言葉の森は、作文指導を専門としている教室ですが、どうして寺子屋オンラインのような企画を行うようになったかというと、それには次のような事情があります。
それは、子供たちの今の勉強の様子を見ていると、現在の日本の教育の問題点がさまざまな形で子供たちに影響を及ぼしていると思ったからです。
それらの問題点を克服する今後の方向として、言葉の森は、次の四つの大きな方針を考えています。
第一は、受験のための勉強から、実力のための勉強へ。
第二は、学校や塾で教わる勉強から、家庭と地域で自ら学ぶ勉強へ。
第三は、点数を目標とした勉強から、文化を目標とした勉強へ。
第四は、競争に勝つための勉強から、創造し独立するための勉強へ。
これらの方向を実現するものとして、作文教育以外に、ネットワークを使い、かつ人間どうしの触れ合いのある、受け身ではない自主性のある参加型の勉強をしようとして、寺子屋オンラインの企画を始めたのです。
さて、言葉の森がこれまで行っていた企画は、当初Googleハングアウトオンエアというサービスを使ったものでした。
しかし、その後、Googleハングアウトはオンエアの機能をはずすようになりましたので、言葉の森も、企画の名称を「寺子屋オンエア」から「寺子屋オンライン」に変えることにしました。
この寺子屋オンラインの概要と参加者募集を、明日の午後に記事としてアップロードします。
これまで寺子屋オンエアやオンエア講座やオンエア作文に参加されていたみなさんには、長い間お待たせして申し訳ありませんでした。
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寺子屋オンエアは、家庭学習だけで基本となる勉強力をつけるという企画です。
勉強は、誰かに教えてもらうよりも、自分ひとりでやった方がずっと能率よくできるものです。しかし、家庭でひとりでやっていたのでは、あまり張り合いがありません。また、たまには、誰かに聞きたいことが出てきます。そのときに、一緒に勉強している友達がいて、見守っていてくれる先生がいれば、家庭でのひとりでの勉強もずっとやりやすくなります。
インターネットは、そういうグループ学習と個人の学習を結びつけることができるようになりました。家庭という最も居心地のよい環境で、友達や先生と一緒に勉強することができるようになったのです。
ところで、今言葉の森が考えているのは、この寺子屋オンエアの未来の形です。
基本となる学習は、確かに寺子屋オンエアでできるようになります。しかし、その能率のよい勉強でできた自由な時間を、ただテレビを見たりゲームをしたりしているだけでは、充実した時間の使い方とは言えません。
そこで、その自由な時間も、寺子屋オンエアの特別コースに参加できるようにするのです。その特別コースには、ロボット作りコース、音楽交流コース、ファッションコース、お菓子作りコース、テーマ別た読書会コースなど、教える先生の個性と生徒の個性がマッチしたものが多数できるはずです。
通常の交流は、家庭でネットを使って行いますが、時どきは実際に会って交流する機会も作ります。
これからの時代は、特に個性や創造性が必要となってきます。その個性や創造性もまた、人間どうしの交流の中で進んでいくのです。
「寺子屋オンエアの未来形―勉強力をつけたあとは個性を伸ばす教育」
https://www.mori7.com/index.php?e=2308
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なぜ今の勉強がつまらないかというと、答えのあることをただ教わるだけだからです。
答えのあるものは、自学自習で身につけ、その代わり空いた時間を、自分の好きな勉強に集中しそれを発表できるようにするといいのです。
そのコミュニケーションを生かすものとして、現在のネットを中心とした科学技術のツールを使っていきます。
これが、寺子屋オンラインの考え方です。
子供たちが「学校ごっこ」をやるとしたら、たぶん先生役は人気があって、生徒役はあまりなり手がないと思います。
人に教えることは主体的なことで面白いのですが、教わることは受け身で全然面白くないからです。
だから、この教育を逆転して、子供たちが主体的に学び、先生はそれを見守りときどき支えるというような関係にしていく必要があります。
今、教育はそういう過渡期にあるのだと思います。
効率よく勉強できる家庭学習の弱点「張り合い・モチベーション」をうまくカバーしているシステムです。みんな、自主的に、積極的に、家庭学習を楽しんでいます。
