人間は、誰でも自分らしく生きたいと思っています。
しかし、今の教育環境では、与えられた正しい答えを早く見つけることに価値があるような教育がなされています。
そして、正しい答えを早く見つけて褒められれば、それはそれで嬉しいので、次第にその価値観に自分を合わせるようになってきます。
しかし、小中学生の義務教育でやる勉強は、基本的に、やれば誰でもできるようになるものなので、よくできる子ほどそういう勉強に飽きてしまうことがあるのです。
ところが、入試問題になるとまた話は別です。
入試問題は、本来だれでもできる基本の学習をしているはずの小中学生に、訓練をしなければ時間内に解けないパズルのような難問を出します。
そういう難問を解く練習をして、それが短時間でできるようになれば、それもある程度の達成感はありますが、そこには本当の勉強の喜びのようなものはありません。
だから、いちばんいい勉強は、誰でもできる教科書レベルの知識をもとにして、答えのない自分らしさを出せる勉強をすることです。
その一つが、作文です。
そして、もう一つが、現在オンラインで行っている思考発表クラブの勉強です。
アクティブ・ラーニングとも呼ばれる発表する勉強は、基礎学力がないままに行えば、かつてのゆとり教育のように、ただお喋りをして時間を費やすだけの勉強になってしまいます。
だから、基礎学力を自学自習で確実に身につけながら、6、7名の少人数で密度の濃い発表学習をしていく必要があります。
言葉の森では、現在、新小1から新小6の生徒を対象にした思考発表クラブを行っています。
ここで、子供たちが毎週行う発表は、いずれもかなりレベルの高いものです。
それは、多くの生徒が、自分から進んで自主的に時間をかけて発表する内容を準備してくるからです。
子供たちの様子を見ていると、人に言われてやっているのではなく、自分から楽しんでやっている様子がよくわかります。
そして、こういう発表する勉強で、これまでの正しい答えを見つけるだけの勉強よりも何倍も頭を使っているのです。
ただ、発表する勉強は、ウェブにアップロードするという作業が必要です。
アップロードは、慣れれば簡単なものですが、子供の手ではなかなかできません。どうしても保護者の協力が必要になります。
このアップロードして発表するという過程がなく、ただ受け身で授業を聞くだけになると勉強の魅力は薄れます。
以前、中学生のオンライン講座では、この発表をする生徒が限られていたので、ただ授業を聞くだけの勉強になってしまった面がありました。
だから、今回は、新小1から新小6までの生徒が対象で、毎回何でもいいから一つは発表できるものをアップロードするというルールにしています。
発表するのは、勉強以外に、家庭で行った実験や経験も含みますから、あまり負担を感じる必要はありません。
多くの人が、この思考発表クラブの体験学習をしてみるといいと思います。
なお、思考発表クラブは、言葉の森の生徒以外の方も参加できます。
現在の学年別の時間割は次のとおりですが、希望者が集まれば他の曜日時間も開設します。
・新小1 火曜日18:00~18:45
・新小2 水曜日18:00~18:45(ほぼ満員)
・新小3 木曜日18:00~18:45(満員)
・新小4 火曜日19:00~19:45
・新小5 水曜日19:00~19:45
・新小6 月曜日18:00~18:45
新小学1年生を対象にした、親子作文、思考発表クラブ、自主学習クラスの案内はこちらをごらんください。
小1から始める親子作文、思考発表クラブ、自主学習クラス
https://www.mori7.com/nireina/syou1.php
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自宅学習の仕方(「寺子屋オンエア通信」2月号より)
https://www.mori7.com/index.php?e=2530
自宅で勉強を進めている方の参考になるように、「寺子屋オンエア通信」2月号の自宅学習に関する部分を掲載します。
■音読のビデオメッセージが送れる人はできるだけ毎日
国語の問題集の音読を毎日していると、語彙力がつき、読解力がつきます。
自分だけで毎日やるのが難しいという人は特に、先生へのビデオメッセージで毎日の音読をやっていってください。ビデオメッセージを送る先生はどの先生でもかまいません。土日も含めて毎日やるのが原則です。
ただし、先生はビデオメッセージの中身をじっくり聞くわけではありませんから、ビデオメッセージの中に重要な要件や連絡は入れないようにしてください。
■実力をつける勉強は毎日の自習
勉強の中心は毎日の自習です。塾や学校で宿題が出されると、それが勉強の中心になってしまう人がいますが、それでは実力はつきません。
宿題は早めに仕上げ、必ず自分で決めた勉強をするようにしてください。時間が限られている場合は自習の量は減らしてもかまいません。
なぜ宿題が勉強の中心でないかというと、宿題はできる問題を改めて解くようなことが多いからです。できる問題をいくら解いても力はつきません。できない問題をできるようにするのが勉強です。
自習の中でも読書は最も重要なもののひとつです。勉強の時間がほとんど取れない場合でも読書だけは毎日必ずするようにしてください(ただし中学生は定期テストの10日前からはテスト対策だけに絞って読書を省略してもかまいません)。
小学4年生までは長時間勉強する必要はありません。特に低学年のうちは毎日の勉強の習慣をつけることが目標ですから、勉強は無理のないように早めに切り上げてください。そのために、入室の時間は1時間前よりも遅くてかまいません。
▼国語
小学生は、国語問題集は4~5回読むことが目標ですが、それだけ読み終えていない人も、新しい学年の「ハイクラステスト国語読解力」(受験研究社)の問題集をご用意ください。(注意:「ハイクラステスト国語」ではなく、「ハイクラステスト国語読解力」です。)
