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言葉の森の通学教室では、現在、予習シートという形で、生徒が事前に作文の予習の構成図を書いてくるようにしています。
こういうシートがあると、両親への取材などもしやすいので、通信教室でも今後同じような仕組みを作っていく予定です。
当面は、思考発表クラブで紹介している作文の予習動画などを見て、それぞれの家庭で作文の準備としての事前の話をしていくとよいと思います。
今の社会のひとつの特徴は、共有という考え方があらゆる分野に広がりつつあることです。
教育に関しても、これまでの教科書+授業という一方通行の勉強ではなく、教科書+授業+youtube+参加という共有の形がこれから増えてくると思います。
シェアリング・エデュケーションと言うのでしょう。
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子供に家庭で作文を教えるのは、かなり難しいものです。
それは、教える当のお母さんやお父さんが、子供のころに作文の書き方を習ったことがないからです。
だから、作文を書くときの子供の気持ちがよくわかりません。
昔、こんなことがありました。
「楽しかったこと」という題名の作文がなかなか書けないので、お母さんがしまいに怒り出して、子供が泣きながら「楽しかった」という作文を書いた、という笑い話のようなかわいそうな話です。
教える人が作文を書くときの苦労がわかっていれば、子供にも書きやすくアドバイスすることができます。
その方法の一つが、大人が子供と同じ作文を書く練習をすることです。
例えば小学2年生の子供の作文を教えてあげたければ、大人が小2の作文の課題から練習をするのです。
そして、自分が教わった方法で子供に書き方を教えてあげます。
言葉の森では、このように、社会人が小学生の作文を書く練習をすることもできます。
もう一つは、もっと本格的に森林プロジェクトの作文講師資格講座を受講することです。
これは、小1から高3までの作文指導を本格的に学べます。
これから、記述力や作文力は入試でも大事になってきますから、自分の勉強も兼ねて作文の教え方を学ぶのは役に立つと思います。
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おじいちゃん、おばあちゃんが孫に教える作文
https://www.mori7.com/index.php?e=1728
作文指導には、その子のことをよく知っていて、親身に指導できる先生が必要です。
言葉の森の電話通信指導は、担任の先生が毎週生徒に電話をして作文の勉強をするので、自然に生徒と先生の間で信頼関係が生まれます。
しかし、そういうシステムで作文指導を受けられる機会は、ほかにはほとんどありません。
そこで、考えられるのは、家庭でお父さんやお母さん、又はおじいちゃんやおばあちゃんが、子供や孫に作文を教えるという仕組みです。
言葉の森には、幼長から社会人までの生徒が学んでいます。そして、作文専門の指導は、30年間の実績があります。
作文の指導はベテランの先生でないとなかなかできないと言われていますが、言葉の森にはその指導のノウハウが充分に蓄積されているのです。
そこで、例えば、孫が小学1年生になるときに、おじいちゃんが自分も小学1年生の教材から、言葉の森の作文の通信の授業を受けてみるのです。すると、その教材と教え方をそのまま、孫にも伝えることができます。
自分自身も同じテーマで作文を書いているので、子供がどういうところで書きやすくなったり書きにくくなったりするかということが手に取るようにわかります。
そうして、孫の学年が上がるとともに、おじいちゃんの作文の学年も上がっていきます。おじいちゃんの学年は飛び級で先に上がっていってもいいでしょう。
勉強が軌道に乗れば、近所の同学年の子供たちを一緒に教えることもできます。子供は、家庭でひとりで勉強するよりも、数人で集まって勉強した方が意欲的に取り組むので、気の合った友達を呼んで家庭で作文の勉強を続けることもできます。この場合は、森林プロジェクトという仕組みに切り換えて家庭作文教室を開くこともできます。
しかし、そこまで本格的にならなくても、自分の家の子供や孫に教えるだけならすぐにできます。
作文の勉強という最も続けにくい学習が、家庭の対話の中で楽しく続けられるようになるのです。
言葉の森では、この春から、社会人が自分の選んだ学年で自由に学べる作文の電話通信指導を開始します。この通信指導を生かして、子供や孫に作文を教える機会を作っていただければと思います。
長年の風雪に耐えたおじいちゃん、おばあちゃんが教える作文は、きっと味のあるものになるでしょう。
お問い合わせは、電話0120-22-3987(平日9:00~20:00)
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作文は、勉強の中で最も教えにくいものでないかと思います。。
その理由は、答えがないということと、そのときの精神的なものに左右されたり、題材のよさという偶然に左右されたりすることがあるからです。
また、作文の勉強は、話し声のあるところでは書きにくいという特徴があります。
そして、いちばん大きな原因は、作文を教える人が作文の書き方を習ったことがないことです。
そのため、作文を書く子の気持ちがよくわからないのだと思います。
低学年の子の作文指導をするとき、先生が子供が書くよりももっといい表現を教えて書かせてしまうことがあります。
それは、一見指導のように見えますが、作文の結果がよくなるだけで、子供の実力がついたわけではありません。
ということは、少し考えればわかることですが、今でもこういう教え方をしているところが多いのです。
大事なのは上手な作文を書かせることではなく、そういう実力をつけることです。
