「子供が家に帰ったきたら『宿題やりなさい』などと言っているようでは駄目です。学校の先生の言いなりになるのではなく、子供に責任感、社会性、思いやりなどを教えながら、適性を見きわめてテーラーメイドの教育をすることが、子供の能力を引き出すことにつながります」(「日本の未来を考える6つの特別講義」大前研一著の「親が教育の主導権を握る」より)
よくお母さん方から、「子供が、宿題などを早く仕上げようと雑にやる。もっとていねいにやってほしい」という声を聞くことがあります。
これは、多くのお母さんが、特に男の子の勉強の仕方について感じていることだと思います。
ていねいにやることはもちろんいいことです。
しかし、宿題というのは、大体つまらないものです。
そのつまらないことを早く仕上げて、もっと面白いことに熱中するというのは、子供の自然な行動です。
その自然な行動を抑制して、つまらないこともていねいに仕上げるということをもしやらせつづけたとしたら、その子はたぶん面白みのない人間になると思います。
これからの世の中で活躍するのは、実力だけでなく個性のある人間です。子供時代は、その個性の土台を作る大事な時期です。
だから、早く仕上げたら、むしろその早く仕上げたことを褒めてあげるぐらいでいいのです。
学年が上がれば、そして社会に出れば、つまらないことにも自分から進んで取り組む場面が必ず出てきます。
そのつまらないことに耐える練習を、小学生のうちからやる必要はありません。
小学生のうちにやる必要のある耐える練習は、勉強的なものよりもむしろ行儀作法的なものです。
今の子供たちは、勉強的なことでやらなければならないということが多すぎるように思います。
宿題というのもそのひとつです。習い事というのもそうです。
宿題や習い事が忙しくて本を読む暇もないという子と、宿題も習い事もないのでゆっくり本を読んでいるという子と、どちらが実力がつくかというと、程度にもよりますが自由に本を読む時間を確保できている子の方なのです。
ただし、成績については、勉強している子の方がよくなります。そこで、多くの大人は勘違いしてしまうのです。
成績は、時間をかければ誰でもよくなります。しかし、それは実力がついているということではありません。
実力は、勉強のような頭の一部を使うものによってではなく、もっと全身的に頭を使う読書や対話や経験によって育ちます。
子供時代は、そういう全身的な実力をつけていく時期です。
子供を全身的な勉強という観点から見ていくことができるのは、家庭だけです。
学校も、塾も、習い事も、すべてその部分的な観点からしか子供を見ていません。
親だけが、子供の成長を全身的な目で見ていくことができます。
だから、教育の主導権は親が持っておく必要があるのです。
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これからの世の中はますます不透明になります。
そのときに大事なのは、親が子供を他人の尺度ではなく自分の尺度で見ていくことです。
成績というのもひとつの尺度ですが、もっと大きな実力という尺度から子供を見ていくことが大事なのです。
子供を見るときに大事なことは、その子がどの学校に合格しそうかということではなく、社会でどう活躍していくかということです。
そうすると、すべての子にその子でなければできない可能性が大きく広がっていることがわかります。
どの学校に入るかということは、その中のごく小さなエピソードにすぎないのです。
宿題を早く済ませてすっきりしたいのは、親の都合ですね。ついつい言ってしまいます。(^^♪
どんな観点で子育てをしていくか、親自身がぶれない基準を持つことが大事ですね。
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昔は、勉強の目的というものをいちいち問わなくても、誰もがわかっていた時代がありました。
それは、キャッチアップの時代です。
欧米という目標があり、そこに追いつくことがそのままま勉強の目的になっていました。これが、途上国型の勉強観です。
それは、学ぶことが明らかで、誰もが学びたいと思い、学ぶことが自分にも社会にも利益になるという時代でした。
それが、福沢諭吉が「学問ノススメ」であらわしていた立身出世の学問観でした。
この時代は、簡単に言えば大学に入学することが勉強のゴールでした。
今の親の世代とその上の世代は、そういう時代を生きてきました。
しかし、世の中の現実は、意識よりも先行して変化します。
日本はやがて欧米に追いつき、いつの間にか追い越すようになっていました。
「学問ノススメ」が前提としていたキャッチアップの時代が終わりつつあるのに、意識だけはキャッチアップ型の勉強観が続いていたのです。
かつては、よい大学が、よい会社、よい役職になり、それがそのままよい人生につながっていました。
それは、旧制高校に代表される少数のエリートが成立していた時代です。
