以前、ホームページの記事で、信号の話を書きました。
小さい子供にお母さんが話しかけるとき、「赤は止まれ、青は進めだよ」というような知識を教えるような話しかけ方と、「赤の次はすぐ青になるのに、青から赤になるのはどうして途中に黄色が入るんだろうね」というような考える話し方をするのとでは差があるという話を書きました。
子供が小さいとき、親の話はほとんどが新しいもので、その話を通して子どもはいろいろなことを吸収していきます。
この親の話の中に、知識的な話と思考的な話があるのです。
知識を教えるような話し方を中心にしていると、子供の知力の方向は答えを覚えるという方に進みます。
考えを楽しむような話し方をすれば、子供の知力の方向はやはり考えることの楽しさを味わう方向に進みます。
今の世の中は、本でも、テレビでも、インターネットでも、色々な媒体から知識の情報が流れてきます。
親のできることは、更に知識を教えることではなく、考える楽しさを味わう方向で話しかけることなのです。
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思考力は、答えのない世界を楽しむことで育つ
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これからの学力で必要になるのは、知識の量ではなく、考える力です。
あらかじめ用意されている答えを知識としてたくさん知っているというのが、これまでの学力でした。今の大人の多くは、自分自身がそういう勉強をしてきたせいで、いまだに知識の量を増やすことを勉強だと考えがちです。
そのため、子供に対しても、知識の有無を問うような対応をしがちです。
「これ、知っている?」「えー、こんなのも知らないの」「お父さん(お母さん)は、もっとこんなことも知っているよ」というようなやりとりです。
しかし、そういう知識の量を増やすだけの学力は、もう時代おくれの学力です。
これから必要になる学力は、思考力です。
思考力とは、正しい答えを探す力というよりも、答えのない世界を楽しむ力です。
子供の思考力を伸ばすためには、親が考える楽しさを示すことが大事です。それは、ちょうど、子供を読書好きにするために、親が楽しく本を読んでいる姿を見せることと同じです。
だから、子供との対話も、「これ知ってる?」「えー、知らないの」というようなやりとりではなく、親が自分で体験したこと、発明したこと、発見したことを、楽しそうに子供に話すことが重要になります。
発明、発見というと無理だと思う人もいるかもしれませんが、体験というのも、発明や発見と同じ思考力の表れです。「こう思ったから、こうしてみた」という行動は、答えのない世界を楽しんでいるからできるのです。
子供との対話を楽しく進めるには、知識のやりとりをするのではなく、こういう思考力のやりとりをすることが必要になります。
対話は、互いに自分の体験談で似た話をするから面白くなります。
知識だけの話は次第に狭く収斂していきますが、体験談の似た話を次々に拡散していきます。
この対話を楽しむことが、子供の思考力を育てていくのです。
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子供に接するとき、親は全能で何でも知っているかのようにふるまう必要はありません。
むしろ、わからないけれど一緒に考えるという姿勢が、子供の考える姿勢を育てます。
作文の題材で、子供が親に似た話を聞くことがあります。
特に感想文のときは、子供自身の体験以外にほかの人からの話を聞くのが役に立ちます。
そのときに、親は、たとえぴったりの話が見つからなかったとしても、一緒に考えるという姿勢を示すことが大事なのです。
知識の勉強は答えがはっきりしています。
だから、ついそちらに目が行ってしまいがちですが、知識はあとからどうにでもなるのです。
大事なのは考える勉強です。
しかし、考える勉強は答えがはっきりしないので、つい後回しになりがちです。
だから、考える勉強は、考えることを楽しむという形で進めていく必要があります。
そのためには、親自身が考えることを楽しむような話し方で子供と接していくことが大事なのです。
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これまでの社会では、価値あるものは不足から生まれてくると考えられていました。それがゴールドや資源の価値です。
また、人間の生存に必須なものも、価値あるものとみなされてきました。それが例えば食料や安全の価値です。
しかし、これらは究極の価値ではありません。
むしろ、過渡的な価値と言えるものです。
知識も同じです。
世界を理解するための膨大な知識は、人間にとって習得することが困難でした。
この困難さという不足が、知識を価値あるものとしていたのです。
ところで、人間の知力は、底辺となる知識と高さとなる応用力の2つの変数で作られる三角形の面積と考えられます。
