車の運転では、視線の目標を遠くに持っておくと、運転がぶれません。視線が近くにあると、微調整が必要な気がして細かいハンドルさばきをするようになり、乗り心地が悪くなります。
子育ても、遠くに目標を持っていれば滑らかな運転ができますが、そういう目標がないと、細かいことにいちいち注意をしたくなります。すると、子供はその運転を乗り心地悪く感じるようになるのです。
経済が発展するインフレの時代には、目標は、物を広げることでした。その時代には、自分個人の利益を追求することが、そのまま社会全体の利益につながるという資本主義の論理が成り立っていました。
物を売るマーケットをできるだけ広くしていくことが、個人にとっても、社会にとってもいいことだったのです。
魚釣りの例で言うと、いい場所を見つけたら、その場所を誰にも教えず、特許などで参入障壁を作り、自分だけが大量の魚をとるというのが資本主義の精神でした。
ところが、これからの社会はデフレの社会になります。それは、物を広げるよりも事を高める時代です。
事を高める時代のマーケットは、単なる消費者のマーケットではなく、その事に関心を持つ人の小さなコミュニティになります。
すると、そのコミュニティで、みんなに貢献し、みんなの手助けをしてあげる人が、このコミュニティを広げられるようになります。
魚釣りの例で言うと、いい場所を見つけたら、みんなにそれを教えてあげような生き方です。
そして、自分は、みんなのフィードバックを参考にしながら、更にいい場所を見つけるために自分を高めていくのです。
これまでの子育ては、勝てる子を育てることが中心でした。
しかし、これからは勝てるだけでなく、みんなを勝たせることのできる人が求められるようになります。
これからは、こういう大きな目標のもとに子育てをしていくことが大事になるのです。
▽youtubeの動画
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これからの世の中の変化というのは、ただ変化するだけでなく、これまでよかったことが悪くなり、悪かったことが逆によくなるような質的な変化です。
その変化の影響を最も受けるのは、未来の社会に生きる子供たちです。
だから、子育てもそういう変化の先を見ていく必要があるのです。
自分の利益追求よりも、コミュニティの利益追求という日本的な発想が、これからの社会では大事になります。
それは、子育てだけでなく、ビジネスもまたそうです。
更に言えば、それは日本の国全体がそうなっていくのです。
相手に気を配れることは大切ですね。
今、子どもがどうあることかより、どんな大人になって欲しいか、に焦点を当てて子育てを考える。。。今と違ったものが見えてきそうです。
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アクティブ・ラーニングという言葉が流行っています。
私は、こういう横文字を見ると、どうしてもっとわかりやすい日本語を使わないのかといつも思います。
同じようなものに、ダイバシティ教育とか、インクルーシブ教育とかいう言葉もあります。
こういう、初めて見たのでは何だかよくわからない言葉を使いたがるのは、自分の言っていることに自信がないからです。
アクティブ・ラーニングという言葉は、参加型学習とか発表学習という日本語で十分に内容をカバーできます。
ダイバシティなどは、そのまま多様性と言えば十分です。
と話が脱線したところで(笑)、アクティブ・ラーニングの効果と限界と今後の展望について書きたいと思います。
アクティブ・ラーニングに効果があるのは、その勉強スタイルが、子供たちの意欲を引き出すからです。
しかも、その教育を行っている学校は、生徒の学力もそれなりに確立しているところが多いので、意欲を引き出すだけで効果が上がってくるのです。
また、勉強の内容が義務教育レベルの基礎的なものであるというのも、意欲が効果に結びつく条件となっています。
もし、勉強の内容が受験勉強のレベルであれば、アクティブ・ラーニングで意欲を引き出すだけでは、効果を上げるには不十分です。
義務教育のレベルは、誰でもわかる基礎知識が前提になっています。
受験勉強のレベルは、わからない人をできるだけ多くして差をつけることが目的なので、意欲だけで効果を上げることはできません。