しかし、今はどの大学を出ても、それでエリートとみなされることはありません。
それよりも、高学歴で仕事ができないとか人間性に問題があるというような事象も目立っています。
ゴールに向かって追いつく時代が終わっているのにもかかわらず、ゴールを前提とした勉強だけが肥大化し、その勉強に合わせる教育が行われてきたからです。
では、キャッチアップがなくなった時代の勉強の目的とは何なのでしょうか。
それは、創造の時代に対応した勉強をすることです。
しかし、創造とは、地に足の着いた、生活を成り立たせるものでなければなりません。
絵画や音楽やスポーツのようなほとんどの人が趣味の域を出ないものが創造なのではなく、独立開業という言葉でイメージ化されるようなものが現実的な創造です。
しかし、そういう独立して仕事をするような創造を個人が最初から始めるのは困難です。
そこで、これからの時代には、家業に就くとか、徒弟として修行するというような形で、自分が将来独立して仕事をする中で創造することが、多くの人の求める道になるのです。
現在の大企業は、大きな生産力を持っていますが、そこで新たに必要とされる創造的な仕事に就く人はごく少数です。
多くの人は、その企業の手足となって、非創造的な仕事をこなすようになっています。
もちろんそういう日常的な平凡な仕事が社会を支えているのですが、それらの仕事は今後次々と機械化されていきます。
昔は、独立して仕事をして失敗したら、ちり紙交換でも何でもすればいいと言われた時代がありました。今、ちり紙交換などという仕事はありません。
同じように、新聞配達も、タクシーの運転も、スーパーのレジ打ちも、今後は今の形で仕事が残ることはなくなります。
今、企業の中で行われている必要な仕事も、あるいは企業の仕事自体も、これからは必要なくなることが考えられるのです。
堅い仕事と言われる分野は、人間の生存に結びついています。誰もが必要とするから堅い仕事になっています。
しかし、そういう仕事は、実は発展性の少ない仕事です。
社会が安定し、生産力が上がってくると、堅い仕事ほど競争の激しい、旨味のない仕事になってきます。
これまでは、それが資格制度などによって守られてきましたが、これからの自由化が進む時代には、堅い仕事はかえって魅力のない仕事になってきます。
創造の時代に発展する仕事は、逆に堅くない仕事です。
それは、豊かな生産力と安定した社会の中では、需要そのものが創造的になるので、その創造的な需要に対応して生産も創造的なものが求められるようになるからです。
そこで求められる創造的な仕事は、企業的なものよりも、家業的、個人的なものになっていきます。
その仕事に必要な能力は、創造力とともに全人間的な力です。そこには、教科の枠を越えた学力も当然必要になってきます。
キャッチアップの時代の受験勉強に対応した学力は、英数国などの主要教科に限定されたものでした。
しかし、独立して生きる時代に必要な学力は、それだけでは足りません。あらゆることを学ばなければ間に合わないのが、創造の時代の学力です。
今はまだその社会は、明らかな形としては目に見えるようにはなっていません。
しかし、社会は確実にそういう方向に進んでいます。
子供たちの勉強の目的を考える場合、親は、当面の入試に合格することだけでなく、その先のその子の仕事に結びつく勉強ということを幅広く考えていく必要があるのです。
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今の勉強観をひとことで言えば、最小のコストで最大の効果を上げるというものです。
だから、受験に出る教科だけ力を入れて、あとは手を抜くというようなことが当然のように行われているのです。
しかし、それは時代おくれのキャッチアップの時代の勉強観です。
創造の時代の勉強観は、自分の好きなものにいちばん力を入れて、あらゆるものを幅広く勉強するというものです。
子供に勉強の目的を聞かれた場合、大人は一応もっともらしいことを言えますが、その言葉にあまり迫力がないのが普通です。
それは、大人自身が、今の社会の中で生きる目標を今見失いつつあるからです。
だから、新しい社会観に基づいた勉強観が必要になっているのです。
入試に合格することは一つの小さな目標かもしれませんが、合格後の人生の方がずっと長いのですから、その後の大きな目標を見失ってはいけませんね。
指示待ちではなく、創造し、自ら動ける人材が必要ですね。
親の私たちは、まだまだキャッチアップの時代に教育を受けていたので、ついついそのままを現代の子どもたちにも押し付けてしまいがちです。自分(親)の社会観・勉強観を変えることが大切だと、思いました。
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12月8日以降、記事を更新していませんでしたが、ちょうどいろいろと出かける仕事などが重なってしまったためです。
