小4の6月1週の課題は、「私の父(母)」です。父の話を書くのですが、書きにくい場合は母の話でもかまいません。
ところで、父の話というのは、普段あまり接点がないので書きにくいものです。
そこで、父に関する動画を集めてみました。
これを見ると、こういうお父さんは確かにいるなあ。自分もそうだし(笑)、という感じがします。
子育ては、お父さんだけでも、お母さんだけでもなかなかうまく行きません。
厳父慈母という言葉がありますが、それぞれ役割が違っているところが、子供の成長に役立っているのだと思います。
以下、小4の思考発表クラブで紹介したyoutubeの動画です。
▽おもしろ画像:父親と母親の子育ての 違いを描いた10枚の比較 写真に男性の冷や汗が 止まらないと話題に
https://youtu.be/6llG2w53VHw
・40秒あたりから。
▽父親だけで子守をさせないほうがいい理由がわかる写真20枚
https://youtu.be/gY-ubQzMWI0
・みんなのお父さんも似ているかな。
▽世界のナイスなパパたち、一瞬の行動がかっこいい
https://youtu.be/UsURKRbGu-0
・カッコイイ?お父さんもいる。
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子供にとって、父親というのは作文にはちょっと書きにくい題材だと思います。
しかし、このyoutube動画を見れば、「あ、うちのお父さんもそういうところがある!」というヒントになるでしょう。
お父さんは、お母さんと比べて、変なところがたくさんある代わりに、格好いいところもたまにある存在なのだと思います。
うちも、子供には結構変なことをしてきました。子供と一緒に山道を歩いていて、子供が道の横の溝に落ちてズボンが濡れてしまったので、クズの葉で腰蓑を作ってやりそのまま帰ってきたりとか。子供も男の子だったので、結構適応していました。しかし、そのわりに、父と違ってまともな子になってしまいましたが。
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△那須高原のつつじ
読書作文キャンプの申込みフォームができました。
https://www.mori7.net/stg/#form
今年の夏キャンプは、那須高原で、読書と作文と山や川での遊びを中心に行います。
遊びについても、できるだけ創造的な遊びをしたいと思っています。
今の子供たちは、結構パターン化した遊び方や時間の過ごし方をしているように思います。
勉強でも、スポーツでも、遊びでも、大人が企画した枠の中で遊んでいることが多いのです。
夏のキャンプなどでも、大人はつい、スイカ割りをしたり、花火をしたり、キャンプファイヤーをしたり、みんなで川に飛び込んだりするような、いかにも夏の遊びらしいことを考えがちです。
それはそれでもちろんいいのですが、本来子供というものは、自然の中で自由にさせておけば、いろいろな遊びを自分たちで考え出すものです。
自分の子供時代を考えても、休みの日などは文字どおり朝から晩まで、友達と山に行ったり海に行ったりして熱中して遊んでいました。
ただし、今の子供たちは、突然自由に遊べと言われても戸惑うと思うので、いろいろな遊び方を紹介して、あとは自分たちで工夫して遊べるようにしたいと思っています。
そして、夕方のプレゼン作文発表会で、自分が工夫した遊びを紹介すれば、互いにその工夫を共有できます。
勉強でも遊びでも、これからはできるだけ自分の個性と創造性を生かしたものにしていく必要があります。
インフレの時代には、メジャーなものが潰しの効くものでした。
しかし、デフレの時代には、メジャーなものほど過当競争に直面します。
そして、更に、人工知能の発達によって、これまで高い参入障壁に囲まれた聖域と思われていた分野が突然誰にでも開かれた分野になるという事態が生まれています。
こういう社会に行きていくためには、あらかじめ予約できる安全な道というものはないと考えることが必要です。
自分の個性を生かして物事に取り組み、社会の変化には自分の創造力を発揮して対応していくしかありません。
正しい答えを早く見つける能力ではなく、自分だけの答えを作り出していく能力が必要になってくるのです。
だから、今年の夏キャンプも、勉強だけでなく、遊びについても、できるだけ創造性を生かすような自由な遊びを工夫できるようにしていきたいと思っています。
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創造性と読書力さえあれば、何も心配は要りません。学校の成績などは、あとからついてくるものです。
しかし、それがわかるのは、子供がある程度成長してからです。
