以前、勉強の量と質と環境と想念について書いたことがありました。
この中でも最も大事なものは、量と質で、簡単に言えば、時間をかけて正しい勉強の仕方をすれば誰でも成績は上がるようになっています。
逆に言えば、勉強で苦手なものがある場合は、時間をかけていないか、正しいやり方でやっていないかのどちらかです。
よく、苦手な教科があるという人がいますが、そのほとんどは、その苦手な教科に時間をかけて勉強していないだけです。
勉強の質という点で言うと、できない問題をできるようにするというのがその質の中身です。
しかし意外と、できない問題を飛ばして、できる問題だけをやる勉強の仕方をしている人が多いのです。
できる問題をやっているときは、気分のいいものです。
通い慣れた道をドライブするようなもので、苦労せずに気軽に勉強ができます。
そして、やった問題に全部○がつけば、本人も嬉しいし、周りの人もそれを褒めてくれます。
勉強に慣れることも大事な小学校低中学年のころはそれでもいいのです。
そのころには、できない問題などはまずほとんどないからです。
低中学年で、なかなかできないような問題をやらせるとしたら、その勉強法の方が逆に問題があります。
しかし、その小学校低中学年の、できる問題をやる勉強法のまま、中学生になっても、高校生になっても、更には大学受験の時期になっても、質の伴わない勉強をしている生徒が意外と多いのです。
この勉強法の良し悪しについては、本人が自覚しにくいだけでなく、学校や塾の先生も気が付きにくいものです。
見えるのは、勉強している量だけで、その質の面が本当にわかるのは本人だけだからです。
だから、家庭でお父さんやお母さんがときどき勉強の仕方を見てあげる必要があるのです。
そして、その土台作りとして、小学校低中学年のころは、子供に次のように言っておくのです。
「○がつくのはいいことだけど、×がつくのは、その分自分が成長するのだからもっといいことなんだよ」と。
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勉強を進めるための4つの見方
https://www.mori7.com/index.php?e=2008
facebook記事より。
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その1、量。
ある程度の時間をかけることは必須です。
勉強が苦手だという子のほとんどは、ただかけている時間が少ないだけです。
その2、質。
時間をかけているわりに成果が上がらない子は、無駄の多いやり方をしています。
例えば、簡単にできる問題を何問も解き、はた目には勉強しているように見えてもただの作業になっているような場合です。
その3、環境。
勉強する以前の環境作りも大切です。
例えば、テレビやゲームの時間には明確なルールがなければなりません。
ルールを守ることが難しい場合は、捨てちゃうことです(笑)。
その4、想念。
「勉強は、誰でもやればできるようになる。人間には、皆その能力がある。早くできるかちょっと時間がかかるのか違いだけ」
そういう確信を親がまず持つことです。
何だか自分の仕事の仕方にもあてはまりそう。反省。
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勉強は難しいものではありません。
答えがわかっていて、その答えの導き方もわかっているのですから、あとは勉強の量と質だけです。
本当に難しいのは、答えのないもので、そこには努力と工夫と飛躍が必要になります。
勉強を難しくしているのは、正しくないやり方をしていることだけなのです。
どんなことでもそうですが、大事なのは才能の有無ではなく、努力の量と質です。
ただ成果が出るまでに時間がかかることがあるので、苦手な人は、それをつい才能の問題と考えてしまうだけです。
だから、子供に最も身近なお母さんが、才能ではなく努力だということをしっかりと確信しておくことが大事です。
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小学校低中学年のころは、勉強にまだ余裕があります。
時間もあるし、やることは難しくないし、先生やお母さんの言うこともよく聞きます。
しかし、そのために、つい必要なことを全部やらせてしまうことになりがちです。
国語も、算数も、理科も、社会も、英語も、漢字の書き取りも、学校で出される宿題も、全部やらせてしまうのです。
そういう家庭が多いので、小学校低中学年の子で結構忙しい生活を送っている子もいます。