受験勉強に必要なのは、意欲ではなく、教材と方法です。
教材とは、難しい問題の解法を理解させる教材であり、方法とは、その解法を詰め込むという方法です。
アクティブ・ラーニングが、今うまく行っているのは、それが進んだ学校で行われているからです。
もし、これが全国の小中学校で行われるようになるとしたら、かつてのゆとり教育と同じような問題点が出てきます。
つまり、基礎知識の習得が不十分な生徒は、基礎知識を習得させることが大事なのであって、参加型の学習で意欲を持たせることではないからです。
アクティブ・ラーニングは、ある意味で簡単な工夫でできます。
生徒の意欲を引き出すというのは、それほど難しいことではありません。
難しいのは、退屈な基礎知識を習得させることです。
その基礎知識を習得させる場は、学校ではなく家庭です。
家庭で子供たちが自学自習をする仕組みを作ることに、最も難しい問題があるのです。
言葉の森では、この家庭での自学自習を寺子屋オンエアで行っています。
また、アクティブ・ラーニングという少人数の参加型の学習を、オンエア講座で行っています。
これから必要になるのは、この家庭での自学自習と、学校での発表学習を連携させる仕組み作りです。
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アクティブ・ラーニングが、今、効果があるように言われているのは、それが学力の備わった子供たちを対象にしているからです。
十分な基礎学力があるから、授業を参加型にするだけで効果が出てくるのです。
だから、授業をアクティブにする工夫以上に、家庭での自学自習を継続させる仕組みを作ることが大切です。
それがなければ、かつてのゆとり教育と同じような問題が出てくると思います。
アクティブ・ラーニングなんて言葉使っても、おじいさんやおばあさんはわからないだろう、と思います。
もっとひどいのは、インクルーシブ教育。
横文字をそのままカタカナにするのはやめろと言いたい。
という話じゃなかった(笑)。
日々の積み重ねが大切ですね。
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新年、明けましておめでとうございます。
言葉の森の今年のテーマは三つです。
1.作文一番。
2.メディア&ソーシャル。
3.森学オンエア。
作文教育の分野で、名実ともにナンバーワンの地位を確立します。
これまでは、控えめだったので(笑)。
メディアの活用と、ソーシャルの交流を結びつけます。
そこに、リアルの企画も付加し、顔の見える人間的なつながりを強化します。
森の学校を作り、オンエア教育を普及させます。
自然の中での友達との遊びと、自学自習の勉強を両立させる文化を作ります。
時代は大きく変化していますが、その時代の一歩先を行く教室作りを目指していきます。
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明けましておめでとうございます。
今年も、日々前進でがんばっていきたいと思います。
日本がますますいい国になり、みんなが明るい生活が送れるように、自分のできる分野で貢献していきます。
年の始めにふさわしく、今日も快晴です。
新年から冷水浴でがんばっていきたいと思います。
年寄りの冷や水と言われそう。
今年もよろしくお願いいたします。
今年もよろしくお願いいたします。<(_ _)>
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ゆめ
平成28年は、いろいろと新しい企画が多かったので、それらの企画の仕上げが十分にできなかった印象が残りました。
平成29年も、更に新しい企画が登場しますが、今度はフォローの方もしっかりやっていきたいと思います。
この一年をふりかえって、いちばん心に思うことは、多くの人の協力でここまでできたということです。
そのお礼も十分にできませんしたが、今後、よりよい作文教育を行っていくことでみなさんのご支援とご協力にこたえていきたいと思います。
一年間、ありがとうございました。
以下は、港南台教室のペットたち。
上の写真はゆめ、下の写真は順に、バノ、ココ、コロ、サク、シロです。
ゆめは、あいかわらず人が来ると吠えるくせに、すぐその人のところに行ってなでてもらったりしています。