そして、この知識の部分は、高度なものになるにつれて、人間の能力よりもかけた時間に比例するものとなってきます。
ところが、今後、この知識の部分は人工知能に代替されるようになってきます。
すると、人間の知力の中心は、知識よりも応用力または創造力というものになってきます。
例えば、わかりやすい例で言うと、スマホ持ち込み可の漢字の試験があったとします。
もともとの漢字力の差はあるとしても、その差は試験にはほとんど表れません。
人間の知力は、知識よりも応用力が中心になってくるのです。
もちろん、人工知能も応用力を持つことができます。
しかし、その応用力の方向を決めるのは人工知能自身ではありません。
例えば、囲碁や将棋で人間に勝つ人工知能があったとしても、その目的は「勝つ」という与えられた目的です。
これに対して、人間が囲碁や将棋を行う目的は、「勝つ」という形で現れた「よりより人生を生きる」ことなのです。
この差は、人工知能が生きたものではなく、人間が生きたものであるという差から来る本質的な差です。
今後、人間に残された価値ある分野は、このよりよい人生に向けて応用し創造する力になってきます。
だから、教育の第一の目標も、この創造力を育てることになってくるのです。
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これからの世界、日本、教育 4
●創造性を育てる教育
これからの教育の要になるものは、創造性を育てる教育です。創造性を育てる教育とは、オリンピックで金メダルを取るような教育ではなく、あまり適切なたとえではないかもしれませんが、ノーベル賞を取るような教育です。つまり、一定の分野で他人よりも優れていることが大事なのではなく、ほかの人のしていないことや見つけていないことを、発明したり発見したりすることが、最も大事な人間の創造的な能力です。
この創造性を育てる教育をどのようにして行うかというと、それは第一に、幼児期からの親子の対話と自然との触れ合いによってです。
第二は、作文の発表会のような形を通して、創造することが社会の評価の中心となるような文化的風土を作っていくことです。
第三は、高校生の後半から大学生にかけて、抽象的な語彙を含む難解な古典の読書と思索を、青年期の必須な教養として育てていいくことです。
創造性が社会に貢献するものであるためにも、人間と人間との対話が必要です。ベーコンは、「読むことは人間を豊かにし、書くことは人間を正確にし、話し合うことは人間を役立つものにさせる」と言いました。
この読書と作文と対話のバランスの上に、創造性を育てることを教育のいちばんの目的として進めていく必要があるのです。
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私は、今の受験勉強は末期状態になっていると思います。
昔の受験は、その受験勉強を通して本人が成長するという面がありました。
今でももちろんそういう面は残っていますが、パターン化された解法の詰め込みという弊害の面の方が強くなってきているのです。
そのため、物知りだが応用力がないという子が増えているような気がするのです。
人工知能にも創造力はあります。むしろ人間以上にあると言ってもよいでしょう。人間がまず考えつかないような組み合わせを膨大な知識データの組み合わせから作り出すことができるからです。
しかし、人工知能と人間の根本的な差異は、人間が希望を持って生きているのに対して、人工知能は生きていないということです。生きることを真似する人工知能はできますが、それはあくまでも真似です。
だから、人間に最後に残された分野は、単なる創造力ではなく、希望に基づいた創造力なのです。
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理科の本が好きな子は、合理的な考え方が好きです。
何かを考えるときも、科学的にどうしたらいいかというような発想をします。
感覚的な好き嫌いよりも、理屈が合っているかどうかを重視するところがあります。
一方、物語の本が好きな子は、感動したり共感したりする話が好きです。
だから、人間関係でも、そういう人情の機微のようなことを察するようになります。
ストーリーのある文章は、その中に自分を投影できるので、それだけものの見方が豊かになるのです。
読書の環境は、外側からは充実しているように見えますが、内実はそうではありません。
いちばんの問題は、勉強や習い事に追われているせいか、読書時間が全体に少ないことです。
「1日10ページでもいいから毎日読むことが大事」と言うと、それを単に10ページ読んでいれば十分と思ってしまう人がいます。
「1日10ページ」は入口で、目標は、「寝食を忘れて読むぐらい熱中できる本に出合う」ということなのです。
もう一つの問題は、自分の好みの本が狭く限定されていることに気が付かないことです。
それは、狭いジャンルでもいくらでも読む本があるからです。
本の傾向を広げる役割は、子供が小さいころはお母さんです。
