小学校3年生の懇談会で、次のような質問がありました。
「理科と社会の勉強をさせるために、『これでわかる』シリーズの参考書をしばらく読んいでたが、テストをやってみたら全然できなかった。やはり、問題を解く勉強をしたらいいのだろうか」
というものでした。
理科や社会は、基本的には教科書を繰り返し読むことで自然に力が付きます。わざわざ問題を解くような形の勉強をする必要はありません。
社会の場合は、特にそうです。教科書を読書代わりに繰り返して読んでいれば、勉強自体が面白いですし、それで自然に社会のテストもできるようになります。
理科の場合は、計算の問題や図形的な理解の問題があるので、解き方を覚えるような問題を解く勉強はある程度必要です。しかし、基本はあくまでも教科書または参考書を読むということです。
では、なぜ教科書や参考書を読んでいるのにテストができなかったかというと、それは読む回数が少なかったからなのです。
この話と似ていますが、以前も、別の方から、「漢字集で漢字の暗唱はできるようになったが、テストをしてみると読めない漢字があった」という相談がありました。
親や先生は、すぐにテストをして結果を評価したがりますが、勉強の基本は何度も繰り返し読むことで、その徹底した繰り返しのあとに、単なる仕上げの確認としてテストをするのです。
繰り返しの回数が少ない状態でテストをすれば、できないものがあって当然です。
そこで、テストができるように、テストの問題を解くような形の勉強すると成績は確かに上がります。
しかし、そこでは本当の力はつきません。少なくとも、伸びしろのある学力はつきません。テストに出そうな問題を解く力がつくだけなのです。
勉強の基本は読むことであって、問題を解くことではありません。
ところが、今の子供たちの学習環境は、学校でも塾でも常にテストという形で評価されるので、まるでテストができることが勉強の中身のように思われてしまうのです。
テストを勉強の目的とするのは、受験勉強のときだけでいいのです。
そして、このテストをしてできなかったということを親が重要なこととして考えると、子供は自然にその教科に対する苦手意識を持ってきます。
時々、謙遜の意味で、「うちの子は○○が苦手なんです」と言うお母さんがいますが、そういう言葉を聞くと、子供はその勉強が更に苦手になっていきます。
ですから、親はその子が何かの分野で苦手だと思ったとしても、決してそれは口には出さずに、少しでもよくできている点を褒めて励ますようにしていくのです。
そのためには、すぐにテストで結果を評価するのではなく、読む勉強を基本にして、できていることを褒め続けていくことです。
問題を解く勉強ではなく、読む勉強を中心にすることによって、子供は楽しく実力をつけていきます。
本や教科書や参考書を読んでいるうちに、自然にできるようになるのが、本当の学力です。
テストに出そうな問題を練習して、そして、できるようにするのは錯覚の学力です。
錯覚の学力は、短期的には成果が出るように見えますが、長期的には役に立ちません。
受験前に本人が本気になれば、そういう学力は誰でもすぐにつくからです。
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小3や小4までは、親は子供の勉強を簡単に教えられます。
やっていることは基礎のことばかりだからです。
しかし、だからこそ、ここで親が教えるのではなく、子供が自分で解答を見て答え合わせをし、自分なりに納得する形の勉強をさせていく必要があります。
親が登場するのは、生徒本人が、自分の力だけではわからない問題に遭遇したときだけです。
子供の自立心を育てることが、あとになるほど生きてくるのです。
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京都の堀川高校は、20年前は平凡な公立高校でした。
当時、京都の高校は私立高校が優勢で、公立高校はどこも地盤低下していました。
生徒は真面目でしたが勉強に対する特に強い意欲があるわけではなく、進学実績も高くはありませんでした。
公立高校の全般的な退潮に危機感を抱いた当時の教育長と校長と教員は、新しい高校の学習スタイルを作るために堀川高校をパイロット校として改革を始めました。
その一つが探究科という新しい専門学科の設立で、自然探究学科と人間探求学科という大きなテーマで生徒が自主的に取り組む勉強の仕組みを作っていったのです。
生徒の興味や関心を引き出し、楽しく学べる学校作りをめざしたさまざまな取り組みによって生徒の意欲が高まり、2002年には、前年度6人だった国公立大学現役合格者が一挙に106人に増え、京都大学にも6人が合格しました。
