言葉の森は、これまで約35年間作文指導をしてきました。
その中で、いろいろな実績を上げました。しかし、中に、はっきりした成果の出る子もいましたが、なかなか成果の出ない子もいました。
その原因は何かと考えてみると、成果の出ない子は、作文の土台となる読む力が弱かったのです。
氷山のたとえで言うと、水面よりも上の部分は、作文という形で表面の現れるところです。しかし、水面下には、その見える形よりも何倍もの読む力や学力や語彙力や経験力があったのです。
そこで、言葉の森では、作文指導の途中の時期から、音読や暗唱の教材を作り、おすすめ図書の一覧表も作り、問題集読書のアドバイスをし、さまざまな方法で読む力をつけるアドバイスをしてきました。子供とお母さんやお父さんが、作文の課題について対話をすることの重要性も話してきました。
ところが、ここで新たな問題が出てきました。
それは、最初はそのアドバイスに沿って家庭学習を始めた子が、数日で飽きてやめてしまうことが多いということです。
そして、自習を続けるかどうかで、子供と親の言い争いになったり、更には、お母さんとお父さんの言い争いになったりするようなこともありました。
こちらが、「音読は大事ですから、必ず朝ごはんの前にやってください」などと言えば言うほど、「子供がやらないんです」「親子の喧嘩になってしまうんです」「もう、私もくたびれました」などという相談が増えてきたのです。
そこで、こちらもだんだん言い方をセーブし、「音読はできるだけやってください」などと言うようになっていったのです。
しかし、氷山の上が作文の力、氷山の下が、読む力を中心とした学力全体という構造は変わりません。
そこで、いろいろ試行錯誤をしているうちに、googleハングアウトやskypeという、双方向のメディアがクラウドのサービスとして利用できることに気がつきました。
これらのクラウドサービスを利用すれば、読む力をつけるための自習も、家庭に任せっぱなしにせず、先生がチェックすることができます。
特に、国語の問題集読書などは、家庭の中だけで続けることはかなり難しいものですが、skypeのビデオメッセージなどで送ってもらうような形であれば、かなり楽できるようです。
そこで、今後の作文指導は、氷山の上の部分は通常の作文指導、氷山の下の部分は、「寺子屋オプション企画」というふうに分けてやっていこうと考えたのです。
しかし、これまでやってきた寺子屋オプション企画は、いろいろな講座やイベントが重なって、一部が重複したり区別がわかりにくくなったりしていました。
また、これはたまたま時期が重なったということですが、サーバの移転に伴う引越し作業が1月から始まってしまいました。
そこで、寺子屋オプション企画の再編成とサーバの引っ越しを兼ねて、現在行っているさまざまな企画をいったん休止し、引っ越しが終わったあとに新しい仕組みで再スタートするようにしたいと思いました。
今後の寺子屋オプション企画の中心になるものは、3つあります。
第一は、寺子屋オンエアです。これは、自学自習によって学ぶという企画です。
第二は、オンエア講座です。これは、発表と交流の中で学ぶという企画です。
第三は、自然寺子屋合宿です。これは、自然と人間との触れ合いの中で学ぶという企画です。
このほかに、小さな企画としては、プレゼン作文発表、作文検定、暗唱検定、自習検定などがあります。
いずれも、googleハングアウトやskypeを使うことが多いので、これらの使い方を練習する場も設けていきたいと思っています。
この春から、作文指導と寺子屋オプション企画の二つを組み合わせて指導していく予定です。
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オンエア○○というと、それだけで、「私はパソコンが苦手だから」とあきらめてしまう人がかなり多いのです。
その気持はわかります(笑)。
しかし、いずれも、「案ずるより産むが易し」です。
もともと人間のやっていることですから、やりだせばみんな何とかなるのです。
先日、保護者の方から、「作文の勉強なのに、どうしてオンエア講座のようなものに力を入れているんですか」と質問されました。
それは、作文だけの勉強で作文を上達させるのは限界があるからです。
例えば、流れるような文章を書ける子は、例外なく読書好きです。
それを、ぎくしゃくした書き方をしている子に、「この子のように書いてごらん」と言っても、かえって作文の苦手意識を強めるだけです。
だから、作文の土台となる読む力は、作文とは別につけていかなけれがなりません。
しかも、それを無理なく楽しく続けられるように工夫することが必要なのです。
新しい仕組みが楽しみです。
