今の子供たちは、小さいころからいろいろな習い事をしています。
しかし、その習い事に追われて、読書が後回しになっている子が多いのです。
低中学年のころは、読書の不足というのはあまり目立ちません。
読書の不足から来る国語力の低下が大きな問題となってくるのは高学年からです。
しかし、その根は低学年のころから既に生まれています。
国語の成績をよくするコツは、ひとことで言えば難しい文章を読み取る力をつけることです。
物語文の場合は、複雑で屈折した心情を読み取る力です。登場人物の気持ちに共感する力と言ってもいいと思います。
テレビやゲームなどの勧善懲悪の単純な世界に浸っている間は、こういう複雑な心情の読み取りがなかなかできません。
説明文の場合は、抽象的な語彙で組み立てられている話を理解する力です。
この物事を抽象化する力は、小学5年生あたりからついてきますが、それ以前の低学年のうちに既に読み取り力の差は出ています。
簡単な例をあげると、「これからは物の時代ではなく事の時代だ」などという文を読ませれば、小学校低学年の子も高学年の子も普通に読むことができます(漢字にルビがふってあればですが)。そして、書かれていることは表面的にはわかります。
しかし、その読み取りの深さは、本人の抽象化する力によって大きな差があります。
説明文を読んで面白さを感じる子は、この読み取る力のある子です。説明文を読むと眠くなるのは読む力のない子です。
この読み取りの深さの差が、将来の国語力の差となってきます。
では、どうしたらよいかというと、その対策はただ一つ、そういう難しい文章を読み慣れることなのです。
言葉の森では、小3から感想文の勉強に入るので、説明文の長文を読んで感想を書く練習をするようになります。
この準備として、家で長文を事前に読み、その長文に関して家族で話をし、両親に似た話を聞いてくるような子は国語力がついてきます。
そのきっかけ作りの一つとして、思考発表クラブでは、作文の予習となる話をして両親との対話がしやすくなるようにしています。
もう一つ、自主学習クラスでは、問題集読書をして難しい文章を読む練習をしています。
また、どちらも、読んでいる本を友達や先生に紹介してもらい、読書に関する意識が高まるようにしています。
今の世の中は、映像やアイコンや短い文章が氾濫しているので、長い文章を読み取る力は年々低下しています。
これが、自然に任せていれば、本を読むようになり、やがて難しい読書に進むようになった過去の時代との大きな違いです。
今は、家庭学習の一環として、文章を読み取る力をつけていくことを真剣に考えなければならない時代です。
その読み取る力は、あらゆる勉強に優先して行う必要があるのです。
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国語の成績をよくするための三つの対策
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国語の成績をよくするためには、まず国語の成績が悪い原因を考える必要があります。
「国語の成績だけが悪かったんです」と、テストを持ってきてくれる中学生がいます。
子供も親も、たぶん先生も、点数にしか目が向きません。国語のテストの点数がよい子が、国語力のある子と考えてしまうのです。
テストの中身を見れば、その点数がどういう原因でそうなっているかがわかります。
以下、その原因をもとに、どうしたらよいかという対策を書いていきます。
成績が悪い原因は、大きく三つに分かれます。
第一は、勉強していないことです。
第二は、解き方のコツを理解していないことです。
第三は、読む力がないことです。
点数が悪いだけで偏差値上は何も問題がないということもあります。だから、本当は点数ではなく、平均点との差や順位の方が大事なのです。
第一の「勉強をしていないこと」は、問題を見ればわかります。
中学生のころの国語は、問題の分野が、漢字、文法、古典、読解、記述などに分かれています。
定期テストは出題範囲が決まっているのですから、漢字は読みも書きも全部できていて当然です。ここで数問間違えていたら、それは勉強をしていなかったということです。
次の文法も、古典も、同じです。これは、国語力ではありません。単なる国語的な知識の問題ですから、文法と古典ができていなかったら、そのための問題演習をしていなかったということです。
こういう言い方はよくないかもしれませんが、先生は点数に差をつけやすくするために問題を出しています。文法と古典は、勉強しているかいないかではっきり差がつき、問題も作りやすいからテストの問題となっているのです。
一度テストを受ければ、その先生がどういう傾向の問題を出すのかわかるのですから、それを毎回同じように文法と古典で点を落とすのは、勉強の対策ができていないということです。
漢字、文法、古典で×がいくつかあると、そのあとの記述の問題も自然に辛くなります。逆に、漢字、文法、古典で○が続いている生徒には、先生の心理として、記述も甘めに採点したくなるのです。
対策は、簡単です。定期テストの前に、時間を取って国語の出題範囲の勉強をすることだけです。
第二の「解き方のコツを理解していない」場合です。これも、問題と答え方を見ればわかります。
共通点は、問題文をきれいに、何の傍線も引かずに読んでいることです。そして、選択問題も、ただ合っていそうなものに○をつけて選んでいるだけです。
読解の点数を上げるには、問題文には必ず傍線を引いて読み、選択肢はどの選択肢についてもなぜその選択肢が○でないかというメモをしておかなければなりません。
何度も書きますが、テストの多くは差をつけることが目的です。感覚的に合っていそうなものを選べば×になるように作ってあるのがテストです。だから、その裏を読んで、合っていないものを理詰めで消去していって残ったものを○にするのです。