バノは、醤油が好きで、よく「たまごにかけるお醤油」を飲んでいます。
ココは、もうおじいさんで、床に降りるとそのまま床の上をずっと歩いています。
コロも、もうおじいさんで、飛ぶことは飛んでも、移動範囲は数メートルです。
サクは、昔、踏まれて尻尾が曲がってしまいましたが、いつも元気でこの中でいちばん気が強いです。
シロは、最近仲間になったシロブンチョウのメスで、手乗りではありませんが、部屋の中で飛ばしています。
この中で、ゆめとバノとサクは、動画を撮っているときに、よく登場します。
バノ
ココ
コロ
サク
シロ
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おかげさまで、今年はいろいろな企画が無事に済みました。
不十分なところが多かったと思いますが、それは今後の反省として生かしていこうと思っています。
facebookでさまざまな形で応援していただいた皆様に深く感謝申し上げます。
来年は、更に新しい企画を進め、日本の作文教育、創造教育に貢献していきたいと思います。
今年は、いろいろと新しい企画を行ったので、兵站線がのび、十分なフォローができない状態が続きました。
しかし、世の中の変化に対応するために、来年も更に新しい企画を行っていく予定です。
秋から始めた冷水浴でがんばっていきたいと思います(笑)。
犬の7歳は厄年だそうですが、そのとおり、ゆめも今年は病院通いが多かったけれど、無事に年を越せそうでよかったです。鳥たちも仲間が増えて、ますますにぎやかになることでしょう。来年は酉年ですね!
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音声入力は、既にスマホ検索のレベルでは十分に実用化され活用されています。
近い将来、文章を書く場合にも、この音声入力が使われるようになります。
音声のスピードは、1分間に400字程度です。
手書きのスピードは、1時間に1000~1200字ですから、その差は約20倍あります。
音声で書けば、今よりも20倍の量の文章が書けるようになるということです。
しかし、ここで問題が二つ出てきます。
一つは、書く側の問題で、音声入力は、しまりのない文章になりがちだということです。
もう一つは、読む側の問題で、大量に生産される文章を読み切れなくなる可能性があるということです。
この解決策として考えられるのは、人工知能による要約です。
現在、ブラウザに、ウェブ上の記事を翻訳する機能があるように、将来はウェブ上の記事を要約する機能がつくようになるでしょう。
この人工知能の要約を利用すれば、今話題になっている入試の記述力の評価方法もまた違った対応が考えられます。
人間が文章を評価するのであれば長い文章の採点は負担がありますが、人工知能を使った評価であれば、時間はほとんどかからないので、むしろ長い文章の方が妥当な評価に近づきます。
したがって、しばらくは人工知能が要約したものを人間が評価するという形も考えられます。
ところが、この人工知能要約は、読む側にとっては便利ですが、書く側にとっては抵抗がある場合があるのです。
それは、文章を書く人は、自分の書く文章の作品性を意識しているからです。
推敲という言葉は、門を推(お)すにするか、敲(たた)くにするかという選択から生まれましたが、人工知能によって、「どっちも同じ」という結論が出ても、文章にこだわる人は納得できないでしょう。
そこで、音声入力を、手書き入力と同じように、しまりのある文章にするという工夫が必要になってきます。
その方法が、構想図を先に書き、その構想図をもとに音声入力をするというやり方です。
構想図を書くのが、そのテーマを考える段階で、音声入力をするのが、それを文章化する段階です。
手書きの場合は、書きながら考えるという形が一般的でしたが、これからは考えることと書くことをそれぞれ独立させて進めるようになると思います。
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学校で、ときどき、「構成メモを作ってから作文を書く」という指導がされることがあります。
子供たちは、これを嫌がります。
メモを書くよりも、直接作文を書いたほうが、ずっと楽にいい文章が書けることを知っているからです。
構成メモは、本当は作文を書くためのメモではなく、考えを深めるためのメモとして書いていく必要があるのです。
