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思考発表クラブは、次の週の作文の予習と、算数の似た問題作りと、それぞれの生徒の読んだ本の紹介、作品の発表、そのあとの保護者懇談と盛りだくさんです。似た問題作りは、力作が多いのでいつもい感心しています。
これまでの勉強は、答えを早く見つける勉強だったので、よくできる子にはつまらなかったと思います。
答えのある勉強で百点を取っても嬉しくも何ともありません。(何ともではないですが)
いちばん面白いのは、自分で作り出す勉強です。そのために、子供の生活時間はもっと余裕のあるものにしていくべきだと思います。
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あるとき、全然作文が書けない、書けても間違いだらけ、しかも字数もほんのわずか数行だけ、そして、何よりも文章がほとんど読めないという小学校高学年の子が、言葉の森の教室に来ました。
本人もお母さんも、どうしたらいいか途方に暮れていました。
その子とお母さんに説明した勉強法は、何しろ毎日、長文を音読すること、できれば暗唱するぐらいまで読むことでした。
音読は、ただいろいろな文章を音読すればいいのではありません。
その文章を暗唱できるぐらいまで同じものを繰り返し読むことが大事です。
ところが、大抵の子は、同じものを繰り返し読むのは退屈するので、次々に新しい文章を音読したがります。
それでも音読をしないよりはましですが、繰り返し読むのに比べて効果はぐんと落ちます。
学校で音読の宿題を出すところが増えてきましたが、全体に繰り返しの回数が少ないのではないかと思います。
その子の学校はそういう宿題がなかったので、言葉の森の長文の音読だけを毎日続けました。
その子は漢字がほとんど読めなかったので、言葉の森のサイトで全部ルビ振りにしたものを印刷して、同じものを1週間読むということにしました。
そして、それに加えて毎日の読書も必ずやってくるようにしたのです。
すると、ある時期から急に作文が長く書けるようになり、数年たつと同学年の生徒よりも語彙の豊富な立派な文章を書けるようになりました。
そして、高校入試では、数年前には考えることもできなかったような第一志望の高校に合格したのです。
その間、やっていたことは毎日の音読と読書だけです。
大事なことは、その音読と読書を毎日一日も欠かさず続けたことです。
勉強でうまくできないことがある子の勉強の仕方には特徴があります。
それは、お父さんやお母さんが、あるとき集中して教えるような勉強の仕方をしていることです。
休みの日に数時間集中してそのことを教え込むような勉強の仕方をすると、確かに何とかできるようになります。
しかし、そこで、親も子もくたびれ果ててしまうのです。
そして、しばらくすると、またもとの何もしない状態に戻ります。
ある時期集中して勉強するという勉強スタイルは、お父さんやお母さんの教え方だけでなく、子供の勉強スタイルにも出てきます。
そういう子は、やっているときはすごくがんばっているように見えます。
しかし、そういう勉強法では効果が出ないので、やはり自分はその勉強は苦手なのだと思ってしまうのです。
小中学生の勉強に、苦手ということはありません。ただ、毎日やる仕組みを作っていないだけなのです。
勉強の基本は、あるときたくさんではなく、毎日少しずつです。
言葉の森の自主学習クラスも、この毎日少しずつが自然にできるようになることを目的にしています。
特に、国語問題集読書のような勉強は、家庭でやるとすぐに飽きてしまいます。
成果がすぐに目に見えないような勉強こそ、この毎日少しずつという勉強の仕方が大事なのです。
▽自主学習クラス
https://www.mori7.net/teraon/jiga/
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よく、○○が苦手という子がいますが、小・中学校の義務教育の勉強では、苦手も何もありません。
ただその勉強をやっていないだけです。
しかし、やると言っても数日間集中するような勉強法では成果が出ません。出てもすぐに元に戻ります。
家庭で無理のない勉強法を決めて、それを毎日続けることが大事です。
しかし、この毎日続けてということに、まず子供が飽きて、次に親が飽きてしまうことが多いのです。
毎日短時間でいいから同じことをやっていると、必ず力がつきます。
しかし、そこでちょっと力がつくと、すぐに問題集を次々とやるような勉強に戻ってしまう人が多いのです。