作文を読んでいると、その生徒の本当の国語力が大体わかります。作文はよく考えて書いているのに、国語の成績が悪いという生徒は、この解き方のコツを理解していないか、理解したつもりになっていても実践していないかのどちらかです。
こういう生徒は、実際の問題と照らし合わせて1、2時間も説明すれば、すぐに成績が上がります。中1や中2で、数学も英語もよくできるのに国語の成績だけが悪いという人がときどきいます。こういう生徒に解き方のコツを説明すると、次のテストからすぐに成績が上がります。そして、中3になるころには、「苦手だった国語がいちばん成績がよくなった」という嘘のような話になるのです。
これは、高校生でも同じです。高3の8月ごろというのは、もう実力もほぼ固まってきているころですが、この時期に、国語の苦手だという生徒に、センター試験の解き方などを説明すると、次の回から一気に成績が上がります。しかし、それはもちろん本人の読む力の範囲でのことです。
第三は、その「読む力がない」という原因です。
小学生では、文章を音読させてみると、たどたどしくしか読めないというのが、読む力のない状態です。それは、本人のせいではありません。だから、子供を叱るのではなく、親がまず反省して、気長に簡単なところから読書の生活を始める必要があります。
よく、「うちの子はどんなに言っても本を読まないんです」と、まるで本人が悪いかのように言う人がいますが、小学生の場合、本を読まないのは、子供の問題ではなく親の工夫の仕方の問題です。
話は変わりますが、今、寺子屋オンエアでは、勉強の前に読んでいる本を見せてもらい、勉強が早めに終わったときはその本を読んでおくようにしています。それだけで、どの子も毎日本を読むようになります。読書は、その生徒にとって難しすぎる本を与えていないかぎり、誰でもすぐにできるものなのです。
中高生では、さすがにたどたどしく読むという生徒はいません。しかし、中高生の読む力は、難しい言葉を知っているかどうかということに現れます。大学入試でよく出てくる「恣意的(しいてき)」などという言葉がその例です。こういう言葉が読めないということは、意味も理解できていないということです。
国語の問題文の中に、自分の知らない語句がいくつかあると、その文章を表面では読んでいても、中身が理解できなくなります。特に、高校入試や大学入試の問題文は、やはり点数の差をつけるためにだ作られていますから、文章の最初の方に特にそういう読みにくい言葉が並んでいることが多いのです。問題文を最後まで一息で読めば、全体は理解しやすくなるのですが、語句を知らない生徒は最初の方で時間がかかり、一息に読むということができません。
読書でもそうですが、最もよい読み方は、できるだけ早く全体を読み終えるということです。時間をかけて何日もかけてじっくり読んでいると、かえって全体像が頭に入りません。国語の問題文も、すばやく読み切ることが大事です。
では、中高生が読む力をつけるためには、どうしたらよいかというと、それもやはり読書なのです。先ほどの「恣意的」などという言葉が入っている文章を読むことが、読む力をつける最良の道です。しかし、そういう本を実際に読める子はなかなかいないので、そのために、言葉の森がすすめているのが問題集読書です。しかし、この問題集読書も、家庭ではなかなかできません。その理由は、形の残る勉強でないことと、読む力が伴わないうちはやはり面白くないということがあるからです。そこで、これも、寺子屋オンエアで行う勉強の中に組み込むようにしています。
国語の成績が悪いという場合は、以上のようにいくつかの原因があります。お父さん、お母さんは、点数だけ見て判断せずに、まずその問題の中身を見て、自分も一緒に問題を解いてみてください。そうすると、成績の悪い原因がどこにあるかがわかり、対策も立てられるようになります。
このように考えると、国語の成績とは、国語力とは少し違うのです。入試が過酷になると、成績と学力は更にずれてきます。それは、どの教科でも同じです。
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今は低学年のうちからいろいろな習い事で忙しい子が多いようです。
それらの習い事はそれぞれにそれなりの成果はあるのですが、国語力のない子はその後伸びません。
逆に、国語力さえあれば、ほかのことは何もしていなくても必要になったときにすぐに身につけることができます。
そういう大事な国語力なのですが、その国語力をつける勉強というのがどうしたらいいかわかりません。
そこで漢字の練習などを始める人も多いのですが、漢字の練習では国語力はつきません。
国語力をつけるドリルのようなものありますが、それで国語力がつくことはありません。
国語力は、作文とセットになった長文を読むことによってついてくるのです。
すべての学力の基礎は国語力で、国語力の本質は読書力です。
しかし、本なら何でもいいというのではありません。
読書は多読が一つの柱ですが、もう一つの柱は難読(難しい本を読むこと)です。
易しい面白い本でたっぷり読書を楽しみ、その一方で難しい本を読むという読書の生活をしていくことなのです。
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● 子供の向上心にこたえるような、学校を超えた高度な勉強をさせたい。
● しかし、進学塾の詰め込みと競争の教育を、あまり早くからさせたくない。
● 受験期には受験勉強に集中できるように算数だけは1年間先取りさせておきたい。
● しかし、早い時期から時間をかけて量をこなすような勉強はさせたくない。
● そういう高度な勉強を、家庭でオンラインで手軽に行いたい。
● そして、同じような勉強をする友達と交流できる機会を作りたい。
■しかも、6~7名までの少人数制。