だから、小さいうちから、できるだけ自由に創意工夫して遊ぶことを教えておくといいのです。
今年の夏合宿は、午前中読書、午後遊び、夕方作文と発表会という予定です。
うまく行けば、読書を生かして遊び、遊びを生かして作文を書くということができそうです。
いずれ、この合宿をもっと長期間続けられるようしたいと思っています。
例えば、2泊3日ではなく、夏休み中ずっととか(笑)。
19、20日と、那須の下見に行ってきました。
ベッドを取り返るので、もう少し時間がかなります。
板室温泉の近くに広い河原がありました。
上の方の山はツヅジが満開でした。
息子は来月3歳になりますが、こちらのキャンプにそのうち参加させて頂きたいと思ってます。作文講師の勉強もしてみたいです。
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夏の読書作文キャンプの日程が決まりました。
読書と作文と遊びを中心とした「よく学びよく遊べ」のキャンプです。
○第1組:7/23(日)~7/25(火)2泊3日
○第2組:7/25(火)~7/27(木)2泊3日
○第3組:7/27(木)~7/29(土)2泊3日
集合解散場所は、いずれも東京駅です。
集合:1日目の 9:30東京駅「銀の鈴広場」集合→10:12東京駅出発(新幹線やまびこ207)→11:21那須塩原駅到着
解散:3日の14:30東京駅「銀の鈴広場」解散←14:16東京駅到着(新幹線やまびこ212)←13:02那須塩原駅出発
対象は、小1~中3で保護者も参加できます。(言葉の森の生徒だけでなく、どなたでも参加できます)
対象学年は、小1~中3。
低学年は、読み聞かせでなく自分で本が読める人(ひらがなが読める人)。
作文は、書けなかったり苦手だったりしても、対応できるので大丈夫です。
各組とも、子供24名 大人6名。
(子供12名以上で実施)
費用は、下記のとおりです。
子供…………36,720円(交通費含む。消費税含む)
大人…………28,080円(交通費含む。消費税含む)
(連泊する場合、2回目以降の2泊3日は、子供30,240円、大人21,600円)
(キャンプアシスタントとしてキャンプ中の子供たちの世話を手伝ってくれる方の大人の参加費は無料)
宿泊場所は那須高原の言葉の森合宿所です。
言葉の森那須合宿所
325-0303 栃木県那須郡那須町高久乙3374-48 電0287-73-5794(045-830-1177)
募集フォームは現在作成中ですので、しばらくお待ちください。
https://www.mori7.net/stg/
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今年のサマーキャンプは、新幹線で東京から1時間10分、那須高原で読書と作文と山遊びと川遊びを行います。
参加者は、みんなにおすすめの本を3冊持ってきてもらい、午前中はたっぷり読書。日中は遊んで、夕方は作文とプレゼン発表会を行います。
子供たちは、バスで行くより新幹線で行く方が嬉しいようです。
時間も3分の1ぐらいになることだし、貸切バスはやめて新幹線の指定席で行くことにしました。たぶん、みんなでまとまった席に座れると思います。
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5月27日(土)13:30~15:00、インターネットでプレゼン作文発表会を行います。
この発表会には、どなたでも参加できます。(言葉の森の生徒以外の方も参加できます。)
参加された方全員に、豪華な参加賞が出ます。
参加お申込みの締切は、5月22日(月)までです。
参加される方は、発表会案内のページからお申込みください。
https://www.mori7.net/hpk/
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子供たちの作文発表の場です。
作文を読むだけでなく、作文の内容に関連する写真を絵を見せながらプレゼンテーションを行います。
5~6人の少人数のグループに分けて行いますので、質問や感想を交わしながら和気あいあいと進めます。
参加を希望される方は、発表会案内のフォームからお申込みください。
参加したいのですが、この日は残念ながら小学校の運動会。都内ではこの日程での運動会が多いのではないでしょうか。。。
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人間は、褒められれば自信がつきます。
これは、子供だけでなく大人でも同じです。
自信がつくとどうなるかというと、更に新しいことに挑戦したくなるのです。
しかし、挑戦を続けていると、必ず失敗することが出てきます。
