(放生図。
インターネットミュージアムより)
同じものを見ていても、それをどう感じているかは、この子の言葉の網の目の細かさによって変わってきます。
日本語には、同じようなものを表すのにも、さまざまな微妙な表現があります。
ただ生きていくだけであれば、言葉の種類はそれほど多くは必要ありません。
しかし、文化的に生きていくためには、使える言葉の種類は多いほどよいように思います。
10ヶ国語を操れるピーター・フランクルさんは、これまで習った言葉のうちで日本語がとても難しかったと言っていました。
その理由は、日本語は語彙が豊富だったからだそうです。
私も今日、「放生(ほうじょう)」という言葉を初めて知りました。^^;
新聞に、「放生図」(狩野永泰)という絵が出ていて、初めて見る言葉だったので調べてみたのです。
コンピュータが教育に使われるようになると、ビジュアルな説明で理解を助けるような工夫が行われます。
それはそれでいいのですが、言葉を使って表すという遠回りをせずに、ビジュアルに直接理解できるようにすると、それはかえって人間を野蛮にするような気がします。
放生などという言葉も、画像で見れば一目瞭然です。
しかし、言葉で理解するからこそ、より深い本質が自分のものになります。
不自由な言葉を使うからこそ、人間はより人間らしいものの見方や感じ方ができるのです。
子供の教育についても、語彙の豊富な子を育てていくことが、教育の基本になると思います。
そのためにも、読書と作文を組み合わせた勉強に力を入れていくといいのです。
言葉の森の通信教育を受けている生徒の保護者の中には、「勉強で習っているのは言葉の森だけです」という方がときどきいます。
実は、我が家もそうでした。
勉強は、学校でしていれば十分で、家でやる勉強的なことは読書だけでいいと考えていたのです。
言葉の森をやっていると、そのための自習があります。
それは、毎日課題の長文を読むことです。と言っても、千数百字の文章ですから、音読で3、4分です。これを毎日していました。
音読を聞くともなしに聞いていると、ときどき読み間違いがあったり、子供から言葉の意味について質問があったりします。
そこで、長文の内容についていろいろ話をします。
普通、親と子が話す内容は、日常生活のあまり意味がないものが多いと思いますが、長文をもとに話をすると、話の内容がかなり知的なものになります。
その中で、親の体験談を話したり、長文から少し脱線した別の話をしたりしました。
人間の頭脳は、言葉のインプットによって複雑になっていきます。
ドリルを解くような勉強をしても、小学生の間は、習ったことを繰り返して身につける条件反射的なものが多いので、考える力は対して育ちません。
それに比べると、親子の知的な話し合いは、楽しくできて、しかも考える力がつく、最良の勉強的なものなのです。
この音読も、言葉の森を習っていて、毎週一回作文を書く勉強があるから続けられることで、もし音読だけを単独で家庭学習としてやろうとしても、なかなか続けることはできません。
今は、学校でも音読の宿題を出すところが増えているようです。
しかし、この学校の音読は、読む文章が易しすぎ、読む繰り返しの回数が少なすぎるように思います。そのため、音読をもとに親子で知的な対話が始まるということもあまりないのではないかと思います。
言葉の森の音読でなぜ対話が特に必要になるかというと、その音読した長文をもとに感想文を書く課題があるからです(小3から)。
感想文のポイントは、自分の体験に結びつけて考えることにあります。そのためには、長文に関連した体験を考えなければなりません。しかし、子供の人生経験は短いので、親の経験談を聞かなければ、なかなか自分の体験と結びつけることができないのです。
そのかわり、親の話を聞いてくると、実例も増えるし、語彙も増えます。こういう蓄積が、公立中高一貫校の作文課題などでも自然に生きてくるのです。
言葉の森で作文を週1回書き、長文音読を毎日続けていると、勉強の流れができます。
ここに、毎日の読書を組合せれば、家庭学習の中身はこれで十分です。
そして、最近は、ここに暗唱検定や寺子屋オンエアのオプション学習も組み合わせられるようになりました。
暗証検定は、1回の検定料が540円です。
この暗証検定を目指して、毎日10分暗唱の勉強ができるというのは、家庭学習にとって大きなメリットになると思います。
また、寺子屋オンエアは、1時間オンラインで自学自習ができるシステムです。
家庭学習を、ほかの生徒と一緒にでき、しかも最後の10分に先生との話があるので、ひとりでやる家庭学習よりも励みになります。これも、料金は1日1時間1404円ですから、塾に行くよりもずっと割安で、しかも自分のペースで勉強ができます。
言葉の森では、このほかに、今オンエア講座という形で、先生の授業を聞いて勉強するようなオンラインの講座も開いています。
これらを組合せれば、家庭での勉強は言葉の森だけでいいという傾向はますます強くなっていきます。
ときどき、言葉の森の受講料8434円(小学生)は高いと思われる方がいますが、こういう家庭学習の中心として言葉の森を活用すれが、全く高いということはありません。
それよりも、安いと言われる作文の通信教育をやって、子供が作文が苦手になれば、そのマイナスの方がずっと大きいのです。
作文の勉強というものは、独学や家庭学習ではまずうまく行きません。
また、作文を教える教室もあるかもしれませんが、そこで小1から高3まで作文の勉強が続けられるようなところはまずないありませんし、また苦手な子が楽しく通えたり、中高大の受験作文まで対応できたりするところもまずないと思います。
自宅で作文の練習ができて、先生から毎週の電話指導があり、オプションの学習もできるという点で、言葉の森を家庭学習の中心にすれば、いろいろなことがうまく回っていくようになるのです。
海外に住んでいると、だんだん日本語の勉強がおろそかになって行きます。親の言うことは聞かなくても、先生から電話があるとヤル気が出るのではないか、と思いました。