日本人は、世界の中でも珍しいほど正直な人が多いと思います。
それは、財布などの落とし物が届けられることが多いということに表れています。
しかし、世界の標準はたぶんそうではありません。
見つからなければ平気で嘘をつくという人は、かなり多いと思います。世界の犯罪の発生件数の統計などを見ると、そういう国ごとの差がよくわかります。
また、ビジネスでも普段の生活でも、賄賂が日常的に行われている国も多いようです。
日本の場合は、江戸時代の昔から、役人が清廉潔白でした。
江戸時代、日本に来たシュリーマンがそのことを詳しく書いています。
さて、こういう倫理感というものは、教育でどうにかなるものなのでしょうか。
もし、これがテストの問題で、
「人のものを盗るのはよいことですか、悪いことですか。正しい方に○をつけなさい。(1)よい、(2)悪い」
などという問題があったとしたら、どの国の人でも正解率は百パーセント近くになると思います。
なぜ、悪いことをする人でもよい方に〇をつけることができるというと、倫理感は、知識の問題としては測定できないからです。
これが、道徳教育を困難にさせている原因です。
道徳というものを従来の教育の延長で行おうとすれば、このような知識の問題として出すしかありません。
そして、すべての人が百点を取れたとしても、その社会が道徳的な社会になるわけではないのです。
すると、そのあとに出てくるものは、罰則を厳しくするという方法です。
これは、外見上は確かに効果があります。
しかし、人間の性格の根本が変わらないかぎり、罰則がないところでは平気で悪いことをするということは残ります。
そして、強力な罰則は、社会全体の共通ルールになるよりも、リーダーシップを持つ個人の恣意的な運用で実施されることが多いので、その個人がいなくなれば、また元に戻る確率が高いのです。
では、江戸時代までの日本の社会は、この道徳や倫理のような文化の教育をどのように行っていたのでしょうか。
教育は、理解してほしいことを知識として教えるのが基本です。
だから、江戸時代のころも、「嘘をつくのは悪いことで、正直なことがよいこと」という知識を教えたのです。
しかし、それを定着させる方法がありました。それは反復によって自然にそれが自分の血肉になるようにさせるという方法です。それが、素読と暗唱だったのです。
倫理観の基礎が素読によって形成されている社会では、読み物やことわざや日常会話の中でも、その倫理観に根ざした言葉が何度も繰り返されます。
それが社会全体の倫理観を更に強固なものにしていったのです。
よいものと悪いものを見分ける能力は、よいものを繰り返し見ることによって育ちます。
教育の基本は、よい言葉、よい行動、よい知識の反復で、その中でも最も身近な方法が素読と暗唱だったのです。
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子供に、「勉強しなさい」「本を読みなさい」「字をていねいに書きなさい」などと繰り返すお母さんは多いと思います。
繰り返し聞く言葉は、その子の人生観を形成します。
だから、もっといい言葉を繰り返していくといいのです。
私の母は、「天知る地知る人が知る」という言葉をよく言っていました。
だから、自然にその言葉が自分のものの見方を形成したような気がします。
これがもし、「嘘も方便」とか「人を見たら泥棒と思え」とか「水に落ちた犬を打て」とかいう言葉ばかりだったら、やはりそういうものの見方をするようになったと思います。そういう国もありそう(笑)
道徳教育という言葉には、やや滑稽な響きがあります。
それは、よいことや正しいことを教えることができるのか、また、教えることで果たして身につくのか、という疑問があるからです。
しかし、だからといって、道徳力が自然に育つという保証はありません。
逆に、自然に任せれば、人間は善悪よりも損得にしたがって行動ようになります。
では、日本人の道徳観はどのようにして育ってきたのでしょうか。
よいものを繰り返しインプットすることで、意識が自然とよいものに向いて、明るく前向きな生き方ができるような気がします。
倫理観は学校で学ぶことでなく家庭で育てるものなのですね。
スペインでのできごとですが・・・8歳の子どもが、他の子のかばんから物を盗みました。盗まれた子が気づいて、返すよう言っても「だって欲しいんだもん」と泣いて返すのを嫌がる。そばにいた親も「返しなさい~買ってあげるから~」といかにも「なんでこんなことうちの子に言うのよ、大したもんじゃないのに」と言わんばかり。
日本だったら、親は泣いて謝り、子は真っ青になって震える・・・というところではないでしょうか。
日本の文化・教育に基づく倫理観は、本当に他に類を見ない素晴らしいものだと思います。
古くから読み継がれている絵本や本にも、こうした文化が背景になっている作品がたくさんありますね。日本人として、こういうものを子供にしっかりと伝えていきたいと、心から思います。
財布の例、本当ですね。
スペインでは、マフラーや手袋、時計なんかもちろん、5分後に気づいて引き返して探しても、ほとんど見つかりません。
仮に落とした財布が見つかるというような幸運があったとしても、現金は当然のように無くなっています(笑)
暗唱がなぜよいのか。暗唱をすることの良さが、実にわかりやすく書かれていて勉強になりました。
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「じゃあ、次の週の感想文の説明をするよ。ちょっとyoutubeを見てみよう」
と言って流したのが、「鯛の釣り」。船で釣りに行った人が、大きな鯛を釣り上げる場面の動画です。
小5の11.3週の感想文課題の長文で、鯛の話があったので、本当に鯛の色が赤いかどうか見たのです。
次のyoutubeは、「ドライアイスとシャボン玉を使った実験」。
実際にいろいろなことを試してみると、本を読んで得た知識だけではわからないことがわかる、という話の例でした。
こういう事前の準備をするのは、感想文の中身を充実させるためです。
小5の感想文の課題のもとになる長文は、中学入試レベルの説明文の文章ですから、簡単に感想文は書けません。事前の準備をしておく必要があります。
このあと、子供たちは、長文と先生の話をもとに、構想図(構成図)を書きます。時間は10分程度です。
構想図に書く内容は、長文を読んだり先生の話を聞いたりしたあと、心に残ったことです。
作文を書くための構成メモのようなものではなく、ただ頭に浮かんだことを散らし書き風に書いていくのです。
この構想図は、そのあとのお父さんやお母さんとの対話のときに役立ちます。
お父さんは、帰りが遅いことが多いと思うので、子供が感想文の似た例を取材したいと思ってもすぐには聞くことができません。夜になったり、あるいは土日の休みの日になったりすることがあります。
