく書けない子の相談にはいつでも乗っているからです。
そして、もし本当に言葉の森の指導でうまく書けなかったという場合、その子はどこで教えてもらってもうまく書けるようにはなりません。
なぜなら、うまく書けるようにならなかった原因は、家庭における事前の準備(といってもただ課題を読んで親子で話をするだけです)がなかったからです。
そして、特に苦手な子の場合は、こちらで指示している毎日の読書や音読ができていない場合がほとんどだからです。
その毎日の読書や音読についても、寺子屋オンエアなどで容易にできるようにしていますが、それもせずに、家ではできないという人もいるのです。
言葉の森は、30年以上子供たちの作文を見てきました。
中には、どうしようもなく書けない子もいました。学校では全く書けないという子もよくいました。
また、反対に最初から最初から上手に書ける子もいました。
よく書ける子は、小学生新聞で年間盾賞をもらったり、全国の作文コンクールで選ばれたりしました。また、大学入試でも、東京大、京都大、早稲田大、慶応大などに多くの生徒が合格しました。
そういう苦手な子から得意な子まで、何万人もの生徒をそれぞれの生徒に応じて個別指導をしてきたのです。
だから、言葉の森で作文の勉強をしている人は、安心して決められた課題に取り組んでいってください。
そして、毎日の読書と音読と事前の準備をして、電話のあとすぐに始めるように心がけてください。
もしすぐにできない日があって課題がたまってしまったら、まとめてやろうなどとは思わずに新しい課題だけに取り組むようにしてください。
言葉の森では、今度、毎週土曜日に、保護者のオンエア相談コーナーを設けます。
当面は、受験作文コースという切実な課題に取り組んでいる生徒の保護者を中心に行っていきます。
もし、苦手でうまく書けないとか、上手に書けるがもっとうまく書きたいという要望があれば、こういうオンエアコーナーでご相談いただければと思います。
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本文の内容とは全然関係ありませんが(笑)、写真は、三浦半島の最高峰大楠山、標高241mに咲いていた水引草。
立原道造の詩集に、水引草とかワタスゲとか萱草(わすれぐさ)とかいう植物の名前が出ていて、また、そのころ秋のススキの中に咲いていた紫色の野菊の花があまりにきれいだったので、それで千葉大学園芸学部に行くことにしたのです。
でも、入ってみたら、自分は植物を観念的に好きだっただけだということがわかりました。それで、紆余曲折の末、言葉の森を始めたのです。
同じ園芸学部の中には、小黒君のように道端のどんな植物でも名前を知っている本当に花好きの人がいました。先日同窓会をやったら、みんなそれぞれ植物に関係のあるようなことをしていました。えらいなあ。
入会したときはとても苦手だった生徒が、1年後には新聞に掲載されるようになったというケースもあります。体験学習のときに全く書けなかったのが嘘のようです(笑)。
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