音声入力が日常的に行われるようになると、この微妙な差がはっきりしてくると思います。
ずっと前、あるおじいさんから、「あなたは、いつも八年先を見て生きている。もっと今の足もとを見て生きなさい」と言われました。
確かに、今のことにはあまり関心がなく、いつも未来のことばかり考えています。
この「音声入力+構想図+人工知能」も、多くの人にはあまり関心がないことだと思います。
それどころか、かえって、この機械的な響きに抵抗を感じる人の方が多いと思います。
そういうことを承知の上で、つい書いてしまいました。
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これからの時代に必要な創造力には、底辺となる知識も、高さとなる創造性もどちらも必要です。どちらが少なくても、創造力の面積は広くなりません。底辺の知識も、高さの創造性もともに大きくなることによって、全体の面積も大きくなっていくのです。
だから、子供たちの教育を考える場合、この知識と創造性の問題をそれぞれ個別に考える必要があります。
まず、知識についての問題は、二つあります。
■知識の分野にもさまざま個性がある
一つは、国数英理社のような限られた分野についての知識だけが、学校教育の中で評価されているために、自分の知識に応じた多様な知識を身につける動機が失われがちだということです。
子供時代に、ある個性的な分野に興味を持った子が、周囲の影響でその個性を伸ばすことを自粛してしまうことがあります。
私(森川林)は、小学校高学年から中学生のころにかけて、鳥が好きになり、小学校高学年のときジュウシマツを買ってもらったことをきっかけに、手乗りのジュウシマツを育てることに熱中しました。
しかし、中学3年生になるころ、ある人から、「鳥が好きなのはいいけど、もう受験だから勉強もしないとね」と言われたことが心に引っかかったことがありました。
その人は、気軽に冗談として言ったのでしょうし、自分自身もそれで鳥の飼育をやめて勉強に専念したわけでもないので、その言葉で何も変わったわけではありません。しかし、その言葉を今でも覚えているということは、「鳥よりも勉強」という価値観は、それなりに自分に影響を与える可能性を持った新しい価値観だったのです。
今の日本の子供たちは、こういう狭い分野に限られた価値観、つまり主要な教科の成績がよいことが価値あることだという考えに、日々影響を受けています。
すると、本来持っていた興味の分野を伸ばすことを、自然にあきらめてしまうこともあると思います。
だから、最も身近な大人である親が、子供に対して多様な価値観を認める姿勢を持つことが大事になるのです。
ここで思い出すのは、日本のロケット開発の生みの親である糸川英夫氏の子供時代の話です。
糸川氏は昔の中学5年生で志望校を選ぶ際に、上野の音楽学校(今の芸大)の作曲科にするか、東京高校(今の東大)の理科にするか、入学願書を出すまぎわまで決心がつかずに悩み、母親に相談したそうです。
すると、母親は一瞬顔色をかえたものの、即座に次のように返答しました。
「自分のやりたいものを選べ。ただし入試の難易によって決めるな」
現代なら、音楽の道というのも十分にあり得る選択肢です。しかし、当時の日本中がまだ貧しかった時代に、音楽の道を選ぶという選択を肯定できる親はほとんどいなかったでしょう。
そういう家庭で育ったからこそ、糸川氏はその後、日本のさまざまな分野で創造力を発揮したのだと思います。
■共通の基盤となる義務教育レベルの知識を身につける自学自習の方法
知識についてのもう一つの問題は、国数英理社などの義務教育レベルの知識は、社会生活を送る共通の基盤として、誰もが身につけておく必要があるにもかかわらず、その習得がうまく行っていないということです。
特に、近年では、学校教育の中では救えないレベルの低学力の子供たちが増えているという現状があります。
小学校の低中学年のころであれば、まだ学ぶ知識の量が少ないので、子供たちの学力に多少の差があっても、学校の中でそれらを補うことはできます。
しかし、その差が拡大して、子供が、小学校高学年になり、中学生になり、高校生になると、学年が上がるにつれて、子供どうしの間にある学力の差を学校教育の中で埋めることは困難になります。