すると、構想図のようなメモがないと、話が始めにくいのです。
メモのようなものがないと、漠然とした質問をすることになるので、聞かれた方も答えようがありません。
また、子供の方もただ親に依存するような聞き方になってしまいます。
「こんなことある?」
「そんなことないなあ」
「あ、そう」
などという対話では、事前の準備にはなりません。
子供の構想図の説明をもとに、お父さんとお母さんと、ほかにも家族がいればその人たちも巻き込んで、みんなで思い思いに似た例を話していきます。
こういう親子の対話があると、感想文の準備ができるだけでなく、子供の語彙力が育ちます。
語彙力が育つということは、実例も、表現も、感想も豊かになっていくということです。
また、作文の材料がみんなの協力によってで作られるので、作文を書く意欲も自然にわいてきます。
言葉の森の作文指導の特徴は、事前指導です。作文を書いたあとの赤ペン添削は、事後の評価というよりも、むしろ次の作文の指導のための先生のメモのようなものです。
子供が作文力をつけるのは、事前の準備によってです。
そして、その事前の準備をする場所は家庭です。
子供たちの本当の学力は、家庭での知的な対話の中で育っていきます。
そういう事前指導を充実させるために、これから、オンエア講座「作文と勉強」でいろいろ工夫をしていきたいと思っています。
(参考までに)
真鯛の釣り
https://www.youtube.com/watch?v=chDCCajTLxI
ドライアイスとシャボン玉の実験
https://www.youtube.com/watch?v=GwBWiBboPzM
片栗粉スライムの実験
https://www.youtube.com/watch?v=zVU1aGzSAo4
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作文の勉強は、事前の準備が80パーセント、事後の評価が20パーセントぐらいです。
書くことを家で準備してくる子は、毎回充実した作文を書き、実力もぐんぐんついていきます。
書くことを準備していない子も、書くことによって少しずつ上達はしますが、やはり進歩に時間がかかります。
この事前の準備をしやすくするために、今、言葉の森では授業形式の作文指導をする実験をしています。
それが、オンエア講座「作文と勉強」です。
生徒のお母さんから、「作文がきっかけで、いろいろな話ができるようになり、お父さんが一番喜んでいる」と言われたことがあります。^^
作文は、書くという行為だけでなく、事前の準備に意義があります。
一つのテーマについて家族で話をする機会は、普通ならあまりないと思いますが、毎週作文を書くことによって、そういう習慣が生まれるのはいいことですね。
お世話になっております。事前指導について、このごろは本人が必要ないと言い始めて困っています。課題集のヒントが充実しているので、それで事足りている、事前指導も親の話も不要だとのこと。電話指導をお休みしたとき、振り替え指導を受けずに、一人で作文を書いているときがあります。あるいは、作文をほとんど書いてしまってから電話指導を受けているときもあります。
担当の先生と予定通りお電話ができるときは、やはりずっと見てくださっている先生なので、ためになるお話ができるそうです。が、振り替え指導になると、どうしても課題集ヒント以上の話には発展しにくいため、不要だというのが本人の言い分です。
自力で取り組めることを評価する、また、仕上げた作文のレベルが課題集ヒントをつなげたものに過ぎなくてもそれはそれで一つの過程である、とは思うのですが、親としては、授業料がもったいない…苦笑。
学校生活が多忙で不規則なため、空き時間にさっさと済ませたいという気持ちはわかるのですが、そういう子どもに対して電話指導を効果的なものにする秘策はありますでしょうか。
(昔、非常に優秀な生徒さんの担当をしていて、私の指導は不要なんじゃないか、どうやったらその生徒さんの力になれるのかと悩んだのを思い出しました。我が子は優秀ではありませんが・・・)
お返事遅れてすみませんでした。
これは、子供の勉強の問題というよりも、子供の勉強に対するお母さんの見方の問題だと思います。
私の推測ですが、子供は、お母さんの目を意識しているので、お母さんの望むとおりにやるのが嫌なのです(笑)。勘のいい子は、そういうことがよくあります。
それは、お母さんが、子供に、「もっと……したらいいのに」というより高い水準を要求することが多いからです。
中学生の時期の子供は、外見とは違って内面生活はいろいろな不安を持っています。
だから、周りの人、特に母親は、その子に何かを求めるのではなく、その子が今のままでいいのだと安心させてあげることが大事です。
だから、「先生の話、聞かなくても自分で書けるってすごいね」とか、「いろいろなことがあって忙しいのに、早く仕上げてえらいね」とか、「課題のヒントをつなげて書くなんて、なかなか要領いいね」とか、今やっていることをそのまま認めてあげるといいです。
そして、あとは、この話とは違いますが、もし時間があればまた講師を再開してください(笑)。
これから、いろいろ新しい面白いことをする予定なので。
でも、すぐでなくてももちろんいいですが。
お忙しい中、お返事をありがとうございました。
先生のご指摘の通りだと思います。
講師の立場にあるときは、子どもにのんびり構えられるのですが、我が子となると、要求はどんどん高くなってしまいます。
いけないと思いつつ、やってしまうのが親かな・・・修行が足りません。
子どものほうは、親の期待を嫌がりつつも、本能的にそれにこたえようとするのですね。
最近は、子どもが自分で自分を追い込んでいく姿も見られるので、ひやっとします。反省の日々です。
どんな年齢になっても、子どものありのままを認めることがどれほど大切か、思い知らされます。
それは、教育だけではなく、人間社会のあらゆる面に通じることですね。
思春期の子どもを育てていると、自分に自信がどんどんなくなっていきます。
昔、言葉の森の先生方が、我が子の作文指導をあえてほかの先生にお願いしていました。その気持ちが今はよーくわかります。
時間はあるのですが、気持ちの余裕がない状態です、涙。
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■モニター追加募集要項
言葉の森では、現在、オンエア講座「作文と勉強」を行っています。これは、毎週の作文の電話指導をより充実させるとともに、算数数学を中心にした勉強の実力をつけるための講座です。
オンエア講座「作文と勉強」は、これまで、小3~小6の学年別に無料モニターを募集してスタートしていましたが、このたび、新たに学年と曜日・時間を増設し、新規のモニターを追加募集することにしました。
