暗唱検定に合格する生徒が増えてきました。
ほぼ3ヶ月で1000字の文章を丸ごと暗唱してしまうのです。
この日本語暗唱で培った暗唱力と暗唱のコツを、英語の文章の暗唱にも生かしていくことができます。
英語の暗唱は、これまで中学生からの英語の教科書で行うようにすすめていましたが、今度は小学生から英語の暗唱に取り組めるようにする予定です。
小学4~6年生の英語学習の利点は、聞き取りと発音が、中学生になってからよりも自然に身につくことです。
中学生から英語は、文法の学習なども含めた知的なものですが、小4からの英語はもっと感覚的なものが中心になります。
小3までは日本語の暗唱を中心に行い、日本語力と暗唱力をつけておき、小4からそれを英語の暗唱に生かしていくという流れです。
この英語暗唱講座も、自主学習クラスで指導していく予定です。
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先日、小4の生徒の保護者懇談会で、多くの人が英語の勉強を心配していることがわかりました。
英語の勉強を早めに始めるメリットは、よい発音が身につくことです。
しかし、あまり早めに始めると、日本語の基礎がおろそかになります。
そこで、小4から英語の暗唱講座を始めることにしました。
日本語の暗唱をやっている人は、すぐにこの英語の暗唱もできるようになると思います。
これは楽しみです。中学に入り、文法が出てきたときに、覚えていたことの理由がわかり、ますます英語が好きになりそうです。
Google翻訳がAIの採用で精度が増しました。
skype通話も、AIでリアルタイム翻訳を使えるようにしました。
単語や文法を解析して理屈で翻訳するのではなく、語彙群の意味を雰囲気的に翻訳するようです。
この技術進歩は更に加速すると思います。
すると、英語教育は、日本人が英語を学ぶための教育から、英語圏の人に日本語を教えるための教育に進んでいくと思います。
というのは、日本語には、他の言語にはない、日本語脳を育てるという教育機能があるからです。
言語一般が持つのは伝達機能ですが、それはAI翻訳で代替されていきます。
しかし、教育機能は、教育の中で育てるしかできないのです。
だから、英語教育に携わっている人ほど、言葉の森の森林プロジェクトのような日本語作文指導講座に参加して、より幅の広い言語教育という方向に進んでいくといいのだと思います。
しかし、もちろんそれまでは英語学習を独自に進める必要があり、その学習の中心になるのが、小4からの英語暗唱になると思います。
これもおもしろそう!
中1で覚えた教科書の英語、今もまだすらすら言えます(^^♪
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これからは、自分で仕事をする時代です。
その仕事が、人から喜ばれ、自分もやりがいのあるものなら理想的です。
森林プロジェクトは、言葉の森の35年の実績のある教材を使い、自分で作文を教える技術を学ぶための講師資格講座です。
今すぐに教える予定でなくても、資格を取っておけばいつでも指導を始められます。
教材は、幼長から高3までの一貫指導ができるもので、森林プロジェクトのメンバーのための研修会や交流会もあります。
書くことが好きで、子供たちが好きな人はぜひ講師資格こざの資料をご請求ください。
講師資格講座の資料申込みフォーム
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既に多くの人が森林プロジェクトの講座を受け、言葉の森の教材で作文を教えています。
しかし、作文指導は実際にはかなり難しいので、研修や交流が欠かせません。
また、作文検定試験のような評価の基準がなければ、指導を継続することは難しくなります。
参加する人が多くなるほど教材の改良などもしやすくなるので、森林プロジェクトは、これからもっと広げていきたいと思っています。
地域に密着した教室が増えるといいですね。
これまでの日本の社会は、終身雇用、年功序列、正社員志向、寄らば大樹の陰、残業当然、副業禁止の社会でした。
それは、経済全体が成長型の上向きの時代だったからです。
しかし、その仕組は現在大きく崩れつつあります。
あるひとつの仕事が何十年も続き、その市場が広がり発展するというようなことはもうありません。
今は、小さな市場が次々に飽和し、それに応じて新しい市場を次々と生み出さなければならないのです。
だから、大企業ほど合併や買収を盛んにし、グローバリズムで人件費を削減しなければ生き残れなくなっているのです。
そういう社会に対応する方法は、自分でできる仕事を持つことです。
