今朝の新聞に、NPO法人が、来日間もない外国人の子供に日本語教育を支援する日本語教室を始めたという記事が載っていました。
こういう草の根の運動で、公教育の隙間からこぼれてしまった子供たちを救うというのは価値あることだと思います。
しかし同時に、私はこういう良心的なボランティアの試みを聞くたびに、そのボランティアの運動に限界を感じるのです。
それは、もしボランティアの人たちの努力でよりよい教育ができるのであれば、それはもうとっくにこれまでの学校体制の中でできているはずだと思うからです。
学校教育でついていけなくなった子を救うという志は尊いと思います。しかし、もしそういう志で本当に子供たちを救えるなら、学校の中にも志を持った先生は数多いはずですから、どうして学校から落ちこぼれてしまったのかという疑問がわくのです。
私が思うのは、今の社会に根付いている教育方法自体に問題があるのではないかということです。
今の教育は、先生が生徒に教えることが前提になっています。これが、大きな障害になっているのです。
先生が生徒に教えることを前提に教科書が作られているために、教科書を読んだだけでは子供は独学ができません。先生の説明がないと理解できないような教科書が作られているのです。
これは学習塾でも同じです。塾によっては、解答をはずした問題集を渡して、その問題集を解いてくることを宿題にしているところもあります。
子供は、家庭で問題だけ解いて、答えを照合することができないまま、それを塾や学校に持っていき、みんなと一緒に答え合わせをするというのです。
先生が教えることを前提に授業が成り立っているので、その先生のペースについていけない子は落ちこぼれということになります。また、その先生のペースが遅いと感じる子は、授業に退屈を感じます。
先生という仕事は、よくできる生徒が興味を持つような方向に授業を持っていきがちですから、進度の早い子にも退屈しないような難問をときどき出すことがあります。すると、落ちこぼれの子は更に増えていくのです。
これは、特に算数数学の教科でよくある話です。そのために、必要以上に算数数学を苦手に感じる生徒が量産されているのです。
これを克服する方法は、二つあります。
一つは、先生に教えてもらわなくても、その教材を読めば独学で理解できるような教材が提供されることです。本当は、それこそが教科書の役割なのです。
もう一つの方法は、親が子供の勉強面をカバーするのが当然だという文化を作ることです。そのためには、もちろん独学で進めやすい教材があることが前提です。教科書と違って、市販の教材の中には、そういう優れたものがかなりかあります。
今の親の中には、すぐに塾に頼ろうとする人が大勢います。
そして、中には、ある塾でいい成績を取るために、別の塾に通うという漫画のような話もあるのです。
先日も、言葉の森生徒の保護者から、塾の作文コンクールでいい作文を書かせるために、作文のアドバイスをしてほしいという依頼がありました。もちろん断りましたが。
しかし、依頼しているお父さんは真剣で、自分の言っていることがおかしいというような疑問は全くないようでした。
これは、家庭が教育の場になっていないからです。家庭が塾の出先機関のようになっているからです。
家庭は、子供の教育について全面的に責任を負う場です。学校では教えられないようなことも、すべて家庭で教えられます。
その教えることの一つに勉強があります。ただし、勉強は範囲が広いので、学校や塾に分業として手伝ってもらうことはあります。しかし、その勉強も含めて子供の教育はすべて家庭の管轄の中で行われていく必要があるのです。
この点で、私は日本の教育の現状について、少し危機感を持っています。
例えば、読書などは当然家庭の文化として行われていくもののはずですが、保護者の中には、「先生、子供に本を読むように言ってください。親の言うことは聞かないので」というようなことを当然のように言う人もいるのです。
また、家庭学習の予定と、学校の宿題とが時間的にぶつかった場合、宿題を優先する人が多いと思いますが、私は本当は家庭で決めたことを優先するべきだと思います。
宿題を出さないとみんなに迷惑がかかるというようなことであれば、親がその宿題をやってやればいいのです。
独学で勉強できる教材がもっと普及すること、教育の中心は家庭だという考え方が広がること、これだけで日本の子供たちの教育は大きく改善されると思います。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
勉強の基本は家庭での自学自習です。
わからないところだけ、誰かに教えてもらえばいいのです。
そうではなく、全部先生に教えてもらおうと思うから、授業についていけない子が続々と出てくるのです。
