「一日十分から十五分の素読を行うと、記憶力がよくなるばかりでなく、心理学でいう転移、つまり記憶とは別の力まで伸びるという反応が起きます。その能力とは、抑制力、創造力、論理的な思考力といったものですが、実際にMRIで調べると脳の前頭前野の両側の体積が増えていることが証明されているんです。」
たまたま、月刊「致知」2016年12月号を見てみると、川島隆太さん(東北大学加齢医学研究所長)と、齋藤孝さん(明治大学文学部教授)の対談が載っていました。
ここに出てくる話は、言葉の森がこれまで書いていたことや実行していたことと全く同じでした。
以下、川島さんの話から引用。
「思考や記憶などを司る前頭葉は十二歳がピークで、その後はだんだん薄くなるものですが、大人でも素読を続けることによって元に戻っていくんですね。これは脳の可塑性といわれ、脳の神経細胞のシナプスの量が増えてネットワークが通じやすくなるわけです。それも、MRIで見て分かるくらい劇的に変化するんです。」
「……このトレーニングをやると実際、アクティビティ(行動量)が高まり、記憶力が二割ほど増した状態となります。」
「(SNSについての話で)……ラインの文面を見ていただければ理解できると思いますが、極めてプアなコンテンツしか出てきません。『お昼何にする?』『カレー』『どこ行く?』といったように、まるで幼稚園児レベルの会話しか続かないんですね。物を考える人としての脳は積極的に寝てしまっている。ある意味、とても怖いツールでもあるんです。」
「僕たちは七年間、仙台市の七万人の子供たちの脳を追いかけて調べていますが、スマホやSNSの利用と学力との関係が明らかになってきました。そこで分かったのは、これらを使えば使うほど学力は下がります。それは睡眠時間や勉強時間とは関係ありません。」
「……認知症のお年寄りに、美しい日本語の文章を声に出して読ませるトレーニングを取り入れました。認知症は薬を飲んでもよくはならないんです。悪くなるスピードを遅らせるだけです。ところが、素読を続けると劇的な変化が見られます。認知症の進行が止まるだけではなく、改善していくんです。」
「……教育の専門家ではない僕がそこに深くせめこむことはできませんから、『読書習慣のある子供たちは脳の発達がいい』というデータを示して、それとなく訴え続けているわけですが。」
「素読をしない文化、読書をしない文化では、次の世代からノーベル賞など出なくなるでしょう。理系の脳をつくるのにも、読書は絶対に必要なんです。」
以上のように、川島さんは、素読の効用について述べていますが、この素読の発展したものが暗唱になります。
そして、この暗唱を、毎週担当の先生がチェックする形で、家庭で続けられるようにしているのは、今のところ、電話通信で作文指導をしている言葉の森だけだと思います。ただし、生徒の負担にならないように、暗唱チェック、暗唱検定は希望者のみにしていますが。
さて、SNSの利用が学力を低下させるということについては、ある面からは確かにそうだと言えます。
しかし、そのマイナス面を克服したSNSの活用法がこれから作られていくと思っています。
(つづく)
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素読をすると、子供たちの記憶量が二割も増すそうです。
そして、お年寄りの場合も、治らないはずの認知症が劇的に変化し改善するそうです。
素読によって、年齢に関わらず脳が可塑的な変化をすることがわかってきたのです。
この素読の発展したものが暗唱です。
暗唱の効果については、自分も暗唱しているときに確かに実感していました。
頭がよくなっているような感じがしたのです。感じだけね(笑)。
しかし、主観的なこととも思われるので、そのことはあまり書きませんでした。
今回の川島さんたちの話をみると、それが客観的にも証明されつつあるようです。
暗唱は敷居が高いという場合、素読だけでも効果がありそうですね。
子供だけではなく、大人も、毎日の素読を習慣にしたいものです。
先日、高学年の生徒に国語の簡単な問題文を音読してもらいました。たった1行の文でしたが、たどたどしくしか読めず、しかも読み間違えをしていました。低学年のうちから音読の習慣をつけておくことは、本当に大事だなあと思いました。
読書の効果を見直すべきですね。