ある程度大きくなると、友達からの影響で別のジャンルの本を読むということが出てきます。
そういう外からの働きかけによって、読む本の範囲を自然に広げていくことが大事です。
今は、理系の考え方が見直されている時期ですが、理系の力だけでは限界があります。
それは、世界の大きな流れを見るには、文系的な発想が必要になるからです。
そうでなければ、理系はただ道具の使い方を知っているだけということになってしまいます。
専門的な知識や技術を持つとともに、それをこれからの社会にどう生かしていくかということを考える必要があります。
専門的な実力とともに、専門を離れて全体との関連を見ることのできる幅広い視野が必要です。
そういう一種の教養をもとにして、初めて自分の専門性を社会に役立つ形で生かしていくことができるのです。
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将来のその子の仕事のための教育と子育
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これからの子供の教育を考える場合、未来の仕事がどういうものになるかを考えておく必要があります。人生のかなりの部分は、仕事によって占められているからです。
これからは、会社に勤めて給料をもらうという時代から、自分が仕事を作り出すという時代になっていきます。今の大人のほとんどは、会社勤めをしていますから、実感としてわかりにくいと思いますが、世の中はそういう方向に進まざるを得なくなっているのです。
会社というものは、常にコスト削減の波にさらされています。仕事をする人にとっての給料は、企業にとっての人件費です。企業は、利益を出すために、機械化、外注化、省力化を進め、人件費を少しでも減らそうとする傾向を持っています。
今行われている仕事が、機械で代替されるようになると、仕事そのものが人間を必要としなくなります。それは、労働の苦痛から人間を解放するという点で社会の進歩ですが、その仕事で給料をもらっている人にとっては生活の手段がなくなることを意味します。
新しい仕事は、機械化が遅れている分野で探さなければなりません。そういう仕事は、魅力的なものとは言えません。
これに対して、自分が仕事を作っているのであれば、仕事を機械化した分だけ、その人は新しいより創造的な仕事に自分の時間をふりむけることができるようになります。その努力は、自分を成長させるための努力でもあるので、新しい仕事に取り組むことは楽しいチャレンジになるでしょう。
長い目で見れば、どこかに勤める仕事は、次第に面白くない仕事になり、自分で作る仕事は、次第に面白いものになるという傾向があるのです。
では、自分で仕事を作るには、どのような能力が必要になるのでしょうか。
第一は、自分の得意技を複数持ち、その得意技を組み合わせることによって、その分野で第一人者になることです。
第二は、その分野で時間をかけることによって、他の人が真似のできないようなレベルにまで持っていくことです。
第三は、幅広い人間力をつけていくことです。
この人間力は、人望と言ってもいいでしょう。自分より上の人からはかわいがられ、同僚からは信頼され、下の者からは慕われるというのがその人の人望です。
人間関係の力は、勉強だけでなく、実際の交流によって作られます。人間どうしの交流の多くは、遊びを通して得られることも多いので、友達と楽しく遊ぶということは、勉強と同じように大切なことになります。
また、ただ仲よく遊ぶだけでなく、自分の個性や創造性を育てていくことも大事です。そのためには、交流と同じぐらい孤独の時間も必要になってきます。
これまでの子育ては、勉強面での成績のよさや、志望校への合格に還元される面がありました。
これからは、そうではなく、個性、創造性、人間性を育てることが大事になってきます。
子供を見るときに、その子が将来どういう仕事をしていくかということを思い浮かべながら子育てをしていくことが大切になっているのです。
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読書好きな子の多くが物語の本しか読まない傾向があるということが以前は気になっていました。
しかし、理科的、社会的な説明文の本しか読みたがらない子もいることに最近気がつくようになりました。
読書には、物語の本と説明の本の両方が必要です。
ひとこと言えば、物語の本は感動を育て、説明の本は知性を育てます。(そう単純ではない面もありますが) 幅広く読書好きで、しかもある一つの分野が特に好きというのが理想の状態なのだと思います。
子供たちどうしの本の紹介を見ていると、どの子もとても上手に自分の読んでいる本のおもしろいところをみんなに説明しています。
そして、互いに相手の読んでいる本に関心を持ち、自然に読書の幅が広がっているようなのです。
読んでいる本の紹介は、意外な効果があることがわかりました。