その失敗を通して、人間はまた一回り成長します。
だから、すべての出発点は褒めることなのです。
最初から、細かいことに注意されて育った子は、その細かいことはしっかりとできるようになりますが、肝心の挑戦する自信というものが育ちません。
だから、小さくよくできる子というだけになってしまうことがあるのです。
大きく成長するためには、大きく失敗することが大事で、大きく失敗するためには、大きく挑戦することが大事で、大きく挑戦するためには、褒めて自信をつけておくことなのです。
子供を育てるのは、明日のテストの成績をよくするためではありません。
10年後、20年後の自立した人間として育てるためなのです。
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勉強はのんびり気長にやるほど得意になる
https://www.mori7.com/index.php?e=2208
小学校低学年の子は、作文でも、勉強でも、読書でも、遊びでも、みんな大好きです。生きていることがうれしくてたまらない時期ですから、どんなことも楽しく好きになるのです。
ところが、小学校低学年のときに、何かが苦手になることがあります。ときどきあるのは、作文が苦手になるというケースです。
その原因は、たったひとつ、早く上手に書かせようと思い、注意する量が多くなってしまうからです。
親が、注意と思っていないような一言でも、子供にとっては注意と受け止められてしまうことがよくあります。
だから、小学校低学年のころは、どんなに欠点があったり、不十分なところがあったりしても、ただひたすら褒めていればいいのです。
そして、褒める一方で、気長に長文音読と読書と対話を続けていくことです。
その音読と読書と対話も、やっているといろいろ気になることが出てきますが、全部そのまま認めて褒めてあげます。
読み方を注意したり、話し方を注意したり、読む本を決めたりすると、やがて音読も読書も対話も苦手になっていきます。
褒めるだけで上手になるのかといえば、そのとおりです。
褒めていれば、みんな上手になり、得意になっていきます。早く上達させようと思い、注意すると、苦手になり、下手になっていくのです。
人間は、繰り返していれば上達するようにできています。歩き方でも、走り方でも、喋り方でも、文章の書き方でも、続けていれば自然に上手になります。
学年が上がると、アドバイスによって急に上手になるという場面も出てきます。しかし、その場合でも、それまでの長い蓄積があるから、一言のアドバイスで上手になるのです。
だから、大事なのは、気長に続けていくことです。そのために、いつも気長に褒めていくことです。
音読も、読書も、作文も、生活の一部となるぐらいに自然に続けられるようにしていくことが大事なのです。
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褒められれば誰でも嬉しくなります。
この嬉しくなることが大事です。
嬉しくなると、もっとやってみようと思うようになります。
叱られてもっとやらされるのと違って、嬉しくなってもっとやるのは全然くたびれません。
そして、更に自信がついてくるのです。
褒めるときは、いつでも小さくたくさん毎日が基本です。
そして、たまに叱るときは、ドカンと大きく一発短く一瞬で終わるようにです。
その逆が多い(笑)。
その通りですね!近い将来ではなく、本当の将来を見据えて考えたいです。
生徒への指導を横で聞いていた娘が、指導が終わると「どうして私にはああいう風にホメてくれないの?」と言ってすねていました。私自身は同じようにホメていたつもりでも、やはり「母」と「先生」の心持は違うのだと初めて気づきました。
こども側でも「母」にホメられるのと「先生」という他人にホメられるのでは、嬉しさがちがうのかもしれません。
「先生」としての仕事の意義を再認識すると同時に、娘にも「先生」という他人にホメてもらう場を与えた方がいいな、と思う出来事でした。
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以前、ホームページの記事で、信号の話を書きました。
小さい子供にお母さんが話しかけるとき、「赤は止まれ、青は進めだよ」というような知識を教えるような話しかけ方と、「赤の次はすぐ青になるのに、青から赤になるのはどうして途中に黄色が入るんだろうね」というような考える話し方をするのとでは差があるという話を書きました。
子供が小さいとき、親の話はほとんどが新しいもので、その話を通して子どもはいろいろなことを吸収していきます。
この親の話の中に、知識的な話と思考的な話があるのです。
知識を教えるような話し方を中心にしていると、子供の知力の方向は答えを覚えるという方に進みます。