■先生が子供たちの発表を引き出す生き生きとした授業。
■そういう密度の濃い少人数授業なのに、受講料は驚くほど低価格(月4回月額2,160円)。
■また、保護者と先生の懇談や情報交換の機会がある。
■だから、保護者が勉強の内容を把握でき、必要に応じていつでも先生に相談ができる。
◆現在、次の日程で思考発表クラブを行っています。
◆定員に余裕のあるところは、無料体験学習が2回できます。
◆また、同学年で参加を希望する生徒がある程度集まれば、新たに曜日時間を開設します。
小1 火 1800~1845
小2 水 1800~1845
小3 木 1800~1845
小4 火 1900~1945
小5 水 1900~1945
小6 月 1800~1845
●体験学習参加のお申込みは、ウェブフォームから、又は、お電話でお願いします。
https://www.mori7.net/teraon/teraform.php
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思考発表クラブというのは、どういう勉強をするのかわからないという人がいると思うのでその説明です。
要は、学校の勉強よりも高度な考える勉強をしたい、しかし、大量の宿題で詰め込むような勉強はしたくない、と考える人向けの講座です。
詰め込む勉強は、今の社会では、受験の一時期に関しては必要です。
しかし、そういう勉強を早くから先取りする必要はないのです。
それよりも、読書と対話と思考と発表で、本当の考える力をつけておく方が、子供の将来にとってはずっとプラスになるのです。
思考発表クラブというのは、その名前のとおり、思考することと発表することを中心とした勉強をする場です。
今の社会では、考えずに詰め込む勉強や、ただ受け身で聞くだけの勉強が多いので、そういう勉強はほどほどにして、もっと身のある勉強をしようと思ったのです。
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子犬を見ていると、全身で生きていることがわかります。
ほしいものがあると、心から、「ほしい、ほしい、ほしい、ほしい」と、そのほしいものをじっと見ています。
ほかの人にどう思われるかという体裁など考えないので、純粋な自分の気持のままに生きている存在なのです。
そして、そのほしいものがもらえると、もううれしくてたまりません。やはり全身で、「うれしい、うれしい、うれしい、うれしい」とうれしさを表現します。そして、すぐ忘れます(笑)。
動物といると心が癒やされるというのは、こういう純粋な喜びを持って生きている存在が身近にいると、人間も自分の本来の姿に戻ることができるからです。
動物と一緒にするのは問題ですが、子供という存在も似ています。
子供はやはり全身で喜びを表現しながら生きています。
江戸時代の子供たちは、本来の人間の姿に近い生き方をしていたようです。
当時、日本に来た外国人の多くがそのことを驚きを持って書き残しています。
朝は早くから寺子屋でみんなと一緒に勉強し、午後は近所でたっぷりあそび、それを周囲の大人が温かく見守っているというのが当時の社会でした。
日本は今でも、子供がひとりで電車に乗って出かけたり、女性がひとりで夜の道を歩いたりすることが普通にできる社会ですが、世界の多くの地域ではそういうことはできません。
江戸時代のころは、今の日本のような平和で穏やかな状態が、更に社会全体に広がっていたのだと思います。
当時は、女性がひとりで東海道を何日もかけて旅することができるほど平和で安全な社会だったのです。
当時は社会全体の目標が、子供が健やかに成長することでした。
それはなぜかというと、経済が成長をやめ社会が安定してくると、世の中を豊かにするものは、そこに住む人間が穏やかで正直で文化的であることになってくるからです。
これは、今の世界の状況と似ています。
物質的な成長は、次第に沈静化しています。物の豊かさが心を動かした時代は、次第に過去のものになりつつあります。
実際には、現在はまだ貧富の格差があり、物質的に恵まれない人は数多くいます。しかし、その人たちにとっても、物の豊かさは幸福の基準にはなっていません。
ひと昔かふた昔前のように、テレビを買ったり自動車を買ったりすると人生が変わるような気がした時代はもうずっと過去のものになっています。
物の時代の終わったあとに来る時代は、文化の時代です。
その文化の時代を豊かに生きるためには、自分だけでなく、周囲の人が、穏やかで正直で文化的で個性的で幸福に生きていることが条件になります。
物の時代は、自分ひとりでも豊かになることができました。
物の時代は、競争で他人に勝つことが豊かさを条件だったので、本質的に他人はどうでもよかったのです。
しかし、文化の時代は周囲の人も一緒に豊かになる必要があります。
そして、その社会で常に新しい文化的な何かが創造されていることが、豊かさを増大させる動因になります。
そういう豊かな社会を作るために最も必要なものは何かと言えば、それは教育で、その教育の最大の要点は、子供が幸福に生きることです。
競争に勝てる子供を育てることではなく、幸福に生きることのできる子供を育てることが教育の第一の目標になります。
そのために必要なことは、家庭と地域社会が、子供の幸福を最重点にして成り立つようになっていることです。
今はまだ大人の都合が優先される社会ですが、その大人の都合の多くは競争社会に勝つための都合ですから、子供の幸福とぶつかることもよくあります。
だから、家庭だけでなく、社会全体で子供の幸福を第一にする仕組みを作っていくことが大事になってくるのです。
動物が幸福に暮らせる社会と子供が幸福に暮らせる社会は共通しています。
動物が幸福に暮らしている社会のイメージとして私が頭に思い浮かべるのは、奈良公園の鹿です。
