国語力をつけるためには、まず「読む」ことが大切です。
問題を解くとか、漢字を覚えるとか、ことわざを覚えるとかではなく、何しろまず「読む」ことなのです。
しかし、ただ読むだけでは漠然としています。
だから、感想文を書くために読むという形の勉強が効果的なのです。
読む勉強の先取りは限られています。
算数数学の場合は、学年よりも先の勉強がいくらでもできます。
しかし、国語はそうではありません。
読む力は、その学年ごとにつけていかなければなりません。
小学生のうちに読む力をつけることは大事ですが、それで中学生まで間に合うのではありません。
中学生のときに読む力がついても、それで高校生まで間に合うわけではありません。
それぞれの学年ごとに、その学年に応じた読む力をつけておくことが大事なのです。
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言葉の森の作文指導の特徴は、長文を読んでその感想文を書くことを中心としていることです。ただし、感想文中心になるのは小5以降で、それまでは身近な題名の課題が中心です。
なぜ感想文を書くことを中心にするかというと、学年が上がるほど読む力をつけることが必要になってくるからです。
文章を読む力は、語彙力として表れます。受験の国語問題に出てくる文章は、その学年の子にとってはなじみのない言葉が多く使われています。
語彙力のある生徒は、何とか内容を読み取りますが、語彙力のない生徒は、読解問題も当てずっぽうで解くようになります。
国語の成績を上げるには、問題文を理詰めで読み取る必要があるのですが、語彙力がないと読み取る段階まで達しないことも多いのです。
長文を読んで感想文を書く勉強をしていると、その長文を深く読み取ろうとするようになります。
事前に長文の音読を何度もしていると、難しい内容の文章でも全体の内容がおおまかにわかります。更に、その長文音読をもとに、親子で似た話などをしていれば、文章を読み取る力は更についてきます。
このように、感想文を書くために長文を読むという練習をするので、難しい長文を読む力がついてくるのです。
長文を読む力は、一度つけばそれで終わりではありません。
小学校高学年のときの難しい文章と、中学3年生になってからの難しい文章では、質が違います。また、中学3年生のときの難しい文章と、高校3年生になってからの難しい文章でも質が違います。
言葉の森の作文の勉強は、小学生から高校生まで、それぞれの学年に応じた難しい文章を読み、感想文を書く練習を中心としているのです。
「国語力をつける作文指導は、長文を読んでの感想文の指導」
https://www.mori7.com/index.php?e=2313
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中学生のときに、国語が苦手で、言葉の森の長文読解問題を熱心にやってめきめき力をつけた生徒がいました。
そして、いい高校に入ったのですが、高校生になってから、たぶん本をあまり読まなかったのでしょう。
高校3年生のときは、国語の成績がかなり落ちていたのです。
国語は、それぞれの年齢に応じて難しい文章を読まなければ低下します。
それでも、大学入試の前に気を取り直して、また国語の勉強を始め、何とか東大に入ったのです。東大って(笑)。
読む力は食事と同じです。
食いだめということは、ある程度まではできますが、来年の分まで先に食べておくことはできません。
しかし、「小4までに読書を全部済ませておいて、小5からは受験に専念」というようなわけのわからない方針を立ててしまう人も多いのです。
大人になっても読書習慣は続けていきたいですね。
「継続は力なり」
継続的に年齢に応じた難しさの文章を読むことで、語彙や文体がインプットされます。そして初めて自分で書けるようになるのです。
そのときの自分に合った本に出会うことが大事ですね。この場所で、「これだ」「読みたい」「読ませたい」という本にたくさん出会えて感謝です。
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小学1年生の勉強は楽しくやるものです。
苦しいことを我慢して厳しくやるものではありません。
子供は素直ですから、多少の厳しい勉強にも黙ってついてきます。しかし、そういう子はあとが続きません。
楽しくやるためには、勉強の分量を親から見て物足りないぐらいに減らしておくことです。
そして、その勉強を子供が自分でやっていくようにするのがいいのです。
親は、その様子を横でにこやかに見ているのです。
親が先頭に立って子供を引っ張って勉強させるのではありません。
後ろからときどき励ましの声をかけてあげるだけです。