これからの人間は、労働者+消費者ではなく、自らが生産も担う、生産者+労働者+消費者になっていく必要があります。
その生産の一つとして提案しているのが森林プロジェクトです。
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自主学習クラスでは、国語問題集読書の50字感想を行っています。
最初は、50字ぴったりにまとめる練習です。
それができたら、次は、理由を書いてまとめる練習です。
そのあと、似た例を書いたり、たとえを書いたりする練習をして、最終的には考え方を対比させて書く練習をします。
記述問題のいちばんのポイントは、ある考えとある考えを対比させて書くことです。
例えば、「Aだと思う」と書くのではなく、「BではなくAだと思う」と書くことです。
この対比によって、輪郭のはっきりした記述ができるのです。
この問題集読書と50字感想は、家庭でもできますが、しかし親子でやるとうまく行かないことが多いと思います。
それは、親はどうしてもより深い書き方を要求してしまうので、まず子供が勉強を負担に感じるようになり、そのあとやがて、親がそういう勉強を続けることを負担に感じるようになるからです。
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記述問題の力をつけるためには、何しろ書く回数を増やすことです。
理屈で説明を聞いても、記述力を伸びません。
しかし、書く練習がなぜなかなかできなかというと、その書いたものを評価することが難しいからです。
そこで必要になるのが、事後評価ではなく、事前指導に力を入れることなのです。
この記述力をつける練習をしていると、長文を読むことによる読解力もついてきます。
50字感想練習は、文字数が長すぎず、なんとか50字ぴったりにまとめようと、頑張っています。
これは作文も同じです。
答えが決まっている勉強であれば、親も簡単に教えることができ、子供も素直にそれに従います。
しかし、答えの決まっていない勉強では、親は教える時間が取れないか、あるいは教える時間が取れる場合は注意中心の教え方になってしまうのです。
その結果、練習量が確保できなくなってきます。
記述や作文の練習で最も大事なのは、練習量を確保することですから、記述や作文は家庭では学年が上がるほど教えられなくなってくるのです。
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3ヶ月で誰もが1,000字の暗唱が達成できるようになります。
3ヶ月1000字暗唱達成保証付き。
暗唱指導をする自主学習クラスは月4回。受講料は月額2,160円です。
曜日と時間は次の範囲で自由に選べます。月~金の16:30~21:00。
日本語暗唱以外の勉強も希望に応じて選択できます。
家庭でいながらにして、友達と一緒に、先生の個別指導が受けられるます。
今回の募集対象は、小1~小3の生徒です。
言葉の森の生徒以外の方ももちろん参加できます。
お父様お母様も、1日わずか10分お子様と一緒に暗唱を始めれば、頭脳が活性化し生き生きとしてきます。
ウェブ授業ですので、スマホ、又は、タブレット、又は、ウェブカメラ付きパソコン(又はクロームブック)のいずれかが必要です。
(パソコンやクロームブックの方が画面が大きいので操作しやすくなりますが、どの端末でも参加できます。)
【動画】百人一首を7分以内で暗唱し、暗唱検定3級に合格した生徒の暗唱例(小4生)
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暗唱は、やったことのない人にはあまりピンと来ませんが、やった人にはその効果が実感できます。
国語力がつくのはもちろん、学力全体が向上するのです。
いちばんのネックは、お父さんやお母さんが暗唱の経験がないので、子供にやらせるコツがわからないことです。
暗唱の練習をよく知らない人は、「ただ覚えるだけでしょ」とか、「自分がもう年だから暗唱なんてできない」などとよく言います。(笑)
その二つとも違います。
暗唱をすると、頭がよくなるのです。そして、暗唱は方法さえわかれば年齢に関係なく誰でもできるのです。
また、「暗唱する時間が取れない」などと言う人もよくいますが、1日わずか10分ですから、シャワーを浴びながらでも、通学や通勤の道を歩きながらでも、どういうやり方でもできます。
今の暗唱検定に合格している子供たちが親の世代になるころには、日本にもっと暗唱の文化が広がっていると思います。
暗唱はやれば必ずできます。毎日の習慣にすると、わずか10分ほどの散歩道も密度が濃い時間になります。
三年生までの子どもの暗唱力には目を見張るものがあります!
