「国語が苦手なのですが、どうしたらいいですか」というような質問をする場合、その人は、苦手な国語も、算数や英語と同じように、塾に行って専門的に教えてもらえば何とかなるのではないかと思っていると思います。
もちろん、国語の成績を上げるだけなら、ある程度のテクニックを教えるだけで、かなり短期間のうちに成績は上がります。しかし、その上がり方はある程度までです。
成績を上げることは比較的容易にできますが、難しいのは、本当の国語力をつけることです。本当の国語力とは、文章を深く読み取る力と、深く考える文章を書く力です。
しかし、そういう読解力と表現力のテストはあまりありません。それは、採点と評価に時間がかかることと、何よりも問題を作成すること自体が難しいからです。
本当の国語力というものは、点数として評価することは難しいので、学力の差としては目につきにくいものですが、それでも文章を見ると、その生徒の国語力の本当の姿に近いものがわかります。
この本当の国語力は、将来、AIを利用した評価によってもっと一般的に行われるようになると思います。
しかし、そのAIの評価が一般化するころには、入学試験のようなもの自体がなくなっていると思います。
話が進みすぎますが、今、入学試験があるのは、学校に定員があるからです。
なぜ定員があるかとうと、学校というものが場所の制約を持っていて、その結果、机とイスの数や、教える先生の人数に制約があるので、入学する人を制限しなければならないからです。
と考えれば、インターネットを活用した学校の場合は、もともと場所の制約はありません。だから、机やイスの数の制約もなく、教える先生の制約もなく、教え手は世界中から募集することができます。
すると、必然的に、入学者を選抜する必要はなくなるのです。
そのかわり、日常の授業の中での切磋琢磨が、今よりももっと厳しくなります。
すると、本当の実力のある人は、そういう人どうしでグループになり、あまり実力のない人も同じようにあまり実力のない人どうしでグループになるので、特に評価試験のようなものを行わなくても、それぞれの人がその実力に応じて自由に勉強できるようになるのです。
このときに大事になってくる力は、成績を上げる力ではありません。
成績は、実際の知的な交流には役に立ちません。
役に立つは、周囲の人が認めるその人の実力です。
その実力が、国語力なのです。これは、国語力というよりも、むしろ読解力、思考力、表現力と言えるものです。
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学力の要は国語力、国語力の要は作文力。作文は対話によって力がつく
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学力の中で最も大事なものは国語力です。国語力が、他の教科の土台になっているからです。文章を読み取る力があるからこそ、国語以外の教科の勉強も理解することができるのです。
しかし、この国語力ほど曖昧なものもありません。他の教科であれば、出題範囲が決まっていれば、その部分の勉強をすれば必ずよい点が取れます。勉強すれば成績はよくなるというのが、国語以外の他の教科の勉強の特徴です。
国語はそうではありません。せいぜい漢字の書き取りや、文法の勉強をする以外、することがないのです。
国語の勉強というと、多くのは人は国語の問題集を解くような勉強を考えます。しかし、問題集を解いて、手応えのあるような国語力がつくでしょうか。解いたら解いただけで、何も身についているような実感がないのです。
世間の国語の勉強というのは、ほとんどそういうものです。
通信教育の教材でも、国語の勉強というのは、市販の問題集をやるのとほとんど変わりません。問題を解いていると何か勉強をしているような気がしますが、実際は何も身についていないのです。
では、国語の勉強はどのようにしたらいいのでしょうか。
国語力の中心は、読解力です。文章を読んで理解する力です。しかし、この読解力には、浅くしか読めない読解力と、深く読める読解力の差があるのです。
文章として書かれているのは日本語ですから、誰でもそれなりに読むことができます。しかし、その文章の内容について質問されたときに(これが国語の問題です)、その質問に的確に答えられる人と答えられない人がいるのです。
だから、文章を深く読む力が読解力というものです。
読解力はどのようにしてつくかというと、その文章をもとに自分なりにいろいろ考えることによってなのです。
そこで登場するのが作文です。