同じものを徹底して繰り返すという勉強はそれほど続けにくいのです。
できる子はどの子も、1冊を完璧に仕上げるような勉強法をしています。
逆にできない子は、次々に新しい問題をやるような勉強法をしています。
勉強法の習慣は、それほど変えにくいのです。
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以前、勉強の量と質と環境と想念について書いたことがありました。
この中でも最も大事なものは、量と質で、簡単に言えば、時間をかけて正しい勉強の仕方をすれば誰でも成績は上がるようになっています。
逆に言えば、勉強で苦手なものがある場合は、時間をかけていないか、正しいやり方でやっていないかのどちらかです。
よく、苦手な教科があるという人がいますが、そのほとんどは、その苦手な教科に時間をかけて勉強していないだけです。
勉強の質という点で言うと、できない問題をできるようにするというのがその質の中身です。
しかし意外と、できない問題を飛ばして、できる問題だけをやる勉強の仕方をしている人が多いのです。
できる問題をやっているときは、気分のいいものです。
通い慣れた道をドライブするようなもので、苦労せずに気軽に勉強ができます。
そして、やった問題に全部○がつけば、本人も嬉しいし、周りの人もそれを褒めてくれます。
勉強に慣れることも大事な小学校低中学年のころはそれでもいいのです。
そのころには、できない問題などはまずほとんどないからです。
低中学年で、なかなかできないような問題をやらせるとしたら、その勉強法の方が逆に問題があります。
しかし、その小学校低中学年の、できる問題をやる勉強法のまま、中学生になっても、高校生になっても、更には大学受験の時期になっても、質の伴わない勉強をしている生徒が意外と多いのです。
この勉強法の良し悪しについては、本人が自覚しにくいだけでなく、学校や塾の先生も気が付きにくいものです。
見えるのは、勉強している量だけで、その質の面が本当にわかるのは本人だけだからです。
だから、家庭でお父さんやお母さんがときどき勉強の仕方を見てあげる必要があるのです。
そして、その土台作りとして、小学校低中学年のころは、子供に次のように言っておくのです。
「○がつくのはいいことだけど、×がつくのは、その分自分が成長するのだからもっといいことなんだよ」と。
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勉強を進めるための4つの見方
https://www.mori7.com/index.php?e=2008
facebook記事より。
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その1、量。
ある程度の時間をかけることは必須です。
勉強が苦手だという子のほとんどは、ただかけている時間が少ないだけです。
その2、質。
時間をかけているわりに成果が上がらない子は、無駄の多いやり方をしています。
例えば、簡単にできる問題を何問も解き、はた目には勉強しているように見えてもただの作業になっているような場合です。
その3、環境。
勉強する以前の環境作りも大切です。
例えば、テレビやゲームの時間には明確なルールがなければなりません。
ルールを守ることが難しい場合は、捨てちゃうことです(笑)。
その4、想念。
「勉強は、誰でもやればできるようになる。人間には、皆その能力がある。早くできるかちょっと時間がかかるのか違いだけ」
そういう確信を親がまず持つことです。
何だか自分の仕事の仕方にもあてはまりそう。反省。
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勉強は難しいものではありません。
答えがわかっていて、その答えの導き方もわかっているのですから、あとは勉強の量と質だけです。
本当に難しいのは、答えのないもので、そこには努力と工夫と飛躍が必要になります。
勉強を難しくしているのは、正しくないやり方をしていることだけなのです。
どんなことでもそうですが、大事なのは才能の有無ではなく、努力の量と質です。
ただ成果が出るまでに時間がかかることがあるので、苦手な人は、それをつい才能の問題と考えてしまうだけです。
だから、子供に最も身近なお母さんが、才能ではなく努力だということをしっかりと確信しておくことが大事です。
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小学校低中学年のころは、勉強にまだ余裕があります。