国語力は、全ての科目の土台ですね。
先日、資料請求しました年長児保護者です。資料届きました、ありがとうございます。
うちの小6男児がまさしくこの記事通り、暗唱はすぐに飽き、音読のことで喧嘩になり…。1年生から続けた言葉の森の通信講座は去年やめてしまいましたが、やはり読解力が非常に乏しく、中学入学目前となった今また再開したいと親は(^_^;)思っています。
学校の宿題に忙殺され作文提出が難しくなり やはり通信を辞めてしまった高校生の娘は、受講6年間に力をつけていただいたので、小論文のテストでは労せず高得点を取っています。
中学以降の歯応えのある課題に、休み休みでも食らいついてきたからだと思います。
寺子屋オンエアのような、知らない子と繋がることはあまり好まない小6男児を、再開にどう誘導するか思案中です(^_^;
どんぐりかあさんさん、コメントありがとうございました。
暗唱や音読を続けるコツは、それを始める時刻を決めること、その最中に決して注意しないこと、です。
日によって開始時刻が変わったり、ほんのちょっとしたことでも注意すると(親は必ずと言っていいほど注意したくなるときがありますが)、続けられなくなります。
新中1の場合、(1)高校入試でも大学入試でも今後の入試は記述力・小論文力が要求されるようになるので、本人がそういうことに気がついたら再開を促してみるといいです。(2)中学生の勉強の基本は、親が内容を把握していることです。中1になったばかりなら内容が簡単ですから、この時期から勉強を見てあげるといいと思います。
がんばってください。
新小1の子は、新しく始まるオンエア講座に参加すると、楽しくできると思います。これはおすすめです。
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△木片をテープのりでくっつけると、オリジナルなレゴのような遊びができます。
昔の子供たちは、学校から帰るとすぐにいろいろな遊びを始めました。
メンコ、ビー玉、ベーゴマのような定番野遊びもありましたが、特にそういう名前のつくような遊びではなく、みんなで近くの低い山に行き、途中で戦争ごっこをしたりちゃんばらごっこをしたりしながら、山の尾根をずっと歩くような遊びもありました。歩いている途中に、アケビがなっていたり、クリがなっていたり、野ブドウがなっていたりするのを食べながら、ずっと尾根を歩いて、そして帰ってくるのです。
しかし、今はなかなかこういう遊びができません。
家の中では、ゲームという面白い遊びがあるので、みんなが集まるとすぐにゲームを始めるというところが多いと思います。また、近所に遊びに行くと言っても、交通が激しかったり、近くに適当な遊べる場所がなかったりということも多いでしょう。
そういう中で、親はどう子供の遊びの環境を作ってあげるかということが一つの問題になってきます。
遊びの工夫を考える場合、できるだけ子供たちの創造性を発揮できるような遊びを考えてみることです。
そのためには、まずゲームの時間は制限しておく必要があります。
ゲームは面白いので、楽しくやることはもちろんいいのですが、創造性のある遊びというのは、やはり、自然の中での遊びや、自分の手足を使った遊びだからです。
私の家では、昔、ゲームの時間は1日15分と決めていました。今では、この時間では短いかもしれませんが、大事なことはルールを決めた上で自由にやらせるということです。
次に、ゲーム以外の遊びの機会や環境を作ってあげることです。
その一つが、小さい木片などの材料をどっさり用意して、それで自由に何かを作らせる遊びです。子供は、材料があれば、特に何も指示しなくても自分たちで遊びを工夫します。
私が先日アマゾンで買ったのは、木材ブロックセット(421円)です。
http://amzn.asia/2rBxRP4
これに、テープのりという両面テープを使えば、オリジナルなレゴがいくらでも作れます。(先日、木々レゴという名前で紹介したものです)
材料が豊富にあると、子供たちは、大人が思いつかないようなさまざまな遊び方を考え出します。
こういう手軽な遊びができるものにはほかに、風船があります。(100個入りで500円~1000円)
この風船を使うと、家の中で風船バレーボールをしたり水風船を作ったりというような遊びができます。
ただし、この場合は、低学年の子の中に仲間はずれの子ができないように、親が最初に誘導してあげる必要があります。
昔の子供たちは、いろいろな学年の子が一緒に遊ぶことが多かったので、リーダー格の子が自然に、年齢に応じた役割などを決めていました。しかし、今の子はそういう機会があまりないので、年少者や弱者に対する配慮が必要だということを教えておく必要があるのです。