小学生でも毎日習い事に追われる時代ですが、家庭でひとりで学べる環境が整えば、もう少し余裕を持った生活をすることができそうです。
独学用の教材があれば勉強は家庭でできるし、その方がずっと効率がいいと思います。あとは、勉強のペースを客観的にチェックするようなシステム(言葉の森の寺オンのような)があれば、さぼったり、逆にやりすぎたりすることもなくなりそうですね。
子どもの学習は家庭が中心と考えると、いろいろ無理をしていたことがわかってきました。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。教育論文化論(255)
ワークショップ・懇親会に参加を希望される方は、下記のフォームからお申し込みください。
https://www.mori7.com/kform.php?k=1029
10月29日(土)13:00~の講演会が14:30に終了します。
そのあと、15:00から同じ会場の別の部屋でワークショップ・懇親会を行います。
遠方からはるばる来られる方も多いと思うので、この機会にできるだけ多くのものを持ち帰っていただければと思います。
今回の講演会では、初めて会う人も多いので、ただの交流ではなく、ワークショップ形式で子供の勉強に役立つ教えるテクニックを練習するような場にしたいと思います。
時間は、1時間半を予定していますが、長時間いられない人もいると思うので、30分ごとに休憩を取り、その休憩の時間に退出される方はそうしていただいて結構です。
ですから、気軽に参加してください。
また、講演会には参加できないが、ワークショップ・懇親会には参加できるという方も受け付けています。
ワークショップ・懇親会の内容は次のものを予定しています。
○自作名言の作り方(受験作文に効果のある自作名言の作り方)
受験作文では、結びの5行に自作名言を入れると、文章全体が引き締まります。
同レベルの作文では、結びに光る表現が入っているかどうかが決定的な差になります。
しかし、これはひらめきがないとなかなか出てこないものなので、普段の作文練習の中で、形だけ入れるようにして、その中でよく書けたものをストックしておくということが大事になります。
親や先生が、この自作名言の書き方のコツを知っていることが大事なので、いくつかのテーマをもとに実際に自作名言を作ってみる練習をします。
○構想図の書き方(作文が全然書き出せない子に対する指導法)
言葉の森では、構成図又は構想図という名前で、作文を書き出す前に書きたいことをランダムにメモ書きする方法を説明しています。これは、書きたいことが複雑な場合や、書くことがはっきり決まっていない場合に有効は方法です。
しかし、この構想図は、それ以上に、作文が苦手な生徒や作文をなかなか書き出せない生徒に、親や先生が作文を書かせるときに役立つ方法なのです。しかも、時間はわずか10分ほどで、誰でも簡単にできます。
ワークショップでは、構想図の書き方の実例を示したあと、2人1組で、作文が苦手な子供役と、作文を教える大人役に分かれて、構想図を書く練習を行いたいとます。
○絵を描く項目の指導(低学年で絵の苦手な子に対する指導)
低学年の作文課題では、作文の中心を決めるために絵を描くという項目があります。
ところが、この項目は、得意な子と苦手な子がはっきり分かれます。絵を描くのが好きな子はすぐに描き始めますが、絵を描くのが苦手な子は、ここでつまずいてしまうことがあります。
体験学習で初めて来た生徒の場合は、あらかじめその子が絵を描くのが好きかどうかわかりませんから、絵を描く段階で止まってしまう生徒がいた場合、どうアドバイスしたらいいか困ることがあります。
そこで、絵を描くのが苦手な子に、どうアドバイスするかという練習をします。これは、絵を描くのが苦手な大人の人でもできる練習ですからご安心ください。
○暗唱の仕方(初めて暗唱をする子に対する指導)
子供に初めて暗唱の指導をする場合、その最初の指導で確実にできるようにさせることが大事です。
そのための方法の一つが紙折り暗唱法です。
これは、繰り返し音読するということを漠然と指導するのではなく、形に残る方法で回数を決めて音読する方法です。
この暗唱の仕方を実際に味わうと、子供に対する暗唱指導も自信を持って行えるようになります。
○作文作りゲーム
小学校3年生ぐらいの子は、語彙も豊富になっているので、作文作りゲームをすると盛り上がります。
教室でちょっとしたイベントをするとき、又は、近所の子供が数人家庭に集まったときなど、簡単にできる知的なゲームとして楽しめます。
この作文作りゲームの実習をします。
○五七五作り、連句作りゲーム
これも、子供たちが何人か集まったときのイベントとして使えるゲームです。
また、連句の場合は、場所や時間が離れている人どうしでも、作って楽しむことができます。
