言葉の森の作文課題は、小3からは、題名課題と感想文課題になります。
小2までは、自由な題名で書いていたので、小3の題名課題になると、誰も最初はとまどいます。中には、自由なままの方がいいと言う子もいますが、しばらくすると、題名課題の方が焦点が絞れていいと言うようになります。
しかし、初めての感想文課題のときは、どの子もほとんど書けないのが普通です。
実は、小3では感想文課題をやるのはまだ無理があるのですが、今の学校教育の中では、小学校低学年から感想文の宿題を出すところが多いので、それに対応するためにやっているのです。
さて、この題名課題も、感想文課題も、どちらも事前の準備が作文の出来を左右します。
料理では材料七分に腕三分という言葉がありますが、作文も同じです。いい材料が仕入れてあれば、あとはどういうふうに書いてもいい作文になるのです。
この材料集めで大事なことは、自分の体験だけではなく、両親に聞いた話や、今の社会で起きている話を盛り込んでいくことです。
取材によって材料の幅が広くなると、そのテーマを見る視点も一段と高くなってきます。
例えば、11.1週の小6の作文課題は、「うちにある古い物」ですが、単に家の中にある古くなった道具やおもちゃを持ち出して書いてみても、深い感想は書きにくいものです。
ところが、ここに、日本の歴史の中にある古いもの、世界文化遺産の例などを結びつけると、古いということの意味をもう一段深く考えることができるのです。
そして、こういう材料集めに、お父さんやお母さんが参加すると、子供と一緒に家族の知的な対話が生まれるようになります。
子供が小学校高学年になると、父親は子供との共通の話題がだんだん少なくなります。すると、自然に親子の話題が勉強や成績の話だけになってきます。
小中学生のころの思考力は、親子の対話によって育つので、家族でいろいろなテーマを幅広く話し合う機会があるといいのです。
こういう話し合いは、父親が単身赴任の場合でも可能です。
遠方にいるお父さんが、ハングアウトやskypeのグループ通話で参加できるような形で、毎週の家族の対話の時間を決めておくのです。
作文の課題は、ウェブで見ることができますから、お父さんも事前に子供の作文課題を見て準備をしておけば、更に充実した話になります。
こういう親子の対話は、小学校低学年のころからつけておけば、高学年になっても自然に続けられるようになります。
小学3年生の題名課題と感想文課題になったころから、家族で作文の課題について話をする時間をとっていくと、作文の勉強と家庭の対話が連動して、勉強面でも子供の生活面でもより充実した取り組みができるようになります。
今週から、小3~小6のオンエア講座「作文と勉強」モニターを始めました。
その際に、作文の課題に関連したyoutubeの動画を参考資料にしました。こういう動画などを見ながら親子で作文の課題についてのいろいろな対話をしていくと面白いと思います。
小3「たまごやきを作ったこと」
・半熟目玉焼きの作り方
・卵を片手で割る方法
・卵を立ててみる
小4「わたしの好きな食べ物」
・世界で一番美味しい食べ物 ランキングベスト50
小5「木のぼりをしたこと」
・道具を使った木登り
・縄を使った木登り
・手と足の力で木登り
小6「うちにある古いもの」
・日本世界自然遺産]
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学力も文化力も、基礎になるのは言葉です。
だから、家庭での読書と対話が、学校での勉強以上に子供を成長させます。
しかも、勉強は退屈で面倒なものですが、読書と対話は楽しく気軽にいつでもできるのです。
親子の会話から学ぶことは、机上の勉強以上に多くありそうです。
木登りをしたこと、高いところに登る話は、お父さんの参加で盛り上がりそうですね。お母さんも、けっこうおてんばしているかも。
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きれいな景色を見ていいなあと思ったときに、それを写真に撮ってしまうと、かえって心に残らないというようなことがあります。
ある本に感銘を受けて、その作者の本を次々に読んでいる間はいいのですが、全集などを買ってしまうと、かえってもう読まなくなってしまうということがあります。
形に残すと、安心してしまう心理が人間にあるのです。
作文の練習として文章を書き写すという練習法があります。