家の中に、小さなテントを張れるようにしておくのも、面白い遊びになります。
子供たちは、秘密基地というものを作りたがります。その秘密基地で何をするわけでもないのですが、自分たちがその場所の主人公になって、いろいろな物語の世界を楽しむということが遊びなのです。
ワンタッチで組み立てられるミニテントがあると、家の中でそういう秘密基地作りが始まります。(2~3人用で2000円ぐらい)
このように、子供時代の遊びは、楽しみながら創造を生かす貴重な機会にもなるのです。
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今の子供たちは、遊びというと、ゲームだったり、遊園地に出かけることだったり、サッカーだったり、野球だったりと、ややパターン化しているな感じがします。
それだけ、子供たちを取り巻く環境が単調になっているのかもしれませんが。
子供たちに、自由に創造性を発揮して遊べる場を工夫してあげる必要があるのではないかと思います。
昔、うちの子供たちを近くの海に連れていくと、小学校低中学年のころだったと思いますが、兄弟二人でずっと岩の上を飛んだり水の中に飛び込んだりしながら何か喋っていました。
どうやら、二人の共通する物語の世界をそれぞれの役で演じているようでした。
子供時代は、こういう何ということもない遊びが楽しいのだろうなあと、昔の自分をふりかえってそう思いました。
シンプルな遊びほど、夢中になり、想像力が発揮できますね。
大人にとっては「なんじゃこりゃ」と思うものでも、子供の想像力にかかると宝の山だということはありますよね! 我が家の娘たちも休みの日には、色々な「ゲージュツ作品」を作り出しています♪
大人にとっては「なんじゃこりゃ」と思うものでも、子供の想像力にかかると宝の山だということはありますよね! 我が家の娘たちも休みの日には、色々な「ゲージュツ作品」を作り出しています♪
オリジナルレゴは、小学生に限らず、中高生、大人もはまりそうです。
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よく、病気の多くは生活習慣から生まれると言われています。だから、健康法も、たまに健康によいことをどっさりするのではなく、毎日の生活習慣の中で自然にできるようにしていくことが大事だと言われているのです。
同じことが、勉強についても言えます。
勉強は、成績という結果が表に出るので、特に多くの人の関心を引きます。
そして、自分の子供がよその子供よりも遅れているように見えると、親はついその差をすぐに埋めようとします。しかし、それは長年の生活習慣の中でついてきた差なので、生活習慣を変えることが第一なのです。
そういう生活習慣の中で、最も重要なものが、読書と対話です。
学力のある子は、よく本を読み、よく親といろいろなことを話しています。それが、勉強全体の成績に生きてきます。
ところが、成績だけを見ると、その差は勉強をすれば埋められるように思いがちです。そして、確かに、問題集を解かせるような勉強を繰り返せばその教科の成績は上がります。しかし、もともとの学力が伴っていないと、その成績を維持することは難しいのです。
言葉の森がすすめている家庭学習は、毎日の読書(高学年は50ページ以上)、親子の対話(週に1回は家族全員で)、毎日の音読(3分)、できれば毎日の暗唱(10分)、そして算数の問題集を1冊繰り返し解くこと(15~30分)、中学生の場合は英語の教科書の暗唱(10分)です。
全部やるのが大変だったら、読書と音読と対話だけでもかまいません。それも無理なら読書だけでもいいのです。その読書も最低限10ページ以上とすればいいのです。
こういうことを毎日続けて半年もたつと、いつの間にかいろいろなことができるようになって、作文も上手に書けるようになっていたとなるのです。
成績を直接上げようとするのではなく、生活習慣の中で学力をつけて、いつの間にか自然に成績が上がるようにしていくのです。
しかし、この毎日続けるということが大変です。どの学習も結果がすぐ出るものではありませんから、子供も張り合いがありません。
特に、今は塾でも通信教育でも、子供の関心を引くために目新しい教材を次々と提供しますから、そういう勉強に慣れた子は、同じことを淡々と続けることがなかなかできません。
だから、同じ勉強を毎日続けるためには、子供の自覚ではなく、親による習慣化が必要です。
よく、「親が毎日言わなければやらない」と愚痴のようなことを言う人がいますが、親が毎日言うのは当然です。一度言っただけで、それを黙々とやり続けるような子であったら、かえって問題です。