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勉強でも、勉強以外の習い事でも、初心者のうちは人から教えてもらうことが必要で、教えてもらう方が上達は早いものです。
しかし、ある程度レベルが上がってくると、それぞれの個性に応じてよくできるところと、あまりできないところが出てきます。
すると、人に教えてもらう場合でも個別の指導が必要になります。
学校で言うと、小学校低学年のころは一斉指導でわかりやすく教えてもらう方が能率よく勉強できます。
しかし、高学年になってくると、だんだん個別指導が必要になってくるのです。
それは、学年が上がってくると、得意なところと苦手なところが人によって分かれてくるからです。
そして、更に学年が上がり、中学生、高校生になると、この個別指導の必要性はますます高まってきます。
そして、究極の個別指導は独学なのです。
高校生になって独学中心に勉強していくためには、小学生のころから独学的なやり方で勉強をしておく必要があります。
その独学的な勉強の仕方が、家庭学習です。
その家庭学習も、親が教材の内容を把握していることが必要です。
そして、子供の出来具合に応じて、教材の選択を変えられるようにしておくことが大事です。
しかし、それは親がつきっきりで子供の勉強を見ているということではありません。
子供が自主的に勉強できるような方法を親が作っていくということなのです。
この自学自習を勉強の基本にしていると、学年が上がるほど勉強の能率が上がってくるのです。
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寺子屋オンエアのすすめ
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寺子屋オンエアとは、自宅で行う家庭学習をネットで共有する仕組みです。
取り組む家庭学習の内容は自由ですが、どんな勉強をどんな方法でしたらよいのかというアドバイスを言葉の森の先生が行います。
小中学生の勉強の基本は家庭での自学自習です。しかし、自習の仕方がわからないので、手軽な通信教材に頼ってしまう人が多いのです。
通信教材では、でき太くんの算数クラブのように、子供たちが自分で取り組みながら力をつけられるような工夫がしてあるものもあります。しかし、それ以外の多くの教材は、子供がひとりでもできるように、ただやりやすさだけを前面に出したものになっています。だから、簡単なうちは続けられますが、それで力がつくわけではないので、学年が上がって難しい問題が出てくるようになると続けられなくなってくるのです。
課題が易しいうちは、易しい通信教材で勉強できますが、それでは実力がつかないので、課題が難しくなってくると、多くの生徒は塾に行くようになります。
ところが、塾で先生に教わるような勉強は、実は能率が悪いのです。人に教わる勉強は、わかることもわからないことも、みんな同じようなペースで教わります。教わっているときは勉強をしているような気がしますが、勉強の中身が本当に定着するのは、自宅でじっくり自分なりに考えるときです。人に教わる勉強は、自分で考える時間が少なくなるという点で能率の悪い勉強なのです。
しかし、小中学生のころの勉強は、受験勉強も含めて、難しいとは言っても基本的には誰でもできる勉強なので、たとえ能率が悪くても長い時間をかけていれば、成績は上がります。塾に行って成績が上がる面があるのは、結局長い時間勉強をするようになるからです。
この小学生時代の長時間の勉強は、二つの点で問題があります。一つは、長時間勉強することによって、本を読んだり自分なりに考えたり遊んだりする時間がなくなってしまうことです。もう一つは、教わる勉強に慣れてしまうために、高校生になっても自分で勉強する方法がわからず予備校に頼るような勉強になってしまうことです。
勉強は、普段は自学自習で実力をつけておき、受験期には、志望校の過去問を分析し模試で自分の位置を見ながら受験用の勉強をする、という形で自主的に取り組むのがいいのです。
ところが、小中学生のころは、勉強に対する自覚がないのが普通なので、家庭での自学自習は、だらだらしたものになりがちです。子供が小学高低学年のうちは、まだ親の言うことを聞きますが、学年が上がってくると、だんだん親が言ってもそのとおりにはやらなくなります。
しかし、それは当然で、逆に小学校高学年になっても、親の言うとおりに素直に勉強する子は、反発するだけの自立心がないことも多いのです。小中学生のころに自立心のない子は、高校生になって自分の力で勉強をするときに、がんばりがききません。逆に、小中学生のころに親のいうことを聞かず、好き勝手にやっていた子は、高校生になっていざ勉強をすると決めると猛烈にがんばりだします。
こういう点でも、勉強はできるだけ本人が自主的に取り組むような形で進めていくのがいいのです。
寺子屋オンエアでは、子供たちが、「今日はこれをやります」という形でネット上で先生に報告し、そのやると決めたことを自宅でやっていきます。ネットでつながっているので、ひとりで勉強をしているのではないという実感があります。
