言葉の森の通信教育を受けている生徒の保護者の中には、「勉強で習っているのは言葉の森だけです」という方がときどきいます。
実は、我が家もそうでした。
勉強は、学校でしていれば十分で、家でやる勉強的なことは読書だけでいいと考えていたのです。
言葉の森をやっていると、そのための自習があります。
それは、毎日課題の長文を読むことです。と言っても、千数百字の文章ですから、音読で3、4分です。これを毎日していました。
音読を聞くともなしに聞いていると、ときどき読み間違いがあったり、子供から言葉の意味について質問があったりします。
そこで、長文の内容についていろいろ話をします。
普通、親と子が話す内容は、日常生活のあまり意味がないものが多いと思いますが、長文をもとに話をすると、話の内容がかなり知的なものになります。
その中で、親の体験談を話したり、長文から少し脱線した別の話をしたりしました。
人間の頭脳は、言葉のインプットによって複雑になっていきます。
ドリルを解くような勉強をしても、小学生の間は、習ったことを繰り返して身につける条件反射的なものが多いので、考える力は対して育ちません。
それに比べると、親子の知的な話し合いは、楽しくできて、しかも考える力がつく、最良の勉強的なものなのです。
この音読も、言葉の森を習っていて、毎週一回作文を書く勉強があるから続けられることで、もし音読だけを単独で家庭学習としてやろうとしても、なかなか続けることはできません。
今は、学校でも音読の宿題を出すところが増えているようです。
しかし、この学校の音読は、読む文章が易しすぎ、読む繰り返しの回数が少なすぎるように思います。そのため、音読をもとに親子で知的な対話が始まるということもあまりないのではないかと思います。
言葉の森の音読でなぜ対話が特に必要になるかというと、その音読した長文をもとに感想文を書く課題があるからです(小3から)。
感想文のポイントは、自分の体験に結びつけて考えることにあります。そのためには、長文に関連した体験を考えなければなりません。しかし、子供の人生経験は短いので、親の経験談を聞かなければ、なかなか自分の体験と結びつけることができないのです。
そのかわり、親の話を聞いてくると、実例も増えるし、語彙も増えます。こういう蓄積が、公立中高一貫校の作文課題などでも自然に生きてくるのです。
言葉の森で作文を週1回書き、長文音読を毎日続けていると、勉強の流れができます。
ここに、毎日の読書を組合せれば、家庭学習の中身はこれで十分です。
そして、最近は、ここに暗唱検定や寺子屋オンエアのオプション学習も組み合わせられるようになりました。
暗証検定は、1回の検定料が540円です。
この暗証検定を目指して、毎日10分暗唱の勉強ができるというのは、家庭学習にとって大きなメリットになると思います。
また、寺子屋オンエアは、1時間オンラインで自学自習ができるシステムです。
家庭学習を、ほかの生徒と一緒にでき、しかも最後の10分に先生との話があるので、ひとりでやる家庭学習よりも励みになります。これも、料金は1日1時間1404円ですから、塾に行くよりもずっと割安で、しかも自分のペースで勉強ができます。
言葉の森では、このほかに、今オンエア講座という形で、先生の授業を聞いて勉強するようなオンラインの講座も開いています。
これらを組合せれば、家庭での勉強は言葉の森だけでいいという傾向はますます強くなっていきます。
ときどき、言葉の森の受講料8434円(小学生)は高いと思われる方がいますが、こういう家庭学習の中心として言葉の森を活用すれが、全く高いということはありません。
それよりも、安いと言われる作文の通信教育をやって、子供が作文が苦手になれば、そのマイナスの方がずっと大きいのです。
作文の勉強というものは、独学や家庭学習ではまずうまく行きません。
また、作文を教える教室もあるかもしれませんが、そこで小1から高3まで作文の勉強が続けられるようなところはまずないありませんし、また苦手な子が楽しく通えたり、中高大の受験作文まで対応できたりするところもまずないと思います。
自宅で作文の練習ができて、先生から毎週の電話指導があり、オプションの学習もできるという点で、言葉の森を家庭学習の中心にすれば、いろいろなことがうまく回っていくようになるのです。
海外に住んでいると、だんだん日本語の勉強がおろそかになって行きます。親の言うことは聞かなくても、先生から電話があるとヤル気が出るのではないか、と思いました。
日本では長らく、作文教育は文学的な教育の一部として行われてきました。
小学生のうちから私小説の作家を育てることがゴールになるような雰囲気で作文指導が行われてきたのです。
もちろん、そういう生活作文的な作文指導も必要です。
そして、小学生は、そのような事実中心の作文からスタートしていくのが自然です。
しかし、作文教育の目標は、小説家を育てることではありません。
将来、社会に出て、自分の言いたいことを文章でしっかり表せる人になることが目標です。
そして、その上に更に、文章を書くことによって創造的な考えを生み出せるような人になることが目標なのです。
創造性を育てることについて、簡単なノウハウはありません。
しかし、少なくとも、教える先生がゴールは創造性にあるということを自覚していることが必要です。
受験に合格する作文ということも、もちろん一時的には目標になりますが、作文を教える先生は、その先の目的も自覚しておく必要があるのです。