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江戸時代の寺子屋の様子を描いた絵を見ると、子供たちが思い思い自由気ままに手習いをしているように見えます。
しかし、この自主的な勉強スタイルで、当時の日本は世界最高の識字率を達成していました。(江戸時代の日本の識字率70~80%、同時代のヨーロッパ先進国の識字率20~30%)
この教育の普及度が、明治期に日本が短期間の近代化を成功させる要因となりました。
これからの日本に求められるのは、この必要以上に強制のない自主的な教育を新たに復活させることです。
そして、その教育を、現代のインターネット技術を利用して、親子、友達、先生との人間的な触れ合いの中で行っていくことです。
そのことによって、すべての子に十分な基礎学力をつけるとともに、その子の関心に応じた高度な学習を行う場を作ることができるのです。
新しい勉強法、自主学習クラス、思考発表クラブ
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江戸時代というと、遅れていた時代のように考える人がいますが、それは明治政府が意図的に流した宣伝の影響です。
文化の面では、300年も続いた歴史の中で、よいものだけが残り洗練されていきました。
その文化の一つが教育です。
江戸時代の教育のいちばんの特徴は、子供が幸福に学び遊んでいたことです。
当時、日本を訪れていた外国人の多くが、そのことを驚きを持って書き留めています。
そして、その幸福な子供たちが、当時の世界最高水準の教育を受けていたのです。
これを新しいインターネット技術を使って現代に復活させたいと思っています。
江戸時代の寺子屋教育が、一見無秩序に見えるのは、その教育法に誰もが確信を持っていたからです。
だから、悪ふざけするような子供たちも、ある程度許容する余裕があったのです。
子供の成長は、昔も今も変わりません。
江戸時代の寺子屋教育のよい面を復活させることが、これからの教育の課題になると思います。
江戸時代は、何でもリサイクルをして、ゴミは出なかった時代ですね。江戸時代からは、学ぶことがたくさんありそうです。
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「国語が苦手なのですが、どうしたらいいですか」というような質問をする場合、その人は、苦手な国語も、算数や英語と同じように、塾に行って専門的に教えてもらえば何とかなるのではないかと思っていると思います。
もちろん、国語の成績を上げるだけなら、ある程度のテクニックを教えるだけで、かなり短期間のうちに成績は上がります。しかし、その上がり方はある程度までです。
成績を上げることは比較的容易にできますが、難しいのは、本当の国語力をつけることです。本当の国語力とは、文章を深く読み取る力と、深く考える文章を書く力です。
しかし、そういう読解力と表現力のテストはあまりありません。それは、採点と評価に時間がかかることと、何よりも問題を作成すること自体が難しいからです。
本当の国語力というものは、点数として評価することは難しいので、学力の差としては目につきにくいものですが、それでも文章を見ると、その生徒の国語力の本当の姿に近いものがわかります。
この本当の国語力は、将来、AIを利用した評価によってもっと一般的に行われるようになると思います。
しかし、そのAIの評価が一般化するころには、入学試験のようなもの自体がなくなっていると思います。
話が進みすぎますが、今、入学試験があるのは、学校に定員があるからです。
なぜ定員があるかとうと、学校というものが場所の制約を持っていて、その結果、机とイスの数や、教える先生の人数に制約があるので、入学する人を制限しなければならないからです。
と考えれば、インターネットを活用した学校の場合は、もともと場所の制約はありません。だから、机やイスの数の制約もなく、教える先生の制約もなく、教え手は世界中から募集することができます。
すると、必然的に、入学者を選抜する必要はなくなるのです。
そのかわり、日常の授業の中での切磋琢磨が、今よりももっと厳しくなります。