言葉の森の作文は、小学校低学年のうちは文章を書くことが中心ですが、学年が上がるにつれて、文章を読んで書くという形になっていきます。最初は日常的な事実中心の作文ですが、次第に、感想文のウエイトが増してきます。そして、その感想文のもとになる文章のレベルが上がっていくのです。
その文章をもとに、自分なりに似た例を考え、自分らしい感想を書かなければならないとなると、嫌でも文章を深く読まなければならなくなります。
しかし、文章が難しくなると、ひとりで読み取ることができなくなります。その文章は読めるが、読めても何を書いていいかわからないという状態になるのです。
世間一般の作文通信教育では、こういうときはお手上げです。小学校低中学年の作文を書くところまでであれば、書く段階を追って説明してあれば誰でも一応は書くことができます。
しかし、肝心の難しい文章を読んで感想文を書くというような高度な学習になると、紙の上だけでの通信教材では手も足も出ないという場面が増えてくるのです。
ひとりでは読み取れない文章を読み取る助けになるのは、他の人との対話です。
言葉の森の作文指導は、先生が毎週電話で説明をします。ですから、生徒の読み取れた範囲で更に詳しい説明をすることができます。電話で生徒の反応を聞きながら、その生徒に合った説明をすることができるのです。
これが、作文による国語力アップの勉強法です。
先生が生徒に、文章の内容を聞き、似た例や感想を聞きます。
その生徒の答えに合わせて、先生が更に詳しい説明をします。
生徒が浅くしか読めないときには、もう少し詳しい説明を、生徒が深く読み取っている場合は、更に発展した説明をすることができます。これが電話通信の対話による作文の勉強法です。
また、この対話には、生徒とその家族の対話も含みます。
言葉の森の作文の学習では、似た例を家族に取材するという項目もあります。お父さんやお母さんに、似た例を聞くと、その対話の中で自然に理解が深まっていきます。
文章を読み取る力は、その文章をもとにさまざまな人と対話をする中で育っていきます。
問題集で、文章を読んで、質問に答えて○や×をつけられ、赤ペンで添削されるというような勉強法では、自分の文章力の結果がわかるだけで、何も力がついたことにはなりません。
国語力は、その文章をもとに、ほかの人の話などを参考に、自分なりに深く考える中で初めて身についてくるのです。
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成績の面からだけ考えると、国語の成績の差は大きくありませんし、そのわりに国語力をつけるには時間がかかると思われているので、国語の勉強は後回しになりがちです。
しかし、世の中に出て役に立つのは、国語の成績という意味ではない、本当の国語力です。
子供の勉強を考える場合、成績よりも先にその本当の学力を育てていく必要があります。
その一つが読書に力を入れることです。
親が目を向けるのは、成績ではなくその子の本当の学力です。
今は、模擬試験の前に一夜漬けでがんばるというわけのわからないことをする子もよくいます。みんな、成績にとらわれすぎだと思います。
国語力があることで、数学の読解問題も解くことができますね。国語力はどの科目にも必要です。
目先の成績ばかりにとらわれず、もっと大きな目で「国語力」を大切にしていかなければなりませんね。
どの科目にも共通して必要な国語力をしっかり伸ばしていきたいです。
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親子作文は、そういう生活を盛り込んだ作文の勉強です。
そのときどきの季節の話題をもとにいろいろな経験をして、それを親子で話し、お母さんやお父さんが短い作文にまとめます。
その作文に、子供が絵をかいたり、その作文を読んだりします。
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小学生の作文の勉強というと、ついその学年で作文が上手に書けるようになることと考えがちですが、本当はそれは二義的なことです。
大事なのは、高校生や大学生や社会人になってから、しっかりした論説文が書けるようになることで、そのための練習をするのが小学生の作文なのです。
小学生の子供の作文を見ると、おとなはつい、「あれも直さないと、これも直さないと」という見方をしがちです。
しかし、大事なのは、直すことではなく、直さなくてもいいような作文を最初から書かせることです。
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各学年、ポイントをおさえて学び続けていきたいですね。
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