そして、勉強のことばかりでなく、日常のいろいろな話題で親子でできるだけたくさんの会話をしていくことなのです。
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小学1年生の勉強で大事なことは、勉強の仕方です。何を勉強するかということよりも、どう勉強するかということが、その後の学力の伸びを左右していきます。
この記事は、「小学1年生の勉強の仕方が、その後の勉強のスタイルを作る」の続きです。
前の記事で書いたのは、第一に、楽しくやることでした。第二に、自主的にやることでした。
第三に、子供の自主性を育てるためには、勉強の分量を多くしないこと、早く終わったからといって勉強の追加をしないことです。
集中力がない子の多くは、勉強のしすぎという状態になっています。親から見てちょうどいいと思うぐらいの分量は、子供にとっては多すぎるものです。しかし、子供は反発するほどの基準が自分の中にないので、親に言われたことは一応そのまま素直に受け止めます。その結果が、集中力のなさとして出てくるのです。
第四に、例外は作らないことです。勉強は、人間が成長するために欠かせないものですから、雨の日も、風の日も、土曜も、日曜も、旅行に出かけたときも、やると決めたことは、分量は少なくしたとしても毎日欠かさずにやっていくことです。
この毎日欠かさずにやる習慣をつけるためにも、親が関与する面はできるだけ少なくしておくことが大事なのです。
例えば、問題集の丸つけなども、親がやるのではなく、子供が自分でやるほうがいいのです。親がいなければできない勉強だと、親の都合でやらない日が出てくることもあるからです。
第五に、子供の学力をつけるいちばんの勉強は、実は、読書と対話と経験です。
漢字のドリルや計算のドリルは、いかにも勉強らしい感じがしますが、そういうドリルをやるのは、一応学校の勉強が普通にできるようになるためです。それ以上のものはありません。小学生の勉強は、どの教科も一応できているだけで十分なのです。人よりよくできるとか、毎回百点を取るとか、何学年も先取りするとかいうことにこだわる必要はありません。
それよりも、読書と対話と経験で、自分なりに考える力と語彙の力と実際の体験を身につけておくことがその子の将来の本当の学力になるのです。
言葉の森の作文も同じです。
小学校低学年は、楽しく書くことが大事で、上手に書くことを目的にするものではありません。子供は素直なので、上手に書かせようと思えば、すぐに上手に書くようになります。しかし、そういう上手さには無理があります。低学年のころに上手に書きすぎた子は、勉強が長続きしないのです。
大事なことは、作文を毎週書くという勉強をきっかけにして、音読や対話や経験の習慣を作ることです。しかも、それらの習慣は楽しくなければ本当の力にはなりません。音読や対話や経験を楽しい習慣にするためには、親がいつもよいところを見て褒めてあげることなのです。
「小学1年生の勉強は、集中力をつけること、例外を作らないこと、読書と対話と経験を重視すること」
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小学校低学年のころの勉強は楽しくやるのが基本です。
楽しくやるためには、できるだけ自主的にやらせることです。
自主的にやらせるためには、勉強の分量をぐっと少なくしておくことです。
分量を多くすれば、子供は手を抜いたり、だらだら時間をかけてやったりするようになります。
集中力のある勉強は、分量が少ないからできるのです。
それが、「よく学びよく遊べ」の土台です。
子供の勉強を褒めるときも、褒め方に工夫が必要です。
長くやったとか、たくさんやったとか、よくできたとかいうことを褒めるのではなく、自主的にやったということを褒めるのです。
まちがったとか、できなかったということは、むしろ大歓迎です。
その分、成長する余地があることがわかったことになるからです。
小学校入学前の保護者の方にぜひ読んでいただきたいですね。
なんでも楽しいことは長続きしますね。
例外をつくらないことは、ぜひ念頭におきたいですね。しかも楽しい勉強に。
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中学の入試問題には、人生論あり、比較文化論あり、言語論ありで、小6の生徒が普通に読むような文章ではありません。
作文も、「人間は」とか「人間にとって」という大きい一般化した感想を書かなければなりません。
しかし、お父さんお母さんが、自分の子供のころをふりかえってみるとよくわかると思いますが、小6でそういう一般化したことを自然に考えられる子は早熟な子だけです。
