子犬を見ていると、全身で生きていることがわかります。
ほしいものがあると、心から、「ほしい、ほしい、ほしい、ほしい」と、そのほしいものをじっと見ています。
ほかの人にどう思われるかという体裁など考えないので、純粋な自分の気持のままに生きている存在なのです。
そして、そのほしいものがもらえると、もううれしくてたまりません。やはり全身で、「うれしい、うれしい、うれしい、うれしい」とうれしさを表現します。そして、すぐ忘れます(笑)。
動物といると心が癒やされるというのは、こういう純粋な喜びを持って生きている存在が身近にいると、人間も自分の本来の姿に戻ることができるからです。
動物と一緒にするのは問題ですが、子供という存在も似ています。
子供はやはり全身で喜びを表現しながら生きています。
江戸時代の子供たちは、本来の人間の姿に近い生き方をしていたようです。
当時、日本に来た外国人の多くがそのことを驚きを持って書き残しています。
朝は早くから寺子屋でみんなと一緒に勉強し、午後は近所でたっぷりあそび、それを周囲の大人が温かく見守っているというのが当時の社会でした。
日本は今でも、子供がひとりで電車に乗って出かけたり、女性がひとりで夜の道を歩いたりすることが普通にできる社会ですが、世界の多くの地域ではそういうことはできません。
江戸時代のころは、今の日本のような平和で穏やかな状態が、更に社会全体に広がっていたのだと思います。
当時は、女性がひとりで東海道を何日もかけて旅することができるほど平和で安全な社会だったのです。
当時は社会全体の目標が、子供が健やかに成長することでした。
それはなぜかというと、経済が成長をやめ社会が安定してくると、世の中を豊かにするものは、そこに住む人間が穏やかで正直で文化的であることになってくるからです。
これは、今の世界の状況と似ています。
物質的な成長は、次第に沈静化しています。物の豊かさが心を動かした時代は、次第に過去のものになりつつあります。
実際には、現在はまだ貧富の格差があり、物質的に恵まれない人は数多くいます。しかし、その人たちにとっても、物の豊かさは幸福の基準にはなっていません。
ひと昔かふた昔前のように、テレビを買ったり自動車を買ったりすると人生が変わるような気がした時代はもうずっと過去のものになっています。
物の時代の終わったあとに来る時代は、文化の時代です。
その文化の時代を豊かに生きるためには、自分だけでなく、周囲の人が、穏やかで正直で文化的で個性的で幸福に生きていることが条件になります。
物の時代は、自分ひとりでも豊かになることができました。
物の時代は、競争で他人に勝つことが豊かさを条件だったので、本質的に他人はどうでもよかったのです。
しかし、文化の時代は周囲の人も一緒に豊かになる必要があります。
そして、その社会で常に新しい文化的な何かが創造されていることが、豊かさを増大させる動因になります。
そういう豊かな社会を作るために最も必要なものは何かと言えば、それは教育で、その教育の最大の要点は、子供が幸福に生きることです。
競争に勝てる子供を育てることではなく、幸福に生きることのできる子供を育てることが教育の第一の目標になります。
そのために必要なことは、家庭と地域社会が、子供の幸福を最重点にして成り立つようになっていることです。
今はまだ大人の都合が優先される社会ですが、その大人の都合の多くは競争社会に勝つための都合ですから、子供の幸福とぶつかることもよくあります。
だから、家庭だけでなく、社会全体で子供の幸福を第一にする仕組みを作っていくことが大事になってくるのです。
動物が幸福に暮らせる社会と子供が幸福に暮らせる社会は共通しています。
動物が幸福に暮らしている社会のイメージとして私が頭に思い浮かべるのは、奈良公園の鹿です。
鹿たちは家畜として食べられるためにいるのではありません。神事や観光のためだけにいるわけでもありません。基本は、人間と共存して幸福に暮らすためにいます。
これから、そういう公園のような社会が、子供を中心として広がっていく時代が来るのだと思います。
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動物のいる生活
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私(森川林)が子供のころ、物心ついたときには既に、家に犬とチャボとアヒルがいました。横浜の普通の都会の話です。
父が動物好きで、いつも何かしらの生き物を飼って、家の中や周囲に放し飼いにしていました。だから、私自身も、そういう生活が普通のものだと感じていました。
