子供が成長する場は家庭です。
学校でも塾でも何かの習い事の教室でもありません。
家庭でのお父さんとお母さんの関わり方が、子供の成長のエネルギーになっています。
子育てに手がかかって大変だというのは、あとからふりかえればほんのわずかの時期です。
そのわずかの時期に手をかけることが、あとで親にも子にも何倍にもなって戻ってくるのです。
では、具体的にどうしたらいいかというと、それは、読書と対話と経験です。
お金をかけてどこかのレジャーランドに連れていくようなことではなく、日常の生活の中で、子供が興味を持つようなことを一緒にやってみるのです。
先日の小2と小3の思考発表クラブで紹介した話は、「ジグも釣り」でした。
今日の新小4の思考発表クラブでで紹介した話は、「山菜採り」でした。
こういう実際の自然の体験をもとに、親子でいろいろなことを話してみるのです。
「どうして、ジグモは土の中に巣を作るような生活を始めたんだろう」とか
「どうして、タラの木には棘が生えているんだろう」とかいう話です。
今の社会には、答えのある質問にどれだけ早く答えられるかいう評価が溢れています。
だから、家庭では、答えのない考える対話を親子でたっぷりしていくといいのです。
では、答えのある問題に早く答える力はどう育てたらいいかというと、それは自学自習です。
勉強の基礎と先取りは、自学自習でしっかり身につけ、その結果余裕のできた時間は、読書と対話と経験で充実させていくといいのです。
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「仕事優先の社会から子供優先の社会へ」
https://www.mori7.com/index.php?e=1464
今は、大人の仕事や生活が中心の社会だが、
将来は、子供の幸福な成長が中心の社会になる。
仕事優先から子供優先になったとき、
社会の質も変わってくる。
子供が小学生なのに、父親だけ単身赴任という家庭があります。
会社の都合が優先され、父親不在の家庭が生まれることによって、社会全体としては大きな損失を被っているはずですが、そのことを指摘する人はほとんどいません。
仕事優先の考えが行きわたっているからです。
子供が小学生なのに、仕事にくたびれたお父さんが、せっかくの日曜日に昼まで寝ている家庭があります。(あ、たまにはいいんですけど(笑))
やはり、仕事優先の考えが行きわたっているからです。
子供たちの成長の基盤になるのは家庭です。
どういう家庭が理想かということは、自分が子供だったときのことを思い出してみればわかります。
優しい父と母、楽しいお喋り、自由な時間が子供たちの宝物の時間だったはずです。
そういう家庭文化を作っていくのが、これからの親も含めた社会全体の課題になると思います。
今日は雨模様の静かな日曜日。
こういう日も、まず家の中で、お父さんかお母さんが率先して太陽のような笑顔を見せることです。
子供は影響されやすいので、すぐに楽しい笑い声が広がります。
どんな天気の日も、家の中だけは快晴にしていきましょう。
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子育ての最中は大変です。手のかかることばかりがあります。
しかし、じきに子供は成長して、どの子も手がかからなくなります。
すると、そのころになって、もっと小さいときに手をかけてやればよかったと思うのです。
だから、お父さんは、日曜日はがんばって子供と遊んであげることです(笑)。
親子の対話で大事なことは、親は、自分の体験したこと、自分の考えたことを話すようにすることです。
自分の知っていることを話すという知識のやりとりは、結局答えのある話になってしまうからです。
成長につれ、子どもとの関わりも減りつつありますが、それでもなお、会話を通し、コミュニケーションを大切にしてきたいですね。
外がどんな嵐であろうとも、家の中はいつも快晴で! 心がけていきたいです。
家庭の日常生活が、子どもの成長に与える影響の大きさを、もう一度自分の中で自覚したい・・・お父様お母様に読んでいただきたい記事です。
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国語力をつけるために、特別の問題集をやったり、新聞のコラムを要約させたりする必要はありません。
もっと簡単に、問題集の問題文を読ませて、それをもとに親子で対話をすればいいのです。
その際に大事なことは、親子でともに対話を楽しむことです。
その対話の文化を作るためには、子供がまだ小さいころから親子で、何かのテーマについて話し合う機会を作っておくといいのです。