小学生で、早めに4~5回読み終えた人は、1学年先の「ハイクラステスト国語読解力」をやっていってください。
中学生で、「ハイクラステスト中学国語長文」を4~5回読み終えた人は、「くわしい国語中1~3」(文英堂)をやっていってください。この「くわしい国語中1~3」は1冊ですが、ページ数が多いので、中2、中3と同じものでやっていきます。現代文以外に古文漢文も載っています。
新しく中学1年生になる人は、「ハイクラステスト中学国語長文」(受験研究社)を用意してください。また、中学生になると定期テストで文法の問題が出ます。ほとんどの生徒がここで点数を下げるので、定期テスト前には、「これでわかる国文法」(文英堂)を用意して読んでおくようにしてください。(文法は毎日の勉強としてやる必要はありません)
▼中学生
中学生は、毎日の自習はコンスタントに行っていきますが、定期テストの10日前(又は2週間前)からは通常の自習はいったん休みにして、テスト対策用の範囲を絞った勉強に切り換えてください。
中学3年間の教科書は、社会に出て一般教養の問題などをやる必要に迫られたときや英語の勉強を再学習するときなどにも役立ちます。必ず保存しておいてください。
▼受験生
新小6と新中3で受験する人は、受験する学校の過去問題集を用意して、春休み中にその問題集に1年間分の答えを書き込み、それを全部読みどういう傾向のどういう問題が出ているかを理解してください。
新小6の場合は、子供だけではできないので、お母さんやお父さんも一緒に取り組んでください。
新中3の場合も、子供に任せていては先延ばしになるので、お母さんやお父さんが責任を持ってやらせるようにしてください。(新高3も同じです。)
過去問を答えと一緒に読むと、問題の傾向と自分の得意不得意がわかりますから、特に差がつきやすい算数数学の問題を中心に取り組む問題集を決め、その1冊を完璧に仕上げることを勉強の目標にしてください。(上記の「ハイクラステスト算数(数学)」が難しい問題まで含めて完璧にできることを目標にするといいと思いますが、そのほかの問題集でももちろんかまいません。大事なことは1冊を完璧にですから、複数の問題集をいずれも9割ぐらいまでやるということのないようにしてください。したがって、塾などに通っている人は、塾で渡された問題集を完璧に仕上げることが目標になります。ただし、塾の問題集は解法が詳しくないことが多いので、わからない問題は必ず塾の先生に質問してわかるようにしてください。)
受験生の国語については、「ハイクラステスト国語読解力小6」又は「くわしい国語中1~3」を1回以上読み終えたあと、夏休みごろから「全国入試問題集国語」(みくに出版)に取り組んでください(志望校以外の問題も含めてやっていきます。男子校・女子校などに分かれていますがどちらでもかまいません)。勉強の仕方は、答えを書き込み、漢字や語句の問題の場合はそのまま覚え、読解の問題の場合はなぜ正解の選択肢以外の選択肢が違っているのかを説明できるようにし、記述の場合はその記述が書けるように覚えるというようにしてください。国語の問題は答えが曖昧な場合もあるので、少数の理解できない問題は理解できなくてもかまわないと考えてください。
国語の読解問題での正解の選択肢以外の説明は、子供本人にさせるようにし、子供が理解できないときは親が一緒に考えてあげてください。
高校受験生の英語については、「英語の教科書の音読暗唱」「これでわかる英語」などと並行して、夏休みごろから「全国入試問題集」(旺文社)の英語に取り組んでください。その場合、取り組むのは英語の長文読解の問題だけでかまいません。長い英文を読みこなすことに慣れるということを英語の受験勉強の中心にしていってください。
受験生は、夏休み明けからがみんなの実力がそろう時期になります(夏休み前までは早めに取り組んだ生徒とまだ取り組んでいない生徒との差が大きいので模試の点数はあてになりません)。夏休みが明けたら、1~2ヶ月に1回のペースで、塾やテスト機関で実施している全国レベルの模擬試験を受けるようにしてください。ただし、実力測定の中心になるのは、過去問ですから、過去問がどのくらいできるかということを受験の目安にし、模試はその参考にするという程度にしてください。
受験には、問題を解くスピードが要求されます。夏休み明けからは、勉強も時間を計りながら行うようにしてください。
▼塾又は通信教材又は私立中学の学校の宿題
塾に通っている人、又は、通信教材をやっている人、又は、私立中学で学校の宿題が毎日の勉強として出されている人は、次のように取り組んでいってください。
国語については、寺オンの国語問題集読書の方を優先してやっていってください。
そのほかの算数数学、英語、理科、社会などについては、勉強する教材をひとつに絞るために、塾又は通信教材又は私立中学の宿題の勉強を優先してください。
ただし、その場合も勉強は1冊を繰り返して完璧に仕上げることが大事ですから、読む教材は4~5回繰り返し読み、解く教材は解法を見てできない問題が1問もなくなるまで解けるようにしてください。この1冊を完璧にという勉強をしていないと、どんなにいい塾や教材や学校の勉強であっても力はつきません。
ただし、ある特定の教科に特に力を入れたいという場合は、1教科で2種類以上の教材を並行して取り組んでいってもかまいません。
(以下、他の教科の勉強については略)
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小学3年生ぐらいまでの子供たちは、今、思考発表クラブでのびのびと勉強に取り組んでいます。
しかし、学年がだんだん上がるにつれて、義務としての勉強に追われて、次第に自分のしたい勉強ができなくなるようなのです。
私が小学生のころは、勉強に追われるということはまずありませんでした。
中学生でも、テスト前に少し集中して勉強するだけで、普段は勉強が忙しいということはまずありませんでした。