昔は、街なかに野良犬などもよくいたので、小学生のころは、友達と近所の野原で野良の子犬を飼っていたこともあります。
中学生になると、急にジュウシマツを飼いたくなり、つがいを買ってもらい、次々に雛を育て手乗りにしました。
動物が近くにいると、何かほっとする気持ちになります。
後年、「ソロモンの指輪」という本で、正確な文は定かではありませんが、「動物との生活を知らない人には、人生の幸福の半分は隠されている」という一節を読み、妙に納得するところがありました。(その分、ほかの幸福を増やせばいいのだとも言えますが。)
そこで、自分の子供が生まれたころ、何よりも犬を飼うことを最優先にしました。子供が保育園のころ、秦野市のブリーダーから1ヶ月半のゴールデンレトリバーを買ってきて、家の中で飼うことにしました。
その後、子供が、近所の公園から野良猫を拾ってきたり、夏祭りですくってきた金魚を飼ったり、カニを飼ったり、カタツムリを飼ったり、やがて野良猫が子供を産んだりと、にぎやかな家になりました。
下の子は、ぜんそく気味でしたが、動物が増えて家の中が汚れてくるにつれて免疫ができたせいか、ぜんそくも自然に治ってしまいました。
子供たちは、もともとみんな動物が好きです。しかし、いろいろな理由で犬や猫を飼えないという家庭も多いと思います。
子供の情操教育というか、自然の人間らしい感情を育てるためには、動物と一緒に暮らす生活は大いに役立つと思います。
この4月に、近所のペットショップから、オカメインコと文鳥の1ヶ月の雛を買ってきました。
動物と共感する感情にも、臨界期というものがあるようで、幼児期から小学校低学年の時期に動物と一緒にいる時間があると、心から動物好きの子になるような気がします。
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理想の教育のイメージはあることにはあるのですが、あちこち手を広げているので、あっちを直ししたり、こっちを直したり、直すのを忘れて更に直すところが広がったり(笑)という生活を今はしています。
やがて、いろいろなことが軌道に乗り、面白い教育システムができると思います。
一昔前までの公立中高一貫校の入試問題は、よく考えられた良問でした。
小学6年生が学校で勉強する範囲で考えて解けば解けるようにできていました。
しかし、倍率が高くなり、問題の性格上採点に時間がかかるようになるにつれて、問題が難化してきました。
また、保護者の中には、入試問題の採点結果を開示するように要求する人も出てきました。
ところが、実際には、記述問題や作文問題で、厳密な客観的採点などはできません。
それやこれやで、何しろ問題を難しくして、合否の境界をはっきりさせようということになったのだと思います。
今の公立中高一貫校の入試問題は、私立中学の入試問題とあまり変わりません。
数学の問題は、訓練をしないと解けないような難問になっています。
また、どの教科も問題量がかなり多く、これもスピードを上げて解く訓練をしないと解けない問題になっています。
考える良問どころか、受験勉強に特化した練習をしなければ対応できない問題ばかりが出されるようになってきたのです。
しかも、それにもかかわらず、合否の妥当性があまりないような結果が出ています。
よくできる生徒が落ちたり、それほどでもない生徒が合格したりしているのです。
小学6年生のほとんどにとって、受験というのは人生の初めての経験です。
その受験で、倍率がかなり高い学校を受験するのですから、落ちる子の方が圧倒的に多くなります。
不合格はそれなりに人生の試練として受け止めることもできますが、それよりも、子供たちにこれからの人生を切り開いていく自信をなくすような影響を与えています。
最初の大きな失敗で、自分の夢もほどほどにしようと思うような子になりがちなのです。
今の若者に夢がないということを言う人がいますが、それは夢を早めに諦めさせる社会になっているからだと思います。
学習塾によっては、公立中高一貫校受験だけでは心配だから、私立も併願した方がいいとすすめるところも出てきます。
その結果、何のために公立中高一貫校の受験を目指したのかわからないような勉強になってしまうことも出てきているのです。
受験は、勉強の目標を作るという点では大きな利点があります。
小学5年生になると、どの子も勉強に対する向上心のようなものが育ってきます。
しかし、今の学校は一斉の授業で勉強するようになっていますから、実力のある生徒にとっては学校の勉強だけでは退屈します。