期間は、11月2週から12月3週までで、週1回約45分の講座で、希望される方は無料で参加できます。
オンエア講座とは、Googleハングアウトを利用して、ウェブ会議で少人数制の勉強を行う仕組みです。ウェブカメラのついたパソコン、又は、スマホ・タブレットさえあればどなたでも参加できます。
ただし、作文の課題集に基づいた話をするので、言葉の森の生徒又は森林プロジェクトの生徒が対象になります。
用意していただくものは、
・Googleのアカウント(gmailを利用している人であれば既にGoogleアカウントがあります。新しいアカウントを新たに作ることもできます。)
・ウェブカメラのついたパソコン、又はスマホ・タブレット(いずれでもできますが、パソコンが操作はしやすいと思います。)
・「ハイクラステスト算数○年」(小学教育研究会・増進堂・受験研究社)(該当学年のもの。中学生の場合は「数学」(中学数学問題研究会))
■現在募集しているオンエア企画一覧
現在募集しているオンエア企画の対象学年と曜日・時間は下記のとおりです。
オンエア企画一覧
・このほかに、寺子屋オンエアを月曜~金曜の17:00~21:00の時間帯で行っています。(週何回でも受講できます。週1回につき月額1404円)
・作文をオンライン上で書くオンエア作文は、現在作文通信を受講している時間帯でできます。(無料。ただし担当講師がオンエア作文に対応していない場合もあります。)
・いずれのオンエア企画も2回の体験学習ができます。(ただし保護者懇談は体験学習はありません)
■現在募集しているオンエア企画の概要
いずれのオンエア企画も6~7名の少人数制で、定員になったところから締め切ります。
お申し込みは、言葉の森ホームページの「オンエア企画一覧」のフォームから、又は、言葉の森事務局までお電話でお願いいたします。
●オンエア講座「作文と勉強」モニター 無料 12.3週まで
オンエア講座「作文と勉強」は、小1から中3までの全学年が対象です。
○小1……月18:00から45分間(生徒向けの授業は最初の30分、後半の15分は保護者懇談など)
○小2……金18:00 〃
○小3……月19:00 〃
○小4……木18:00 〃
○小5……火19:00 〃
○小6……木19:00 〃
○中学生…金19:00 〃
(小3のもうひとつのクラス、水18:00は満員になりました。)
●オンエア講座「読書実験クラブ」 有料
このほかに、小1~3対象の有料のオンエア講座があります。こちらも参加できます。
○小1~小3……火18:00から45分間
(週1回、月額1728円。主に本の読み聞かせと構想図書きの練習)
●オンエア講座「思考国算講座」 有料
また、小4~6対象の有料のオンエア講座もあります。こちらも参加できます。
○小4~小6……水19:00から45分間
(週1回、月額1728円。主に公立中高一貫校向けの難度の高い作文と算数の学習)
●受験作文オンエア保護者セミナー懇談会 無料~有料
保護者を対象にしたオンエアセミナー懇談会もあります。これは1回毎に参加者を募ります。
○保護者対象……土10:30から25分間
(週1回、受験作文コースの生徒の保護者は無料、受験作文コース以外の言葉の森の保護者は500円/回、言葉の森の生徒以外の保護者は2000円/回。主に受験作文の書き方のポイントを説明、添削講評もあり)
これまでに行った懇談会のテーマは、「公立中高一貫校の受験作文の書き方のコツ」「受験作文の作文返却後の関わり方」。
11.12のテーマは、「受験に合格したあと、しなかったあとの対応について」。また、参加者からアップロードされた作文の添削講評を行います。
■オンエア講座「作文と勉強」の授業の流れ
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生徒がそれぞれに、今読んでいる本、今やっている勉強などをみんなに紹介。(10分)
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先生が、次回の作文課題の準備になる話を説明。(10分)
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続いて、先生が、算数数学の考える問題を解説。(10分)
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生徒は、作文の構想図書きの練習、又は、算数数学の似た問題の作成。
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その間、先生と保護者の懇談。(15分)
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授業のあと、生徒は自分の書いた構想図や似た問題をもとに親子で対話。(後日)
![](https://www.mori7.com/izumi/gazou/2016/11082054096.jpg)
構想図や似た問題はアップロードしておき、次回みんなに紹介。(後日)
■オンエア講座「作文と勉強」の目標と内容
●作文の勉強を更に充実させるために
オンエア講座「作文と勉強」の第一の目標は、作文指導の充実です。
これからの勉強は、知識の詰め込みのようなものから、思考力や創造性を育てることを中心としたものになってきます。
新しい入試の方向も、記述問題、小論文、口頭試問などが重視されるようになってきます。
そこで、言葉の森では、現在行っている作文の勉強を更に充実したものにするために、このオンエア講座「作文と勉強」で、作文課題の事前の準備に力を入れていきます。
また、先生と生徒だけの話になりがちだった作文通信指導を、生徒どうしの交流や、先生と生徒と保護者の協力を生かしたものにしていきます。
●実力のつく自学自習の勉強を進めるために
オンエア講座「作文と勉強」の第二の目標は、算数数学を中心にした実力の養成です。
今の子供たちの勉強は、学校にしても学習塾にしても、先生が生徒に知識を教え込むような形が一般的です。
小中学校の間の勉強は、基本的に教科書又は詳しい参考書を読めば誰でも理解できる勉強なので、この教わる勉強というのは時間的な無駄の多いものです。
また、勉強は知識を理解するだけでは身につきません。その理解を反復練習によって定着させることが必要ですが、これは主に家庭での宿題に任せられています。
ところが、この宿題は、同じものを繰り返しやるのではなく、新しい宿題を次々に出される形が多いので、定着させるまでにかなり時間がかかっています。
人に教わる勉強、宿題をさせられる勉強から、家庭で自主的に勉強するスタイルに切り換えることができれば、もっと時間の余裕ができ、勉強も楽しくできるようになります
●受験をしなくても家庭で中高一貫の勉強ができる
