世の中の価値の原点は創造です。
価値と価格は混同されることが多く、値段の高いものに価値があるように思われがちですが、価値と価格は異なります。価格は、人から奪ったものにもつけられますが、価値は新たに世の中に創造したものにしかつけられません。
この価値を生み出す力である創造力を育てることが、教育の第一の目的です。
創造力は、二つの変数に分解できます。一つは、創造性で、もう一つをその創造性の底辺となる知識や経験の広がりです。ちょうど、三角形の高さが創造性で、底辺が知識や経験の土台となります。
更に言えば、底辺は実は底面で、縦が知識だとすれば、横が経験や時間になります。
だから、教育には、創造性を育てることと、学力を広くつけることと、何歳になっても新たに学び直すことが必要なのです。
知識や学力や経験力を育てる方法は、ある程度見通しがつきます。
しかし、創造性を育てる方法というのは、まだ確立していません。
ただし、創造性を育てる条件というものはあります。それは、親や教師が子供の創造性を評価することです。
湯川秀樹は、数学や物理学が好きだったそうですが、あるとき数学の試験で、答えは合っているのに、先生の教えたとおりに解いていないという理由で×にされたことから、数学ではなく物理学を選んだそうです。
このようなことは、日常生活に多いと思います。
大事なことは、正しいか正しくないかということではなく、その子がどれだけ自分なりに考えたかということです。
人の受け売りで正しいことを言う人よりも、間違っているかもしれないが自分のオリジナルなことを言う人の方が尊いという価値観を、大人が持つことが大切なのです。
創造性を評価する風土という条件は、かなり大きな影響力を持っています。アメリカに比べて日本で創業率が低いのは、寄らば大樹の陰という価値観が日本では強いからだと思います。
この価値観をまず意識の面から変え、次に実際の制度としても変えていく必要があります。
しかし、条件さえ整えば誰でも創造的になるかというとそうではありません。
創造性を育てるには、それなりの教育上のノウハウが必要です。
その一つは暗唱です。難しい文章を暗唱していると、学力がつくだけでなく、創造性が活性化されます。この原理はまだわかっていませんが、経験的にそういうことが言えるようです。
百人一首の暗唱を生徒全員にさせた杉田久信氏は、暗唱の効果として子供が元気になることを挙げています。
暗唱の持つ創造性の活性化力は、いずれ実証的に証明されるときが来ると思います。
第二は、その暗唱によって生まれた発想を、文章として形あるものにする方法です。それが構想図です。
文章を書く前に、自分の考えたことを散らし書き風に書いていると、それだけで全体の思索が進みます。
1200字の文章をまともに書こうと思えば、1時間半ぐらいかかることが、構想図を書くという方法なら10分ぐらいで済みます。このことによって文章化の能率が大幅に向上するのです。
第三に、この構想図を音声入力で実際の文章にする方法です。
文章を書く方法は、これまで、手書きからキーボード入力へと進んできましたが、これからの入力方法は音声です。
しかし、音声には形に残らないという弱点があります。その音声入力の弱点をカバーするものが構成図という方法です。
しかし、このように、音声入力によって今よりも大量に文章がネット上に溢れるようになると、今度は読む方が大変です。
そこで今考えているのは、新しい速読の方法です。
人間の理解力は、本来かなり大量のものも一瞬で把握する力を持っています。しかし、通常はそれを文章を読んだり、映像を見たりする形で、時間を追って把握しなければなりません。
ところが、この時間や空間に制約された言葉という世界こそが、人間の持つ創造性の源です。
内容を一瞬で理解する世界には、物理的世界の持つ時間や空間のずれや歪みのようなものがないので、創造性もまたありません。例えば、ダジャレや笑いがそうです。
どんなに面白い話であっても、間がない形で理解すれば、それは面白い話という理解で終わり、笑いという形には結びつきません。
だから、文章を書くことも、読むことも、時間を超越する方法ではなく、時間を短縮する方法で進める必要があるのです。
この新しい速読が、第四の方法です。
第五の方法は、難読です。難読というのは、「読み方が難しいこと」というのが本来の意味ですが、ここでは、難しい文章を読むという意味で使います。難解読書の省略した形です。