そして、どんなに習慣化したように見えても、ちょっと風邪で休む日があったり、旅行に出かけたりという例外が入ると、習慣はすぐに崩れます。
そのときに、再び習慣を立て直すのも、子供が自分でできるわけがありませんから、親の役割なのです。
成績は勉強をすれば上がります。しかし、学年が上がると、勉強をするだけでは成績が上がらなくなってきます。それは、学力の差があるからです。
塾に行かせて勉強させれば成績が上がると考える人は多いのですが、勉強をさせて成績が上がるのは最初のうちだけです。学力がなければ、その成績もまたじきに下がってきます。
成績を継続的に上げられる子は、塾に行っても行かなくても上げることができます。それが学力の差です。
学力をつけるのは、毎日の生活習慣です。そして、その習慣をつけるのが、親の仕事です。
ただし、それを親の責任だけに押し付けてしまうと、ほとんどの場合、何も改善しません。
生活習慣を新たに作るというのは、実はとても難しいことなのです。
例えば、夜更かしの子に早寝早起きの習慣をつけるというのは、口で言うのは簡単そうに見えても、実行するのはほぼ不可能なほど難しいと思います。
毎日の音読の習慣をつけるなどというのも同じです。習慣化するというのは、それぐらい難しいという親の自覚がまず大切です。
そして、言葉の森では、この家庭学習の習慣作りの支援とアドバイスができるように、寺子屋オンエアというオプション講座を行っています。
この講座は、勉強を教える講座ではありません。教わる勉強は、学校や塾でやっていれば十分です。その教わったことを定着させ、毎日の学力の生活習慣を作るための講座です。
今後、この寺子屋オンエアで、子供の勉強を見るだけでなく、保護者との連携を充実させていきたいと思っています。
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よく、子供の成績が悪いと、塾に行かせれば何とかなのではないかと考える人がいますが、塾に行かせて何とかなる子は、もともと学校の勉強だけでも何とかなっていたはずなのです。
大事なことは、勉強をさせることではなく、その土台となる家庭での学力の生活習慣をつけることです。
その上で、新しい勉強をするために塾に行くというならいいのです。
成績は目に見えますが、学力は目に見えません。
親は、成績ではなく、学力をつけることを第一に考えていく必要があります。
テストの点数に一喜一憂するのではなく、その背後にある子供の学力の土台を見る必要があるのです。
習慣は大切ですね。早寝早起き、毎日の勉強、続けていきたいです。
大事なことは、簡単なように思えることを「きちんと続けること」。勉強するという習慣をきっちり身につけさせていくことが未来につながるのですね。
歯を磨くことと同じように、勉強も毎日できるといいですね。
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昔の子供たちは、野山の自然の中で遊びました。近くの山に行って、野ブドウを採ったり、アケビを採ったり、クリを見つけたり、そしてその合間に子供たちどうしでちゃんばらごっこをしたり鬼ごっこをしたり、いろいろなことをして遊びました。
今は、近くにそういう自然があるところも多くありませんし、何よりも子供だけでそういう自然の中に行くのは危険だという考えが強いと思います。
そのため、子供たちは家の中で過ごすことも多くなり、自然の中で他の子供と遊ぶ機会が少なくなっているようです。
そこで、自分に時間があったら、今後やりたいと思っていることは、プログラミングと自然の中での遊びを結びつける企画です。
その一つは、「ポケモンGO!」の真似のようですが、「生きもんGO!」というプログラムです。
近所の公園などで、植物や昆虫や鳥などの生き物を見つけ、それをスマホ又はカメラで写真に撮って集めるのです。
その生き物がどういう名前かということを調べるプログラムを、人工知能を使って作ります。
例えば、インターネットの検索で、モンシロチョウなどと検索して画像をたくさん並べ、人工知能に大量に入力し覚えさせます。すると、自然の中でモンシロチョウらしいものを見つけて写真を撮ると、プログラムがそのチョウの名前がモンシロチョウだと教えてくれるのです。
街の中でも、いろいろな珍しい生き物に出会うことがあります。その発見をみんなで共有すると、それが共通の遊びのようになります。
出来合いのゲームではなく、自分たちでこういうゲームを作って遊んでいくのがこれからやってみたいことです。
もう一つは、やはりプログラミングで、ドローンを動かして、近所の公園などで飛ばして遊ぶゲームです。