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子供の真の学力は、問題集を解くような勉強では身に付きません。
問題集を解く勉強法は、同じく問題を解く形の入試の時期に合わせて短期間で集中的に取り組み、入試の成績を上げることに使うものです。
入試の成績を上げることと、真の学力とは違うものなのです。
しかも、近年の入試は、日本特有のガラパゴス化した問題になっています。
入試で評価されるものは、本当の学力というよりも、そのガラパゴス化した問題に対する訓練度です。
だから、家庭では、今の世間の勉強の風潮から一歩距離を置いて、子供の真の学力形成に役立つ勉強を進めていく必要があります。
そして、入試の時期だけは、合格するための勉強と割り切って、入試問題を解く練習に集中すればいいのです。
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問題を解くような形の勉強であれば、子供がある程度自主的に進めていけます。しかし、作文の場合は、そういう問題・解答形式の勉強ではありません。毎日、読書や音読などの読む自習を行い、毎週、自分で考えて作文を書くということで力がついていきます。
作文は、親子の対話を楽しむ形で進めていく勉強です。これは、小学生には特に重要です。小学校1、2年生は自由な題名ですから、毎週授業の始まる前に、「今週はどんなこと書くの」と子供に聞き、親が子供と作文に書く内容について話をします。また、書いた作文が返却されたときも、その作文の内容について家族で対話をします。この際、決して欠点を指摘して直すようなことはしないでください。欠点は、読む力がつく中でほとんど自然に直ります。欠点を指摘すると、作文を書くことが億劫になります。対話は、いつも楽しい雰囲気で行ってください。この対話のときに大事なことは、お父さんやお母さんの子供時代の似た話などをたくさんしてあげることです。そのときに、子供には、少し難しい言葉で、少し長い文で、少し難しい内容の話をするようにします。この対話によって親子のコミュニケーションが豊かになるとともに、子供の頭がよくなります。
小学校3、4年生の場合は課題が決まっているので、親子の対話は更にしやすくなります。次の週の課題を見て、お父さんやお母さんが似た話を子供に聞かせてあげてください。場合によっては、田舎のおじいちゃんやおばあちゃんに取材してもよいでしょう。また、作文が返却されたときも、親子でその作文を話題にして話をするようにしましょう。この場合、やはり大事なことは、欠点を指摘して直すようなことはしないということです。作文はできるだけよいところを見て励ますようにしてください。
小学校中学年までに親子の対話の習慣を作っておくと、その親子の関係はあとまで続きますし、その対話によって子供の頭がよくなります。理解力や思考力は、問題を解くような形の勉強では身につきません。対話と読書によって最も確実に身につくのです。ですから、対話のときは、楽しい雰囲気で、少し難しい言葉で、少し長い文で、少し難しい内容の話をするように心がけてください。
小学校高学年や中学生になると、子供が自分の作文を親に読まれるのを嫌がる面が出てきます。その場合は、作文ではなく、課題の長文をもとにして対話をしていきましょう。課題の長文は、ホームページでも読むことができますから、事前にお父さんやお母さんもその長文に目を通しておくとよいでしょう。
課題の長文をもとにした対話は、次のような形で進めることができます。まず、子供に、次の週の課題がどういう内容か説明させます。そのためには、子供が事前に長文を読んでおかなければなりません。題名だけの課題の場合は、子供がどんなことを書くつもりか考えておかなければなりません。この子供に内容を説明させるということが、子供の思考力と表現力を育てる勉強になります。子供に説明させたあと、親がその課題についての関連する話をしてあげます。親の話を聞くと、子供が自分の経験を通して考えただけの作文よりも話題が広がり、感想も深まります。
小学校高学年になると、普通の家庭ではどこでも親子の対話は少なくなります。特に、お父さんは子供との日常的な接点があまりないので、対話をするとしても勉強や成績のことばかりになりがちで、ますます対話が難しくなります。ところが、作文の勉強を通して話をすることによって、親子が毎週知的な対話を楽しむ習慣ができるのです。
「問題を解く勉強ではなく、読んで話して考えて書く勉強だから国語力がつく」
https://www.mori7.com/index.php?e=2096