私がこれまで創造性のある人と思った人の多くは、青年時代に古典を読んでいます。古典がなぜ古典になったかというと、それが今までにない新しいものを初めて世の中に提唱する役割を持っていたからです。つまり二番煎じではないものが古典になったのです。
これまでにあるものをうまくまとめたものは、教科書です。だから、教科書は難しくはありません。教科書は創造的ではないからです。
それに対して、古典は、それまでにないものを新たに生み出しているのですから、理解の困難なところが随所にあります。それを読み解くことが創造性を育てる力に結びつくのです。
第六は、その創造力を、単に言説の世界で終わらせるのではなく、実際の形ある世界で実現することです。
そのために必要な方法が、工学の演習です。この工学には、物理的な工学だけでなく、政治工学や経営工学のような社会的なものも含みます。しかし、子供の教育に関して言えば、主になるものは物作り的な工学です。こういう工学の演習をすることによって、自分が考えたアイデアを世の中に実現する道が開かれるのです。
第七は、創造を評価するイベントです。
野球やサッカーがなぜメジャーなスポーツであるかというと、試合というイベントがあり、それをみんなが注目する場が作られているからです。
オリンピックの競技の中には、もしオリンピックの種目に選ばれていなければ、その競技人口が大幅に減るだろうと思われるようなものがあります。それに対して、例えば鷹狩りのような江戸時代に多くの武将が熱中したものが、今行われていないのは、それがみんなが注目する形のイベントになっていないからです。
芥川賞や直木賞のようなものがなかったら、小説を書くことはもっと目立たない趣味になっていたでしょう。賞というイベントがあるから、そこに参加する人が広がっていくのです。
だから、社会に創造を広げるためには、親や先生が創造を評価するだけでなく、社会全体が一つのイベントしてして創造を評価する機会を作ることが必要になります。それが創造祭です。
創造祭は、年齢別、ジャンル別に行うことができます。小学生は、小学生の部で創造祭に参加できます。もちろん高齢者も、高齢者の部で創造祭に参加できます。100際の老人が、90歳から100歳になる時期に考えた新しいアイデアは、その年齢を経過した人にしか考えつかないものだからです。
この創造祭に、国家予算を大幅に使うことです。創造祭の優勝者には、一生遊んで暮らせるだけの賞が出るようになれば、多くの人の関心が創造に向かいます。その結果、社会に新しい価値が次々と生まれ、その社会は真の意味で豊かになっていくのです。
12月14日に「小学校最初の3年間で本当にさせたい『勉強』」の本が発売されました。
発売日の前に予約をしてくれた方が、ご連絡をいただいただけでも70人以上もいらっしゃいました。
ありがとうございました。
また、本の感想をアマゾンのレビューで書いてくださった方、ブログやfacebookなどで紹介してくださった方、ありがとうございました。
この場を借りて、お礼申し上げます。
本の中のおすすめ図書の紹介については、facebookグループ「読書の好きな子になる庭」などで、子供向けの本を多数紹介していただきました。
みなさんから紹介された本をこちらでも読んでみて、盛り込みたいものがかなりありましたが、ページ数が限られているために一部しか入れられませんでした。
ご紹介くださったみなさん、ありがとうございました。
本の内容については、もう少し深い話を書きたいところもありましたが、多くの人に読んでもらうものなので、現状を批判するような面はできるだけ避けました。そのため、普段ホームページなどで書いているような話が中心になりました。
それにもかかわらず、多くの人が高評価のレビューを書いてくださいました。
中には、「目新しさがない」などという低いレビューもありましたが、目新しさについては、言葉の森が普段の勉強の中で行っている指導は、新しい企画が次々と出てくるので、かえってみなさんに迷惑をおかけしているぐらいだと思います。
いつかそういう話も、機会があれば書きたいと思います。
今回の出版は、言葉の森の専門とする作文の話はあまり書かずに、読書と勉強と遊びの話を中心にしました。
作文については、オリジナルな話で書くことが数多くあるので、いつか書く機会があると思います。
また、今いちばん書きたいと思っていることは、創造教育と家庭教育と文化教育と自然教育とオンライン教育の融合した教育の話です。
しかし、これは、本に書くよりも先に、自然寺子屋合宿とオンエア講座をミックスした形でこの夏から取り組んでいく予定です。