勉強するようになったのは、高校生からで、ほかの同級生たちもみんな同じようなものでした。
そして、そういう勉強スタイルで何も問題がありませんでした。
小中学生のころは、決まりきった勉強などに追われずに、もっと自分のしたいことに熱中できるような社会になってほしいと思います。
https://www.mori7.com/index.php?e=2898
思考発表クラブの子供たちが、それぞれ自分なりに工夫した勉強を発表しているのを見ると、小さいころ、うちの子にこういう勉強をさせたかったなあと思います(笑)。孫かなあ。
解くだけのドリルではなく、自分で考え、発表していく形は大切ですね。
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学習は模倣から始まります。
オリジナルなものができるのは、その模倣がしっかりと身についてからです。
言葉の森の作文指導は、ある程度の型を持っています。
その型を見て、作文がパターン化するのではないかと心配する必要はありません。
型自体が多様で、学年ごとの課題に応じてさまざまに組み合わせることができるからです。
しかし、世間の作文の考え方の多くは、自由に書かせるというものです。
この「自由に」ということが、作文教育の最も大きな障害になっているのです。
これは、入試の作文にも現れています。
よくあるのが、「次のA、B、Cの三つの課題の中から一つを選び作文を書きなさい」というような問題の出し方です。
ジャンルの違う三つの課題を統一して採点する基準などはありません。
一つの課題で、書く方向を指示して、その方向で採点するから初めて採点が可能になるのです。
しかし、型は、勉強の到達点ではありません。
型を身につけたあと、書く力がつけば、自然に自分のオリジナルな書き方をするようになるのです。
逆に言えば、型を指定されて、その型どおりに書ける人は既に実力のある人です。
ただし、型と言っても、言葉の森が教えている型は大きな構成の方向性のようなものです。
例えば、ある意見に対して、自分の考えと、その正反対の考えを述べ、その自分の意見の裏付けとなる理由を複数考え、そのそれぞれの理由に対して自分の体験に基づいた実例と、体験以外の社会的な実例を書き、結びには自分で作った名言を入れる、というような指導です。(中1レベルの指導)
これを真面目にやれば、かなり力がつきます。
しかし、ヒントを真似して書いているだけでも、書き方の型は身につきます。
話は変わって、現在、小学1年生ぐらいの子を対象にした親子作文コースを充実させていく予定です。
小1の場合は、型を指定して書くということはまずできません。大体、書くこと自体がまだほとんどできない時期だからです。
そこで考えているのは、お母さんやお父さんとの対話を通して作文の書き方の型を身につけるという方法です。
4月に入って、新しい学校の時間割が決まってから、体験学習の日程を決めて参加していただけるといいと思います。
小1から始める親子作文
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言葉の森の受験作文小論文で書きやすい構成の仕方を身につける
URLは、
https://www.mori7.com/index.php?e=2131
言葉の森の作文指導は、身近な生活作文から始まりますが、小学校高学年になると受験作文にも対応するようになります。
また、中学生の作文(意見文)は、そのまま高校入試、更には大学入試に使えるレベルになります。
高校生の場合は、更に構成の仕方を発展させ、読み取りにくい課題文を読み取る力とつけていきます。
塾や予備校で行われている作文小論文指導は、抽象的なアドバイスが多く、書けないときはどう書いていいかわからないということがよくあるようです。
言葉の森の作文小論文指導は、具体的な構成をわかりやすく説明するので、苦手な子でも楽に書き出せ、得意な子は更に高いレベルの文章を書くことができるようになります。
以前、桜修館中の受験作文指導を受けている生徒から、「学校説明会で、『パターン化した作文を書かないように』と言われた」と相談がありました。
ここで大事なのは、その文章がパターン化しているかどうかではありません。上手か上手でないかという中身がすべてで、パターン化していようがいまいが、上手な作文は上手であり、下手な作文は下手なのです。
そして、上手に書くためのいちばんの近道が、いくつかのパターンを使えるようになっているということです。「パターン化がだめ」というのは、文章を書く力のない人が言うことです。
その相談のときに、ある学習塾関係の有名な先生が、パターン化しない書き方というものを、抽象的に詳しく説明していました。その説明をもとに、子供が実際に作文を書こうとしたら、まず全く書けません。上手下手以前に、どう書いていいかわからないという指導なのです。
平成27年度から、東京都は学校ごとの問題作成ではなく、共通の問題になるようですので、もう特殊な作文のテーマは少なくなると思います。
むしろ、いちばんの問題は、子供がどう書いていいかわからないという発想の時点でつまずくような作文試験の問題を出していた学校の方だったのです。
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型を身につけるために反復して練習するというのは、日本文化に独特の学習法だと思います。
型という方法よりもまず目的を重視し、その目的のためには方法は二の次というのが、型とは正反対のどちらかというと欧米風の考え方です。
どちらもそれぞれ利点はありますが、型から入るというのは日本文化になじんだ人には取り組みやすい方法だと思います。
しかし、そのためにはその型を続けるということが大事です。