鹿たちは家畜として食べられるためにいるのではありません。神事や観光のためだけにいるわけでもありません。基本は、人間と共存して幸福に暮らすためにいます。
これから、そういう公園のような社会が、子供を中心として広がっていく時代が来るのだと思います。
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動物のいる生活
https://www.mori7.com/index.php?e=2145
私(森川林)が子供のころ、物心ついたときには既に、家に犬とチャボとアヒルがいました。横浜の普通の都会の話です。
父が動物好きで、いつも何かしらの生き物を飼って、家の中や周囲に放し飼いにしていました。だから、私自身も、そういう生活が普通のものだと感じていました。
昔は、街なかに野良犬などもよくいたので、小学生のころは、友達と近所の野原で野良の子犬を飼っていたこともあります。
中学生になると、急にジュウシマツを飼いたくなり、つがいを買ってもらい、次々に雛を育て手乗りにしました。
動物が近くにいると、何かほっとする気持ちになります。
後年、「ソロモンの指輪」という本で、正確な文は定かではありませんが、「動物との生活を知らない人には、人生の幸福の半分は隠されている」という一節を読み、妙に納得するところがありました。(その分、ほかの幸福を増やせばいいのだとも言えますが。)
そこで、自分の子供が生まれたころ、何よりも犬を飼うことを最優先にしました。子供が保育園のころ、秦野市のブリーダーから1ヶ月半のゴールデンレトリバーを買ってきて、家の中で飼うことにしました。
その後、子供が、近所の公園から野良猫を拾ってきたり、夏祭りですくってきた金魚を飼ったり、カニを飼ったり、カタツムリを飼ったり、やがて野良猫が子供を産んだりと、にぎやかな家になりました。
下の子は、ぜんそく気味でしたが、動物が増えて家の中が汚れてくるにつれて免疫ができたせいか、ぜんそくも自然に治ってしまいました。
子供たちは、もともとみんな動物が好きです。しかし、いろいろな理由で犬や猫を飼えないという家庭も多いと思います。
子供の情操教育というか、自然の人間らしい感情を育てるためには、動物と一緒に暮らす生活は大いに役立つと思います。
この4月に、近所のペットショップから、オカメインコと文鳥の1ヶ月の雛を買ってきました。
動物と共感する感情にも、臨界期というものがあるようで、幼児期から小学校低学年の時期に動物と一緒にいる時間があると、心から動物好きの子になるような気がします。
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理想の教育のイメージは、
1.人に教えてもらうだけの勉強ではなく、自ら進んで自主的に学ぶ勉強
2.知識の詰め込みを中心にした勉強ではなく、創造と発表を中心とした勉強
3.そして、朝は早くから寺子屋風に勉強し、午後は自然の中で友達とたっぷり遊び、夕方は家族と談話する生活
です。
それらを、自主学習クラス、思考発表クラブ、自然寺子屋合宿教室で実現していきたいと思っています。
そこに、創造性を育てる作文教育を組み合わせ、その教育を担う人を森林プロジェクトで育てていくというのが今後の展望です。
理想の教育のイメージはあることにはあるのですが、あちこち手を広げているので、あっちを直ししたり、こっちを直したり、直すのを忘れて更に直すところが広がったり(笑)という生活を今はしています。
やがて、いろいろなことが軌道に乗り、面白い教育システムができると思います。
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一昔前までの公立中高一貫校の入試問題は、よく考えられた良問でした。
小学6年生が学校で勉強する範囲で考えて解けば解けるようにできていました。
しかし、倍率が高くなり、問題の性格上採点に時間がかかるようになるにつれて、問題が難化してきました。
また、保護者の中には、入試問題の採点結果を開示するように要求する人も出てきました。
ところが、実際には、記述問題や作文問題で、厳密な客観的採点などはできません。
それやこれやで、何しろ問題を難しくして、合否の境界をはっきりさせようということになったのだと思います。
今の公立中高一貫校の入試問題は、私立中学の入試問題とあまり変わりません。
数学の問題は、訓練をしないと解けないような難問になっています。
また、どの教科も問題量がかなり多く、これもスピードを上げて解く訓練をしないと解けない問題になっています。
考える良問どころか、受験勉強に特化した練習をしなければ対応できない問題ばかりが出されるようになってきたのです。
しかも、それにもかかわらず、合否の妥当性があまりないような結果が出ています。
よくできる生徒が落ちたり、それほどでもない生徒が合格したりしているのです。
小学6年生のほとんどにとって、受験というのは人生の初めての経験です。
その受験で、倍率がかなり高い学校を受験するのですから、落ちる子の方が圧倒的に多くなります。
不合格はそれなりに人生の試練として受け止めることもできますが、それよりも、子供たちにこれからの人生を切り開いていく自信をなくすような影響を与えています。
最初の大きな失敗で、自分の夢もほどほどにしようと思うような子になりがちなのです。
今の若者に夢がないということを言う人がいますが、それは夢を早めに諦めさせる社会になっているからだと思います。
学習塾によっては、公立中高一貫校受験だけでは心配だから、私立も併願した方がいいとすすめるところも出てきます。
その結果、何のために公立中高一貫校の受験を目指したのかわからないような勉強になってしまうことも出てきているのです。
受験は、勉強の目標を作るという点では大きな利点があります。
小学5年生になると、どの子も勉強に対する向上心のようなものが育ってきます。