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今、子供たちの身の回りには、さまざまなやらなければならないことが押し寄せています。
それは、大人も同様です。
最近、時間が不足するという人が増えているのは、生活の本質に関係のないような雑事があまりにも増えてきたためです。
大人の場合は、それでも自分で計画を立てて自分の生活をコントロールすることができます。
しかし、子供はこれからそういうことを学ぶ時期にいるのですから、自分で生活をコントロールすることはまだできません。
だから、親が子供に、大事なことで継続することと、大事でないことで適度に抑制することを教えてあげる必要があります。
それは食べ物の好みのコントロールと同じで、子供が好きな甘いものばかり食べさせるのではなく、野菜などもきちんととることをすすめることと共通しています。
子供の時間のコントールを考えるときに、大事になってくるのが、親の勉強観です。
学校や塾で言われたとおりにやっていると、子供の勉強時間はどんどん長くなります。
どの先生も、自分の教えていることが大事だと思っているからです。
その結果、誰からも何も言われない読書の時間が削られてしまう子も多いのです。
小学生のころは、長い目で見れば、勉強よりも読書の方が大事です。
今の成績をよくすることに追われて、読書を後回しにしている子は、かえってあとで伸びなくなります。
例えば、漢字の書き取りテストなどをすれば、出来不出来の結果がすぐに出ます。
結果が出るものは、誰でもつい優先してしまいます。
しかし、読書はしてもしなくても、結果として出てくるものはありません。
だから、読書は置いておいて、まず漢字の勉強をということになってしまいがちなのです。
両方できるのがもちろんいいのですが、どちらが大事かと言えば、明日の漢字のテストより今日の読書の方です。
これは、異論のある方も多いと思いますが、これまでいろいろな子供たちを見ているとそういうことがわかるのです。
だから、親は、できるだけ長期的な視野で子供の成長を考え、子供の生活時間を考えていく必要があります。
思考発表クラブでは、毎週、子供たちに今読んでいる本を紹介してもらいます。
互いの本の紹介が刺激になるのか、どの子もいい本を選んできます。
こういう読書を柱とする勉強をしていくことが、将来の子供たちの大きな力になっていくと思います。
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塾の時代のあとの独学の時代のあとに来るもの(3)勝つための勉強、向上するための勉強、創造するための勉強
https://www.mori7.com/index.php?e=2157
これからの勉強は、大きく3つに分けて考える必要があります。
第一は、勝負に勝つための勉強です。これは、受験に合格するための勉強で、その中心になるのは正しい勉強法と、受験という短期間に集中して取り組むための密度の濃い時間の使い方です。
第二は、実力を向上させるための勉強です。この勉強の中心になるのは、毎日の家庭での自習の習慣です。
そして、第三は、創造性と思考力を育てるための勉強です。この勉強の中心になるのは、難しい問題を自分が納得できるまで考えるという子供の生活時間の余裕です。
受験に合格するための勉強には、大人の目からのアドバイスも必要です。
高校生になれば、自分自身で客観的に勉強の方法を決めることもできますが、小中学生はそうではありません。
例えば、テストで間違えたときも、ほとんどの子供が、「合ってた」「間違えた」という結果を確かめるだけで終わってしまいます。間違いについても、その原因は、「うっかりしていた」「計算ミスだった」「勘違いしていた」というようなことで済ませてしまいがちです。
この間違いの中に、本質的な勉強の弱点があることを見抜くには、やはり大人の目による分析が必要です。
しかし、親が子供の勉強をひとりで見るのは大変です。親の勉強の見方をアドバイスするような仕組みがあれば、受験勉強も、基本的に独学と家庭学習でやっていけます。
言葉の森では、今後、寺子屋オンエアと同じような方法で、こういうアドバイスもやっていきたいと思っています。
実力をつけるための自習は、本来的に家庭で行うものです。
ところが、親が日常的に子供の勉強を見るような時間的余裕は、どこの家庭でもあまりないのが普通です。そこで、今後は、地域で、寺子屋のような形で子供たちの自習を見るという仕組みが生まれてくると思います。
地域でリアルな寺子屋が生まれるまでは、オンエアによるバーチャルな寺子屋が、子供たちの集団的な自習を見ていける場になると思います。
家庭学習を行う際に必要なものは、毎日決まった時間に決まったことをするという継続力と、もうひとつは、メディアを自主的にコントロールする力です。
テレビ、ゲーム、インターネット、ソーシャルメディア(facebook、ブログ、Lineなど)は、子供だけでなく、大人のになってもうまくコントロールできないものです。これらのメディアは、これからますます魅力あるものになっていきます。だから、これらを自由な放任に任せることはできません。しかし、全面的に禁止というのもまた問題です。
これからの社会では、子供自身が、豊富なメディアをコントロールする力をつけていく必要があります。そのために、テレビを見る時間、ゲームをする時間、SNSをする時間、それらをしない時間と、しないための工夫などを、意識的に作っていく必要があります。
創造性を育てる教育とは、考えることが好きな子、オリジナルであることが好きな子を育てることです。これは、速く正確な答えを出すことが目的となる受験勉強とは、ある意味で正反対のものです。(難関校では、考えるのが好きな子を見るような試験問題も出されていますが、そういう問題はごく一部です。)
