昔から、作文が苦手な子というのはいました。しかし、その数はそれほど多くはありませんでした。
ところが、最近作文が苦手だからという理由で、言葉の森に問い合せをしてくる人が増えています。
子供たちの作文力は、昔も今もそれほど変わっていません。
では、なぜ作文が苦手だという子が増えたのでしょうか。
それは、逆説的なようですが、作文を教えられる機会が増えてきたからなのです。
作文が苦手だという子には、共通点があります。それは、学校や塾で作文をよく教わっていることです。
それも、先生が熱心なほど苦手になる子が増えるのです。
反対に、自分で作文が好きだとか得意だとかいう子もときどきいます。
そういう子は、学校で作文の授業がほとんどないのが普通です。
つまり、作文は、教えられる機会が増えるほど苦手になってくるのです。
この理由は、はっきりしています。
子供たちが作文を書けば、どんな子でもどこかしらに欠点があります。
句読点がおかしかったり、主語と術語がねじれていたりするのはどの子も普通にあります。
厳しく見れば、同じ表現を繰り返していたり、言い回しが不適当だったりすることも、作文の欠点のうちに入ります。
すると、文章力に自信のある先生ほど、その欠点をそのまま指摘してしまうのです。
もし、作文の欠点を指摘して、それでその子の作文の欠点がなくなるなら、日本中の子供たちはみんな作文が得意になっているはずです。
しかし、作文に現れた欠点は、その子の日本語生活という土台から来ているものですから、口で言っただけで直ることはないのです。
ところが、集団指導をしている先生は、そのことに気がつきません。
同じことを指導して、一方の子はできて、他方の子ができないとなると、それはできない子の努力不足だと考えてしまうのです。
では、作文の苦手な子には、どういう指導をしたらいいのでしょうか。
それは、その子の実力にあったことを事前の個別指導をするしかありません。
その子が努力すればすぐにできることだけに絞って指導し、すぐにはできないことは指導からはずしておくのです。
指導からはずしておくのですから、それはできなくてもかまいません。
できることだけをしっかり書けばいいので、子供は安心して書き出せます。
そして、指導したことがそのとおりにできたら、先生はそれをたっぷり褒めてあげることができます。
言葉の森の個別指導はこういうやり方ですから、作文が苦手だという子もすぐに書けるようになります。
子供の作文を見て注意するだけであれば、普通に文章を書ける大人であれば誰でもできます。
しかし、その注意によって、子供は上達するどころか、作文に対する苦手意識を持つだけになることが多いのです。
では、作文はただ褒めればいいのかというと、それも違います。
何を書いても褒められるだけであれば、上達もしないし、意欲もわかなくなります。
注意することでも、褒めることでもなく、作文指導のカリキュラムに沿って科学的に指導していくことが大切なのです。
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作文が苦手な子が増えているのは、作文を教わる機会が増えたからです。
それは、受験で作文試験を課すところが多くなってきたために、学校も塾もそれに対応するようになってきたからです。
作文は、教えられる機会が増えるほど、苦手な子が増えてくる不思議な勉強なのです。
作文力は、氷山の表面に見えているごく一部です。
その底には、日常の日本語生活の大きな土台があります。
作文添削は、その目に見える表面だけを削っているようなものですから、いくら添削しても上達はしないのです。
作文の勉強の基本は、第一に読む力をつけること、第二は焦点を絞った事前指導をすること、第三はできたところを褒めること、です。
娘が中学生になり、作文に対して再びやる気を失っています。原因は、学校の先生による評価に仕方にあるようです。
娘の通う地元中学では、行事の後に作文を書かされます。そして、教師が「優秀」と認めたものは学年だよりなどに掲載されます。掲載された「優秀」作文にはある共通点が見られます。事実とは異なる、パターン化した美談であるということです。
子どもが自ら悩み考えたことを作文に書いても認められません。教師は事実をありのまま見ることをせず、自分が見たいことを見たいようにしか見ない傾向があります。いじめが起きていても、「我がクラスにはいじめはない」と思い込むのと同じだと言えます。
何につけてもそういった評価の下され方をされるので、教師の前でうまく取り繕うことが上手な生徒のほうが評価されてしまいます。評価されたいなら嘘をつけばよいと娘に言うこともありました。世の中をうまく生きていくには確かに必要なのですが卑怯なことをすすめているようで心苦しく、また、正直ものの娘にはとうてい受け入れがたいことです。そういったことの繰り返しで、中学になってから、主観的評価になりがちな作文に関して特にやる気を失っています。
また、多くの子どもたちが、嘘がうまくなっていきます。小学校時代は素直な作文を書いていた子も、どんどん嘘つきになっていきます。このような学校教育の在り方に、改めて危機感を抱きます。