しかし、この忙しい生活を消化する中で、読書や対話や自由な遊びの時間を、はっきりと自覚しないまま削っていることも多いのです。
言われたことを全部やるという姿勢で勉強していると、そのうち時間はいくらあっても足りなくなります。
そして、誰からも特に何も言われない読書や親子の対話などを削っていくうちに、やがてもっと大事な考える力がなくなってしまうことも多いのです。
だから、まだ忙しくない低中学年の時期から、何が大事で何が大事でないかを親が区別して考えることが大切です。
大事なのは、読書を中心とした国語力、計算が苦手にならないぐらいの算数力、家庭でやることを決めた自習、好きなことに熱中できる時間、です。
それ以外のものは、二の次と考えておくのです。
こういう区別をした上で、子供の生活時間を考えて無理のない学習計画を立てていく必要があります。
勉強の目標は、今の成績ではなく、将来の実力です。
小学校低中学年のころは、特に、その子の考える力を伸ばすことに力を入れていくことです。
それが、読書と対話とさまざまな体験や実験や工作や遊びができる自由な時間なのです。
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これから必要になる学力は創造力、これから必要になる勉強法は寺子屋オンエア方式 その2
https://www.mori7.com/index.php?e=2371
小学校低中学年のころの勉強で、難しいものを長時間やらせるのは全くと言っていいほど意味がありません。
なぜかというと、そのころの学年で難しいものでも、学年が上がるともっとずっと簡単にできるようになるからです。低中学年で長時間勉強したことは、高学年になるとずっと短時間でできるようになります。
だから、苦労して低中学年で難しいものを長時間やっていた子と、低中学年で簡単な基本的なものだけ短時間やっていた子とが、同じ高学年になると、すぐに同じレベルになってしまうのです。
よく出される例は英語です。小学校低学年から英語の勉強をしていた子と、中学生になって初めて英語の勉強をした子とで、英語の成績に差があるのは夏休み前ぐらいまでです。中学1年生が終わるころには、その差はもうすっかりなくなり、あとは中学での英語の勉強次第になるのです。
同じことは、算数数学でも言えますし、国語の漢字書き取りでも言えます。知識的な分野の勉強は、先取りすることにあまり意味がないのです。
しかし、低学年からやっていた方がいいこともあります。それは、知識的なものではなく、運動的なものや音楽的なものです。そして、この運動的、音楽的なものと同じものが、国語力なのです。
この国語力は、国語の勉強をして身につくものではありません。読書や対話の中で自然に身につくものです。この自然に身についた国語力が、読解力、思考力、表現力となって表れます。
だから、その子の本当の学力がどのくらいかということは、ペーパーテストを見てもわかりません。ペーパーテストは、一夜漬けでも点数が上がる面を持っているからです。
一夜漬けでは決して上達しないものの一つが作文です。作文の評価は、氷山のようなもので、表面に現れているものの何倍もの隠れている部分があります。その隠れている部分は、その子のそれまでの読書や対話のトータルな質と量なのです。
だから、小学校低中学年からの勉強で最も大事なものは、国語の勉強です。
算数数学や英語の勉強は、あとからでも比較的短期間で取り戻すことができます。しかし、国語力は、表面に表れている差はそれほど大きくは見えないものの、その小さい差を取り戻すことが実に大変なのです。
寺子屋オンエアで、国語の問題集読書を第一の勉強としているのはこのためです。(つづく)
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現代社会では、言われたことを全部やっていたら、時間がいくらあっても足りません。
子供の勉強も同じです。
実は、やれと言われても重要でないこともあるし、誰からもやれと言われなくても大事なことはあります。
それを判断するのは、その子のお母さんです。
勉強の目的は、社会に義理立てすることではなく、その子の成長を考えることです。
今の子供は多忙です。その多忙の原因の多くは勉強的なことです。
昔の子供はもっとたっぷり時間がありました。
しかし、今の子供が昔の子供よりも賢くなっているとはあまり思えません。
確かに成績の上ではよくなっているのでしょうが、創造力という人間にとって最も大事な学力についてはむしろ後退しているように思えるのです。
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