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人類の長い歴史から見ると、問題を解く勉強は最近になって生まれたものです。
それは、入学試験が問題を解かせる形で出されることに対応して、同じような問題を解かせる勉強法として生まれたのです。
では、それまでは、人間はどのような勉強をしていたかというと、日本の場合それは素読と筆写と対話でした。
この素読と筆写と対話と、もう一つ算盤によって培われた理解力と思考力と表現力によって、日本は急速な近代化を成し遂げたのです。
しかし、明治政府が欧米に追い付くために採用した教育法は、教科書をもとにした一斉授業と、その授業の理解度を評価するためのテストと入学試験でした。
この言わば間に合わせ的に採用した欧米流の教育法が、その後もずっと引き継がれてきて、今制度疲労を起こしつつあるのです。
今の日本の入試は、ガラパゴス化しています。
日本だけに通用する学校の序列をもとに、入試だけに通用する難問が出されています。
その難問を解く力は、思考力ではありません。難問の解法を知識として詰め込むことです。
だから、子供の本当の成長を望むならば、入試向けの勉強は短期間に集中して取り組むことです。
そして、その代わりそれまでの日常的な勉強は、読書と作文と親子の対話を中心にしていくといいのです。
同じ時間をかけるなら、真の学力形成に役立つ勉強をする方がいいですね。でも、そのことを分かっていない親も多そうです。(私も偉そうなことは言えませんが……。)
作文の勉強には親子の対話が不可欠であることを、先生はもちろん、お父さん、お母さんもしっかり認識しておく必要がありますね。
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作文の電話指導をしていると、たまに、電話のうしろでテレビがガンガン鳴っていて、家族の誰かがテレビを見ているという家庭に遭遇することがあります。
そういう子は、電話指導のあとも、そのテレビの音声の中で作文を書くわけですから、まともに書けるはずがありません。
人間がものを考えるときは、左脳の言語脳を使うので、人の話し声があるところでは文章を書くような高度な思考作業はできないのです。
また、テレビをつけっぱなしにしているような家庭は、全体に子供の生活がルーズになっています。
きちんとした家庭では、テレビを見る時間は、1週間で何時間というように決めていて、見たい番組を子供との相談の上で絞っているものです。
テレビ、ゲーム、インターネット、スマホ、漫画などに共通するものは、惰性で見てしまうことがあるということです。
しかし、これらを禁止することはよくありません。親の力で禁止してしまうと、子供に自分でコントロールする力がつかないからです。
ある一定の制限を自分で決めて利用するというのは、口で言うほど簡単ではありませんが、そういう苦労を親子で一緒にすることで、子供に少しずつ自分で生活をコントロールする力がついてきます。
そのためには、まず親が子供の生活環境を整えてやることです。
その第一歩が、勉強中や食事中はテレビは消しておくということです。
そして、第二歩が、毎日必ず本を読む時間を確保するということです。
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日本人は、話し声も自然の音も左脳で処理します。だから、集中して考える勉強をするときは、音のないところでする必要があります。高学年の作文は、集中して考える勉強ですから、静かな環境でやる必要があります。
しかし、小中学生のうちは、自分の部屋で勉強すると、勉強に身が入りません。リビングで、みんなのいる中で勉強した方が集中して取り組めるのです。
ところが、リビングにテレビがあり、弟や妹がテレビを見ていると、やはり勉強には集中できません。そういうときは、テレビの音声が外に漏れないように、ヘッドホンで聞くようにするといいのです。今は、分岐ケーブルで複数のヘッドホンがつなげられますし、無線のヘッドホンもあります。
このヘッドホンでテレビを見るというのは、赤ちゃんのいる家庭でも有効です。幼児期には、テレビのような機械の音声はできるだけ触れさせない方がいいので、テレビを見たい人だけがヘッドホンで聞きながらテレビを見るようにするといいのです。
ヘッドホンの代わりに、勉強する人がイヤーマフをつけるという手もあります。イヤーマフと耳栓を組み合わせると、近くの話し声でもほとんど聞こえなくなります。
音と集中力の関係は、子供本人にはよくわからないので、親が子供の勉強の環境を工夫してあげる必要があります。
「勉強は話し声のないところで、テレビはヘッドホンで」