作文の課題は、ちょうどその話し合うきっかけになります。
低学年のうちは、低学年らしい楽しい課題として実行課題集があります。
高学年になると、入試レベルの作文に対応した考える感想文課題が出てきます。
そのそれぞれの課題に合わせて、親子で話をする習慣を作っておくことが、国語力を育てる最も簡単で確実な方法なのです。
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「国語力をつけるための勉強としての要約と対話について」
https://www.mori7.com/index.php?e=1763
要約という勉強は、それはそれなりにいいのですが、難点は時間のかかることと、評価する人がいないとできないように思われていることです。
言葉の森では、以前から、解く勉強ではなく読む勉強、形の残る勉強ではなく形の残らない勉強ということを言っていますが、この場合も、それがあてはまります。
要約に時間がかかるのは、形の残る勉強だからです。形を残すことにこだわるから、内容がかえっておろそかになりやすいのです。
大事なことは、要約を書くことではなく、元の文章を読み取ることです。だから、読み取ったことがわかればいいのです。
その方法が対話です。
例えば、子供がある長文を読むとします。言葉の森の課題の長文は1600字程度のものが多いので数分で読めます。しかし、難しい内容のものは1回読んだだけではあまり理解できないので、何度も繰り返し読む必要があります。
文章というものは、もともと理解できるようにできています。その理解の仕方は、ひとつひとつの単語の意味を調べて積み上げるような分析的な方法によってではなく、文章全体を繰り返し読むという総合的な方法によってです。
文章の理解というものは、○と×がつけられるような平面的なものではありません。浅い理解から深い理解へと何層にも分けられるような性質のものです。繰り返し読むことによって、最初はわからなかったことがだんだんわかるようになるという読み方ができるのです。
そして、その文章を読んで自分なりに理解できた範囲で、子供がその内容をお父さんやお母さんに説明します。これが対話の出発点です。
お父さんやお母さんは、元の長文を読んでいる必要はありません(読んでいてももちろんいいのですが)。ただ、子供の説明を聞いて、その内容がわかればいいのです。
もし、説明がわかりにくければ、質問をすればいいだけです。文章の内容を自分なりに理解している子なら、そういう質問にもそれなりに答えられます。
ここから更に発展して、お父さんやお母さんが、その説明に関連した似た例を話したり、互いに感想を述べ合ったりすれば、文章の理解はより深まります。
対話は、要約に比べると形の残らない勉強です。しかし、準備も要らなければ評価も要りません。ただ家族で楽しく話をするだけで、要約よりももっと深い文章理解の勉強ができるのです。
しかし、この対話という勉強法は、それなりの工夫も必要です。それは、家庭における対話の文化を作っておくという工夫です。
多くの家庭では、子供が親に長文の内容を説明して、それをもとに楽しい対話が始まるというような経験をしていません。子供もそういう話をすることに慣れていないし、親もそういう話を聞くことに慣れていません。
だから、最初は、子供に長文の内容を説明させても、ぽつりぽつりとしか話せません。親も、それを聞いているうちにいらだって、説明の仕方を注意するようになりがちです。それでは、楽しい対話ではなく、厳しい詰問になってしまいます。
また、親が似た例を話すときも、本当は自分の体験に根ざしたことを話すのが大事なのですが、親の体面上知っている知識を話すだけになってしまうことも多いのです。そうすると、これも楽しい対話ではなく、つまらない講義を聞いているような話になってしまいます。
では、楽しい対話をするためには、どうしたらいいのでしょうか。
それは、子供が小学校低学年のまだ小さいころから、家族で楽しく真面目な話をする機会を作っておくことです。高学年になって難しい長文を読めるようになってからの対話では、うまく行かないことも多いのです。
対話の第一の条件は、親が一切注意をしないということです。これは、作文にも、音読にも、暗唱にも共通します。
よく子供が作文を見せてくれないという相談がありますが、それは作文を見て注意したことが何度かあったからです。同じように、音読を親の前でするのを嫌がるというのも、その音読の仕方を何度か注意したことがあったからです。子供が、親の前で長文の説明をするのを嫌がるとしたら、それは説明の仕方を注意したことがあったからです。
