子供たちのその年齢に必要な勉強と、学校で教わる勉強とのギャップを感じることがあります。
その一つは、小学校1、2年生で感想文の宿題などを出すことです。この時期は、本の感想を書ける時期ではありません。
無理に書かせても、ただあらすじを書いていくだけが精一杯です。
しかし、学校で夏休みの宿題などとして出されると、家庭では、そういうことが本来できる年齢なのだと思って無理をしてしまうのです。
感想文コンクールで選ばれる作文で、親や先生の手の入っていないものはまずありません。それでは、何のための宿題かわかりません。
そういうことが何十年も続いているのです。
もう一つは、それと反対のことですが、高学年や中学生になって考える力がついていく時期に、考える練習としての作文の授業がなくなってしまうことです。
その理由は、一人ひとりの作文を見て指導する時間と方法が、今の学校にはないからです。
その結果、作文の勉強というものがなくなると、子供たちは、学校でやらないのだから必要ないのだと思ってしまうのです。
本当は、この時期にこそ、いろいろなテーマについて書いたり考えたり発表したりすることが必要なのにもかかわらずです。
こういうギャップを解消するために、家庭の教育方針というものが大事になります。
学校で感想文の宿題が出されても、それが子供にとってあまり意味のあるものに思えなければやる必要はありません。お母さんが代わりにやってあげればいいのです。
また、学校で作文の勉強がなくなっても、その勉強が大事だと思えば、家庭では続けていけばいいのです。
これから、世の中は大きく変化します。
10年後には、どういう職業が生まれ、どういう職業がなくなっているかわかりません。
こういう大きな変化の時期こそ、親の教育方針というものが大事になってくるのです。
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作文力、読解力のうち、意見文を書く力と論説文を読みとる力は、中学生以降に本格的にのびる分野です。小学生の間に既に意見文を書いたり読んだりする段階にまで進んでいる生徒もいますが、全体的にみて、構成の形式を身につけたり文章を要約をしたりすることが精一杯で、内容のある意見文を書ける生徒は限られています。これは、表現力、読解力に、まだ、本人の内面的な成長がともなっていないためです。
小学6年生までに学習する生活文中心の作文と物語文中心の読書は、作文力、読解力の半分にすぎず、もう半分は、中学生以降の意見文、論説文の練習によって完成します。
しかし、実際には、中学、高校では、作文、読書の学習はほとんどなく、あるとしても、その多くは、小学校の延長のようなかたちでおこなわれています。また、中学生の時期は、作文の学習がいちばん続けにくい時期でもあります。その理由は、(1)中学生の時期が、無邪気に出来事を書くわけにもいかず、かといって、自由に意見文を書くほどには語彙が充分ではないという過渡的な時期にあたること、(2)宿題や定期テストなど、外から拘束される勉強の時間が比較的多くなり、自主的な勉強の時間がとりにくくなること、(3)中学校自体も、作文や読書の指導をほとんどしなくなるので、学習の意義やきっかけを見つけにくくなること、などという事情があるからです。
現在の受験体制のなかで行なわれる勉強は、人生にとって価値のある分野というよりも、点数の差がつきやすい分野に重点が置かれがちです。基礎的な知識を身につけるという点で、点数で測られるような勉強も大切ですが、生涯にわたって役立つのは、考える力、読書する力、発表する力など、点数の差のつけにくい、したがって現在の受験体制の中では、重点の置かれにくい分野です。
しかし、最近では、大学入試でも小論文や面接が重視されてくるなど、単なる知識の量よりも、それらの知識を活用する力を評価するようになってきました。中学生での作文、読書の学習は、小学生の学習の延長としてではなく、高校生以降の小論文学習や論説文読書の先取りであるという前向きの姿勢をもって取り組んでいくことが大切です。
中学生が、作文、読書の学習を継続していけるように、言葉の森では、学習の時間に弾力性をもたせています。具体的には、(1)曜日や時間の変更や振替は、いつでもできるようにしています。(2)テスト期間中の欠席は、その前後にふりかえることができるようにしています。(3)ホームページの動画によるヒントなどを充実させ、先生の説明を受けられないときでも作文を書けるようにしています。
3月から4月にかけては、決まった時間に授業を受けることがむずかしいことも多いと思いますので、出席できるときに出席するというかたちにして、新しい生活のペースを早く作っていってください。
「中学生の作文学習は小論文の前段階」
https://www.mori7.com/index.php?e=2098
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学校の試験に必要な勉強と、自分の人生に役立つ勉強とは少し違います。
世の中の変化が激しいときほど、その違いは大きくなります。
だから、必要な勉強は必要悪と割り切って勉強する一方、自分にとって大事だと思うことは、それとは別にやっておく必要があるのです。
今の受験勉強は、昔の科挙に似ています。
ネットで調べればわかるようなことをわざわざ知識として覚える必要はなく、それよりも、頭はもっと考えることに使っていくべきです。