考える勉強をするための教材としてふさわしいものは、算数オリンピックに出てくるような、楽しめる難問です。
しかし、算数は、答えがあるから取り組みがいがありますが、国語的な勉強の難問には、答えがありません。(つづく)
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やれと言われることを全部やっていたら、子供の生活時間はそれで埋められてしまいます。
本当に大事なことは、ほんのわずかです。
それは、読書と対話と自由な遊びです。
しかし、その本当に大事なことが今の社会では最も後回しにされやすいのです。
きちんと真面目に言われたことをやることと、大局を見て重点を絞ることは、個人の中ではなかなか一致しません。
だから、勉強の仕方についても、母親と父親の意見のすり合わせが大事なのだと思います。
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連休や長い休みになると、子供を遊ばせておくのはもったいないから、どこかに通わせて勉強でもと考えることが多いと思います。
しかし、その前に、これからの勉強に対する大きな方針を考えておくことが大事です。
勉強というのは、一種の作業ですから、時間をかけてがんばれば誰でもできるようになります。
しかし、その作業の方向が違っていては、肝心の目標に結びついた勉強にはなりません。
勉強の方法論というのは、学校でも塾でもあまり教えてくれません。
教えてくれるのは、勉強の内容が中心です。それは内容の方がずっと教えやすいし、生徒も勉強した気がするからです。
しかし、内容は、参考書や問題集を読めば本来独学でもできるものですから、本当に大事なのは方法論の方なのです。
その方法論を、ほとんどの生徒は、あのよくできる先輩がこうやっていたというような、友達からの聞きかじりのような情報で簡単に決めてしまいます。
又は、方法論を決めるという意識なく、漠然と勉強を始めてしまいます。
それでは、その後の努力が無駄になることが多いのです。
大事なのは努力することではなく、努力の方向を決めることだからです。
では、その努力の方向を決める勉強の方法をどこで見つけたらよいのかというと、それは、やはり書籍によってです。
書店の参考書のコーナーの一部に、勉強の方法に関する本が置いてあるコーナーがあります。
その本を1冊か2冊買って読むのではなく、10冊ぐらいまとめて買うのです。
ある分野の見通しをつけるための読書の目安は、その分野の本を10冊以上読むことです。
このまとめて買って読むというのは、参考書や問題集選びでも同様です。
勉強をするというのは、誰でもできます。
しかし、その勉強の方向として、何を勉強するのかというところが正しくなければその勉強は空回りの勉強になります。
だから、今後1年間の問題集や参考書を選ぶときは、書店で一日見比べて、よさそうだと思ったものを数万円分まとめて買ってしまうのです。
これは、勉強のための最初の投資ですから、もったいないなどと思わないことです。
そして、実際にやってみる中で最も自分に合ったもの1種類に絞り、その参考書又は問題集を5回は繰り返すという勉強の仕方をするのです。
繰り返し読むというのは、勉強法の本についても同じです。
どんなによい方法論を理解しても、勉強を進めているうちに次第に自己流の勉強法に戻ってしまうことがよくあります。
そのつど、自分がよいと思った本を読み直して、軌道修正しながら勉強を進めていくのです。
この勉強法の本を読むというのは、子供だけでなく親にも必要です。
親はどうしても自分の経験の範囲での勉強法でしか子供にアドバイスができません。
だから、親も勉強法の本を読み、子供と勉強の方法について共通の認識をもっておくことが大事です。
高校3年生の場合は、この1年間は受験勉強の年ですから、方法を決めることが更に大事になります。
その方法を決める最初の出発点は、志望校の過去問を、答えを見ながらでいいのでやってみることです。
過去問は、秋ごろになってから仕上げのためにやるものではありません。春のうちに自分の勉強の方向性を決めるためにやるものです。
そして、この過去問の取り組みは、生徒本人に任せていてはいろいろ理由をつけて後回しになることが多いので、親が強力にバックアップして早めにやらせるようにする必要があります。
勉強法の本を読めば、大抵はこの早めに過去問に取り組むことの大切さが書いてあります。
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【再掲】高3の受験生は過去問に取り組もう
URLは、
https://www.mori7.com/index.php?e=1791
高校1年生、高校2年生は、まだ受験という差し迫った目標がないので、ある程度時間的な余裕があります。この時期に、空いている時間をどのように有効に使うかというと、一つは読書です。勉強や受験には関係ないように見える読書にたっぷり時間を割いておくとあとで必ずよかったと思うときが来ます。もう一つは、英単語です。高1や高2の時間のあるときには、あまり考えずに進められる勉強として英単語の暗記をしておくと、高校3年生なって受験勉強に突入したときに勉強がはかどります。いちいち辞書を引かずに英語の勉強を進められるからです。第3は、苦手科目に集中することです。夏休みの1ヶ月間苦手科目に取り組めば、ほぼ必ずその科目は得意科目になります。
高校3年生の受験生にとって大事なことは、三つあります。