公園の中の、あの木とこの木の間をくぐり抜けて、一周して戻ってくるという競争のようなゲームが考えられると思います。
ちょうど、昔の子供たちが、凧揚げをしたり、ゴム飛行機を飛ばしたりして遊んだのと同じ感覚です。
このように、自分で工夫できる余地があると、子供はその遊びに熱中します。
出来合いの遊びは、遊び方のパターンが決まっているので、工夫の余地があまりありません。だから、高いおもちゃを買っても、子供が喜ぶのは最初のうちだけですぐに飽きてしまうのです。
今はプログラミングが比較的簡単にできるようになっているので、子供たちが工夫する余地のある遊びを、これから企画してみたいと思っています。
もう一つ、これは家の中での遊びになりますが、工作の遊びです。
先日、子供たちに、自分の趣味を紹介してもらったときに、レゴで遊んでいる子供がとても多いのに気が付きました。
そこで、考えたのが、木片を使ったオリジナルなレゴ作りです。
小さいバルサ材の木片のセットが、アマゾンなどで数百円で売られています。バルサ材ですから、軽く丈夫で、カッターなどで切ることも簡単にできます。
このいろいろな形のバルサ材を組み合わせて、自分で何かを作るのです。
くっつけるものは、両面テープですが、今は文房具として「テープのり」というものが売られています。
これを使うと、手軽にくっつけたり剥がしたりすることができます。
子供たちが、こういう工作の遊びで楽しく感じるのは、作っている最中です。
作り終えて完成したものは、もう子供たちの興味はひかないので、やはり出来合いの完成形が決まっているものはあまり長い間それに熱中することがありません。
また、いったん作ってしまうと元に戻すのもまた手間なので、そのまま作りっぱなしになってしまうことが多いのです。
だから、本当は、すぐに壊してまた新しいものを作れるような柔軟性のある工作の方が長く遊べます。
この木切れとテープのりを使った遊びの名前として今考えているのは、キギレゴです。ってそんなことはどうでもいいか(笑)。
これは、すぐできそうなので、いつかオンエア遊びクラブなどで、キギレゴ作品発表会などをやってみたいと思っています。
しかし、このオンエア遊びクラブというのは、まだできていません。「親子で遊ぼうワンワンワン」のfacebookグループなどでどなたかやってくれませんか。
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出来合いの遊びは、熱中するのも早いですが、飽きるのもまた早いものです。
子供がいつまでも飽きずに続けるものは、やはり自分で工夫する余地のある遊びです。
これは、勉強でも同じです。答えのある勉強よりも、答えを工夫できる勉強の方が楽しいのです。
「生きもんGO!」
すごくやってみたいです!!!!
私以外、家族はみんなポケモンGOをやっていますが、「生きもんGO!」の方が絶対おもしろいはず!
「生きもんGO!」は、言葉の森港南台教室内でもできそうですね。犬、鳥、虫……。
どれも子どもが夢中になりそうなことばかりですね。楽しみです。
生き物や植物の名前がその場でわかると、つかまえた気分が味わえそうです。ポケモンより夢中になれそう。
「食べもんGO!」もいいですが、「生きもんGO!」も楽しそうですね。
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教育に関する情報が豊富にあると、かえってその中で、何が重要で何が重要でないかを見失ってしまうことがあります。
親も子供も熱心にやっているように見えても、その方向が脇道にそれている場合も多いのです。
勉強の中心は、家庭で毎日取り組むと決めたことを繰り返す勉強です。生活の中で毎日当然のように行う平凡な勉強の積み重ねが、もとになる勉強のです。
これに対して、学校や塾から宿題で出されるような勉強は、枝葉の勉強です。宿題のプリントをもらってきて、それをやるような勉強は、繰り返して身につけるというようなことがしにくいので、結局一回きりの勉強にになってしまうことが多いからです。
子供が小さいときは、そういうばらばらのプリントをこなすような勉強も、親がファイルをして整理してやらせることができます。
しかし、子供がひとりでそういうプリント類の管理をすることは難しいので、学年が上がると、与えられた勉強を次々とこなすだけの勉強になりがちです。
宿題というと、やることが義務のように思うので、その勉強を第一に考えてしまう人が多いのですが、自分のペースでやると決めた勉強がもとになる勉強で、人から与えられた勉強は枝葉の勉強だという区別をしておくことが大切です。