言葉というものは、外から注意しなくても、繰り返すうちに自然によくなっていく性質があります。お父さんやお母さんが、今普通に文章を書いたり、読んだり、説明したりできるのは、だれかに注意されてできるようになったのではありません。長年、言葉の生活をする中で自然に身につけていったのです。
だから、子供の作文や音読や説明も、自然に任せていれば自然にいいものになっていきます。
それでは、なぜそれらの勉強をするかというと、機会を増やすことによってよりよいものになるからです。そして、機会を増やすためには、楽しく行うことが大事です。楽しく行うためには、小学校低学年(実はもっと小さい幼児)から、子供が文章を書いたり読んだり話したりすることを褒めて伸ばしてあげる必要があるのです。
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勉強は意欲によって身につきます。
作文や対話がなぜいい勉強になるかというと、そこに伝えたい、話したい、聞きたいという動機が働くからです。
その必要性によって考える力が向上するのです。
対話というのは、知っている知識を伝達することではなく、それぞれのオリジナルな考えを述べ合うことです。
そのために役に立つのが、親自身の子供のころの体験談です。
テーマに合わせて、自分の小さいころの体験を思い出して子供に話すのが親子の対話の中心です。
親の普段見られない小さいころのドジな体験を聞いて、子供は成長していくのです。
対話を楽しむ習慣があると、学年が上がっても同じように楽しむことができそうです。
躾も学習も、まずは家庭で行うことが大切ですね。
親子の対話は、楽しい上に、国語力がアップし、一石二鳥ですね。
特別なことをしなくても、家庭での楽しい会話が作文のヒントになっているのだなあと感じることがよくあります。講師もお子さんと楽しい対話を心がけ、作文のヒントを引き出していますが、やはりおうちでの対話に勝るものはないですね。
特別なことをしなくても、家庭での楽しい会話が作文のヒントになっているのだなあと感じることがよくあります。講師もお子さんと楽しい対話を心がけ、作文のヒントを引き出していますが、やはりおうちでの対話に勝るものはないですね。
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人間の能力は、必要によって開花します。
思考力を育てるためには、思考力が必要な環境にする必要があります。
それが、読書と対話です。
内容を理解したいが、理解するためには考えないといけないというときに、考える力が伸びるのです。
しかし、子供の周囲には、そういう考える読書の環境はあまりありません。
それに応じて、家庭での対話も、日常的な話題に終始することが多くなりがちです。
そこでおすすめしたいのが、問題集読書をもとにした親子の対話です。
国語の入試問題には、一部に読み取りにくいだけのものもありますが、多くは考える内容を含んでいます。
この問題集の問題の設問を解くのではありません。
解く勉強は、解き方のコツとして短期間でできるのでそういうことに時間を使う必要はありません。
そうではなく、ただ問題の文章を読むのです。
それもただ読むのではなく、音読で、しかも1冊を読み終えたら最初に戻り繰り返し5回読むようにします。
算数数学の問題集は、解けない問題が一問もなくなるまで解くことによって力がつきます。
国語の問題集は、1冊を繰り返し読むことによって力がつきます。
そして、家庭で対話の時間をとり、それまでに読んだ問題文の中から一つを選び、親子で話をします。
この繰り返しの読書と、身近な人との対話によって語彙力がつき、理解力と表現力が伸びていきます。
問題集読書を始めると、必ず国語の成績が上がります。
国語力とは、結局読解力で、読解力とは思考力のことです。
そして、思考力に必要な語彙力は辞典などで身につけるものではなく、読書と対話という必要に応じて自然に身につくものなのです。
ただし、問題集読書は、実は家庭で続けるのはなかなか大変です。
それは、読む力がついていないうちは、問題集の文章は難しいだけで面白くないからです。
問題集の文章が面白くなるのは、読む力がついてからです。
その読む力を最初につける練習が、今、自主学習クラスでやっている問題集読書のチェックです。
自主学習クラス( https://www.mori7.com/teraon/jiga/jiga.php )
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「読解力、記述力のもとになる思考力を鍛える、国語問題集読書のあとの質問と対話」
https://www.mori7.com/index.php?e=2350