https://www.mori7.com/index.php?e=2335
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毎日決まった時間に勉強をさせたいと思ったら、アラームをセットしておけばいいのです。
小さい子供がいるときに見たいテレビ番組があったら、ヘッドホンをすればいいのです。
そういうちょっとしたツールを利用するのが、現代文明の中で生きるコツです。
テレビやゲームやインターネットやスマホが悪いわけではありません。
それだけになってしまうところに問題があるのです。
だから、読書の時間を必ず確保することです。そして、できれば作文の時間も。
読書と作文の時間が確保できれば、それに応じてほかの時間も惰性に流されなくなります。
これは、大人も同じです。
生活にはメリハリが大切ですね。
これ本当に大切ですね。
テレビやインターネットから離れる時間を作るのは、子どもより親のほうが大変なのだと思います。
親の都合で大事な時間を確保できないというのでは悲しい。
禁止するのではなくコントロールできる力を。
テレビで時間を見たりしていてはいけませんね。
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英語学習を始める最適の時期は、小学4年生からです。この時期になると、日本語の基盤はもうできているので、外国語の勉強をしても、日本語が混乱することはありません。
しかし、わずか1年の違いですが、小学3年生では、英語教育は早すぎます。それは、小学1年生から3年生にかけては、ちょうど日本語脳が形成される時期にあたるからです。
早期の英語教育をすすめている人は、こういう科学的な裏付けを知らないのだと思います。
「日本語人の脳: 理性・感性・情動、時間と大地の科学」
http://amzn.asia/1kq9phI
「英語の早期教育・社内公用語は百害あって一利なし」
http://amzn.asia/fON88WZ
今、幼児期からの英語教育に携わっている方は、英語の前提になる日本語教育にまず力を入れていただきたいと思います。
そのことによって、かえってその後の英語教育が確実に進むのです。
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小さい子供を持つお母さん方の中には、「日本語など自然に身につくものだ」と考えている人も多いようです。
そして、そのかわり、「自分は英語が苦手だったから、英語は子供のうちから早めに身につけていた方がよい」と考えてしまう人も多いようです。
その結果、幼児期から英語教室に通わせ、更には、親子の会話にもときどき片言の英語を混ぜて話すような人も出てきます。
そういうふうにして育った子供の中に、日本語が十分に発達しなくなる子がときどきいるのです。
そういう子は、日本語が不十分になった分、英語が得意になっているかというと、そんなことはまずありません。
小さいころは、同学年の子が知らないような英単語を知っているかもしれませんが、そういう差は中学生になり、高校生になれば、全くなくなってしまいます。
特に、大学入試の英語は、英語力が半分、国語力が半分という問題です。国語で考える力がなければ、英語がいくら達者でも、考える英語は理解できないのです。
英語教育を、小学4年生あたりからやらせるのは、決して早すぎはしません。むしろ、よいことだと思います。そのころは、中学生のころよりも、柔軟に英語の音を身につけることができるからです。
しかし、英語教育を小学3年生以下でやらせるのは、早すぎます。まして、幼児期から英語の勉強をさせるというのは、子供の思考力の正常な発達を妨げるものになると言ってもよいと思います。
渡部昇一さんは、「英語の早期教育・社内公用語は百害あって一利なし」という本を出しています。単刀直入のわかりやすいタイトルの本ですが、中身はしっかりした英語教育論です。
日本人は、日本語でものを考えます。日本語は、単に国語の教科だけで使われるのではなく、数学も理科も社会も美術も音楽も体育も、すべて日本語で把握して身につけているのです。
だから、幼児期から小学校低中学年にかけての教育は、日本語力を育てることを第一に考えていく必要があります。
日本語力を育てるためには、まず、早期の英語教育をしないこと、テレビなどの機械的な音声にできるかぎり触れさせないこと、そして、親子の対話と読書の機会を増やしていくことです。
つまり、家庭での普通の日本語による生活を大事にしていくことなのです。