形に残るので、やる方も、やらせる方も、何か確実なことをしている気持ちになります。
しかし、書き写している過程というのは、実は大して心に残っていません。
書くという形に心を奪われているので、かえって内容を心に残すことがおろそかになっているのです。
解く勉強よりも、読む勉強が大事だというのも、同じことです。
問題を解けば、それは形に残ります。問題と解法を読むだけであれば何も形に残りません。
だから、子供も、大人も、その形に残る方をやりたくなります。
ところが、形の残る勉強は、形に残らない勉強に比べて何倍も時間がかかります。
問題を解くのに1時間かかるとしたら、その問題と解法を読んで理解する勉強は、5分の1か10分の1で済むのが普通です。
同様に、文章を書き写す勉強に比べれば、文章を読むだけの勉強は、やはり5分の1か10分の1の時間で済みます。
では、どうしたらいいかというと、文章を1回書き写すよりも、その文章を5回読むだけの方がずっと心に残る勉強になるのです。
今、書き写しの勉強をやっている人は、これを組み合わせるといいのです。
つまり、書き写しが終わったら、その文章を日をおいて5回読むというようにします。
こうすれば、形にも残り、心にも残る勉強になります。
能率がいいのは、読むだけの勉強ですが、勉強に自覚がない小中学生のころは、形に残らない勉強は形骸化しがちです。
そこで、学校も、塾も、親も、形の残る勉強を子供にやらせようとするのですが、本当は子供の自覚を促して、形の残らない勉強をしていくのがいちばんいいのです。
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新聞のコラムを書き写す勉強をしている人も多いと思います。
私だったら、子供にそういう勉強はすすめません。
なぜなら、自分が子供だったらそんなことはやりたくないからです。
それよりも、好きな本を読んでいる方が気楽でいいからです。
しかし、大人の人はどうしてわざわざそういう苦労する形の勉強をさせたがるのかなあと思います。
勉強は、小1のころのスタートが大事です。
このころに形に残る勉強を始めると、それがそのまま続いてしまいます。
途中で形に残らない勉強に切り換えるのはなかなか大変です。
最初から、形に残らない勉強を家庭学習の中心にしていくといいのです。
それは、例えば同じ文章を繰り返し読むというような勉強なのです。
私が子供時代も、ノートにきれいにまとめることで満足し、肝心な内容は全然覚えていなかった、という無駄の多い勉強をしていました。
楽で効率的な方が、勉強も楽しくなりますね。
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作文を書いたあと、1週間後に先生から講評と評価が返却されてきます。
それをどう見たらいいのかということについて説明します。
まず、ほとんどすべての子は、先生の評価や講評をざっとしか見ません。ほとんど見ないと言っていいと思います。
それでいいのです。
講評は、生徒向け、又は、保護者向けに書かれていますが、その講評だけを読んでもらうために書かれているのではなく、翌週先生が生徒や保護者に話をするための先生のメモのような役割として書かれています。
生徒は、書かれた評価や講評を読まなくても、先生の話を聞いて入れば、先生が大事なことを言ってくれるのです。
ほかの通信教育では、詳しい赤ペン添削が返却されることが多いので、その赤ペン添削が勉強の中心のように思われがちですが、作文の勉強で大事なのは、書いたあとの話よりもむしろ書く前の話なのです。
書く前の話というのは、書く前の準備のことです。
作文の課題に合わせて、できるだけ自分の個性的な体験を書くようにする、似た話をお父さんやお母さんに取材する、というような準備が作文の内容を決めていきます。
そして、その準備のあとに、実際に書いている過程が、子供が実力をつけている場面です。そこで、どういう表現を使うか、どういう構成で書いていくかということが作文の勉強なのです。
どういう表現を使うかということは、その場の努力だけでできるものではありません。読書や音読によって、自分がこれまで使ってこなかったようなよりよい表現を吸収し、それらを使っていくことが表現の練習です。
ですから、作文を書く前の準備には、毎日の音読や読書も含まれます。
こういう準備をして、作文を書いて提出したら、それで勉強の勉強はできたということです。
その作文は翌週に返却されてきますが、次の勉強は、その返却された作文を見直すことではなく、新しい作文を書くことです。