子供の思考力を育てる最もよい方法は、考える読書と考える対話をすることです。
寺子屋オンエアでは、国語問題集読書のあとに、生徒が50文字の感想を書きそれを発表します。そのあと、先生から生徒に簡単な質問があります。
この質問にどう答えるかというのが、その生徒の読解力と思考力の指標になります。
低中学年の読む文章は、内容を理解できているかということがわかりやすいのですが、高学年になると、どこまで深く読み取っているかという読みの深さの差が出てきます。
従来の勉強の仕方は、先生が説明することを生徒が聞いて理解するという受け身のものでした。しかし、これでは表面的にわかったつもりになるだけの生徒も多かったのです。
これからの勉強は、先生が説明するのではなく、生徒が説明するのを先生が聞くという形のものになります。これは、国語に限らず、算数数学の勉強でも同じです。自分ができなかった問題を解法を見て理解し、その理解したことを先生に説明するという勉強をすると、理解が確実に自分のものになります。
読解力、記述力を鍛える勉強法は、これまではあまりありませんでした。これからは、問題集読書による難しい文章の復読、感想、質問と対話などが新しい勉強の方法になっていくと思います。
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思考力は、思考力をつける問題集を解いても身につきません。
問題を解く勉強は、結局、解法を理解して覚える、記憶の勉強になってしまうからです。
思考力は、思考を必要な環境に置かれることによって成長するのです。
国語力をつける問題集などというものはありません。
国語力は、教材によってつくのではなく、その教材の活用の仕方によってつくのです。
その活用の仕方が、その教材を読むことと、その教材をもとにして対話をすることです。
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3月15日、言葉の森事務局が入っている建物が終日点検となるため、電話とメールはつながりません。
したがって、この日は、欠席された分の振替などもできませんのでご了承ください。
なお、急な用件でお急ぎの方は、携帯までお電話くださるようお願い致します。
●携帯:080-6523-5004
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先の話ですが、3月15日は言葉の森本部は休館です。
電話通信の指導は通常どおりあります。
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国語は、いろいろな教科のうちの一つというのではありません。あらゆる教科の土台です。
低学年のうちは、この土台を作る最も大切な時期です。
しかし、国語の勉強は、国語の問題集を解くような形では身につきません。
勉強という形に現れない国語的な生活の中で身についていくのです。
それが、読書と対話です。
そして、本当は、ここに音読と暗唱も入れていくといいのです。
言葉の森の暗唱検定の合格者が、のべ40人を超えました。
約3000字の暗唱を7分で読めるようにするのですから、毎日10分の勉強で2、3ヶ月かかります。
この子たちは、国語もほかの勉強も得意になっていくと思います。
また、国語問題集読書の音読を寺子屋オンラインで毎日続けている子もいます。
こういう子たちは、着実に国語力がついています。
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「子供の習い事をどのように考えるか―国語の学習を生活の中心に」
https://www.mori7.com/index.php?e=1759
子供が健やかに育ってほしいと思うのは、誰にも共通する願いです。そのためのひとつは学力です。この学力を育てることが、子供の成長の中心の課題です。その学力の周辺の余技として音楽やスポーツや様々な趣味の世界があります。だから、学力をつける時間を確保したあとに、音楽やスポーツの時間を確保していくことです。
音楽の目的は、将来、日常生活の中で音楽を楽しめるようになるための技術を身につけることです。運動の目的も、将来、日常生活の中でスポーツを楽しむための技術を身につけることです。決して、将来プロとなるための練習をしているのではありません(ほとんどの人にとって)。親は総合的に子供の成長を考えて、バランスよく子育てをしていくことが大事です。
学力を教科によって分けると、国語と算数が二つの大きな柱になります。国語と算数数学は、小中高と学力の中心になります。しかし、この二つの教科は、性格に大きな違いがあります。ひとつは、国語はやらなくてもある程度できるが、やっても完璧にはできない教科であるのに対し、算数はやらなければできないがやれば百点も取れるようになる教科だということです。
