夏の朝です。青く広がる空の下で、お母さんが小さい子供に何か話しかけています。
「太陽が昇るのはどっち」
「ひがし」
「よくできたわねえ。じゃあ、太陽が沈むのは」
「にし」
「えらい、えらい。じゃあ……」
子供に教育的に接することは大事なことです。
しかし、それがともすれば知識中心の接し方になりがちなのが、現代の社会の特徴です。
知識を教えるという接し方は、親にとっては「教える役割」、子供にとっては「教わる役割」という関係を生み出します。
この「知識を教える―教わる」という教育関係は、やがて限界が来ます。
それは第一に、知識のレベルが次第に上がってくるにつれて、親は冷たい接し方になるからです。
第二に、子供はやはり知識のレベルが上がってくるにつれて、無味乾燥な受容の仕方になるからです。
第三に、知識がやがて子供の方が豊富になってくると、そこで親子の教育関係は終わってしまうからです。
そして第四に、もっと大事なことは知識を重視する社会がこれからなくなっていくからなのです。
現在の社会は、知識を持つ人が優遇される形になっています。
しかし、人工知能の発達によってこれから職業がなくなる分野として考えられているものは、高度な仕事とされていた豊富な知識を必要とする分野なのです。
知識の豊富な人がある資格を取得し、その資格を元に仕事をするということは、これまでは自由で高収入な仕事の条件でした。
学校教育も、そういう人を育てるような方向に編成されてきました。
しかし、人工知能の発達によって、知識を中心とする仕事はこれから急速に人間の手から離れていくようになります。
これからやって来るのは、知識を仕事の中心とする社会ではなく、喜びと創造を仕事の中心とする社会です。
その喜びと創造の力を育てていくことが、これからの教育の目標になります。
それでは、どうしたらそういう教育ができるのでしょうか。
それは「知識を教える―教わる」という関係ではなく、教える側の父また母が喜びをもって何かを「為す」又は「話す」ことによってです。
親のすることや話すことに接した子供が、それに憧れ自分もやってみたくなるという関係が、これからの教育の基本になります。
両親や上級生や友達がやっていることを見て、それに憧れた子は、自分でもそれをやってみたくなります。
そこには、もちろん基礎となる学力が必要です。
しかし、基礎学力は、教科書に準拠した参考書や問題集を反復することができれば、自学自習で十分に身につけることができます。
必要な基礎学力の上に、自分のしたいことをするというのが、これからの教育の基本的な形になっていくのです。
この知識の勉強から喜びと創造への勉強というのが、これからの教育の方向です。
このような将来の教育を実現するために、言葉の森では六つの取り組みをしています。
第一は、もちろん作文教育です。
文章を書くことを通して自分の考えを創造する力を身につけるのです。
それをプレゼン作文発表会や作文検定で勉強の目標を作りながら進めていきます。
第二は、その前提となる読む力を育てる教育です。
読書、音読、暗唱に力を入れることによって、多様な知識を吸収する力を身につけていきます。
暗唱については、暗唱検定で勉強の目標を作っていきます。
第三は、自主学習クラスです。
他人に頼らずに自分自身で勉強し、そのきっかけとして友達や先生と学ぶ場を共有するという仕組みです。
暗唱という自学自習も、この自主学習クラスを利用すれば容易に続けていくことができます。
第四は、思考発表クラブです。
自分なにり考え、その結果をみんなの前で発表することによって、相互に知的な向上心を高めていく学び方です。
第五は、今年、読書作文キャンプとして行なっている自然寺子屋合宿です。
実際に自然や友達と接することよって、勉強ばかりでなく人間や自然との交流も学んでいきます。
そして第六は、これらの教育を実現するための組織作りとしての森林プロジェクトによる作文講師資格講座です。
これらのトータルな企画で、日本のこれからの教育をよくしていきたいと思っています。
青い空を見て、「太陽が昇るのはどっち」という話をするだけでなく、お母さんが子供に、「あの空を見ると、お母さんは、またいつか夏山に登ってみたいなあと思うのよ」と自分の喜びを語るような接し方が、未来の教育的な接し方になっていくと思います。
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喉が渇けば、馬は自然に川の水を飲もうとします。
無理に飲ませる必要はありません。
大事なのは、自分自身がおいしそうに水を飲むことです。
それは勉強も同じです。
勉強を嫌いだった親が、子供に勉強させようとしてもうまく行きません。
親自身が今の自分の興味の範囲で勉強好きになることが、子供を勉強好きにさせるいちばんの方法です。
しかも、それは子供が小さいときほど影響が大きいのです。
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作文がとてもよく書ける子のに、なかなか新聞に入選しないという子がいます。
逆に、作文は字の間違いがあったり表記ミスがあったりして、必ずしもうまくはないのに面白い作文を書いて入選するという子がいます。
入選する作文と合格する作文は、性質が違うのです。
そして、もちろん両方できる子もいます。