勉強の内容として大事なものは、第一に読む力をつけることです。小学生時代は特に、速く、楽に、和多く読む力をつけておくことが勉強の中心になります。
第二に大事なものは、計算する力です。これも、速く、楽に、正確に計算する力をつけておくことです。
それは、計算が苦手だと、その延長で算数や数学が苦手だと思ってしまうことがあるからです。
ただし、計算力はあくまでも第二です。
計算は電卓に代わってやってもらうことができますが、読書は機械に代わってやってもらうことはできません。
計算力に比べると、読書力の差は表面には出ませんが、実はこの読書力の差がいちばん大きいのです。
読む力を更に発展させるものとして、音読、暗唱、親子の対話などの勉強もあります。これらは単独で取り組むよりも、作文の勉強の中で取り組むようにすると定着します。
習い事の中には、子供の個性にあったさまざまなものがあります。英語、プログラミング、スポーツ、音楽など、今は多様な学習の機会がありますが、それらは、読む力、計算する力の勉強に比べると、あくまでも枝葉の勉強と考えておくことが大切です。
子供の好きな分野で個性を伸ばすことは大事ですが、その個性も、もとになる土台の勉強ができて初めて生きてくるのです。
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昔、夏合宿に来ていた女の子が、「ああ、よかった。今日は○○の練習をしなくて済む」と言っていました。
小さいころから熱心にやっているように見える習い事でも、実は惰性でしぶしぶやっていることも多いのです。
勉強は必要なものだけに絞って(それは読書と作文と算数だと思いますが)、子供はたっぷり遊んでいるといいのです。
昔から、学問の王道は、書を読むことでした。
江戸時代の寺子屋では、読み書き・そろばんが勉強の中心でした。
小学生のうちは、基本をしっかり身につけて、あとはたくさん遊ぶことです。
あれもこれも手を出し、毎日の生活が忙しくなりがちですが、一冊の問題集を何度も繰り返し、読書することがいちばん大切ですね。
とかく枝葉の勉強や習い事に目が向いてしまいますが、太い幹はびっくりするほどシンプルで持続可能なものなのですね。
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小学生の習い事に関する調査(2016年11月VSN)によると、子供に習わせたい習い事の1位はスポーツ系、2位は英会話、3位は音楽系という結果が出ています。
親の動機は、スポーツや英語や音楽のプロになることではないと思います。その分野が、苦手にならないように、そしてできれば楽しめるように、ということでさせているのです。
しかし、教える側は、それだけでは物足りないと思うのか、「勝つ」という方向で目標を立てがちです。
そして、実際に習い事の成果を発表する場は、試合や、検定試験や、コンクールなどですから、そこでどうしても優劣がつきます。
特にスポーツの場合は、負けたチームはかなり屈辱感を味わいます。逆に言えば、勝ったチームは大きな優越感にひたります。だから、親も子供もどうしても、勝つためのスポーツという方向に進んでしまうのです。
本当は、子供時代は、いろいろな運動を楽しむべきなのに、サッカーならサッカー、野球なら野球といったように、最初に参加した特定のスポーツに特化するような取り組み方になってしまいうのです。
しかし、多くの人がそういう今のスポーツのあり方のおかしさに気づきはじめていると思います。
作文の勉強も似ています。
言葉の森の生徒は、よく新聞に入選したり、コンクールに入選したりしています。
しかし、教室としてそういう入選の目標に取り組んでいるわけではありません。家庭で自由に取り組んでもらうという立場です。
入選は、子供にとって大きな自信になります。そして、小学生なら誰でも年に何回かは素晴らしい作文を書くことがあります。
しかし、教室として、子供たちの作文を入選させるために手直しするようなことはしません。先生が手を加えて上手な作文にしても、子供にとっては喜びにならないからです。
そのかわり、言葉の森では、生徒それぞれが作文を発表するプレゼン作文発表会のような企画を充実させたいと思っています。
賞や級を全く出さないわけではありませんが、それらはあくまでもきっかけ作りで、それらの賞や級を目標にして競わせるようなことはしません。
そうして、ひとりも苦手な子がなく、多くの子が作文が得意になるような教室を目指しています。
ただし、進歩のあとがわかることは必要ですから、森リン点の集計や作文検定の実施などには取り組んでいます。
しかし、これも競争を煽らない形で進めています。