しかし、今の学校は一斉の授業で勉強するようになっていますから、実力のある生徒にとっては学校の勉強だけでは退屈します。
だから、受験を目標にして勉強するというのは、本当は子供たちの成長にとってプラスになるのです。
では、どうしたらいいかというと、最初から合格しなくてもいいということをはっきりさせた上で、自宅中心の受験勉強をしていくことです。
言葉の森では、今、発表学習コースというオンライン講座を行っていますが、これも、受験に対応できるような高度な勉強を楽しむという姿勢で行っています。
そういう勉強で本質的な学力をつけておき、中学3年生の高校受験でがんばるようにするといいのです。
というのは、中学3年生になると、受験は失敗しても成功しても、それぞれそれなりに人生にとってプラスになるぐらい、子供たちは精神的に成長しているからです。
ただし、この高校受験で思うようなところに行けなくても心配することはありません。
中高一貫校の利点は、数学の勉強を通常よりも1年間又は2年間先取りするので、大学入試の最後の1年間の受験勉強が有利になることにあります。
そのため、公立高校で学校の授業に合わせて、高3で高3の勉強をしている生徒は、1年間のハンディを持って大学入試に臨まなければなりません。
しかし、今はスタディサプリのように、独学で学校の勉強を先取りする機会が持てるようになっています。
小学校時代から、家庭での自学自習の習慣をつけておき、家庭で独自に教材を選び自分のペースで勉強する体制を作れば、学校のペースで勉強するよりもずっと密度の濃い能率的な勉強ができます。
多くの家庭で、家庭学習が行き詰まってくる学年は小学4年生あたりです。
小3までは、親の言うことを聞いて勉強していた子が、小4になると自分の意思で勉強したくなるので、親とうまく行かない場面が出てきます。
また、小4になると、算数の勉強に少しずつ考える要素が出てきます。そして、小5になると、算数も理科も急に難しくなり、小6では更に難しい問題が出てくるようになります。
しかし、これらの入試に対応した難問は、パズルのようなものですから、解き方を覚えて解く訓練をすれば誰でも解けるようになります。
難問を解くことによって、頭がよくなるというような性質の問題ではないのです。
小学4年生からは、本人の自主性を生かしながら勉強し、必要以上の難問は避けて先に進むという勉強スタイルを決めておけば、家庭学習を継続させることは難しくありません。
したがって、異常な難問は避けながら、家庭で自分のペースで勉強し、学校の勉強よりも算数を1年間先取りしておくというのが、これからの理想の勉強スタイルになると思います。
自分ひとりで独自の道を歩むのは、親も子も不安が多いと思いますが、そういう選択をすることによって大きくなってからも自分らしく生きるという姿勢が育っていきます。
ただし、勉強の仕方は家庭によっていろいろあって当然です。
中学で受験しても、高校で受験しても、どういう形でも決めた方針で最善を尽くせばそこから得られるものは必ずあります。
いちばん大事なのは、親が、その道しかないというような狭い思い込みで子供の勉強に臨まないことです。
合否を目的にした勉強では、もちろん合格を目指して真剣に取り組まなければなりません。
しかし、心の奥で、人生は長いのだしそれ以外の道はいくらでもあるという気持ちの余裕を持って子供の成長を見守っていくことが必要なのです。
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公立中高一貫校受験向けの勉強法(その1)
https://www.mori7.com/index.php?e=2140
●説明文を読み取る力をつける
公立中高一貫校の問題は、ほとんどが文章と図表で書かれています。だから、これらの説明的な文章を読む力が必要になってきます。
ところが、子供たちが行っている読書のほとんどは、物語文です。つまり、ストーリーに沿っていれば理解できる易しい文章を読んでいることが多いのです。
物語文の中には、会話だけでストーリーが成り立つようなものもあります。読む力をつけるために大事なことは、ストーリーの面白さだけでなく、地の文の説明がしっかり書かれている本を選ぶことです。
また、物語文だけでなく説明文を読む機会を増やしていくことも大切です。昔、シミュレーションゲームの攻略本などは、小学生の読む説明文の導入的な文章として効果がありました。今はそういうものはあまりありません。
現代では、それぞれの子が、その子の趣味に合わせた説明文の本を、図書館を利用して探していく必要があります。例えば、男の子なら、電車の本や恐竜の本、女の子なら、料理の本や、ファッションの本などになるでしょう。
更に、ストーリのある説明的な文章として、伝記の本を読むのもおすすめできます。
しかし、最も効率的なのは、理科や社会の参考書、そして、国語の入試問題集、更には公立中高一貫校の入試問題集を読書がわりに読んでいくことです。
これらの説明文をばりばり読みこなしていく力が、公立中高一貫校受験向けの基礎学力です。
●教材の選び方
公立中高一貫校受験の勉強として、最もよい教材をひとつ挙げるとすれば、それは全国の公立中高一貫校の過去問題集です。どんな勉強も、まず原典にあたることが大切です。
多くの人は、公立中高一貫校受験向けの問題集や参考書や学習塾に頼ろうとしますが、そのようにワンクッション置いたものではなく、直接過去問にあたることが大切です。
この考え方は、社会に出てからも役に立ちます。例えば、会社の仕事でも、何か問題があったときには、まず現場に行ってみることです。現場に行かずに、他人からの説明を聞いていたのでは、わからないことが必ずあるからです。
最もよい教材が、1年前の過去問だとすると、次によい教材は2年前の過去問です。要するに、過去問に直接あたることが、教材選びの原則です。