その作り方を練習をします。
○これらの練習のほかに、
・森林プロジェクトや言葉の森の講師をしている人からの簡単なスピーチ
・テーブルごとの交流
・質問や相談の受け付け
なども行います。
また、作文は、親が自分の子供に直接教えるよりも、ほかの人に教えてもらい、親がそれをフォローする方がうまく行く場合があります。
今後、希望者の間で、期間を決めて、そういう教え合いをする機会なども作っていきたいと思っています。
■言葉の森ワークショップ・懇親会
▼会場
ワークピア横浜 B1F ユーフォニー
(みなとみらい線 日本大通り駅から徒歩5分)
http://workpia.or.jp/
▼時間
10月29日(土)午後3:00~4:30
(30分ごとに休憩タイムをとりますので、お時間のない方はその休憩タイムに退出していただいて結構です。)
▼費用
1,000円
ワークショップ・懇親会に参加を希望される方は、下記のフォームからお申し込みください。
https://www.mori7.com/kform.php?k=1029
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
言葉の森の作文指導法の一部を実際に体験してみる企画です。
特に、理屈はわかるが実際の教え方がわかりにくい、自作名言の作り方、構想図の書き方、絵の描き方、暗唱の仕方などを中心に実習をします。
講演会のあとの企画ですが、講演会に参加していない人も参加できます。
シェアします。
FBにシェアします。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。言葉の森のビジョン(51) 森林プロジェクト(50)
10.22保護者セミナーの講義(質疑略)
https://youtu.be/hMfUnzCAamw
★ セミナーの講義部分はホームページに公開しましたので、有料でご参加いただいた方は、12月までに行われる今後のセミナーについて1回分無料でご参加いただけるようにしました。(10/23追加)
10.22の保護者セミナーは、「家庭での関わり方」の話をしました。
これは、主に、作文を書く前にどういう姿勢で対話をしていくかという話でした。
前半の講義の部分のみアップロードしましたのでごらんください。(約22分の動画)
11.5のセミナーでは、作文が返却されたあとに、どういう関わり方をしていくかという話をします。
また、生徒本人が書いた作文をアップロードしていたたければ、それをもとにしたアドバイスもします。
●テーマ
「公立中高一貫校の受験作文、作文返却後の関わり方」
●講師
中根克明(森川林 作文教室言葉の森代表)
●日時
11月5日(土)10:30~10:55(25分間)
●会場
googleハングアウトで行います。(スマホ、タブレット、PCのいずれからでも参加できます。)
ハングアウト会場のリンク先は、当日の15分前に、言葉の森のホームページの上部に表示します。
(10分前から入れます。入室する際は、マイクをミュートにしておいてください。ウェブカメラはオンでもオフでもどちらでもかまいません。ウェブカメラがなくても参加できます。)
●参加費
・言葉の森受験作文コース受講中の生徒の保護者………………無料
・受験作文コース以外の言葉の森の生徒の保護者…………500円(受講料と合わせての自動振替)
・言葉の森の生徒の保護者以外の方……………………2,000円(銀行口座からのお振込み)
▽銀行からお振込いただく場合の言葉の森の口座
三井住友銀行 港南台支店 普通 6599615 株式会社言葉の森
●定員
7名まで(先着順)
●お申し込み
参加予約は、下記のフォームからお願いします。
▼参加予約フォーム
https://www.mori7.com/kform.php?k=1105
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。オンエア講座(41) 公立中高一貫校(63) 受験作文小論文(89)
音読暗唱が効果的だという例は、身近にもあります。それが小学2年生で習う九九です。
欧米では、九九を暗唱するという勉強法ではなく、掛け算の一覧表を渡されてそれを知識として覚えるという勉強法がとられているそうです。
九九を暗唱するという方法と、掛け算の一覧表を渡されて覚えるという方法と、どちらが合理的な感じがするかというと、一覧表を覚える方です。そのやり方なら、誰でも納得するからです。
九九を暗唱するという方法は、その暗唱文化を経験した人にしか受け入れられません。そのかわり、暗唱文化が受け入れられている社会では、親も先生も迷いなく子供に九九を暗唱させようとします。
