暗唱力は、ただ暗唱ができるだけにとどまらず、作文にも国語にも数学にも英語にも役立つという話のここからが本番です。
暗唱がよくできている子でも、また親でも、その暗唱が暗唱以上の勉強力に結びついているという自覚があまりありません。
以前、中学生でときどき暗唱をしている生徒との雑談で、生徒が次の定期テストの話をしてくれました。
「社会は、日本国憲法の前文を暗記できたら、点数をアップしてくれるらしいんですよ」
と、その生徒は他人事のように話していました。そういう奇特な生徒もいるんだろうなあ、という感じの話し方だったので、
「やれば、いいじゃん。いつもやっている暗唱の要領でやればそんなのすぐできるよ」
と言うと、初めて気がついたように、
「あ、そうか」
と言っていました。それですぐに暗唱できるようになったようです。
長く暗唱をしてきた生徒でも、自分が暗唱力があるということに対する自覚がないのです。
よく例に出しますが、本多静六もそうでした。(本多静六、林学博士。一八六六~一九五二)
現在の東京大学農学部の1年生のとき、数学で赤点を取り落第をしましたが、そのあと、数学の勉強法にそれまで身につけていた暗唱の力を利用したのです。
それは、数学の問題集の例題一千題と解法を全部暗記することでした。
数か月でその暗記ができると、それからは、数学のテストは常に満点で、最後には授業に出なくてもいいと言われるほどになりました。
数学は、考える勉強の代表のように思われているので、「丸暗記じゃだめだ」というようなことがよく言われます。
しかし、学問としての数学ならいざしらず、大学入試までの数学は、基本的に解法パターンの暗記によって、解法の応用力がつき成績が上がるという勉強なのです。
数学のできる生徒ほど、数学は暗記だということを理解しています。
数学を考える勉強だと思っているのは、数学のできない人だけです。
文化人類学者の今西錦司さんは、大学生時代、文系なのに数学がよくできるので、同じ文系の仲間から羨ましがられたそうです。
そして、そのうちの一人が、今西さんに数学の勉強のコツを聞いたところ、こともなげに、「ああ、数学は暗記だよ」と答えたそうです。
数学が考える勉強だと思っている人は、難しい問題にぶつかったとき、一生懸命自分の頭で考えようとします。考え出すと、時間はすぐに経ってしまいます。
しかし、数学が暗記だと思っている人は、難しい問題にぶつかったとき、答えを見て解法を理解しようとします。解法を理解するだけなら時間はほとんどかかりません。
このようにして、数学が苦手な生徒と、得意な生徒の差はますます広がっていくのです。
だから、暗唱力のある生徒が数学を得意にする方法は簡単です。
一冊の適度な難しさの問題集を、全部できるようにし、できなかった問題はその問題と解法をまるごと一緒に暗唱してしまうのです。
考えを深める勉強は、文章的なところで行っていくのが基本です。
それは、難しい文章を読んで、その文章がテーマにしていることを自分なりに考えてみるという勉強です。
そういう価値ある勉強をする時間を確保するためにも、数学のような通常の勉強的なことは暗唱力で能率よく身につけておくといいのです。(つづく)
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暗唱は、いいことだらけですね。
自分の経験で言うと、高校生のころは、わからない数学の問題があると1時間でも2時間でも考えていました。
どうしてもわからないと、部屋を出て、夜の街を歩きながら考えていました。
今思いだすと、無駄な勉強法をしていたのだなあと思います。
しかし、数学は高校生のころはそれなりによくできたのです。
子供が中3のとき、数学の勉強を見てやろうと、近くの私立高校の入試問題を軽い気持ちで解いてみました。
すると、驚くことにほぼ0点(笑)。
「えー! 高校入試の図形の問題って、こんなに難しいのか」と驚きました。
しかし、それでも、子供の夏休みの数学の勉強で、子供が解法がわからないというところだけ一緒に考えてやっていると、と言っても時間で1日十数分ですが、夏休みが終わるころには、私立でも国立でもどんなに難しい数学の問題でもほとんど解けるようになったのです。
そのときに、数学というのは、解法をどんどん理解して身につけてしまえば自然に応用力が身につくのだということを実感しました。
そして、しばらくやっていないと忘れるが、またやりだせばすぐにできるようになるということも実感したのです。
数学が苦手だと思っている生徒は、ぜひこの解法を丸ごと暗唱するぐらいに理解してしまうという勉強法をやってみるといいと思います。
数学のような考える勉強は、暗記では対応できないと思っている人が多いと思います。
ところが、これが逆なのです。
解法を暗記することによって、解法の応用力がぐんと増すのです。