「大事なのは日本語力――早期の英語教育よりも、まず家庭での普通の日本語生活を」
https://www.mori7.com/index.php?e=2327
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幼児期からの英語教育をすすめるような勘違いしている人が周囲にあまりに多いので、敢えて記事を書きました。
英語教育は、単なる英語の教育と考えるのではなく、幅広く言語の教育と考え、小3までは日本語教育に力を入れ、小4からの英語教育に結びつけるというように考えていくといいと思います。
だから、英語教室を、日本語を大切にする英語教室というようにしていくといいのです。
小学生からの英語教育に長年携わり優れた指導をしてきた鵜沢戸久子さんも、低学年の英語CDを聞く時間は1日15分までとしています。
英語を勉強することはいいのですが、やりすぎに問題があるのです。
「日本人の小学生に100%英語をマスターさせる法」
http://amzn.asia/6LLSfl3
英語で挨拶ができる以上に、日本語で自分の意見をしっかりいえることが大切ですね。
英語教育の理想は、新渡戸稲造や内村鑑三や鈴木大拙を育てるような英語だと思います。
3年生になると英語が学校で始める事に少し本人も不安になっているようです。 親もどうしてあげたら安心するのか分からないので、ひとまず中根先生お勧めの鵜沢戸久子さんの本を読んでみます。
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かつての日本には、音読と暗唱の文化がありました。
音読と暗唱は、早い遅いの違いはあっても、やれば誰でもできるものです。
これが、日本の子供たちの学力の基礎を形成していました。
その名残りが、今の掛け算の九九です。
この音読暗唱文化が、戦後の理解中心の教育の中で否定されてきました。
音読と暗唱の代わりに行われた理解とテストによる教育が、できる子とできない子の差を生み出してきました。
理解は、説明によって行われるものだけではなく、反復と慣れによっても行われるということが忘れられてきたのです。
私の父母の世代は、音読暗唱文化の中で育ちました。
だから、ほとんどの人が今の中卒ぐらいのレベルで、文章もしっかり書けたのです。
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子供たちのその年齢に必要な勉強と、学校で教わる勉強とのギャップを感じることがあります。
その一つは、小学校1、2年生で感想文の宿題などを出すことです。この時期は、本の感想を書ける時期ではありません。
無理に書かせても、ただあらすじを書いていくだけが精一杯です。
しかし、学校で夏休みの宿題などとして出されると、家庭では、そういうことが本来できる年齢なのだと思って無理をしてしまうのです。
感想文コンクールで選ばれる作文で、親や先生の手の入っていないものはまずありません。それでは、何のための宿題かわかりません。
そういうことが何十年も続いているのです。
もう一つは、それと反対のことですが、高学年や中学生になって考える力がついていく時期に、考える練習としての作文の授業がなくなってしまうことです。
その理由は、一人ひとりの作文を見て指導する時間と方法が、今の学校にはないからです。
その結果、作文の勉強というものがなくなると、子供たちは、学校でやらないのだから必要ないのだと思ってしまうのです。
本当は、この時期にこそ、いろいろなテーマについて書いたり考えたり発表したりすることが必要なのにもかかわらずです。
こういうギャップを解消するために、家庭の教育方針というものが大事になります。
学校で感想文の宿題が出されても、それが子供にとってあまり意味のあるものに思えなければやる必要はありません。お母さんが代わりにやってあげればいいのです。
また、学校で作文の勉強がなくなっても、その勉強が大事だと思えば、家庭では続けていけばいいのです。
これから、世の中は大きく変化します。
10年後には、どういう職業が生まれ、どういう職業がなくなっているかわかりません。
こういう大きな変化の時期こそ、親の教育方針というものが大事になってくるのです。
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作文力、読解力のうち、意見文を書く力と論説文を読みとる力は、中学生以降に本格的にのびる分野です。小学生の間に既に意見文を書いたり読んだりする段階にまで進んでいる生徒もいますが、全体的にみて、構成の形式を身につけたり文章を要約をしたりすることが精一杯で、内容のある意見文を書ける生徒は限られています。これは、表現力、読解力に、まだ、本人の内面的な成長がともなっていないためです。