時間もあるし、やることは難しくないし、先生やお母さんの言うこともよく聞きます。
しかし、そのために、つい必要なことを全部やらせてしまうことになりがちです。
国語も、算数も、理科も、社会も、英語も、漢字の書き取りも、学校で出される宿題も、全部やらせてしまうのです。
そういう家庭が多いので、小学校低中学年の子で結構忙しい生活を送っている子もいます。
しかし、この忙しい生活を消化する中で、読書や対話や自由な遊びの時間を、はっきりと自覚しないまま削っていることも多いのです。
言われたことを全部やるという姿勢で勉強していると、そのうち時間はいくらあっても足りなくなります。
そして、誰からも特に何も言われない読書や親子の対話などを削っていくうちに、やがてもっと大事な考える力がなくなってしまうことも多いのです。
だから、まだ忙しくない低中学年の時期から、何が大事で何が大事でないかを親が区別して考えることが大切です。
大事なのは、読書を中心とした国語力、計算が苦手にならないぐらいの算数力、家庭でやることを決めた自習、好きなことに熱中できる時間、です。
それ以外のものは、二の次と考えておくのです。
こういう区別をした上で、子供の生活時間を考えて無理のない学習計画を立てていく必要があります。
勉強の目標は、今の成績ではなく、将来の実力です。
小学校低中学年のころは、特に、その子の考える力を伸ばすことに力を入れていくことです。
それが、読書と対話とさまざまな体験や実験や工作や遊びができる自由な時間なのです。
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これから必要になる学力は創造力、これから必要になる勉強法は寺子屋オンエア方式 その2
https://www.mori7.com/index.php?e=2371
小学校低中学年のころの勉強で、難しいものを長時間やらせるのは全くと言っていいほど意味がありません。
なぜかというと、そのころの学年で難しいものでも、学年が上がるともっとずっと簡単にできるようになるからです。低中学年で長時間勉強したことは、高学年になるとずっと短時間でできるようになります。
だから、苦労して低中学年で難しいものを長時間やっていた子と、低中学年で簡単な基本的なものだけ短時間やっていた子とが、同じ高学年になると、すぐに同じレベルになってしまうのです。
よく出される例は英語です。小学校低学年から英語の勉強をしていた子と、中学生になって初めて英語の勉強をした子とで、英語の成績に差があるのは夏休み前ぐらいまでです。中学1年生が終わるころには、その差はもうすっかりなくなり、あとは中学での英語の勉強次第になるのです。
同じことは、算数数学でも言えますし、国語の漢字書き取りでも言えます。知識的な分野の勉強は、先取りすることにあまり意味がないのです。
しかし、低学年からやっていた方がいいこともあります。それは、知識的なものではなく、運動的なものや音楽的なものです。そして、この運動的、音楽的なものと同じものが、国語力なのです。
この国語力は、国語の勉強をして身につくものではありません。読書や対話の中で自然に身につくものです。この自然に身についた国語力が、読解力、思考力、表現力となって表れます。
だから、その子の本当の学力がどのくらいかということは、ペーパーテストを見てもわかりません。ペーパーテストは、一夜漬けでも点数が上がる面を持っているからです。
一夜漬けでは決して上達しないものの一つが作文です。作文の評価は、氷山のようなもので、表面に現れているものの何倍もの隠れている部分があります。その隠れている部分は、その子のそれまでの読書や対話のトータルな質と量なのです。
だから、小学校低中学年からの勉強で最も大事なものは、国語の勉強です。
算数数学や英語の勉強は、あとからでも比較的短期間で取り戻すことができます。しかし、国語力は、表面に表れている差はそれほど大きくは見えないものの、その小さい差を取り戻すことが実に大変なのです。
寺子屋オンエアで、国語の問題集読書を第一の勉強としているのはこのためです。(つづく)
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現代社会では、言われたことを全部やっていたら、時間がいくらあっても足りません。
子供の勉強も同じです。
実は、やれと言われても重要でないこともあるし、誰からもやれと言われなくても大事なことはあります。
それを判断するのは、その子のお母さんです。
勉強の目的は、社会に義理立てすることではなく、その子の成長を考えることです。