新しい作文を書くときに、「前の作文はこうだったから、今度はこう書こう」というような話になります。
例えば、「今度は段落に気をつけてね」とか、「また面白いたとえを見つけてね」とか、「今度はお父さんにも似た話を聞いてみるといいよ」とかいうようなアドバイスです。
この積み重ねでだんだんとよりよい書き方ができるようになっていきます。
作文は、最初に書いたものがほとんどすべてで、それをいくら直しても、最初に書いたものよりもよくなることはありません。
だから、書いたあとの勉強は、する必要がないのです。
さて、以上が原則ですが、ただし、次の場合だけは、書いたあとの対応が必要になります。
第一は、誤字の書き出しです。
添削された作文には、褒め言葉が中心に書かれているはずですが、誤字についてはすべてチェックが入っています。
この誤字は、一度注意されただけでは直りません。漢字の書き間違いなどは、間違って覚えていることが多いので、同じ間違いを何度もする子がよくいます。
この誤字だけを、誤字ノートのようなものを作って書き出しておくといいのです。そして、できればその場で正しい漢字を40回書いてみます。40回というのは、400字詰めの原稿用紙の2行分です。
誤字は、これまでのその誤字を何度も使って書いていたはずなので、これまで書いた回数以上に正しい漢字を書かないと、記憶に残らないのです。
第二は、受験作文コースの生徒の場合です。
受験作文は、合格することが目的です。作文の実力をつけるための勉強と、合格するための勉強は、少し性格が違います。
返却された作文をよりよい作文に書き直していくことが大事な事後の勉強になります。
では、どう書き直すかというと、作文に書かれている実例をより感動のある実例に直し、表現をより高度な表現に直し、意見をより深い意見に直していくことです。
これは、子供だけの力ではできません。そして、先生はそこまでは教えられません。そういう話をするには30分も1時間もかかるからです。
ここで、お父さんやお母さんの役割が大事になります。お父さんやお母さんが子供と一緒に考え、一緒によりよい作文に直していくのです。
そして、その作文をファイルして、毎日読むようにするのです。
しかし、こういう親子で書き直すという勉強は、受験前でなければできません。受験前は、子供も勉強の目的がわかっているので、こういう親子での書き直しということも受け入れますが、普段の勉強でこういうことを喜んでする子はまずいません。
だから、受験前の作文は、密度の濃い親子の話し合いをするいいチャンスだとも言えるのです。
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海外の作家の誰だかが、「書き上げたあとの原稿は、倒したあとのライオンに似ている」というようなことを書いていました。
ライオンがちょっとかわいそうですが、それは置いといて。
子供が書いた作文も同じです。
書いたあとの作文の赤ペン添削見て、その作文を書き直そうという子はまずいません。
そんなことをさせれば、すぐに作文が嫌いになります。
ただし、例外もあります。それは受験作文のときです。しかし、それは本当に例外なのです。
https://www.mori7.com/index.php?e=2728
書き上げた作文を少しずつ直して上手にするということはできません。
できるとしても、ほんのわずかです。
それよりも、新しい作文を書いた方がいいのです。
それに、何よりも、書いたあとの作文を直すというのは、全然面白くありません。
そういうことに耐えられるのは、受験作文のときだけです。
作文の勉強は他の教科とアプローチが違うことを理解し、正しい方法で気長に育つのを待つことが大切ですね。大人は子どもが書き上げた作文をどうしても直したくなりますが、以下の理由から直すことの意味はあまり無さそうです。
・作文は書く前の準備のあとに、実際に書いている過程が、子供が実力をつけている場面です。
・書く段階でどういう表現を使うか、どういう構成で書いていくかということが作文の勉強なのです。
・どういう表現を使うかということは、その場の努力だけでできるものではありません。読書や音読によって、自分がこれまで使ってこなかったようなよりよい表現を吸収し、それらを使っていくことが表現の練習です。
しかし、誤字だけはきちんと正してゆく必要があるようですね。