では、その違いとは何でしょう。
まず、合格する作文からです。
合格する作文というのは、項目がしっかり入れられている作文のことです。
面白いかどうかはほとんど関係がありません。
内容に個性や感動があれば、印象点はよくなりますが、それは合格の決定的な要素ではありません。
構成がしっかりしていて、語彙が豊富で、論旨が一貫していて、実例の幅の広がりがあり、そして時間内に必要な字数まで書く力があれば、それが合格する作文を書く力です。
森リンの評価は、この合格する作文を基準にしていますから、語彙の多様性、思考の深さ、知識の豊富さなどを総合して評価しています。
作文検定の評価も、合格する作文が基準です。
評価の対象は、字数、時間、構成、題材、表現、主題、表記の各項目なのです。
これに対して入選する作文は、誤字や表記ミスがあればもちろんマイナスにはなります。 しかし、そういう表記の評価よりももっと重要なのは、内容の面白さに対する評価です。
内容の面白さとは、個性があること、挑戦があること、感動があること、共感があることです。
この個性・挑戦・感動・共感の評価を、言葉の森では内容点の評価として行なっています。
ですから、項目で全部◎がつくということも、作文の勉強の一つの目標になりますが、それと同時に内容でよい作文を書くこということも、もう一つの目標になります。
そして、入選を目指して新聞に投稿するのは、もちろんこの内容のよい作文の方です。
決して項目や字数がきちんと書けている作文ということではありません。
では、この内容のよい作文を書くにはどうしたらよいでしょうか。
実は、内容のよさの基本は偶然なのです。
だから、誰でも年に何回かは傑作を書く機会があるのです。
項目の合格は努力次第でできますが、内容のよさは、偶然に本人がいい内容の出来事に遭遇していなければできません。
しかし、小さな出来事であっても、表現の力でよりよい内容に書き上げることはできます。
その力とは、自分の経験や考えを感動を持って書く力のことです。
人間の感動は、持って生まれたものだけではありません。
その人がそれまでに読んだ文章の表現や映像の表現に沿って感動したり共感したりする面があります。
子供時代に感動や共感のある本を読みその表現が身についていれば、自分の経験を文章に書くときにも、自然に感動や共感のある表現をすることができます
内容の面白さを表現する力は、それまでに読んだ本の面白さを感じた度合いに比例しているのです。
ときどき、勉強のよくできる子の中に、真面目な、誰からも薦められる名作と言われるような本を、薬を飲むように毎日十数ページずつ読んでいる子がいます。
タイトルに、「○年生で読む名作の本」などと書いてあるような本です。
そういう本は、もちろんそれなりにいい話が載っていますが、子供が熱中して止まらなくなるような読み方をする本ではありません。
そのような本の読み方では、本を読んで感動するという経験はなかなかできません。
読み始めたら途中で止められずに一気に読みたくなるような本を読むことが、読書の感動を育てる道です。
本を読んで感動した子は、感動や共感を表現する書き方を自然に身につけます。
だから、作文を書くときも、内容のよさは偶然に左右されるのが基本とはいっても、読む人に感動や共感を与えるような書き方で書くことができるようになるのです。
読書には二つの面が必要です。
第一は、難しい説明的な文章を繰り返し読むことです。
第二は、面白い楽しい本をたくさん読むことです。
学力はあるのに、入選するような作文がなかなか書けないという人は、これから感動のできる熱中して読める本をたくさん読んでいくことをお勧めしたいと思います。
もうひとつ付け加えると、文章表現は、その子の全人間的なところから出てきますから、読書以外の環境、家庭や学校や地域の文化環境も大切です。
家庭で、ものごとの明るい面、前向きな面を見る雰囲気があれば、それは文章にも自然に反映してきます。
こういう文化環境は、すぐにはできませんから、長い目で育てていく必要があります。
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入選する作文と合格する作文は性格が違います。
しかし、書く人の多くはこのことを知りません。
時には、評価する人もこのことをよく知らずに評価していることがあります。
合格する作文は、中身が味気なくても項目がしっかりできていればいいのです。
入選する作文は、項目などできていなくてもいいから、何しろ感動できる内容が入っていることが大事なのです。
「○分で読める名作」とか、「親子で読む○○」とか、「○年生で読みたいお話」などの本がありますが、こういう本は、読書習慣をつける導入にはならないと思います。
「10分で読める」などといっても、10分で読み終えるほどの短い話だったら、感動したり余韻を味わったりする暇はありません。
子供に読書習慣をつける熱中できる本は、こういう本ではないのです。
もちろん、「10分で読める○○」という本も、知識として内容を整理するのには役立ちます。
だから、こういう本を読んでももちろんいいのですが、読書の中心はあくまでも本人が熱中できる本です。
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