今の受験体制のもとでは、受験期の最後の1年間は受験勉強だけに絞った勉強のできる中高一貫校が有利です。そのために早期からの受験勉強が必要だと言われています。
しかし、現在は、スタディサプリなどを利用すれば、学校や塾に頼らずに家庭で1年間の先取り学習ができるようになっています。
無理に受験をしなくても、あるいは受験に落ちても、家庭で十分に中高一貫の勉強ができるようになっているのです。
学習塾に通う子は、早期からのパズルを解くような難問に時間を費やし、競争を煽るような勉強を強いられています。
受験に出る難問は、受験期の最後の1年間に集中して取り組めば間に合うものですから、それまでは平凡にその学年相当の学力をつけておけば十分です。
早期からの受験勉強に時間をとられるよりも、小中学生のころは、読書や経験の自由な時間を確保しておく方が将来必ず伸びる子になります。
そのためには、家庭における自学自習を勉強の中心にしておくといいのです。
●得意不得意のはっきりしている子は、なおさら自学自習で
現在、教育格差が進行し、学習塾などに通いたくても通えないという子も増えています。
言葉の森がオンエア講座などの企画を、可能なかぎり低価格にしているのは、その理由もあります。
しかし、家庭で勉強する仕組みができれば、学習塾などに通わなくても小中学校の勉強は十分にできます。
むしろ、得意不得意がはっきりしてる個性的な子は、塾よりも自分のペースで勉強した方がずっと充実した勉強ができるのです。
また、勉強が苦手な子は、補習塾などに行ってもほとんど効果がありません。
苦手になったのは、学校で出された宿題などをやっていなかったので練習量が足りなくなったためです。
だから、同じように、補習塾で出される宿題を家庭でやらなければ成績は上がりません。
学校で苦手になった子は、塾でも苦手は直りません。直るのは、家庭で自分で勉強する習慣を作ることによってです。
●寺子屋オンエアでの自学自習の勉強を更に活性化するために
言葉の森では、勉強は自分のペースで家庭で行った方が能率よく楽しくできるという考えのもとに、寺子屋オンエアを行ってきました。(寺子屋オンエア週1回で月額1404円)
実際に、寺子屋オンエアで問題集読書や音読をしている子は、国語の成績がかなり上がるという結果が出ています。
また、先生が読書のチェックをするので、読書の量が自然に増えるという結果も出ています。
しかし、寺子屋オンエアは、自学自習を先生が見守り、最後に問題を出すという形なので、それだけでは子供たちには刺激の少ない面がありました。
また、先生と保護者とのコミュニケーションもまだ不十分な面がありました。
更に、子供たちどうしが発表したり交流したりする面もまだ不足していました。
そこで、このオンエア講座「作文と勉強」では、子供たちの意欲を引き出し魅力のある自学自習の勉強の場を作るという目標で企画を進めていきます。
具体的には、6~7名のグループ単位で、先生が授業のような形で話をし、子供たちが発表し交流する機会を作り、併せて先生と保護者とのコミュニケーションを日常化するという形の運営です。
また、勉強の進捗状況を見るためにミニテストなどを行い、質問や相談にも答える場を作っていきます。
したがって、現在寺子屋オンエアで勉強している生徒にとって、このオンエア講座「作文と勉強」は、自学自習の勉強を更に活性化するものになります。
■これからの勉強はこう変わる
![](https://www.mori7.com/izumi/gazou/2016/11082056140.jpg)
詰め込みだけの人より、読書力も経験力も感受性も創造性もある人に。
![](https://www.mori7.com/izumi/gazou/2016/11082056141.jpg)
子供時代はたっぷり遊んでたっぷり読書。
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わざわざ塾へ行くよりも家庭で自学自習。
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親子の対話で思考力を伸ばす。
![](https://www.mori7.com/izumi/gazou/2016/11082056144.jpg)
家庭で1年間先取り。受験は1年間の集中学習で。
![](https://www.mori7.com/izumi/gazou/2016/11091005310.jpg)
誰でも同じ教育環境で勉強でき、そして夏には自然寺子屋合宿。
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世の中がどう変化しても、社会の基本は変わりません。
それは、子供たちが生き生きと暮らし、自分の能力を開花していける社会を作ることです。
その教育とは、もちろん勉強だけではありません。
また、教育の専門家だけが担うものでもありません。
すべての人が参加する、よりよい社会作りの第一の目標なのです。
日本の教育の原点は、江戸時代の寺子屋教育と、貝原益軒の「和俗童子訓」などの教育論にあると思います。
それを、現代の科学技術と民主主義のもとで日本的に再生することが未来の理想の教育につながっていくと思います。
そして、教育こそが日本を復興させる最初の出発点なのです。
FBの森プロプロのグループにシェアします。
作文の事前準備は、実例のいいアイディアがうかんできそうですね。
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「一日十分から十五分の素読を行うと、記憶力がよくなるばかりでなく、心理学でいう転移、つまり記憶とは別の力まで伸びるという反応が起きます。その能力とは、抑制力、創造力、論理的な思考力といったものですが、実際にMRIで調べると脳の前頭前野の両側の体積が増えていることが証明されているんです。」
たまたま、月刊「致知」2016年12月号を見てみると、川島隆太さん(東北大学加齢医学研究所長)と、齋藤孝さん(明治大学文学部教授)の対談が載っていました。
ここに出てくる話は、言葉の森がこれまで書いていたことや実行していたことと全く同じでした。
以下、川島さんの話から引用。
「思考や記憶などを司る前頭葉は十二歳がピークで、その後はだんだん薄くなるものですが、大人でも素読を続けることによって元に戻っていくんですね。これは脳の可塑性といわれ、脳の神経細胞のシナプスの量が増えてネットワークが通じやすくなるわけです。それも、MRIで見て分かるくらい劇的に変化するんです。」
「……このトレーニングをやると実際、アクティビティ(行動量)が高まり、記憶力が二割ほど増した状態となります。」
