昨日の小6の思考発表クラブで、子供がyoutubeなどインターネットを長く見るようになって、その分読書量が減っている気がする、という相談がありました。
昔、テレビが普及し始めたころ、評論家の大宅壮一氏は、一億総白痴化という言葉で、テレビが人間の思考力や想像力を低下させていると警鐘を鳴らしました。
このテレビよりも誘惑度の高いのが、インターネットの世界です。
テレビや漫画は、つい惰性で見るので無駄な時間を過ごしがちです。
インターネットは、それ以上に惰性で見てしまうことが多いのです。
数年前、イギリスの中学生がSNSに時間を取られ、読書をしなくなったという記事が載っていました。
これは、日本でも同じ事情になりつつあると思います。
では、どうしたらいいかというと、これはやはり自己コントロールによる、生活とインターネットの共存しかないのです。
禁止というのは、小学校低学年のころはあり得ますが、高学年や中学生の子に禁止というのは、問題を先送りするだけになります。
誘惑に負けるというのは、子供だけの問題ではなく、大人も含めた人間の本質的な問題です。
それを克服するのが、広義の教育です。
私の考えの基本は、「よく遊び、よく学べ」です。
youtubeも楽しむ、SNSも楽しむ、そして読書も、勉強もたくましくやり遂げる、しかし、そういうことができない人とも仲よく接する、という人間像の目標を立てて、そこに近づくように親子で努力していくということな のです。
▽参考記事
「国語の成績は、氷山の水より上の部分。下の部分は、親の価値観と生活習慣」
https://www.mori7.com/index.php?e=2184
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子供がyoutubeやSNSに夢中になっていたら、親はどうしようかと悩むと思います。
しかし、そういう無駄な回り道に見える時間も、将来子供が自立するためには必要です。
放置するのでも、禁止するのでもなく、共存するという仕組みを作っていくことがこれからの子育てには必要になってくるのです。
子供が小さいころに、命令や禁止を中心に子育てをしていると、その子が成長したときに、本人の自主性に訴えるということができなくなります。
だから、親の言うことを何でも聞くような子供時代にこそ、その子の自主性を尊重して接していく必要があります。
人間にはもともと、よりよく生きたいという本質があるので、その本質を引き出すことが子育ての基本方針になると思います。
親がまともで躾もきちんとしている場合、情報の取捨選択が正しく行われるので問題はないのかも知れません。しかし良識のない親、躾もいい加減な親の場合、ネットにはテレビと違って放送倫理などはありませんから子供が誤った情報を信じてしまったり過激な思想に染まってしまったりなどの危険性が高まると思います。今はゆとり世代が親であり、政府の教育方針も歪んでいますので、近い将来、偏った知識を持つ倫理観に欠ける大人が量産されるというような事態が生じるかもしれませんが、政治に無関心で教育よりも学歴を重視する現代社会ではそれも仕方ないことなのでしょうね。
匿名さん、ありがとうございます。
今の教育の問題点のひとつは、家庭での教育が後退していることです。
いちばんの格差はそこにあるのではないかと思っています。
TVの問題は、その受動性にありました。
時間とともに音声と映像は強制的にながれるもので、
読書のように自主的に速度をコントロールできるものではありません。
また、放映されるチャンネルはせいぜい10であり、
その中において各番組の意図は限られています。
その多くはCMスポンサーの意図であり、
否応なしに視聴者は資本主義に組み込まれるものでした。
この2点において、先見の明があった大宅壮一氏は、
文明破壊装置という定義をしたのでしょう。
その聡明さは特筆たるものがあります。
YouTubeがTVにとってかわるのは間違いないと思いますが、
大きな違いはマウスクリックを挟むという能動性です。
ここにどんな影響度が生まれるか、注目しています。
くまモンさん、ありがとうございます。
YouTubeの特徴は、発信する手段にもなるということです。
今は、ユーチューバーが再生回数を競い合っているところがありますが、それはまだYouTubeが成熟していないからです。
将来は、不特定多数の再生回数よりも、ある特定の仲間と価値ある情報を共有するという形に進化していくと思います。
テレビ等の営利が絡んだ扇情的・短絡的な報道内容に自らが操作されていることに気づくのは、上記の匿名コメントがそうであるように、大人の我々でも個人の努力のみでは難しいことです。
それに加え、Youtubeなどに代表されるインターネットの広告やコンテンツが、人々から収益を得るための仕掛けは、試行錯誤を繰り返し、年々多様化・巧妙化しています。
ですので、これらの誘惑とうまく付き合っていくには、各家庭ごとの対応では足りないのではないか、と危惧しております。
同じ志を持った家庭同士が連携し、情報交換を密に行い、インターネットと共存できる具体的方法を共有することが肝要だと思います。
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作文の勉強をする意義として、入試に作文が増えてきたからという考えがあります。
しかし、それは作文を勉強する意義としては表面的なことです。
入試に作文が出てきたのは、作文力読書力というものが真の学力を表していると考えられてきたためです。
だから、作文力をつけるには、読書力、対話力、思考力を総合的につけていく必要があります。
その点で、作文は勉強の集大成とも言えるものです。
しかし、言葉の森は作文の意義をそれ以上に創造的な学力を育てる勉強として考えてきました。
そのための方法は、構成、題材、表現、主題の4つの分野にわたって自分らしい書き方を心がけていくことです。
よく、「書くことが好きになる」と言いますが、作文の何が楽しいのかといえば、この創造するという面が楽しいのです。
作文によって創造の楽しさを感じた子供たちは、将来社会に出て仕事や研究をするようになったとき、やはり自分の持ち場で創造的なものを作り出していくと思います。
▽「創造性教育試案」
https://www.mori7.com/index.php?e=2768
今年の読書作文キャンプも、子供たちができるだけ自由に創造性を発揮できるように企画していきたいと思います。
遊びでも、勉強でも、大人がお膳立てしたものを受け身で楽しむようなものではなく、自分で自由に工夫してやるようなものにしていきたいと思っています。
https://www.mori7.net/stg/
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創造性が大事だということは誰でもよく言いますが、その定義は実はあまりはっきりしていません。
だから、創造性という言葉は、内容のないただの飾りのようなものとして使われていることが多いのです。
その創造性教育を内容のあるものとするのが、作文教育です。
今、森リンを修理しているため森リン大賞を発表していませんが、早くこれを直して、今度は、森リン大賞以外に、創造作文大賞のようなものも作っていきたいと思っています。
ここには、例えば、小学校低学年の子でも、ユニークなたとえや実例や感想を書けば、その創造性を評価するという仕組みです。
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