だから、受験を目標にして勉強するというのは、本当は子供たちの成長にとってプラスになるのです。
では、どうしたらいいかというと、最初から合格しなくてもいいということをはっきりさせた上で、自宅中心の受験勉強をしていくことです。
言葉の森では、今、発表学習コースというオンライン講座を行っていますが、これも、受験に対応できるような高度な勉強を楽しむという姿勢で行っています。
そういう勉強で本質的な学力をつけておき、中学3年生の高校受験でがんばるようにするといいのです。
というのは、中学3年生になると、受験は失敗しても成功しても、それぞれそれなりに人生にとってプラスになるぐらい、子供たちは精神的に成長しているからです。
ただし、この高校受験で思うようなところに行けなくても心配することはありません。
中高一貫校の利点は、数学の勉強を通常よりも1年間又は2年間先取りするので、大学入試の最後の1年間の受験勉強が有利になることにあります。
そのため、公立高校で学校の授業に合わせて、高3で高3の勉強をしている生徒は、1年間のハンディを持って大学入試に臨まなければなりません。
しかし、今はスタディサプリのように、独学で学校の勉強を先取りする機会が持てるようになっています。
小学校時代から、家庭での自学自習の習慣をつけておき、家庭で独自に教材を選び自分のペースで勉強する体制を作れば、学校のペースで勉強するよりもずっと密度の濃い能率的な勉強ができます。
多くの家庭で、家庭学習が行き詰まってくる学年は小学4年生あたりです。
小3までは、親の言うことを聞いて勉強していた子が、小4になると自分の意思で勉強したくなるので、親とうまく行かない場面が出てきます。
また、小4になると、算数の勉強に少しずつ考える要素が出てきます。そして、小5になると、算数も理科も急に難しくなり、小6では更に難しい問題が出てくるようになります。
しかし、これらの入試に対応した難問は、パズルのようなものですから、解き方を覚えて解く訓練をすれば誰でも解けるようになります。
難問を解くことによって、頭がよくなるというような性質の問題ではないのです。
小学4年生からは、本人の自主性を生かしながら勉強し、必要以上の難問は避けて先に進むという勉強スタイルを決めておけば、家庭学習を継続させることは難しくありません。
したがって、異常な難問は避けながら、家庭で自分のペースで勉強し、学校の勉強よりも算数を1年間先取りしておくというのが、これからの理想の勉強スタイルになると思います。
自分ひとりで独自の道を歩むのは、親も子も不安が多いと思いますが、そういう選択をすることによって大きくなってからも自分らしく生きるという姿勢が育っていきます。
ただし、勉強の仕方は家庭によっていろいろあって当然です。
中学で受験しても、高校で受験しても、どういう形でも決めた方針で最善を尽くせばそこから得られるものは必ずあります。
いちばん大事なのは、親が、その道しかないというような狭い思い込みで子供の勉強に臨まないことです。
合否を目的にした勉強では、もちろん合格を目指して真剣に取り組まなければなりません。
しかし、心の奥で、人生は長いのだしそれ以外の道はいくらでもあるという気持ちの余裕を持って子供の成長を見守っていくことが必要なのです。
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公立中高一貫校受験向けの勉強法(その1)
https://www.mori7.com/index.php?e=2140
●説明文を読み取る力をつける
公立中高一貫校の問題は、ほとんどが文章と図表で書かれています。だから、これらの説明的な文章を読む力が必要になってきます。
ところが、子供たちが行っている読書のほとんどは、物語文です。つまり、ストーリーに沿っていれば理解できる易しい文章を読んでいることが多いのです。
物語文の中には、会話だけでストーリーが成り立つようなものもあります。読む力をつけるために大事なことは、ストーリーの面白さだけでなく、地の文の説明がしっかり書かれている本を選ぶことです。
また、物語文だけでなく説明文を読む機会を増やしていくことも大切です。昔、シミュレーションゲームの攻略本などは、小学生の読む説明文の導入的な文章として効果がありました。今はそういうものはあまりありません。
現代では、それぞれの子が、その子の趣味に合わせた説明文の本を、図書館を利用して探していく必要があります。例えば、男の子なら、電車の本や恐竜の本、女の子なら、料理の本や、ファッションの本などになるでしょう。