「(SNSについての話で)……ラインの文面を見ていただければ理解できると思いますが、極めてプアなコンテンツしか出てきません。『お昼何にする?』『カレー』『どこ行く?』といったように、まるで幼稚園児レベルの会話しか続かないんですね。物を考える人としての脳は積極的に寝てしまっている。ある意味、とても怖いツールでもあるんです。」
「僕たちは七年間、仙台市の七万人の子供たちの脳を追いかけて調べていますが、スマホやSNSの利用と学力との関係が明らかになってきました。そこで分かったのは、これらを使えば使うほど学力は下がります。それは睡眠時間や勉強時間とは関係ありません。」
「……認知症のお年寄りに、美しい日本語の文章を声に出して読ませるトレーニングを取り入れました。認知症は薬を飲んでもよくはならないんです。悪くなるスピードを遅らせるだけです。ところが、素読を続けると劇的な変化が見られます。認知症の進行が止まるだけではなく、改善していくんです。」
「……教育の専門家ではない僕がそこに深くせめこむことはできませんから、『読書習慣のある子供たちは脳の発達がいい』というデータを示して、それとなく訴え続けているわけですが。」
「素読をしない文化、読書をしない文化では、次の世代からノーベル賞など出なくなるでしょう。理系の脳をつくるのにも、読書は絶対に必要なんです。」
以上のように、川島さんは、素読の効用について述べていますが、この素読の発展したものが暗唱になります。
そして、この暗唱を、毎週担当の先生がチェックする形で、家庭で続けられるようにしているのは、今のところ、電話通信で作文指導をしている言葉の森だけだと思います。ただし、生徒の負担にならないように、暗唱チェック、暗唱検定は希望者のみにしていますが。
さて、SNSの利用が学力を低下させるということについては、ある面からは確かにそうだと言えます。
しかし、そのマイナス面を克服したSNSの活用法がこれから作られていくと思っています。
(つづく)
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素読をすると、子供たちの記憶量が二割も増すそうです。
そして、お年寄りの場合も、治らないはずの認知症が劇的に変化し改善するそうです。
素読によって、年齢に関わらず脳が可塑的な変化をすることがわかってきたのです。
この素読の発展したものが暗唱です。
暗唱の効果については、自分も暗唱しているときに確かに実感していました。
頭がよくなっているような感じがしたのです。感じだけね(笑)。
しかし、主観的なこととも思われるので、そのことはあまり書きませんでした。
今回の川島さんたちの話をみると、それが客観的にも証明されつつあるようです。
暗唱は敷居が高いという場合、素読だけでも効果がありそうですね。
子供だけではなく、大人も、毎日の素読を習慣にしたいものです。
先日、高学年の生徒に国語の簡単な問題文を音読してもらいました。たった1行の文でしたが、たどたどしくしか読めず、しかも読み間違えをしていました。低学年のうちから音読の習慣をつけておくことは、本当に大事だなあと思いました。
読書の効果を見直すべきですね。
音読(素読)を日常の学習に取り入れている生徒さんは、本当に国語力があがります。講師として多数の生徒さんに接していると、実感として強く感じます。
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暗唱力のある子は、理科も社会も得意になります。
教科書を何度か読んでいるうちに、内容が自然に自分のものになるからです。
特に社会の勉強は、教科書を読んでそれが頭の中に入ればいいだけですから、わざわざ勉強して覚えようとしなくても、教科書を読んでいるだけで自然に成績がよくなるのです。
この暗唱力は、作文にも生きてきます。文章を暗唱していると、作文の課題によって使えそうな文章や表現や単語が自然に頭の中に浮かんできます。それをそのまま生かして作文を書いていけばいいのです。
しかし、小学校二年生のころまでよく暗唱できていた生徒が、学年が上がるにつれて、だんだん暗唱できなくなってくることがあります。それは、暗唱を覚えるための勉強と考えていたからです。
覚えればいいということで暗唱をしていると、低学年のころはすぐに覚えられるので、繰り返し音読するということをしなくなります。子供から「もう覚えたからいいでしょう」と言われると、親の方もそれでいいことにしてしまうのです。
すると、学年が上がり、覚えるのに時間がかかるようになると、「難しいから覚えられない」と簡単に諦めるようになります。
これは、大人も同じで、なかなか覚えられないと、大人はすぐに、「もう年だから」などと言います。
それらはすべて、暗唱を覚えるための勉強と考えているからです。暗唱は、繰り返し音読するという勉強で、文章を覚えるというのはその結果にすぎません。覚えるのが目的なのではなく、繰り返し音読することが目的なのです。
これは、九九の覚え方を振り返ってみるとわかります。
小学二年生で九九を覚えるとき、子供は九九を決められた言い方で音読して覚えます。この方法でどの子もすぐに九九を言えるようになります。
これが、もし、九九の一覧表を見てその表を覚えるとか、掛け算の理屈を理解して覚えるとか、決められた順番でなくランダムに出される問題として覚えるとか、決められた言い方ではなく自分の好きな言い方で覚えるとか、声に出さないで目で見るだけで覚えるとかいう形にすると、短期間で覚えられる生徒はぐんと少なくなるはずです。そして、覚えられないという子も出てくるのです。
日本ではほとんどすべての子が九九を間違いなく言えるのは、決められた言い方で、決められた順番で、しかも音読する形で九九を覚えるという方法があるからなのです。
同じやり方で音読を繰り返すというのが、暗唱の基本的な方法です。だから、暗唱に使う教材も一種類に限定した方がいいのです。
最初に1枚のプリントで暗唱を始めたとしたら、そのプリント以外のものは使わないようにします。そのプリントを分割してカード式にして覚えようとしたり、プリントを拡大コピーして覚えようとしたり、難しい漢字にルビをふったり、あるいはひらがなに書き直したり、そのプリントに書いてある文章を手書きで書き直したりなどということは、一切しない方がいいのです。
同じものを同じ順番で音読するというのは、暗唱の勉強では最も大事な原則なのです。
このような形で暗唱していると、その暗唱した文章が、単なる知識の記憶ではなく、自分の身体に血肉化された形で定着するようになります。
暗唱した文章が、自分の手足の一部であるかのように、特に意識しなくても必要なときに自由に使えるようになるのです。
ここで出てくる暗唱の効果が、文化の教育としての暗唱です。
暗唱は、単に記憶力を高めたり、数学や英語や理科や社会の成績を上げたり、作文を上手に書けるようにしたりするためだけでなく、もっと重要な効果として、文化力を高めるという要素があるのです。(つづく)
