国語力をつけるためには、まず「読む」ことが大切です。
問題を解くとか、漢字を覚えるとか、ことわざを覚えるとかではなく、何しろまず「読む」ことなのです。
しかし、ただ読むだけでは漠然としています。
だから、感想文を書くために読むという形の勉強が効果的なのです。
読む勉強の先取りは限られています。
算数数学の場合は、学年よりも先の勉強がいくらでもできます。
しかし、国語はそうではありません。
読む力は、その学年ごとにつけていかなければなりません。
小学生のうちに読む力をつけることは大事ですが、それで中学生まで間に合うのではありません。
中学生のときに読む力がついても、それで高校生まで間に合うわけではありません。
それぞれの学年ごとに、その学年に応じた読む力をつけておくことが大事なのです。
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言葉の森の作文指導の特徴は、長文を読んでその感想文を書くことを中心としていることです。ただし、感想文中心になるのは小5以降で、それまでは身近な題名の課題が中心です。
なぜ感想文を書くことを中心にするかというと、学年が上がるほど読む力をつけることが必要になってくるからです。
文章を読む力は、語彙力として表れます。受験の国語問題に出てくる文章は、その学年の子にとってはなじみのない言葉が多く使われています。
語彙力のある生徒は、何とか内容を読み取りますが、語彙力のない生徒は、読解問題も当てずっぽうで解くようになります。
国語の成績を上げるには、問題文を理詰めで読み取る必要があるのですが、語彙力がないと読み取る段階まで達しないことも多いのです。
長文を読んで感想文を書く勉強をしていると、その長文を深く読み取ろうとするようになります。
事前に長文の音読を何度もしていると、難しい内容の文章でも全体の内容がおおまかにわかります。更に、その長文音読をもとに、親子で似た話などをしていれば、文章を読み取る力は更についてきます。
このように、感想文を書くために長文を読むという練習をするので、難しい長文を読む力がついてくるのです。
長文を読む力は、一度つけばそれで終わりではありません。
小学校高学年のときの難しい文章と、中学3年生になってからの難しい文章では、質が違います。また、中学3年生のときの難しい文章と、高校3年生になってからの難しい文章でも質が違います。
言葉の森の作文の勉強は、小学生から高校生まで、それぞれの学年に応じた難しい文章を読み、感想文を書く練習を中心としているのです。
「国語力をつける作文指導は、長文を読んでの感想文の指導」
https://www.mori7.com/index.php?e=2313
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中学生のときに、国語が苦手で、言葉の森の長文読解問題を熱心にやってめきめき力をつけた生徒がいました。
そして、いい高校に入ったのですが、高校生になってから、たぶん本をあまり読まなかったのでしょう。
高校3年生のときは、国語の成績がかなり落ちていたのです。
国語は、それぞれの年齢に応じて難しい文章を読まなければ低下します。
それでも、大学入試の前に気を取り直して、また国語の勉強を始め、何とか東大に入ったのです。東大って(笑)。
読む力は食事と同じです。
食いだめということは、ある程度まではできますが、来年の分まで先に食べておくことはできません。
しかし、「小4までに読書を全部済ませておいて、小5からは受験に専念」というようなわけのわからない方針を立ててしまう人も多いのです。
大人になっても読書習慣は続けていきたいですね。
「継続は力なり」
継続的に年齢に応じた難しさの文章を読むことで、語彙や文体がインプットされます。そして初めて自分で書けるようになるのです。
そのときの自分に合った本に出会うことが大事ですね。この場所で、「これだ」「読みたい」「読ませたい」という本にたくさん出会えて感謝です。
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小学1年生の勉強は楽しくやるものです。
苦しいことを我慢して厳しくやるものではありません。
子供は素直ですから、多少の厳しい勉強にも黙ってついてきます。しかし、そういう子はあとが続きません。
楽しくやるためには、勉強の分量を親から見て物足りないぐらいに減らしておくことです。
そして、その勉強を子供が自分でやっていくようにするのがいいのです。