考えを楽しむような話し方をすれば、子供の知力の方向はやはり考えることの楽しさを味わう方向に進みます。
今の世の中は、本でも、テレビでも、インターネットでも、色々な媒体から知識の情報が流れてきます。
親のできることは、更に知識を教えることではなく、考える楽しさを味わう方向で話しかけることなのです。
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思考力は、答えのない世界を楽しむことで育つ
https://www.mori7.com/index.php?e=2207
これからの学力で必要になるのは、知識の量ではなく、考える力です。
あらかじめ用意されている答えを知識としてたくさん知っているというのが、これまでの学力でした。今の大人の多くは、自分自身がそういう勉強をしてきたせいで、いまだに知識の量を増やすことを勉強だと考えがちです。
そのため、子供に対しても、知識の有無を問うような対応をしがちです。
「これ、知っている?」「えー、こんなのも知らないの」「お父さん(お母さん)は、もっとこんなことも知っているよ」というようなやりとりです。
しかし、そういう知識の量を増やすだけの学力は、もう時代おくれの学力です。
これから必要になる学力は、思考力です。
思考力とは、正しい答えを探す力というよりも、答えのない世界を楽しむ力です。
子供の思考力を伸ばすためには、親が考える楽しさを示すことが大事です。それは、ちょうど、子供を読書好きにするために、親が楽しく本を読んでいる姿を見せることと同じです。
だから、子供との対話も、「これ知ってる?」「えー、知らないの」というようなやりとりではなく、親が自分で体験したこと、発明したこと、発見したことを、楽しそうに子供に話すことが重要になります。
発明、発見というと無理だと思う人もいるかもしれませんが、体験というのも、発明や発見と同じ思考力の表れです。「こう思ったから、こうしてみた」という行動は、答えのない世界を楽しんでいるからできるのです。
子供との対話を楽しく進めるには、知識のやりとりをするのではなく、こういう思考力のやりとりをすることが必要になります。
対話は、互いに自分の体験談で似た話をするから面白くなります。
知識だけの話は次第に狭く収斂していきますが、体験談の似た話を次々に拡散していきます。
この対話を楽しむことが、子供の思考力を育てていくのです。
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子供に接するとき、親は全能で何でも知っているかのようにふるまう必要はありません。
むしろ、わからないけれど一緒に考えるという姿勢が、子供の考える姿勢を育てます。
作文の題材で、子供が親に似た話を聞くことがあります。
特に感想文のときは、子供自身の体験以外にほかの人からの話を聞くのが役に立ちます。
そのときに、親は、たとえぴったりの話が見つからなかったとしても、一緒に考えるという姿勢を示すことが大事なのです。
知識の勉強は答えがはっきりしています。
だから、ついそちらに目が行ってしまいがちですが、知識はあとからどうにでもなるのです。
大事なのは考える勉強です。
しかし、考える勉強は答えがはっきりしないので、つい後回しになりがちです。
だから、考える勉強は、考えることを楽しむという形で進めていく必要があります。
そのためには、親自身が考えることを楽しむような話し方で子供と接していくことが大事なのです。
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これまでの社会では、価値あるものは不足から生まれてくると考えられていました。それがゴールドや資源の価値です。
また、人間の生存に必須なものも、価値あるものとみなされてきました。それが例えば食料や安全の価値です。
しかし、これらは究極の価値ではありません。
むしろ、過渡的な価値と言えるものです。
知識も同じです。
世界を理解するための膨大な知識は、人間にとって習得することが困難でした。
この困難さという不足が、知識を価値あるものとしていたのです。
ところで、人間の知力は、底辺となる知識と高さとなる応用力の2つの変数で作られる三角形の面積と考えられます。
そして、この知識の部分は、高度なものになるにつれて、人間の能力よりもかけた時間に比例するものとなってきます。
ところが、今後、この知識の部分は人工知能に代替されるようになってきます。
すると、人間の知力の中心は、知識よりも応用力または創造力というものになってきます。
例えば、わかりやすい例で言うと、スマホ持ち込み可の漢字の試験があったとします。
もともとの漢字力の差はあるとしても、その差は試験にはほとんど表れません。
