小学校の低学年のころは、学校で日記の宿題が出されることがあります。
これは、文章を書くことに慣れるという意味で効果のある宿題です。
しかし、家庭ではこの日記の宿題に悩むことも多いのです。
その理由は、第一に、書くことが見つからないときは、子供が日記を書くのに苦労するということがあります。
第二に、正しい書き方ができないので、子供が書くことを嫌がるという場合もあります。
第三に、毎日日記を書くということに張り合いがもてないので、いい加減なやっつけ仕事になってしまうことがあるということもあります。
日記の宿題は、書き慣れるというよい面もありますが、ただ書くだけでは国語力をつけるのにはあまり役立ちません。
これを次のように使うとよいのです。
まず日記を書くことを、親子の対話のひとつとして行うということです。
お父さんでもお母さんでもよいのですが、子供とその日にあったことや思ったことを話すときに、親が構想図をメモしながら聞いてあげるのです。
そして、余裕があれば、そこに作文の表現項目である「たとえ」を入れたり「声顔動作の様子」を入れたり、「どうしてかというと」という理由を入れたり、「自分なりに考えたこと」を入れたり、「□○□○」という擬声語擬態語を入れたり、「ダジャレ」を入れたりして、その出来事の内容を深めていきます。
この対話によって、子どもの語彙力と思考力が育ちます。
そして、親の書いた構造図を参考に子供が日記を書けば、正しい表記の仕方も自然に身につけることができます。
親子で構造図を書きながら対話する時間は、大体10分程度です。
10分も話していると、A4サイズ1枚の紙が構想図のメモで埋まります。
このような対話を、日記の宿題をきっかけに毎日行うことができれば、親も子供も楽しく宿題をこなし、しかも子供の国語力は向上するのです。
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宿題を、やらなければならない義務のように考えると負担を感じます。
そうではなくて、親子の楽しい対話のきっかけとして使っていくのです。
特に、日記の宿題などは、親子の言葉遊びとして活用できると思います。
小学生の国語力は、勉強として行うものではありません。
だから、国語のドリルなどをやっても、国語力はつきません。
国語力は、勉強としてではなく、家庭における言葉の生活として育てていくのです。
もし勉強的にやるとしても、それは読書や暗唱のような毎日気軽にできる習慣として行っていくものです。
日記の宿題も、親子の対話のきっかけとして活用していけばいいのです。
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小学生のころにたくさん本を読んでいた生徒が、中学生になるとパタリと本を読まなくなることがあります。
これには、いろいろな理由が考えられます。
一つは、学校で読書指導というものをしなくなるからということがあります。
もう一つは、中学生は部活や定期テストでそれなりに忙しくなるからということもあります。
また、ネットの情報で文章を読むことが多くなるので、その分読書から遠ざかるということもあるでしょう。
しかし、いちばん大きい原因は、中学生になっても読み続けたくなるような魅力的な本があることを知らないからだということがあると思います。
小学生のころに、本をよく読む子の多くは、物語の本を読んでいます。
その物語の本も、古典的な名作から現代的な学校生活を描いたものまで幅広くあります。
親は、子供が本をよく読んでいるからいいと思い、子供も自分は本をよく読んでいると思っていても、その本の内容が軽い物語文の本に限定されている場合も多いのです。
すると、中学生になって学校の勉強などが忙しくなると、子供心にも、軽い物語の本を読んでいる暇があったら勉強をしたいと思うような場面も出てきます。
中学生になっても本を読み続ける子は、もちろん物語文の本も読みます。
しかし、それとともに、理科や社会や人生などの説明文的な本も読むようになっていることが多いのです。
この説明文の本の面白さを知ると、勉強が忙しいときでも読書を続けたいと思うようになります。
今、高校生の読書率が低下しています。
小学生の読書率が上がっているのに対して、高校生の読書率が下がっているのは、小学校時代の読書が中学生、高校生の読書に結びつくようなものになっていないからではないかと思います。
小学校高学年から中学生高校生にかけて子供の心を引きつけるような説明文の本は実はあまり多くありません。
図書館などを利用して、その子が興味が持てるような説明文の本を小学校高学年から探していけるとよいと思います。