更に、ストーリのある説明的な文章として、伝記の本を読むのもおすすめできます。
しかし、最も効率的なのは、理科や社会の参考書、そして、国語の入試問題集、更には公立中高一貫校の入試問題集を読書がわりに読んでいくことです。
これらの説明文をばりばり読みこなしていく力が、公立中高一貫校受験向けの基礎学力です。
●教材の選び方
公立中高一貫校受験の勉強として、最もよい教材をひとつ挙げるとすれば、それは全国の公立中高一貫校の過去問題集です。どんな勉強も、まず原典にあたることが大切です。
多くの人は、公立中高一貫校受験向けの問題集や参考書や学習塾に頼ろうとしますが、そのようにワンクッション置いたものではなく、直接過去問にあたることが大切です。
この考え方は、社会に出てからも役に立ちます。例えば、会社の仕事でも、何か問題があったときには、まず現場に行ってみることです。現場に行かずに、他人からの説明を聞いていたのでは、わからないことが必ずあるからです。
最もよい教材が、1年前の過去問だとすると、次によい教材は2年前の過去問です。要するに、過去問に直接あたることが、教材選びの原則です。
●計算力をつける
公立中高一貫校の受験対策で、意外と見落とされがちなのが計算力です。もちろん、計算力は、数学の力というよりも、むしろ実務の力です。計算力は、生活やビジネスでは役に立ちますが、学問に役立つというわけではありません。有名な数学者でも、計算はあまり得意でないという人も多いのです。
しかし、現実の社会生活を送る上では、正しく速い計算力は、いろいろな場面で役に立ちます。だから、江戸時代でも、読み書きと算盤(そろばん)の教育が行われていたのです。
受験でも、この計算力はかなり重要です。特に、公立中高一貫校の算数の問題では、考える問題はパズルや図形のものに限られてくるので、理科や社会との融合問題の中で、比の計算や割合の計算が出されることが多いのです。
このとき、割り算をするスピードと正確さにかなりの差が出てきます。誰でもできる計算なのですが、それを早く済ませられる子は、ほかの問題に時間をかけて取り組むことができます。
割り算をのスピードを上げるには、練習によって慣れなければなりません。江戸時代には、九九のように割り算を暗唱する勉強法がありました。言葉の森でも、いつか繰り下がりのある割り算の暗唱をやっていきたいと思っています。
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公立中高一貫校受験向けの勉強法(その2)
https://www.mori7.com/index.php?e=2141
●じっくり考えて1問解くよりも、答えを見ながら10問読む
勉強の能率で、最も差のつくのが、解く勉強法と読む勉強法の違いです。ほとんどの人は、問題を見ると、自分で解こうとします。自分で解くまでは答えを見ないという方法で、1問を解くのに時間をかける人が多いのです。
そういう解き方ではなく、答えを見ながら10問読む方がずっと能率のよい勉強になります。
大学入試の問題集では、問題のすぐ近くに答えの載っているものがかなりあります。それは、高校生になると自然にそういう能率のよい読む勉強法をする人が増えるからです。
ところが、小中学生の問題集は、答えが別冊になっているものがほとんどです。これは、小中学生は勉強の自覚がまだないので、答えを写して形だけやったように見せる子がいるためです。
だから、小中学生のときに、親から勉強の意義を理解させておく必要があります。つまり、勉強は、人に見せるためのものではなく、自分を向上させるためのものだということを、折にふれて伝えていくのです。
そういう教え方をしていれば、塾や学校のテストで悪い点数を取ったときでも、驚くことはなく、むしろ弱点がわかってよかったと喜べるようになります。
●最後は書く力
書く力は、言葉の森で毎週作文を書いていれば、自然に身につきます。
書く勉強は、負担が大きいので、ひとりで続けるのは難しい面があります。もし、家庭で書く勉強をするとしたら(これは、作文のような長い文章ではなく、50字から200字の短い記述式の問題を解くときに、言葉の森で教えている方法ですが)、問題文を読んでそれに対して、150字なら150字の字数を決めて感想を書く練習をしていくことです。
このときに大事なのは、AではなくBであるというように、対比のはっきりさせた文章を書いていくことです。
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