小学6年生までに学習する生活文中心の作文と物語文中心の読書は、作文力、読解力の半分にすぎず、もう半分は、中学生以降の意見文、論説文の練習によって完成します。
しかし、実際には、中学、高校では、作文、読書の学習はほとんどなく、あるとしても、その多くは、小学校の延長のようなかたちでおこなわれています。また、中学生の時期は、作文の学習がいちばん続けにくい時期でもあります。その理由は、(1)中学生の時期が、無邪気に出来事を書くわけにもいかず、かといって、自由に意見文を書くほどには語彙が充分ではないという過渡的な時期にあたること、(2)宿題や定期テストなど、外から拘束される勉強の時間が比較的多くなり、自主的な勉強の時間がとりにくくなること、(3)中学校自体も、作文や読書の指導をほとんどしなくなるので、学習の意義やきっかけを見つけにくくなること、などという事情があるからです。
現在の受験体制のなかで行なわれる勉強は、人生にとって価値のある分野というよりも、点数の差がつきやすい分野に重点が置かれがちです。基礎的な知識を身につけるという点で、点数で測られるような勉強も大切ですが、生涯にわたって役立つのは、考える力、読書する力、発表する力など、点数の差のつけにくい、したがって現在の受験体制の中では、重点の置かれにくい分野です。
しかし、最近では、大学入試でも小論文や面接が重視されてくるなど、単なる知識の量よりも、それらの知識を活用する力を評価するようになってきました。中学生での作文、読書の学習は、小学生の学習の延長としてではなく、高校生以降の小論文学習や論説文読書の先取りであるという前向きの姿勢をもって取り組んでいくことが大切です。
中学生が、作文、読書の学習を継続していけるように、言葉の森では、学習の時間に弾力性をもたせています。具体的には、(1)曜日や時間の変更や振替は、いつでもできるようにしています。(2)テスト期間中の欠席は、その前後にふりかえることができるようにしています。(3)ホームページの動画によるヒントなどを充実させ、先生の説明を受けられないときでも作文を書けるようにしています。
3月から4月にかけては、決まった時間に授業を受けることがむずかしいことも多いと思いますので、出席できるときに出席するというかたちにして、新しい生活のペースを早く作っていってください。
「中学生の作文学習は小論文の前段階」
https://www.mori7.com/index.php?e=2098
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学校の試験に必要な勉強と、自分の人生に役立つ勉強とは少し違います。
世の中の変化が激しいときほど、その違いは大きくなります。
だから、必要な勉強は必要悪と割り切って勉強する一方、自分にとって大事だと思うことは、それとは別にやっておく必要があるのです。
今の受験勉強は、昔の科挙に似ています。
ネットで調べればわかるようなことをわざわざ知識として覚える必要はなく、それよりも、頭はもっと考えることに使っていくべきです。
そのかわり、知識として覚えることは、基本的に必要なものだけに絞ればいいのです。
そうなっていないのは、ただ、考える勉強は採点が難しいというそれだけの理由からです。
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子供たちの勉強の様子を見ていると、無駄の多い勉強の仕方をしている子によく気がつきます。
無駄の多い勉強に共通するのは、人に見せるための勉強になっていることです。
小学校低中学年のうちは、無駄の多い勉強をしていても、マイナス面はほとんど見えません。
勉強する時間自体が短いし、勉強の内容も簡単だからです。
しかし、その無駄の多い勉強法のまま学年が上がると、勉強する時間が次第に長くなってきます。そして、そのわりには力がつかなくなるのです。
だから、勉強法などまだあまり関係のない小学1年生のうちから、勉強法を意識して勉強をしていくといいのです。
その勉強法のポイントは、(1)わからなくなったらすぐに答えを見ること、(2)1冊の問題集を繰り返しやって100パーセント自分のものにすること、(3)できるだけ自分のペースでやること、です。
この反対に、わからない問題をいつまでも考えていたり、1冊の問題集が大体できたら次に移ってしまったり、人に指示されてやったりするような子が多いのです。