月曜日から金曜日の毎日午後5時から午後7時まで自由にアクセスできます(第5週目は除く)。ですから、1ヶ月の間、毎日参加するとすれば、20日間勉強ができます。それだけやっていれば、寺子屋オンエアのない土日でも、同じペースで自然に家庭学習ができるようになるので、毎日家庭での自学自習ができるようになります。小中学生の勉強は、この毎日欠かさずということが大事なのです。
先生が勉強を教えるわけではありませんが、監督し、必要に応じてアドバイスする先生がいるので、料金がかかります(1ヶ月1人2,160円)。
寺子屋オンエアに必要なものは、google+のアカウントとウェブカメラです。最初のうちは、操作がわかりにくいので、電話で対応しながら接続の仕方などのアドバイスをしていきます。
将来は、この寺子屋オンエアを広げて、いくつかの家庭が協力して家庭学習をシェアする家庭塾のようなものができるとよいと思っています。そうすれば、特に誰かを先生として頼むのでなければ料金はかからないようにすることもできます。
また、先生として頼む人についても、学校や塾で教えることに慣れているプロの先生ではなく、自宅で子供たちを勉強させることに慣れている人が適役です。その点で、地域の人格者のような人が先生役になって、複数の家庭が協力して寺子屋オンエアを運営するというようなやり方ができれば理想的です。そうすれば、文字どおりネット上の寺子屋のような教室になると思います。
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勉強の基本は家庭学習です。
今は、インターネットの普及で、教材も勉強の仕方も容易に手に入るようになりました。
そして、今では、一緒に勉強する友達も、家庭学習の中で探せるようになっているのです。
学校にいる間は、まだ人に教わるかたちの勉強でもいいのですが、社会に出たら教わるだけでは限界があります。
自分で工夫して学ぶことは、仕事が高度になればなるほど必要になってきます。
だから、学校にいる間から、そういう自主的に学ぶ姿勢を作っておくことが大事なのです。
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2017年の夏合宿の特徴は、読書と遊びをたっぷりすることです。
子供たちの合宿というと、遊びだけ、勉強だけになりがちですが、言葉の森の夏合宿は「よく遊びよく学べ」で、両方を実行します。
特徴1.たっぷり読書をします。
付箋読書という読み方で、午前中3時間たっぷり読書タイムをとります。休憩時間には、敷地に設置した複数の大型ビニールプールで遊びます。
特徴2.たっぷり川遊びをします。
冷たい川でもウェットスーツを着ていれば、長い時間遊んでいても大丈夫です。川遊びのあとは、近くにある小高い丘で自由に遊びます。
特徴3.たっぷり作文を書きます。
川遊びの様子を防水カメラで記録し、夕方に作文を書きます。次の日の夕方、その作文のプレゼン発表をします。プレゼン発表会は、家で待つお父さんやお母さんもウェブ経由で見学できます。
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子供たちは集団の中で生きています。
ひとりではなかなかできないことも、みんながやっているのを見ると自然にできるようになります。
そこで、今年の夏合宿は、読書をたっぷりすることにしました。
夏休みは読書感想文に対する要望が多いので、合宿で読書感想文をやることも考えました。
しかし感想文は、子供にとっては面白くないだろうし、それにそういう宿題自体が時代おくれです。
そこで、読書をたっぷり行う夏合宿にしました。
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5.3週の課題は、「急がば回れ」です。
こういう説明的な文章は、似た話を見つけるのが意外と大変です。
特に小学生のころはまだ人生経験もあまりないので、自分の体験からだけだと似た例が見つからないことも多いのです。
そこで、お父さんやお母さんなど身近な人に取材することが重要になってきます。
しかし、単に急に、「お父さん、『急がば回れ』の例ある?」などと聞いても、お父さんは急には答えられません。
だから、お父さんに聞く前に、自分なりに見たこと、聞いたこと、思ったことのメモを見せて説明するのです。
そのメモになるものが構想図です。
構想図は、自由に思いついたことを書きます。
作文の内容から脱線したことでもかまいません。思いついたことをどんどん書いて、自分の考えを広げていくことが大事です。
考えることは構想図で、書くことは作文でというように分けておくと、作文を書くのも早くなってきます。
●授業の動画
https://youtu.be/pkFTfIQpFok
●作文の予習
▼5.3週
★急がばまわれ(感)
▽[Forza Horizon2]急がば回れ
https://youtu.be/66kfjNNTBUs
▽急がばまわれ~!
