子供の作文を、言葉の森を始めたときからずっときれいに保存していてくださる保護者の方がいます。
今の原稿用紙スタイルは、散逸しやすいので、ファイルをしておかないとばらばらになってしまいます。
だから、本当は、みんなにそうしてもらいたいのですが、毎週のことになるとつい後回しになってしまうことも多いと思います。
そこで、清書だけはテキスト化して、ウェブにアップロードしておくことをおすすめしています。
テキスト化して保存しておくと、子供が小さいころからの成長の記録がずっと残ります。
すると、成長の過程で語彙が豊富になっていくことがよくわかるのです。
その成長も一直線ではなく、いろいろなところで停滞があったり進歩があったりということがわかります。
作文の勉強というものは、テストの点数のように上達が目に見える評価がないので、長くやっていると飽きることも出てきます。
そういうときに、自分の作文の蓄積を見ると、進歩のあとがわかるのでやる気を取り戻すことが多いのです。
小学3年生になると、学校でローマ字を習うので、自分でパソコン入力ができるようになります。
アルファベットを教えるだけなら、小学1年生からでもできるので、もっと早くからパソコン入力をすることもできます。
しかし、せっかくパソコン入力した作文が増えても、そのままではまだバラバラです。
そこで、今考えているのは、kindleのセルフパブリッシングを利用して本という形にしておくことです。
テキストだけでなく、そのときの画像などもカラフルに入れられるので、子供にとっていい思い出になります。
これからは、子供だけでなく、お父さんやお母さんも、自分の個性を生かしてセルフパブリッシングをする機会が増えてくると思います。
日常的な記録であれば、ブログやfacebookに記事を投稿する形でいいのですが、本格的なまとまったことを書こうとすれば、やはり形として残るものにしていく方がいいのです。
そこで、言葉の森では、これから子供たちの記録をkindleのセルフパブリッシングで作品集にする企画を考えています。
これまで、プレゼン作文発表会をしたり、作文検定をしたり、作文の勉強を形のあるものとして生かす工夫をしてきましたが、今度はそれにkindle作品集の企画も加えていきたいと思っています。
【追記】
タッチタイピングに慣れるためには、自分の好きな歌を一曲歌いながら、その歌詞を入力する練習をすることをすすめています。
このやり方で毎日10分でもタッチタイピングの練習をしていると、すぐに手書きよりも早く打てるようになります。
しかし、書く過程はパソコン入力でいいのですが、考える過程には手書きが必要なので、構想図を書くときなど手書きの部分は残しておくことが大事です。
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日本には、万葉集という庶民が詩を書いた伝統があります。
同じように、これからkindleのセルフパブリッシングという庶民が本を書く文化が生まれてくるのではないかと思います。
これを子供たちの作文の作品集として作っていくことを考えています。
昔は子供たちの文集を作るとなると、文字だけで、モノクロで、手間がかかって、コストもかなりかかりました。
これからは、電子書籍の文集になるので、個人別の作品集が、カラフルな画像も入れて、ほとんど無料でできるようになります。そして、田舎のおじいちゃんおばあちゃんも、孫の作品集をすぐにスマホで見られるようになります。
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学力と成績は、同じもののように思われるかもしれませんが、ここで言う学力とは学ぶ力のようなもので、まだ成績として表れているとは限らない潜在的な学力です。
学力の根本は、日本語の力によって養われます。というのも、人間は言葉によって物事を理解し、言葉によって考えるからです。
だから、言葉を豊富に駆使できる人は、理解する力も、思考する力もあるのです。
同じ物事を見る場合でも、言葉のストックが豊富にある人は、その物事をより高い解像度で見ています。言葉のストックが少ない人は、より低い解像度で見ています。
同じものが同じように見えるのですから、差があることはなかなか自覚できませんが、そこにはやはり差があります。
料理の味でも、舌の肥えた人とそうでない人との差があるように、言葉による理解も言葉の肥えた人とそうでない人の差があるのです。
言葉のストックを豊富にするものは読書です。
読書には質と量がありますが、まず量を確保することが先です。
本をたくさん読んでいれば、自然に語彙が豊富になり、その語彙を自分で自由に使えるようになります。
作文力の土台も、読書力です。
作文を作文の上だけで上手にすることはできません。
それは、根っこを育てないでいて、花だけを大きく咲かせようとするようなものです。
まず根っことなる読む力をつけることが基本なのです。
読む力がある子は、潜在的な学力を持っています。
成績を決めるのは、勉強の有無ですから、学力がある子が必ずしもその学力に比例して成績がいいわけではありません。
しかし、読む力があり、学力がある子は、いざ勉強が必要になり勉強に取り組むようになると、すぐに成績を上げることができるのです。
成績は、勉強の時間に比例します。
勉強の方法というのももちろん成績に影響しますが、もとになるのは勉強の量です。
特に、低学年のときほど、勉強の量はそのまま成績に表れます。
だから、成績のいい子は、よく勉強をしている子なのです。
成績は点数として表面に現れるので、誰でも関心を持ちます。
成績がよければ安心し、成績が悪ければ不安になります。
しかし、本当に関心を持たなければならないのは、学力の方です。
では、学力と成績は、どこで見るとよいのでしょうか。
学力と成績の違いは、漢字の力に表れます。
学力のある子は、漢字の読みがよくできます。その学年ではまだ習っていない漢字についても読みだけは知っているという子が多いのです。
しかし、漢字の読みがよくできる子が、漢字の書きがよくできるとは限りません。
漢字の書きは、書き取りの勉強量に比例します。
だから、成績は漢字の書きに表れると言っていいのです。
両方できるのが、もちろんいちばんいいのですが、大事なのは読む力の方です。
読む力のある子は、書く勉強を始めればすぐに書く力もついてきます。
しかし、その逆はありません。
だから、読む力は読書量によって独自に育てていく必要があるのです。
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子供は本さえ読んでいればいいというのは、読書が学力の土台になっているからです。
読書さえしっかりしていれば、小学校での勉強は、漢字の書き取りと計算の練習だけやっていればそれで十分なぐらいです。
作文の試験が多くなったのは、作文力は読書力に比例し、読書力は本当の学力に比例していることがわかってきたからです。
反対に、教科の成績は勉強時間に比例しているので、成績のよい子は勉強をよくしてきた子だということはわかりますが、そういう子が必ずしも高い学力を持っているわけではないということもわかってきたからです。
「生きる力」・「考える力」というのは、結局読書量に比例するということ。
高学年になると、授業時間数も宿題も増えるけれど、読書はしっかりと。生徒さんのご両親にもしっかりお伝えしていきたいです。
読書をしている子は、語彙力も豊富ですね。
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