作文指導でよくあるのが、「何でもいいから自由に書いてごらんなさい」と言ってから、書いたあとの作文の、ここが違っているとか、字がきたないとかを批評する指導です(笑)。
よい指導というのは、「こういう方向で、こういう項目を入れて書いてごらん」と言って、それができていたことを認めて褒める指導です。
前者がよくある指導、後者が言葉の森の指導です。
「自由に書こう」というのは、書きやすいように思えますが、実は一番ハードルが高い書き方だと思います。題名は自由でも、書くことがある程度決まっていないとどう書いていいかわからない……そして、たいてい自由に書いたものをあまりよく言われないので(笑)どんどん作文に対して苦手意識が高まるのだと思います。
親子作文をはじめると、型を続けることの大切さも実感できそうです。
自由に書いて下さい、と言われることが、実はいちばん難しいですね。
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受験の状況は毎年のように変わってきます。
去年はこういう傾向だったが、今年はこういう傾向になったという話がよくあります。
そして、2020年度には、大幅な大学入試改革と高校の学習の改革があります。
こういう変化の中にいると、保護者はどうしても不安になります。
そして、ここはやはり専門家に任せておいた方がいいと考えてしまうのです。
しかし、人間の成長の基本は、昔から何も変わりません。
そういう小手先の、新しい傾向がどうなったかというようなことは些細なことです。
いちばん大切なことは、自主的に勉強に取り組むということです。
人に言われて従うだけの勉強では、一時的には効果があるように見えても、長い目で見ると大きな成長は望めません。
多少無駄な回り道があったとしても、自分なりに考えて勉強に取り組むことが大事なのです。
小学生だったら、自分で決めた勉強をやっていくことです。
中学生や高校生だったら、志望校の過去問を自分で分析してみることです。
そして、勉強の目標は、大学に合格することではなく、その先の社会に出て仕事をすることだということを、親子でいつも確認しておくことです。
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中学生になっても言葉の森を続けた方がいいかどうか
https://www.mori7.com/index.php?e=2110
「中学生になっても言葉の森を続けた方がいいかどうか」という質問がありました。それは、もちろん続けた方がいいのです。
中学生で学習する意見文の3種類のパターンは、そのまま大学入試の小論文に使えます。
その小論文の最も基本になる構成の仕方は、小学6年生で学んでいます(そういう自覚のある小6生は少ないと思いますが)。それが、複数の実例と一つの意見(一般化の主題)です。
この形さえ知っていれば、どんな課題でも、一応しっかりとまとめることができます。あとは、読書や経験や思索によって、構成の中身を埋める材料のレベルを上げていけばいいのです。
だから、構成を知っているだけでは、車の両輪の片側しかできたことになりません。もう片方の車輪は、読む力をつけることによって作られていきます。その読む力のもとになるのが、言葉の森の課題の長文です。
最近の高校入試は、記述重視(場合によっては作文重視)になっています。この傾向は、公立中高一貫校でも、大学入試でも、就職試験でも表れています。
その一つの象徴が、東大や京大でこれから行われる特色入試です。特色入試では、高校生に時代に自分の興味のある分野をいかに深めたかということが問われます。学力については、センター試験の8割が取れればいいということで担保されています。
つまり、学力は、普通にしっかり勉強している程度でよく、それ以上の重箱の隅をつつくような知識やテクニックは必要ないということです。大事なのは、その生徒の個性と意欲と読む力と考える力と書く力なのです。
ただし、中学生は、部活や定期テストで忙しいということも事実です。だから、定期テストの10日前は、音読などの自習は休んでもよいということで柔軟に取り組むことが必要になります。
中学生時代の部活はそれなりに楽しいものですが、部活が多忙で土日も休めないとなると本末転倒です。中学生時代は、勉強が幹で、部活は枝葉だということを再確認しておく必要があります。
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最近の受験の状況などは、親は詳しくはわかりませんが、社会に出てからの仕事については親は子供よりも何十年も先輩です。
そして、勉強の目的は、受験に合格することよりも、その先にある社会に出てからの仕事です。
親は、そういう大きい視野で子供の勉強を見ていけばいいのです。
春休みは、うちで遊ばせておくのももったいないから塾にでも行かせようかと思う人は多いと思います。
それは、それでもちろんいいのです。
しかし、うちの場合、二人の子供は、長い休みの間遊び放題でした(笑)。
受験勉強に本当に力を入れるのは、受験の年になってからで十分です。
それまでは、普通にのんびり生活していればいいのです。
もし自分が当の子供だったら、休みの日にまで塾に行って勉強するというようなことは耐えがたいと思ったからです。
しかし、もちろんそれは、それぞれの家庭の方針でどちらでもいいのです。
勉強の目的は、自分の良き人生のためにあることをしっかり把握しておきたいですね。
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3月16日10時から約4時間、サーバーの移転作業を行いました。
大量のデータとソフトを移行するため、移転完了後もデータ送信エラーなどが残りました。
主なエラーは、次のものです。
・作文の丘から送った作文が文字化けをしたり、データそのものがあとで消えたりした。
・作文の丘から送った画像が一時表示できない状態になった。