明日、12月9日には記事を更新する予定です。
最近読んだ本で面白かったのは、
「公教育をイチから考えよう」(リヒテルズ直子・苫野一徳)
「老いる東京、甦(よみがえ)る地方」(牧野知弘)
「日本の未来を考える6つの特別講義」(大前研一)
でした。
こういう本を読むと、世の中は確実に変化していて、その変化が加速していることがわかります。
インターネットの時代には、情報だけでなく現実の変化も速いのでしょう。
こういう時代に大事なことは、変化に合わせるのではなく、自分自身が変化を作り出す気持ちでいることだと思います。
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「老いる東京、甦(よみがえ)る地方」(牧野知弘)、面白そうですね。東京はもう土地もなく、地方に進出でしょうか。私も読んでみます。
高齢者の比率は、東京も田舎も代わりませんが、東京は高齢者の絶対数が多いので、やがて医療も介護施設も間に合わなくなるということです。
しかし、田舎はこれまでミニ東京化することを目指してきました。
これからの田舎は、東京に上ることを考えるのではなく、東京から下る魅力的な個性を生かしていく必要があるという話です。
言葉の森も、この路線を参考にしてやっていく予定です。
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数年前、ネット教育の大きな可能性として紹介されたMOOCは、大前研一氏の話によると、その後はあまり成功しているとは言えないようです。その原因は、オンラインという仕組みでは、受講者の意欲が長続きしないということにあります。
大前氏は、新しいネット教育の方向として、カーン・アカデミーのやり方を評価していますが、これも、話を聞く範囲ではそれほど進展するようには思えません。その原因は、やはり受講生の意欲の問題です。
日本では、ネット教育としてスタディサプリが広がっていますが、これもオンラインの授業をひとりで受講するというだけでは、勉強する目的のはっきしている生徒以外は意欲的に続けることは難しいかもしれません。
ネット教育の中には、マンツーマンの英会話教育のように、今は成功している例もありますが、これはもともとコストの高かった分野だからできることであって、教育の幅広い分野にわたって適用できるものにはなりません。
マンツーマンのネット教育は、現在は一応いろいろなところで行われていますが、それはskypeのような便利なネット環境ができたということだけに依拠した新しい教育の仕組みですから、教育環境の大きな進歩ということにはなりません。
そこで、言葉の森が今考えているのは、次のようなやり方です。
第一は、ネット教育は、家庭での親子の対話につながる形で進める必要があるということです。ネット上での先生と生徒の人間的なつながりだけでなく、家庭というリアルなつながりが背景にあって初めて地に足のついた教育ができます。
第二は、教える時間とともに、実習の時間と評価の時間を確保することです。ネットで授業を聞いて、あとで自分ひとりで勉強するという形では、改めて学習する時間をとりにくくなります。ネット上で実習の時間も確保しておくことが必要で、それをオンライン上でチェックすることも必要になります。
第三は、生徒の発表と交流の場を確保することです。勉強の意欲は、生徒どうしの交流の中で生まれます。交流の中には、勉強の中身とはあまり関係のないものも出てきますが、そういうつながりが勉強の意欲に反映してきます。
第四は、自学自習の効果的な仕組みを作ることです。これは、江戸時代の寺子屋教育の方法が参考になります。種類の少ない精選された教材で、繰り返し勉強する仕組みを作り、その結果を評価できる仕組みを作ることです。
第五に、これらの方向を支えるために、ネットとパソコンの利用の仕方をもっと簡素化することです。
これらの原則をもとに、今、言葉の森のオンエア講座では、次のようなことを行っています。
第一は、オンラインの子供たちの勉強のあと、父母との自由な懇談の場を設けることです。
第二は、子供たちがその場で実習を行い、実習の結果を最後に先生に見せるところまでを授業時間内に行うことです。
第三は、実習の結果を全員が発表できるようにすることです。そのためには、実習の課題の中に誰もが容易にできるものを入れることと、結果のアップロードを容易にできる仕組みを作ることが必要になります。
この、父母懇談、実習確保、全員発表というやり方を、今後、寺子屋オンエアとオンエア作文にも生かしていくことを考えています。
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これまでのオンエア講座は、授業の時間が長く、内容も難しすぎたのではないかと思っています。
今後は、授業は短めにし、誰でもできる内容を入れ、生徒の実習と発表の時間と、父母懇談の時間を確保していく予定です。