もし子供が、「こんなの覚えられない」「面倒だからいやだ」「紙に書いて覚える」などと抵抗しても、うまくなだめすかしてほぼ例外なくすべての子供が九九を言えるようにします。教える大人に迷いがないのは、九九を暗唱する文化が背景にあるからです。
しかし、この九九の暗唱が効果的だということが十分にわかっていながら、インドの20×20までの九九を暗唱させようとする人は日本にはまずいません。それは、20×20までの暗唱文化が日本にないからです。
文章の暗唱ということに関して言うと、戦前までの日本には、暗唱の文化がありました。江戸時代の寺子屋の素読のような組織だったものではありませんでしたが、それぞれの家庭で勉強の基本は暗唱だということが暗黙のうちに理解されていたようです。
だから、昔の子供たちは、小学校しか出ていない学歴の人がほとんどでも、その人たちの学力の水準はかなり高かったのです。
では、なぜ今、暗唱の文化が途絶え、また暗唱をしている人でも暗唱を勉強に結びつけるという発想がわかないかというと、これも戦後の教育の影響ですが、模倣や音読や暗唱や反復という勉強法よりも、理解の勉強法ということが優先されてきたからです。戦後の世代は、理解と知識の勉強法が最も普遍性があるという前提で教育されてきたのです。
小2までは暗唱がよくできるが、小3になるあたりから暗唱が難しくなるというのも、そのころになると学校の勉強でも、「わかる」「覚える」という理解と知識と勉強が増えてくるからです。
理解して身につけるという勉強法では、先生の説明が必要になります。
しかし、理解には個人差があるので、すぐに理解できる生徒と理解できない生徒が分かれます。それを同じような水準にするために、テストとか競争とかいう欧米的な勉強スタイルが一般化してきます。理解の勉強には、先生と授業とテストと競争がセットになるのです。
それに対して、模倣と反復の勉強には、先生も授業もテストも競争も必要ありません。
精選された教材を決めて、それを自分のペースで繰り返し音読して身につければ、それだけで授業的な勉強の何倍も能率よく学力がつきます。
唯一必要なのは、わからないところがあったときに質問できる人がいることだけです。しかし、そういう質問も解説が十分な教材があれば、実際にはほとんど必要ありません。
日本には、九九を覚えるという形で暗唱文化がまだ残っています。
この暗唱文化を、勉強全般に応用していけば、子供たちの学力はどの子ももっと簡単に高くなっていくのです。
(つづく)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
戦後の日本の教育は、アメリカ的な合理主義で塗りかえられましたが、九九の文化や百人一首の文化は社会の中に残りました。
この暗唱文化の活用を再考する時期に来ているのではないかと思います。
私の教室では、暗唱長文ではなく、塾の教科書を暗唱してくる受験生がいました。理科も社会も、ひたすら音読して覚えていたようです。
スペインの現地校に通う娘には、スペイン語と日本語、両方で暗記させました。スペイン語は日本語のようにリズミカルにはいきませんが・・・。おかげで、かけ算割り算だけでなく、四則計算の暗算がはやいです!
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。暗唱(121)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。言葉の森のビジョン(51) 森林プロジェクト(50)
▽10.22オンエア保護者セミナーの詳細(変更点はありません。)
https://www.mori7.com/k1022.php
当日のハングアウト会場のリンク先も上記のページに書いてあります。
10/22(土)の10:30から始まりますが、15分ぐらい前から入っておいていただいて結構です。
入室はあまりぎりぎりにならないように、5分前には入っておいてくださるとよいと思います。
当日の話の中心は、タイトルのとおり、「公立中高一貫校の受験作文に、家庭でどう関わるか」です。
もし、お子様の受験コース課題の作文があり、それを事前にアップしておいてくだされば、その作文の講評も併せて行います。
作文の画像をアップロードされる場合は、作文の氏名などの部分をシールなどを貼って消しておき、画像の泉からアップロードし、その画像のリンク先を、オープン教育の「受験作文小論文の岸」からお知らせください。
https://www.mori7.net/ope/index.php?k=109
なお、この保護者セミナーは、今後も継続して開く予定ですので、今回は送る画像がない場合でも、また別の機会に作文画像アップをご利用ください。