・保護者掲示板から送ったデータが文字化けをした。
・森リンの採点ができなくなった。
・ふりがなのページが使えなくなった。
3月28日現在、大体のエラーは解決しました。
ただし、消えたデータは復活しませんので、作文の丘から送った作文が消えてしまった人は、申し訳ありませんがもう一度お送りください。
また、森リンとふりがなについては、茶筅(ちゃせん)というソフトを別途入れる必要があるため復旧は少し遅れます。
以上、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。もうしばらくお待ちくださるようお願いいたします。
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国語の勉強は、音楽やスポーツと似ています。
理屈がわかったからできるものではなく、そのことに慣れるまでに時間がかかるのです。
例えば、読書がそうです。
易しい本は読めるが、難しい本が読めないという場合、それは難しい本を読むことに慣れていないのです。
慣れてくれば、その面白さがわかるようになります。しかし、慣れなければ面白さはいつまでもわかりません。
記述や作文もそうです。
書き方の理屈が理解できたからといって、すぐにそのように書けるわけではありません。
上手な子の書き方の例を見せて、このように書いてごらんと言っても、もちろん書けるわけではありません。
時間がかかるのです。
だから、勉強法は、毎日気長にやることです。
記述の練習も、ある時期に集中して特訓をするのではなく、毎日問題集の文章を読んで自分なりに50字の感想を書くという練習をするのです。
そのときに、心がけることは、書いたり消したり考えたりせずに、考えたあとに一息で書くようにすることです。
入学試験には、常に時間制限があります。
その時間制限の範囲で書く練習をしていると、そのスピードにも慣れてくるのです。
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「記述力をつけるために」
https://www.mori7.com/index.php?e=2373
記述力をつけるためには、まず難しい文章を読み取る力をつけることです。そのためには、問題集の問題文を読書がわりに読む方法が有効です。それも、一度で終わるのではなく、同じ問題集を5回繰り返し読んでいくようにします。
読む力は書く力の土台ですが、書く力には独自の要素もあります。それがスピードと字数と構成力です。勉強の仕方は、問題集の問題文を読み、自分なりの感想を50字なら50字と字数を決めて書きます。
そのときに大事なことは、書きながら考えたり、途中で消したり読み返したり直したりせずに、最初にしばらく考えたあと字数ぴったりまで一息で書くようにすることです。
作文の字数とスピードは、慣れという面があるので、それぞれ自分なりの癖のようなものがあります。努力して速く書こうとすれば、だんだん速く書けるようになります。長さも、努力によって長く書けるようになります。
書き方のコツは、第一に、文中の言葉をできるだけ使うことです。自分なりに考えたことを書くのは大事ですが、そのままでは幼稚な書き方になることが多いので、それを文中の少し難しい言葉を使って書くようにするのです。
第二に、要求された字数いっぱいまで書くことです。「50字から100字の間でまとめる」というのであれば、書く力のある子は自然に100字いっぱいまで書こうとします。だから、採点する側も、多く書いている子の方に好意的な見方をするのです。
第三に、難しい問題のときも空欄にはしないことです。何を書いていいかわからないときは、設問の文章を一部引用しながら書くぐらいでもいいのです。ただし、これはあくまでも試験のための方便で、これで実力がつくわけではありません。
第四に、物事を対比するような形で書くことです。ただ、「Aである。」と書くのではなく、「Bではなく、Aである。」又は、「確かにBもあるが、しかしAである。」という書き方をすることです。実際にそういう形で書かない場合でも、考え方としては、物事を対比して輪郭をはっきりさせておくことが大事です。
第五に、物事の二面性に着目して書くことです。これも、ただ「Aである。」と書くのではなく、「Bであるとともに、Aである。」「Bである一方、Aでもある。」「Bであると同時に、Aである。」という書き方をするということです。
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国語や作文の勉強を上手に教えられる人が少ないのは、教えてすぐにできるようになることを要求するからです。
親子の作文の勉強がうまく行かないのもそれが原因です。
作文の勉強は、気長にやって、いつも褒めて、慣れるまで待つという姿勢が必要なのです。
作文の勉強を始めたばかりのころは、どの子も、机の上が消しゴムのカスでいっぱいです。
しかし、だんだん書き慣れるにつれて、消す回数が少なくなってきます。
勉強の最初から、できるだけ消さずに書くようにしていくといいのです。
消すのはうっかり書き間違いの1文字だけ、2文字以上は消さないというのが原則です。
毎日コツコツ続けることが大切ですね。
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子育てに正解はありません。
どんなに子育てが上手にできているお父さんやお母さんでも、それなりにいろいろな失敗や試行錯誤をしています。
子供が成長の過程で、初めていろいろなことを経験するように、親も子育ての過程で、初めていろいろなことを経験します。
そのときに大事なことは、便利なマニュアルのような方法はないと思っておくことです。
子供にも、親にも、それぞれ異なる個性があります。
どの子にも共通するようなことも、もちろんありますが、その子だけにしかあてはまらないこともあります。