第一は、赤本や青本などで志望校の過去問を必ずやってみることです。もちろん、志望校の過去問を解く実力はまだありません。教科によっては全然できないものもあります。しかし、答えを書き込みながらでもその過去問をやっておくと、問題の傾向や性格が必ず分かってきます。問題の傾向や性格が分かってから進める勉強は、一般的な勉強よりもはるかに能率がよくなります。普通の高校生は、ただ漠然と勉強して最後の仕上げとして過去問をやるというような発想で勉強しやすいのですが、これ全く逆です。できなくてもいいから、まず過去問をやって、その過去問の傾向に合わせた勉強をしていくというふうに考えるのです。しかし、実際には高3の初めの時期に過去問に取り組むような自覚的な高校生はほとんどいません。したがって、ある程度強制的に家庭で過去問に取り組む時間を確保しておく必要があると思います。予備校などで、なぜ過去問を早めにやらせないというと、生徒が過去問をやって個別の学校や個別の自分の実力について相談されても一斉指導のスタイルでは対応しきれないからです。
第二は、ほかの人の合格体験記を読んでおくことです。特にその学校が自分の志望校と同じであれば、参考書や問題集や勉強の仕方で参考になる例が多数載っています。情報時代には、そういう先人の知恵を生かしておくことが大切です。
第三は、その合格体験などの記事を元にして、自分なりによいと思われる参考書や問題集をまとめ買いすることです。今はインターネット書店があるので、必要な本が時間をかけずに手に入るようになっています。そこで、自分でいいと思った参考書や問題集を一つの教科について複数買っていきます。そして、その教材が届いたら試しに数ページやってみて、自分にとっていちばん相性がいいものをメインの教材と決めます。メインの教材はこれから1年間つきあうのですから、手触りやレイアウトの好みなど感覚的なものが意外と重要です。そして、その参考書や問題集を、わからないところがなくなるまで5回ぐらい繰り返し読むような予定で勉強を進めていきます。数冊を80パーセント仕上げるのではなく、1冊を100パーセント仕上げるというのが勉強の鉄則です。
これからの1年間は、過去問をときどき解き直し、過去問で勉強の軌道修正をしながら勉強を進めていってください。
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勉強をする上で大事なことは、勉強そのものではなく、どういう方向で勉強するかということです。
小学校低中学年のころは、この方法の差はほとんどありません。勉強することがすべてです。
しかし、その小学校低中学年の勉強スタイルのまま、方向を決めずに勉強をしている中高生が多いのです。
方向を決めるためには、まず勉強法に関する本を読み、勉強法というものを意識することです。
高3生が早めに過去問に取り組むことの大切さは、毎年同じように言いますが、そのとおりにやる生徒はごく少数派です。
そして、それでも何とかどこかに合格してしまうので、最初に作戦を立てることの大切さがわからないまま、大学生になり社会人になってしまうのだと思います。
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先日、小4の生徒のお母さん方と話をする機会がありました。
小4から、英語が教科になるので、これまで英語などをやっていなかった子のお母さんは、勉強の仕方についてやや困惑しているようでした。
学校で全員がゼロから始めるのであれば、学校に任せておいてもみんなが同じように進むので何も問題はありません。
しかし、既に早くから英語の勉強をしている子がいる中で、本人がゼロから始めるのでは苦手意識を持つようなことになるのではないかという心配があるのだと思います。
私の基本的な考え方は、小学生は、基礎学力が最も大事なので、読書だけがしっかりできていればそれで十分で、英語やプログラミングやその他さまざまな習い事は、余技としてやっておけばいいという考えです。
読書のレベルが学年に応じて少しずつ上がっていけば、考える力はそれで確実についていくので、そのほかの勉強や習い事は、本人がやる気になった時点ですぐにできるようになるからです。
小学生は、本さえしっかり読んでいれば、勉強面は何も問題はないのです。
しかし、それでこの英語の話をおしまいにしたのでは身も蓋もないので、多くの人が関心を持っている英語の勉強を、言葉の森も独自の方法で取り組むようにしようと思いました。
それが、英語の暗唱です。
現在、思考発表クラブというオンライン講座を行っていますが、これは参加する子供たちが自主的に発表できる場があり、しかも、そのあと保護者とも話をする時間があります。
だから、このオンライン講座の中で英語の暗唱を行えば、かなり充実した勉強ができると思いました。
思考発表クラブ
そして、週1回の講座に加えて、家で毎日自習ができるようにすれば、勉強は確実に進みます。
その生徒の毎日の家庭学習の中に暗唱の練習も10分間盛り込むようにすることができれば万全です。
この毎日の自習は、自主学習クラスの方でカバーできます。
自主学習クラス
毎日短時間の自習課題というのは、実は家庭だけで継続することは意外と困難です。
順調に進んでいるときは何も問題がありません。しかし、途中で風邪をひいては休んだり、どこかに出かける用事があって休んだりすることがあると、それでそれまでの習慣が途絶えてしまうことがあります。
いったん途絶えた習慣を再開するには、始めたときよりもずっと大きなエネルギーが必要ですから、そのままやらなくなってしまうことも多いのです。
自主学習クラスの場合は、その自習を先生がチェックするので、短時間の家庭学習を継続することができます。
そして、言葉の森では、森林プロジェクトの講師資格講座を行っているので、教える体制は、その森林プロジェクトの講師の協力を得ながら運営することができます。
作文講師資格講座
話は少し飛びますが、この森林プロジェクトで取り組むオンライン講座には、ほかにもいろいろな可能性が考えられます。
オンライン講座は、現在、思考発表クラブという作文国語算数の発表する形の勉強を中心に行っていますが、このほかにもいろいろな企画が可能です。