●計算力をつける
公立中高一貫校の受験対策で、意外と見落とされがちなのが計算力です。もちろん、計算力は、数学の力というよりも、むしろ実務の力です。計算力は、生活やビジネスでは役に立ちますが、学問に役立つというわけではありません。有名な数学者でも、計算はあまり得意でないという人も多いのです。
しかし、現実の社会生活を送る上では、正しく速い計算力は、いろいろな場面で役に立ちます。だから、江戸時代でも、読み書きと算盤(そろばん)の教育が行われていたのです。
受験でも、この計算力はかなり重要です。特に、公立中高一貫校の算数の問題では、考える問題はパズルや図形のものに限られてくるので、理科や社会との融合問題の中で、比の計算や割合の計算が出されることが多いのです。
このとき、割り算をするスピードと正確さにかなりの差が出てきます。誰でもできる計算なのですが、それを早く済ませられる子は、ほかの問題に時間をかけて取り組むことができます。
割り算をのスピードを上げるには、練習によって慣れなければなりません。江戸時代には、九九のように割り算を暗唱する勉強法がありました。言葉の森でも、いつか繰り下がりのある割り算の暗唱をやっていきたいと思っています。
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公立中高一貫校受験向けの勉強法(その2)
https://www.mori7.com/index.php?e=2141
●じっくり考えて1問解くよりも、答えを見ながら10問読む
勉強の能率で、最も差のつくのが、解く勉強法と読む勉強法の違いです。ほとんどの人は、問題を見ると、自分で解こうとします。自分で解くまでは答えを見ないという方法で、1問を解くのに時間をかける人が多いのです。
そういう解き方ではなく、答えを見ながら10問読む方がずっと能率のよい勉強になります。
大学入試の問題集では、問題のすぐ近くに答えの載っているものがかなりあります。それは、高校生になると自然にそういう能率のよい読む勉強法をする人が増えるからです。
ところが、小中学生の問題集は、答えが別冊になっているものがほとんどです。これは、小中学生は勉強の自覚がまだないので、答えを写して形だけやったように見せる子がいるためです。
だから、小中学生のときに、親から勉強の意義を理解させておく必要があります。つまり、勉強は、人に見せるためのものではなく、自分を向上させるためのものだということを、折にふれて伝えていくのです。
そういう教え方をしていれば、塾や学校のテストで悪い点数を取ったときでも、驚くことはなく、むしろ弱点がわかってよかったと喜べるようになります。
●最後は書く力
書く力は、言葉の森で毎週作文を書いていれば、自然に身につきます。
書く勉強は、負担が大きいので、ひとりで続けるのは難しい面があります。もし、家庭で書く勉強をするとしたら(これは、作文のような長い文章ではなく、50字から200字の短い記述式の問題を解くときに、言葉の森で教えている方法ですが)、問題文を読んでそれに対して、150字なら150字の字数を決めて感想を書く練習をしていくことです。
このときに大事なのは、AではなくBであるというように、対比のはっきりさせた文章を書いていくことです。
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いま、世の中は大きく変わっています。
受験勉強についても同様です。
だから、親は自分の経てきた受験勉強をもとにして子供の勉強を考えるのではなく、もっと先を見て子供の成長を考えていくことです。
そして逆に、昔から、人間にとって大事なことはそれほど大きく変わってはいないのです。
子育てを考える場合、大事なことは二つあると思います。
一つは、勉強が子育ての中心だということです。幹になるものが学問で、それ以外のものは枝葉です。
しかし、もう一つは、勉強を狭く点数や成績や合否だけに絞らないことです。
その子の人生を支える実力として勉強を考えていくことです。
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今、言葉の森では、森林プロジェクトの作文講師資格講座の参加者を募集しています。
これは、言葉の森の35年間の作文指導の実績に基づく作文指導ノウハウを伝える講座です。
内容は、4時間半のビデオと30ページのテキストと、その後の研究会など各種企画のフォローです。
言葉の森では、この講座で、日本の子供たちに作文教育の文化を広げていきたいと思っています。
作文教育の文化とは、子供たちの日常生活で作文が話題になり、家庭でも作文の話が家族の話題として取り上げられ、地域でも子供たちのプレゼン作文発表会などが企画されるという文化です。
そして、この作文教育を中心として、そのほかの様々な教育実践が、家庭や地域を基盤として企画されるような将来のビジョンを考えています。
その教育実践のいくつかの例が、現在言葉の森で寺子屋オンラインの企画として行っている、思考発表クラブや自主学習クラスや自然寺子屋合宿などです。
大学や大学院などの高等教育では、教える先生の高度な専門性が必要になります。
それは、学ぶ生徒がそれぞれの専門分野を習得することを希望するようになるからです。
しかし、小学校や中学校の基礎教育では、子供たちの興味関心を育てる幅広い多様性が必要になります。
それは、このころの子供たちが、いろいろな可能性を経験したいと希望しているからです。
その幅広い多様性を提供するのは、専門の先生というよりも、家庭でその分野に興味関心を持ち、それを子供たちに伝えることに熱意を持つ普通の父親や母親です。
森林プロジェクトは、当面は作文教育という分野を中心に運営していますが、将来は、現在寺子屋オンラインで行っている多様な教育企画をできるようにしていく予定です。