書き終えた作文に赤ペンを入れても、実は、それを熱心に読み返す生徒はいません。子供にとっては、作文を書くという行為自体が大きな勉強なので、それで十分なのだと思います。また、後ろを振り返るより、新しい課題に取り組み続ける方が楽しく力をつけていくことができると思います。
もちろん、受験コースの場合は、自分の書いたものをより良く仕上げ、何度も読み返しておく必要があります。
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今朝の新聞に、NPO法人が、来日間もない外国人の子供に日本語教育を支援する日本語教室を始めたという記事が載っていました。
こういう草の根の運動で、公教育の隙間からこぼれてしまった子供たちを救うというのは価値あることだと思います。
しかし同時に、私はこういう良心的なボランティアの試みを聞くたびに、そのボランティアの運動に限界を感じるのです。
それは、もしボランティアの人たちの努力でよりよい教育ができるのであれば、それはもうとっくにこれまでの学校体制の中でできているはずだと思うからです。
学校教育でついていけなくなった子を救うという志は尊いと思います。しかし、もしそういう志で本当に子供たちを救えるなら、学校の中にも志を持った先生は数多いはずですから、どうして学校から落ちこぼれてしまったのかという疑問がわくのです。
私が思うのは、今の社会に根付いている教育方法自体に問題があるのではないかということです。
今の教育は、先生が生徒に教えることが前提になっています。これが、大きな障害になっているのです。
先生が生徒に教えることを前提に教科書が作られているために、教科書を読んだだけでは子供は独学ができません。先生の説明がないと理解できないような教科書が作られているのです。
これは学習塾でも同じです。塾によっては、解答をはずした問題集を渡して、その問題集を解いてくることを宿題にしているところもあります。
子供は、家庭で問題だけ解いて、答えを照合することができないまま、それを塾や学校に持っていき、みんなと一緒に答え合わせをするというのです。
先生が教えることを前提に授業が成り立っているので、その先生のペースについていけない子は落ちこぼれということになります。また、その先生のペースが遅いと感じる子は、授業に退屈を感じます。
先生という仕事は、よくできる生徒が興味を持つような方向に授業を持っていきがちですから、進度の早い子にも退屈しないような難問をときどき出すことがあります。すると、落ちこぼれの子は更に増えていくのです。
これは、特に算数数学の教科でよくある話です。そのために、必要以上に算数数学を苦手に感じる生徒が量産されているのです。
これを克服する方法は、二つあります。
一つは、先生に教えてもらわなくても、その教材を読めば独学で理解できるような教材が提供されることです。本当は、それこそが教科書の役割なのです。
もう一つの方法は、親が子供の勉強面をカバーするのが当然だという文化を作ることです。そのためには、もちろん独学で進めやすい教材があることが前提です。教科書と違って、市販の教材の中には、そういう優れたものがかなりかあります。
今の親の中には、すぐに塾に頼ろうとする人が大勢います。
そして、中には、ある塾でいい成績を取るために、別の塾に通うという漫画のような話もあるのです。
先日も、言葉の森生徒の保護者から、塾の作文コンクールでいい作文を書かせるために、作文のアドバイスをしてほしいという依頼がありました。もちろん断りましたが。
しかし、依頼しているお父さんは真剣で、自分の言っていることがおかしいというような疑問は全くないようでした。
これは、家庭が教育の場になっていないからです。家庭が塾の出先機関のようになっているからです。
家庭は、子供の教育について全面的に責任を負う場です。学校では教えられないようなことも、すべて家庭で教えられます。
その教えることの一つに勉強があります。ただし、勉強は範囲が広いので、学校や塾に分業として手伝ってもらうことはあります。しかし、その勉強も含めて子供の教育はすべて家庭の管轄の中で行われていく必要があるのです。
この点で、私は日本の教育の現状について、少し危機感を持っています。
例えば、読書などは当然家庭の文化として行われていくもののはずですが、保護者の中には、「先生、子供に本を読むように言ってください。親の言うことは聞かないので」というようなことを当然のように言う人もいるのです。