例えば、一つの例は、幼児や低学年対象の読み聞かせサークルです。
読み聞かせとともに、その子が今読んでいる本や、その土地の話題を紹介してもらうとかなり楽しいサークルができると思います。
もう一つの例は、日本語を学びたいと思っているアジアの子供たちとの交流です。
オンラインですから、国境を越えて海外からでも参加できます。
アジアは、日本との時差の差が少ないので、同じ時間帯に勉強できます。
skypeの自動翻訳機能のようなものが、いずれGoogleハングアウトにつくでしょうから、それを利用すればかなりユニークな国際交流ができます。
ただし、これらの新しいオンライン企画は、今は言葉の森の新しいシステム作りでなかなか時間が取れないので、実際に企画に着手するのはもう少し先になると思います。
とりあえず、今は、森林プロジェクトでこの英語暗唱講座を小学4年生以上の生徒を対象に企画したいと思っています。
詳細は、Facebookの森林プロジェクトで進めていく予定です。
森林プロジェクト(FB)
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小学生は読書さえしっかりしていればそれでいいというのが私(森川林)の基本の考えです。
昔の子供はみんなそうでしたし、自分の子供もそういうふうに育てました。
しかし、今は英語やプログラミングやいろいろ新しい勉強が出てきています。
それも、読書力さえあれば本人がやる気になったときにいつでもできるので何も心配しなくていいのですが、手軽にできる英語の勉強として、オンラインでできる英語暗唱講座という企画を考えました。
それを森林プロジェクトの講師の協力を得ながらやっていこうかと考えています。
日本語の暗唱検定で、もう3級まで約1万字を暗唱している子がいるので、小4からは同じように英語の暗唱もするといいと思いました。
今は、CD付きの小学生向けの英語のテキストもいろいろ出ています。
英語を知識として勉強するだけでなく、丸ごと暗唱する形で身につけるのです。
この英語音読の勉強法で英語が自然に得意になったのが野口悠紀雄さんです。「超英語法」にそのあたりの事情が詳しく書かれています。
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今の子供たちは、小さいころからいろいろな習い事をしています。
しかし、その習い事に追われて、読書が後回しになっている子が多いのです。
低中学年のころは、読書の不足というのはあまり目立ちません。
読書の不足から来る国語力の低下が大きな問題となってくるのは高学年からです。
しかし、その根は低学年のころから既に生まれています。
国語の成績をよくするコツは、ひとことで言えば難しい文章を読み取る力をつけることです。
物語文の場合は、複雑で屈折した心情を読み取る力です。登場人物の気持ちに共感する力と言ってもいいと思います。
テレビやゲームなどの勧善懲悪の単純な世界に浸っている間は、こういう複雑な心情の読み取りがなかなかできません。
説明文の場合は、抽象的な語彙で組み立てられている話を理解する力です。
この物事を抽象化する力は、小学5年生あたりからついてきますが、それ以前の低学年のうちに既に読み取り力の差は出ています。
簡単な例をあげると、「これからは物の時代ではなく事の時代だ」などという文を読ませれば、小学校低学年の子も高学年の子も普通に読むことができます(漢字にルビがふってあればですが)。そして、書かれていることは表面的にはわかります。
しかし、その読み取りの深さは、本人の抽象化する力によって大きな差があります。
説明文を読んで面白さを感じる子は、この読み取る力のある子です。説明文を読むと眠くなるのは読む力のない子です。
この読み取りの深さの差が、将来の国語力の差となってきます。
では、どうしたらよいかというと、その対策はただ一つ、そういう難しい文章を読み慣れることなのです。
言葉の森では、小3から感想文の勉強に入るので、説明文の長文を読んで感想を書く練習をするようになります。
この準備として、家で長文を事前に読み、その長文に関して家族で話をし、両親に似た話を聞いてくるような子は国語力がついてきます。
そのきっかけ作りの一つとして、思考発表クラブでは、作文の予習となる話をして両親との対話がしやすくなるようにしています。
もう一つ、自主学習クラスでは、問題集読書をして難しい文章を読む練習をしています。
また、どちらも、読んでいる本を友達や先生に紹介してもらい、読書に関する意識が高まるようにしています。
今の世の中は、映像やアイコンや短い文章が氾濫しているので、長い文章を読み取る力は年々低下しています。
これが、自然に任せていれば、本を読むようになり、やがて難しい読書に進むようになった過去の時代との大きな違いです。
今は、家庭学習の一環として、文章を読み取る力をつけていくことを真剣に考えなければならない時代です。
その読み取る力は、あらゆる勉強に優先して行う必要があるのです。
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国語の成績をよくするための三つの対策
https://www.mori7.com/index.php?e=2341
国語の成績をよくするためには、まず国語の成績が悪い原因を考える必要があります。
「国語の成績だけが悪かったんです」と、テストを持ってきてくれる中学生がいます。
子供も親も、たぶん先生も、点数にしか目が向きません。国語のテストの点数がよい子が、国語力のある子と考えてしまうのです。
テストの中身を見れば、その点数がどういう原因でそうなっているかがわかります。
以下、その原因をもとに、どうしたらよいかという対策を書いていきます。
成績が悪い原因は、大きく三つに分かれます。
第一は、勉強していないことです。