なぜこういう事態が生まれてきたかというと、一つは、学校以外の生活の差が大きくなってきたためです。
ある子は、早い時期から塾で先取りの勉強をし、ある子は、家庭で読書も勉強もする習慣がないまま成長し、それらの子供たちが共通の場で教育を受けるような状態になっているのです。
そして、もう一つは、それらの差のある子供たちを教える学校が、一斉授業というスタイルの昔からの教育方法で教育を行っていることです。
このような学校教育の行き詰まりを打開するために、民間のレベルで、善意の人たちによる低学力の子供たちの教育を補う動きが生まれています。
しかし、その多くは、一斉授業のスタイルを、少人数の一斉授業にしたり、あるいは個別授業にしたりするような発想で行われているのです。
勉強のよくわからない子供に、つきっきりで一人の先生が懇切丁寧に教えれば、その子の学力は確かに上がります。義務教育レベルの勉強はもともと難しいものはないので、その子の理解度に応じで丁寧に教えれば誰でもできるようにはなるのです。
しかし、ここで考えなければならないのは、そのためのコストです。
コストを度外視して、参加する人の善意に頼るような運動は、普遍性がないので広がりません。
義務教育レベルの教育は、教える授業という形ではなく、子供が自ら学ぶ形で進めていく必要があります。
その最もうまく行った例が、江戸時代の寺子屋教育です。
寺子屋教育では、先生は教える役割よりも、子供たちをただ見ているという役割でした。今の言葉で言えば、ティーチングではなくコーチングが先生の主な仕事だったのです。
その寺子屋教育を可能にしたのは、精選された教材、反復という学習形式、それらの教材と反復を受け入れる文化でした。
この寺子屋教育を、現代の教育にも生かしていく必要があります。
知識の問題は、以上の二つです。つまり、知識の分野を広げることと、基本的な知識は自学自習で身につけることです。
次は、創造性の話です。
■創造性を育てる遊びは自然の中で
創造性を育てるものは、勉強のような知識的なものではなく、むしろ非勉強的な遊びです。
なぜかというと、遊びには、まず、自分の好きなものや、やりたいことがあります。この動機がまず重要です。
次に、そのやりたいことを、自分ができること知っていることを生かして、できないこと知らないことを手に入れるという形で行うことができます。
遊びの持つ創造性とは、自分の好きなことをするために、自分で工夫することができるということです。場合によっては、自分の手持ちの能力ではできないから、目標をできそうなものに変更するということもできます。
これが、答えという目標があらかじめ与えられている勉強との違いです。
勉強の場合は、決まった手順を守ることによって、正しい答えに行きつくことができます。
だから、努力することは、決まった手順を身につけることであって、手順を工夫することではありません。
手順を工夫するための考える勉強という試みは行われていますが、それらはすぐに受験対策として、知識の勉強に還元されます。
なぜなら、手順を工夫するよりも、工夫された模範的な手順を覚える方が、受験には有利だからです。
遊びには、勉強と違って決まった手順はありません。だから、子供は遊びに何時間も熱中できるのです。
しかし、現代は、遊びの世界も手順が押し寄せてきています。
この自由な遊びに似ていて、しかし、答えの決まっている遊びがゲームです。
昔の演算能力の低いころのゲームの世界は、答えが決まっていることがわかりやすいものでした。
しかし、情報技術が発達するにつれて、ゲームの複雑性が増し、あたかも答えがないかのような広がりを持つようになると、一日中ゲームに熱中するような子も生まれるようになりました。
そして、答えに到達することがゲームの目標のようになると、ゲームは、人より速く答えに行くことに価値があるという、創造性を伸ばす必要のない遊びに変質していったのです。
昔、ゲームソフトのレベルがまだ低い水準のころ、バグ探しというものが流行ったことがありました。
例えば、このキーを押しながら、そこをクリックすると、ソフトにバグが生じ、予想していない状態になるというようなことです。
このバグ探しは、ゲームの進展と同じように子供たちの興味を引きました。それは、ゲームの進展が答えのある世界であるのに対して、バグ探しは答えのない本来的な遊びの世界だったからです。