【参考資料】第62回学校読書調査
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不読率、高校生で深刻
書籍の不読率(1カ月間に本を1冊も読まなかった割合)は小学生4%、中学生15%、高校生57%だった。小中学生が2015年の前回調査からほぼ横ばいだったのに対し、高校生は前回比5ポイント増。小学生では02年から1桁台が続いており、多くの小学校で導入されている朝の読書運動が奏功しているようだ。しかし、進学するにつれ「読書離れ」が深刻になっている。
1カ月の平均読書量は小中学校で1990年代後半から増加傾向にある。今回調査では小学生11・4冊、中学生4・2冊に上り、過去の調査と並び最多だった。高校生の平均読書量は1・4冊にとどまり、68年以降、2冊未満が続いている。
(毎日新聞2016年10月27日より)
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読書というのは習慣的なものなので、何日か読まない日が続くと、そのまま読書から離れてしまうことがあります。
また、物語文の本を一気に読めますが、説明文の本は途中で読むのをやめると、新たに読み出すのが億劫になることがあります。
子供の読書習慣を続けさせるには、原則として毎日読む、付箋読書という方法を利用する、読書以外の問題集読書も組み合わせる、というようなことをしていくといいと思います。
この読書力が、そのまま作文力の土台になってくるのです。
今、タブレットなどを使い、映像でわかりやすく理解させる学習方法がありますが、映像というのは理解を助ける代わりに、考える力を必要としなくさせる働きがあるのです。
なぜそうなのかということを、明日書く予定です。
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今年の4月から森林プロジェクトにお問い合わせいただいた方に、「読書感想文の書き方」の小冊子をお送りしましたが、その中に多数の誤字と文字化けがあったようです。
これは、もともとのテキスト原稿を変換する過程でそうなったものです。
誠に申し訳ありませんでした。
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昔は塩といえば、NaClという塩化ナトリウムで間に合わせればよいという考えがありました。
塩というものの要素を抽象化して、単純な元素の組み合わせとして管理すれば利用しやすいと考えたのです。
ところが、実際の海水に含まれている塩にはNaCl以外のさまざま4な元素が含まれています。
そして、実はその微妙な元素の方に重要な働きがあるということが分かってきたのです。
子供の成長についても、似たようなことが言えます。
昔の子供の環境は、両親や先生だけでなく、兄弟や、祖父母や、近所のおじさんおばさんや、友達や、友達の中でも年齢の上の子、下の子、自分が特に好きな子、嫌いな子などが多様な人間関係の環境を形成していました。
そこで子供たちは、バランスよく成長していたのです。
現在は、少子化と核家族化の中で、子供はかなり単純な人間関係の中で暮らしているように見えます。
このような単純化された、ある意味で人工的な環境の中で教育が行われると、子供の内発的な動機が正しく成長しないことがあるのです。
例えば、子供は何かを学んだり遊んだりしているときに、自分なりにさまざまな工夫をして失敗や成功を経験します。
その試行錯誤の経験の中で、困難を乗り越えてうまくできたというのが、子供の創造の喜びになり向上の喜びになります。
そういう内側からの喜びを成長の糧として、子供は大きくなっていくのです。
しかし、もしここに親や先生から評価されるという要素が加わると、本来の喜びが評価される喜びに切り替わってしまうことがあります。
勉強で何かを成し遂げたときに本当は成し遂げたこと自体が喜びであるのに、親や先生に褒められると、それが褒められた喜びに還元されてしまうということが起きてくるのです。
もちろんこれが子供の多様な環境の中で行われるのでしたら、褒められる喜びというものは一つの価値ある喜びになります。
しかし、人工的な単純化された環境で、評価がある一つの方向から繰り返し行われると、子供の喜び自体が評価される喜びに単純化されていってしまうのです。
大人になって自分の本当にしたいことがよく分からないというようなケースは、この評価の喜びが単純化された環境の中で与えられすぎたからという面があるのではないかと思います。