ネットワークを利用した教育は、世界的には進んでいるように思っていましたが、まだ多くは試行錯誤の段階にあるようです。
だから、むしろ日本の寺子屋教育を生かしたネット教育の可能性が今後発展するのではないかと思います。
確かに通信教育も、なかなか一人では最後まで進めることが難しいですね。何かプラスアルファがあるといいですね。
いつでもできると思うと、やらなくなるものですね。意欲的に続けるには、強い意志が必要ですね。
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12月7日(水)11:00より、横浜港南台バーズ1Fのドゥファッションプラザで、書籍「小学校最初の3年間で本当にさせたい『勉強』」の販売と、出版記念講演(45分間)を行います。
以下、その講演の際に使う絵です。
昔の子供は勉強しなかった。
今の子供は夜中まで勉強している。
パズルの知識を詰め込むような勉強が多い。
考える問題と思われているものも知識の問題。
小6生12人、6年間の勉強を24時間でマスター。
高校入試の数学、ほぼ0点がほぼ満点に。
「どうして赤からすぐ青になるのに、青からは黄色になってから赤になるのかなあ」
知的な楽しさがある「理科好きな子に育つふしぎのお話365日」
経験と個性の大切さがわかる「一魚一会」
森の学校で、夏休み・土日の自然寺子屋合宿という未来。
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これからの子育てに大事なものは、読書と対話と経験によって本当の実力をつけることです。
勉強はもちろん基本ですが、今のような差をつけるために作られた難問を解く必要はなく、真の学力をつける勉強だけしていけばいいのです。
https://www.mori7.com/index.php?e=2755
勉強は新しいことを理解するという点では本来楽しいものです。
今の勉強がそうなっていないのは、勉強が差をつけるための勉強になっているからです。
「勉強せずに」というのがいいですね(笑)。
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子供時代の貴重な時間の使い方をもう一度よく考えてみる必要がありそうですね。
楽しみですね。
確かに小学生の頃は、ランドセルをおくとすぐに外に遊びに行っていました。(^^♪
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中国の2013年の大学卒業者は700万人です。
日本は毎年60万人です。
学歴インフレの状況では、大学を卒業したというだけではもう何も価値がないということです。(大前研一さんの本より)
日本では、今はまだ、一応大学を出ていれば何とかなるだろうという考えが強いと思います。
何とかなるだろうというのは、ちゃんとした仕事について生活していけるだろうということです。
しかし、現実はもうそうではなくなっています。
また、仕事についていても、若い人はかなり高い割合で離職をしています。
その離職の原因も、根性がないからというようなことではなく、その仕事に未来の展望が持てないからなのです。
つまり、世の中全体に、新しい方向に向かって発展するものが見つけにくくなっているのです。
これと同じ状況が生まれたのが、長く平和の続いた江戸時代でした。
新しい需要が生まれない中で、消費も生産も縮小する形で均衡していったのです。
世界では、今はまだ途上国や新興国の間で、新しい需要が生まれているように見えますが、現代の人類の生産力のもとでは、それらの需要が埋め尽くされるのはかなり早いはずです。
その中で、日本がこれから目指す道は、多様で個性的な文化を創造していくことです。
この場合、大事なことは「創造」ということです。
文化というと、多くの人は、絵画や音楽やスポーツのような既にあるものを思い浮かべがちですが、そういうすぐに思い浮かべられる文化的なものは、もはや過去の文化で、それらに新しい社会を作り出す力はありません。
まだ名前もないようなものを新たに創造することが、これから求められる文化の創造で、それによって現代の経済の行き詰まりも打開されていくのです。
そういう文化の創造を担う人は、自分の個性にこだわりを持つ人です。
具体的な例で言うと、いつもハコフグちゃんの帽子をかぶっているさかなクンのような人です。
学歴インフレは、これから更に進みます。
経済のデフレは、過去に価値あると思われていたもののインフレに対応しています。
だから、これからの子供の教育で大事になるものは、勉強+個性で、その個性の度合がますます大きくなるような時代に私たちは生きているのです。
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世の中の変化は早いので、今の大人が自分の若いころを基準にして考えていることはどんどん時代おくれになっています。
