言葉の森のこれまでの夏合宿のテーマは、(1)自然との交流、(2)寺子屋式の学習、(3)合宿での友達との交流、でした。
寺子屋式学習の内容は、暗唱、読書、作文などでしたが、これまでは、合宿での遊びのボリュームが多く、作文は少ししかできませんでした。
しかし、今年から、寺子屋式勉強の内容はもっと充実させていく予定です。
それは、合宿所が固定したものになるからです。
勉強の内容としては、具体的には、暗唱、読書のほかに、作文・感想文、自由研究などもできるようにしていきたいと思っています。
言葉の森の合宿では、昨年から、保護者も自由に参加できるようにしました。
これがなかなか面白く、お父さん、お母さんと、言葉の森の講師の間でいろいろな話ができました。
今年は、この父母の参加に加えて、祖父母も自由に参加できるようにしていきたいと思っています。
祖父母と言っても、年齢はまだ60代や70代ですから元気いっぱいのはずです。(自分がそうなので(笑))
夏休み、子供たちはよく田舎のおじいちゃんおばあちゃんの家に行くことが多いと思います。
田舎はそれなりに楽しいのですが、難点は友達がいないことです。
だから、この夏合宿に、祖父母が一緒に参加してくれれば、自然の中で、友達も父母も祖父母も含めた幅広い交流ができます。
また、父母は父母どうし、祖父母は祖父母どうしの交流もできると思います。
そして、祖父母の時代は、遊びの道具が今ほど豊富ではなかったので、誰もが出来合いのものでないいろいろな遊びを工夫していました。
この夏合宿で、そういう手作りの遊びをいろいろ紹介してもらうのも楽しいと思います。
今年からは、合宿所が固定したものになるので、何日間でも泊まれるようになります。
基本は2泊3日ですが、それを何泊も延長することができます。父母や祖父母はその間の一部に参加ということにすれば誰もが無理なく参加できると思います。
合宿所が固定した利点はもうひとつあります。
それは、生徒全員にノートパソコンが用意できることです。ノートパソコンがあれば、寺子屋オンエアのような学習もその合宿所でいつでもできるようになります。
また、全員にキンドル端末を用意すれば、合宿所で自由に本も読めるようになります。言わば図書館付きの合宿所のような感じです。
言葉の森では、現在、寺子屋オンエアやオンエア講座をやっていますが、オンエア企画に参加する子供たちは、ネットの画面の中で結構親しくなります。
ときどき、「○○君の読んでいた本が面白そうだったから自分も読んでみた」とか、「○○さんのやった実験に興味があったので、自分もやってみた」という声を聞きます。
距離も離れていて、知らない子どうしが、そういう形でオンエアの企画の中で自然に友達のようになるのです。
合宿は、初対面の子どうしでもすぐに仲よくなりますが、こういうオンエア企画の土台があれば、更に深い交流ができると思います。また、この夏合宿のあとのオンエア授業の参加も更に身が入ると思います。
今年は、そういう新しい合宿の企画を立てていきます。
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まだ、これから立春だというのは、もう夏休みの合宿の話です。
今年の夏合宿は、文字どおり「自然寺子屋合宿」で、日中はたっぷり自然の中で遊び、朝と夜は寺子屋方式でしっかり勉強し、何日間でも宿泊できるという形にしたいと思っています。
そして、新しい工夫は、お父さん、お母さんも自由に参加できるばかりでなく、おじいちゃんやおばあちゃんも自由に参加できることです。親子三世代合宿で、読書感想文を書いたり、夏休みの自由研究をしたりするのです。
当面は夏合宿ですが、やがては土日合宿、そしてゆくゆくは平日合宿もできるようにしたいと思っています。
ということは、ゆくゆくは宿泊型の学校になるということです。
今年の夏が楽しみです。
子供たちも大人たちもワクワクしますね♪ 夏が今から楽しみです♪
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論理を学ぶというと、いかにも頭がよくなるような感じがしますが、論理にはそういう力はありません。
論理の反対にあるのは感覚ですから、論理を学ぶことによって感覚的なものの見方から離れることができるという利点があるのです。論理の役割は、そこまでです。
論理の典型的な例は、三段論法です。「AがBであり、BがCであるならば、AはCである」というような論理は、見方を変えれば、当たり前の話で、最初からわかっていたことをわざわざ遠回しに言っているようなものです。
しかし、この論理が、感覚との対比で役に立つこともあります。