第二は、解き方のコツを理解していないことです。
第三は、読む力がないことです。
点数が悪いだけで偏差値上は何も問題がないということもあります。だから、本当は点数ではなく、平均点との差や順位の方が大事なのです。
第一の「勉強をしていないこと」は、問題を見ればわかります。
中学生のころの国語は、問題の分野が、漢字、文法、古典、読解、記述などに分かれています。
定期テストは出題範囲が決まっているのですから、漢字は読みも書きも全部できていて当然です。ここで数問間違えていたら、それは勉強をしていなかったということです。
次の文法も、古典も、同じです。これは、国語力ではありません。単なる国語的な知識の問題ですから、文法と古典ができていなかったら、そのための問題演習をしていなかったということです。
こういう言い方はよくないかもしれませんが、先生は点数に差をつけやすくするために問題を出しています。文法と古典は、勉強しているかいないかではっきり差がつき、問題も作りやすいからテストの問題となっているのです。
一度テストを受ければ、その先生がどういう傾向の問題を出すのかわかるのですから、それを毎回同じように文法と古典で点を落とすのは、勉強の対策ができていないということです。
漢字、文法、古典で×がいくつかあると、そのあとの記述の問題も自然に辛くなります。逆に、漢字、文法、古典で○が続いている生徒には、先生の心理として、記述も甘めに採点したくなるのです。
対策は、簡単です。定期テストの前に、時間を取って国語の出題範囲の勉強をすることだけです。
第二の「解き方のコツを理解していない」場合です。これも、問題と答え方を見ればわかります。
共通点は、問題文をきれいに、何の傍線も引かずに読んでいることです。そして、選択問題も、ただ合っていそうなものに○をつけて選んでいるだけです。
読解の点数を上げるには、問題文には必ず傍線を引いて読み、選択肢はどの選択肢についてもなぜその選択肢が○でないかというメモをしておかなければなりません。
何度も書きますが、テストの多くは差をつけることが目的です。感覚的に合っていそうなものを選べば×になるように作ってあるのがテストです。だから、その裏を読んで、合っていないものを理詰めで消去していって残ったものを○にするのです。
作文を読んでいると、その生徒の本当の国語力が大体わかります。作文はよく考えて書いているのに、国語の成績が悪いという生徒は、この解き方のコツを理解していないか、理解したつもりになっていても実践していないかのどちらかです。
こういう生徒は、実際の問題と照らし合わせて1、2時間も説明すれば、すぐに成績が上がります。中1や中2で、数学も英語もよくできるのに国語の成績だけが悪いという人がときどきいます。こういう生徒に解き方のコツを説明すると、次のテストからすぐに成績が上がります。そして、中3になるころには、「苦手だった国語がいちばん成績がよくなった」という嘘のような話になるのです。
これは、高校生でも同じです。高3の8月ごろというのは、もう実力もほぼ固まってきているころですが、この時期に、国語の苦手だという生徒に、センター試験の解き方などを説明すると、次の回から一気に成績が上がります。しかし、それはもちろん本人の読む力の範囲でのことです。
第三は、その「読む力がない」という原因です。
小学生では、文章を音読させてみると、たどたどしくしか読めないというのが、読む力のない状態です。それは、本人のせいではありません。だから、子供を叱るのではなく、親がまず反省して、気長に簡単なところから読書の生活を始める必要があります。
よく、「うちの子はどんなに言っても本を読まないんです」と、まるで本人が悪いかのように言う人がいますが、小学生の場合、本を読まないのは、子供の問題ではなく親の工夫の仕方の問題です。
話は変わりますが、今、寺子屋オンエアでは、勉強の前に読んでいる本を見せてもらい、勉強が早めに終わったときはその本を読んでおくようにしています。それだけで、どの子も毎日本を読むようになります。読書は、その生徒にとって難しすぎる本を与えていないかぎり、誰でもすぐにできるものなのです。
中高生では、さすがにたどたどしく読むという生徒はいません。しかし、中高生の読む力は、難しい言葉を知っているかどうかということに現れます。大学入試でよく出てくる「恣意的(しいてき)」などという言葉がその例です。こういう言葉が読めないということは、意味も理解できていないということです。
国語の問題文の中に、自分の知らない語句がいくつかあると、その文章を表面では読んでいても、中身が理解できなくなります。特に、高校入試や大学入試の問題文は、やはり点数の差をつけるためにだ作られていますから、文章の最初の方に特にそういう読みにくい言葉が並んでいることが多いのです。問題文を最後まで一息で読めば、全体は理解しやすくなるのですが、語句を知らない生徒は最初の方で時間がかかり、一息に読むということができません。
読書でもそうですが、最もよい読み方は、できるだけ早く全体を読み終えるということです。時間をかけて何日もかけてじっくり読んでいると、かえって全体像が頭に入りません。国語の問題文も、すばやく読み切ることが大事です。
では、中高生が読む力をつけるためには、どうしたらよいかというと、それもやはり読書なのです。先ほどの「恣意的」などという言葉が入っている文章を読むことが、読む力をつける最良の道です。しかし、そういう本を実際に読める子はなかなかいないので、そのために、言葉の森がすすめているのが問題集読書です。しかし、この問題集読書も、家庭ではなかなかできません。その理由は、形の残る勉強でないことと、読む力が伴わないうちはやはり面白くないということがあるからです。そこで、これも、寺子屋オンエアで行う勉強の中に組み込むようにしています。