これは、国語と算数が次のような構造を持っているからです。
▽算数
勉強して身につける部分
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生活の中で身につける部分
▽国語
勉強して身につける部分
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生活の中で身につける部分
算数は、勉強をすることがほとんどすべてです。
国語は、勉強以外の生活を国語的にしていくことが大切です。
だから、話したり、聞いたり、読んだり、書いたりする日常生活を充実させていくことが大事になります。
一般に、小学校低学年では、算数にかける時間の2倍から3倍を国語的な勉強にかける必要があります。そのためには、生活の中で国語の力をつけていく工夫をすることが必要になります。
科学技術教育に力を入れているドイツでも、小学校低学年の国語の授業時間は、算数の授業時間の2~3倍になっています。
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国語の勉強というと、漢字の書き取りをしたり、問題集を解いたりすることぐらいしか思いつかないことが多いのですが、そういう勉強で国語力がつくと思う人は少ないと思います。
そのため、国語の勉強は後回しになってしまうことが多いのです。
読書や音読や対話は、毎日の生活の中で自然に国語力をつける大切な方法ですが、いずれもあとに形が残るわけではないので、張り合いがありません。
そこで、形の残る問題集などをやってお茶を濁してしまう人が多いのです。
つい算数の計算をドリルで勉強しがちですが、高学年になると、文章読解問題が多く、国語力がないと計算以前に解けないことを実感します。
※覚書として
算数の偏差値は高いけれど、国語が足を引っ張っているという相談がよくあります。高学年になるにつれて、国語力が上がってこないと、他の教科にも影響があるということだと思います。すぐに成績に結びつかなくても、コツコツと取り組んでいくことが大切だとお話ししていこうと思います。
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勉強は、成績や点数として目につくので差があるように思いがちですが、その差は、誰でもやればすぐに埋まる差です。
その反対に、読書は点数もつかいないしテストにもならないので、差があるかどうかということはわかりません。
しかし、この読書力の差が実はかなり大きな差なのです。
読書力は、一朝一夕につくものではありません。
毎日の気長な読書の積み重ねのうちに、いつの間にか読む力がついていたというような気の長い話です。
そのためには、特に低中学年のうちは、子供の好きな本を読ませることが大切です。
親はつい、ためになるよい本を読ませようとしがちですが、そういう本は往々にして子供にとってあまり魅力のない本です。
毎日読んでいても、それが薬でも飲むように義務感で読んでいるなら、読書の楽しみというものにはなりません。
読んでいるうちに熱中して止まらなくなるような本が、子供時代の読書の理想です。
そして、そういう読書に熱中した子が、本の中から生きた語彙を吸収し、その語彙力が考える力になり、学力の土台になっていくのです。
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「読書は勉強よりも優先して」
https://www.mori7.com/index.php?e=2113
小学生の学力の中心は読書です。しかし、この読書の範囲の中には、図鑑、絵本、雑誌、新聞、学習漫画、漫画などは含みません。それらを読むのはもちろんよいことですが、読書としては、文章を読むようなものを中心にしていく必要があります。
読書は、時間のコントロールがしにくいので、勉強の最中には行いません。朝ご飯が終わって学校に行くまでの空き時間や、夕ご飯が終わって休憩している間の時間や、夕方の勉強が終わってあとは自由時間となる前の時間などに読む時間を設けるようにします。
読書は毎日行うことが必要で、毎日10ページ以上は読むと決めておけば、読書の苦手な子も必ず読書好きになります。本の好きな子は、毎日50ページ以上と決めておくとよいでしょう。
小学生が平均的に読む冊数は、1週間に約2冊と言われています。この読書量の差が、小学生の学力の差です。同じように勉強していて、よくできる子とよくできない子がいるのは、勉強の時間以外の家庭における読書の差と言ってもよいでしょう。