すると、本当の実力のある人は、そういう人どうしでグループになり、あまり実力のない人も同じようにあまり実力のない人どうしでグループになるので、特に評価試験のようなものを行わなくても、それぞれの人がその実力に応じて自由に勉強できるようになるのです。
このときに大事になってくる力は、成績を上げる力ではありません。
成績は、実際の知的な交流には役に立ちません。
役に立つは、周囲の人が認めるその人の実力です。
その実力が、国語力なのです。これは、国語力というよりも、むしろ読解力、思考力、表現力と言えるものです。
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学力の要は国語力、国語力の要は作文力。作文は対話によって力がつく
https://www.mori7.com/index.php?e=1767
学力の中で最も大事なものは国語力です。国語力が、他の教科の土台になっているからです。文章を読み取る力があるからこそ、国語以外の教科の勉強も理解することができるのです。
しかし、この国語力ほど曖昧なものもありません。他の教科であれば、出題範囲が決まっていれば、その部分の勉強をすれば必ずよい点が取れます。勉強すれば成績はよくなるというのが、国語以外の他の教科の勉強の特徴です。
国語はそうではありません。せいぜい漢字の書き取りや、文法の勉強をする以外、することがないのです。
国語の勉強というと、多くのは人は国語の問題集を解くような勉強を考えます。しかし、問題集を解いて、手応えのあるような国語力がつくでしょうか。解いたら解いただけで、何も身についているような実感がないのです。
世間の国語の勉強というのは、ほとんどそういうものです。
通信教育の教材でも、国語の勉強というのは、市販の問題集をやるのとほとんど変わりません。問題を解いていると何か勉強をしているような気がしますが、実際は何も身についていないのです。
では、国語の勉強はどのようにしたらいいのでしょうか。
国語力の中心は、読解力です。文章を読んで理解する力です。しかし、この読解力には、浅くしか読めない読解力と、深く読める読解力の差があるのです。
文章として書かれているのは日本語ですから、誰でもそれなりに読むことができます。しかし、その文章の内容について質問されたときに(これが国語の問題です)、その質問に的確に答えられる人と答えられない人がいるのです。
だから、文章を深く読む力が読解力というものです。
読解力はどのようにしてつくかというと、その文章をもとに自分なりにいろいろ考えることによってなのです。
そこで登場するのが作文です。
言葉の森の作文は、小学校低学年のうちは文章を書くことが中心ですが、学年が上がるにつれて、文章を読んで書くという形になっていきます。最初は日常的な事実中心の作文ですが、次第に、感想文のウエイトが増してきます。そして、その感想文のもとになる文章のレベルが上がっていくのです。
その文章をもとに、自分なりに似た例を考え、自分らしい感想を書かなければならないとなると、嫌でも文章を深く読まなければならなくなります。
しかし、文章が難しくなると、ひとりで読み取ることができなくなります。その文章は読めるが、読めても何を書いていいかわからないという状態になるのです。
世間一般の作文通信教育では、こういうときはお手上げです。小学校低中学年の作文を書くところまでであれば、書く段階を追って説明してあれば誰でも一応は書くことができます。
しかし、肝心の難しい文章を読んで感想文を書くというような高度な学習になると、紙の上だけでの通信教材では手も足も出ないという場面が増えてくるのです。
ひとりでは読み取れない文章を読み取る助けになるのは、他の人との対話です。
言葉の森の作文指導は、先生が毎週電話で説明をします。ですから、生徒の読み取れた範囲で更に詳しい説明をすることができます。電話で生徒の反応を聞きながら、その生徒に合った説明をすることができるのです。
これが、作文による国語力アップの勉強法です。
先生が生徒に、文章の内容を聞き、似た例や感想を聞きます。
その生徒の答えに合わせて、先生が更に詳しい説明をします。