ではどうしたらよいかというと、子供が何かに熱中しているときは、それを褒めもせず止めもせず、その子のありのままの姿として温かく見守ってあげることなのです。
その熱中したことが全く無駄で無意味なことのように見えても、熱中すること自体が子供の成長にとって価値あることだと考えることです。
また逆に、その熱中していることが親や先生の望むことであっても、それを特に褒めるようなことはむしろ抑えて、その熱中そのものをただ見守ることが重要なのです。
昔の子供は、親や先生の目の届かない自然な環境の中で過ごす時間が豊富にありました。
今は、こういう自然の環境になるべく近い子育てをしていくことが必要になってきているのだと思います。
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やり遂げた喜びの裏側には、失敗した悔しさがあり、その両方が子供の内発的な動機を成長させます。
無駄な失敗の遠回りはしないようにうまく教えて、それができたら褒めるということをし過ぎると、それはかえって子供の内側の喜びを評価される喜びに切り換えてしまいます。
昔、こういうことをわざわざ考えなくてもよかったのは、子供を取り巻く環境は自然で多様性に富んでいたからです。
これからの子育ては、できるだけこの自然環境に近い状態を作っていくことになると思います。
子供をていねいに育てることは大事ですが、最近はそれと同時にたくましく育てることも大事だと思うようになりました。
しかし、この両立はなかなか難しいのです。
それは、子供をいい子に育てるとともに、少し悪い子にも育てるということだからです(笑)。
それを自然に行うのが、多様な人間関係の中で過ごす時間を作ることだと思います。
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作文の力は、他の教科の勉強とは違って先取りをすることがなかなかできません。
小学校3、4年生の生徒に、小学校6年生で勉強する一般化の主題を説明してもできるようになる子はいません。
それは、例えば、「○○は人間にとって……である」というような考え方です。
「友達とは、人間にとってAではなく、Bである」
「食事とは、人間にとってAではなく、Bである」
「遊びとは、人間にとってAではなく、Bである」
というような考え方は、大人であればいくつか思いつきます。
しかし、小学校中学年の生徒では、そういう発想自体がわきません。
精神年齢が上がらないと出てこない文章を書く力もあるのです。
ですから、それぞれの学年に合った作文の勉強の目標があります。
小学校1、2年生は、正しく書く、楽しく書く、書く習慣を身につける、というのが目標になります。
小学校3、4年生は、表現を豊かに書く、題材を選んで書く、字数を長く書く力をつける、などが目標になります。
小学校5、6年生は、構成を考えて書く、主題を深めて書く、抽象的なテーマについても書けるようにする、などが目標になります。
それぞれの段階の練習を経ることによって、作文力は高校3年生まで継続的に進歩していきます。
小学生のときに上手に書けたからといって、中学生になったら作文はやらなくてよいというのではありません。
中学生で上手になった子が、高校生になれば更に上手に書けるようになります。
そういう息の長い勉強しているうちに、文章を書くこと自体が好きになっていくのです。
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勉強であれば、どんなに苦手な子であっても、やれば何とかなるという展望がわきます。それは、正解のある勉強だからです。
しかし、作文については、親も先生も途方に暮れてしまうような子がいます。それは、正解のない勉強だからよけいそうなのです。
けれども、そういう子であっても、音読と読書と対話と褒める指導で、必ず上手になっていきます。ただし、あまりに長い時間がかかるので、途中であきらめてしまうお母さんが多いのです。
また、作文が上手になるのにも、かなり時間がかかります。
勉強面ではかなりよくできる生徒であっても、小中学生の間は、普通にちゃんとした作文を書くぐらいまでしかいかないことがよくあります。
それが、高校生まで続けていると、次第にその子らしい内容の深い作文を書いていけるようになるのです。
そして、その長い勉強の間には、誰も、やる気の出なかった時期や、さぼってばかりいた時期もあったのです。
勉強が苦手な場合は、学校の勉強をちゃんとやっていなかったからですが、国語や作文が苦手な場合は、家庭の日本語の環境で何か問題があった場合が多いのです。
だから、国語や作文の克服するには、家庭の全面的な協力が必要です。