そこで必要になるのが、親のさまざまな工夫です。
そして、その子のことを本当に考えて工夫するのは、どんなに優れた先生よりも、素人の親の方がまさっているのです。
「学校に通わず12歳までに6人が大学に入ったハーディング家の子育て」という本には、普通の親が普通に試行錯誤をしながら子育てをした経験が書かれています。
舞台はアメリカですが、親の工夫と失敗と成功の過程とそのときの心の動きは、日本の場合でも全く変わりません。
大事なのは、親が自分の責任で工夫していくことです。
ついでに言うと、その工夫を応援する場として行っているのが、言葉の森の思考発表クラブや自主学習クラスの企画です。
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「本を読まない子、言うことを聞かない子、集中力のない子、ゲームばかりしている子など、問題のある子への対応には、工夫が必要」
https://www.mori7.com/index.php?e=2367
子供はいろいろな問題を抱えています。問題のない子などはいません。というよりも、もし問題がないとしたら、それ自体が将来大きな問題となります。問題がないというのは、学校や家庭という人為的な環境に適応しているということですから、社会というより自然に近い環境になると、かえって適応できなくなることがあるのです。
では、これらのさまざまな問題にどう対応するかということですが、多くの場合、問題には一見簡単な解決法があるように見えることがあります。それは、工夫の必要のない解決法です。
どうして工夫の必要のない解決法があるかというと、子供には、強制という方法が可能だからです。
例えば、本を読まない子には、先生に強制的な宿題を出してもらうとか、ゲームばかりしている子には、強制的にゲーム機を捨ててしまうとかいう方法です。
そういうやり方で問題を解決すると、一見問題は現象面としてはなくなったかのように見えます。しかし、その強制がなくなったとき、問題は再び大きく出てくるのです。
問題の解決に、強制以外のものを考えるというのが工夫です。
その工夫に必要な要素には、子供本人の自主性を生かすということがあります。
人間は、必ず自主性を持っています。自主的にやろうとしないから強制するという発想をしてしまうと、子供の自主性はますます育たなくなります。
小さな問題のうちから自主性を生かして問題を解決するように工夫していると、大きな問題が出てきたときも、その自主性を更に生かして解決することができるようになるのです。
と、こんなことを考えたのは、オカメインコをカゴから出して遊ばせたあと、またカゴに戻すのが大変だったからです。(ずいぶん話が飛躍しましたが)
同じペットでも、犬の場合は、人間の意図がわかるので、自主性を生かして飼育することができます。しかし、鳥の場合はそういう自主性にあまり期待できません。
朝、オカメインコと文鳥をカゴから出して1時間ほど遊ばせたあと、カゴに戻そうとすると、文鳥はすぐに戻るのに、オカメインコはなかなか戻ろうとしません。
最初のころは素直に戻ったのですが、慣れてくると、遊びの方が楽しいことがわかってきたので、自然には戻らなくなってきたのです。
しかも、静かに遊んでいるならいいのですが、すぐにパソコンのキーを外したり、人が書いているシャーペンの芯をかじったりするので、そのつど仕事が中断します。
そして、つかまえようとすると、うまく逃げて、天井近くの人の手が届かないところに止まり、「アホー、アホー」と、そりゃカラスだ。そうではなく、高いところでのんきに毛づくろいなどをしているのです。
この解決策には、いろいろな方法が考えられました。。
いちばん簡単なのは、カゴから出さないことです。もうひとつ簡単なのは、飛べないように風切羽をときどき切ることです。あるいは、虫取り網で無理やりつかまえてカゴに戻すという方法もあります。
しかし、いずれの方法も、オカメインコ本人の自主性を生かしたやり方とは言えません。自主性を否定した解決策で対応すると、その後もずっと自主性を否定し続けるやり方しかできなくなるのです。
そこで考えた方法は三つ。
第一は、カゴをもっと大きくして、外で遊ぶのと同じような快適な環境にすることです。しかし、これは手間がかかるので、すぐにはできません。
第二は、カゴの中に入れる餌の量を1日で食べ終わってしまうぐらいに少なめにして、外で遊んでいるうちに空腹を感じて戻りたくなるようにすることです。これは、ある程度うまく行きましたが、急いでいるときは使えません。
第三は、オカメインコ本人が、つかまえられたということがわからないぐらいすばやくうまくつかまえるという、つかまえ方を工夫することです。これは、最初はうまくつかまえられず失敗することもあるかもしれませんが、努力次第で上達するという展望があります。
しかし、ただ何も言わずにつかまえるのでは、インコ本人の自主性を生かしているとは言えません。そこで、つかまえる前には、「さあ、そろそろつかまえるよ」と言って、本人が納得してからすばやくつかまえることにしました。そして、まるでつかまえていないかのような優しいつかまえ方でそのままカゴに戻すと、本人は何ごともなかったようにすぐに餌を食べ始めました。
ということをやっていたときに、ふと、これは子供の育て方でも同じだなあと思ったのです。
強制が可能に思えるようなときにこそ、人間の工夫が求められているのだと思います。
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プランターにもうスミレが咲いていた。
昨日から、急にあちこちに野の花が咲き出した。
そして、今日は春の雨。
自然はうまくできている。
勉強も、生活も、すべての基本は家庭です。
世の中に、いい学校、いい先生、いい参考書というのはもちろんありますが、それらを生かすのが土台となる家庭です。