今の子供は多忙です。その多忙の原因の多くは勉強的なことです。
昔の子供はもっとたっぷり時間がありました。
しかし、今の子供が昔の子供よりも賢くなっているとはあまり思えません。
確かに成績の上ではよくなっているのでしょうが、創造力という人間にとって最も大事な学力についてはむしろ後退しているように思えるのです。
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今週の読み聞かせは、「花と虫」。
普段あたりまえのように見ている世界に、実は奥深い歴史があることがわかります。
こういう話を知っていると、高校2年生でやる自然科学実例も豊富になります。
高校生にも読ませたい本です。
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しばらく前、岐阜県の中津川市の北にある位山(くらいやま)というところに山登りに行きました。
山までの道を何時間か車を走らせながら、周囲の景色を見ていると、景色はいいけれど、こういうところで何か仕事をするというのは大変だろうなあと思いました。
かつての工業生産が日本の産業の中心だった時代であれば、田舎に工場を作りそこから世界を相手に仕事をするということもできたでしょうが、今はそういう時代ではありません。
工業生産は、もっと人件費の安い国が、新たに最新の設備投資をする形で行われるようになっています。
すると、この田舎で成り立つ仕事は、この地域に住む人のニーズによるものが中心になります。
ところが、人口が年々減少し、年齢構成も高齢化に向かう中では、そのニーズにも限りがあります。
田舎道のところどころにレストランや床屋や歯科医やガソリンスタンドや雑貨屋などがありました。
それらのニーズは、生活に必要なものですからなくなりはしないものの、その仕事が新たに発展するという展望ももちろんないだろうと思いました。
しかし、そこで、自分が何ができるかと考えると、一つのアイデアがわいたのです。
それは、こういう自然の豊かな田舎で、子供たちの合宿学校を作るということです。
田舎ですから、子供たちを教える先生はあまりいません。わざわざそのためにやってくる人もいないでしょう。
しかし、今はネットの技術が発達しているので、オンラインで子供たちを教える仕組みであれば、先生は都会にいたまま田舎の子供たちを教えることができます。
そして、子供たちは、都会の狭い公園で遊んだり、家の中でゲームをしたりするよりも、自然の中で自由に遊んだ方が、ずっと多様に楽しい生活を送れるはずです。
その多様性と楽しさは、将来その子が何か創造的な仕事をするときに生きてくるでしょう。
また、何よりも、子供時代のいちばんの目的は幸福な子供時代を過ごすことにあります。
子供時代の教育の最重点は、この楽しく多様な遊びをすることで、それは子供時代でなけれができないことです。
子供たちには、家族との触れ合いも大切なので、週に一度、土日の休みに都会の両親のいる家に戻ります。
また、土日だけでなく、普段の日もオンラインで両親とコミュニケーションをとることができます。
両親は都会で仕事をし、子供は田舎の自然の中で学びそして遊び、両親の休みになる土日や平日の夕方は家族で一緒に交流するのです。
こういう形で、大人の仕事生活と子供の勉強遊び生活の両立ができるのではないかと思いました。
また、こういうオンラインのコミュニケーションのある教育を、自然の豊かな田舎で行うことができれば、それが田舎の新しい経済の活性化につながると思いました。
そういう展望を考えた結果、今年から長期間の滞在も可能な夏の自然寺子屋合宿を行うことにしました。
合宿の1単位は2泊3日ですが、希望すればその2泊3日を何回も続けることができます。
そして、全員にクロームブックを渡し、午前中はオンラインで勉強し、日中は自然の中で遊ぶという形で勉強と遊びを両立させます。
この合宿所では、子供たちのご両親やご家族も、夏休みなどで時間がとれれば一緒に合流して宿泊することができます。
そうすれば、午前中は子供たちが勉強し、昼は子供たちも家族も一緒にみんなでバーベキューをし、午後は子供たちが遊びに出かけ、両親は近くの温泉に出かけ、夜はそれぞれに団欒するというようなことも可能です。
将来は、日本の子供たちだけでなく、アジアをはじめとする海外の子供たちで日本で日本文化や日本語を学びたいという生徒も対象に、長期滞在の可能な合宿学校を作っていこうと思っています。
今年は、7月23日から8月23日までの期間、那須高原で2泊3日を1単位とする自然寺子屋合宿を行います。(お盆の前後1週間ほどは除く)