(このセミナーは定員になりました。)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。生徒父母連絡(78)
数学の話の次は、英語の話です。
18ヶ国語を使えると言われたシュリーマンの独学の方法も音読暗唱でした。
同じ文章を大声で何度も読んで暗唱できるようにしているうちに、長い文章も何度か読めば全部暗唱できるような能力が身についていたというのです。
この暗唱力を使って、語学を身につけたのです。
同時通訳の神様とも言われた國弘正雄氏は、只管朗読(しかんろうどく)という言葉で英語の勉強法を表していました。この考えに基づいて英語の音読暗唱を目的としたCDブックを出しています。
今の日本の英語の教科書は会話に偏っているために、音読暗唱しても、文法的にしっかりした文章を身につけるという点で弱い面があります。
教科書以外に、英語の説明文を暗唱する機会を作れば、その生徒の英語の実力は確実に身につきます。
現在、経済学者であり評論家でもある野口悠紀雄さんは、中学生のとき英語の弁論大会に出たことをきっかけに、英語の教科書の音読を始めたそうです。
中学でも高校でも、何度も英語の教科書を音読し暗唱できるぐらいまでになっていると、いつの間にか英語が得意教科になっていました。
野口さんは、勉強法の著書の中で、英語の教科書音読の簡単さとその効果の大きさを力説しています。
この英語の教科書の丸ごと暗唱という方法を取り入れて成果を上げている英語塾もあります。しかし、多くの場合、親も子も暗唱の効果というものに確信を持てないので、長く続けられる子は少ないようです。
人間は、どうしても、問題集を解いて答えを書き込んで○×をつけるというような形の残る勉強の方をやりたがります。
また、教える先生も、教える形が作りやすく、教えたことが形として残りやすい勉強の仕方で授業をします。
音読暗唱をするだけという形の残らない勉強を何年間も続けられる生徒も先生も少ないのです。
英語の教科書音読とは、教科書の1ページを20回から30回音読するだけです。時間で言えば10分程度でできることです。しかし、これを自主的にできる生徒はほとんどいません。
しかし、このときに、言葉の森の暗唱検定などで長い文章を暗唱した経験のある生徒は、英語の文章の音読暗唱という勉強にすぐに取り掛かれます。
このように、暗唱力を、他の教科に生かすということを考えれば、そこからその教科の成績はすぐに上がります。
暗唱力のある生徒が、そういう勉強の方法に気がつけばいいだけなのです。(つづく)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
只管打坐(しかんたざ)というのは、道元の言葉です。あれこれ言わずにまず座れという方法論です。
しかし、これよりも、考案を考えるやり方の方が方法論としてはやりやすい感じがします。
しかし、更にもっとやりやすい方法があるとしたら、禅検定などという名前で問題を解いて答え合わせをするような方法です。
今の日本の教育は、この問題と答えという勉強法に偏りすぎている気がします。
理解の勉強に慣れている人は、内容が合っていれば一文字ぐらい違っていてもいいだろうと考えがちです。
そういう内容把握の勉強ももちろんあります。ほとんどの勉強はそういう形で間に合います。
しかし、暗唱は違ういます。一文字も間違えないように、しかもスピードを上げて暗唱できなければ暗唱ができたとは言いません。こういう勉強法によって初めて身につく能力もあるのです。
高校時代、英語の副読本を担当した先生にあこがれていた時期がありました。
学校の行き帰り(先生を想いながら(笑))、その副読本ばかり読んでいたら、英語だけ学年トップになった、という輝かしい思い出があります(笑)
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。暗唱(121)
暗唱力は、ただ暗唱ができるだけにとどまらず、作文にも国語にも数学にも英語にも役立つという話のここからが本番です。
暗唱がよくできている子でも、また親でも、その暗唱が暗唱以上の勉強力に結びついているという自覚があまりありません。
以前、中学生でときどき暗唱をしている生徒との雑談で、生徒が次の定期テストの話をしてくれました。
「社会は、日本国憲法の前文を暗記できたら、点数をアップしてくれるらしいんですよ」
と、その生徒は他人事のように話していました。そういう奇特な生徒もいるんだろうなあ、という感じの話し方だったので、
「やれば、いいじゃん。いつもやっている暗唱の要領でやればそんなのすぐできるよ」
と言うと、初めて気がついたように、
「あ、そうか」
と言っていました。それですぐに暗唱できるようになったようです。
長く暗唱をしてきた生徒でも、自分が暗唱力があるということに対する自覚がないのです。