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小中学生の成長の基盤は家庭です。
だから、どんなによい先生よりも、親がいちばんよい先生です。
ただし、親は誰でも親になるのは初めてなので、そこに教育のノウハウが必要になります。
ノウハウさえあれば、最も熱意を持つ人が最もよく子供たちを育てることができるのです。
シェアリングエコノミーというのは、まだ日本ではあまりなじみのない言葉ですが、要するに自分たちでできることは互いに協働してやろうということです。
子供たちの教育も、これからそういう流れになっていくと思います。
家庭と地域を基盤とした子育てをオンラインでつなげていきたいと思っています。
近くに森林プロジェクトの教室があれば、一緒に作文発表会を行ったり、暗唱大会を行ったり、楽しい企画を行うことができそうです。
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英語や数学の勉強は知的に理解する勉強ですから、数か月で成果が出ます。
夏休みなどに集中してやれば、一ヶ月で驚くほど力がつき、二学期からの成績が見違えるほど変わります。
しかし、国語だけはそういうわけには行きません。
国語の成績を上げるコツということで言えば、短時間ですぐにできるようにする方法はあることにはあります。
しかし、その生徒の本当の国語力をつけるというのは、きわめて長い時間がかかります。
例えば、夏休みに漢字の勉強をしっかりやったから二学期から漢字テストがいつも満点になったというようなことはあります。 しかし、夏休みに作文の勉強をしっかりやったから二学期から作文が急に上手になったということはまずありません。
作文力のような本当の国語力は、上達するのに時間がかかるのです。
そして、その上達させる方法は、国語の問題集を解くような勉強ではなく作文と感想文なのです。
特に力がつくのが、ある文章を読んでその文章に対する感想をまとめる感想文です。
国語の成績が今ひとつだから、塾にでも入れたいという人がよくいますが、国語の勉強で国語の実力がつくということはないと思います。
国語は国語的な勉強で力がつくのではなく、読んで考えて書くという作文感想文の勉強の中で初めて力がついてくるのです。
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国語が苦手というのは、英語が苦手だったり数学が苦手だったりするのとは性格が違います。
国語の力をつける○○トレーニングのような教材もありますが、何もしないよりはましという程度であって、それをやったから国語力がつくとは思えません。
国語力は、読んで考えて書くという過程で少しずつついていきます。
そして、その土台になるのが、小さいころか聞いたり話したりするという親子の対話なのです。
国語力が最もよく現れるのが作文です。
作文の勉強をしたからすぐに作文が上手になるということはありません。
作文は上達するまでに長い時間がかかります。
だから、「この上手な子の作文のように書いてごらん」というアドバイスは、子供の自信を失わせるだけの結果になります。
しかし、そういう指導をしている人も多いのです。
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人間は生きているかぎり、いろいろなことを感じたり考えついたりします。
日本では、その一瞬の感情を俳句や川柳や短歌として表す文化がありました。
しかし、この詩形では、自然や心情の描写は表せても、思想を表すには難がありました。
七五調というリズムは、感情をまとめるには適度の制約になり、その制約が感情の圧縮率を高める効果があります。
しかし、思考した内容を表すには、その七五調の制約が不自由に感じられることも多かったのです。
そこで、思考の結果を表現するための制約として、四行にまとめるということを考えました。
やってみるとわかると思いますが、これはかなり役に立ちます。
作文の勉強は、中高生の場合、1200字を1編書き上げるのに大体1時間半かかります。
すると、定期テストなどが迫っているときは、時間的に苦しいということがよく出てきます。
そこで、これまで、忙しいときでもできるアドバイスとして行っていたのは、
1.長文を読んで考えるだけでも勉強になる。
2.時間があれば15分で要約だけでもまとめる。
3.更に時間があれば、感想も書き、その感想に自作名言を盛り込むところまでやる。
というようなことでした。
時間がなくてやれないというより、長文を読んで考えるだけでも効果があります。
しかし、本当は、四行の詩の形にまとめておき、あとで時間があるときに、その詩をひとまとまりの文章に広げていくというのがいいのです。
もし、文章に広げることができなくても、四行詩としてまとめておけば、それがそのまま作品として残ります。
しかし、四行詩というのは、まだ制約として理解しにくいところがあるので、今後誰でもできるような形にしていきたいと思っています。
以下は、四行詩の作品例です。
■四行詩の世界
ひとまとまりの言いたいことがあるとき、
文章化するのに時間がかかると思うとつい億劫になるから、それを四行でまとめる。
言いたいことを圧縮してただ四行にまとめるだけだが、詩のリズムを持たせることが要だ。
形の上で言うと、比喩があるか、対比があるか、創造があるか、笑いがあるか。
季語は特に要らない(笑)。
■漢字教育
読みは能力であるが、書きは機械でも代替できるから、いずれ漢字書き取りの試験はなくなるだろう。
読みは、読み専門の精選された漢字集の音読で身につけ、あとは読書で応用を広げるべきで、多様な漢字問題集を使うべきではない。
また、読みは、学年配当という人為に従うのではなく、全常用漢字2000字を小学生の早い時期に身につけることだ。