詳細はおってホームページでお知らせします。
以下は、何年か前に書いた、地方の経済の変化についての記事です。
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マイルドヤンキーとなる若者――グローバルからローカルへ、そしてローカルから
https://www.mori7.com/index.php?e=2339
ハーバード大学などアメリカのハイレベルの大学に日本の若者が進学しなくなり、その代わり中国や韓国の若者が急速に増えているそうです。
しかし、日本の若者全体が海外に行かなくなったわけではありませんから、特に優秀な層が、海外に行かなくなっているのだと思います。
この現象を見て、最近の若者は覇気がなくなったと思う大人は多いと思います。しかし、それは実は違うのです。
海外と日本という対比と似ていますが、最近の若者には、大都会よりも地元へという志向が強くなっているようです。
マイルドヤンキーという言葉がありますが、地元でそれなりに自分らしい、そこそこに楽しい生活を送るという傾向が強くなっているのです。
今の日本の社会では、ローカル経済は、グローバル経済とは切れて存在する面が強くなっています。だから、円安でグローバル企業が利益を上げても、それがトリクルダウンする形で地方を潤すところにまで行かなかったのです。
しかし、そのことは逆に、これからグローバル経済に金融危機が見舞い、大きなシュリンクが起きた場合も、そのシュリンクが地方にまで波及することが少ないだろうことを予想させます。
地方の経済は、生活の必要で成り立っています。もちろん、ネットの影響を受ける分野は、グローバル経済の影響を受けますが、そうでないリアルな地方の産業は、世界的な経済危機があろうがなかろうが同じように存続し続けるのです。
このような情勢の中で、若者の発想は、世界を相手に大儲けをするという過酷な競争の人生には向かわずに、地元で成り立つ個性を生かした、大儲けもないかわりに大損もない、長続きする生活へと向かっているのです。
しかし、この生活には続きがあります。それは……(つづく)
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大人は仕事の必要上、都会で暮らさなければなりません。
しかし、子供は本当は自然の豊かな田舎で暮らせるといいのです。
田舎で暮らす場合に心配なのは教育ですが、それはオンラインでカバーできるようになっています。
大人の仕事がオンラインでカバーできるのはまだ先になるでしょうが、子供の教育では一足先にオンライン化ができています。
田舎に子供たちが集まれば、リアルな人間どうしの交流も盛んになります。
ということを考えて、長期間の滞在も可能な夏の自然寺子屋合宿を企画しました。
夏の自然寺子屋合宿の合宿所の近くに牧場があります。
将来は、その牧場で馬を育ててもらい、夏の合宿のときの子供たちの移動には、馬を使いたいと思っています。
しかし、たぶん周囲から、「あぶない」とか何とかいろいろ言われるので、馬による移動は自分だけになると思います。
と言っても、馬にまだ乗ったことはありませんが。
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言葉の森の通学教室では、現在、予習シートという形で、生徒が事前に作文の予習の構成図を書いてくるようにしています。
こういうシートがあると、両親への取材などもしやすいので、通信教室でも今後同じような仕組みを作っていく予定です。
当面は、思考発表クラブで紹介している作文の予習動画などを見て、それぞれの家庭で作文の準備としての事前の話をしていくとよいと思います。
今の社会のひとつの特徴は、共有という考え方があらゆる分野に広がりつつあることです。
教育に関しても、これまでの教科書+授業という一方通行の勉強ではなく、教科書+授業+youtube+参加という共有の形がこれから増えてくると思います。
シェアリング・エデュケーションと言うのでしょう。
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子供に家庭で作文を教えるのは、かなり難しいものです。
それは、教える当のお母さんやお父さんが、子供のころに作文の書き方を習ったことがないからです。
だから、作文を書くときの子供の気持ちがよくわかりません。
昔、こんなことがありました。
「楽しかったこと」という題名の作文がなかなか書けないので、お母さんがしまいに怒り出して、子供が泣きながら「楽しかった」という作文を書いた、という笑い話のようなかわいそうな話です。