ある調査によると、「人間は」ということを自然に書ける子は、小6の50パーセントしかいないそうです。
では、どうしたらいいかというと、考えはそこまで行かなくてもいいから、語彙だけを先に豊富にしておくのです。
その方法が問題集読書です。
しかし、問題集読書をひとりでコツコツやれる子はまずいません。
問題集の文章をエッセイ集のような感じで楽しく読めるのは、かなり実力のある子です。
だから、寺子屋オンエアでは、問題集読書をチェックすることをメインにして、希望によって先生に音読のメッセージを送れるようにしています。
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言葉の森の作文指導は、小学校低学年のときは楽しく書くのが基本です。間違いを直すことばかりに熱心な指導では、確かに間違いは直りますが、それよりもすぐに書くことが嫌いになってしまいます。
間違いは、作文の中で直すのではなく、読む力をつける中で直すのです。
一年生で会話をカギカッコで書くことと改行することができない子がいたとします。この子に、カギカッコと改行を教えて、次回から直るということはまずありません。何度も何度も同じことを教えても、それができるまでに何ヶ月もかかるのが普通です。
なぜかというと、普段の日常会話で、会話にカギカッコがついていたり、改行されたりしていることはないからです。あったら、漫画です。
会話のカギカッコと改行は、本の中で現れます。本を読んでいる子は、自然に、会話はカギカッコがついていて改行されていることを見ています。そういう読書の蓄積がある子は、もし会話のカギカッコと改行ができていないときも、一度説明するだけで次回からはすぐに正しく書くことができるのです。
言葉の森の作文指導は、低学年のころは楽しい作文ですが、高学年になると考える作文になります。
低学年のころの楽しい作文の経験があるからこそ、高学年の考える作文も同じように楽しく取り組めるのです。
考えるというのは、抽象的に考えるということです。
例えば、意見について理由を書くというときに、理由が書けずに実例を書いてしまう生徒がかなりいます。自分の経験したことに結びつけて書くことはできるのですが、誰にも共通する一般的な理由として書くという抽象的な思考ができないのです。
この考える力、思考力も、読む力から来ています。
子供たちが読む本は、物語文がほとんどです。物語文は、ストーリーという事実中心に書かれているので、わかりやすく誰でも読めます。
これに対して、説明文や意見文は、ストーリーがありません。その代わりに、物事の因果関係などの抽象的な構造が文章の骨格になっています。こういう文章を読むことによって、作文を書くときも抽象的な構造のある作文が書けるのです。
ところが、子供たちが楽しく読める説明文は、あまりありません。身近なところでは、小学生新聞に載っているコラムなどが読みやすい説明文ですが、こういう文章が本として出されることはほとんどありません。
そこで、おすすめするのが、国語の入試問題集です。入試問題集の問題文の中には、読みにくい悪文もありますが、概して内容的に優れたものが多いからです。また、内容に興味を持った問題文であれば、出典を参考にしてもとの本を読むこともできます。
しかし、この問題集読書は、家庭ではなかなかできません。形だけやっているように見えても、ただ眺めているような読み方をしている子が多いのです。
言葉の森では、寺子屋オンエアなどで、この問題集読書にこれから力を入れていきたいと思っています。
「思考力をつける作文と、その裏づけとなる問題集読書」
https://www.mori7.com/index.php?e=2300
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「私の友達」というテーマで作文を書いたとき、結びの感想に、「友情とは(人間にとって)」と書けるのが、精神年齢が成長している子です。
しかし、普通の小6の子は、そういうことはまず考えません。
小6の子にとって、友達とは、そこにいる具体的な友達だけなのです。
以前、自分が小6のとき書いた作文を読んだことがありますが、すごく幼稚でした(笑)。
小6のときの作文は、身近な話なら表現力の問題ですが、人生や社会についての話になると、その子の精神年齢に左右されます。
だから、作文を上手にするよりも、読む力をつけておくのがいいのです。
そこで身につけた語彙力が、その後の作文の中に生きてくるのです。
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小1の勉強は簡単です。