そして、語彙の量が思考の材料の量であり、日本語は世界一の量を誇るから、あとは難読漢字集で勉強を続ける。
漢字ドリルがカラフルになり、漢字学習のアプリなどが使えるようになってから、みんなの漢字力が低下した。
■道徳教育
教育勅語がいいとか悪いとかいう議論は、物事の影を論じているにすぎない。
道徳教育の本質は、その道徳の中身ではなく、
その道徳を音読反復によって血肉化するという方法にある。
だから、道徳の内容など似たり寄ったりなので、リズミカルな道徳教材が最もいい教材になる。
教育勅語か(笑)。
あるいは、それに匹敵しうる詩心のある教材。
■英語教育
英語は、やっている子はできるが、やっていない子はできない。
その差があまりにはっきりしているので焦る人が多いが、
知識の差は、実はやれば誰でもできるもので、本当の差は頭のよさにある。
新渡戸稲造も内村鑑三も福沢諭吉も、大人になってから英語の勉強を始めた。
早めにやることより、頭をよくしておくことの方が大事。
■作文よりも構想図
作文の本質は、書くことではなく考えることだ。
書くことが音声入力化される時代になって、そのことがますますはっきりしてきた。
その考える方法が構想図で、
この構想図に必要なものが、ペンとノートである。(あるいは、筆と紙)
手書きには数千年の歴史があるが、キーボード入力には数十年、音声入力には数年の歴史しかない。
ついでに言うと、未来の入力は思考直接入力で、既に研究が進められているはずだ。
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短歌や俳句は、日本文化の大発明だと思いますが、どの言語にもその言語なりの定型詩があります。
大事なのは、形が決まっていることであって、その形の枠組があるから、微妙な中身も入れやすくなります。
しかし、これまではその中身が主に感情的なものや感覚的なものに限られていました。
これから必要になるのは、論説文のような思考の結果を入れるための形の枠組みになると思います。
四行詩の話を書いていて、立原道造のソネット形式というのを思い出しました。
要するに、何か外的に決まっていることが大事で、そういう形式がないと、微妙な中身は散文的に解消してしまうのだと思います。
詩の先生が(笑い)とは、どんなものでしょか。
笑うか笑わないか、は読者の気持ち次第です。手紙でもメールでも、あえて(笑い)と書く表現を見るようになりましたが、言葉の乱れか、表現力の不足、と感じています。
大事なことは文章の中身です。
表現の好き嫌いは人それぞれ言ってかまいませんが、それは、
「僕はカレーが好き」
「私はラーメンが好き」
と言っているようなもので、そこから何かが生まれるわけではありません。
そして、人間は、何も生み出さないようなことほど言いやすいのです。(笑)
大事なことは、文章の中に創造があることです。
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暗唱検定に合格する生徒が増えてきました。
ほぼ3ヶ月で1000字の文章を丸ごと暗唱してしまうのです。
この日本語暗唱で培った暗唱力と暗唱のコツを、英語の文章の暗唱にも生かしていくことができます。
英語の暗唱は、これまで中学生からの英語の教科書で行うようにすすめていましたが、今度は小学生から英語の暗唱に取り組めるようにする予定です。
小学4~6年生の英語学習の利点は、聞き取りと発音が、中学生になってからよりも自然に身につくことです。
中学生から英語は、文法の学習なども含めた知的なものですが、小4からの英語はもっと感覚的なものが中心になります。
小3までは日本語の暗唱を中心に行い、日本語力と暗唱力をつけておき、小4からそれを英語の暗唱に生かしていくという流れです。
この英語暗唱講座も、自主学習クラスで指導していく予定です。
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先日、小4の生徒の保護者懇談会で、多くの人が英語の勉強を心配していることがわかりました。
英語の勉強を早めに始めるメリットは、よい発音が身につくことです。
しかし、あまり早めに始めると、日本語の基礎がおろそかになります。
そこで、小4から英語の暗唱講座を始めることにしました。
日本語の暗唱をやっている人は、すぐにこの英語の暗唱もできるようになると思います。
これは楽しみです。中学に入り、文法が出てきたときに、覚えていたことの理由がわかり、ますます英語が好きになりそうです。
Google翻訳がAIの採用で精度が増しました。
skype通話も、AIでリアルタイム翻訳を使えるようにしました。
単語や文法を解析して理屈で翻訳するのではなく、語彙群の意味を雰囲気的に翻訳するようです。
この技術進歩は更に加速すると思います。
すると、英語教育は、日本人が英語を学ぶための教育から、英語圏の人に日本語を教えるための教育に進んでいくと思います。
というのは、日本語には、他の言語にはない、日本語脳を育てるという教育機能があるからです。
言語一般が持つのは伝達機能ですが、それはAI翻訳で代替されていきます。
しかし、教育機能は、教育の中で育てるしかできないのです。
だから、英語教育に携わっている人ほど、言葉の森の森林プロジェクトのような日本語作文指導講座に参加して、より幅の広い言語教育という方向に進んでいくといいのだと思います。
しかし、もちろんそれまでは英語学習を独自に進める必要があり、その学習の中心になるのが、小4からの英語暗唱になると思います。
これもおもしろそう!
中1で覚えた教科書の英語、今もまだすらすら言えます(^^♪
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