人間の知力は、知識よりも応用力が中心になってくるのです。
もちろん、人工知能も応用力を持つことができます。
しかし、その応用力の方向を決めるのは人工知能自身ではありません。
例えば、囲碁や将棋で人間に勝つ人工知能があったとしても、その目的は「勝つ」という与えられた目的です。
これに対して、人間が囲碁や将棋を行う目的は、「勝つ」という形で現れた「よりより人生を生きる」ことなのです。
この差は、人工知能が生きたものではなく、人間が生きたものであるという差から来る本質的な差です。
今後、人間に残された価値ある分野は、このよりよい人生に向けて応用し創造する力になってきます。
だから、教育の第一の目標も、この創造力を育てることになってくるのです。
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これからの世界、日本、教育 4
●創造性を育てる教育
これからの教育の要になるものは、創造性を育てる教育です。創造性を育てる教育とは、オリンピックで金メダルを取るような教育ではなく、あまり適切なたとえではないかもしれませんが、ノーベル賞を取るような教育です。つまり、一定の分野で他人よりも優れていることが大事なのではなく、ほかの人のしていないことや見つけていないことを、発明したり発見したりすることが、最も大事な人間の創造的な能力です。
この創造性を育てる教育をどのようにして行うかというと、それは第一に、幼児期からの親子の対話と自然との触れ合いによってです。
第二は、作文の発表会のような形を通して、創造することが社会の評価の中心となるような文化的風土を作っていくことです。
第三は、高校生の後半から大学生にかけて、抽象的な語彙を含む難解な古典の読書と思索を、青年期の必須な教養として育てていいくことです。
創造性が社会に貢献するものであるためにも、人間と人間との対話が必要です。ベーコンは、「読むことは人間を豊かにし、書くことは人間を正確にし、話し合うことは人間を役立つものにさせる」と言いました。
この読書と作文と対話のバランスの上に、創造性を育てることを教育のいちばんの目的として進めていく必要があるのです。
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私は、今の受験勉強は末期状態になっていると思います。
昔の受験は、その受験勉強を通して本人が成長するという面がありました。
今でももちろんそういう面は残っていますが、パターン化された解法の詰め込みという弊害の面の方が強くなってきているのです。
そのため、物知りだが応用力がないという子が増えているような気がするのです。
人工知能にも創造力はあります。むしろ人間以上にあると言ってもよいでしょう。人間がまず考えつかないような組み合わせを膨大な知識データの組み合わせから作り出すことができるからです。
しかし、人工知能と人間の根本的な差異は、人間が希望を持って生きているのに対して、人工知能は生きていないということです。生きることを真似する人工知能はできますが、それはあくまでも真似です。
だから、人間に最後に残された分野は、単なる創造力ではなく、希望に基づいた創造力なのです。
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理科の本が好きな子は、合理的な考え方が好きです。
何かを考えるときも、科学的にどうしたらいいかというような発想をします。
感覚的な好き嫌いよりも、理屈が合っているかどうかを重視するところがあります。
一方、物語の本が好きな子は、感動したり共感したりする話が好きです。
だから、人間関係でも、そういう人情の機微のようなことを察するようになります。
ストーリーのある文章は、その中に自分を投影できるので、それだけものの見方が豊かになるのです。
読書の環境は、外側からは充実しているように見えますが、内実はそうではありません。
いちばんの問題は、勉強や習い事に追われているせいか、読書時間が全体に少ないことです。
「1日10ページでもいいから毎日読むことが大事」と言うと、それを単に10ページ読んでいれば十分と思ってしまう人がいます。
「1日10ページ」は入口で、目標は、「寝食を忘れて読むぐらい熱中できる本に出合う」ということなのです。
もう一つの問題は、自分の好みの本が狭く限定されていることに気が付かないことです。
それは、狭いジャンルでもいくらでも読む本があるからです。
本の傾向を広げる役割は、子供が小さいころはお母さんです。
ある程度大きくなると、友達からの影響で別のジャンルの本を読むということが出てきます。
そういう外からの働きかけによって、読む本の範囲を自然に広げていくことが大事です。
今は、理系の考え方が見直されている時期ですが、理系の力だけでは限界があります。