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リクルートが3月から小4以上の小中学生を対象にした「スタディサプリ」の提供を開始しました。月額980円で授業動画が閲覧でき、勉強のデータを生かして苦手箇所だけ復習する仕組みも作られているそうです。
教育へのネットの利用はこれからも加速します。ネットの利点は、自宅でできること、低料金でできること、個別対応ができることです。子供たちの勉強の環境は、これからも更に充実していくでしょう。
しかし、ここで問題になるのは、そういう勉強環境がどれだけ豊かで便利になっても、その勉強をするかどうかは本人の意志次第であり、低中学年の場合は、本人の意志に加えて家庭の環境次第であるということです。
家庭での勉強の習慣ができている子は、豊かな勉強環境を十分に生かしていくことができるでしょう。しかし、勉強の習慣ができていない子は、どんなにゲーム的な要素があるとか、ビジュアルでわかりやすいとか言っても、その勉強を続けさせるのは難しいのです。
そのことは、逆に言うと、勉強の習慣が確立している子は、ネットの勉強環境を利用することもあるでしょうが、勉強の中心はこれまでの紙ベースのものでこなしていくということです。
なぜかというと、勉強の本質は、知識を自分のものとして身につけることですから、問題集や参考書のような実際の形のあるものを何度も繰り返し利用する方がずっと定着度が高くなるからです。
これまでの寺子屋オンエアの経験から考えると、多くの子は、自覚なく無駄の多い勉強法をしています。例えば、できる問題を何問も解いてみたり、できない問題を1回しかやらなかったり、きれいに書くことに時間をかけたり、その一方で何度も読むという勉強をしていなかったり、というようなことです。
だから、勉強が進まない原因は、教材という「物」にあるのではなく、勉強法という「事」の方にあるのです。逆に言えば、勉強の仕方というソフトさえしっかりしていれば、教材は既にある便利なものを自由に使えばよいということです。そういう便利な教材のひとつとして、ネットの教材も利用できるということです。
ところで、この勉強の習慣を家庭で作れる時期は、小学校1年生になります。
1年生は、学校の勉強も簡単なので、家庭学習などをわざわざする必要のない時期のように思われますが、この時期にこそ家庭で毎日一定の時間を勉強する習慣をつけておくのです。
「スタディサプリ」のような教材をうまく利用できるのも、この1年生からの勉強の習慣が確立している子なのです。
(この記事を書いた時点では、「勉強サプリ」という名前でしたが、その後、「スタディサプリ」という名前に変わったので、表記を改めました。)
「スタディサプリの時代の先にあるもの」
https://www.mori7.com/index.php?e=2325
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不思議なことですが、学校や塾では、勉強を教えたりテストをしたりはしますが、勉強の仕方を教えることはほとんどありません。勉強の仕方は、本人に任されているのです。
その理由は、勉強の仕方を教えても、それをすぐに実行する生徒がいないからです。
勉強の仕方は、これまでの習慣ですから、なかなか直りません。
だから、家庭の役割が重要になるのです。
勉強は、ただ時間をかけてやりさえすればいいというものではありません。
勉強の仕方を日々工夫していくことが必要です。
しかし、小学校低学年のうちは、そういうことがピンときません。どんなやり方でも成果が上がるからです。
そのために、無駄な勉強の仕方が習慣になってしまう子が多いのだと思います。
現在、ネット教育を始め、自分で勉強しようと思えばいかようにもできる環境は羨ましいです。
※これも覚書として。
勉強法のポイントをアドバイスする際に。
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親子の対話とは、親から子への知識の伝達ではありません。
親が知っている知識を教えるだけなら、それは親子でなくても本でもインターネットでもテレビでもできます。
特に子供が小さい場合は、知識は圧倒的に不足していますから、親の話はつい知識を教えることになりがちです。
しかし、そういう状態で対話を続けているだけでは、子供が高学年になりある程度知識を持つようになると、対話をすることがなくなるのです。
知識は、自然に増えていけばいいものです。それよりも大事なのは、考える力です。子供が小さければ、その子の知っている知識の範囲で考える話をしていくのです。