https://youtu.be/IVR53hZGJiY
▽天神石坂男坂・女坂
https://youtu.be/3nfeNFnBkE8
▽『瀬田の唐橋』 (Phantom2 空撮)
https://youtu.be/c-g1sWXfx_0
●算数の似た問題作成
「これでわかる算数小4」P62-4
「これでわかる算数小5」P38-5
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自然科学の本が面白いのは、そこに書かれていることが真実だからです。
どのように不思議に見えることでも、それが実際に存在するのであれば、そこに必ず合理的な説明が成り立ちます。
この世界が合理的な真実でできているという確信を持てることが、自然科学を学ぶことのいちばんの利点です。
文学の世界でも、人間の真実を描くことはできますが、そこにはどうしても作者の人生観や世界観や思い込みの癖などが入ります。
だから、文学の世界では、面白く読めるが、不自然なパターン化に流されるということもまた多いのです。
さて、ところが、自然科学の良書というのは書店には意外と少なく、児童図書の多くはフィクションが中心となっています。
今回、思考発表クラブで理科実験工作を取り上げようと思ったのは、子供たちの知的生活が、机上の勉強と架空の文学に多くを占められているような気がしたからです。
もちろんどちらも大切です。特に文学の世界は、架空ではあってもその中で人間に対する共感のようなものが育ちます。
しかし、現実の世界の中にある合理的な真実に感動することもまた、子供たちの成長には必要です。
自然科学というリアルな世界で、親子の対話ができると面白いと思います。
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賢い子を育てる、お母さんの科学的関心
https://www.mori7.com/index.php?e=2794
子供が、最初に接するのは、両親、特にお母さん、そしてお父さんです。
子供は両親を通して、社会に接していきます。だから、親の関心が子供の関心に結びつくのです。
親が科学的なものの見方に関心を持っていれば、子供もそのような関心を通して世の中を見るようになります。
これが、賢い子を育てる出発点です。
本を読んだり、勉強をしたりする以前に、子供が親の関心に自分の関心を重ね合わせることが大事なのです。
しかし、もとから科学好きな親ならまだしも、多くのお母さんは科学的なことにはあまり関心がないと思います。
そこで、使えるのが、子供向けの科学の本です。
子供と一緒に科学の本を読んでいると、「へえ、そうなんだ」と、世の中や自然の現象についての新しい理解に感心することがあります。
特に、自然界は、科学的な考え方の宝庫です。
自然の中にあるものは、どれもそれなりに必要な科学的裏付けを持って成り立っているからです。
これに対して、人間社会の現象は、にぎやかな話題が多い割に、科学的な裏付けを通して理解するということはあまりありません。
また、一般に勉強と言われるものも、科学的なものの見方にはあまり結びつかないものがかなりあるのです。
特に、成績にすぐに結びつくような勉強は、知識と手続きの理解でなりたっているので、それはそれでとても必要なことなのですが、子供を賢い子にするということにはあまり結びつきません。
むしろ、勉強の時間が多すぎると、勉強以外の読書や遊びや対話の時間が減る場合もあり、その方が子供の成長にとってマイナスになることもあるのです。
最近出た科学の本として面白いと思ったものは、「理科好きな子に育つふしぎのお話365」(誠文堂新光社)です。
390ページもあり、結構重たいので、読み聞かせに使うとしたらお母さんはかなり大変です。
しかし、ルビがふってあるので、ある程度お母さんが読み聞かせをして、子供が興味を持てば、続きを自分で読むようになると思います。
科学の本の選び方として大事なことは、ただ知識が書いてあるだけでなく、因果関係のような構造が書いてあることです。
科学の本とは少し違いますが、時事問題などでも、事実の経過が重要なのではなく、その背後にある因果関係の解説が大切です。しかし、世の中にある時事問題に関する本でそういう観点で書かれているものはあまり多くありまぜん。
知識が大事なのではなく、その知識の背後にある科学的な関係を知ることで、知的な好奇心が刺激されることが大事なのです。
以上のような科学的関心について考えたのは、ドクター・中松さんの「私は死んでる暇がない」を読んだのがきっかけです。
これも、とてもいい本ですから、子供向けではありませんが、ぜひ多くの方におすすめしたいと思います。
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子供たちは、実験や工作が好きです。
それは、山に登ったり、川で遊んだり、虫をつかまえたり、木の実を採ったりする遊びと同じように、現実の三次元の世界との対話があるからです。
そういう遊びのような勉強をときどき家庭でできるようになるといいと思います。
理科の試験の成績を上げるためには、実験に時間をかけるよりもも、実験の結果を参考書で覚えた方がずっと能率がいいはずです。
しかし、生きた知識は、実際の手足を動かす中で育ちます。
そういう時間のかかることを余裕を持ってできるのが家庭のいいところだと思います。
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