それが例えば毎日の音読ですが、わずか毎日2、3分の音読であっても、これまでやっていなかったことを習慣として続けるようにするというのは、はたからは想像もできないほど難しいことなのです。
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理科や社会については、知識的な勉強ですから、受験勉強についてはある程度短期間で間に合わせることができます。
英語についても、苦手にならないことが必要です。
英語だけが突出して優れているという必要はありませんが、英語の勉強は時間がかかるので、計画的に進めていく必要があります。
海外の大学を受験する際も、英語の学力が問われます。
しかし、それが第一の評価の対象になるのではありません。
最も重視されるのは、高校時代の実績や論文などです。
この海外での大学評価と同じような評価が、これからの日本の入試改革でも取り入れられていきます。
したがって、算数数学を苦手にしない、作文力に自信をつけるの二つの大きな目標のほかに、高校時代に実績を上げるということが、第三の大きな目標になります。
高校時代の実績の代表的なものが、外部のコンクールへの入選です。
どういうコンクールで何の賞を得たかということは、客観的な実績なので、入試では大きく評価されます。
これからの中学高校での勉強は、学校の定期テストを真面目にやるというだけでなく、自分の個性を生かして学校以外の外部の客観的な評価を得られるような実績を作っていくことになります。
これはある意味で定期テストの勉強や、入試の勉強よりも、対策を立てるのが難しいものです。
まず、自分の個性を伸ばさなければなりません。
小中学生のころから、自分の好きな分野を自覚し、意識的に育てていく必要があります。
そして、更に、外部の評価に耐えられるようなレベルの高い実績を上げていく必要があります。
これからの中学高校生活は、学校で言われたことを素直にこなすという勉強だけでは不十分で、自分の個性を発揮して実績を上げるというかなり主体的なものになってくるのです。
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これまでは、言われたことをそのとおりにやる子が評価されてきました。
しかし、それでは創造性は育ちません。
湯川秀樹は、数学が好きでしたが、数学の先生に決められた解法で解いていないから答えが合ってもいても×とされたことから、数学をやめて物理の世界に入ったそうです。
人と違っていることは、それ自体が目的ではありませんが、自分らしく生きようとすれば、自然に人と違った道を歩くことになるのでしょう。
そういう個性を伸ばせるのが、家庭だと思います。
これまでの教育の主流は、答えのある教育でした。
しかし、社会に出れば、答えなどはありません。
だから、義務教育ではもちろん答えのある勉強をしていく必要がありますが、それと同時に答えのない勉強の魅力を子供のころから知っておく必要があるのです。
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2020年からの大学入試改革では、どういう点が評価されるのでしょうか。
大きな流れは、記述力や思考力や論文力が問われること、英語の4技能が評価されること、そのために外部評価も参考にされること、1点差を争うような受験勉強ではなく、高校時代のまともな勉強が評価されること、などです。
日本のこれまでの大学入試は、主に数学の難問が解ければ合格可能性が高まるという事情がありました。
また他の教科も、きわめて特殊な受験勉強的な知識を詰め込む必要があるという性格のものでした。
しかし、このガラパゴス化した入試では、これからの世界に通用する人材は育てられないということがわかってきました。
そこで、受験勉強的な知識はほどほどでよいから、もっと個性的な学問への関心を持ち、自ら進んで考える力を持つ生徒を評価しようということになったのです。
しかし思考力や記述力といっても、評価の方法はまだはっきり定まってはいません。
国語の問題で、短い記述の問題があると言われていますが、実際にスタートすれば採点に手間がかかるわりに効果があまりないということがわかってくるのではないかと思います。
では、今の中学生や高校生は、これからどういう点を心がけて勉強していたらいいのでしょうか。
第一は、バランスの取れた学力をつけるということです。
その一つは、苦手な教科を作らないことです。
特に数学に苦手意識を持つと、これからは文系でも数学が評価の対象となるので受験勉強の負担が大きくなります。