しかし、この小1のときの勉強のスタイルが、その後の子供の勉強スタイルの土台になります。
だから、勉強の中身ではなく、勉強の仕方を工夫することです。
そのやり方は、子供が何をどういう手順でやるのかを教えで、きるだけひとりで勉強をする習慣をつけることです。
そして、子供が勉強している間、親は近くにいてにこやかに見守るような立場にいるのです。
じっと見守っていると、つい注意をしたくなることも出てくるので、親も近くにいて読書をしたり仕事をしたりしているといいのです。
子供が何かを聞いてきたら、いつも優しく教えてあげ、何度同じことを聞いても、何度も同じように優しく教えてあげます。
子供が小さいころの勉強は、親の精神修養だと思ってやることです。
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小学1年生で勉強することなど、たかが知れています。どの教材でも誰が教えても、大差ないものです。ですから、市販の教材でも通信の教材でも自由に選んで、身近なお母さんが教える形で十分に勉強できるのです。
しかし、大事なのは、このときの勉強の仕方です。勉強の中身そのものは誰でもできる(できなければならない)基本的なものなので、どういう教材をどう教えてもできるようになります。しかし、そのときの勉強の仕方は、実は千差万別なのです。
そして、このときの勉強の仕方が、その後の子供の勉強の仕方の土台になります。だから、この時期は、何をやるかとか何を身につけるかということよりも、どうやるかということが大事になってくるのです。
では、どうやればよいのでしょうか。
まず第一に大事なことは、明るく楽しくやることです。少学校低学年は、苦しい勉強をする時期ではありません。苦しい勉強の方がやりがいが出てくるのは、もっとずっとあとになってからです。小学1年生のときは、できるだけ楽にできるように、少しでも子供が困っていることがあったら、どんどん手助けしてあげることです。
これは、作文でも同じです。低学年の子に、無理に自分の力で書かせる必要はありまぜん。楽に書かせることが大事で、そのためにはいくらでも助け舟を出してあげることです。
しかし第二に、自分のペースで自主的にやる勉強スタイルを作ることです。そのためには、何をいつどういう順序でやるかということを、一つの流れとして作り、子供が自分の意思でその流れに乗るようにすることです。
よく、お母さんが、「次は、これ。それが終わったら、今度はこれ」と指示するような勉強の仕方をしている家庭が多いのですが、それでは、やらされる勉強になってしまいます。勉強の開始は、親が指示しないと始められないこともありますが、どういう順序でやっていくかということは、子供が自主的にやるような仕組みを作っておくことです。
「小学1年生の勉強の仕方が、その後の勉強のスタイルを作る」
https://www.mori7.com/index.php?e=2306
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子供が小さいときの勉強でいちばん大事なことは、親がいつもにこにこしていることです。
勉強の中身などはどうでもいいのです。
子供には、勉強を教えすぎないことが大事です。
しかし、もう一つ大事なことは、矛盾するようですが、子供が何かを聞いてきたら、できるだけ脱線して話を続けることです。
子供は、この脱線が好きなのです。
小学1年生から自分で勉強するスタイルが見につくといいですね。
子どもが小学生になった途端、「自分でやりなさい」「自分で調べなさい」と言っていたような気がします。
「子供が何かを聞いてきたら、いつも優しく教えてあげ、何度同じことを聞いても、何度も同じように優しく教えてあげます。」
こんな優しい態度で接してあげたらよかったなぁと反省。
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算数の成績に遺伝はありません。
後天的な努力によって成績が上がります。
国語は後天的な努力によってはなかなか成績が上がらない気がします。
しかし、国語も先天的なものではありません。
短期間の努力で成績が上がらない気がするのは、国語力は生活の中で身につくからです。
例えば、学校でまだ習っていない漢字を読める子がいた場合、それは漢字の読みの勉強をしているよりも、読書の中で自然についたと考えられるのです。
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頭のよさが関係ある勉強というと、算数数学を挙げる人が多いと思いますが、算数数学は練習の仕方で成績がよくなるので、後天的な努力型の勉強です。もちろん努力には時間がかかりますが、やれば誰でもできるようになります。