バグ探しが、遊びの本質に近いということを考えると、このバグの豊富な場所は、機械の中ではなく、実は自然の中にあるのです。
自然には、まだ人間の手によっては見つかっていないさまざまなバグが眠っています。
このバグの発見や発明こそ、創造性を発揮する楽しみです。
だから、子供たちの遊びの分野は、人工的なバグの少ない場所ではなく、どんなバグがあるかわからない自然の中で行っていく必要があります。
遊びをできるだけ自然の中で行うというのは、ここに意義があるのです。
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勉強の面白さとは、頂上が決まっていて、そこに登る道も決まっているという面白さです。これはこれで面白いのです。
遊びの面白さは、頂上が決まっていず、登る道も決まっていないという面白さです。
子供の成長には、どちらの面白さも大切なのです。
子供にとっての勉強は、遊ぶことですね。
たしかに、親の価値観を見つめなおすべきですね。
「最も身近な大人である親が、子供に対して多様な価値観を認める姿勢を持つことが大事」
「子供たちの遊びの分野は、人工的なバグの少ない場所ではなく、どんなバグがあるかわからない自然の中で行っていく必要があります。」
子どもが小さく自由時間がたっぷりある時期こそこれらが大切だなと、自分自身の子育てを振り返り反省。
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子供たちを見ていると、勉強のよくできる子もいれば、普通の子も、苦手な子もいます。
しかし、みんなそれぞれの個性を持って生きています。
成績だけを考えればそこで優劣があるように見えますが、人生の成功ということから考えると、スタートラインは全く同じです。
成功とは、自分の個性的な知識の土台の上に創造性を発揮して、世の中で自分にしかできないことをやっていくことです。
そのためには、成績は普通にできていれば十分で、その上に、一点集中した個性を伸ばしていくことが大事なのです。
これからの世の中は、物が拡大していく時代ではありません。
拡大はいったん終了し、更には縮小して、その中で人間の行動が高度化していく時代です。
物が拡大していく時代は、答えのある時代でした。
先に進んでいる人や国が答えで、その答えに追いつくことが成功することでした。
だから、教育も、答えのある勉強でできるだけよい成績を取ることが重視されてきたのです。
よい成績は、よい学校への進学につながり、よい学校の卒業はよい仕事への就職につながりました。
答えのある世界でよい成績を取ることが、成功する人生につながっていたのです。
しかし、これからの世の中では、物はこれ以上拡大しなくなります。
あるいは、また、画期的な産業上の技術革命が起こり、新しい物が爆発的に拡大する時代は将来あるかもしれません。しかし、とりあえずはそういう兆候はまだありません。
これからは、既にある産業の上で、需要は停滞し更には縮小していくのです。
物が縮小していく時代は、逆に、事が高度化していく時代です。
広く浅く何でもできるという分野は、ますます競争が激しくなっていきます。用意されているパイが次第に縮小していくにもかかわらず、多くの人がまだそこに参加しようとしているからです。
これからの時代の成功は、縮小していく答えのある世界で上位を占めることではありません。
答えのない世界を自分で作り出し、その世界を個性的に高めていくことが成功の条件になります。
子供の教育に関して言うと、これまでの理想は、国数英理社の全教科でオール5を取るような方向でした。
しかし、現代の早期からの受験勉強が示しているように、長時間の勉強で成績を上位にする方向は、大人数で狭いパイを奪い合う方向なのです。
これからの世の中で必要になる能力は創造力です。
創造力とは、底辺が知識で、高さが創造性となっている三角形の面積です。
底辺がみんなと同じような国数英理社の全教科の知識であれば、その分野で創造力を発揮するのはかなり困難です。誰もが同じような勉強をしているからです。
底辺の全教科の知識は、知識の基本ですから、身につけておく必要はあります。
しかし、その身につけ方は、国数英理社全教科オール3ぐらいでいいのです。
国語も数学も英語も理科も社会も、一応一通りのことはわかっているというのがオール3の水準です。