読書でどんな本を読むといいかということについては、言葉の森facebookグループに毎日おすすめの本の紹介がされているので参考にしてください。
「読書の好きな子になる庭」
https://www.facebook.com/groups/dokusho/
よくない読書選びは、子供の読む力よりも難しい本を読ませること、有名だからという理由で読ませることです。facebookグループで紹介された本などを参考に、子供が自分で好きな本を選ぶようにすることが大事です。
また、読書は、家庭の環境も大事です。テレビがいつもつけっぱなしであるような状態では読書はできません。子供に読書をさせるためには、親も自分の好きな本を読む習慣を作っておくことです。
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語彙の豊富な子は、同じものを見ても、それを人よりも深く見ています。
そういう生きた語彙を育てるのが、読書と対話です。
語彙力は、学力の土台になるだけでなく、その子の内面生活の豊かさにもなっているのです。
昔、勉強が忙しいから読書は行き帰りの電車の中だけで済ませる、という低学年の子がいました。
低学年で勉強が忙しいなどということは、本来あるべきことではありません。
もし宿題がたくさん出て大変だったら、そういう宿題はお母さんが手伝ってあげればいいのです。
それよりも、子供は読書と遊びと対話にもっと時間を使うことです。
毎日読書をすることで、大きな力が働きますね。
昨日、図書館で小4の娘がズッコケシリーズを7冊も借りてきました(笑)。昨日のうちに1冊読み終わり、2冊目突入。寸暇を惜しんで(笑)本を開いています。そんな夢中になれる本に出会えるって幸せですよね。
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子供が小学校低学年のうちは、どういう勉強のさせ方をしても大差はありません。
やること自体が簡単ですし、子供も素直なので、どういうやり方をしても力がつくのです。
しかし、そういうやり方がそのまま高学年や中学生になっても通用するかというと、必ずしもそうではありません。
それどころか、最初のやり方が悪いと、それが習慣になって、学年が上がるほどうまく行かなくなることがあるのです。
例えば、その悪い例の一つは、勉強の量を時間で決めて長時間やらせることです。
子供は、その決められた勉強時間を、できるだけ密度薄く、くたびれないようにこなす工夫をするようになります。
それが、高学年になってからの、非能率の大きな原因になります。
それよりも、勉強の量はページ数で決めて、終わったら自由に遊んでいいというようにするといいのです。
すると、子供は集中して取り組みます。
集中して取り組んで早く終わったら、追加の勉強などはさせずに、早く終わったことを褒めてあげるのです。
小4までの勉強は、してもしなくてもどちらでも大して差が出ないほど基本的なものです。
学校の勉強だけでも十分に間に合います。
だから、この時期は、勉強の中身よりも、勉強に取り組む姿勢を育てることを中心にする時期なのです。
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「家庭での自習のコツ」
https://www.mori7.com/index.php?e=2104
勉強の仕方には、コツがあります。
よいやり方をすれば、親も楽で、子も楽しく勉強でき、しかも実力がつきます。
よくないやり方をすれば、親もくたびれ、子も自信をなくし、しかも力がつきません。
人間の能力は、もともと変わりません。ちょっとしたコツの違いだけなのです。
自習のコツは、こんなふうに。
1、毎日やることを決めておき、子供が条件反射的に流れ作業でどんどんやれるようにします。
だから、長文音読、長文暗唱、漢字暗唱、算数問題集、(英語音読)、問題集読書、読書など、分量をあらかじめ決めて、その内容が変わらないようにします。
2、しかし、分量は、親から見て、ちょっと少ないかと思うぐらいにします。
だから、曜日によってやることを決めてもいいです。しかし、音読と読書は毎日必須です。
3、答えの丸付けは、子供本人がするようにします。×だったところは、自分で答えを見て理解するようにします。
答えを見てもわからない場合、親が簡単に教えずに、参考になるページだけ教えて、できるだけ子供が自分で考えるようにします。
だから、勉強は、子供が親に説明する時間がほとんどで、親が子供に何かを説明する時間はできるだけ少なくするようにします。