ここから得られる教訓は、受験勉強の学力というものは時間をかけることによって伸びる面もあるが、それ以上に生徒自身の意欲的な取り組みによって伸びる面が強いということです。
かつて受験評論家の和田秀樹さんは、「数学は解法の暗記だ」という方法論で、数学の成績を短期間で上げる勉強法を提唱しました。
この勉強法によって数学が得意になった人は、かなり多いと思います。
しかし、数学者の森毅さんはこの方法を批判して、数学は考えるところが面白いということを述べていました。
勉強には、解法を覚えて能率よく進めていくやり方があります。
受験直前の勉強法は合格が目標ですから、和田さんのいうように大事なポイントを丸ごと覚えてしまう方法が最も効率がよいのです。
しかし、それはある意味で先細りする学力です。
効率よく勉強して成績を上げた人がそのまま学力を伸ばしていくかというと、必ずしもそういうことはなく、そこで獲得した受験の成績がピークで、そのまま低下していくこともまた多いのです。
この反対に、先太りする学力は、自分が好きな勉強に熱中して打ち込むような姿勢によって作られます。
森毅さんが言った「数学の考える面白さ」とは、このことです。
これは、ある意味で能率とは正反対の非能率的な勉強ですが、この勉強の根本にあるのは自分が関心を持ったものに対する意欲です。
この意欲を育てることが、先太りする学力になるのです。
今、思考発表クラブでは、読書の紹介と作文の構想図と自由な実験や工作の発表を行っています。
この中で、自分なりにいろいろな科学実験をしたり工作をしたりする子は、そのことにかなり長い時間を使います。
そして、実験は予定どおりうまく進むものはむしろ少なく、思ったとおりの結果が出なかったり、失敗してやり直したりというような試行錯誤の時間がかなりあるものなのです。
そういう遠回りの勉強をやっている時間があったら、その分、問題集の解法を覚えるというような勉強をすれば成績ははるかに短時間で上がります。
大人は、もう自分自身がそれほど成長する年齢ではないので、子供の生活を能率の面からだけ考えがちです。
しかし、子供は成長の過程にある存在です。
だから、能率の面から考えて勉強させることが、かえって学力を先細りさせる要因になってしまうこともまた多いのです。
受験の直前には、解法を集中して覚えるような能率のよい勉強を、必要悪と割り切ってやっていくことが必要です。
また、そう割り切れば、解法を覚えて自分のものにする勉強はそれなりに面白いものです。
しかし、受験直前ではない時期の子供の勉強は、できるだけその子の関心をもとに、時間の制限なく取り組めるような意欲を育てるものにしていく必要があるのです。
◆先に行くほど太くなる――言葉の森の作文指導◆
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勉強は、やる気になったときからが勝負です。
だから、それまでは勝負に勝つための勉強ではなく、実力をつけるための勉強をしておくといいのです。
勝つための勉強とは、試験に出そうなところを集中して勉強することです。
実力をつけるための勉強とは、自分の興味に応じて時間の制限なく好きなことを勉強することです。
小学生のうちは、こういう本当の勉強の姿勢を身につける時期なのです。
保育園児たちとアートで関わっています。
子どもたちの面白いと思ったことをとことんやりつくすことが大事!と思っています。その姿とオーバーラップしますね。
体験の前に「〇〇してはいけない」等の判断が植え付けられている子供が多いですが、とことん体験した後に、どうするか自分で考えることが大事ですよね。
とにかく興味のあることをやりつくす!それが自分らしさを濃くしていくのですよね。
かるぺさん、ありがとうございます。
幼児期は特に、能率よりも意欲を中心にしていくことが大切だと思います。
というか、幼児に能率などは必要ないのでしょうね。
今、問題に感じているのは、幼児期にそういう意欲を育てた子が、小学校に上がると、その意欲を修正させられてしまうように見えることです。
これからは他人と競争して、少しでも上位につけば勝ちという生き方ではなく、自分の好きなことを伸ばして、少しでも社会に貢献できれば勝ちという生き方になると思います。
同じ「勝ち」でも、昔は他人と競争して勝ちを手に入れることでした。
これからの「勝ち」は、工夫したり、勇気を出したり、困難なときでも笑顔でいたり、という自分に対する「勝ち」なのです。
かるぺさん、見てきました。
いい保育園ですね。
こういう自由な発想を小学生以降も持ち続けていけるといいと思います。
創造と自立の教育が今後の目標ですね。
今は従順と他律の子が評価されがちですが。
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