それでも、小学生新聞の入選者数などは、たぶん毎年全国1位になっているのだと思います。
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「勝ってうれしい」よりも、「することが楽しい」と思える気持ちを育てたいです。
習い事は子どもの可能性を探し、子どもが好きになれるものを探す準備のお手伝い、と考えればいいということ。親がどんと構えて焦らないということ。言うは易し、行うは難し……。頑張ります。
子どもの習い事は、つい親が一生懸命になりすぎてしまうことがありますね。つい欲が出てしまいます。
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読書力は、子供の学力を形成します。この学力の土台の上に成績があります。
学力の土台を作るのは、毎日の読書と対話です。
成績を決めるのは、毎日の勉強の量と方法です。
学力の土台の上に成績がありますが、低学年のうちは成績は勉強だけで上昇します。それは、まだ学力そのものが小さいからです。
しかし、高学年になると、成績は勉強だけでは上がりません。学力の土台というものが重要になってくるからです。
たまに、「読書は学校でしているから、家ではしない」という子がいます。
読書は、毎日の生活の中でしていくことが大事なので、読書の場は基本的に家庭です。
家庭で読書をしない子が増えてきたので、それを補うために学校で読書の時間を設けるようになったのです。
学校でするから、家ではしなくていいというのではありません。
しかし、中には、家庭で毎日本を読むということが習慣になっていない子もいます。
そこで、毎日の読書のハードルを下げるために、言葉の森では、「毎日10ページ以上」「自分の好きな本を」ということを読書の基本にしています。
このようにすると、読書が苦手な子や、読書の時間があまり取れない子は、ぴったり10ページで読書を打ち切ります。しかも、易しい楽な本しか読みません。
ここで、親は、「もっとたくさん読んだら」とか、「もっと難しい本も読んだら」と言ってはいけないのです。そういうことを要求すると、毎日読むことが負担になり、結局長続きしなくなるからです。
しかし、この状態を子供が続けることは仕方ないとしても、そして、親はそれを一応手放しで認めてあげることが必要であるとしても、親が心からこの水準で満足していいというのではありません。
親は常に、その子が、10ページよりももっとたくさん読むこと、易しいだけの本よりももっと高度な本を読むことを、将来の読書の方向として考えておく必要があるのです。
そのために、必要なことは、第一に、読書の時間を工夫することです。10ページでいいから勉強の前にちょっと読ませようというのでは、読書量は増えません。読書は、勉強などの必要なことがすべて終わって、あとは遊んでも寝てもいいような次の時間に余裕のある時間帯で読ませるようにしておく必要があります。
第二は、子供の興味や関心を見つけることです。本人が関心を持っている分野であれば、子供は難しい本にも手を出そうとします。そのためには、図書館などを利用して、いろいろな本を用意しておくことです。最近、「○年生の読みもの」などというタイトルで有名な短編がコンパクトにまとまっている本もありますが、そういう教科書的な本は、子供が熱中して読むということがあまりありません。やはり、親がその子のことを考えて本を探してくることが大事なのです。
第三は、子供の読書力を見きわめることです。たとえ興味のある分野の本であっても、子供の読書力以上のものを与えると、やはり読み続けることは難しくなります。そういう本の場合は、ときどきは親が読み聞かせをしてあげることも必要になります。
第四は、複数の本を並行して読むようにすることです。いつも1冊だけ読むという読書スタイルだと、興味はあるが難しい本や、易しいが興味のない本などにぶつかったときに、そこで読書が止まってしまうことがあります。いくつかのバイパスがあれば、読書の習慣をずっと継続することができるのです。
こういう、より多く、より高度にという読書生活ができるように、言葉の森では、小学校1年生から3年生の生徒を対象にした読書実験クラブというものを行っています。これは、オンライン講座なので、時間さえあればどこからでも参加できます。
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何でも毎日続けることが大切ですね。
本は1冊ずつ順番に読むものという固定観念をはずしたら、読書はもっと楽に習慣化できそうですね。
将来の読書の方向を見据えた上で、毎日の読書を習慣化することが大事ですね。
大事なのは日々の積み重ねですね!