また、家庭学習の予定と、学校の宿題とが時間的にぶつかった場合、宿題を優先する人が多いと思いますが、私は本当は家庭で決めたことを優先するべきだと思います。
宿題を出さないとみんなに迷惑がかかるというようなことであれば、親がその宿題をやってやればいいのです。
独学で勉強できる教材がもっと普及すること、教育の中心は家庭だという考え方が広がること、これだけで日本の子供たちの教育は大きく改善されると思います。
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勉強の基本は家庭での自学自習です。
わからないところだけ、誰かに教えてもらえばいいのです。
そうではなく、全部先生に教えてもらおうと思うから、授業についていけない子が続々と出てくるのです。
小学生でも毎日習い事に追われる時代ですが、家庭でひとりで学べる環境が整えば、もう少し余裕を持った生活をすることができそうです。
独学用の教材があれば勉強は家庭でできるし、その方がずっと効率がいいと思います。あとは、勉強のペースを客観的にチェックするようなシステム(言葉の森の寺オンのような)があれば、さぼったり、逆にやりすぎたりすることもなくなりそうですね。
子どもの学習は家庭が中心と考えると、いろいろ無理をしていたことがわかってきました。
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ワークショップ・懇親会に参加を希望される方は、下記のフォームからお申し込みください。
https://www.mori7.com/kform.php?k=1029
10月29日(土)13:00~の講演会が14:30に終了します。
そのあと、15:00から同じ会場の別の部屋でワークショップ・懇親会を行います。
遠方からはるばる来られる方も多いと思うので、この機会にできるだけ多くのものを持ち帰っていただければと思います。
今回の講演会では、初めて会う人も多いので、ただの交流ではなく、ワークショップ形式で子供の勉強に役立つ教えるテクニックを練習するような場にしたいと思います。
時間は、1時間半を予定していますが、長時間いられない人もいると思うので、30分ごとに休憩を取り、その休憩の時間に退出される方はそうしていただいて結構です。
ですから、気軽に参加してください。
また、講演会には参加できないが、ワークショップ・懇親会には参加できるという方も受け付けています。
ワークショップ・懇親会の内容は次のものを予定しています。
○自作名言の作り方(受験作文に効果のある自作名言の作り方)
受験作文では、結びの5行に自作名言を入れると、文章全体が引き締まります。
同レベルの作文では、結びに光る表現が入っているかどうかが決定的な差になります。
しかし、これはひらめきがないとなかなか出てこないものなので、普段の作文練習の中で、形だけ入れるようにして、その中でよく書けたものをストックしておくということが大事になります。
親や先生が、この自作名言の書き方のコツを知っていることが大事なので、いくつかのテーマをもとに実際に自作名言を作ってみる練習をします。
○構想図の書き方(作文が全然書き出せない子に対する指導法)
言葉の森では、構成図又は構想図という名前で、作文を書き出す前に書きたいことをランダムにメモ書きする方法を説明しています。これは、書きたいことが複雑な場合や、書くことがはっきり決まっていない場合に有効は方法です。
しかし、この構想図は、それ以上に、作文が苦手な生徒や作文をなかなか書き出せない生徒に、親や先生が作文を書かせるときに役立つ方法なのです。しかも、時間はわずか10分ほどで、誰でも簡単にできます。
ワークショップでは、構想図の書き方の実例を示したあと、2人1組で、作文が苦手な子供役と、作文を教える大人役に分かれて、構想図を書く練習を行いたいとます。
○絵を描く項目の指導(低学年で絵の苦手な子に対する指導)
低学年の作文課題では、作文の中心を決めるために絵を描くという項目があります。
ところが、この項目は、得意な子と苦手な子がはっきり分かれます。絵を描くのが好きな子はすぐに描き始めますが、絵を描くのが苦手な子は、ここでつまずいてしまうことがあります。
体験学習で初めて来た生徒の場合は、あらかじめその子が絵を描くのが好きかどうかわかりませんから、絵を描く段階で止まってしまう生徒がいた場合、どうアドバイスしたらいいか困ることがあります。