時代おくれどころか、時代に逆行していることもあります。
大事なことは、みんなと同じというのがいちばんリスクが高いということです。
学校の成績がよいと親は安心すると思いますが、成績がよいだけの人は、今は掃いて捨てるほどいます。
これが、現在の学歴インフレの状況です。
これからは、個性がないと生き残れない(とは言わないまでも、それに近い)世の中になっていきます。
だから、個性の核を見つけた人にとっては、これからの社会は理想的な社会になるのです。
これからの時代、計算が早い、公式を覚えている、それだけでは太刀打ちできない時代ですね。
自然から学ぶことはたくさんあります。机上の勉強よりも、小学生時代は、友達と遊び、自然の中をかけまわり、めいっぱい遊んでいきたいですね。
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受験作文コースの生徒のオンエア特別作文講評は、12月1週で終了します。
昨年度は、受験作文コースの生徒のほぼ全員からそれまでの自信作を提出してもらい、その作文についてそれぞれ10分程度の特別講評を行いました。
今年度は、特別講評の回数をもっと多くとってもらえるように、ハングアウトの会合で講評を行う形にしました。
しかし、逆に、ハングアウトの参加に慣れていない人が多かったせいか、参加者は多くありませんでした。
この特別講評は、かなりレベルの高いもので、話を聞くだけでプラスになるものが必ずありますが、参加しにくかった点が今年度の反省点として残りました。
次年度は、もう少し参加しやすい形を工夫していく予定です。
なお、このあとの作文や志望理由書の特別講評は有料になります。
受験作文コースの生徒の場合は1作品3,240円、受験作文コース以外の生徒の場合は1作品5,400円ですのでご了承ください。
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作文や志望理由書には、書くコツがありますね。しっかりコツをつかんでおきたいです。
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暗唱検定には、これまでに約25名の人が合格しています。
小学校2、3年生の生徒が比較的多く、小学5年生や6年生の生徒もいます。
これまで、暗唱検定は6分以内、読み間違い1か所以内としてきましたが、百人一首などは6分以内では苦しいので、これからの暗唱検定は、7分以内、読み間違い1か所以内とします。
なぜ速く間違えずに読むようにするかというと、暗唱というのは、思い出して言うのではなく、丸ごと自分の身体の一部になっているかのように言うことが大事だからです。
しかし、百人一首のように、独立した歌が並んでいるようなものを暗唱する場合は、ある歌と次の歌の間に関連性がないので、かなり覚えにくくなります。
このようなときに、早く連続して言えるようにするには、それぞれの歌の頭文字だけを先に覚えて、それからその歌を覚えるという方法があります。このやり方は、勉強などで何かを覚えるときにも使えます。
しかし、そういう形で覚えると、覚えるのは早くできますが、流れるように暗唱するようになるには逆に時間がかかるようになります。
音読を繰り返すだけで暗唱できるようにするという方法は、最初は時間がかかりますが、いったん暗唱できるようになると淀みなく言えるようになります。
どちらの方法でも、最終的にはスムーズに暗唱できるようになりますから、自分のやりやすい方法で取り組んでいくといいと思います。
暗唱の仕方などでご質問のある場合は、facebookグループの「暗唱の小道」やオープン教育の掲示板などをご利用ください。
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実は、こんなに暗唱のできる生徒がいるとは、最初は思っていませんでした。しかし、結構みんながんばっていて、しかも高学年の生徒までしっかりできているというのは驚きました。
暗唱は毎日の積み重ねですから、気の長い勉強です。だから、お母さんの協力があって初めてできると思います。
暗唱検定の約3,000字の制限時間を7分としました。(これまでは6分)
それは、百人一首の暗唱の場合、6分では苦しいところがあったからです。
しかし、7分というのは、1文字も間違えずに淀みなく読んで初めて達成できる速さです。
なぜこのように速く完ぺきに読むのが大事かというと、思い出しながら読むような読み方では、その暗唱が自分のものにならないからです。
暗唱の理想は、ちょうど九九を唱えるような感じの読み方をすることです。
ありがとうございます。7分まではまだまだ先は長いですが、頑張って続けていきます。
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