もう一つは、作文力がいろいろな面で問われるようになるので、文章を書くことにある程度を得意意識を持っておくことが必要になります。
算数数学を苦手にしない、作文力に自信をつける、これが大きな勉強の目標になります。
しかし、この二つの目標のほかに、もう一つ大きな目標があります。(つづく)
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今の入試は、かなりガラパゴス化しています。
受験勉強的な学力はある程度は必要ですが、成績がいいだけでは使い物にならなということが社会のいろいろなところでわかってきたのです。
そこで、今後行われる入試改革は、基本的には現在のアメリカの大学などで行われている入試に似たものになっていくと思われます。
それは、評価に手間と時間をかける、高校時代の実績を評価する、論文や面接を重視するという方向です。
これからは、金太郎飴的な学力ではなく、個性的な関心に基づいた学力が求められるようになります。
例えば、今までは、「高校生になってまで昆虫採集なんかに熱中していないで、学校の勉強をちゃんとやりなさい」などという言葉の方に説得力がありましたが、これからはそれが逆になってきます。
そして、その昆虫採集のレベルを学問的にも上げていく工夫が必要になってきます。
すると、勉強は、学校的・学習塾的なものから、個人的・家庭的なものがむしろ重要になってくるのです。
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兄弟で上の子が読書や作文が得意な場合、下の子は年齢的に上手に読んだり書いたりできないせいもあり、上のことを比較して苦手意識を持ってしまう場合があります。
親は兄弟を比較するつもりがなくても、上の子を褒めるときに、「読書が得意だね」とか、「作文がよくできるね」とかいう言葉で褒めると、それを聞いていた下の子が、自分は別の路線で褒められるようになろうというふうに思ってしまうのです。
いったん苦手意識を持つと、親がどんなに励ましたり褒めたりしても、心の中では納得できないので苦手意識が続きます。
そこでどうしたらいいかというと、下の苦手な子だけを見て、毎日の長文の音読と読書をただ続けていくだけなのです。
毎日の音読で同じ文章を繰り返し読むようにしていると、その文章のリズム感がその子の作文の中に出てくるようになります。
しかし、そうなるまでには、半年ほどの時間がかかります。
すぐの成果を求めるのではなく、ただ毎日の同じ文章の音読を褒め続けるということでやっていくとよいのです。
(この長期間の音読の継続にはいい方法がありますが、それはまたいつか書きたいと思います。)
読書も同様です。
毎日のページ数を決めて、ただ読んだことを褒めるというふうにしていきます。
音読と読書という一見作文に直接の関係のないようなことが積み重なって、それがやがて作文力として現れるます。
しかし、それには長い時間がかかります。
作文を上手にさせるために音読と読書を始めたということを、親がすっかり忘れてしまったころ、いつか気が付いてみると作文がしっかり書けるようになっていたという形の進歩なのです。
他の教科の勉強、例えば算数数学などは、学力の差がかなりあるように見えても、夏休みなどの短期間の集中学習の結果驚くほど成績が上がるということがあります。
それは、教科の勉強は答えもあり解き方もある勉強なので、それを身に付けようと思えば短期間で自分のものにすることができるからです。
ところが、作文はその子のそれまでのトータルな読書量や経験量や語彙力などが総合化されたものです。
だから、何かの練習をしたらすぐに上手になるということはないのです。
作文は、まだ低学年のうちから息の長い勉強として進めていく必要があるのです。
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勉強が苦手だった子が、急に得意になるということはありますが、作文が苦手だった子が急に得意になるということはまずありません。
ただし、作文が嫌いだった子が、急に作文が好きになるということはあります。
この好きになった時期に、毎日の音読と読書の仕組みを家庭学習の中で作っておくとよいのです。
作文がしっかり書ける子は、考え方もしっかりしています。
特に高学年になるほど、作文力は単なる表現力ではなく、思考力という面を持ってきます。
だから、思考力を育てるということは、決して抽象的な勉強ではなく、作文力を育てることと同じだと考えておくとよいのです。
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