では、もっと頭のよさに関係がある勉強は何かというと、それは国語力なのです。その国語力の中でも、小学生の場合は作文力が、中学生の場合は語彙力や読解力が、頭のよさに関係が深いというイギリスの心理学者の調査結果が出ています。
国語は、特に勉強をしなくても誰でもある程度はできるので、それほど差のつく勉強だとは思えないと思います。確かに、日常の話題のような易しい語彙だけで済ませられる国語の問題は、できる子もできない子もほとんど差がつきません。
作文でも同じです。身近な生活作文を書く範囲では、国語の得意な子も苦手な子も、同じようにそれなりの文章を書けるのです。
差がつくのは、抽象的な語彙が出てくる読解や作文の課題になったときです。そのときに、本当の学力のある子とない子の差が出てきます。そして、その差は、学年が上がるにつれてますます広がっていくのです。
「頭のよさは国語力に出る」
https://www.mori7.com/index.php?e=2304
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では、読書力をどうやってつけたらいいかというと、いちばんいい方法は、オンエア講座で、友達相手に本の紹介をすることではないかと思います。
読書自体の面白さが最も大切ですが、読み続けるきっかけは友達も読んでいるからということが多いのです。
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読書実験クラブや思考国算講座で、子供たちに読んでいる本の紹介をしてもらうと、みんなとても上手に本の中身を説明してくれます。
もちろん、低学年の子の多くは、最初から最後まで本のあらすじを言うような紹介が多いのですが。
そのお互いの本の紹介を聞いて、自分もその本を読んでみたという子がときどきいます。
こういう交流が広がれば、読書も更に楽しくなると思います。
小学生のころは、読書が好きなら勉強など何もしなくても大丈夫だと思います。
何もしなくてもというのは、学校の勉強だけでということです。
ただ、今は学校によっては荒れているところもあるかもしれないので、その場合はスタディサプリなどで補強しておけばいいのです。
教科書は、先生が教えることを前提にして作られているので、教科書だけでの独学は難しいと思います。
教科書の代わりになるものは、教科書準拠の参考書と問題集で、そういうものもいくつかあります。
数学の読解問題も、国語力がないと解けない場合がありますね。
先日、小4の娘がビブリオバトルをやりましたが、友達に読んでもらいたい本を一生懸命考えていました。本嫌いの子にリサーチして、読めそうな字数を聞いたり、男女問わず興味を持ちそうな題材の本を探したり……。相手に面白さがどう伝わるかを工夫している姿に考える力がついてきているのだなあと思いました。また逆に紹介された本の中にも、自分のテリトリー外の本があったようで、また読書の幅が広がりました。
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子供の成長は近くで見ているとわかりません。
逆に、どうしてこんなにいつまで言ってもわからないのだろうと思うときもあります。
しかし、それでも気長に褒め続けて毎日の読書や音読をさせていると、ある日突然、いつの間にかこんなにできるようになっていた、と思うときが来るのです。
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毎日わずか2、3分、同じ文章を音読して半年間もすると、いつの間にか語彙力がついてくるから、読解力も表現力もついてきます。
ところが、多くの人は、あるときふと思い立って集中的に難しい勉強に取り組んで、しばらくすると飽きてしまいます。
雨だれではなく、どっと夕立が降るような勉強です。夕立はさわやかですが、もちろん岩は岩のまま変わりません。
では、雨だれのような勉強をどうさせるかというと、それはやはり、雨だれのように毎日優しく同じ勉強をさせる大人が必要になるのです。
子供は自動機械ではないので、一度ボタンを押したらそのままずっと続ける、というようなことはまずありません。
気が散りやすく、飽きやすく、脱線しやすいからこそ、人間らしい創造性があるのです。
その飽きっぽさを是認した上で、毎日同じように同じことをさせるのが家庭学習のいちばんの要です。
寺子屋オンエアの勉強は、この雨だれのような勉強なのです
「勉強は、雨だれ岩をも穿(うが)つようなもの」
https://www.mori7.com/index.php?e=2303