よく例に出しますが、本多静六もそうでした。(本多静六、林学博士。一八六六~一九五二)
現在の東京大学農学部の1年生のとき、数学で赤点を取り落第をしましたが、そのあと、数学の勉強法にそれまで身につけていた暗唱の力を利用したのです。
それは、数学の問題集の例題一千題と解法を全部暗記することでした。
数か月でその暗記ができると、それからは、数学のテストは常に満点で、最後には授業に出なくてもいいと言われるほどになりました。
数学は、考える勉強の代表のように思われているので、「丸暗記じゃだめだ」というようなことがよく言われます。
しかし、学問としての数学ならいざしらず、大学入試までの数学は、基本的に解法パターンの暗記によって、解法の応用力がつき成績が上がるという勉強なのです。
数学のできる生徒ほど、数学は暗記だということを理解しています。
数学を考える勉強だと思っているのは、数学のできない人だけです。
文化人類学者の今西錦司さんは、大学生時代、文系なのに数学がよくできるので、同じ文系の仲間から羨ましがられたそうです。
そして、そのうちの一人が、今西さんに数学の勉強のコツを聞いたところ、こともなげに、「ああ、数学は暗記だよ」と答えたそうです。
数学が考える勉強だと思っている人は、難しい問題にぶつかったとき、一生懸命自分の頭で考えようとします。考え出すと、時間はすぐに経ってしまいます。
しかし、数学が暗記だと思っている人は、難しい問題にぶつかったとき、答えを見て解法を理解しようとします。解法を理解するだけなら時間はほとんどかかりません。
このようにして、数学が苦手な生徒と、得意な生徒の差はますます広がっていくのです。
だから、暗唱力のある生徒が数学を得意にする方法は簡単です。
一冊の適度な難しさの問題集を、全部できるようにし、できなかった問題はその問題と解法をまるごと一緒に暗唱してしまうのです。
考えを深める勉強は、文章的なところで行っていくのが基本です。
それは、難しい文章を読んで、その文章がテーマにしていることを自分なりに考えてみるという勉強です。
そういう価値ある勉強をする時間を確保するためにも、数学のような通常の勉強的なことは暗唱力で能率よく身につけておくといいのです。(つづく)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
暗唱は、いいことだらけですね。
自分の経験で言うと、高校生のころは、わからない数学の問題があると1時間でも2時間でも考えていました。
どうしてもわからないと、部屋を出て、夜の街を歩きながら考えていました。
今思いだすと、無駄な勉強法をしていたのだなあと思います。
しかし、数学は高校生のころはそれなりによくできたのです。
子供が中3のとき、数学の勉強を見てやろうと、近くの私立高校の入試問題を軽い気持ちで解いてみました。
すると、驚くことにほぼ0点(笑)。
「えー! 高校入試の図形の問題って、こんなに難しいのか」と驚きました。
しかし、それでも、子供の夏休みの数学の勉強で、子供が解法がわからないというところだけ一緒に考えてやっていると、と言っても時間で1日十数分ですが、夏休みが終わるころには、私立でも国立でもどんなに難しい数学の問題でもほとんど解けるようになったのです。
そのときに、数学というのは、解法をどんどん理解して身につけてしまえば自然に応用力が身につくのだということを実感しました。
そして、しばらくやっていないと忘れるが、またやりだせばすぐにできるようになるということも実感したのです。
数学が苦手だと思っている生徒は、ぜひこの解法を丸ごと暗唱するぐらいに理解してしまうという勉強法をやってみるといいと思います。
数学のような考える勉強は、暗記では対応できないと思っている人が多いと思います。
ところが、これが逆なのです。
解法を暗記することによって、解法の応用力がぐんと増すのです。
暗記では効果がないというのは、その暗記がまだ浅いうろ覚え程度のものだからです。
しかし、理解の勉強観を持つ人は、この数学は暗記だという言葉に大きな抵抗を感じるのです。
日西ハーフの子どもたちの授業。日本語はおぼつかないのに、一学年上の算数の問題をスラスラ解く5年生。だってスペインの学校でやったもん、と言う男の子のクラスの先生は解法を覚えさえ、説明できるようになるまで繰り返させるとか。
数学の暗記に言語の壁は無いんだなぁ。
昨日、高三の生徒さんに勉強方法を聞かれたので、気に入った参考書(問題集)を一冊丸暗記と答えました(笑)。
事実、古文も英語も教科書丸暗記でクリアしてきました。
数学にも応用できたのだなあ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。暗唱(121)