その家庭は、親の毎日の工夫によって作られているのです。
オカメインコのお話、じつに納得しました。共感しました。
情報を利用することがあっても、情報に利用されないよう、しっかり自分の子育てをしていきたいですね。
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小学校低学年の子供は、親が熱心に関われば、その熱心さに応じて必ず成長します。
「主人の足跡は畑のこやし」というように、親の関わりの度合いに応じて子供は成長していくのです。
しかし、それが行き過ぎるときがあります。
それは、熱心さを出しすぎてしまうときです。
例えば、勉強を教えるときに、親が工夫したり準備したりすることは大事ですが、その工夫や準備が生かされないときに、子供を叱ってしまうことがあります。
もし、親が熱心に関わっていなければ、もともと叱る必要はありません。
熱心だからこそ叱るのですが、子供はその叱られた方を強く覚えてしまうのです。
小学校低学年のころは、それでもうまく行きます。
しかし、それが積み重なって小学校4年生ぐらいになると、子供は自立心が出てくるので、次第に親に反発するようになります。
本当は、小学校高学年から中学生にかけての勉強が次第に難しくなる時期にこそ、親が子供の勉強の内容を把握している必要があります。
しかし、子供がだんだん手に負えなくなると、学習塾に行かせるかたちで勉強を丸投げしてしまう家庭が多いのです。
学習塾に勉強を見てもらうようにすると、親はますます子供の勉強の様子がわからなくなります。
わかるのは、塾からもらってくる点数だけになるので、点数が上がった下がったということでしか子供の勉強を見ることができなくなります。
中学生で、塾に行って熱心に勉強しているが、成績が今ひとつぱっとしないという場合の多くはこういうケースです。
勉強の仕方の根本が違っていることが多いのですが、親が勉強を見ていないのでそれがわかりません。塾の先生は個別指導をしているわけではないので、やはりわかりません。
子供はそれなりに一生懸命勉強しているのですが、その勉強が、わかる問題を難問も解いていたり、わからない問題はわからないまま飛ばしたりというような、成果の出ない勉強になっていることが多いのです。
これは、親が少しでも勉強に関わればすぐにわかることですが、いったん子供の勉強から離れてしまうと、親が改めて関わることはかなり難しくなります。
塾に行くのは、別にいいのです。友達と一緒に勉強した方が張り合いがあるというなら、それはそれで全くかまいません。
しかし、その塾の勉強の内容と、その宿題の内容と、その宿題の勉強の仕方を親が一応見ておく必要があります。
では、中学生になっても親が勉強の内容を把握できるようにするためには、どうしたらいいかというと、小学校低学年のころから、いい親子関係を作っておくことです。
そのために、親の接し方は、熱心であるがその熱心さを表面に出さないということです。
そして、子供が親の熱心な準備や工夫に対して、同じように熱心に応えなくても、笑って認めるような度量をもって接していくことなのです。
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小学校1、2年生の子はみんな素直です。
だから、その素直さに甘えて、やりすぎないようにすることです。
何でも言うことを聞く時期だからこそ、本人の自主性を伸ばしていくことが大事です。
自主性の中には、親の希望する方向と違うものもあります。
それも笑って認めてあげるのです。
過ぎたるは及ばざるが如しという言葉のとおり、熱心さが行き過ぎると、肥料をやりすぎて植物を腐らせてしまうというようなことがよくあります。
食事と同じように、子育ての熱心さも、八分目までで抑えておくという配慮が親には必要です。
例えば、新しい面白い問題集などを与えると、子供は一日目から何ページもやってしまおうとすることがあります。
そのときに、子供が自分でやろうとしているのだからと、そのままやらせてしまうと、数日ですぐに飽きてしまいます。
初日に、やりすぎを抑えておくからこそ、長く飽きずに勉強を続けることができるのです。
中学生になっても親が勉強の内容を把握し、塾に任せっきりにしないようにしていきたいですね。
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低学年のときの作文指導は、実は簡単です。
書き方の間違いもまだかなり多いので、それを直して、直ったことを褒めていれば作文が上達するような感じがします。
だから、学校でも塾でも通信教育でも、低学年の作文指導に力を入れていることが多いのです。
しかし、この低学年のうちに、高学年の作文につながるような指導がないと、課題がだんだん難しくなるにつれて作文が書けなくなります。
そして、たぶんほとんどの作文教室がそういう結果になっているのではないかと思います。
作文の勉強を家庭で続けていると、だんだん親子喧嘩になる場面が増えてきます。
それは、子供が、難しい課題になってくると、だんだん作文が書けなくなってくるからです。
作文を書くというのは、高学年や中学生以上の生徒にとってはかなり負担の大きい勉強です。
まず1200字の作文を1本仕上げるには、時間は1時間から1時間半かかります。しかも、その間休みをとるようなことはできません。
学校の宿題などをいろいろ片付けなければならない中で、毎週作文の時間を確保して、難しい文章を読んで考えて書くということにはかなり強い意志力が必要です。
しかし、そういう苦しい勉強を続けてきた子は、大学生になるころには、必要に応じて楽に文章が書けるようになるのです。
低学年の作文の勉強で大事なのは、作文の土台となる読書と対話にも力を入れていくことです。
そのために、言葉の森では、長文音読、暗唱検定、自主学習クラス、思考発表クラブなどのオプションの勉強に力を入れています。