それは、世界の大きな流れを見るには、文系的な発想が必要になるからです。
そうでなければ、理系はただ道具の使い方を知っているだけということになってしまいます。
専門的な知識や技術を持つとともに、それをこれからの社会にどう生かしていくかということを考える必要があります。
専門的な実力とともに、専門を離れて全体との関連を見ることのできる幅広い視野が必要です。
そういう一種の教養をもとにして、初めて自分の専門性を社会に役立つ形で生かしていくことができるのです。
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将来のその子の仕事のための教育と子育
https://www.mori7.com/index.php?e=2206
これからの子供の教育を考える場合、未来の仕事がどういうものになるかを考えておく必要があります。人生のかなりの部分は、仕事によって占められているからです。
これからは、会社に勤めて給料をもらうという時代から、自分が仕事を作り出すという時代になっていきます。今の大人のほとんどは、会社勤めをしていますから、実感としてわかりにくいと思いますが、世の中はそういう方向に進まざるを得なくなっているのです。
会社というものは、常にコスト削減の波にさらされています。仕事をする人にとっての給料は、企業にとっての人件費です。企業は、利益を出すために、機械化、外注化、省力化を進め、人件費を少しでも減らそうとする傾向を持っています。
今行われている仕事が、機械で代替されるようになると、仕事そのものが人間を必要としなくなります。それは、労働の苦痛から人間を解放するという点で社会の進歩ですが、その仕事で給料をもらっている人にとっては生活の手段がなくなることを意味します。
新しい仕事は、機械化が遅れている分野で探さなければなりません。そういう仕事は、魅力的なものとは言えません。
これに対して、自分が仕事を作っているのであれば、仕事を機械化した分だけ、その人は新しいより創造的な仕事に自分の時間をふりむけることができるようになります。その努力は、自分を成長させるための努力でもあるので、新しい仕事に取り組むことは楽しいチャレンジになるでしょう。
長い目で見れば、どこかに勤める仕事は、次第に面白くない仕事になり、自分で作る仕事は、次第に面白いものになるという傾向があるのです。
では、自分で仕事を作るには、どのような能力が必要になるのでしょうか。
第一は、自分の得意技を複数持ち、その得意技を組み合わせることによって、その分野で第一人者になることです。
第二は、その分野で時間をかけることによって、他の人が真似のできないようなレベルにまで持っていくことです。
第三は、幅広い人間力をつけていくことです。
この人間力は、人望と言ってもいいでしょう。自分より上の人からはかわいがられ、同僚からは信頼され、下の者からは慕われるというのがその人の人望です。
人間関係の力は、勉強だけでなく、実際の交流によって作られます。人間どうしの交流の多くは、遊びを通して得られることも多いので、友達と楽しく遊ぶということは、勉強と同じように大切なことになります。
また、ただ仲よく遊ぶだけでなく、自分の個性や創造性を育てていくことも大事です。そのためには、交流と同じぐらい孤独の時間も必要になってきます。
これまでの子育ては、勉強面での成績のよさや、志望校への合格に還元される面がありました。
これからは、そうではなく、個性、創造性、人間性を育てることが大事になってきます。
子供を見るときに、その子が将来どういう仕事をしていくかということを思い浮かべながら子育てをしていくことが大切になっているのです。
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読書好きな子の多くが物語の本しか読まない傾向があるということが以前は気になっていました。
しかし、理科的、社会的な説明文の本しか読みたがらない子もいることに最近気がつくようになりました。
読書には、物語の本と説明の本の両方が必要です。
ひとこと言えば、物語の本は感動を育て、説明の本は知性を育てます。(そう単純ではない面もありますが) 幅広く読書好きで、しかもある一つの分野が特に好きというのが理想の状態なのだと思います。
子供たちどうしの本の紹介を見ていると、どの子もとても上手に自分の読んでいる本のおもしろいところをみんなに説明しています。
そして、互いに相手の読んでいる本に関心を持ち、自然に読書の幅が広がっているようなのです。
読んでいる本の紹介は、意外な効果があることがわかりました。
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