そこで、絵を描くのが苦手な子に、どうアドバイスするかという練習をします。これは、絵を描くのが苦手な大人の人でもできる練習ですからご安心ください。
○暗唱の仕方(初めて暗唱をする子に対する指導)
子供に初めて暗唱の指導をする場合、その最初の指導で確実にできるようにさせることが大事です。
そのための方法の一つが紙折り暗唱法です。
これは、繰り返し音読するということを漠然と指導するのではなく、形に残る方法で回数を決めて音読する方法です。
この暗唱の仕方を実際に味わうと、子供に対する暗唱指導も自信を持って行えるようになります。
○作文作りゲーム
小学校3年生ぐらいの子は、語彙も豊富になっているので、作文作りゲームをすると盛り上がります。
教室でちょっとしたイベントをするとき、又は、近所の子供が数人家庭に集まったときなど、簡単にできる知的なゲームとして楽しめます。
この作文作りゲームの実習をします。
○五七五作り、連句作りゲーム
これも、子供たちが何人か集まったときのイベントとして使えるゲームです。
また、連句の場合は、場所や時間が離れている人どうしでも、作って楽しむことができます。
その作り方を練習をします。
○これらの練習のほかに、
・森林プロジェクトや言葉の森の講師をしている人からの簡単なスピーチ
・テーブルごとの交流
・質問や相談の受け付け
なども行います。
また、作文は、親が自分の子供に直接教えるよりも、ほかの人に教えてもらい、親がそれをフォローする方がうまく行く場合があります。
今後、希望者の間で、期間を決めて、そういう教え合いをする機会なども作っていきたいと思っています。
■言葉の森ワークショップ・懇親会
▼会場
ワークピア横浜 B1F ユーフォニー
(みなとみらい線 日本大通り駅から徒歩5分)
http://workpia.or.jp/
▼時間
10月29日(土)午後3:00~4:30
(30分ごとに休憩タイムをとりますので、お時間のない方はその休憩タイムに退出していただいて結構です。)
▼費用
1,000円
ワークショップ・懇親会に参加を希望される方は、下記のフォームからお申し込みください。
https://www.mori7.com/kform.php?k=1029
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言葉の森の作文指導法の一部を実際に体験してみる企画です。
特に、理屈はわかるが実際の教え方がわかりにくい、自作名言の作り方、構想図の書き方、絵の描き方、暗唱の仕方などを中心に実習をします。
講演会のあとの企画ですが、講演会に参加していない人も参加できます。
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10.22保護者セミナーの講義(質疑略)
https://youtu.be/hMfUnzCAamw
★ セミナーの講義部分はホームページに公開しましたので、有料でご参加いただいた方は、12月までに行われる今後のセミナーについて1回分無料でご参加いただけるようにしました。(10/23追加)
10.22の保護者セミナーは、「家庭での関わり方」の話をしました。
これは、主に、作文を書く前にどういう姿勢で対話をしていくかという話でした。
前半の講義の部分のみアップロードしましたのでごらんください。(約22分の動画)
11.5のセミナーでは、作文が返却されたあとに、どういう関わり方をしていくかという話をします。
また、生徒本人が書いた作文をアップロードしていたたければ、それをもとにしたアドバイスもします。
●テーマ
「公立中高一貫校の受験作文、作文返却後の関わり方」
●講師
中根克明(森川林 作文教室言葉の森代表)
●日時
11月5日(土)10:30~10:55(25分間)
●会場
googleハングアウトで行います。(スマホ、タブレット、PCのいずれからでも参加できます。)
ハングアウト会場のリンク先は、当日の15分前に、言葉の森のホームページの上部に表示します。
(10分前から入れます。入室する際は、マイクをミュートにしておいてください。ウェブカメラはオンでもオフでもどちらでもかまいません。ウェブカメラがなくても参加できます。)
●参加費
・言葉の森受験作文コース受講中の生徒の保護者………………無料
・受験作文コース以外の言葉の森の生徒の保護者…………500円(受講料と合わせての自動振替)
・言葉の森の生徒の保護者以外の方……………………2,000円(銀行口座からのお振込み)