音読(素読)を日常の学習に取り入れている生徒さんは、本当に国語力があがります。講師として多数の生徒さんに接していると、実感として強く感じます。
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暗唱力のある子は、理科も社会も得意になります。
教科書を何度か読んでいるうちに、内容が自然に自分のものになるからです。
特に社会の勉強は、教科書を読んでそれが頭の中に入ればいいだけですから、わざわざ勉強して覚えようとしなくても、教科書を読んでいるだけで自然に成績がよくなるのです。
この暗唱力は、作文にも生きてきます。文章を暗唱していると、作文の課題によって使えそうな文章や表現や単語が自然に頭の中に浮かんできます。それをそのまま生かして作文を書いていけばいいのです。
しかし、小学校二年生のころまでよく暗唱できていた生徒が、学年が上がるにつれて、だんだん暗唱できなくなってくることがあります。それは、暗唱を覚えるための勉強と考えていたからです。
覚えればいいということで暗唱をしていると、低学年のころはすぐに覚えられるので、繰り返し音読するということをしなくなります。子供から「もう覚えたからいいでしょう」と言われると、親の方もそれでいいことにしてしまうのです。
すると、学年が上がり、覚えるのに時間がかかるようになると、「難しいから覚えられない」と簡単に諦めるようになります。
これは、大人も同じで、なかなか覚えられないと、大人はすぐに、「もう年だから」などと言います。
それらはすべて、暗唱を覚えるための勉強と考えているからです。暗唱は、繰り返し音読するという勉強で、文章を覚えるというのはその結果にすぎません。覚えるのが目的なのではなく、繰り返し音読することが目的なのです。
これは、九九の覚え方を振り返ってみるとわかります。
小学二年生で九九を覚えるとき、子供は九九を決められた言い方で音読して覚えます。この方法でどの子もすぐに九九を言えるようになります。
これが、もし、九九の一覧表を見てその表を覚えるとか、掛け算の理屈を理解して覚えるとか、決められた順番でなくランダムに出される問題として覚えるとか、決められた言い方ではなく自分の好きな言い方で覚えるとか、声に出さないで目で見るだけで覚えるとかいう形にすると、短期間で覚えられる生徒はぐんと少なくなるはずです。そして、覚えられないという子も出てくるのです。
日本ではほとんどすべての子が九九を間違いなく言えるのは、決められた言い方で、決められた順番で、しかも音読する形で九九を覚えるという方法があるからなのです。
同じやり方で音読を繰り返すというのが、暗唱の基本的な方法です。だから、暗唱に使う教材も一種類に限定した方がいいのです。
最初に1枚のプリントで暗唱を始めたとしたら、そのプリント以外のものは使わないようにします。そのプリントを分割してカード式にして覚えようとしたり、プリントを拡大コピーして覚えようとしたり、難しい漢字にルビをふったり、あるいはひらがなに書き直したり、そのプリントに書いてある文章を手書きで書き直したりなどということは、一切しない方がいいのです。
同じものを同じ順番で音読するというのは、暗唱の勉強では最も大事な原則なのです。
このような形で暗唱していると、その暗唱した文章が、単なる知識の記憶ではなく、自分の身体に血肉化された形で定着するようになります。
暗唱した文章が、自分の手足の一部であるかのように、特に意識しなくても必要なときに自由に使えるようになるのです。
ここで出てくる暗唱の効果が、文化の教育としての暗唱です。
暗唱は、単に記憶力を高めたり、数学や英語や理科や社会の成績を上げたり、作文を上手に書けるようにしたりするためだけでなく、もっと重要な効果として、文化力を高めるという要素があるのです。(つづく)
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暗唱は、一応覚えたというぐらいでは効果はよくわかりません。
無意識のうちに自然に口をついて出るくらいまでになると、その暗唱した文章が自分の手足のように自由に使えるものになります。
すると、その暗唱力を勉強にも生かすことができるようになります。
しかし、もっと大事なのは、その暗唱を自分の文化力に生かしていくことです。
ちょっと間隔が空いてしまいましたが、暗唱の話の第五弾。
暗唱の持つ文化力形成の一面です。