そして、勉強の中で続けるのは最も難しいと言われる作文の勉強を中心にして、あらゆる教科の勉強の力をつける指導を目指しているのです。
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卒業生からのメッセージ「言葉の森の思い出」
https://www.mori7.com/index.php?e=2108
今年、慶應義塾大学文学部に合格したKMさんが、「言葉の森の思い出」という話を書いてくれました。
KMさんは、小1から言葉の森で勉強し、森リン大賞にも何度も選ばれていました。
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私が言葉の森で作文の勉強を始めたのは、小学1年生の8月でした。
やっと、電話で知らない人と、なんとか話すことができるようになったのが、そのころだったのです。
初めは、本当に、聞かれたことに「はい」と返事をするのがやっとでした。「いいえ」すらも言いにくかったので、沈黙してしまったり。そうすると、先生が「じゃあこうだったのかな?」と逆の質問をしてくれて、やっと「はい」が言えるときに口を開くというような状態でした(笑)。
それでも、先生の質問に答えるかたちで、書くことを決め、電話の後に、今度は母が同じような質問をするので、その答えを作文用紙に書いていったというような記憶があります。
できあがった、確か100字程度の作文は、作文と言えるようなものでもありませんでしたが、返却された作文を見ると、先生が、作文用紙いっぱいに花丸をつけてくれていて、たくさんの「上手!」「うまい!」「すごい!」という文字が踊っているのを見て、大変満足し、「これからも続ける!」と宣言したのでした。
低学年の間は、基本的に毎週そのような調子で気分よく書いていたのですが、字数ランキングに燃えて、ひたすら長く(内容の薄い作文を)書いていたこともありました。かなり時間もかかりましたが、「すごく長くかけたねえ!」と、先生に褒めてもらえるのが嬉しくて、とにかく長く、1000字、2000字と書いていたのです。今思うと、先生にご迷惑だったような。思い出してみると、母もいつも先生に謝っていたような記憶が蘇りました(笑)。
中学年になると、題名が決まっていたので、最初は書きにくく感じましたが、このころは、課題について、父や母や祖母に取材をするのを楽しんでいた時期でもありました。感想文課題は、内容も難しいし、書くのが大変でしたが、先生もいつもヒントを与えてくれたし、両親も、協力してくれました。
5年生になると、長文の内容はさらに難易度が上がり、そのときの私にとって、「難しい」というより「分からない」文章になってしまいました。しかし、たとえ長文全体をよく理解できなくても、感想文を書くことができるように説明してもらえたし(実際、それでなんとか形になっていたと思います)、また、何度も音読をしているうちに、最初は全く分からなかった文章が何となく理解できるようになる、という経験もできました。おかげで、難しい文章に取り組むのが怖くなくなったというか、落ち着いてくり返し読めば分かる、と信じて読めるようになりました。この経験は、その後の中学受験でも、大学受験でも役に立ったと思います。
また、私は、低学年のころから自分でパソコンで作文を書いていたのですが、「今読んでいる本」の欄を利用して、担当の先生と雑談をしたこともいい思い出です。例えば、当時流行っていたドラマの原作小説を読み、それを読書欄に書くついでに、お気に入りの主演俳優の話を書くと、先生も講評の中で返事をくれて、翌週の電話でまた好きなアイドルの話をしたり……といった具合に盛り上がったのも、とても嬉しかったです。言葉の森では、学校の先生よりも長く一人の先生に習うこともあるので、そのような交流が深まるのも楽しいことだと思います。
中学受験を挟み、言葉の森をお休みした時期がありましたが、再開後に取り組んだ勉強は、より具体的に受験小論文に役立ちました。小論文の構成を教えてもらって、どんな形で、どんな順番で書いていけばいいのか、という枠を決められるようになり、中学3年間で勉強した書き方で、ほぼどんなテーマにも対応できる自信がつきました。
実際の第一志望校の小論文課題は、制限字数が短かったのですが、基本的には、言葉の森で教わった「構成」「題材」「表現」「主題」を意識することで、対応できました。そのおかげで、他の教科の勉強に多くの時間を割くことができ、また、例えば、英語の長文を読む際にも、言葉の森の勉強で身につけた日本語読解力に助けられたと思うので、やはり、作文の勉強は、多くのアドバンテージを与えてくれたと思います。
本当に感謝しています。ありがとうございました。
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昨日、小学生のころから言葉の森を始めて高3になる生徒が、最後の作文を書いていました。
難しい課題の作文でしたが、説明を聞いて、いつものようにさらさらと1000字近く書いて、
「4月からもう来ないと思うと、なんか寂しい」
などと言って帰っていました(笑)。
簡単なように見えますが、与えられた課題で人に読ませる文章を書くというのは、大人でもなかなかできません。
作文の勉強というのは、続けていれば必ず上達するということを改めて感じた日でした。
作文は、教えてすぐに上達する子と、なかなか上達しない子がいます。
しかし、どんな子でも、続けていれば最終的には必ず上達します。
言葉の森の通学教室で高3まで作文の勉強を続けていた子供たちの中には、最初から得意な子もいましたが、最初はかなり苦手だという子もいました。
それぞれみんなそれなりに途中のスランプなどもありましたが、最終的にみんな楽に上手に書けるようになっていきました。
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