そのかわり、知識として覚えることは、基本的に必要なものだけに絞ればいいのです。
そうなっていないのは、ただ、考える勉強は採点が難しいというそれだけの理由からです。
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子供たちの勉強の様子を見ていると、無駄の多い勉強の仕方をしている子によく気がつきます。
無駄の多い勉強に共通するのは、人に見せるための勉強になっていることです。
小学校低中学年のうちは、無駄の多い勉強をしていても、マイナス面はほとんど見えません。
勉強する時間自体が短いし、勉強の内容も簡単だからです。
しかし、その無駄の多い勉強法のまま学年が上がると、勉強する時間が次第に長くなってきます。そして、そのわりには力がつかなくなるのです。
だから、勉強法などまだあまり関係のない小学1年生のうちから、勉強法を意識して勉強をしていくといいのです。
その勉強法のポイントは、(1)わからなくなったらすぐに答えを見ること、(2)1冊の問題集を繰り返しやって100パーセント自分のものにすること、(3)できるだけ自分のペースでやること、です。
この反対に、わからない問題をいつまでも考えていたり、1冊の問題集が大体できたら次に移ってしまったり、人に指示されてやったりするような子が多いのです。
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リクルートが3月から小4以上の小中学生を対象にした「スタディサプリ」の提供を開始しました。月額980円で授業動画が閲覧でき、勉強のデータを生かして苦手箇所だけ復習する仕組みも作られているそうです。
教育へのネットの利用はこれからも加速します。ネットの利点は、自宅でできること、低料金でできること、個別対応ができることです。子供たちの勉強の環境は、これからも更に充実していくでしょう。
しかし、ここで問題になるのは、そういう勉強環境がどれだけ豊かで便利になっても、その勉強をするかどうかは本人の意志次第であり、低中学年の場合は、本人の意志に加えて家庭の環境次第であるということです。
家庭での勉強の習慣ができている子は、豊かな勉強環境を十分に生かしていくことができるでしょう。しかし、勉強の習慣ができていない子は、どんなにゲーム的な要素があるとか、ビジュアルでわかりやすいとか言っても、その勉強を続けさせるのは難しいのです。
そのことは、逆に言うと、勉強の習慣が確立している子は、ネットの勉強環境を利用することもあるでしょうが、勉強の中心はこれまでの紙ベースのものでこなしていくということです。
なぜかというと、勉強の本質は、知識を自分のものとして身につけることですから、問題集や参考書のような実際の形のあるものを何度も繰り返し利用する方がずっと定着度が高くなるからです。
これまでの寺子屋オンエアの経験から考えると、多くの子は、自覚なく無駄の多い勉強法をしています。例えば、できる問題を何問も解いてみたり、できない問題を1回しかやらなかったり、きれいに書くことに時間をかけたり、その一方で何度も読むという勉強をしていなかったり、というようなことです。
だから、勉強が進まない原因は、教材という「物」にあるのではなく、勉強法という「事」の方にあるのです。逆に言えば、勉強の仕方というソフトさえしっかりしていれば、教材は既にある便利なものを自由に使えばよいということです。そういう便利な教材のひとつとして、ネットの教材も利用できるということです。
ところで、この勉強の習慣を家庭で作れる時期は、小学校1年生になります。
1年生は、学校の勉強も簡単なので、家庭学習などをわざわざする必要のない時期のように思われますが、この時期にこそ家庭で毎日一定の時間を勉強する習慣をつけておくのです。
「スタディサプリ」のような教材をうまく利用できるのも、この1年生からの勉強の習慣が確立している子なのです。
(この記事を書いた時点では、「勉強サプリ」という名前でしたが、その後、「スタディサプリ」という名前に変わったので、表記を改めました。)
「スタディサプリの時代の先にあるもの」
https://www.mori7.com/index.php?e=2325
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不思議なことですが、学校や塾では、勉強を教えたりテストをしたりはしますが、勉強の仕方を教えることはほとんどありません。勉強の仕方は、本人に任されているのです。
その理由は、勉強の仕方を教えても、それをすぐに実行する生徒がいないからです。
勉強の仕方は、これまでの習慣ですから、なかなか直りません。
だから、家庭の役割が重要になるのです。
勉強は、ただ時間をかけてやりさえすればいいというものではありません。
勉強の仕方を日々工夫していくことが必要です。
しかし、小学校低学年のうちは、そういうことがピンときません。どんなやり方でも成果が上がるからです。
そのために、無駄な勉強の仕方が習慣になってしまう子が多いのだと思います。
現在、ネット教育を始め、自分で勉強しようと思えばいかようにもできる環境は羨ましいです。
※これも覚書として。
勉強法のポイントをアドバイスする際に。
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