教える人が作文を書くときの苦労がわかっていれば、子供にも書きやすくアドバイスすることができます。
その方法の一つが、大人が子供と同じ作文を書く練習をすることです。
例えば小学2年生の子供の作文を教えてあげたければ、大人が小2の作文の課題から練習をするのです。
そして、自分が教わった方法で子供に書き方を教えてあげます。
言葉の森では、このように、社会人が小学生の作文を書く練習をすることもできます。
もう一つは、もっと本格的に森林プロジェクトの作文講師資格講座を受講することです。
これは、小1から高3までの作文指導を本格的に学べます。
これから、記述力や作文力は入試でも大事になってきますから、自分の勉強も兼ねて作文の教え方を学ぶのは役に立つと思います。
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おじいちゃん、おばあちゃんが孫に教える作文
https://www.mori7.com/index.php?e=1728
作文指導には、その子のことをよく知っていて、親身に指導できる先生が必要です。
言葉の森の電話通信指導は、担任の先生が毎週生徒に電話をして作文の勉強をするので、自然に生徒と先生の間で信頼関係が生まれます。
しかし、そういうシステムで作文指導を受けられる機会は、ほかにはほとんどありません。
そこで、考えられるのは、家庭でお父さんやお母さん、又はおじいちゃんやおばあちゃんが、子供や孫に作文を教えるという仕組みです。
言葉の森には、幼長から社会人までの生徒が学んでいます。そして、作文専門の指導は、30年間の実績があります。
作文の指導はベテランの先生でないとなかなかできないと言われていますが、言葉の森にはその指導のノウハウが充分に蓄積されているのです。
そこで、例えば、孫が小学1年生になるときに、おじいちゃんが自分も小学1年生の教材から、言葉の森の作文の通信の授業を受けてみるのです。すると、その教材と教え方をそのまま、孫にも伝えることができます。
自分自身も同じテーマで作文を書いているので、子供がどういうところで書きやすくなったり書きにくくなったりするかということが手に取るようにわかります。
そうして、孫の学年が上がるとともに、おじいちゃんの作文の学年も上がっていきます。おじいちゃんの学年は飛び級で先に上がっていってもいいでしょう。
勉強が軌道に乗れば、近所の同学年の子供たちを一緒に教えることもできます。子供は、家庭でひとりで勉強するよりも、数人で集まって勉強した方が意欲的に取り組むので、気の合った友達を呼んで家庭で作文の勉強を続けることもできます。この場合は、森林プロジェクトという仕組みに切り換えて家庭作文教室を開くこともできます。
しかし、そこまで本格的にならなくても、自分の家の子供や孫に教えるだけならすぐにできます。
作文の勉強という最も続けにくい学習が、家庭の対話の中で楽しく続けられるようになるのです。
言葉の森では、この春から、社会人が自分の選んだ学年で自由に学べる作文の電話通信指導を開始します。この通信指導を生かして、子供や孫に作文を教える機会を作っていただければと思います。
長年の風雪に耐えたおじいちゃん、おばあちゃんが教える作文は、きっと味のあるものになるでしょう。
お問い合わせは、電話0120-22-3987(平日9:00~20:00)
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作文は、勉強の中で最も教えにくいものでないかと思います。。
その理由は、答えがないということと、そのときの精神的なものに左右されたり、題材のよさという偶然に左右されたりすることがあるからです。
また、作文の勉強は、話し声のあるところでは書きにくいという特徴があります。
そして、いちばん大きな原因は、作文を教える人が作文の書き方を習ったことがないことです。
そのため、作文を書く子の気持ちがよくわからないのだと思います。
低学年の子の作文指導をするとき、先生が子供が書くよりももっといい表現を教えて書かせてしまうことがあります。
それは、一見指導のように見えますが、作文の結果がよくなるだけで、子供の実力がついたわけではありません。
ということは、少し考えればわかることですが、今でもこういう教え方をしているところが多いのです。
大事なのは上手な作文を書かせることではなく、そういう実力をつけることです。
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