生徒が浅くしか読めないときには、もう少し詳しい説明を、生徒が深く読み取っている場合は、更に発展した説明をすることができます。これが電話通信の対話による作文の勉強法です。
また、この対話には、生徒とその家族の対話も含みます。
言葉の森の作文の学習では、似た例を家族に取材するという項目もあります。お父さんやお母さんに、似た例を聞くと、その対話の中で自然に理解が深まっていきます。
文章を読み取る力は、その文章をもとにさまざまな人と対話をする中で育っていきます。
問題集で、文章を読んで、質問に答えて○や×をつけられ、赤ペンで添削されるというような勉強法では、自分の文章力の結果がわかるだけで、何も力がついたことにはなりません。
国語力は、その文章をもとに、ほかの人の話などを参考に、自分なりに深く考える中で初めて身についてくるのです。
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成績の面からだけ考えると、国語の成績の差は大きくありませんし、そのわりに国語力をつけるには時間がかかると思われているので、国語の勉強は後回しになりがちです。
しかし、世の中に出て役に立つのは、国語の成績という意味ではない、本当の国語力です。
子供の勉強を考える場合、成績よりも先にその本当の学力を育てていく必要があります。
その一つが読書に力を入れることです。
親が目を向けるのは、成績ではなくその子の本当の学力です。
今は、模擬試験の前に一夜漬けでがんばるというわけのわからないことをする子もよくいます。みんな、成績にとらわれすぎだと思います。
国語力があることで、数学の読解問題も解くことができますね。国語力はどの科目にも必要です。
目先の成績ばかりにとらわれず、もっと大きな目で「国語力」を大切にしていかなければなりませんね。
どの科目にも共通して必要な国語力をしっかり伸ばしていきたいです。
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幼児の親子作文は親子の対話の中で書く作文
幼稚園年長のころの学力は、勉強でつくのではなく生活の中でつきます。
ドリルを解くような勉強よりも、親子の対話、お手伝い、読み聞かせ、新しい経験、好きな遊びなどをたっぷりさせていくといいのです。
親子作文は、そういう生活を盛り込んだ作文の勉強です。
そのときどきの季節の話題をもとにいろいろな経験をして、それを親子で話し、お母さんやお父さんが短い作文にまとめます。
その作文に、子供が絵をかいたり、その作文を読んだりします。
また、そのとき写真などを貼ってあげたり、家族のほかの人がコメントを書いてあげたりすれば、作文を通して家族の対話が深まります。
こういう生活の中での知的なやりとりが、子供の将来の最も確実な学力の土台となります。
勉強の基礎は小1から始める親子作文
小学1年生のころは、まだ文字を書くのにも苦労をする時期です。
まして、ひとまとまりの文章を書くというのは、多くの子にとってまだ難しいでしょう。
しかし、文章を書くことを穴埋めドリルのような形で教えると、かえって作文を負担に感じるようになることも多いのです。
親子作文は、そのときどきの季節の話題をもとに親子でいろいろな経験をし、その経験をもとに親子で対話をしながら作文を書くという練習です。
勉強をしているという意識がなくても、自然に考える力が育ち、正しい書き方が身についていきます。
そして、この時期の勉強の仕方が、その後の小学校時代の勉強の土台となります。
親子で作文を書く場合のポイントは、思考発表クラブで毎週説明し、個別相談も受け付けています。
小2の電話指導作文は親子の対話の中で書く作文
小2のころは、書くこと読むことが最も好きになる時期です。
このころの子供は、自分が文章を書けることがうれしくてたまらないので、できるかぎり長く書こうとします。
また、作文と同じように読書も好きになるので、いろいろな文章を読もうとします。
だから、この時期には無理に上手に書かせたり難しい本を読ませたりせずに、書く力読む力をのびのびと育てていくといいのです。