そのためには、親自身がいつも、なぜだろう、どうしてだろう、もっといいやり方はないか、と考えていることが必要になります。
そして、その親の考えたことを、子供相手に対等の立場で話していくのです。
こういう話の仕方であれば、子供が大きくなるほど、対話の中身が充実してきます。
だから、子供との対話は、子供に話すような内容ではなく、親しい友だちに話すような内容でできるだけ知的に話していくことです。
そのために、もうひとつ大事なことは、親がいつも本を読んで新しい知識を身につけていくことです。
言葉の森では、子供たちによく、「読書は毎日」と話しています。実は、これは大人も同じなのです。
毎日本を読んでいれば、自然に子供との対話も中身のあるものになります。
子供の考える力を育てるのは、単なる勉強ではなく、こういう親子の対話なのです。
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子供に勉強力をつける上で最も大事なものは、考える力です。考える力と言うと抽象的ですが、もっとわかりやすく言うと、考えることを苦にしない力です。更には、考えることを楽しむ力と言ってもよいでしょう。
計算の練習や漢字の書き取りやいろいろな知識の習得は、時間をかけさえすれば誰でもできます。小学校低中学年のころの勉強は、このような、やりさえすれば誰でもできるようになる勉強です。
しかし、小学校高学年になると、次第に考える問題が出てきます。国語では、環境や言語や文化や人生などという分野の文章が多くなります。算数では、計算のルールをあてはめるだけでは解けない問題、自分なりに図を書いてみないとわからない問題が出てきます。理科でも社会でも同様です。
そのときに、考える力のある子は、そういう問題を面白いと思い、考える力のない子は、そういう問題を面倒と思います。ここで、面白いと思える子は、その後の勉強がどんどん進んでいきます。
だから、小学校低学年のころは、考える力の土台を作ることが大事です。
しかし、その考える力は、勉強をすることではつきません。低中学年の時期に、国語や算数の問題集をいくら解いても、考える力は育たないのです。
考える力は、親子の対話の中で育ちます。
親と子の間の話というと、多くの場合、親が一方的に注意をしたり、説教をしたり、説明をしたり、理解させたり、わからせたりするような形が多いと思います。親が中心で、子供はそれに従うものという形になりやすいと思います。
しかし、これでは考える力は育ちません。
親子の対話では、親と子が対等の人間としてお喋りを楽しむというような話し方が大事です。ちょうど、親が同年代の友達と話すような姿勢で、相手とのやりとりを楽しむような雰囲気で話を進めていくのです。
そして、その対話の中で、親ができるだけ自分の子供のころの体験談を話してあげます。
また、小さい子供が相手のときは、ダジャレやギャグや冗談や笑いを入れて、できるだけ面白い話をしていきます。そのためには、親が自分の言った冗談を楽しむような気持ちも必要です。
しかし、そういう楽しい話でありながら、話の内容は、大人相手に話すような真面目な内容や難しい語彙も取り入れて、子供を一人前の話相手として扱っていくのです。
子供を子供として扱うのではなく、一人前の話相手として扱い、親自身が子供との話を楽しみ、子供の言うことを大人の話を聞くように尊重して扱っていると、子供の思考力は育ちます。
言葉の森の作文・感想文の勉強をしていると、毎週の長文の音読がこういう対話のきっかけとして活用できるようになります。
「考える力と親子の対話――そのきっかけとしての長文の音読」
https://www.mori7.com/index.php?e=2324
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子供は、日々向上しています。
親子の対話を楽しむためには、子供の成長に見合った面白い話を親も常に考えていくことです。
話の中身がないと、人は他人を批評するようになります。
大人どうしの場合は、それでもいいのですが(よくないか)、子供相手に話すときは、単なる批評ではなく、子供が楽しめるような建設的な話をしていく必要があります。
だから、子供相手の対話の方が、大人との対話よりもずっと工夫が必要なのです。
高学年になって力を発揮するために必要なのは「考える力」の土台作り。機械的に詰め込む勉強ではなく、親子で会話を楽しむことで力が自然についてくるのですね。
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