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暗唱は、一応覚えたというぐらいでは効果はよくわかりません。
無意識のうちに自然に口をついて出るくらいまでになると、その暗唱した文章が自分の手足のように自由に使えるものになります。
すると、その暗唱力を勉強にも生かすことができるようになります。
しかし、もっと大事なのは、その暗唱を自分の文化力に生かしていくことです。
ちょっと間隔が空いてしまいましたが、暗唱の話の第五弾。
暗唱の持つ文化力形成の一面です。
例えば、思いやり、勇気、正直さ、忍耐などの人間的な徳性は、理屈では教えられません。
道徳教育が不毛なのは、徳目を知識として教えようとするからです。
道徳は、文化として伝えていくものです。その方法の一つが体験、もう一つが暗唱です。
ドリルで勉強することが多々ありますが、教科書一冊暗唱できれば、最大の学習効果が期待できそうですね。
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言葉の森の未来教育の構想です。
(1)これからの子供たちに必要な勉強は、知識の詰め込みではなく、創造性を育てる作文や発表である。
(2)勉強は、自学自習で家庭学習中心にやるのが最も能率がよい。
(3)日常の勉強は、オンエアのネットワークを利用して、先生や友達と一緒に自宅で行えるようにするのがよい。
(4)ときどきは、遠足や合宿などのリアルな交流を行うことが日常の勉強の励みになる。
(5)教育は本来、誰でも参加できる価格で提供されるべきである。
(6)子供たちのトータルな成長を支えるものは、家庭での親子の対話と交流である。
(7)先生の仕事は知識を教えることではなく、子供たちが自ら知識や技能を修得するのを支援することである。
これらの教育観のもとで、言葉の森では今、作文の通信指導のほかに、オンエアの学習指導をいくつか行っています。
それらは、次のようなものです。
・寺子屋オンエア(小1~中3/1404円)、
・オンエア講座の「読書実験クラブ」(小1~3/1728円)、
同じく「思考国算講座」(小4~6/1728円)、
同じく「作文と勉強」(小3~6/モニター無料)、
・オンエア作文(全学年/無料)。
また、これらの通信指導やオンエア指導の一方、春や夏の遠足や合宿の企画を行っています。
そして、もともとの作文指導では、プレゼン作文発表会、作文検定、森リン大賞などの企画を行っています。
また、このほかに、暗唱検定、自習検定などの企画も行っています。
将来これらを有機的に組み合わせて、森の学校オンエアというシステムを作ることを考えています。
個々の企画は、もう既に見通しがつきました。
あと残っているのは、常時合宿ができる場所探しです。気が早い(笑)。
その合宿の場所では、馬や犬や鳥が放し飼いになっていて、合宿に参加した子供たちは自由にそれらの動物たちと遊べるようになっています。
また、川や池や海などの水で遊べる場があり、いつでも泳げるようになっています。子供たちは水遊びが好きだからです。
なぜ合宿という形にするかというと、こういう広い合宿所は、都市部から少し離れた場所になるので、合宿して勉強や遊びをする方が時間が有効に使えるからです。
また、一緒に寝泊まりすることによって、子供たちは友達との交流を通していろいろなことを学べるからです。
中には、その合宿所で毎日の勉強をし、土日だけ家庭に帰るという子も出てくるかもしれません。そういう場合は、その合宿所が学校になります。
普段の勉強は、自学自習とネットワークを利用した授業で先生や友達と交流しながらできるので、人里離れた合宿所を学校として毎日の勉強をしても全く差し支えないのです。
そして、こういう形で勉強できれば、この森の学校オンエアは、一箇所だけでなくどこでも作れるようになります。
将来は、森の学校の設立を希望する人には、これらのノウハウを教えることもしていく予定です。
この森の学校オンエアは、日本の教育にとどまりません。
東南アジアの子供たちの教育は、今はまだ旧来の教育形態で行われていますが、この森の学校オンエアというシステムを利用すれば、もっと能率のよい創造的な教育が行われるようになります。
すると、日本やアジアの各地に広がるさまざまな森の学校の合宿所の間で、子供たちどうしの交流もできるようになると思います。
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未来の学校は、もっと楽しい場になると思います。
勉強は自学自習中心に能率よく済ませ、遊ぶ時間がたっぷりあり、家族の対話があり、友達との交流があり、知識の詰め込みではなく創造性を育てる教育が行われ、それが日本だけでなくアジアや世界に広がっていくのです。
想像するだけでもワクワクしてきますね。
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先日のワークショップの際に、構想図を書く練習をしました。
これは、言葉の森の作文指導で、「構成図」と呼んでいるものと同じです。「構成図」という言葉だと、学校の作文指導などでよく行われている構成メモのような感じに受け止めて、自分が作文に書こうと思うことをメモするだけに書くものと考えてしまう人が多かったようなので、今後「構想図」という呼び方も使うようにしました。内容は同じです。
構想図がなぜ構成メモのようなものと違うかというと、作文を書く準備という点では同じですが、書くよりも、考える過程を重視しているからです。
だから、考える途中の過程で、作文に書かないようなことも出てきます。脱線する話も出てきます。そして、構想図に書いたもののうち、作文に書かないものもたくさん出てきます。
書く直前の準備というよりも、書くずっと前のウォーミングアップのような準備が構想図なのです。
したがって、作文に書くことが既にすっかりわかっている場合は、構想図を書く必要はあまりありません。
小学生の作文、特に低中学年の作文はこのような書くことがすっかりわかっているものが多いと思います。何を書くかわかっているのに、わざわざウォーミングアップをするようなことは必要ありません。
学校などで行われる、構成メモを書いてから作文を書くという指導でも、ほとんどの子は、構成メモを書くのがいちばん難しく、それよりも作文を直接書いた方がずっと楽だと感じると思います。
書くことがわかっているときに、わざわざ構成メモを書くのは、まっすぐ行けばすぐに行けるところを遠回りして、しかも通りにくい道を通って行くようなものだからです。
構想図を書くのが必要なのは、書くことが漠然としている場合や、何を書いていいかわからないという課題の場合です。
そのときに、自分の頭に浮かんだことを次々に思いついたままに書き出していくと、書く内容がだんだんと輪郭を持ってくるのです。