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以前、保護者の方から、文系か理系かどちらにするのがよいかと尋ねられたことがあります。
私の考えは、迷ったら理系の選択を原則にするというものです。
なぜなら、科学の分野をいくつかに分ける考えがありますが、人文科学と社会科学の多くは、科学というよりも仮説であり、ものの見方や考え方、人生観や世界観というようなものであることが多いからです。
これに対して、自然科学は、立証できる客観的な現実を基本としています。だから、自然科学、つまり理系的なものが、科学の基本になります。
比喩的に考えると、文系を人間の頭の役割とすれば、理系は人間の手足です。
世の中にある何かを動かそうとするとき、何のためにどう動かすかを考えるのは頭ですが、それを実際に動かすのは手足です。そして動かすときに、理系の知識と技能が役に立ちます。
ところで、ここで大きな問題になるのは、人が文系を選ぶ理由です。
高校生が文系を選ぶ理由は、「数学が苦手だから」というということが多いのです。
同じく、人が理系を選ぶ理由の中に、「国語のような感覚的な世界が苦手だから」というものもあります。
どちらも、苦手だから、自分の苦手でない方を選ぶということが選択の基準になっているのです。
では、なぜ数学が苦手になるかというと、それは点数の差をつけることを目的とした受験数学のせいです。小学校高学年のころから、不必要に難しい問題をやらされて算数数学が苦手になってしまう子が多いのです。
同じく、なぜ国語が苦手にになるというと、これも点数の差をつけることを目的とした受験国語のせいです。ただし、国語の場合は、苦手の理由がわかれば克服は比較的容易です。
数学が苦手だという意識があると、一生数学的なものを避けるようになります。それは、その人にとって大きな損失です。
数学や理科が苦手だということを、人間の頭と手足の比喩で言うと、頭はよいが手足が不自由だということになります。
大きなビジネスの世界では、文系の経営者がビジョンを考え、それを理系の技術者が技術として具体化するというような分業も可能です。
しかし、小さなビジネスの世界や個人レベルの世界では、文系の頭も、理系の手足も、併せ持っていなければなりません。
特に、これからは個人が活躍する時代になりますから、文系も理系も両方できる自律した能力を育てておくことが必要になるのです。
ところで、理系が苦手にならないということは基本ですが、反対に、理系の手足だけが優れているということもまた問題があります。
以前、「理系貧乏」という言葉が使われたことがありますが、理系の得意な人は、世の中全体のビジョンを考える力がないと、目先の技術的なことだけに目を奪われてしまうということもあるのです。
理系の本質は、数学的、科学的にものごとを考えることのできる力です。
文系の本質は、ものごとをより深く、概念的、構造的に考える力です。だから、文系の学問は、国語の中でも考える文章を読み取り、考える文章を書き上げる力になります。
学問には、この両方が必要であり、更に社会生活を送るにあたっては、人間関係力や実行力も必要になってきます。
子供の教育を考える場合、こういう大きい視野で勉強の範囲を見る必要があります。
だから、小中学生の間は、文系的には、難しい文章を読む力、難しい文章を書く力をつけること、理系的には、算数数学に苦手意識をもたないようにしておくこと、この二つが基本になります。
このように、理系も文系も両方必要なのですが、今の学校教育の中では、数学が苦手だから文系を選ぶという考え方が根強いので、できるだけ最初から理系志向でやっていくようにするといいのです。
実は、言葉の森の高校生には、人数を集計したわけではありませんが、理系の人がかなりいます。大学の理学部や工学部に進む人が多いのです。
こういう高校生は、受験に小論文を使うわけではありません。小中学生の間、言葉の森でずっと作文を書いていて、数学が得意だから高校生になって理系を選んだが、作文の方も引き続き勉強しているということです。
それは、言葉の森の作文指導が、感覚的なものではなく、どちらかと言えば、理系的な作文指導になっているからだとも思います。
今後、寺子屋オンエアやオンエア講座などで理数系の力もカバーし、更に難しい長文を読み高度な作文を書くという指導を行い、理系も文系も両方できる子供たちを育てていきたいと思っています。
この記事に関するコメント
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理系か文系かという選択の場合、本当はどちらも大事です。
しかし、今は、数学が苦手だから文系にするという人が多いので、そうならないように理系に重点を置いた勉強をしていくといいのです。
そして、理系だけに特化しないように、幅広く難しい本を読み文章を書くという文系の勉強のやっていくといいのです。
あ、それから、勉強以外の趣味や、遊びや、友達付き合いも(笑)。
もともと人間の能力には大差がありません。
しかし、子供は自分が得意だと思ったものを伸ばし、苦手だと思ったものを避けるようになります。
だから、親としては、どの教科も苦手と思わせないように勉強をカバーしていくといいのです。
しかし、それは、どの教科も得意にするということではありません。
そこまでやろうとすると、かえって勉強以外のところで問題が出てくるからです。
よくできる子の場合は、特に、このやらせすぎないことに気をつけておく必要があります。
「やらせすぎの心配をするぐらいになってほしい」という声も聞こえてきそうですが。
理系か、文系か、確かにどちらかが苦手だからどちらかを選ぶ傾向が今は根強いですね。
言葉の森で出会う生徒さんは、たしかに理系の方が多いです。理系の生徒さんのほうが作文が得意なような気もします。
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