4、勉強の分量というのは、時間ではなく、ページ数です。時間で決めると、だらだら勉強する癖がつきます。
分量を決めた場合、予定より早く終わっても、勉強の追加はしないようにします。追加をすると、やはりだらだら勉強するようになります。
5、子供に対する注意はできるだけせず、またからかったり、笑ったりもせず、上から目線で話したりもせず、いつも笑顔で明るく褒めて励ますようにします。
6、勉強の内容面については、親はできるだけ話をせず、子供が中心に話すようにしますが、長文に関する似た話は、親ができるだけおもしろおかしく自分の体験談でたっぷり話してあげるようにします。
子供の話を引き出そうとするよりも、親が楽しく話をするように心がけます。両親だけで話が盛り上がって、子供が聞いているだけとなってもかまいません。
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昔は兄弟がいて、上の子が下の子に勉強の仕方のコツを教えるようなことがよくありました。
今は、母子二人だけで、どのくらい勉強させればいいのかというよりどころがないので、ついやりすぎてしまうことがあるのです。
こういうときに必要になるのは、やはり同じような子育てを経てきた経験者の話です。
低学年のうちの勉強は特に、難しいことをやる必要はありません。
というのは、その難しさとは、例えば算数の場合でも、問題文の中に子供がふだん使わないような言葉が入っていて読み取りにくいというような難しさだからです。
こういう問題ばかりやっていると、性格の悪い子になるのではないかと思います(笑)。
※これも覚書。特に2と5をしっかりとお伝えすること。
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知識を覚える勉強は、もう過去のものになります。
知識は、基本だけをしっかり押さえていればいいのであって、その量で評価するような時代ではなくなります。
クイズ王とか物知り博士などという言葉は、過去のものになりつつあるのです。
そのかわりに出てくるものは、考える力と、勉強に対する意欲です。
考える力の根本は、豊富な語彙と多様な経験です。
子供のころから、たくさんの本を読み、いろいろな経験をしていくことが大事なのです。
勉強に対する意欲は、友達との交流の中から生まれます。
受け身の勉強ではなく、発表する勉強の中から、もっと自分らしいものを作りたいとか、もっと新しいことを学びたいとかいう意欲が出てくるのです。
やらされる勉強は長続きしません。
それを、テストで競争させてやる気を引き出すような勉強の仕方は、勉強嫌いの子を作り出すだけです。
勉強は、小中学生のころはまだ面白いと思う人はあまりいませんが、高校生ぐらいになるとどんどん面白くなってきます。
その勉強の面白さを味わった子は、誰に言われなくても自分の力で勉強を進めていきます。
これからの日本に必要なのは、そういう考える力を持ち、勉強に対する意欲を持った子供たちです。
そういう意図で、言葉の森では思考発表クラブを始めました。
下記の動画は、3月から始める新小2の生徒を対象にした授業の例です。
こういう話をもとに、6、7人の少人数で、インターネットを使って、互いの読書や勉強を毎週発表していくのです。
https://www.youtube.com/watch?v=05hzhb-67Bs&feature=youtu.be
参考までに、受講料は月4回で月額2,160円です。
3月から無料体験学習を受け付けます。
対象は、新小1から新小6の生徒で、言葉の森の生徒以外の方も参加できます。
https://www.mori7.com/teraon/siha/siha.php
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教わる勉強がなぜつまらないかというと、ただ人の話を聞いているだけだからです。
そして、ちゃんと聞いていたかどうかがテストされるのです。
それよりも、勉強は自分で自主学習で進めておき、学校ではみんなが互いに勉強の成果を発表できるようにするといいのです。
勉強の出発点は感動です。
「わあ、面白いなあ!」という感動があれば、人間は誰に言われなくても、自分で勉強したり挑戦したりしていくのです。
これからは、覚える力ではなく、考える力、発表する力がますます必要になってくるのでしょうね。
月額2,160円で思考力、発表力が身につくとはお得ですね(笑)。
なんでもやらされるより、自分で進んでやるからこそ続くのだと実感します。
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