だから、作文は「書く」過程で、構想図は「考える」過程で、両者は別のものと考えておくといいのです。
考える過程ですから、話がところどころ脱線する場合もあります。作文に書かないような話をついでに考えるということもあります。
むしろ、そういう自由度を持っておかないと、考えはなかなか進みません。
10月に横浜で行ったワークショップでは、二人の組で、取材される子供役と取材する親又は先生役と役割を分担して、作文の題材を構想図に書き出す練習をしました。
10分間の時間でしたが、A4用紙1枚にびっしり書いた人もいましたし、中には裏まで書いた人もいました。
構想図を書くのに慣れてくると、どういうテーマのときも、10分でA4用紙がほぼ1枚埋まるようになります。
すると、ここ構想図で書いたことがそのまま作文の材料になります。
作文を書くのが苦手な子や、課題が難しくてどう書いていいかわからない子にアドバイスするときに、この二人で書く構想図を使うと、10分で子供に的確な指導ができるようになります。
二人で書いた構想図を子供に見せれば、その子はすぐにその構想図をもとに作文を書き出すことができるのです。
普通は、この構想図は一人で書きます。
課題が難しいとき、又は、何を書いていいかわからないとき、まず自分の頭に浮かんだことを一文でいいので書き出してみます。
そして、その文から矢印を出すと、その書き出した一文に関連して、次の一文が出てきます。そこからまた矢印を出すと、また新たな一文が出てきます。
思いついたことを自由に書くことが大事ですから、書いたことが作文の中身につながらないようなことでもいいのです。
何しろまず書いてみるということが大事です。
これは、算数や数学の文章題の問題を解くとき、まず手で書いてみるということに似ています。
図形の問題や、難しい計算の問題のときも同じです。
問題をただ眺めて頭の中で考えるよりも、手で書き出して考えてみる方が問題の焦点が絞られてくるのです。
ところが、このまず手で書いてみるということをなかなかしようとしない子がいます。それは、「まず手で書いてみる」ということに慣れていないからです。
作文を書くときも同じです。書くのが苦手な子は、作文用紙を前にしてずっと何もせずに考えていることがよくあります。
手を動かさないで考えると、考えはなかなか進みません。
作文の中身にあまり関係がないように思われることでもいいから、何しろまず自分の頭に浮かんだことを手で書いてみるという動作が必要なのです。それが構想図です。
作文用紙に書くよりも、構想図に書くから、自由に書き出せるのです。
だから、小学校低中学年の構想図は、この何しろまず手で書いてみるということの練習としてやっています。
構想図を書くことに慣れる練習としてやっているのです。
お母さん方の中には、構成メモのような感覚で構想図を考える人が多いので、構想図と作文をしっかり結びつけなければいけないと思いがちですが、そういう前提があると、構想図はかえって書き出せなくなります。
思いついたことを何しろ自由に書き出してみて、そこから自分の考えをふくらませていくことが大事です。
そして、考えがふくらんだら、その構想図とはある程度独立して作文を書いていくのです。
構想図を作文にしっかり使うという方法もあります。
構想図の中で作文の材料に使えそうなことを見つけて丸などで囲み、書く順番に番号をつけて作文に書くという方法です。
しかし、いつもそういうことをやっていると、構想図を書き、作文を書くという作業がわずらわしくなってくると思います。
構想図は考えるためのもの、作文は書くためのもの、両者は結びつかなくていいと考えておく方が続けやすいと思います。
ところで、構想図は、作文の課題をあとでほかの人に取材するときに役立ちます。
小学校高学年になると、作文の課題が抽象的になってくるので、子供自身の体験だけでは話題が広がらなくなってきます。
そのときに、作文の課題に関連した話を両親に取材することが大事になってきます。
特に、普段あまりそういう話をすることのない父親に取材することが、子供の語彙力や題材力や思考力を育てます。
そのときに、その子があらかじめ書いた構想図を使うのです。
例えば、日曜日などの時間があるときに、父親に、子供が自分の書いた構想図を見ながら、作文の課題について説明します。
構想図を見て説明するので、説明は自然にくわしくなりますし、その子供が課題をどう受け止めているかが聞いている父親にもわかります。
課題を直接説明するよりも、子供が自分で書いた構想図をもとにしながら説明する方が、聞いている方も、どういうことが課題になっているかよくわかるのです。
そして、父親、又は母親に取材したことを、その構想図の空いているところに、追加してメモとして書き込んでおきます。
このようにすれば、作文を書く前の準備はしっかりできあがります。
この取材の際に、親は必ず具体的な自分の体験に基づいた話をしてあげる必要があります。
たまに、「そんなのはない」とか「わからない」とか言って、子供の取材にきちんと答えない親がいますが、それは親の努力不足です(笑)。
どういうことを聞かれても、子供の取材に、親は自分なりに具体的に答えてあげなければいけないのです。
子供の学力は家庭で決まります。学校や塾で教えてもらって学力が伸びるのではありません。家庭での読書生活と、家庭での親の対応の仕方がほとんどすべてなのです。
参考までに、この文章を書くときに書いた構想図を末尾に載せます。
初めは何を書くか決まっていませんでした。
構想図の話でも書こうと思い、約10分その構想図を書いてみると、書きたい内容がほぼ決まってきました。
その構想図をもとに、それを約1時間で文章として書き上げたということです。
普通、子供たちが作文を書くのには、1時間から1時間半かかります。
構想図を書かずに、作文を直接書くと、その1時間なら1時間が経ってみないと、自分がどういうことを書こうとしたかということがわかりません。
書いている途中に考えが深まることがありますから、作文の結末は1時間後でなければわからないのです。
それが、構想図であれば、10分で最後まで行きつけます。これが構想図の効用です。
短い時間で全体の結末までがわかるので、あとは時間をかけてその結末になるように文章を書いていけばいいのです。
作文を書く時間がないときは、構想図だけ書いておけばそれで作文を書く勉強のいちばんの中心である考える過程は済んだことになります。
構想図は、このように考えるためのものと考えておくといいのです。
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作文を書く前に構成メモを書かせると、子供はたいてい嫌がります。
そんな面倒なことをするよりも、作文を直接書いた方がずっと楽だからです。