例えば、思いやり、勇気、正直さ、忍耐などの人間的な徳性は、理屈では教えられません。
道徳教育が不毛なのは、徳目を知識として教えようとするからです。
道徳は、文化として伝えていくものです。その方法の一つが体験、もう一つが暗唱です。
ドリルで勉強することが多々ありますが、教科書一冊暗唱できれば、最大の学習効果が期待できそうですね。
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言葉の森の未来教育の構想です。
(1)これからの子供たちに必要な勉強は、知識の詰め込みではなく、創造性を育てる作文や発表である。
(2)勉強は、自学自習で家庭学習中心にやるのが最も能率がよい。
(3)日常の勉強は、オンエアのネットワークを利用して、先生や友達と一緒に自宅で行えるようにするのがよい。
(4)ときどきは、遠足や合宿などのリアルな交流を行うことが日常の勉強の励みになる。
(5)教育は本来、誰でも参加できる価格で提供されるべきである。
(6)子供たちのトータルな成長を支えるものは、家庭での親子の対話と交流である。
(7)先生の仕事は知識を教えることではなく、子供たちが自ら知識や技能を修得するのを支援することである。
これらの教育観のもとで、言葉の森では今、作文の通信指導のほかに、オンエアの学習指導をいくつか行っています。
それらは、次のようなものです。
・寺子屋オンエア(小1~中3/1404円)、
・オンエア講座の「読書実験クラブ」(小1~3/1728円)、
同じく「思考国算講座」(小4~6/1728円)、
同じく「作文と勉強」(小3~6/モニター無料)、
・オンエア作文(全学年/無料)。
また、これらの通信指導やオンエア指導の一方、春や夏の遠足や合宿の企画を行っています。
そして、もともとの作文指導では、プレゼン作文発表会、作文検定、森リン大賞などの企画を行っています。
また、このほかに、暗唱検定、自習検定などの企画も行っています。
将来これらを有機的に組み合わせて、森の学校オンエアというシステムを作ることを考えています。
個々の企画は、もう既に見通しがつきました。
あと残っているのは、常時合宿ができる場所探しです。気が早い(笑)。
その合宿の場所では、馬や犬や鳥が放し飼いになっていて、合宿に参加した子供たちは自由にそれらの動物たちと遊べるようになっています。
また、川や池や海などの水で遊べる場があり、いつでも泳げるようになっています。子供たちは水遊びが好きだからです。
なぜ合宿という形にするかというと、こういう広い合宿所は、都市部から少し離れた場所になるので、合宿して勉強や遊びをする方が時間が有効に使えるからです。
また、一緒に寝泊まりすることによって、子供たちは友達との交流を通していろいろなことを学べるからです。
中には、その合宿所で毎日の勉強をし、土日だけ家庭に帰るという子も出てくるかもしれません。そういう場合は、その合宿所が学校になります。
普段の勉強は、自学自習とネットワークを利用した授業で先生や友達と交流しながらできるので、人里離れた合宿所を学校として毎日の勉強をしても全く差し支えないのです。
そして、こういう形で勉強できれば、この森の学校オンエアは、一箇所だけでなくどこでも作れるようになります。
将来は、森の学校の設立を希望する人には、これらのノウハウを教えることもしていく予定です。
この森の学校オンエアは、日本の教育にとどまりません。
東南アジアの子供たちの教育は、今はまだ旧来の教育形態で行われていますが、この森の学校オンエアというシステムを利用すれば、もっと能率のよい創造的な教育が行われるようになります。
すると、日本やアジアの各地に広がるさまざまな森の学校の合宿所の間で、子供たちどうしの交流もできるようになると思います。
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未来の学校は、もっと楽しい場になると思います。
勉強は自学自習中心に能率よく済ませ、遊ぶ時間がたっぷりあり、家族の対話があり、友達との交流があり、知識の詰め込みではなく創造性を育てる教育が行われ、それが日本だけでなくアジアや世界に広がっていくのです。
想像するだけでもワクワクしてきますね。
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