言葉の森の通学教室の生徒で、プログラミングをやるようになった人はかなり多いです。
小学生のころから、パソコン入力をしていたので、自然にそういうことに親しんだからだと思います。
しかし、このプログラミングは、システムエンジニアなどの仕事としてやる場合は、かなり大変です。
私自身(森川林)、言葉の森の仕事に使うプログラミングをやっていたとき、「これが、もし人に頼まれた仕事だったら絶対にやらないだろう」と何度も思いました。
それぐらい、ストレスの多い、ある意味で不毛な時間の多い仕事なのです。
では、なぜプログラミングの勉強が必要かというと、それはプログラミングを仕事にするのではなく、何か別に自分のやりたいことがあった場合、その仕事にプログラミングが使えるからなのです。
このことは、ほかの勉強についても言えると思います。
英語が得意なので、英語を仕事にする人がいます。それは、やはり大変な仕事だと思います。
英語が得意なら、それを自分のやりたい仕事に生かす英語として使っていくのです。
数学でも、国語でも、何でも同じです。
昔、ゴルフの得意な若者が、ゴルフの道に進むか、ビジネスの道に進むか迷っていたとき、ある人がアドバイスをしました。
「ゴルフのプロもいいが、ゴルフもプロ並みの社長の方がいいぞ」
勉強は、何でもできた方がいいのです。
しかし、目的は勉強ができることではなく、自分の本当にしたいことのために、その勉強を使うことなのです。
……と、この一週間、サーバーの文字化けを直していてふと思いました。
成績を上げるためには、解法をどんどん覚えてしまうのが最善です。
一つの問題を解くために何時間もかけるというのは、最も能率の悪い勉強法です。
しかし、それで成績を上げることが、その子の実力を育てることにはなりません。
答えのある問題は、答えを早く見つけることが大事ですが、世の中に出てからの大半の問題は答えのない問題です。
その答えのない問題に遭遇したとき、遠回りの勉強が生きてくるのです。
遠回りの勉強とは、自分で試行錯誤して、様々な失敗や回り道を経て到達する答えを見つける勉強です。
その遠回りの勉強の感覚を身につけた子は、大きな問題が出ても自分で考えようとします。
そういう自分で考えることの好きな人たちが、世の中の歴史を進ませてきたのです。
小中学校時代の義務教育の勉強は、基本的に難しいものは何もありません。
誰でも当然できるようになるべきものが教えられています。
しかし、それでは試験で差をつけることができないので、入試用のパズルのような問題が作られています。
その入試用のパズルの問題を解くことが実力をつけることではありません。
そういう問題は、どんどん解法を覚えておけばいいのです。
そして、本当に大切にするのは、答えのないことを、自分なりに、ああでもないこうでもないと考えることです。
そのためには、特に、小学生時代は、遠回りの勉強をしていくといいのです。
そういう勉強が、実験や経験や読書や遊びや親子の対話です。
問題集を解くような勉強は、一応はやっておいて実力と成績のバランスはとります。
しかし、成績の方にだけ目を向けてしまうと、肝心の実力が育ちません。
子供自身は、そういう大局的なことはわかりませんから、親がそのバランスを考えていくことが大切なのです。
【話は変わってサーバーの移転に伴うトラブルについて】
3月16日にサーバーの移転を行いました。
久しぶりの移転のため、対応できないソフトなどが多く、今でも文字化けの現象が出ています。
そのため、いろいろなページを今作り変えているところです。
当面、最も重要なのは、作文を送信する「作文の丘」と、評価を見ることのできる「山のたより」のページなので、この二つのページを改良しているところです。
もうしばらくお待ちください。
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「勉強は、すぐわからないところが面白い」
https://www.mori7.com/index.php?e=2353
キャノンの社長だった賀来龍三郎さんは、高校生のとき、尊敬する数学の先生に、「数学は公式から自分で考えて解け」と教わったそうです。
大学入試でも、その教えを忠実に守って公式から自分で考えて解こうとしたために、時間不足で不合格になりました。そのときは、その数学の先生を恨んだようです。
しかし、その後、社会人になって、根本的に考えることの大切さを何度か経験するうちに、その先生の偉大さを改めて感じるようになったということでした。
今の世の中は、どの分野も複雑化しているので、能率を上げるために、根本から考えるよりもまず操作できればよいという考え方が主流になりつつあります。
家電製品などでも、故障すると、昔は電気屋さんが中を分解して故障を箇所を見つけたのですが、今は、ブラックボックス化したICチップをまるごと取り替えるような修理の仕方になっています。
能率は大幅に向上したのですが、このまるごと交換という対応の仕方からは、工夫も発見も生まれません。
算数数学の問題でわからない問題があったとき、まず大事なのは、自分で考えてみることです。しかし、それではあまりに時間がかかるというときは、解答を見てその解法を理解します。
学校で勉強するような数学の問題は解けることが前提に作られているので、解法を見れば誰でもわかるようになっています。
しかし、それでも理解できないとき、つい人に聞きたくなります。しかし、そこで人に聞いてわかりやすく教えてもらうと、それはICチップをまるごと交換するような勉強になってしまうのです。
すぐわかったつもりになることは、かえって自分の力として定着しません。能率よく理解する度合いが強ければ強いほど、実力はつきにくくなるのです。
世の中の価値ある仕事の多くは、無駄な遠回りを積み重ねて作られています。
今の世の中の風潮は、能率を重視し、最小のコストで最大の効果を上げることに向かいがちです。
しかし、本当の楽しみは、苦労して自分なりにつかむという経験の中にあるのです。
自由な時間のある子供時代にこそ、そういう無駄な遠回りをする楽しさを味わうことが大切だと思います。
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