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(2月中はサーバー移転により記事を書く時間が取れないため、言葉の森のこれまでの記事の中から話題になったものを引用して記事を書かせていただきます。森川林)
・いつもの公園に行くと、いつもと同じような鳥が2羽、いつもと同じように草原の上を散歩していました。
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雨だれ岩をも穿つは、いつも思い出したい言葉だと思います。
難しい勉強をさせればよいというわけではありません。焦らず着実に家庭学習の習慣をつけることが大事なのですね。
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言葉の森は、作文専科の作文教室を35年間続けてきました。だから、作文指導の難しさというものがよくわかっています。
最近、受験に作文が増えてきたために、学習塾や通信教育で作文講座を開くところも増えてきました。
しかし、そういう新しい作文教室は、言葉の森がもうとっくに通り過ぎてきたところに力を入れているように思えるときがあります。
その一つは、作文の大切さを力説していることです。例えば、考える力がつく、入試で記述力が問われるようになる、などです。
もちろん、大切さを説くのはいいのです。しかし、本当はもっとその先を行く必要があるのです。
では、その先はどこかというと、それは、意欲的に作文の勉強を続けさせる工夫です。
作文の大切さということをいくら言っても、作文の勉強のように苦しいことは子供はなかなかやりたがりません。
入試に作文試験があるという場合は、子供も意欲的なので教えやすいのですが、そういう目標がないところで、小中学生に作文を教えるというのはかなり工夫が必要です。
その工夫の一つは、先生との関わりを強めることです。それが毎週の電話指導です。電話指導をきっかけに作文を書くスタイルができれば、提出が滞るということは少なくなります。
また、近年は、電話指導以外に、オンラインで先生やほかの生徒との交流ができる企画も並行して行っています。それが、オンエア講座やプレゼン作文発表会です。
また、このオンラインの講座を生かして、国語力以外に子供の学力の重要なもう一つの要素である理数力の指導も受けられるようにしています。
新しい作文教室が力を入れて宣伝しているもう一つは、小学校低中学年の子供たちの成果を強調することです。
例えば、スラスラと書けるようになった、いろんな知識が身についた、などです。もちろん、低中学年で成果が上がるのはいいのです。しかし、本当はもっとその先を行く必要があるのです。
小学校低中学年の成果の先にあるものは、真の実力をつけることです。
真の実力とは、小学校高学年、更には中高生になってからの高度な説明文、意見文、論説文を書く力です。
そのために、言葉の森では、作文指導の土台となる国語力、読解力の育成に力を入れています。
その一つが、暗唱検定や音読の自習や国語問題集読書などで読む力をつける指導です。
また、オンエア講座などでは、作文の予習のやりやすくするために、次の週の作文の解説を行い、それをもとに家族で作文の課題についての対話ができるような工夫をしています。
このような工夫をしている結果、言葉の森の作文課題の提出率は現在94パーセントになっています。小学生から中学生までの生徒の毎週の作文課題の提出率ですから、通信教育のわりにはかなり高いと思われると思いますが、本当はこれでも不十分です。
提出率は、風邪や旅行で休んだ以外はすべて100パーセント提出できるのが本来の姿です。
誰でも経験があることだと思いますが、人間は、一度でもさぼると、あとはずるずると全部さぼってしまうという傾向があります。
だから、課題提出率が90パーセントを切っていたら、それは10回に1回は提出しなかったといことですから、親が言わなければやらないレベルに近づいているということです。
言葉の森では、今後、この課題提出率を100パーセントにすることを目指して、これからの指導に取り組んでいきたいと思っています。
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作文指導が難しいのは、教えるところではありません。
子供に意欲的に書かせるところが難しいのです。
だから、ここで、子供と先生やほかの友達との人間的な関わりが必要になるのです。
作文の課題提出率は100パーセントが基本です。
もちろん、風邪で休んだり、旅行で休んだりしたときは休んでいいのです。
しかし、うやむやのうちにやらなかったという日が1日でもあると、あとはずるずると休み続けるとなることが多いのです。