親は、その様子を横でにこやかに見ているのです。
親が先頭に立って子供を引っ張って勉強させるのではありません。
後ろからときどき励ましの声をかけてあげるだけです。
そして、勉強のことばかりでなく、日常のいろいろな話題で親子でできるだけたくさんの会話をしていくことなのです。
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小学1年生の勉強で大事なことは、勉強の仕方です。何を勉強するかということよりも、どう勉強するかということが、その後の学力の伸びを左右していきます。
この記事は、「小学1年生の勉強の仕方が、その後の勉強のスタイルを作る」の続きです。
前の記事で書いたのは、第一に、楽しくやることでした。第二に、自主的にやることでした。
第三に、子供の自主性を育てるためには、勉強の分量を多くしないこと、早く終わったからといって勉強の追加をしないことです。
集中力がない子の多くは、勉強のしすぎという状態になっています。親から見てちょうどいいと思うぐらいの分量は、子供にとっては多すぎるものです。しかし、子供は反発するほどの基準が自分の中にないので、親に言われたことは一応そのまま素直に受け止めます。その結果が、集中力のなさとして出てくるのです。
第四に、例外は作らないことです。勉強は、人間が成長するために欠かせないものですから、雨の日も、風の日も、土曜も、日曜も、旅行に出かけたときも、やると決めたことは、分量は少なくしたとしても毎日欠かさずにやっていくことです。
この毎日欠かさずにやる習慣をつけるためにも、親が関与する面はできるだけ少なくしておくことが大事なのです。
例えば、問題集の丸つけなども、親がやるのではなく、子供が自分でやるほうがいいのです。親がいなければできない勉強だと、親の都合でやらない日が出てくることもあるからです。
第五に、子供の学力をつけるいちばんの勉強は、実は、読書と対話と経験です。
漢字のドリルや計算のドリルは、いかにも勉強らしい感じがしますが、そういうドリルをやるのは、一応学校の勉強が普通にできるようになるためです。それ以上のものはありません。小学生の勉強は、どの教科も一応できているだけで十分なのです。人よりよくできるとか、毎回百点を取るとか、何学年も先取りするとかいうことにこだわる必要はありません。
それよりも、読書と対話と経験で、自分なりに考える力と語彙の力と実際の体験を身につけておくことがその子の将来の本当の学力になるのです。
言葉の森の作文も同じです。
小学校低学年は、楽しく書くことが大事で、上手に書くことを目的にするものではありません。子供は素直なので、上手に書かせようと思えば、すぐに上手に書くようになります。しかし、そういう上手さには無理があります。低学年のころに上手に書きすぎた子は、勉強が長続きしないのです。
大事なことは、作文を毎週書くという勉強をきっかけにして、音読や対話や経験の習慣を作ることです。しかも、それらの習慣は楽しくなければ本当の力にはなりません。音読や対話や経験を楽しい習慣にするためには、親がいつもよいところを見て褒めてあげることなのです。
「小学1年生の勉強は、集中力をつけること、例外を作らないこと、読書と対話と経験を重視すること」
https://www.mori7.com/index.php?e=2307
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小学校低学年のころの勉強は楽しくやるのが基本です。
楽しくやるためには、できるだけ自主的にやらせることです。
自主的にやらせるためには、勉強の分量をぐっと少なくしておくことです。
分量を多くすれば、子供は手を抜いたり、だらだら時間をかけてやったりするようになります。
集中力のある勉強は、分量が少ないからできるのです。
それが、「よく学びよく遊べ」の土台です。
子供の勉強を褒めるときも、褒め方に工夫が必要です。
長くやったとか、たくさんやったとか、よくできたとかいうことを褒めるのではなく、自主的にやったということを褒めるのです。
まちがったとか、できなかったということは、むしろ大歓迎です。
その分、成長する余地があることがわかったことになるからです。
小学校入学前の保護者の方にぜひ読んでいただきたいですね。
なんでも楽しいことは長続きしますね。
例外をつくらないことは、ぜひ念頭におきたいですね。しかも楽しい勉強に。
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