学校教員のすべてがこのような傾向を持つとは思いませんが、ある一定数いるのは確かです。本人のやる気を再喚起していく方法を模索中です。
お返事遅れてすみませんでした。
これは、学校の評価の仕方もあると思いますが、子供の年齢的なことが大きいと思います。
小6から中2にかけては、読解力と作文力が一生のうちで最も乖離する時期で、読む力があるほどには書けないという状態が続きます。
だから、自分の書く作文が自分で見て上手には思えないので、どの子も作文が苦手になりやすいのです。
しかし、作文の評価というのは曖昧なところがありますから、身近な人がその子の作文のいいところを褒めてあげると、それが自己評価になります。
学校の評価などは、内申点があろうがなかろうが、長い人生から見たら何にも影響しません。評価など気にせずに自分らしいことを書いていけばいいです。
損をしても正直な生き方をする方が格好いいと言っておくといいと思います。
お忙しい中お返事ありがとうございました。
受験が視野に入ってくる時期、母親の立場になると、どうしても大事なことを忘れがちになります。
「長い人生から見れば」
はっとしました。
長く生きている大人だからこそ、学校の評価なんて気にしなくていいと自信を持って、子にアドバイスすべきですよね。
親という生き物は・・・苦笑。
子どもをもっと褒めるように努力します。
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小学生時代は、頭も体もぐんぐん成長する時期です。
この時期に、頭をよくし、体を丈夫にするのが、子供の教育の基本です。
頭をよくするためには、好きな本をたっぷり読むことです。
体を丈夫にするためには、体を使ってたっぷり遊ぶことです。
勉強は、学校でしているから、それで十分です。
家では、遊びと、お喋りと、読書と、それからちょっとだけ学校でしたことの復習です。
本さえ読んでいれば、子供の頭脳はしっかり育ちます。
それ以外は、本当は何もしなくてもいいのです。
これは決して極端な話ではなく、数十年前の子供はみんなそうでした。
学校から帰ると、すぐにランドセルを家の中に放り投げて、走って遊びに行きました。
そして、夕方の食事の時間までたっぴり遊んでいたのです。
昔は、本は今ほど豊富にはありませんでした。
しかし、たまに買ってもらう本や、月に1回届く雑誌などが子供の読書の喜びで、同じ本を何度も繰り返し読みました。
そして、この遊びと読書で、みんな立派に成長し、学校を卒業して、立派な社会人になっていったのです。
先日、私立の小学校に通っている子に聞いた話に驚きました。
家では勉強が忙しいから、本は学校の行き帰りの電車の中でしか読めないというのです。
また、こういう子もいました。
読書は、朝の10分間読書で学校でやっているから、家ではやらなくていいことにしているというのです。
それで、家では勉強をしているというのです。
勉強は、小学生のころの子供にとって決して面白いものではありません。
勉強が面白くなるのは、もっとあとの高校生以上になってからです。
読書は、子供にとっては遊びと同じように面白いものです。
だから、読書はいくらしても無理がないのです。
中学生、高校生になり、勉強がよくできるようになる子は、小学生時代に読書をたっぷりした子です。
だから、子育ての基本は単純です。
子供を読書好きにすればいいのです。
もうひとつついでに、言葉の森の立場で言うと、読書と作文を好きにしていけばいいのです。
しかし、それも楽しくさせることが絶対の条件です。
ただし、読書さえしていれば、漢字の書き取りも計算の練習もよくできるようになるというのではありません。
読書している子は、勉強が必要になったときにすぐ追いつくことができ、すぐに追い越すぐらいになるということなのです。
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なぜ昔の子が家では勉強をしなかったかというと、問題集やプリントが今のように簡単に手に入らなかったからです。
(今は、塾から消化し切れないほどのプリントが渡されますが)
それで、同じ本を繰り返し読んで頭脳を成長させていったのです。
学力の基本は今も変わりません。
問題を解くことによってではなく、本を読むことによって、子供は成長していくのです。
うちの子2人が、家でやっていたのは、読書と音読と作文だけ。
塾にも予備校にもどこにも行きませんでした。
それで、小中高と楽しく学校生活を送り、全く問題なかったのです。
今の子供たちは、早期からの塾通いに健気に耐えていますが、本当はもっとたっぷり遊びたいはずです。
遊ぶことと同時に大事なのは読書。
言葉は悪いですが(笑)、これまでの経験上、大化けするのは、勉強ばかりしている子供ではなく、読書ばかりしている子供です。
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