だから、課題提出率が80パーセント程度というのは、親が口うるさく言ってやっとやらせているレベルです。
ちなみに、言葉の森は94パーセント。まだまだ不十分です。
楽しく書くからこそ提出率も高いのですね。中高生でも忙しい中、しっかり提出している生徒さんが多いです。
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言葉の森の講師が、電子出版に挑戦しました。
加点がもらえる受験小論文の書き方 Kindle版(339円)
この本の内容は、言葉の森の中高生向けの作文指導のエッセンスです。入試で作文小論文試験がある人には、かなり役立つはずです。
言葉の森では、今後、子供たちの文集作りに、この電子出版を生かしていきたいと思っています。
作文の勉強の意欲付けには、未来の目標があることと、過去の蓄積があることの両方が大切です。
検定試験やプレゼン作文発表会のような未来の目標があると、作文の勉強の励みになります。
また、自分の書いたものが形として残って蓄積されていると、これもまた作文の勉強の励みになります。
この蓄積感を持てるものの一つとして考えているのが電子出版です。
今の電子出版は、ワードに書いた文章をそのまま出版原稿として使えるようになっています。
登録の手続きなど、まだ複雑なところはありますが、将来はもっと簡単に誰でも自分の本を出せるようになります。
日本には、万葉集の時代の昔から、庶民が日常的に詩を書いたり日記を書いたりする文化がありました。江戸時代には、手紙のやりとりもかなり頻繁に行われていました。
そのため、現在でも、Twitterやfacebookやブログで、日本語の文章が流通する割合は世界的に見てもかなり多いようです。
この電子出版に関しても、今後は日本語の占める割合が多くなるのではないかと思います。
電子出版に合わせて作文を書くためには、毎週の清書の時間などに、作文をテキスト化しておく必要があります。
しかし、普段の作文は、原則的に手書きです。
というのは、手書きは自由度が高いので、思考を深めることに向いているからです。
考えるときは手書きで、考えがまとまって書き上げるときはパソコンなどのテキスト入力で、という区別をしていくことが、これからの作文の書き方の基本になっていくと思います。
手書きで考えるということを更に発展させると、手書きで構想図を書くという書き方になります。
つまり、わざわざ文章化しなくても、短文を矢印でつなげるような形で書けば、短い時間で考えを深めることができるからです。
テキスト化の方法は、現在はキーボード入力が主流ですが、将来は音声入力が普通に行われるようになってくると思います。
音声入力を効率よく進めるためにも、文章化は、手書きの構想図とセットで考えていくようになります。
そして、作文のもともとの目的から考えると、作文は必ずしも文章だけにこだわる必要はなく、画像や音声を入れた文章という立体的な表現が行われるようになってきます。
これは、言葉の森がプレゼン作文発表会として行っている広義の作文の形です。
このように、未来の作文は、大きく変化していきます。
しかし、文章を書くことが、題材や表現や主題を創造的に表現することだという本質は変わりません。
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これからはfacebookやブログよりも、電子出版が多く人の表現手段になるのではないかと思っています。
そういう時代に書き手にとって必要になるのが、構想図と音声入力と、文章以外の立体的な表現手段のデザイン力で、
読み手にとって必要になるのが、超速読になるのではないかと思います。
又は、テレパシー力かなあ(笑)。
kindle本、ご紹介くださり、ありがとうございます。電子出版は、少し敷居の高いところもありますが、一度クリアすれば何冊でも出版できるので、これからどんどん広がっていくのではないかと思います。
江戸時代の末期に、刀とちょんまげと交通手段としての馬がなくなると考えた人はほとんどいませんでした。
この江戸から明治への移り変わりのようなことが、これから社会のあらゆる分野で起こってきます。
作文も例外ではありません。
こういう変化の時代に大事なことは、本来の目的を再確認することです。
値段は、とても悩んだのですが、「桜咲く」ということで339円にしてみました。ページ数は少なめですが、情報量は多いです。
加点がもらえる受験小論文の書き方 Kindle版(339円)、早速買ってみます。
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