構想図は、そういう構成メモとは違います。
書く準備という点では似ていますが、作文を書くずっと手前の考える過程の練習だからです。
だから、あまり勉強的にならないように、思ったことを自由に書いていくといいのです。
構想図は、最初のころは、誰でも縦か横にまっすぐに書くことが多いようです。
書きやすいのは、用紙のやや上の方から、渦巻状に書くか枝分かれをしたように書く書き方です。しかし、そのあたりの書き方は自由です。
よくマインドマップと間違えられますが、マインドマップとは全然関係ありません。たまたま外見が似たようなものになっているだけです。
楽しくやってみることが大事だということを、ついつい忘れてしまいます。真面目なお母さんほど、「構想図の書き方が下手で……。」と悩んでしまうようです。
何を書いたらいいのか行き詰ったときは、構成図を書くとよさそうですね。
構成図でなく構想図と呼び方を変えるだけで、書く側は少し自由になる気がします。
構成図でなく構想図ですね。
詳しくありがとうございます!息子にも読ませてみます。
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先日の講演会で、次のような質問がありました。
「個性を伸ばすことが大事だということがわかるが、受験のための勉強に時間が取られる。どう両立したらよいか」
確かに、受験勉強の間は、読書に没頭したり趣味に力を入れたりする時間はありません。しかし、この両立は簡単なのです。
それは、受験勉強は、半年か一年集中してやればいいということです。何年も前から受験に向けて勉強を詰め込んでおく必要はありません。
早めにスタートしなければ間に合わないと言っているのは、学習塾などの都合によるものです。
受験勉強は合格するための勉強ですから、その勉強の期間はほかのことは犠牲にしていいのです。しかし、それはできるだけ短時間で済ませることです。これが個性と勉強の両立です。
今の受験勉強は、末期症状と言ってもいいと思います。特に中学受験では、訓練しておかなければ決して短時間では解けないパズルのような問題が出されます。
一度解いていればすぐに解けるのですが、試験で初めて見るのではほとんどその場では解き終えることのできない問題です。これを考える問題などと言う人もいますが、それは考える問題でも何でもありません。解き方の知識を知っているかどうかだけの問題です。
こういう訓練をするために、勉強以外の自由な読書や経験の時間を削るのはもったいないことだと思います。
公立中高一貫校の試験問題も、最初は教科書レベルの問題を出すということが建前でしたが、今では私立中学の試験問題と同じように、やはり訓練しなければ短時間では解けない問題が続々と出されています。
勉強ということに自覚のできた中学三年生ぐらいであれば、過酷な受験勉強は本人の成長にプラスになります。
しかし、小学六年生までのまだ勉強の自覚のない時期に、こういう詰め込めばできるようになる勉強に時間をかけるのは、しかも長期間そういうことに時間をかけるのは、プラスとマイナスの差し引きで言えばプラスになることではないと思います。
しかし、これまでは、中学受験が必要になるという事情があったことも事実です。
それは、中学受験で進学校に進んでいれば、勉強の先取りができるということです。既に、公立中高一貫校でも、同じような勉強の先取りが行われています。
高校がが大学の合格実績を上げるための最も有効な方法が、この先取り学習で、受験期の一年前に全過程を終わらせておくことです。そうすれば、残りの一年間は受験勉強に特化した勉強ができます。
一般の高校がカリキュラム通りの授業をして、高校三年生になってから高校三年生の勉強をし、中には高校三年間の教科書の全過程が終わらないうちに受験に突入するのに比べれば、一年間の先取りのアドバンテージは、決定的な差になります。
だから、これまでは無理をしてでも、早めに中学受験をする必要があったのです。
しかし、先取り学習が家庭でできるのであれば、わざわざ受験の合否にこだわることはありません。そして、今はそういうことができる時代になっているのです。
それは、自学自習の教材が充実してきたからです。今はまだ自学自習で先取りの勉強をしている人は少ないと思いますが、やがてこの勉強法がもっと広がってくると私は思っています。
だから、今受験勉強に突入している人は、受験の合否に子供も親も重大な関心を持っていると思いますが、視野を少し広くすれば、合否の結果はどうでもいいとも言えるのです。
学力は、受験の一回で左右されるわけではありません。合格すれば合格したなりに勉強を続けていくことが必要です。合格しなくても同じようにその子なりの勉強を続けていく必要があります。
大事なのは、勉強を続けていくことであって、合格するかしないかは、左の道から行くか、右の道から行くかの違いだけです。それは、自分のペースで家庭学習ができる教材やシステムが誰でも手に入れられるようになってきたからです。
したがって、子供の勉強で大事なのは、むしろ、家庭で勉強する習慣を小学生の早めの時期につけておくことです。
家庭で勉強する習慣と正反対のものが、学校や塾や通信教育に任せる形で勉強することです。家庭は、外部の教育機関の宿題をやる場ではありません。家庭で独自に、学力も、読書も、生活習慣も育てていく場です。
そういう発想の切り換えをする時期に、今は差しかかっているのだと思います。
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これまでは、受験に合格しさえすればそれで勉強の目的のほとんどは達成されるというような考えがありました。
しかし、大事なのは合否よりも、その後の本人の成長です。
合否は、左の道から行くか、右の道から行くかの違いぐらいでしかない時代になってきたのです。
それは、自学自習の教育環境が昔とは比較にならないほど充実してきたからです。
自分が子供だったら、学校にはたまにしか行かずに、家でのんびり勉強している道を選ぶと思います。学校に行くのは、遊び的な行事のある日だけです(笑)。
あの固いイスに座って、みんなと同じ授業を聞いている苦痛は、今思い出してもうんざりします。
不登校の中には、そういう子も多いのではないかと思います。
勉強は、自分でやった方がずっと能率よく楽しくできるのです。その人の性格にもよりますから、学校の勉強が好きな人はそれはそれでもちろんいいのですが。
受験勉強の考え方、先取り学習について、家庭のぶれない考え方があれば個性と受験の両立は可能ですね。
インターネットが普及し、自宅で先取り学習をすることができるような時代になりましたね。遅い時間まで塾に拘束されずに、自分のペースで一年先取り学習ができることは理想ですね。
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