その一つの例は、「変数の数以上の等号の数があれば、その変数は特定できる」などという論理です。
これは、数学の方程式や因数分解のような論理に似ています。直感的に考えたのでは決して確かとは言えないことが、論理的に考えると確かだ言わざるを得ないというのが論理の特徴です。
この論理的な考えが実際の役に立つ例として、センター試験国語の勉強があります。
センター試験の国語は、選択問題で答えが一つの定まっていますから、論理的に考えれば必ず正解に行き当たります。
国語のテストだから感覚的に考えていいのだと考えると、かえって不正解になるのです。
論理を学ぶと、世の中はすべて理屈どおりに成り立っているのだということに確信が持てるようになります。
これが、数学の勉強をする意義です。
プログラミングの勉強も、こういう論理への確信を持てるようになるという点で意義があります。
しかし、論理が役立つのは、こういうところまでです。
論理を学ぶことが頭をよくするわけではないと書きましたが、では、頭をよくするのはどういう学習なのでしょうか。
それは、「難読」です。難読というのは、ここだけの造語で、難しい文章や本を読むという意味でつかっています。
私が学生時代、最初にサルトルの「存在と無」を読んだとき、なかなか理解できなかった言葉が、即時存在、対自存在、即自かつ対自存在という3つの概念の区別でした。
これを自分なりに何度も考えてやっと理解できたときに、ものの味方の新しい地平が開けた気がしたのです。
こういう時間のかかる読み方を経験すると、速読というのは、表面的な理解には使えるが、深い理解には使えないということがよくわかります。
速く読む力をつけることは大事ですが、もっと大事なのは深く読む力です。
このサルトルの即時かつ対自存在という概念のもともとの出どころはヘーゲルでした。
ヘーゲルは、教科書的な説明では、正反合というわかりやすい考え方でまとめられていることが多いのですが、ヘーゲルの本質はもっと深いものです。それは、物事がその発展の過程で、次第にその物事以外のものを生み出し、それがもともとの物事を否定し、新しい物事が生成されるという世界観です。「精神現象学」には、その具体例が豊富に書かれています。
頭をよくするのは、論理を学ぶことによってではなく、こういう新しい概念を理解することによってです。
しかし、小学生の子供に直接難しい本を読ませることはできません。
だから、子供には、難しい本の代わりに、自然科学の本を読ませるといいのです。人文科学や社会科学は、仮説を述べていることが多いので、確実性のない知識もかなりあります。
しかし、自然科学は、仮説の部分ももちろんありますが、実際の自然現象として説明できる確実なものが豊富にあります。その自然現象の理解を通して、新しい概念を理解することができるのです。
自然科学の分野で新しい理解を得たときに、子供は感動します。その感動は、知的な喜びにつながる感動です。
この感動が更に深く知りたいという知的好奇心を生み、そのことによって更に深い理解をすることで子供の頭はよくなっていくのです。
だから、頭をよくする子育てで大事なことは、自然を学ぶ機会を作ること、それを難しい本の読書に結びつけることなのです。
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先日、保護者の方から、「論理を勉強した方がいいですか」と質問を受けました。
論理的にものを考えることは大事ですが、それはわざわざそのために何かをするようなものではありません。
数学の勉強をしていれば、論理的にものを考えることは自然にできるようになります。
論理よりも大事なのは、考える力をつけることで、それは難しい本を読むことです。
しかし、難しい本を読むというのは、小さい子にはまだできないので、その代わりに自然科学を学ぶようにするといいのです。
数学の悪口を言うようですが(笑)、数学の勉強をしても頭はよくなりません。数学の成績がよくなるだけです。
頭がよくなるのは、自分がまだ知らない新しい概念を身につけることによってです。
その教材が、優れた論説文なのです。
妙に納得してしまいました。
論理的思考という言葉は子育てや教育分野でとても好まれる言葉だと思いますが、論理的思考は役割であって目的ではない。
英語の成績がよくても英語が使えるようにならないのと似ています。
ボケ防止のためにも難読に挑戦したいと思いました(笑)。
国語のテストは、感覚的に考えて解けると思ったら大間違いですね。
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