暗記では効果がないというのは、その暗記がまだ浅いうろ覚え程度のものだからです。
しかし、理解の勉強観を持つ人は、この数学は暗記だという言葉に大きな抵抗を感じるのです。
日西ハーフの子どもたちの授業。日本語はおぼつかないのに、一学年上の算数の問題をスラスラ解く5年生。だってスペインの学校でやったもん、と言う男の子のクラスの先生は解法を覚えさえ、説明できるようになるまで繰り返させるとか。
数学の暗記に言語の壁は無いんだなぁ。
昨日、高三の生徒さんに勉強方法を聞かれたので、気に入った参考書(問題集)を一冊丸暗記と答えました(笑)。
事実、古文も英語も教科書丸暗記でクリアしてきました。
数学にも応用できたのだなあ。
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1,000字の文章の暗唱といっても、毎日の自習時間はわずか10分です。
朝ご飯前にやると決めておけば、誰でもできます。
そして、暗唱の勉強のいいところは、暗唱した結果があとに残ることです。
だから、子供自身も暗唱ができたあとの達成感があります。
また、先生も、毎日暗唱をしているかどうかを確実にチェックできます。
言い間違えたり、つっかえたり、途中で忘れたりする子は、毎日ではなく、週に数回しか暗唱の自習をしていなかった子です。
毎日10分の自習を欠かさずにしていれば、つっかえるようなことはまずないからです。
ところが、ここにも新たな問題が出てきました。
子供の暗唱をチェックする先生自身が、自分が子供時代に暗唱をした経験がないので、そして、先生はもともと優しい人が多いので、子供の暗唱チェックに甘くなってしまうことです。
小さい子供が、先生の前で、一生懸命やってきた暗唱を思い出して言っているのを聞くと、1、2か所の言い間違いは仕方ないと認めてしまうのです。
このようなことが何度か続くと、子供の暗唱の練習はやはりいい加減になってきます。
単純な勉強は毎日やるのが基本ですが、週に数回やればいいという勉強になってしまいます。
そして、週に数回では、完璧には程遠い暗唱になるので本人もやりがいがなくなり、次第に暗唱をやらないようになってしまうのです。
そこで、暗唱チェックは担当の先生も一応するが、正式のチェックは暗唱検定で行うというようにしました。
字数は3,000字で時間は5分、それを3ヶ月で覚えるのが目安です。更に、3,000字の暗唱が4本できたら、それらをまとめて12,000字を20分で暗唱します。
それぐらい長い文章を暗唱すると、その暗唱は確実に自分の中に残ります。
その際に、せっかく子供の中に残り一生覚えていられるような暗唱をするのだったら、日本の伝統に根ざした文化的な暗唱をしようと考えました。
それまでの言葉の森の暗唱は、作文に使えるような現代の文章の暗唱でしたが、ここで大きく方向転換し、本格的な文化的暗唱に取り組めるようにしたのです。
文化的暗唱というと、枕草子とか百人一首とかいうものももちろんありますが、日本には、そういう文学的な文章だけでなく、深い思想に根ざした古典の文章の蓄積もかなりあります。
今回、改めて日本の古典を集めて読んでみると、その文化の厚さと深さが予想以上だったことに驚きました。
翻って考えてみると、今の私たち大人の世代は戦後教育の影響で、欧米の文化を先に吸収してきたので(サルトルとか、マルクスとか、ヘーゲルとか、いろいろ)、肝心の日本の文化を知らないまま成長してきたのです。
これからの子供たちは、日本の文化を先に学び、それから海外の文化を学ぶという本来の姿に戻っていくと思います。
さて、この暗唱の練習は、単に古典の文章の暗唱だけにはとどまりません。
暗唱には、もっと大きな効果があるのです。
その一つは、人生に対する効果です。そして、もう一つは勉強に対する効果です。(つづく)
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「暗唱? ああ、覚えるやつでしょ」と普通の人は思いますが、暗唱の効果というのは、実はやってみないとわからないところがあるのです。
その効果の一つは、人生に対する効果で、もう一つは、勉強全体に対する効果です。
ただし、その場合、うろ覚え程度の暗唱では不十分です。
忘れようとしても忘れられないぐらいに徹底して暗唱すると、そこで変化が起きてくるのです。
実は、戦後、GHQの教育によって、暗唱の学習法が止められ、歴史を人物を通して学ぶことが止められた経過があるのです。
それは、両者が教育上の高い効果を持っていたからです。
古文の暗唱に取り組んでいる、フランス在住、小学2年生の女の子。お母さんにおこられると「お母さんが鬼にぞなりけり・・・」とボヤクそうです(笑)
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