そのためには、小学校高学年や中高生までの長い見通しを持ったカリキュラムで、重点を絞った余裕のある勉強をしていく必要があります。
小2までは、そのときどきの季節の話題や自分の体験した出来事を自由に書く作文課題ですから、家族の触れ合いや対話がいちばん盛んになる時期です。
そういう家庭での生活の中で子供の本当の学力が育っていきます。
小3は作文力と読書力が最も伸びる時期
小3は、作文力と読書力が最も伸びる時期です。
小2までは、頭に浮かんだことをそのまま書いていた子が、小3になると、読み手を意識して自分らしく書こうとするようになります。
それだけ、書き方を工夫して書く力がついてきたのです。だから、作文の字数は、小2のころよりも少なくなることがあります。
読書についても、自分の好きな本が次第にはっきりしてきます。
作文力と読書力が伸びる時期だからこそ、その子の個性を認めつつ、何をどう書きどういう本を読むといいかという方向を示してあげる必要があります。
それが、その後の作文と読書に対する自信と真の実力につながっていきます。
小4は小学生らしい作文が最も上手に書ける時期
小4は、小学生らしい作文が最も上手に書ける時期です。
このあと、小5からは、受験作文にも対応した、考える作文を書く練習をします。小4は、その手前の、身近な経験を表現豊かに書く練習をする時期です。
小4までは、自分のしたことや考えたことを自由に書けるので、このころの作文は小学校時代のその子らしい宝物のような作文になることが多いのです。
この時期に、作文と読書に力を入れることによって、高学年になってからの書く力、読む力の土台ができます。
作文も読書も楽にできるようになったからもう十分だと考えるのではなく、その作文や読書に更に時間をかけ、高学年になってからのより高度な読解力、表現力の土台を作っていくことが大切です。
小5は入試にも対応した考える作文のスタートとなる時期
小5は、入試にも対応した考える作文のスタートとなる時期です。
この時期には、作文だけでなく算数や理科などの教科にも考える要素が多くなり、国語の文章にも思考力を必要とする言葉が増えてきます。
作文も、勉強も、楽しいと同時に苦しくもなる時期ですが、それを乗り越えるのは、小5から育ち始める勉強に対する向上心です。
小5からの考える作文で、子供たちの思考力は急速に成長していきますが、それとともに個人差もまた大きくなります。
書く力の差が大きくなる時期だからこそ、それぞれの子供の実力に対応した個別指導が大切になってきます。
小6の作文は、中高生の小論文の土台
小6の作文は、その後の中高生の小論文の土台となる書き方を練習します。
だから、言葉の森では、高3の受験生も、社会人も、作文の勉強をスタートするときは、小6の課題から始めるのです。
小6のころは、書く力とともに読む力もまた大きく成長する時期で、ものごとの抽象的な本質を読み取る力が育つのもこの時期です。
小6の作文の書き方をしっかり身につければ、それは将来もずっと生きて使える文章力になります。
だからこそ、小6の作文を小学生の作文の仕上げと考えるのではなく、中学生高校生の作文小論文の土台と考えるカリキュラムで勉強していくことが大切になるのです。
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小学生の作文の勉強というと、ついその学年で作文が上手に書けるようになることと考えがちですが、本当はそれは二義的なことです。
大事なのは、高校生や大学生や社会人になってから、しっかりした論説文が書けるようになることで、そのための練習をするのが小学生の作文なのです。
小学生の子供の作文を見ると、おとなはつい、「あれも直さないと、これも直さないと」という見方をしがちです。
しかし、大事なのは、直すことではなく、直さなくてもいいような作文を最初から書かせることです。
それが読書に力を入れることであり、音読や暗唱の練習をすることなのです。
各学年、ポイントをおさえて学び続けていきたいですね。
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勉強は、それ自体が目的なのではなく、何かができるようになるための手段です。