▽銀行からお振込いただく場合の言葉の森の口座
三井住友銀行 港南台支店 普通 6599615 株式会社言葉の森
●定員
7名まで(先着順)
●お申し込み
参加予約は、下記のフォームからお願いします。
▼参加予約フォーム
https://www.mori7.com/kform.php?k=1105
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音読暗唱が効果的だという例は、身近にもあります。それが小学2年生で習う九九です。
欧米では、九九を暗唱するという勉強法ではなく、掛け算の一覧表を渡されてそれを知識として覚えるという勉強法がとられているそうです。
九九を暗唱するという方法と、掛け算の一覧表を渡されて覚えるという方法と、どちらが合理的な感じがするかというと、一覧表を覚える方です。そのやり方なら、誰でも納得するからです。
九九を暗唱するという方法は、その暗唱文化を経験した人にしか受け入れられません。そのかわり、暗唱文化が受け入れられている社会では、親も先生も迷いなく子供に九九を暗唱させようとします。
もし子供が、「こんなの覚えられない」「面倒だからいやだ」「紙に書いて覚える」などと抵抗しても、うまくなだめすかしてほぼ例外なくすべての子供が九九を言えるようにします。教える大人に迷いがないのは、九九を暗唱する文化が背景にあるからです。
しかし、この九九の暗唱が効果的だということが十分にわかっていながら、インドの20×20までの九九を暗唱させようとする人は日本にはまずいません。それは、20×20までの暗唱文化が日本にないからです。
文章の暗唱ということに関して言うと、戦前までの日本には、暗唱の文化がありました。江戸時代の寺子屋の素読のような組織だったものではありませんでしたが、それぞれの家庭で勉強の基本は暗唱だということが暗黙のうちに理解されていたようです。
だから、昔の子供たちは、小学校しか出ていない学歴の人がほとんどでも、その人たちの学力の水準はかなり高かったのです。
では、なぜ今、暗唱の文化が途絶え、また暗唱をしている人でも暗唱を勉強に結びつけるという発想がわかないかというと、これも戦後の教育の影響ですが、模倣や音読や暗唱や反復という勉強法よりも、理解の勉強法ということが優先されてきたからです。戦後の世代は、理解と知識の勉強法が最も普遍性があるという前提で教育されてきたのです。
小2までは暗唱がよくできるが、小3になるあたりから暗唱が難しくなるというのも、そのころになると学校の勉強でも、「わかる」「覚える」という理解と知識と勉強が増えてくるからです。
理解して身につけるという勉強法では、先生の説明が必要になります。
しかし、理解には個人差があるので、すぐに理解できる生徒と理解できない生徒が分かれます。それを同じような水準にするために、テストとか競争とかいう欧米的な勉強スタイルが一般化してきます。理解の勉強には、先生と授業とテストと競争がセットになるのです。
それに対して、模倣と反復の勉強には、先生も授業もテストも競争も必要ありません。
精選された教材を決めて、それを自分のペースで繰り返し音読して身につければ、それだけで授業的な勉強の何倍も能率よく学力がつきます。
唯一必要なのは、わからないところがあったときに質問できる人がいることだけです。しかし、そういう質問も解説が十分な教材があれば、実際にはほとんど必要ありません。
日本には、九九を覚えるという形で暗唱文化がまだ残っています。
この暗唱文化を、勉強全般に応用していけば、子供たちの学力はどの子ももっと簡単に高くなっていくのです。
(つづく)
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戦後の日本の教育は、アメリカ的な合理主義で塗りかえられましたが、九九の文化や百人一首の文化は社会の中に残りました。
この暗唱文化の活用を再考する時期に来ているのではないかと思います。
私の教室では、暗唱長文ではなく、塾の教科書を暗唱してくる受験生がいました。理科も社会も、ひたすら音読して覚えていたようです。
スペインの現地校に通う娘には、スペイン語と日本語、両方で暗記させました。スペイン語は日本語のようにリズミカルにはいきませんが・・・。おかげで、かけ算割り算だけでなく、四則計算の暗算がはやいです!
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