国語の成績が悪いという場合は、以上のようにいくつかの原因があります。お父さん、お母さんは、点数だけ見て判断せずに、まずその問題の中身を見て、自分も一緒に問題を解いてみてください。そうすると、成績の悪い原因がどこにあるかがわかり、対策も立てられるようになります。
このように考えると、国語の成績とは、国語力とは少し違うのです。入試が過酷になると、成績と学力は更にずれてきます。それは、どの教科でも同じです。
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今は低学年のうちからいろいろな習い事で忙しい子が多いようです。
それらの習い事はそれぞれにそれなりの成果はあるのですが、国語力のない子はその後伸びません。
逆に、国語力さえあれば、ほかのことは何もしていなくても必要になったときにすぐに身につけることができます。
そういう大事な国語力なのですが、その国語力をつける勉強というのがどうしたらいいかわかりません。
そこで漢字の練習などを始める人も多いのですが、漢字の練習では国語力はつきません。
国語力をつけるドリルのようなものありますが、それで国語力がつくことはありません。
国語力は、作文とセットになった長文を読むことによってついてくるのです。
すべての学力の基礎は国語力で、国語力の本質は読書力です。
しかし、本なら何でもいいというのではありません。
読書は多読が一つの柱ですが、もう一つの柱は難読(難しい本を読むこと)です。
易しい面白い本でたっぷり読書を楽しみ、その一方で難しい本を読むという読書の生活をしていくことなのです。
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● 子供の向上心にこたえるような、学校を超えた高度な勉強をさせたい。
● しかし、進学塾の詰め込みと競争の教育を、あまり早くからさせたくない。
● 受験期には受験勉強に集中できるように算数だけは1年間先取りさせておきたい。
● しかし、早い時期から時間をかけて量をこなすような勉強はさせたくない。
● そういう高度な勉強を、家庭でオンラインで手軽に行いたい。
● そして、同じような勉強をする友達と交流できる機会を作りたい。
■しかも、6~7名までの少人数制。
■先生が子供たちの発表を引き出す生き生きとした授業。
■そういう密度の濃い少人数授業なのに、受講料は驚くほど低価格(月4回月額2,160円)。
■また、保護者と先生の懇談や情報交換の機会がある。
■だから、保護者が勉強の内容を把握でき、必要に応じていつでも先生に相談ができる。
◆現在、次の日程で思考発表クラブを行っています。
◆定員に余裕のあるところは、無料体験学習が2回できます。
◆また、同学年で参加を希望する生徒がある程度集まれば、新たに曜日時間を開設します。
小1 火 1800~1845
小2 水 1800~1845
小3 木 1800~1845
小4 火 1900~1945
小5 水 1900~1945
小6 月 1800~1845
●体験学習参加のお申込みは、ウェブフォームから、又は、お電話でお願いします。
https://www.mori7.net/teraon/teraform.php
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思考発表クラブというのは、どういう勉強をするのかわからないという人がいると思うのでその説明です。
要は、学校の勉強よりも高度な考える勉強をしたい、しかし、大量の宿題で詰め込むような勉強はしたくない、と考える人向けの講座です。
詰め込む勉強は、今の社会では、受験の一時期に関しては必要です。
しかし、そういう勉強を早くから先取りする必要はないのです。
それよりも、読書と対話と思考と発表で、本当の考える力をつけておく方が、子供の将来にとってはずっとプラスになるのです。
思考発表クラブというのは、その名前のとおり、思考することと発表することを中心とした勉強をする場です。
今の社会では、考えずに詰め込む勉強や、ただ受け身で聞くだけの勉強が多いので、そういう勉強はほどほどにして、もっと身のある勉強をしようと思ったのです。
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子犬を見ていると、全身で生きていることがわかります。
ほしいものがあると、心から、「ほしい、ほしい、ほしい、ほしい」と、そのほしいものをじっと見ています。
ほかの人にどう思われるかという体裁など考えないので、純粋な自分の気持のままに生きている存在なのです。
そして、そのほしいものがもらえると、もううれしくてたまりません。やはり全身で、「うれしい、うれしい、うれしい、うれしい」とうれしさを表現します。そして、すぐ忘れます(笑)。
動物といると心が癒やされるというのは、こういう純粋な喜びを持って生きている存在が身近にいると、人間も自分の本来の姿に戻ることができるからです。
動物と一緒にするのは問題ですが、子供という存在も似ています。
子供はやはり全身で喜びを表現しながら生きています。
江戸時代の子供たちは、本来の人間の姿に近い生き方をしていたようです。
当時、日本に来た外国人の多くがそのことを驚きを持って書き残しています。
朝は早くから寺子屋でみんなと一緒に勉強し、午後は近所でたっぷりあそび、それを周囲の大人が温かく見守っているというのが当時の社会でした。
日本は今でも、子供がひとりで電車に乗って出かけたり、女性がひとりで夜の道を歩いたりすることが普通にできる社会ですが、世界の多くの地域ではそういうことはできません。
江戸時代のころは、今の日本のような平和で穏やかな状態が、更に社会全体に広がっていたのだと思います。
当時は、女性がひとりで東海道を何日もかけて旅することができるほど平和で安全な社会だったのです。
当時は社会全体の目標が、子供が健やかに成長することでした。