手段を身につけるためには、その手段に習熟することが大切です。
習熟するためには、ひとつのことに絞って繰り返すやり方が最も効率がいいのです。
漢字の勉強などは特にそうです。
教科書でも、問題集でもいいのですが、1冊の教材に絞って、それだけを徹底して繰り返せば漢字は覚えやすくなります。
教育漢字は約1000字、常用漢字は約2000字で、いずれも考えようによってはわずかな字数です。
1冊の教材で繰り返し勉強していれば、どの漢字がどのページのどの辺にあるかということまで頭に入ります。
そうすれば、しっかり定着します。
ところが、今は教材があまりにも豊富なので、次々といろいろな漢字教材に取り組むような勉強の仕方になりがちです。
すると、結局、種類が多くなればなるほど、定着させることが難しくなるのです。
算数・数学の問題集も同じです。
特に小学校低中学年の問題集は、問題集に直接、式や答えを書き込むスタイルになっています。
答えが簡単なので自然にそういうスタイルになってしまうのですが、そうすると、子供は自然に、問題集に答えを書き込む癖がついてしまいます。
すると、その問題集は1回しか使えません。
その1冊をやり終えると、新たに同じ問題集を購入するのはもったいないと思うでしょうから、自然に別の問題集をやるようになります。
すると、1冊を徹底して自分の身につけるという勉強でなくなるので、時間をかけるばかりで、苦手な問題はいつまでも苦手な問題として残ってしまうのです。
1冊を徹底して繰り返すという勉強法は、教材が豊富な時代だからこそ、意識して取り組む必要があるのです。
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漢字の勉強の目的、勉強の目的(facebook記事より)
https://www.mori7.com/index.php?e=1709
漢字の勉強をなぜするのかというと、漢字のテストでいい点を取るためでも、漢検に合格するためでもありません。
小学生の場合は、ふりがなのふっていない少し難しい文章を自由に読めるようになるためです。
読み方をもう知っている大きい生徒の場合は、書きにくい漢字を使って少し難しいことを自由に考えることができるようになるためです。
そのように勉強の根本がはっきりしていれば、テスト前の一夜漬けの勉強などしなくてもいいのです。(してもいいけど)
勉強全体についても同じことが言えます。
勉強の目的は、勉強力を土台として、自分が自由に何かを創造することができるようになることです。
ところが、小さいころから創造的な遊びを制限して、勉強の時間を取りすぎている子も、最近は結構多いのです。
子供は、やる気になる時期が来れば、止めても勉強するようになります。
その勉強の動機になるのが、小さいころから積み上げてきた創造の喜びです。
こういう原点の姿を忘れないようにしていきたいと思っています。
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漢字の勉強が苦手な人が意外と多いので、昔、漢字集を作りました。
これは、古代の千字文(せんじもん)にヒントを得たものです。
教育漢字も、常用漢字も全部網羅していますから、本当はこれでかなり効率よく勉強できます。
(その一部
http://www.mori7.com/kg/koku/jkk.pdf )
本当は教科書がいちばん身近なのですが、教科書の難点は学年配当に縛られていることです。
現実の世界は、学年配当という人為的なルールとは関係のない世界ですから、本当は小1から全部の漢字を読めるようにしておくといいのです。
和俗童子訓は、貝原益軒が81歳のときに著した書物です。
それだけの長い人生経験の裏付けのある教育論がこの本には書かれています。
この和俗童子訓の中で益軒が述べた教育法の基本のひとつは、精選された教材の反復でした。
四書五経のような教材を百字ずつ、百回音読し空に書くという方法だったのです。
将来の自分の夢に向かい、しっかり勉強していきたいですね。
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