その全教科オール3の土台の上に、自分の関心のある分野に狭く絞った知識を、他の人が追随できないぐらいに高度化していくのです。
三角形のの底辺となる知識が他の人と異なるところで広がっていれば、それだけで創造力は高まります。
更に、三角形の高さと創造性を高めておけば、その分野で第一人者になることができます。
創造性を高める方法は、知識を詰め込むような勉強に力を入れることではありません。知識は創造力の土台であって、創造性の高さでないからです。
創造性は、自然との触れ合い、人間との関わり、道具の駆使、読書の広がり、暗唱の習得など、多様な身体的経験を通して育ちます。
これからの子育てで大事なことは、勉強の世界で上位に入れてもらうことではなく、人生というより大きな世界で成功することです。
そして、成功とは、創造力を発揮して何らかの分野で第一人者になることであり、そのためには自分の得意な特定の分野で高度な知識を持ち、その知識の土台の上に創造性を発揮することです。
学力は平均でも十分で、その分、一点集中できる分野を見つけ、そこで自分の創造性を発揮していくことが、これからの子育てで重要になってくるのです。
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勉強は、できないよりもできた方がいいのはもちろんです。
しかし、勉強ができていればそれでいいというのではありません。
これからは、勉強よりも創造性の方が大事になってくるからです。
多くの人は、成績がよければ安心、成績が悪ければ心配、と思っていると思います。
しかし、これからの世の中は、成績のよさだけで渡っていくことはできません。
ゴールドラッシュで成功したのは、ゴールドを探し求めた人ではなく、その人たちにジーンズを売った人でした。
答えのある世界にみんなが殺到しているときに、自分なりに問題を発見した人が成功した人だったのです。
自然の中でたっぷり遊び、そこからたくさんのことを学びながら成長していきたいですね。そこから得るものは多くありそうです。
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少し早いと思いますが、新年の言葉の森新聞を発行する関係で、新年の抱負を書きました。
これからの世界は、二重の意味で激動に見舞われるでしょう。
ひとつは、経済危機や自然災害などのあまり喜ばしくない激動です。
しかし、もうひとつは、新しい技術革新や人間意識の向上という新しい幸福に満ちた激動です。
そして、最終的にその前向きの肯定的な激動が、古い後ろ向きの激動を乗り越えて進んでいくのです。
だから、この時期に大事なことは、明るい未来を確信して、自分の判断で行動することです。
言葉の森は、これからの方針を次のように考えています。
第一は、作文一番です。作文指導の分野で、日本で一番レベルの高い指導をしていくことです。
そのために、作文検定、プレゼン作文、暗唱検定、音読チェックなど、生徒が参加できる企画を増やしていきます。
第二は、メディア・ソーシャルです。これは、メディアとソーシャルによって、多くの人と交流し、みんなが参加できる機会を増やしていくことです。
具体的には、facebookやgoogleハングアウトなどを活用し、さまざまな参加型の企画を行っていきます。
第三は、森の学校オンエアです。これは、自然の中の合宿教室ととオンエアの指導システムを融合することです。
夏休みや土日の自然寺子屋合宿に、オンエアの寺子屋指導を組み合わせた企画を行っていきます。
未来は、それぞれの人が望んだ分だけ可能性が広がっています。
そして、日本をよくするのは、外部の環境ではなく、何よりも日本をよくしたいと思う人の意識です。
新しいよりより時代を作るためにがんばっていきましょう。
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少し早いですが、新年の挨拶です。
激動の年は続きますが、マイナスの激動をプラスの激動がのりこえて進んでいくでしょう。
それは、すべて人間の意識と行動にかかっています。
新しい年もがんばってやっていきましょう。
2017年も楽しくなりそうです。
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