それはなぜかというと、経済が成長をやめ社会が安定してくると、世の中を豊かにするものは、そこに住む人間が穏やかで正直で文化的であることになってくるからです。
これは、今の世界の状況と似ています。
物質的な成長は、次第に沈静化しています。物の豊かさが心を動かした時代は、次第に過去のものになりつつあります。
実際には、現在はまだ貧富の格差があり、物質的に恵まれない人は数多くいます。しかし、その人たちにとっても、物の豊かさは幸福の基準にはなっていません。
ひと昔かふた昔前のように、テレビを買ったり自動車を買ったりすると人生が変わるような気がした時代はもうずっと過去のものになっています。
物の時代の終わったあとに来る時代は、文化の時代です。
その文化の時代を豊かに生きるためには、自分だけでなく、周囲の人が、穏やかで正直で文化的で個性的で幸福に生きていることが条件になります。
物の時代は、自分ひとりでも豊かになることができました。
物の時代は、競争で他人に勝つことが豊かさを条件だったので、本質的に他人はどうでもよかったのです。
しかし、文化の時代は周囲の人も一緒に豊かになる必要があります。
そして、その社会で常に新しい文化的な何かが創造されていることが、豊かさを増大させる動因になります。
そういう豊かな社会を作るために最も必要なものは何かと言えば、それは教育で、その教育の最大の要点は、子供が幸福に生きることです。
競争に勝てる子供を育てることではなく、幸福に生きることのできる子供を育てることが教育の第一の目標になります。
そのために必要なことは、家庭と地域社会が、子供の幸福を最重点にして成り立つようになっていることです。
今はまだ大人の都合が優先される社会ですが、その大人の都合の多くは競争社会に勝つための都合ですから、子供の幸福とぶつかることもよくあります。
だから、家庭だけでなく、社会全体で子供の幸福を第一にする仕組みを作っていくことが大事になってくるのです。
動物が幸福に暮らせる社会と子供が幸福に暮らせる社会は共通しています。
動物が幸福に暮らしている社会のイメージとして私が頭に思い浮かべるのは、奈良公園の鹿です。
鹿たちは家畜として食べられるためにいるのではありません。神事や観光のためだけにいるわけでもありません。基本は、人間と共存して幸福に暮らすためにいます。
これから、そういう公園のような社会が、子供を中心として広がっていく時代が来るのだと思います。
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動物のいる生活
https://www.mori7.com/index.php?e=2145
私(森川林)が子供のころ、物心ついたときには既に、家に犬とチャボとアヒルがいました。横浜の普通の都会の話です。
父が動物好きで、いつも何かしらの生き物を飼って、家の中や周囲に放し飼いにしていました。だから、私自身も、そういう生活が普通のものだと感じていました。
昔は、街なかに野良犬などもよくいたので、小学生のころは、友達と近所の野原で野良の子犬を飼っていたこともあります。
中学生になると、急にジュウシマツを飼いたくなり、つがいを買ってもらい、次々に雛を育て手乗りにしました。
動物が近くにいると、何かほっとする気持ちになります。
後年、「ソロモンの指輪」という本で、正確な文は定かではありませんが、「動物との生活を知らない人には、人生の幸福の半分は隠されている」という一節を読み、妙に納得するところがありました。(その分、ほかの幸福を増やせばいいのだとも言えますが。)
そこで、自分の子供が生まれたころ、何よりも犬を飼うことを最優先にしました。子供が保育園のころ、秦野市のブリーダーから1ヶ月半のゴールデンレトリバーを買ってきて、家の中で飼うことにしました。
その後、子供が、近所の公園から野良猫を拾ってきたり、夏祭りですくってきた金魚を飼ったり、カニを飼ったり、カタツムリを飼ったり、やがて野良猫が子供を産んだりと、にぎやかな家になりました。
下の子は、ぜんそく気味でしたが、動物が増えて家の中が汚れてくるにつれて免疫ができたせいか、ぜんそくも自然に治ってしまいました。
子供たちは、もともとみんな動物が好きです。しかし、いろいろな理由で犬や猫を飼えないという家庭も多いと思います。
子供の情操教育というか、自然の人間らしい感情を育てるためには、動物と一緒に暮らす生活は大いに役立つと思います。
この4月に、近所のペットショップから、オカメインコと文鳥の1ヶ月の雛を買ってきました。
動物と共感する感情にも、臨界期というものがあるようで、幼児期から小学校低学年の時期に動物と一緒にいる時間があると、心から動物好きの子になるような気がします。
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理想の教育のイメージは、
1.人に教えてもらうだけの勉強ではなく、自ら進んで自主的に学ぶ勉強
2.知識の詰め込みを中心にした勉強ではなく、創造と発表を中心とした勉強
3.そして、朝は早くから寺子屋風に勉強し、午後は自然の中で友達とたっぷり遊び、夕方は家族と談話する生活
です。
それらを、自主学習クラス、思考発表クラブ、自然寺子屋合宿教室で実現していきたいと思っています。
そこに、創造性を育てる作文教育を組み合わせ、その教育を担う人を森林プロジェクトで育てていくというのが今後の展望です。
理想の教育のイメージはあることにはあるのですが、あちこち手を広げているので、あっちを直ししたり、こっちを直したり、直すのを忘れて更に直すところが広がったり(笑)という生活を今はしています。
やがて、いろいろなことが軌道に乗り、面白い教育システムができると思います。
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